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実録・とっとりへの道】
およそ2000人を収容する鳥取県民文化会館。入場時間ぎりぎりに到着した私たちに用意されていたのは3階席だった。「やった!3階席よ」私とSACHIKOさんは手をとりあって喜んだ。3階席になって喜ぶ人もめったにいないと思うが、私たちにとってはオーケストラピットがよく見える3階席が特等席だったのだ。
指定された座席からは距離は遠いがオーケストラピット全体が見下ろせた。すでに楽団員は定位置についている。と、そのとき、譜面台の手前で黒い物体が動くのが見えた。「ねえ、あれ樋口さんじゃない?」「えっ、どれどれ?」観客席との境の壁に阻まれてその姿ははっきりとは見えないが、確かに手前にもうひとり人がいる。後ろの席に人がいないのをいいことに、その物体の正体を確かめようと立ち上がった瞬間、その黒い物体は客席のほうに振り返った。「をををっ!樋口さん!!」そこにいるのは間違いなく樋口康雄その人だった。開演までの数分間、上下黒のスーツに身を包んだ樋口さんは、何度か客席の方を振り返った。そのたびに興奮しまくっていた私とSACHIKOさんは、多分他の観客の目にはかなり怪しいおばさんと映ったに違いない(^_^;)
だが、オーケストラの音あわせが始まるとそんなミーハー気分もどこへやら。そして開演直前の会場の一瞬の水をうったような静けさに、これから始まるステージへの期待と緊張が高まっていった。そんな会場の空気を解きほぐすため、ステージに登場したのはひとりの女子中学生だった。彼女の進行で会場全員でマスゲームをすることになる。だが、私は見た。樋口さんはやってなかった(笑)。マスゲームが終ると何度も試聴した、聞き覚えのある大会のイメージソング「ふるさと」の冒頭部分が演奏された。ほんの数小節の演奏はあっというまに終った。司会者が「演奏は国民文化祭記念オーケストラ、指揮は樋口康雄さんでした」と紹介すると会場から拍手が起こる。私とSACHIKOさんは「樋口康雄さん」のところで一段と大きく手をたたいた。
司会者の開会宣言のあとハンドベルの演奏にあわせて皇太子ご夫妻が登場、鳥取市内のふたりの小学生の挨拶が終るとオーケストラによるファンファーレが流れた。このファンファーレがどこか一風変わっていて変だった。このとき私は「ああ、今、私はここで樋口康雄を聴いているんだ」と実感した。
実行委員や来賓の長い長い挨拶が終ると、「ふるさと第二楽章」の演奏が始まった。
菊池ひみこさんのピアノソロから始まり、弦が、そして管が重なっていく。流麗なクラシック調のアレンジにうっとりと耳を傾けていると、突如プラスの音から一転してジャズ風のアレンジへ。その唐突ともいえる見事に予想を裏切る展開(そこがまた彼らしくて好きなのだが)にしばしあっけにとられていると、すでに演奏はひみこさんの縦横無尽なインプロビゼーションへと移っている。冒頭のソロは心なしか固さを感じたが、ここでは見事に本領発揮といった感である。やがて曲はマーチ風のアレンジへ、そしてある時はプラスロック風に、ある時はピチカート奏法ありと変幻自在に展開していく。それは言い換えればある時はシング・アウトを、ある時は「きょうだい」(益田宏美)を、ある時は「火の鳥2772」を彷彿させるものであり、さながらのこれまでの全作品のエッセンスをすべて凝縮して詰め込んだ「樋口康雄・音のカタログ30年史」(勝手に命名)といった感さえあった。そして「猫ふんじゃった」を聴くに及んで、私はもう笑いが止まらなかった。「ふるさと第二楽章」はどこを切っても樋口康雄な音だった。
果たして今の樋口さんの音は私が聴きたい樋口さんの音なんだろうか?今、彼がやりたい音楽は私たちが求めているものなのだろうか?本当のところを言えば、私はここに来るまですごく不安だった。それを確かめるのはとても怖いことでもあった。決して昔と同じことをやってほしいわけではない。でも、他の誰かに書けるような曲を彼に書いて欲しいとは思わない。そして、できればこの先もずっと、私たちを魅了してきた彼らしい独特の個性は失わないでほしいとも思っている。その意味で「ふるさと」は私を十分に満足させてくれるものだったし、安心させてくれるものだった。このことを確かめることができただけでも、私は鳥取まで来た甲斐があったと思った。
舞台は「交響詩とっとり」へと移っていった。この作品の音楽は樋口さんが手がけたものでないことは行く前からわかっていたし、「ふるさと」で完全に交通費の元はとれた(笑)と満足しきっていたので、「交響詩とっとり」で樋口さんがひき続きタクトを振るとわかったときは、なんだかすごく得した気分になった。この作品はアレンジも樋口さんではないと聞いたような気がするのだが、それでもところどころに「ここは樋口さんっぽいなぁ」と感じる部分があった。もっともこれは単なる私の思い込みなのかもしれないが、一方で、指揮者によって曲の解釈やテンポ感が違うので、そうしたところで樋口さんの個性が出たのかしらとも思ったりするのだった(実際のところはどうだかわからないけれど)
「交響詩とっとり」が終ると15分間の休憩となった。一旦、ロビーに出た私たちは第3部のフェスティバルを見ることもなく、そのままロビーでぼぉ〜っと感動の余韻に浸っていた。今になってみると、やはり見ておけばよかったかなとちょっと後悔しているのだが、その時はとにかく感動に浸っていたかった。
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