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戦争が戦争を止めた例は一ツもない。戦争は戦争を生む。
世に迷想多しといえども、軍備は平和の保障であるという
がごとき大なる迷想はない。軍備は平和を保障しない。
戦争を保証する。
・【日本国憲法施行76周年記念】
作家・大江健三郎 と 思想家・丸山真男
――「 戦後民主主義 」 の両雄 と 現代
――大江健三郎の「近代史区分」論に学ぶ
――内村鑑三の『非戦』論に学んだ二人
「 自分を歴史に近づける 」 ための
「 和田耕作の方法 」 についての素描
和田耕作
・【参考文献】
・①大江健三郎『言い難き嘆きもて』(講談社文庫)
(内村美代子編、昭和24年〔1949〕3月、羽田書店刊)
・③『丸山眞男集』第5巻(1995、岩波書店刊)
・〔1950~1953年の論考集〕
・④大江健三郎『鎖国してはならない』(2001、講談社刊)
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・【A】・ 大江健三郎の「近代史50年区分」論
・大江健三郎は、「自分を歴史に近づける」という文の中で、
「『五十年』という単位で近代史を区分すれば、自分をそのまま
歴史に近づけることができる」(大江:文献①、p188)
ことを18歳の予備校時代に思いついたと述べている。
・そのきっかけとなったのは、昭和28年〔1953〕の4月に、
丸山真男の「内村鑑三と『非戦』の論理」(雑誌「図書」4月号)を
読んだからであるという。
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・大江健三郎の近代史区分論を理解するために、年表にしてみると
次のようになる。
・〔内村の非戦の意志(1901)を表明した文章あり。〕
・明治37年〔1904〕
・内村鑑三・「余が非戦論者となりし由来」
・明治44年〔1911〕
・内村鑑三(51歳)・「世界の平和はいかにして来たるか」
・・・▶ 大江による50年単位での近代史区分 ◀・・・
・昭和28年〔1953〕・〔内村の非戦の意志(1901)から52年〕
・丸山真男(39歳)・「内村鑑三と『非戦』の論理」(雑誌「図書」4月号)
・〔大江健三郎(18歳)上京・予備校時代にこの「図書」4月号を読む〕
・・・▶ 大江による50年単位での近代史区分 ◀・・・
・平成12年〔2000〕5月・〔丸山の「『非戦』の論理」から47年〕
・大江健三郎(65歳)・「自分を歴史に近づける」(「朝日新聞」)
・丸山真男の「内村鑑三と『非戦』の論理」を読んだ想い出と、
その結論は現代社会にも通じることを切実に感ずるという。
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・・・▶ 大江による50年単位での近代史区分 ◀・・・
・大江の「自分を歴史に近づける」から23年〔50年の約2分の1〕
令和5年〔2023〕3月、大江健三郎は、88歳でその生涯を閉じた。
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・そして、大江が警鐘を鳴らした核戦争の危機などについては、
ロシアのウクライナ侵攻(2022年2月)以降、ますます増大して
いるというありさまである。
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論考である。
・内村鑑三の『非戦』論は、日本の平和憲法の精神を先取りしている
ものであるといっても過言ではない。
・さらに、日本の平和憲法の精神を先取りしている例としては、江戸
時代の思想家・安藤昌益、三浦梅園にまで遡ることができる。
・我らは、日本思想史上において、平和主義はすでに伝統的思想で
あることを認識するべきである。
・明治34年〔1901
・〔内村の非戦の意志(1901)を表明した文章あり。〕
(大江:文献①、p188)
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・明治36年〔1903〕
・「余は日露非開戦論者であるばかりではない。
戦争絶対的廃止論者である。」(内村:文献②、p4)
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・明治37年〔1904〕
・内村鑑三・「余が非戦論者となりし由来」
・明治38年〔1905〕
・内村鑑三・「平和主義の意義」
・「平和主義は、戦争の非理と損害とをとなへ、万国共同
して、これを廃止し、これに代ふるに仲裁裁判を以て
せんとすること、これである。」(内村:文献②、p112)
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・明治44年〔1911〕
・内村鑑三・「世界の平和はいかにして来たるか」
①・「余は世界の平和は必ず来たると信ずる。・・世に最も確かなるこ
とは、戦争の必ず廃止せらるることである。・・余が全身を賭し
て誓い得ることの一つは、未来における戦争廃止のことである。」
(内村:文献②、p138)
②・「戦争が戦争を止めた例は一ツもない。戦争は戦争を生む。戦争
をやめない間は戦争はやまない。世に迷想多しといえども、軍備
は平和の保障であるというがごとき大なる迷想はない。軍備は
平和を保障しない。戦争を保証する。」(内村:文献②、p139)
・これらの内村の言葉は、現代にも通じる名言である。今を生きる
私たちは、これらの思想を十二分に活かしていくことが必要であ
り、それが、歴史に学ぶということの真髄である。
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・昭和24年〔1949〕・・〔内村の非戦の意志(1901)から48年〕
・『内村鑑三思想選書Ⅰ』(世界の平和は如何にして来る乎)
(内村美代子編、昭和24年〔1949〕3月、羽田書店刊)
・〔本書は、内村の非戦論の集成である。〕
・〔参考〕この年、湯川秀樹・ノーベル物理学賞受賞
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一 戦争廃止論 〔「戦争廃止論」など〕
二 平和の福音 〔「余が非戦論者となりし由来」、「平和主義の
意義」、「世界の平和は如何にして来る乎」など〕
三 欧州の戦乱とキリスト教
四 戦争のやむ時
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・〔内容的には、巻Ⅱのものであるが、ページ調整により追加された。〕
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・丸山真男「内村鑑三と『非戦』の論理」の背景を理解するためには、
この時代の世界と日本の情勢への理解が必要不可欠である。
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・昭和27年〔1952〕・・〔内村の非戦の意志(1901)から51年〕
・丸山真男・『日本政治思想史研究』(12月、東京大学出版会刊)
・丸山真男・「「現実」主義の陥穽」(雑誌「世界」5月号)
・平和憲法への否定論、押しつけ論への反論である。
・「米ソの抗争が・・世界的規模において・・充分予見される
情勢の下において・・にも拘らず敢て非武装国家として新しい
スタートを切ったところにこそ新憲法の画期的意味があった」
(丸山:文献③、p209)
・この論考は、1950年から始まったマッカーシー旋風(レッド・
パージ)を背景に成立した。
・〔参考〕この年、メーデー事件。
10月:警察予備隊が軍隊ではないという保安隊として発足。
1954年、陸上自衛隊となる。
・昭和28年〔1953〕・・〔内村の非戦の意志(1901)から52年〕
・丸山真男・「ファシズムの現代的状況」(雑誌「福音と世界」4月号)
・この論考は、「ファシズムの諸問題」(雑誌「思想」11月号、1952)
の続論である。
・丸山真男(39歳)・「内村鑑三と『非戦』の論理」(雑誌「図書」4月号)
・丸山真男は、前掲の内村鑑三の②の文の太字部分を引用して、
次のように述べている。
・「こうした内村の論理がその後の半世紀足らずの世界史におい
ていかに実証されたか、とくに原爆時代において幾層倍の
真実性を加えたかはもはや説くを要しない。」(丸山:文献③、
p322)
・〔参考〕この年、7月:朝鮮戦争休戦協定の調印。
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・【D】・ 大江健三郎の「自分を歴史に近づける」に学ぶ
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・平成6年〔1994〕
・大江健三郎(59歳)・ノーベル文学賞受賞
・平成11年〔1999〕4月
・大江健三郎・「丸山真男の言語作用」(1999年4月、アメリカでの講義)
・〔次項を参照のこと〕
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・平成12年〔2000〕5月・〔丸山の「『非戦』の論理」から47年〕
・大江健三郎(65歳)・「自分を歴史に近づける」(「朝日新聞」)
・大江健三郎もまた丸山真男が引用した、内村鑑三の②の文の太字
部分を引き、次のように述べている。
「歴史は遠くない、とつくづく感じたその時の思いはいまに残
り、あれから50年近くがたっての今日がある、と考えること
で、核戦争をふまえての、この文章の丸山の結論をあらためて
切実に感じます。」(大江:文献①、p189)
・大江健三郎の歴史への眼差しは、すでに『ヒロシマ・ノート』(1965、
岩波新書)、『沖縄ノート』(1970、岩波新書)に、如実に示されている。
この2著は、『核時代の想像力』(1970、新潮社刊)とともに戦後民主
主義の守護神としての大江の「持続する志」の原点である。
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・【E】・大江健三郎の「丸山真男論」から
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・平成11年〔1999〕4月
・大江健三郎には、「丸山真男の言語作用」(1999年4月、カリフォル
ニア大学バークレイ校での講義)という本格的な「丸山真男論」がある。
このなかで興味深いのは、丸山真男による「大江健三郎への評価」
である。
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「このところ、・・戦後民主主義への否定的言辞がひときわ高く
なった。というより、事、評論界に関しては、戦後民主主義を
正面から擁護する言論はほとんど見当たらない、という珍現象
が生まれている。(そうした否定的言論の自由がまさに戦後民主
主義の享受の上に成立っているのに!)大江健三郎などは、その
なかの稀少例というべきだろう。」(大江:文献④、p43。丸山真男著
『自己内対話』からの引用である。)
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「私は、丸山真男にとって、自分が単に大切な友人〔渡辺一夫〕
の弟子というのみでなく、ひとりの戦後民主主義者として受けと
められていたことを、大きい喜びとします。」(同前)
との感想を述べている。
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・この丸山真男の文章は、1969年春のものであるが、そのまま今日
にも通じるものである。大江健三郎と丸山真男は、まさに「戦後
民主主義の両雄」というべきであろう。
・今日の我らもまた、この「両雄」の意志を受けついでゆく覚悟が
必要である。
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―― 大江健三郎 逝去す ――
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・「自分を歴史に近づける」から23年〔50年の約2分の1〕、
令和5年〔2023〕3月、大江健三郎は、88歳の生涯を閉じた。
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・そして、大江が警鐘を鳴らした核戦争の危機などについては、
ロシアのウクライナ侵攻(2022年2月)以降、ますます増大してい
るというありさまである。
・さらに、ロシアのウクライナ侵攻に便乗して、軍備の大増強と兵器
の輸出までも進めようとしている日本政治の状況を憂いつつ、
大江健三郎は、旅立ったのである。
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令和5年〔2023〕4月30日
・NHK総合テレビの「憲法記念日特集」では、我らの世代よりも
若い(団塊ジュニア世代)れいわ新選組代表の山本太郎(48歳)
が戦後民主主義の精神を十二分に継承しているように思えたのは、
はなはだ心強いことであった。
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令和5年〔2023〕5月3日、日本国憲法施行76周年を迎えて
・現政権による憲法改正が声高に叫ばれている今日、「 大江健三郎
と丸山真男 」の両雄に学びつつ、戦後民主主義のなかで育った
我らは、さらに平和憲法の擁護のために、世界へと発信を続けよう
ではないか。
・明治維新以後の富国強兵の結末が、第二次世界大戦での悲劇的
な敗北であったことを、われわれは直視し、戦後の平和国家と
しての建設を誓ったのではなかったのか・・。
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・次項に、【付論】として
・「自分を歴史に近づける」ための「和田耕作の方法」
について素描し、その具体例を示しておこう。
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・【G】・【付論】・
「和田耕作の方法」についての素描
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・1)・――――――――――――――――――――――
・つねに現代的テーマを念頭において、独創的・創造的に探究する
こと。
・【具体例】
・2)・――――――――――――――――――――――
・「没後○○年」「生誕○○年」などを、一つの指標・目標として、
人物などの研究を進めること。
・【具体例】
・和田耕作著『安藤昌益と三浦梅園』など。
・関連年譜・年表を自分自身で作成し、重要なツールとすること。
・【具体例】
・和田耕作著「桑木彧雄」に関する論考など。
〔PHNの会ホームページ「桑木彧雄」の項などを参照〕
・4)・――――――――――――――――――――――
・その時代の人物が読んだ 和本など 古い書物に 直接 触れる
こと。異なる領域の書物を積極的に読む。
・狩野亨吉の方法――「知力発展史観」と「実証・考証学的方法」
の総合的視点。
・江戸の思想家たちの百科全書的知性に学びつつ、近代的学問の
特質である狭い領域のみを研究する専門バカを超えること。
・【具体例】
・和田耕作著『安藤昌益の思想』など。
・和田耕作著『安藤昌益と三浦梅園』など。
・5)・――――――――――――――――――――――
・その時代の人物たちに「 なりきって 」考えること。
――意識的に「 演劇的手法 」を取り入れるということ。
・江渡狄嶺の方法――「客観的方法」と「主体的方法」の統一を
目指すこと。「主客統一」の哲学は、西田哲学以降の近代哲学
の課題であり、現代哲学の中心的なテーマである。
・【具体例】
・和田耕作著『江渡狄嶺―〈場〉の思想家』など。
・6)・――――――――――――――――――――――
・近現代のみならず、近世・中世をも視野に入れて探究すること。
・【具体例】
・和田耕作著『源義綱とその末裔たち』など。
――日本歴史1000年史の中において考察する。
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「 PHN(思想・人間・自然) 」 第54号
〔2023年5月3日脱稿、和田耕作(C)〕
〔2023年5月5日発行、PHNの会、無断転載厳禁〕
・2023年3月3日、作家・大江健三郎(88歳)が ついに逝って
・大江健三郎は、われらの時代のヒーローであり、戦後民主主義の
先導者であった。
・われらの時代は、いつも大江健三郎とともにあった。
・大江健三郎は、つねにその時代と対峙し、行動する作家であった。
・ヒロシマ、オキナワの問題への永いかかわり、平和憲法擁護のため
の運動、その他多くの課題にも その先頭に立って行動してきた。
・今日、われらは、あらためて大江健三郎の意志を受け継いでゆくべ
きであろう。
・個人的には、日本ペンクラブの年会〔ペンの日〕において、話を
する機会を得たことは誠に幸いであった。
〔2023年3月13日 和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
・ 【 人文的数学者・小倉金之助と現代 】
・小倉金之助の「学問論」・「科学論」から
政府による「日本学術会議会員」への
任命拒否(6人)問題を考える
の遺産から 新たな日本の創造へ
和田 耕作