向岳寮同期会66in 石巻
 
東京工業大学向岳寮で同じ釜の飯食った仲間たちの親睦会です。
 多くのメンバーが実務に距離を置きはじめ、集まりやすくなったので、毎年旅行をしています。2009年9月の浜松か始まり、今年(2015年)は3.11東日本大震災後の復興の様子を実感するため、東北地方へ行こうということになり、幹事のA氏の尽力で「日本製紙・石巻工場」の見学をすることができました。
 行く前に佐々涼子氏の『紙つなげ!」を読んでおきました。
 5月14日昼過ぎに仙台駅に集まり、旅館の送迎バスに迎えられ夕食前に「女川」の復興の様子を見ました。4年経過しており、新築の建物も多いですが、震災で破壊された建造物がわずかではあるが残って(残して?)あり、住宅街は更地になって嵩上げ工事の途中でした。神戸の震災のときは4年後にはかなりの部分が復興されていたのに、震災の規模と範囲が広いとかなり期間を要するなと感じました。
 旅館(華夕美)は海の傍にあるにもかかわらず、湾の入り口で津波が遮られて下図の橋から流れ込んだ水が湾内に広がり被害が小さく、翌日から近くの被災者の生活の拠点になったそうでした。カキの養殖いかだが並んでいます

   
          
翌朝は貸し切りバスで、石巻ニューゼ、日和山、日本製紙の工場見学と松島瑞巌寺等を観光しました。
 石巻ニューゼには震災の翌日から手書きで記事を書き、避難所に情報を伝えた壁新聞の実物が展示してありました。
 震災とは無関係ですが、日和山にはクジラのモデルがありました。調査捕鯨の基地があるそうです。そういえば前夜の旅館の料理にクジラの刺身がありました、我々の年代は子供のころはクジラをよく食べましたが何年ぶりだろう?。
 下図右の『友愛』の石像の中に見える橋の上に停車していた車は津波を免れたそうです。
 石巻工場で津波で一人の死者も出さなかったのは、安全を徹底する社内教育と避難訓練と社員の互いの信頼関係(当時の流行語でいえば「絆」)の賜物です。
 『紙つなげ』で取り上げられた8号マシンと6号マシンを見学できました。製紙工場のマシンは長さが300m近く私の感覚では8号棟などの巨大なものでした。製紙は今後の成長はあまり期待できないが、無くてはならない産業で、特に石巻では日本製紙の工場の煙突から上る煙(ほとんどは水蒸気)は市民を勇気づける復興のシンボルと感じました。


 
 
 瑞巌寺では本殿は建て替え工事中で見ることはできませんでしたが、その代わりに普段は公開していない伊達家代々の殿様の位牌や正宗の奥様のお墓を公開していました。
 建て替えは7年位かかるそうです。歴史的建造物の建て替えに際しては、原資料を残すため使える部品はできるだけ残し痛んだ部分だけを作り替えますが、新部品と旧部品とをなじませるエイジングのため長期間かけて建て替えます