『第23回 UBEビエンナーレ'09 現代日本彫刻展』



山口県宇部市の『ときわ公園』で平成21年10月3日(土)〜11月15日(日)に『第23回 UBEビエンナーレ'09 現代日本彫刻展』が開催されました。  UBEビエンナーレは1回/2年開催されている、世界で3番目の歴史を持つ野外彫刻展です。

昨年の世界42カ国、392点の模型審査の中から39点の入選作品が選ばれ、20点の実物大作品がときわミュージアム野外彫刻展示場に展示されています。

10月2日の選考委員による審査で入賞7作品が決まり、「Self-consciousness」が大賞に選ばれました。



【作品名】Self-consciousness
【作者名】廉尚U(ヨム・サンウク)
【国  名】韓国

 『大賞(宇部市賞)』受賞

【作者コメント】
“関係”について
意識と無意識の中で自我は喜びと悲しみを経験して、与えられた調和の中で世の中との関係を結ぶ。
このような繰り返しの過程で真実は誤解と錯覚をもたらす。
外から強要されて、中から煩悶して、
時に大いに喜び、時に大いに悲しむ。
再び調和した一日が始まって幸せな私はその一日と再び立ち向かう。




【作品名】Gravitation
【作者名】大井 秀規(Hidenori Oi)
【国  名】日本

 『宇部興産株式会社賞』受賞

【作者コメント】
世界各地を旅しながら、大地と結びついた彫刻について考える。
以前、アメリカにあるアリゾナ砂漠に一週間滞在した。灼熱の太陽に 照らされた、ごつごつした真っ赤な大地が今も目に焼きついている。今回の作品は、その記憶を具体化したいと思って作成した。
赤い大地を地球から四角に切り取り、三つの黒い石の上に積み上げる。大地を支えながら重力に抗して立ち上がる姿に、地球に持つ根源的な 「生のエネルギー」を感じている。




【作品名】block
【作者名】狗巻 賢二(Kenji Inumaki)
【国  名】日本

 『毎日新聞社賞』受賞

【作者コメント】
テレビ画面で見る限りだが、イスラムメッカは黒い大きな立方体に巡礼信者が群がっている。
ルーマニア生まれ、ブランクーシの「瞑想と救済の寺院」と題されたシンメトリー幾何形の石膏雛形作品を思い起こす。 何れも後付の印象だけれども、直感的に又そのようなことかも知れない。
イメージといってしまえばそれまでだが、自ら出所は不明である。私個人ではなく、「あえて空間にシルエット」。視線の垂直性。




【作品名】REDEFINED SPACE
【作者名】PHYLLIS BAKER HAMMOND
     (フィリース・ベーカー・ハモンド)
【国  名】アメリカ

 『緑と花と彫刻の博物館賞』受賞

【作者コメント】
記憶は8歳の時、美術のクラスでギリシャの彫刻を苦労して描いた時点から凍結されている。
投影された想像の留め金具、実物より 大きく創造される試作案は持続し素材中に形付けられる。
後日、日本での生活から興奮がちに発見した建築から陶器までの日本の芸術。
以前に学んだ陶芸的な形を内包する自分の彫刻。ロクロでの熟達、陶土が自発的に形を作り出し、形と空間の抽象的な修学、押さえた釉薬に意識を集中させた。
いま仕事は明るい色、不整形な形と空間の再定義。陶土から素材のアルミニウムへ解き放たれた。
今日、自発的にそしてダラダラと再度コンピューターにレーザー切断用の詳細を書き込み、金槌と鉄床でねじ曲げ、断面的な溶接をし鍛冶屋用の 形を切り出し、相互作用的な遊びに満ちた軌道を作り上げている。
過去の洞察力の迷宮は無限の芸術的探求を獲得する。水晶玉を覗き未来を見たい。




【作品名】台地の日月
【作者名】小室 正光(Masamitsu Komuro)
【国  名】日本

 『優秀賞』受賞

【作者コメント】
『天円地方』という古来の観念がある。
天は丸く、地は方形ととらえる空間認識(宇宙観)である。
「日月」(じつげつ)は太陽と月、「大地」は平野のうちいちだんと高い台状の地形をさす。
台地の上に太陽があらわれ、月が沈む。太陽が沈むと、月があらわれる。
太陽の輝きと、月の静寂。日々の変化するスペクタクル。
大地に佇み、水平線をみながらそんな時間を感じたい。




【作品名】帰ってきた
【作者名】中山 敬章(Hiroaki Nakayama)
【国  名】日本

 『島根県立石見美術館賞』受賞

【作者コメント】
“After all,tomorrow is another day.”は「風と共に去りぬ」の主人公、スカーレットの最後の台詞ですが、彼女は絶望の極みで、 “I'll-why,I'll go home to Tara tomorrow”と叫び、今日とは違う明日が訪れることを信じて故郷のタラへ帰る決意をします。 そこには、彼女を勇気付けてくれる懐かしい緑のしげみやわが家、そしてそれらをとりまくかけがえのない風景があるからです。
「帰ってきた」には、帰る場所があり、そこには、ほっとできる寛げる空間と、古めかしくて他人にとってはどうということもない わが家や記憶に残る建造物があり、その向こうに見える風景さえもかけがえのないものである、という物語がこめられています。
製作にあたっては、風景が自然に目に入るように、石の存在感を強くしすぎないことに注意をはらいました。




【作品名】キリンの工事現場
【作者名】村中 保彦(Yasuhiko Muranaka)
【国  名】日本

 『山口県立美術館賞』受賞

【作者コメント】
近年、動物に工事現場の足場を組み合わせた作品を制作している。多くの動物には自然が与えた魅力的なフォルムを感じ、 足場には構成的な美しさを感じることが多い。
動物の有機的なフォルムと無機的な足場の形が、ひとつの形に組み合わされることに違和感を覚えるかと思うが、 私たちの周りにはこのような組み合わせは多くあるように思う。この異なる二つを組み合わせる事により自然の形と 人の造形の組み合わせの美しさについて何か見えてくるものがあるのではないだろうか。




【作品名】RADIATION
【作者名】Georgios Rachoutis
     (ゲオルギオス・ラホーティス)
【国  名】ギリシャ

【作者コメント】
天と地の間に住む人間は太陽、月、宇宙からの放射線ならず地球からの放射線の影響も受けた。
垂直に立つ透明な長方形、象徴されたエネルギーと天と地の威力の均衡。 透明な表面を貫通した水平なパイプは地表を漂う永遠の脅迫である放射線の飛跡を再現している。
この作品は抜け出す事の出来ない大国の絶望的な失策から生まれた。 大国の失策とそれ自身の誇大妄想狂、貧欲、狂気が世界破滅へ誘導する。




【作品名】円弧すべり
【作者名】後藤 良二(Ryoji Goto)
【国  名】日本

 『市民賞』受賞

【作者コメント】
彫刻は空間芸術でありながら、空間には直接手出しが難しい。手品師の如く、何もない空間から鳩を飛び立たせる、そんな芸術が出来たらと。
さて作品はパイプを副次的素材として考えることによって、内包する空間にも境界が発生。 その境界面がずれることによって、空間が分離したような錯覚。
空間を餅とするなら、回転する赤餅をくるむような白餅を想像してください。境界面をつくることが出来れば、空間にも形は発生します。 この作品での収穫は空間を操作できる、その手掛かりを見つけたことです。




【作品名】ANOTHER VISION
【作者名】池上 奨(Susumu Ikegami)
【国  名】日本

【作者コメント】
2009年夏、皆既日食、異常気象、揺れる大地。
この作品の原点も能登半島沖地震にある。
2007年3月24日、忘れもしないあの日。
次なる表現の展開を求めていた。
と、その時、それはやってきた。
突然の轟音、強烈な揺れ、大地の裂け目。
そして、大気にときはなれた大地のエネルギー。
その力の一部を偶然得ることにより、自分が次に何をするべきかを理解することができた。
そして、それがこの作品の構想のベースになったのである。




【作品名】Honey Spoon
【作者名】Axel Anklam
     (アクセル・アンクラム)
【国  名】ドイツ

【作者コメント】
ハニー・スプーンと名付けた此の彫刻は、ある意味で瞬間的な知覚である美学との遊びである。
其れは露出され価値ある光が変化するものに依存している。
「一の絃(いと)」の張りは直観的に同調された旋律へ導かせ、 其の絃長は即に計測され、定義された満足いく或る点か、転換点が示され鋼線の彫刻へと脱皮していく。響きは明快な音ではない。 精密に絃長から鋼線への変身ではない。むしろ、変形しているか、すでに内包され約束されたものか、 三次元的な立体への瞬間かが鋼線の中にある。この作品は音との経験と音楽の元に創造されている。




【作品名】歩行視のためのオブジェ
【作者名】杉山 雅之(Masayuki Sugiyama)
【国  名】日本

【作者コメント】
作品を作ることは、個人的な企みであると同時に、開かれた共同作業でもあると考えます。
構想、制作、展示、それぞれの段階で、先達者の作品や、科学技術、美術館などの機構が、作品の骨格を支えています。 この共同作業を最終的に成し遂げるのは、作品を実際に見る人です。
タイトルにある「歩行視」とは、そういった視る人の視線と身体の運動態の一様態です。
では、作家はというと、それらが通過する箱と言ったところでしょうか。




【作品名】rga09.“ esperance”
【作者名】Rath Geber Attila
     (ラット・ジェベール・アッティーラ)
【国  名】フランス

【作者コメント】
自分は彫刻が置かれるその場所と環境・空間の相互関係の構成に非常に興味がある。 彫刻の存在はその置かれた環境に強く影響される。
環境を突き詰めて行くと、全方位的な環境スペクトルは、ある場所と空間の相互関係の範囲と言える。 如何なる芸術表現は、より広範囲に発生し取り囲まれたその空間を理解する事の結果である。 広く解釈するなら、作品の存在はその置かれ支えられる環境に関わり、故に環境は芸術の存在意義と芸術の創造と同意語である。




【作品名】あなたと…(わすれてしまったこと)
【作者名】武荒 信顕(Nobuaki Takeara)
【国  名】日本

【作者コメント】
抽象であって、精神性を持つ表現が出来ないだろうか、と何時も考えています。 私は、この世界とまったく同じ、もう一つの世界の存在を信じています。その「世界」との接点を創出する事を目指しています。 或る時に、偶然に見つけてしまった、不思議な「窓」。そこに映るのは、もう一つの世界に暮らしている自分の姿。 その姿を見た刹那に、あなたが、「わすれてしまった」大切な「なにかを」思い出せたなら、これ以上の事はありません。




【作品名】The Forest of Mirrors
【作者名】佐野 耕平(Kohei Sano)
【国  名】日本

【作者コメント】
日常の生活や時間を象徴化した形として“イス”を用いています。 それらの“イス”を積み上げることによって過去や日々の悩みの繰り返しの中、 それでも意志を持って存在してゆくことへの想いを形にした作品です。 “イス”の表面と床に映り込んだ流れてゆく景色と、その流れの中で佇む“サカナ” が観る人の日常と非日常をつなぐ架け橋になってくれればとおもいます。




【作品名】空洞系
【作者名】末田 龍介(Ryusuke Sueda)
【国  名】日本

【作者コメント】
誰もが考えるように私もいづこから生まれて来たのかとの問を抱き続けました。 その事を探すために物の表面に穴をあけ形をこわす事を始め、やがて穴はその中に人が入り込める程の大きさとなり 不安と安心が交差する場所(胎内空間)に居ると感じました。 更に掘り進めると暗闇の世界は射し込む光の中で次第に透明化し反転を繰り返しながら連続する張力が支える生命の 空洞となって現れました。
私の<空洞系>はそのような一連の働きの中から生まれたのです。




【作品名】public protective room
【作者名】Rossner Christoph
     (ロスナー・クリストフ)
【国  名】ドイツ

【作者コメント】
方々で、都市における生活空間は窮屈になっている。人々は隙間なく寄り添って暮らし、 私的な空間も公的な空間も分け合わなければならない。共同生活の中には、たくさんの不安や危うさ、脅威が存在する。 安全であることや堅固であることへの人々の切望は、文明の始まりと同じくらい昔からのものである。
私の《公共避難所》は、開かれた形と閉じられた形の両義性を表している。 それは保護と監禁との間、安心と脅威との間で両義性でもある。 私の作品は、外に対して攻撃的な印象を与えるが、あなたはその内部を通り抜けることができる。 作品の透過性によって生み出される光の効果は、鑑賞者の動きに従って、作品の外観や内側からの眺めを変化させる。




【作品名】Metamorphosis inside-outside大地にて
【作者名】山崎 哲郎(Tetsuro Yamasaki)
【国  名】日本

【作者コメント】
真っ赤に熟した四つの鋼板は、大きな力で少しずつ、
同じ目的を持ちながら、異なったプログラムに従って、
ゆっくり、ゆっくり かたちを変えてゆく。
表の面は移行して、反転しながら、流れる風と戯れて、
裏面でまた出合い、新たな空間を創り出す。
(Metamorphosis:蛹が蝶に変化するような大きな変化)




【作品名】風任せ
【作者名】吉村 延雄(Nobuo Yoshimura)
【国  名】日本

【作者コメント】
この作品は連続する「個(ねじられた三角柱)」で形成されている。
繋がり合う「個」は共有する接続面を持つ。
この接続面の「形」は進む方向によって決定される。
それは次の「個」に「伝えたい何か」のようだ。
「人は覚醒して伝えているのだろうか」
微睡(まどろみ)の中での思いは何時しか有りと有らゆる「物」から影響を受け、 覚醒しないままに異なる「物」へと変形する。
目覚めた時に見えるものは望んでいたものなのだろうか。
何処から来たのかは一先ず忘れよう。
重要なのは何処に行くかだ。




【作品名】五つ柱の音
【作者名】尾崎 実哉(Jitsuya Ozaki)
【国  名】日本

【作者コメント】
手で、道具で彫ることは、今日、又これからの芸術作品にとって、本格的なことと考える。
木の存在感を借り、道具を自分の「手」とし、自分のイメージを形にしていく。
いかに素材に潜むエネルギーを破壊させることなく作品に変貌させる事が出来るかが重要であると考える。
自然木と技巧の均衡、イメージと素材の効果的調合を計り、素材が生まれながらに持つ特徴を保ちなたら、 一方で洗練させ、一方で複雑にする。 つまり、木がそのままで持っている圧倒的な存在感と鑿(のみ)、手斧(ちょうな)によって加えられる人工性の拮抗を計ることにより、 常に本質的と思われるものを求めていきたいと考える。