std 2
梅園
・科学哲学者・坂本百大(1928-2020)が、2020年12月に
逝去した。私は、学生時代に百大先生の哲学の授業を受け
た者の一人である。教科書は、『現代論理学』(坂本百大・
坂井秀寿共著、東海大学出版会、1968)であった。
・この時、初めて「記号論理学」という学問が、当時の哲学
研究の最先端にあるらしいことがわかった。数式のような
記号を多用したその論理学で、哲学のすべてを論じること
がはたして可能なのか、という疑問を、私は当時から感じ
ていた。
・その後、同じく「記号論理学」の末木剛博(1921-2007)
先生が、梅園学会に参加され、グループで、『玄語』の原
文などを読んでいったことがあった。
・そして末木剛博は、梅園哲学を「記号論理学」によって解
読したいくつかの論考を、「梅園学会報」に寄せた。一部の
人はそれらを絶賛した。
・同様の手法で、末木剛博は、西田哲学を解読し、大著を刊
行した。これは末木剛博ならではの著作である。その著作
が、その後の西田哲学の研究にどれほどの寄与をしたのか、
私は知らない。
・さて、梅園哲学の今後の研究に、「記号論理学」によって
解読するという末木剛博の研究手法は、果たしてどれほど
の有効性があるのであろうか。
・私は、西田哲学にしても、梅園哲学にしても、原文の記号
論理学的な読解には、やはり限界を感じてしまう。それは、
比較思想の試みの一つではあるだろうが・・。
・今後の梅園哲学の解明は、やはり原文を梅園の言語体系・
哲学体系に則して探求することが、正しい方法であうと考え
ている。
・以上は、坂本百大先生の逝去に際しての、私の偶感である。
・最後に、「附いたし」すると安藤昌益の主要著作などはデジ
タル化され、これにより研究が進むものと宣伝されたが、
果たしてその後の研究は進展したのであろうか。否である。
その活用は、一部の人に限られているのが現状であると思
われる。
・三浦梅園の場合も、コンピューターによる研究の進展が期待
されているが、未だしの状況であると思う。
・今後、人文学の研究にAIなどの活用は、発展の可能性が
あると思われるが、未だ見通すことができない。
・安藤昌益の書名索引などから、昌益が『傷寒論』を読んで
いると書いている人がいた。昌益の文章が、『本草綱目』
からの孫引きであることは、私がすでに指摘していること
である(拙著『安藤昌益の思想』1989)。先行研究をふま
えていない研究が、後を絶たないのが現状である。
・私は、未だアナログ的手法を重視している。原文の丁寧な
読み込みを、研究の基盤においている者である。私の更な
る研究方法については、またの機会に述べるであろう。
◎ 三浦梅園 名言集 ◎
2017年6月のNHK Eテレにて
坂本龍一・福岡伸一対談番組があり、三浦梅園の
次の言葉が紹介されていた。
「枯れ木に花咲きたりといふとも、先(まず)、
生木(なまき)に花さく故をたづぬべし。」
(『三浦梅園自然哲学論集』岩波文庫より)
この言葉は、多くの人に共感を呼んでいるようである。
さて、もう一つ、梅園の揮毫のある次の言葉がある。
「人生莫恨無人識、幽谷深山花自紅」
「人生 恨(うら)むることなかれ
人 識(し)ること無(な)きことを
幽谷深山(ゆうこくしんざん) 花(はな)
自(おのず)から 紅(くれない)なり。」
この言葉は、これまで三浦梅園のものとして、紹介されてきた。
今日でも、梅園の作として多数引用されている。 しかし、
これには出典があった。梅園は、その書物から引用して、
広く知らしめたのであった。
その書物とは、『為人鈔』(いじんしょう)である。
『為人鈔』寛文二年 (1662)刊、中江藤樹の著作であるという。
梅園は、『為人鈔』から上記の言葉を、読書ノートである
「浦子手記」に引用していた。これを、岩見輝彦氏が発見してから、
もう何十年も過ぎている。しかし、いまだ一般には知られていない
ようであるから、ここに記しておこう。
〔2017.7.3.和田耕作(C)、無断転載厳禁〕