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         「  学 問 論  」


                     Academic theory



    
     ◇ 「 学問論 」 への 序 


                                    和田耕作

       ◇ 今日、 「日本学術会議」 への政府の介入問題が

         大きな議論となっている。

         このような 時にこそ 我らは、

         「学問」 そのものを 問うことから はじめよう

         ではないか。


        ・今日、「学問論」 の書物は 極めて少ない。 しかし、

         「学問」 そのものを 問うことなしに

         「新たなる世界」 の創造は ないであろう。


        ・かの 安藤昌益も 三浦梅園も 真に 「 学問 とは

         何か 」 を 問うて 「新たなる世界」 の創造を

         成し遂げたのであった。


        ・ここに、「学問論」 のページを設けた所以である。

                      〔 2021年1月18日、和田耕作(C) 〕







 ・・・【  三浦梅園の学問論  (その一) 】・・・




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三浦梅園 著 『戯示学徒』  (全文)

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・一、

 学問は 飯と心得べし。腹にあくの為なり。かけ物などの様に
  
   人に見せんずる為にはあらず。



・一、

 書物は 金かしの帳のやうなるもの也。金なき人のもたらむは、

  渋紙ふむほどの用にこそ。



一、

 学文 くさきな〔菜〕の様なり。とくと くさみをさらざれば

   用ひがたし。 少し書を読めば 少し学者臭し。 余計書を読めば

   余計学者臭し。こまりものなり。



・一、

 学文を 芥の様に おもふべからず。 上に浮きたがるほどに

  下地の水も 今は のまれず。



・一、

  学文は 置き所によりて 善悪わかる。 臍の下 よし、

  鼻の先 悪し。




・一、

 学文は 軽業のやうにするが あしし。 軽業は 人を目の下に

  見おろし、 人の天窓を ふむものなり。



・一、

 衣裳うつくしくかざり、人に すかれんとするは 売女なり。

  人の見る時 所躰をなし、 人に 誉められんとするは

  歌舞戯のものなり。 今の学者は どふやら 此の真似する

  様なり。



・一、

 碁のうち様は、いつにても、先をとれば ま〔負〕けぬものと、

  我も し〔知〕れり。 とかく 道理は のみこみよし。

  態〔さま〕のきかぬが 咲止〔笑止〕なり。



・一、

 足の皮は あつきがよし。 つらの 皮は うすきがよし。

  人 諸 共に 小賢しく 口は きけど、 行ひは女童に

  見限らる。さる故 面の皮 あつくなり、足の皮 うすくなり、

  株ふむ事 多し。よく 心得て つつしむべし。






  ・〔 三浦梅園 著 『戯示学徒』 ・・・ 解説

                        
                  ・・・ 和田耕作 〕


・三枝博音は、この『戯示学徒』を、『日本科学古典全書』に収める

 にあたり、次のように書いた。


 「日本人の科学思想の根底にあったものを考察するための文献と

 したいと考えたのである。学に於ける謙譲が直ちに又人間の倫理

 としてよく表現されている。それが鋭い風刺によって示されてい

 る。」(『日本科学古典全書』第一巻、科学思想篇、三枝博音・解説)


 『戯示学徒』は、わずかに九条の短文である。これを、一書として

 破格の扱いをした理由が、上記の解説である。



  この短文に対しての贅言などは不要であろう。一つひとつの文章

 を繰り返し味わい、 肝に銘じておくことが なによりも重要である。

 「学問論」の巻頭に、かかげるものとして、これ以上にふさわしい

 言葉はないであろう。



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            〔2021.1.19、和田耕作(C)〕