菊池ひみこ
Double Quartet

BLUES ALLEY JAPAN 2004/11/01



〔Tonight's Menu]

1-1 Make Up In The Morning Himiko Kikuchi
1-2 Bud Powell Chick Corea
1-3 In A Sentimental Mood Duke Ellington
1-4 Spanish Dance #5 "Andaluza"〜
   My Spanish Heart〜Armando’s Rumba
Enrique Granados
〜 Chick Corea
2-1 Tell Me A Bedtime Story Herbie Hancock
2-2 Impromptu F.chopin
2-3 A Night In Tunisia Dizzy Gillespie
2-4 Got A Match Chick Corea

[出演〕
菊池ひみこ(Pf) 松本正嗣(G) 斎藤誠(A.Bass) 市原康(Dr)
篠崎正嗣(Vn) 田尻順(Vn) 増田直子(Va) 柏木広樹(Vc)

Blues Alleyで菊池ひみこさんのライブを観た。途中、約15分間の休憩を挟み、2部構成から成るステージはアンコールまで約3時間、この日のスペシャルカクテル”Himiko”を味わいながら、たっぷりと大人のジャズを堪能した。今回のライブはジャズカルテットと弦楽カルテットとを融合させた「Double Quartet」。一昨年の国民文化祭とっとりで発表したジャズピアノコンチェルトのコンセプトを継承し、昨年のNHK FMの公開ライブ番組「セッション505」で立ち上げたプロジェクトで、本格的なライブは今回が初めてだという。ジャズカルテットと弦楽カルテットの融合というだけでも興味深いが、さらに興味をひいたのはE.ギターを除く弦楽器にサイレント楽器が用いられていたことである。「なぜにライブでサイレント?」と思ったが、ライブ会場でのような場所ではクオリティのいい音を効果的に拾ってもらえるというメリットがあるのだそうだ。聞けば、ソリストがサイレントを用いることはあっても、メンバー全員がサイレント楽器で演奏するというのは非常に稀だという。こうした斬新な試みも今回のライブのおもしろさのひとつだと思った。

ステージは、ひみこさんの代表的オリジナル曲でフュージョン系のナンバー、「Make Up In The Morning」で軽快にスタートした。MCを挟みながら、チック・コリア、エンリケ・グラナドスらのナンバーが演奏される。ジャズカルテットの演奏に弦の響きがオリジナルとはまた違ったカラーと広がりを付け加える。どの曲もテーマからアドリブに入っても全く違和感がなく、アドリブをも含めてひとつの流れをつくってしまっているかのような淀みのない演奏。テクニックもさることながら、そのアレンジの素晴らしさに、ひみこさんの天性のジャズピアニストとしてのセンスを感じた。

ミラクル・フィンガーとでも呼びたくなるような、ひみこさんの華麗な指さばきに目を奪われているうちに、あっというまに1stステージは終了、プログラムは2ndステージへと突入した。1曲目の演奏が終わった後、ひみこさんが樋口さんを紹介する。一昨年の国民文化祭とっとりで発表した「ふるさと」を手伝ってもらったこと、同じエレクトーンコンクールに出場し、子供のころから知っているので、いまだにニックネームで呼んでしまうと語った後、「大作曲家の樋口康雄さん」と紹介し、客席後方にいた樋口さんにスポットライトが当たる。「おおっ!樋口さん、そんなところにいらしたとは!」というのは真っ赤な嘘で、実は休憩時間に樋口さんがそこにいることは発見していたので、MCの最中は樋口さんがどんな表情でMCを聞いているのか観察させていただいたのだが、樋口さん、まるで他人事のような涼しい顔をして聞いていらっしゃいました(爆)
 
さて、それはどうでもいいとして、「弦とピアノで限りなく美しい曲を」というひみこさんの発注を受けて樋口さんが作ったのが、ショパンの「幻想即興曲」をモチーフにした「 Impromptu 」である。「このフレーズを弦に弾かせようというんだから、もしかしたら彼はサディスト(笑)」とひみこさん。その言葉の正しさは、ドラムのカウントで演奏が始まるとすぐにわかった。あらかじめ弦だとわかっていたものの、冒頭の16分音符の高速フレーズの、ピアノのそれをはるかに越えた緊迫感と圧倒的迫力には一瞬、言葉を失った。と同時に、背筋に戦慄が走るような感覚を覚えた。それは、うまくいけば限りなく美しいこの曲も、一歩間違えば、どうにも救いようのないボロボロになる危険性を孕んだ難曲だと感じたからである。おそらく、この曲を演奏すると決めるにはずいぶんと勇気がいったのではないか。「美しくなれるでしょうか?」ひみこさんのこの言葉には、どんなに熟練したプロのミュージシャンでも、ほんの一瞬の隙が命とりになりかねない曲・・・まさしくこの曲がサディストしか作りえない難曲であることを示唆していた。

演奏は見事に決まった。ふたつのカルテットの絶妙なバランスとテクニックに支えられた、暗く情熱的で急速なパッセージと緩やかなカンタービレ、そしてジャズ的なインプロビゼーションがめまぐるしく展開するさまは圧巻で筆舌に尽くしがたいほど感動的。明らかにこの日のハイライトは「 Impromptu 」であったと言ってさしつかえないだろう。演奏が終わると客席からは歓声が漏れ、隣席の中年の女性客は「すごい・・・」とひとこと言った後、大きく溜息をついた。その後ろでは初老の男性客が満面の笑みを浮かべ惜しみない拍手を送っていた。ちょっと大げさかもしれないが、この日、樋口さんの歴史の新たな扉が開かれたような気がした。それは私たちに、まだ、樋口さんの新作に触れる場が残されていたという意味で。つまり、舞台音楽や映像音楽、CM音楽といった付随音楽の分野では、今後も樋口さんの新作を聴く機会があるかもしれない。だが、現在のような若年層を中心にした音楽界のなかでは、樋口さんたちのような位置にある作曲家たちが新作CD、とくにポピュラーミュージック以外のジャンルに属する作品を発表する機会に恵まれているとはお世辞にも言い難い。そのような状況のなかで、「Impromptu」のような作品は、一生、私たちの耳に触れる機会はないのではないかと思っていた。だが、ライブという場で新作を耳にする機会があるのだということに気づいたとき、扉の向こうに一筋の光が見えたような気がした。

この「ダブル・カルテット」というプロジェクトがいつまで続くのかわからないが、「Impromptu」を一回限りの演奏で終わらせるのはあまりにも惜しい。できることなら、この先も「ダブル・カルテット」のレパートリーとして、この曲をライブという環境の中で育てていってほしい。そして、今回聴くことの出来なかった人たちにも、近いうちにこの曲を聴く機会が訪れるようにと願っている。夫君の松本正嗣氏との息のあったインタープレイ、ベースの斉藤誠氏の楽しげな表情、市原康氏の正確なドラミング・・・その後も素晴らしい演奏の数々を聴かせていただいた。久々の聴き応えのあるライブに、ブルース・アレイをあとにする足どりも軽かった。