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江渡 狄嶺
EDO TEKIREI
(1880-1944)
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〈 場 〉 の思想家 ・ 江渡狄嶺
〈 世界人類哲学 〉 の先駆者 ・ 江渡狄嶺
わが東北 (青森県・五戸町) が生んだ、最後の 「哲人」 ・江渡狄嶺 (えど・てきれい、1880-1944) は、
「 西田哲学を超えた百姓 」 であり、「 マルクスを超えた百姓 」 である。
江渡狄嶺の 「 行 」 (ぎょう) と 「 場 」 (ば) の 哲学思想体系は、東北が、日本が、世界に誇るべき、
「 絆 (きずな) の哲学 」 である。
江渡狄嶺は、近代日本における最も独創的 〈 オリジナル 〉 な思想家である。
江渡狄嶺は、「 昭和の安藤昌益 」 であり、 「 昭和の三浦梅園 」 である。
「 自己創造 」 と 「 自己充足 」 とを目標とするところの、狄嶺の 「場 」 の哲学は、21世紀を生きる
すべての人々の 「 心の哲学 」 であり、 「 人間哲学 」 である。
江渡狄嶺の 「場 」の哲学・思想は、より高い 「 次元 」 から、「 立場 」、すなわち 「 対立 」 を超えるところの
「 対話の哲学 」 であり、それは、「 宗教的 」 「 民族的 」 な「 対立 」 をも超えるところの 「 世界人類哲学 」 である。
江渡狄嶺は、「人類の知的遺産 」 のすべてに学んだ思想家であり、「人類の知的遺産 」 のすべてを
「活かす」 ところの思想家である。
江渡狄嶺は、数学と物理学の言葉で、「場 」 の哲学を語り、化学と仏教の言葉で、「行 」 の哲学を語る。
そして、哲学の言葉は、自分自身で創造する。たとえば、「Whating 」 (なに) という英語までも、
自分自身で創造する。
江渡狄嶺の「場 」 の哲学は、人類の一人ひとりと、生きとし生ける物たちの、すべての存在を肯定し、
活かす(生かす) ところの 「生命哲学」 である。
江渡狄嶺は、「場 」の哲学者・思想家として、今後、世界的に知られるようになるだろう。
江渡狄嶺は、「行 」(ぎょう) と「場 」(ば ) の哲学思想体系が、世界的に理解されるのには、200年、
300年の年月がかかるであろう、と予見した。
・ 「 江渡狄嶺 」 の読みについて
・「 江渡狄嶺 」 をどう読むか。 これについては、江渡益太郎(江渡家分家)の論考 「 『 江渡狄嶺 』 をどう読むか 」
( 「狄嶺研究」 20号) の影響などから、 従来、狄嶺会では、「 えと てきれい 」 と、表記されてきた。 この論考は、
それなりに説得力のあるものであった。
しかし、その後、江渡家本家では、従来から 「 えど 」 を使用している (江渡家のルーツである「江戸」に由来している。)
ことから、 「 えど てきれい 」 と表記することが 狄嶺会に提案された。
さらに、狄嶺自身の書簡に 「 Edo 」 とあり、 今日、狄嶺会では、「 えど てきれい 」 を使用している。
下記の拙著 『 江渡狄嶺 ―― 〈場〉の思想家 』 では、 「 えと てきれい 」 と表記し、
『 場論的世界の構造 ―― 江渡狄嶺の哲学 』 では、「 えど てきれい 」 と表記しているのは
このような理由によるものである。 (和田耕作)
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・・・ 和田耕作 著 『 江渡狄嶺 ―― 〈 場 〉の思想家 』
・・・・・ 和田耕作 著 『 場論的世界の構造 ―― 江渡狄嶺の哲学 』
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