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安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』における
「本草之部 附方」の処方群〔【X】=No.210~333〕は、
『本草綱目』の【附方】からの記載であることの考証、
および『真斎聚方』の全体的な構成について
――【X-10】『真斎聚方』〔No.331~333〈最終丁〉〕
〔『本草綱目』巻五十・上(獣部)~巻五十二(人部)〕
――さらに、真斎の「筆写・抄出方法」から
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との
内容的同一性について考える
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書
『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」35号に引き続いて、No.115以降の処方群と、
それらに関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群についての考証
と考察を進める予定であったが、今回は、急遽予定を変更して、『真斎聚方』
の「最終見出し」であるところの「本草之部 附方」〔No.210~333〕について
の考証と考察を行うことにした。
「本草之部 附方」は、それまでの記述とは、大きく異なっており、その
「出典」書目数も膨大であり、何による記載であるのかが、これまで不明で
あった。それは、『真斎聚方』における「最後の難関」と思われた。
しかし、実際に調査をしてみると、この問題は、意外にもすぐさま解決した
のである。すなわち、「本草之部 附方」は、『本草綱目』の【附方】など
からの記載であることが、このたび明らかとなった。
『本草綱目』は、各薬物などを、
【釈名】【集解】【正誤】【修治】【気味】【主治】【発明】【附方】
の八項目にわけて記述している。
真斎は、最後の【附方】の処方群の中からを選んで記載していることが
明らかになった。一部には、【発明】や【修治】の項目からも記載して
いるところもある。
『真斎聚方』「本草之部 附方」には、『本草綱目』の書名も、処方
のある巻数や「薬物名」などの項目も記されていない。したがって、本稿
では【附方】などのある『本草綱目』の巻数や分類項目、さらには「薬物名」
などをも示して、『真斎聚方』「本草之部 附方」の内容構成が明確となる
ように記述することとした。
今回は、その第10回目(最終回)であり、【X-10】『真斎聚方』
〔No.331~333〕まで、すなわち、『本草綱目』の巻五十・上〔獣部〕~
巻五十二〔人部〕に相当する部分である。
◎・『真斎聚方』の全体的構成について・◎
このたび、「本草之部 附方」の「出典」が判明したことにより、
『真斎聚方』の全体的な構成を、次のように把握することができる
▼〔第一部〕・・・『真斎聚方』・「第一編」▼
・『真斎聚方』〔No.1~36〕
・この巻頭部分は、『類聚方集覧』などから記載によるものであり、
おもに『真斎方記』へと増補されるところのものである。
〔『PHN』32号(2018年8月号)を参照〕
▼〔第二部〕・・・『真斎聚方』・「第二編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.37~115〕+〔「B」=No.116~209〕
・次は、各医書群と『名家方選』三部作からの処方群である。
〔「A」については、『PHN』33号(2018年9月号)~35号
(2018年11月号)を参照。〕
〔「B」については、今後、考証の予定であるが、その一部であ
る安藤昌益と山脇東洋の処方群については、『PHN』30号
(2018年4月号)・31号(2018年5月号)を参照のこと。〕
・この「第二編」については、考証をさらに進めた上で、その
構成について再考する予定である。
▼〔第三部〕・・・『真斎聚方』・「第三編」▼
・『真斎聚方』「本草之部 附方」〔第三部〕の構成
〔「A」=No.210~287〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
+〔「B」=No.287~299〕・【『本草綱目』以外の書物の処方群】・
+〔「C」=No.299~333〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
・『真斎聚方』の「第三編」と言える「本草之部 附方」は、この
たび『本草綱目』【附方】などからの記載であることが明らかに
なったのである。
・『真斎聚方』の「本草之部 附方」は、分量的には、『真斎聚方』
の中の三分の一を超えており、上記の「第一編」と「第二編」
を合わせて、仮に『真斎聚方』の「前編」とすれば、明らかに
『真斎聚方』の「後編」と呼んでよいものである。
・しかし、その後(6回目)初めて明らかになったのは、『真斎聚方』
〔「B」=No.287~299〕の存在である。この部分は、『本草綱目』
以外の書物から記載した処方であることが、明らかとなった。
〔「A」については、『PHN』36号(2019年1月号)~『PHN』
41号(2019年6月号)を参照のこと〕
〔「B」〕については、『PHN』41号(2019年6月号)を参照の
こと〕
〔「C」〕については、『PHN』41号(2019年6月号)~『PHN』
45号(2019年10月号)を参照のこと〕
●・【出典】の考証のための文献一覧・●
・『新註校定・国譯本草綱目』(第十二冊)〔獣部・人部〕
(昭和52年4月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第十二冊)と略記する。〕
・〔明〕李時珍『本草綱目』(全二冊)
(1986年5月、商務印書館香港分館刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(上巻、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠共纂)
(大正四年十月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(下巻ノ一、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠
共纂)
(大正五年十一月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(下巻ノ二、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠
共纂)
(大正七年二月、半田屋出版部刊)〔和田文庫蔵〕
▼凡例▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・。。。。。〔『本草綱目』の薬物名〕
【附方】・・・・・(No.210)。。。。。〔『真斎聚方』における№〕
〔1/5〕。。。〔『本草綱目』の5処方の内の1処方を記載〕
・「軽粉破口」・・・・・。。。。。「外台」〔A〕 〔外台秘要〕〔B〕
〔A〕=『真斎聚方』における略書名。
〔B〕=『本草綱目』を参照したわかりやすい書名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・「▲」は、『真斎聚方』に出典が欠落しているもの。
・「――」は、『本草綱目』に出典の記載なきもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・『真斎聚方』「本草之部 附方」の処方群の「出典」
である『本草綱目』【附方】との考証と考察・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ.》▼
▼『本草綱目』巻五十・上「獣部」・・・・「獣之一」(畜類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[豕]○・・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.1)〕・
○○[豭猪肉]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.3)〕・
【附方】・・・・・(No.331)〔1/20〕
・①「山行辟蛭」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○○[胆]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.32)〕・
【附方】・・・・・(No.331)〔3/20〕
・①「熱病虫棗〔●(匿の下に虫虫)〕」・・「▲」〔梅師〕
・「棗」の字は、●(匿の下に虫虫)が正しい。転記ミス
・②「抜白換黒」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「小児初生」・・・・・・・・・・「姚和」〔姚和衆〕
○○[母豬乳]・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.39)〕・
【附方】・・・・・(No.331)〔1/1〕
・①「断酒」・・・・・・・・・・・・「▲」〔千金〕
○[羊]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.62)〕・
○○[心]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.80)〕・
【附方】・・・・・(No.331)〔1/1〕
・①「心気鬱結」・・・・・・・・・「正要」
○○[羊石子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.83)〕・
【附方】・・・・・(No.331)〔1/15〕
・①「青盲内障」・・・・・・・・・「傳信」〔傳信方〕
○○[胆]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.87)〕・
【附方】・・・・・(No.331)〔2/7〕
・①「病後失明」・・・・・・・・・「肘后」
・②「目為物傷」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
▼「後出の「○○[●〔月ヘンに|と臣〕]」は、ここにあるもの。▼
○○[脊骨]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.93)〕・
【附方】・・・・・(No.331)〔1/9〕
・①「小便膏淋」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
▼▼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・下記の処方は「○○[胆]」〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.87)〕の後にあるもの。
▼▼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○○[●〔月ヘンに|と臣〕]・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.89)〕・
【附方】・・・・・(No.331)〔1/3〕
・①「痘瘡瘢痕」・・・・・・・・・「千金」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○○[脛骨]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.95)〕・
【附方】・・・・・(No.331~332)〔3/11〕
・①「●〔黑に干〕●〔黑に曾〕醜陋」・・「肘后」
・②「誤呑銅銭」・・・・・・・・・「談埜」〔談埜翁方〕
・③「咽喉骨硬」・・・・・・・・・「聖恵」
●【考察1】●
・上記で触れたように、一部で処方の順序が、前後しているところ
がある。記載の処方の数もこれまでに比較すると、少ないように思われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ.》▼
▼『本草綱目』巻五十・下「獣部」・・・・「獣之一」(畜類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[牛]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.103)〕・
○○[黄牛肉]・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.106)〕・
【附方】・・・・・(No.332)〔1/5〕
・①「返本丸」・・・・・・・・・・「乾坤生意」
・長文であるが、全文を記載している。
○○[脂]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.117)〕・
【附方】・・・・・(No.332)〔1/5〕
・①「腋下胡臭」・・・・・・・・・「姚氏」
○[馬]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.137)〕・
○○[汗]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.149)〕・
【附方】・・・・・(No.332)〔2/2〕
・①「鯨刺雕青」・・・・・・・・・「子和」
・②「飲酒欲断」・・・・・・・・・「千金」
・末尾に「汗 本草 気味 有大毒」とあるのは、『本草綱目』
の[汗]の項の「気味」に「有大毒」とあるのを記したもの。
○○[白馬溺]・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.150)〕・
【附方】・・・・・(No.332)〔2/9〕
・①「婦人乳腫」・・・・・・・・・「産宝」
・②「小児赤疵」・・・・・・・・・「千金」
●【考察2】●
・長文をすべて記載しているところもあるが、やはり記載の処方数は少ない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ-A.》▼
▼『本草綱目』巻五十一・上「獣部」・・・「獣之二」(獣類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[犀]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.242)〕・
○○[犀角]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.249)〕・
【附方】・・・・・(No.332)〔8/13〕
・①「小児驚癇」・・・・・・・・・「廣利」〔廣利方〕
・②「痘瘡稠密」・・・・・・・・「銭氏」〔銭氏小児方〕
・③「消毒解熱」・・・・・・・・・「銭氏」
・④「服薬過剤」・・・・・・・・・「外台」
・⑤「中毒煩困」・・・・・・・・・「外台」
・⑥「雉食中毒」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑦「山嵐瘴気」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑧「下痢鮮血」・・・・・・・・・「聖恵」
○[熊]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.265)〕・
○○[脂]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.268)〕・
【附方】・・・・・(No.332)〔1/3〕
・①「令髪長黒」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○○[胆]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.270)〕・
【附方】・・・・・(No.332~333)〔2/10〕
・①「初生目閉」・・・・・・・・・「全幼」〔全幼心鑑〕
・②「十年痔瘡」・・・・・・・・・「外台」
○[鹿]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.283)〕・
○○[角]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.292)〕・
【附方】・・・・・(No.333)〔1/35〕
・①「妖魅猫鬼」・・・・・・・・・「録験」
○[麝]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.328)〕・
○○[麝臍香]・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.332)〕・
【附方】・・・・・(No.333)〔1/20〕
・①「鼠咬成瘡」・・・・・・・・・〔経験方〕
・出典として「集簡」とあるのは、二つ後の処方「山嵐瘴気」の
もので、転記ミスである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ-B.》▼
▼『本草綱目』巻五十一・下「獣部」・・・「獣之二」(獣類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼▼・・・「この節からの記載処方は、
▼《Ⅲ-C.》▼の後にある。〔「後出」を参照〕・・・▼▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ-C.》▼
▼『本草綱目』巻五十一・下「獣部」・・・「獣之三」(鼠類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[鼠]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.400)〕・
○○[胆]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.408)〕・
【附方】・・・・・(No.333)〔2/4〕
・①「耳卒聾閉」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・②「青盲不見」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
▼▼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼・「下記の二処方は、前節「▼《Ⅲ-B.》▼」の中のものである。」・
○[兎]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.374)〕・
○○[血]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十二冊、p.378)〕・
【附方】・・・・・(No.333)〔2/6〕
・①「兎血丸」・・・・・・・・「保寿」〔劉氏保寿堂方〕
・②「蟾宮丸」・・・・・・・・・「――」
・『本草綱目』では、②、①の順番である。
▲▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ-D.》▼
▼『本草綱目』巻五十一・下「獣部」・・・・・・・・
・・・・・「獣之四」(寓類、怪類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼▼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼▼・・・「この節からの記載処方はない。・・・▼▼
▲▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●【考察3】●
・上記で触れたように、処方記載が節を越えて前後しているところがある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅳ.》▼
▼『本草綱目』巻五十二「人部」・・・・・・・・・「人之一」より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼▼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▲▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●【考察4】●
・この節からの記載処方はない。しかし、最終巻である『本草綱目』
巻五十二「人部」までの処方群を記載しているところに、真斎の『本
草綱目』の全体から学ぶという姿勢が貫かれている。
▼▼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼・・・・・(No.333)・・・・・・▼
▼・・「以下の2処方は、『本草綱目』以外の書物からの記載であろ
うと思われる。」・・▼
・①「痳病奇方」・・・・・・・・・「▲」
・「サ々イヲ壺焼シテ度々食スベシ。尤至而薄醤油一味ヲ以テ味
トナス〔ベ〕シ。」との解説文がある。
・②「治留飲奇方」・・・・・・・・「心効通鑑」
・「薔薇花十両、大黄六両、或等分ノ説アリ。
青黛二銭、或青黛ナシ。散服スベシ。」との解説文がある。
・さらに、
「真斎 此方ノ薔薇花ヲ営実ニ代テ妙也。
分量ハ 営実十両、大黄八両トナシテヨロシ。
最モ 営実ハ皮ヲ去リ タ子〔タネ〕斗リヲ用ユヘ〔ベ〕
シ。
此方 大黄多少等ハ 前方ヲ以テ之レヲ左右スヘ〔ベ〕
シ。
神方ト云テ可ナルヘ〔ベ〕キ乎。」
との、真斎の按文がある。
▲▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・・〔「真斎聚方」〕・・・・・・・・・・【以上にて終了】・・・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●【考察5】●
・上記の2処方は、『本草綱目』以外の書物からの記載であろうと思
われる。真斎の按文から、その処方の重要性が感じられる。
◎・むすび・◎
このたび、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方が、『本草綱目』の
各薬物の【附方】からの記載であることが判明したことにより、『真斎聚方』
の全体的構成が、ここに初めて明らかになった。
そして、すでに述べたように、真斎は、『真斎聚方』「本草之部 附方」
の各処方を、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から、基本的に「原文」
そのままの内容で記載している。
それは、これまでの真斎の「筆写・抄出方法」を踏襲しているものである、
と言えるであろう。
各処方の抄出については、真斎の臨床家としての必要性から選ばれたもの
と思われる。
『真斎聚方』「本草之部 附方」もまた、『本草綱目』の各薬物の【附方】
の項から臨床的に参考となる処方群を抄出して、臨床研究に役立てるという
ことが目標であった。その「按文」の一つひとつの内容が、それを物語っている。
いずれにしても、『本草綱目』の各薬物の【附方】を、これほど多く記載した
真斎の研究態度には、感服せざるを得ない。
以上は、「第1回目の考証」における「むすび」であるが、『真斎聚方』
「本草之部 附方」の全体的考証を終了した現在でも、最初から一貫して原文
を尊重し、そのままを記載するという真斎の筆写・抄出の方法は、基本的に
変わりはないと言えるであろう。
ただし、今回の場合にも、前回と同様、処方の記載のない巻が目立っている。
それは、これまでの項目に比べて頻用性が低いからなのであろう。
しかし、ともかくも最終巻である『本草綱目』巻五十二「人部」までの処方群
を記載しているところに、真斎の『本草綱目』の処方群の全体から学ぶという
姿勢が貫かれている。
それは、安藤昌益の稿本『自然真営道』のすべての処方群を『真斎謾筆』
に記載していることに通じるものである。
その他については、各項の【考察】において述べたとおりである。
〔2019年10月30日、PHN(思想・人間・自然)、第45号、PHNの会発行〕
〔2019年10月30日、和田耕作、Copyright(C)、無断転載厳禁、All rights reserved.〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』における
「本草之部 附方」の処方群〔【X】=No.210~333〕は、
『本草綱目』の【附方】からの記載であることの考証、
および『真斎聚方』の全体的な構成について
――【X-9】『真斎聚方』〔No.328~331〕
〔『本草綱目』巻四十五(介部)~巻四十九(禽部)〕
――さらに、真斎の「筆写・抄出方法」から
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との
内容的同一性について考える
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書
『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」35号に引き続いて、No.115以降の処方群と、それらに
関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群についての考証と考察を進める
予定であったが、今回は、急遽予定を変更して、『真斎聚方』の「最終見出し」
であるところの「本草之部 附方」〔No.210~333〕についての考証と考察を行う
ことにした。
「本草之部 附方」は、それまでの記述とは、大きく異なっており、その
「出典」書目数も膨大であり、何による記載であるのかが、これまで不明で
あった。それは、『真斎聚方』における「最後の難関」と思われた。
しかし、実際に調査をしてみると、この問題は、意外にもすぐさま解決した
のである。すなわち、「本草之部 附方」は、『本草綱目』の【附方】などから
の記載であることが、このたび明らかとなった。
『本草綱目』は、各薬物などを、
【釈名】【集解】【正誤】【修治】【気味】【主治】【発明】【附方】
の八項目にわけて記述している。
真斎は、最後の【附方】の処方群の中からを選んで記載していることが
明らかになった。一部には、【発明】や【修治】の項目からも記載している
ところもある。
『真斎聚方』「本草之部 附方」には、『本草綱目』の書名も、処方のある
巻数や「薬物名」などの項目も記されていない。したがって、本稿では【附方】
などのある『本草綱目』の巻数や分類項目、さらには「薬物名」などをも示して、
『真斎聚方』「本草之部 附方」の内容構成が明確となるように記述することと
した。
今回は、その第9回目であり、【X-9】『真斎聚方』〔No.328~331〕
まで、すなわち、『本草綱目』の巻四十五〔介部〕~巻四十九〔禽部〕に
相当する部分である。
◎・『真斎聚方』の全体的構成について・◎
このたび、「本草之部 附方」の「出典」が判明したことにより、
『真斎聚方』の全体的な構成を、次のように把握することができる
ようになった。
▼〔第一部〕・・・『真斎聚方』・「第一編」▼
・『真斎聚方』〔No.1~36〕
・この巻頭部分は、『類聚方集覧』などから記載によるものであり、
おもに『真斎方記』へと増補されるところのものである。
〔『PHN』32号(2018年8月号)を参照〕
▼〔第二部〕・・・『真斎聚方』・「第二編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.37~115〕+〔「B」=No.116~209〕
・次は、各医書群と『名家方選』三部作からの処方群である。
〔「A」については、『PHN』33号(2018年9月号)~35号
(2018年11月号)を参照。〕
〔「B」については、今後、考証の予定であるが、その一部であ
る安藤昌益と山脇東洋の処方群については、『PHN』30号
(2018年4月号)・31号(2018年5月号)を参照のこと。〕
・この「第二編」については、考証をさらに進めた上で、その
構成について再考する予定である。
▼〔第三部〕・・・『真斎聚方』・「第三編」▼
・『真斎聚方』「本草之部 附方」〔第三部〕の構成
〔「A」=No.210~287〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
+〔「B」=No.287~299〕・【『本草綱目』以外の書物の処方群】・
+〔「C」=No.299~331〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
+〔「D」=No.331~333〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
・『真斎聚方』の「第三編」と言える「本草之部 附方」は、この
たび『本草綱目』【附方】などからの記載であることが明らかに
なったのである。
・『真斎聚方』の「本草之部 附方」は、分量的には、『真斎聚方』
の中の三分の一を超えており、上記の「第一編」と「第二編」
を合わせて、仮に『真斎聚方』の「前編」とすれば、明らかに
『真斎聚方』の「後編」と呼んでよいものである。
・しかし、6回目〔『PHN』41号(2019年6月号)参照〕に初めて明らかに
なったのは、『真斎聚方』〔「B」=No.287~299〕の存在である。
この部分は、『本草綱目』以外の書物から記載した処方であることが、
明らかとなった。
〔「A」については、『PHN』36号(2019年1月号)~『PHN』
41号(2019年6月号)を参照のこと〕
〔「B」〕については、『PHN』41号(2019年6月号)を参照の
こと〕
〔「C」〕については、『PHN』41号(2019年6月号)~『PHN』
44号(2019年9月号)を参照のこと〕
〔「D」については、今後、考証の予定である。〕
●・【出典】の考証のための文献一覧・●
・『新註校定・国譯本草綱目』(第十一冊)〔介部・禽部〕
(昭和51年7月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第十一冊)と略記する。〕
・〔明〕李時珍『本草綱目』(全二冊)
(1986年5月、商務印書館香港分館刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(上巻、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠共纂)
(大正四年十月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(下巻ノ一、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠
共纂)
(大正五年十一月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(下巻ノ二、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠
共纂)
(大正七年二月、半田屋出版部刊)〔和田文庫蔵〕
▼凡例▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・。。。。。〔『本草綱目』の薬物名〕
【附方】・・・・・(No.210)。。。。。〔『真斎聚方』における№〕
〔1/5〕。。。〔『本草綱目』の5処方の内の1処方を記載〕
・「軽粉破口」・・・・・。。。。。「外台」〔A〕 〔外台秘要〕〔B〕
〔A〕=『真斎聚方』における略書名。
〔B〕=『本草綱目』を参照したわかりやすい書名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・「▲」は、『真斎聚方』に出典が欠落しているもの。
・「――」は、『本草綱目』に出典の記載なきもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・『真斎聚方』「本草之部 附方」の処方群の「出典」
である『本草綱目』【附方】との考証と考察・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ.》▼
▼『本草綱目』巻四十五「介部」・・「介之一」(亀鼈類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[水亀]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.1)〕・
○○[溺]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.12)〕・
【附方】・・・・・(No.328)〔1/3〕
・①「中風不語」・・・・・・・・・「寿域」
○[蟹]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.46)〕・
○○[蟹爪]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.54)〕・
【附方】・・・・・(No.328)〔1/2〕
・①「下胎蟹爪散」・・・・・・・・「千金」
・以下においても、記載の処方数が、少ないのは、頻用性が少ないからで
あろうと思われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ.》▼
▼『本草綱目』巻四十六「介部」・・・「介之二」(蚌蛤類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[牡蠣]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.61)〕・
【附方】・・・・・(No.328)〔2/21〕
・①「心脾気痛」・・・・・・・・・「心法」〔丹溪心法〕
・②「男女瘰癧」・・・・・・・・・「――」
○[真珠]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.79)〕・
【附方】・・・・・(No.328~329)〔5/12〕
・①「安魂定魄」・・・・・・・・・「肘后」
・②「灰塵迷目」・・・・・・・・・「格古」〔格古論〕
・③「肝虚目暗」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「青盲不見」・・・・・・・・・「聖恵」
・⑤「目生頑瞖」・・・・・・・・・「――」
○[石決明]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.85)〕・
【附方】・・・・・(No.329)〔1/5〕
・①「羞明怕日」・・・・・・・・・「明目集験〔方〕」
○[海蛤]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.89)〕・
【附方】・・・・・(No.329)〔1/9〕
・①「水腫発熱」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・「予〔真斎〕、以貝歯代海蛤、以冬葵子代黄葵子」との、
真斎の按文がある。
●【考察2】●
・真斎の按文から、常に工夫をこらしている姿をうかがいすることができる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ.》▼
▼『本草綱目』巻四十七「禽部」・・・「禽之一」(水禽類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[鸕鷀]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.191)〕・
○○[蜀水花]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.195)〕・
【附方】・・・・・(No.329)〔1/3〕
・①「断酒」・・・・・・・・・・「外台」
●【考察3】●
・原文どおりの記載である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅳ.》▼
▼『本草綱目』巻四十八「禽部」・・・・「禽之二」(原禽類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[鶏]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.201)〕・
○○[鶏冠血]・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.218)〕・
【附方】・・・・・(No.329)〔5/19〕
・①「蜈蚣咬瘡」・・・・・・・・「篋中」〔銭相公篋中方〕
・②「蜘蛛咬瘡」・・・・・・・・「篋中」
・③「中蜈蚣毒」・・・・・・・・・「雑纂」〔青嚢雑纂〕
・④「諸虫入耳」・・・・・・・・・「勝金」
・⑤「卒縊垂死」・・・・・・・・・「肘后」
・『本草綱目』では、⑤が一番はじめにある。
○○[肝]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.222)〕・
【附方】・・・・・(No.329)〔2/3〕
・①「陰痿不起」・・・・・・・・・「千金」
・②「睡中遺尿」・・・・・・・・・「――」
○○[翮翎]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.228)〕・
【附方】・・・・・(No.329)〔1/9〕
・①「決癰代鍼」・・・・・・・・・「外台」
○○[尾毛]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.229)〕・
【附方】・・・・・(No.329)〔1/1〕
・①「小便不禁」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○○[卵白]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.243)〕・
【附方】・・・・・(No.329)〔5/10〕
・①「面生皰瘡」・・・・・・・・・「肘后」
・②「湯火焼灼」・・・・・・・・・「経験」〔経験秘方〕
・③「頭髪垢䐈」・・・・・・・・・「▲」〔頻湖〕
・④「面黒令白」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑤「塗面駐顔」・・・・・・・・・「普済」
○○[卵黄]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.245)〕・
【附方】・・・・・(No.330)〔5/14〕
・①「湯火傷瘡」・・・・・・・・・「集験」〔集験方〕
・②「杖瘡已破」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・③「消滅瘢痕」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「妊娠胎満」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑤「耳疳出汁」・・・・・・・・・「談埜」〔談埜翁方〕
○○[抱出卵殻]・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.248)〕・
【附方】・・・・・(No.330)〔2/9〕
・①「頭瘡白禿」・・・・・・・・・「秘録」
・②「玉茎下疳」・・・・・・・・「杏林」〔杏林摘要〕
○[鴿]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.279)〕・
○○[白鴿肉]・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.280)〕・
【附方】・・・・・(No.330)〔1/2〕
・①「預解痘毒」・・・・・・・・・「――」
・この中にある「又方・・」の処方は、次項のものである。
同名の処方なので、真斎は一つに纏めたのであろう。
○○[卵]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.281)〕・
【附方】・・・・・(No.330)〔1/1〕
・①〔「預解痘毒」〕・・・・・・・・「灊江」〔灊江方〕
▼『本草綱目』では、ここに後出の「○[雀]○」の項がある。▼
○[伏翼]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.301)〕・
○○[伏翼]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.304)〕・
【附方】・・・・・(No.330)〔1/11〕
・①「婦人断産」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
○[寒號虫]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.313)〕・
○○[五霊脂]・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.315)〕・
【附方】・・・・・(No.330)〔5/37〕
・①「悪血歯痛」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・②「血痣潰血」・・・・・・・・・「選要」〔医方選要〕
・③「血潰怪病」・・・・・・・・・「奇疾」〔奇疾方〕
・④「大風瘡癩」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・⑤「虫虺螫●〔苛の下に虫虫〕」・・「鈎玄」〔金匱鈎玄〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼▼次の「○[雀]○」の項は、『本草綱目』では、前出の
「○[鴿]○」と「○[伏翼]○」の間にあるものである。▼▼
○[雀]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.284)〕・
○○[雄雀屎]・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.315)〕・
・「雄雀屎」=「白丁香」である。
【附方】・・・・・(No.330)〔1/14〕
・①「面鼻酒皶」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●【考察4】●
・上記に指摘したように項目の記載が、前後しているのがみられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅴ-A.》▼
▼『本草綱目』巻四十九「禽部」・・・・「禽之三」(林禽類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・▼▼この節からの記載項目はない。▼▼・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅴ-B.》▼
▼『本草綱目』巻四十九「禽部」・・・・「禽之四」(山禽類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[鷹]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.375)〕・
○○[屎白]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.378)〕・
【附方】・・・・・(No.330~331)〔2/6〕
・①「面皰」・・・・・・・・・・「外台」
・②「減痕」・・・・・・・・・・「――」
・「聖恵・・」「総録・・」など、三つのすべての文を記載している。
○[鶚]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.381)〕・
○○[骨]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十一冊、p.383)〕・
【附方】・・・・・(No.331)〔1/1〕
・①「接骨」・・・・・・・・「唐蘭〔藺〕道人方」
●【考察5】●
・記載処方のない節もあり、記載された処方の数も少ない。
◎・むすび・◎
このたび、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方が、『本草綱目』の
各薬物の【附方】からの記載であることが判明したことにより、『真斎聚方』
の全体的構成が、ここに初めて明らかになった。
そして、すでに述べたように、真斎は、『真斎聚方』「本草之部 附方」の
各処方を、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から、基本的に「原文」その
ままの内容で記載している。
それは、これまでの真斎の「筆写・抄出方法」を踏襲しているものである、と
言えるであろう。
各処方の抄出については、真斎の臨床家としての必要性から選ばれたものと
思われる。
『真斎聚方』「本草之部 附方」もまた、『本草綱目』の各薬物の【附
方】の項から臨床的に参考となる処方群を抄出して、臨床研究に役立
てるということが目標であった。その「按文」の一つひとつの内容が、
それを物語っている。
いずれにしても、『本草綱目』の各薬物の【附方】を、これほど多く記載した
真斎の研究態度には、感服せざるを得ない。
以上は、「第1回目の考証」における「むすび」であり、私はこの時点で
『真斎聚方』「本草之部 附方」の全体的な評価を急ぐ必要はないと思う。
その全体的な評価は、今後、さらなる「考証と考察」を進めてからでも十分
であろう。
上記の「むすび」については、今回の「第9回目の考証」においても基本的に
変わりはないと言えるであろう。
ただし、今回の場合にも、前回と同様、処方の記載のない巻が目立っている。
それは、これまでの項目に比べて頻用性が低いからなのであろう。
その他については、各項の【考察】において述べたとおりである。
〔2019年9月25日、PHN(思想・人間・自然)、第44号、PHNの会発行〕
〔2019年9月25日、和田耕作、Copyright(C)、無断転載厳禁、All rights reserved.〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』における
「本草之部 附方」の処方群〔【X】=No.210~333〕は、
『本草綱目』の【附方】からの記載であることの考証、
および『真斎聚方』の全体的な構成について
――【X-8】『真斎聚方』〔No.321~328〕
〔『本草綱目』巻三十八(服器部)~巻四十四(鱗部)〕
――さらに、真斎の「筆写・抄出方法」から
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との
内容的同一性について考える
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方
収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」35号に引き続いて、No.115以降の処方群と、それら
に関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群についての考証と考察を
進める予定であったが、今回は、急遽予定を変更して、『真斎聚方』の「最終
見出し」であるところの「本草之部 附方」〔No.210~333〕についての考証と
考察を行うことにした。
「本草之部 附方」は、それまでの記述とは、大きく異なっており、その「出典」
書目数も膨大であり、何による記載であるのかが、これまで不明であった。
それは、『真斎聚方』における「最後の難関」と思われた。
しかし、実際に調査をしてみると、この問題は、意外にもすぐさま解決したの
である。すなわち、「本草之部 附方」は、『本草綱目』の【附方】などからの
記載であることが、このたび明らかとなった。
『本草綱目』は、各薬物などを、
【釈名】【集解】【正誤】【修治】【気味】【主治】【発明】【附方】
の八項目にわけて記述している。
真斎は、最後の【附方】の処方群の中からを選んで記載していることが明らか
になった。一部には、【発明】や【修治】の項目からも記載しているところもある。
『真斎聚方』「本草之部 附方」には、『本草綱目』の書名も、処方のある巻数
や「薬物名」などの項目も記されていない。したがって、本稿では【附方】などの
ある『本草綱目』の巻数や分類項目、さらには「薬物名」などをも示して、『真斎
聚方』「本草之部 附方」の内容構成が明確となるように記述することとした。
今回は、その第8回目であり、【X-8】『真斎聚方』〔No.321~328〕
まで、すなわち、『本草綱目』の巻三十八〔服器部〕~巻四十四〔鱗部〕
に相当する部分である。
◎・『真斎聚方』の全体的構成について・◎
このたび、「本草之部 附方」の「出典」が判明したことにより、
『真斎聚方』の全体的な構成を、次のように把握することができるよう
になった。
▼〔第一部〕・・・『真斎聚方』・「第一編」▼
・『真斎聚方』〔No.1~36〕
・この巻頭部分は、『類聚方集覧』などから記載によるものであり、
おもに『真斎方記』へと増補されるところのものである。
〔『PHN』32号(2018年8月号)を参照〕
▼〔第二部〕・・・『真斎聚方』・「第二編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.37~115〕+〔「B」=No.116~209〕
・次は、各医書群と『名家方選』三部作からの処方群である。
〔「A」については、『PHN』33号(2018年9月号)~35号
(2018年11月号)を参照。〕
〔「B」については、今後、考証の予定であるが、その一部であ
る安藤昌益と山脇東洋の処方群については、『PHN』30号
(2018年4月号)・31号(2018年5月号)を参照のこと。〕
・この「第二編」については、考証をさらに進めた上で、その
構成について再考する予定である。
▼〔第三部〕・・・『真斎聚方』・「第三編」▼
・『真斎聚方』「本草之部 附方」〔第三部〕の構成
〔「A」=No.210~287〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
+〔「B」=No.287~299〕・【『本草綱目』以外の書物の処方群】・
+〔「C」=No.299~328〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
+〔「D」=No.328~333〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
・『真斎聚方』の「第三編」と言える「本草之部 附方」は、この
たび『本草綱目』【附方】などからの記載であることが明らかに
なったのである。
・『真斎聚方』の「本草之部 附方」は、分量的には、『真斎聚方』
の中の三分の一を超えており、上記の「第一編」と「第二編」
を合わせて、仮に『真斎聚方』の「前編」とすれば、明らかに
『真斎聚方』の「後編」と呼んでよいものである。
・しかし、その後(6回目)初めて明らかになったのは、『真斎聚方』
〔「B」=No.287~299〕の存在である。この部分は、『本草綱目』
以外の書物から記載した処方であることが、明らかとなった。
〔「A」については、『PHN』36号(2019年1月号)~『PHN』
41号(2019年6月号)を参照のこと〕
〔「B」〕については、『PHN』41号(2019年6月号)を参照の
こと〕
〔「C」〕については、『PHN』41号(2019年6月号)~『PHN』
43号(2019年8月号)を参照のこと〕
〔「D」については、今後、考証の予定である。〕
●・【出典】の考証のための文献一覧・●
・『新註校定・国譯本草綱目』(第十冊)〔服器部・鱗部〕
(昭和51年12月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第十冊)と略記する。〕
・〔明〕李時珍『本草綱目』(全二冊)
(1986年5月、商務印書館香港分館刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(上巻、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠共纂)
(大正四年十月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(下巻ノ一、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠
共纂)
(大正五年十一月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(下巻ノ二、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠
共纂)
(大正七年二月、半田屋出版部刊)〔和田文庫蔵〕
▼凡例▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・。。。。。〔『本草綱目』の薬物名〕
【附方】・・・・・(No.210)。。。。。〔『真斎聚方』における№〕
〔1/5〕。。。〔『本草綱目』の5処方の内の1処方を記載〕
・「軽粉破口」・・・・・。。。。。「外台」〔A〕 〔外台秘要〕〔B〕
〔A〕=『真斎聚方』における略書名。
〔B〕=『本草綱目』を参照したわかりやすい書名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・「▲」は、『真斎聚方』に出典が欠落しているもの。
・「――」は、『本草綱目』に出典の記載なきもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・『真斎聚方』「本草之部 附方」の処方群の「出典」
である『本草綱目』【附方】との考証と考察・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ-A.》▼
▼『本草綱目』巻三十八「服器部」・・「服器之一」(服帛類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[布]○・・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.3)〕・
○○[青布]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.4)〕・
【附方】・・・・・(No.321)〔2/8〕
・①「臁瘡潰爛」・・・・・・・「雑興」〔鄧筆峯雑興方〕
・②「交接違礼」・・・・・・・・「集験」〔集験方〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ-B.》▼
▼『本草綱目』巻三十八「服器部」・・「服器之二」(器物類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[●〔糸ヘンに氐〕]○・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.25)〕・
【附方】・・・・・(No.321)〔1/8〕
・①「吐血不止」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[漆器]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.45)〕・
【附方】・・・・・(No.321)〔2/3〕
・①「白禿頭瘡」・・・・・・・・・「救急」〔救急方〕
・②「蠍蠆螫傷」・・・・・・・・「古今」〔古今録験方〕
●【考察1】●
・原文どおりの記載である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ.》▼
▼『本草綱目』巻三十九「虫部」・・・「虫之一」(卵生類上)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[蜂蜜]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.63)〕・
【附方】・・・・・(No.321~322)〔8/19〕
・①「大便不通」・・・・・・・・・「――」
・前半の「傷寒論云・・」の長文のほとんどを省略している。
・「蜜煎導」の三文字のみを、後半の「一法〔方〕・・」の文の中
に記載している。
・②「噫不下食」・・・・・・・・・「廣利」〔廣利方〕
・③「熱油焼痛」・・・・・・・・・「梅師」
・④「大瘋癩瘡」・・・・・・・・・「食療」〔食療方〕
・⑤「面上●〔黒ヘンに干〕點」・・「食忌」〔孫真人食忌〕
・⑥「誤呑銅銭」・・・・・・・・・「葛氏」〔葛氏方〕
・⑦「諸魚骨鯁」・・・・・・・・・「葛氏」
・⑧「抜白生黒」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
○[蜜蠟]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.74)〕・
【附方】・・・・・(No.322)〔1/33〕
・①「諸般瘡毒」・・・・・・・・・「経験」
○[土蜂]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.84)〕・
○○[蜂子]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.85)〕・
【附方】・・・・・(No.322)〔1/1〕
・①「面黒令白」・・・・・・・・・「▲」〔聖恵方〕
○○[房]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.86)〕・
【附方】・・・・・(No.322)〔1/1〕
・①「疔腫瘡毒」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[露蜂房]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.89)〕・
【附方】・・・・・(No.322~323)〔11/33〕
・①「小児下痢」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・②「小児咳嗽」・・・・・・・・・「勝金」
・③「二便不通」・・・・・・・・・「子母」
・④「陰痿不興」・・・・・・・・・「岣嶁」〔岣嶁神書〕
・⑤「陰寒痿弱」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑥「寸白蚘虫」・・・・・・・・・「生々」〔生生編〕
・⑦「薬毒上攻」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・⑧「鼻外●〔病ダレに査〕瘤」・・「肘后」〔肘後方〕
・⑨「頭上瘡癬」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑩「女人妬乳」・・・・・・・・・「済衆」〔済衆方〕
・⑪「下部漏痔」・・・・・・・・・「経験」
○[五倍子]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.112)〕・
【附方】・・・・・(No.323~324)〔15/71〕
・①「消渇飲水」・・・・・・・・・「危氏」〔危氏得效〕
・②「小児夜啼」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・③「脱肛不収」・・・・・・・・・「――」
・最初の「三因方・・」の文のみを記載し、「簡便方・・」
「普済方・・」の二文を省略している。
・④「耳瘡腫痛」・・・・・・・・・「海上」〔海上名方〕
・⑤「聤耳出膿」・・・・・・・・「普済方」、「経験」
・⑥「牙縫出血」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・⑦「風牙腫痛」・・・・・・・・・「――」
・⑧「唇緊作痛」・・・・・・・・・「端效」〔端效方〕
・⑨「走馬牙疳」・・・・・・・・・「便覧」
・⑩「牙齦疳臭」・・・・・・・・・「▲」〔集簡方〕
・⑪「癩頭軟癤」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑫「風癩湿爛」・・・・・・・・・「普済」
・⑬「一切癬瘡」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・『本草綱目』では、⑬、⑪、⑫の順番である。
・⑭「染烏鬚髪」・・・・・・・・・「――」
・「聖済総録」と「杏林摘要」からの長文のものであるが、
そのすべてを記載している。
・⑮「中河豚毒」・・・・・・・・・「事林」〔事林廣記〕
○○[百薬煎]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.123)〕・
【附方】・・・・・(No.324)〔5/[21]〕
・①「染烏鬚髪」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「沐髪除●〔月ヘンに直〕」・・・「普済」
・③「揩牙烏鬚」・・・・・・・・・「普済」
・④「牙痛引頭」・・・・・・・・・「普済」
・⑤「酒痢下血」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
○[螳蜋桑螵蛸]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.127)〕・
○○[螳蜋]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.130)〕・
【附方】・・・・・(No.325)〔1/2〕
・①「箭鏃入肉」・・・・・・・・・「――」
○○[桑螵蛸]・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.131)〕・
【附方】・・・・・(No.325)〔4/10〕
・①「遺精白濁」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・②「産後遺尿」・・・・・・・・「胎生〔産〕」〔胎産方〕
・③「婦人遺尿」・・・・・・・・「千金」[千金翼〔方〕]
・④「妊娠遺尿」・・・・・・・・・「産乳」〔産乳書〕
○[蠶]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.136)〕・
○○[白殭蠶]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.138)〕・
【附方】・・・・・(No.325)〔4/34〕
・①「腹内亀病」・・・・・・・・・「――」
・②「面上黒黯」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「粉滓面●〔黒ヘンに干〕」・・「斗門」〔斗門方〕
・④「小児鱗体」・・・・・・・・・「▲」〔保幼大全〕
○○[蠶繭]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.146)〕・
【附方】・・・・・(No.325)〔2/5〕
・①「痘瘡疳蝕」・・・・・・・「小児」〔陳文仲小児方〕
・②「口舌生瘡」・・・・・・・・・「――」
○○[蠶連]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.148)〕・
【附方】・・・・・(No.325~326)〔6/19〕
・①「走馬牙疳」・・・・・・・・・「――」
・前半の「集験・・」の文のみを記載し、後半の「直指加・・」の
文を省略している。また、「集験・・」の文の最後の四文字
「塩湯漱口」と出典の「直指」は、この処方の前にある「風虫
牙痛」のものである。つまり、途中の「麝香少」から「風虫牙痛」
の項の「塩湯漱口」に飛んで記載している。
転記ミスである。
・②「癲狂邪祟」・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・③「沙證壮熱」・・・・・・・・・「活人」〔活人書〕
・④「中諸薬毒」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・⑤「婦人断産」・・・・・・・・・「千金」
・⑥「婦人難産」・・・・・・・・・「集成」
・『本草綱目』では、⑥、⑤の順番である。
○[原蠶]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.151)〕・
○○[雄原蠶蛾]・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.153)〕・
【附方】・・・・・(No.326)〔1/10〕
・①「玉枕生瘡」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
○○[原蠶沙]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.155)〕・
【附方】・・・・・(No.326)〔1/10〕
・①「頭風白屑」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
●【考察2】●
・複数の処方の記載がある文章での、省略が目立つ。
・転記ミス、処方の順番の異動などもみられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ.》▼
▼『本草綱目』巻四十「虫部」・・・・「虫之二」(卵生類下)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼・・・「この項からの記載なし。」・・・▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅳ.》▼
▼『本草綱目』巻四十一「虫部」・・・・「虫之三」(化生類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[蠐螬]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.239)〕・
【附方】・・・・・(No.326)〔1/9〕
・①「断酒不飲」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[蚱蝉]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.257)〕・
○○[蝉蛻]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.263)〕・
【附方】・・・・・(No.326)〔2/16〕
・①「聤耳出膿」・・・・・・・・・「海上」
・②「小児陰腫」・・・・・・・・・「危氏」
○[蜣蜋]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.267)〕・
【附方】・・・・・(No.326)〔1/23〕
・①「附骨疽漏」・・・・・・・・・「劉涓子方」
○[螻蛄]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.279)〕・
【附方】・・・・・(No.326)〔3/21〕
・①「胞衣不下」・・・・・・・・・「延年」〔延年方〕
・②「箭鏃入肉」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「鍼刺在咽」・・・・・・・・・「千金」
○[蛍火]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.285)〕・
【附方】・・・・・(No.326)〔1/2〕
・①「黒髪」・・・・・・・・・・「便民」〔便民図纂方〕
○[衣魚]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.289)〕・
【附方】・・・・・(No.326)〔1/12〕
・①「目中浮翳」・・・・・・・・・「外台」
●【考察3】●
・原文どおりの記載である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅴ.》▼
▼『本草綱目』巻四十二「虫部」・・・・「虫之四」(湿生類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼▼▼・・・「この巻からの記載はない。」・・・▼▼▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅵ-A.》▼
▼『本草綱目』巻四十三「鱗部」・・・・・「鱗之一」(龍類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[龍]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.403)〕・
○○[龍骨]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.405)〕・
【附方】・・・・・(No.326)〔3/18〕
・①「男婦溺血」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「小児臍瘡」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「陰嚢汗癢」・・・・・・・・・「三法」〔医宗三法〕
○[鯪鯉]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.423)〕・
○○[甲]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.424)〕・
【附方】・・・・・(No.326~327)〔4/23〕
・①「乳汁不通」・・・・・・・・・「単驤」〔単驤方〕
・②「乳嵓乳癰」・・・・・・・・・「単驤」
・③「吹奶疼痛」・・・・・・・・・「▲」〔図経〕
・④「痘瘡変黒」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
○[蛤蚧]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.442)〕・
【附方】・・・・・(No.327)〔1/2〕
・①「久嗽肺癰」・・・・・・・・・「――」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅵ-B.》▼
▼『本草綱目』巻四十三「鱗部」・・・・・「鱗之二」(蛇類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[蛇蛻]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.448)〕・
【附方】・・・・・(No.327)〔1/32〕
・①「癜風白駮」・・・・・・・・・「――」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●【考察4】●
・原文どおりの記載である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅶ-A.》▼
▼『本草綱目』巻四十四「鱗部」・・・・・「鱗之三」(魚類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[鯉魚]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.507)〕・
○○[肉]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.508)〕・
【附方】・・・・・(No.327)〔3/13〕
・①「水腫」・・・・・・・・・・・「――」
・前半の「范汪・・」の文を省略し、後半の「外台・・」の文の
みを記載している。
・②「妊娠水腫」・・・・・・・・・「――」
・③「乳汁不通」・・・・・・・・・「産宝」
○○[膽]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.512)〕・
【附方】・・・・・(No.327)〔2/4〕
・①「大人陰痿」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「睛上生暈」・・・・・・・・・「総録」
○○[鱗]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.514)〕・
【附方】・・・・・(No.327)〔1/3〕
・①「諸魚骨鯁」・・・・・・・・・「雑興」〔筆峯雑興〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅶ-B.》▼
▼『本草綱目』巻四十四「鱗部」・・・「鱗之四」(無鱗魚類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[鰌魚]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.580)〕・
【附方】・・・・・(No.327)〔1/5〕
・①「陽事不起」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[烏賊魚]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.612)〕・
【附方】・・・・・(No.327~328)〔8/23〕
・①「赤翳攀睛」・・・・・・・・・「海上」〔海上方〕
・②「疔瘡悪腫」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・③「灸瘡不瘥」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「大腸下血」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・⑤「卒然吐血」・・・・・・・・・「聖恵」
・⑥「舌腫出血」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・⑦「跌破出血」・・・・・・・・・「直指」
・⑧「陰嚢湿痒」・・・・・・・・・「医宗」〔医宗三法〕
○[海馬]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第十冊、p.632)〕・
【附方】・・・・・(No.328)〔1/2〕
・①「海馬抜毒散」・・・・・・・・「秘伝外科」
●【考察5】●
・複数の処方の記載がある文章での、省略がある。
・その他は、原文どおりの記載である。
◎・むすび・◎
このたび、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方が、『本草綱目』の
各薬物の【附方】からの記載であることが判明したことにより、『真斎聚方』
の全体的構成が、ここに初めて明らかになった。
そして、すでに述べたように、真斎は、『真斎聚方』「本草之部 附方」の
各処方を、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から、基本的に「原文」その
ままの内容で記載している。
それは、これまでの真斎の「筆写・抄出方法」を踏襲しているものである、と
言えるであろう。
各処方の抄出については、真斎の臨床家としての必要性から選ばれたものと
思われる。
『真斎聚方』「本草之部 附方」もまた、『本草綱目』の各薬物の【附方】
の項から臨床的に参考となる処方群を抄出して、臨床研究に役立てるということ
が目標であった。その「按文」の一つひとつの内容が、それを物語っている。
いずれにしても、『本草綱目』の各薬物の【附方】を、これほど多く記載した
真斎の研究態度には、感服せざるを得ない。
以上は、「第1回目の考証」における「むすび」であり、私はこの時点で『真斎聚方』
「本草之部 附方」の全体的な評価を急ぐ必要はないと思う。その全体的な評価は、
今後、さらなる「考証と考察」を進めてからでも十分であろう。
上記の「むすび」については、今回の「第8回目の考証」においても基本的に変わり
はないと言えるであろう。
ただし、今回の場合には、処方の記載のない巻が目立っている。それは、これまでの
項目に比べるとそれらの薬物の頻用性が低いからなのであろう。
その他については、各項の【考察】において述べたとおりである。
〔2019年8月25日、PHN(思想・人間・自然)、第43号、PHNの会発行〕
〔2019年8月25日、和田耕作、Copyright(C)、無断転載厳禁、All rights reserved.〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』における
「本草之部 附方」の処方群〔【X】=No.210~333〕は、
『本草綱目』の【附方】からの記載であることの考証、
および『真斎聚方』の全体的な構成について
――【X-7】『真斎聚方』〔No.303~321〕
〔『本草綱目』巻三十三(果部)~巻三十七(木部)〕
――さらに、真斎の「筆写・抄出方法」から
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との
内容的同一性について考える
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書
『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」35号に引き続いて、No.115以降の処方群と、それらに
関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群についての考証と考察を進める
予定であったが、今回は、急遽予定を変更して、『真斎聚方』の「最終見出し」
であるところの「本草之部 附方」〔No.210~333〕についての考証と考察を行う
ことにした。
「本草之部 附方」は、それまでの記述とは、大きく異なっており、その「出典」
書目数も膨大であり、何による記載であるのかが、これまで不明であった。それは、
『真斎聚方』における「最後の難関」と思われた。
しかし、実際に調査をしてみると、この問題は、意外にもすぐさま解決したのである。
すなわち、「本草之部 附方」は、『本草綱目』の【附方】などからの記載であることが、
このたび明らかとなった。
『本草綱目』は、各薬物などを、
【釈名】【集解】【正誤】【修治】【気味】【主治】【発明】【附方】
の八項目にわけて記述している。
真斎は、最後の【附方】の処方群の中からを選んで記載していることが明らかになった。
一部には、【発明】や【修治】の項目からも記載しているところもある。
『真斎聚方』「本草之部 附方」には、『本草綱目』の書名も、処方のある巻数や「薬物名」
などの項目も記されていない。したがって、本稿では【附方】などのある『本草綱目』の巻数
や分類項目、さらには「薬物名」などをも示して、『真斎聚方』「本草之部 附方」の内容構成
が明確となるように記述することとした。
今回は、その第7回目であり、【X-7】『真斎聚方』〔No.303~321〕
まで、すなわち、『本草綱目』の巻三十三〔果部〕~巻三十七〔木部〕に相当する部分である。
なお、一部に『本草綱目』(巻四)「百病主治薬・下」[眼目]からの記載がみられる。
◎・『真斎聚方』の全体的構成について・◎
このたび、「本草之部 附方」の「出典」が判明したことにより、『真斎聚方』の全体的な
構成を、次のように把握することができるようになった。
▼〔第一部〕・・・『真斎聚方』・「第一編」▼
・『真斎聚方』〔No.1~36〕
・この巻頭部分は、『類聚方集覧』などから記載によるものであり、
おもに『真斎方記』へと増補されるところのものである。
〔『PHN』32号(2018年8月号)を参照〕
▼〔第二部〕・・・『真斎聚方』・「第二編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.37~115〕+〔「B」=No.116~209〕
・次は、各医書群と『名家方選』三部作からの処方群である。
〔「A」については、『PHN』33号(2018年9月号)~35号
(2018年11月号)を参照。〕
〔「B」については、今後、考証の予定であるが、その一部であ
る安藤昌益と山脇東洋の処方群については、『PHN』30号
(2018年4月号)・31号(2018年5月号)を参照のこと。〕
・この「第二編」については、考証をさらに進めた上で、その
構成について再考する予定である。
▼〔第三部〕・・・『真斎聚方』・「第三編」▼
・『真斎聚方』「本草之部 附方」〔第三部〕の構成
〔「A」=No.210~287〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
+〔「B」=No.287~299〕・【『本草綱目』以外の書物の処方群】・
+〔「C」=No.299~321〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
+〔「D」=No.321~333〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
・『真斎聚方』の「第三編」と言える「本草之部 附方」は、この
たび『本草綱目』【附方】などからの記載であることが明らかに
なったのである。
・『真斎聚方』の「本草之部 附方」は、分量的には、『真斎聚方』
の中の三分の一を超えており、上記の「第一編」と「第二編」
を合わせて、仮に『真斎聚方』の「前編」とすれば、明らかに
『真斎聚方』の「後編」と呼んでよいものである。
・しかし、前回(6回目)初めて明らかになったのは、『真斎聚方』
〔「B」=No.287~299〕の存在である。この部分は、『本草綱目』
以外の書物から記載した処方であることが、明らかとなった。
〔「A」については、『PHN』36号(2019年1月号)~『PHN』
41号(2019年6月号)を参照のこと〕
〔「B」〕については、『PHN』41号(2019年6月号)を参照の
こと〕
〔「C」〕については、『PHN』41号(2019年6月号)~『PHN』
42号(2019年7月号)を参照のこと〕
〔「D」については、今後、考証の予定である。〕
●・【出典】の考証のための文献一覧・●
・『新註校定・国譯本草綱目』(第九冊)〔果部・木部〕
(昭和50年11月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第九冊)と略記する。〕
・『新註校定・国譯本草綱目』(第二冊)〔百病主治・上下〕
(昭和48年5月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第二冊)と略記する。〕
・〔明〕李時珍『本草綱目』(全二冊)
(1986年5月、商務印書館香港分館刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(上巻、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠共纂)
(大正四年十月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(下巻ノ一、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠
共纂)
(大正五年十一月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
▼凡例▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・。。。。。〔『本草綱目』の薬物名〕
【附方】・・・・・(No.210)。。。。。〔『真斎聚方』における№〕
〔1/5〕。。。〔『本草綱目』の5処方の内の1処方を記載〕
・「軽粉破口」・・・・・。。。。。「外台」〔A〕 〔外台秘要〕〔B〕
〔A〕=『真斎聚方』における略書名。
〔B〕=『本草綱目』を参照したわかりやすい書名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・「▲」は、『真斎聚方』に出典が欠落しているもの。
・「――」は、『本草綱目』に出典の記載なきもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・『真斎聚方』「本草之部 附方」の処方群の「出典」
である『本草綱目』【附方】との考証と考察・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ-A.》▼
▼『本草綱目』巻三十三「果部」・・・「果之五」(蓏類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[甜瓜]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.1)〕・
○○[瓜子仁]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.5)〕・
【附方】・・・・・(No.303)〔2/3〕
・①「口臭」・・・・・・・・・「千金」[千金〔方〕]
・②「腸癰已成」・・・・・・・「聖恵」[聖恵〔方〕]
○○[瓜蔕]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.6)〕・
【附方】・・・・・(No.303)〔2/21〕
・①「湿家頭痛」・・・・・・・・・「活人」〔活人書〕
・②「発狂欲走」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[沙餹]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.32)〕・
【附方】・・・・・(No.303)〔4/6〕
・①「下痢禁口」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・②「痘不落痂」・・・・・・・・・「劉提點方」
・③「上気喘嗽」・・・・・・・・・「――」
・④「食韭口臭」・・・・・・・・・「摘要」〔摘要方〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ-B.》▼
▼『本草綱目』巻三十三「果部」・・・「果之六」(水果類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[蓮藕]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.41)〕・
○○[蓮実]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.45)〕・
【附方】・・・・・(No.303)〔2/14〕
・①「久痢禁口」・・・・・・・・・「丹溪」〔丹溪心法〕
・②「反胃吐食」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
○○[藕]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.49)〕・
【附方】・・・・・(No.303)〔3/10〕
・①「食蟹中毒」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「凍脚裂坼」・・・・・・・・・「――」
・③「塵芒入目」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○○[蓮蕋鬚]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.54)〕・
【附方】・・・・・(No.303)〔1/1〕
・①「久近痔漏」・・・・・・・・・「集効」〔集效方〕
○○[荷葉]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.57)〕・
【附方】・・・・・(No.304)〔2/26〕
・①「脚膝浮腫」・・・・・・・・・「永類」〔永類方〕
・②「偏頭風痛」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
○[烏芋]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.72)〕・
【附方】・・・・・(No.304)〔2/5〕
・①「小児口瘡」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・②「誤呑銅銭」・・・・・・・・・「百一」〔百一選方〕
●【考察1】●
・各処方とも、原文どおりの記載である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ.》▼
▼『本草綱目』巻三十四「木部」・・・「木之一」(香木類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[柏]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.87)〕・
○○[葉]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.92)〕・
【附方】・・・・・(No.304)〔8/19〕
・①「虫痢下血」・・・・・・・・・「図経」
・②「小児洞痢」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・③「月水不断」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・④「湯火焼灼」・・・・・・・・・「図経」〔本草図経〕
・⑤「鼠瘻核痛」・・・・・・・・・「集験」〔集験方〕
・⑥「大風癘疾」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑦「頭髪不生」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・⑧「頭髪黄赤」・・・・・・・・・「聖恵」
○[松]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.98)〕・
○○[松脂]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.101)〕・
【附方】・・・・・(No.304)〔2/24〕
・①「齲歯有孔」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・②「久聾不聴」・・・・・・・・・「梅師」
○○[松葉]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.109)〕・
【附方】・・・・・(No.304~305)〔3/9〕
・①「天行温疫」・・・・・・・・・「類要」〔傷寒類要〕
・②「三年中風」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「歴節風痛」・・・・・・・・・「千金」
○[杉]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.113)〕・
○○[杉材]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.114)〕・
【附方】・・・・・(No.305)〔1/4〕
・①「臁瘡黒爛」・・・・・・・・・「救急」〔救急方〕
○[桂・牡桂]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.116)〕・
○○[牡桂]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.128)〕・
【附方】・・・・・(No.305)〔5/32〕
・①「死胎不下」・・・・・・・・・「何氏」〔何氏方〕
・②「九種心痛」・・・・・・・・「聖恵方」「外台秘要」
・『本草綱目』では、②、①の順番である。
・③「小児遺尿」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・④「乳癰腫痛」・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・⑤「中鉤吻毒」、「解芫青毒」・・・・・「――」
○[沈香]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.151)〕・
【附方】・・・・・(No.305)〔3/7〕
・①「胃冷久呃」・・・・・・・「心鏡〔統〕」〔活人心統〕
・②「胞転不通」・・・・・・・・「元戎」〔医塁元戎〕
・③「痘瘡黒陥」・・・・・・・「鮮手」〔鮮手〔于〕枢鈎玄〕
・『国訳本草綱目』では、「鮮于枢鈎玄」とある。
・『補註・本草綱目』では、「鮮手枢鈎玄」とある。
○[丁香]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.162)〕・
○○[丁香]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.167)〕・
【附方】・・・・・(No.305~306)〔12/26〕
・①「反胃関格」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・②「傷寒呃逆」・・・・・・・・・「済衆」〔済衆方〕
・③「婦人産難」・・・・・・・・・「経験」
・④「婦人陰冷」・・・・・・・・・「衍義」〔本草衍義〕
・⑤「鼻中息肉」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑥「風牙宣露」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・⑦「齲歯黒臭」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・⑧「唇舌生瘡」・・・・・・・・・「外台」
・⑨「乳頭裂破」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・⑩「妬乳乳痛」・・・・・・・・・「▲」〔梅師方〕
・⑪「癰疽悪肉」・・・・・・・・・「怪證奇方」
・⑫「香衣辟汗」・・・・・・・・・「多能鄙事」
○[降真香]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.175)〕・
【附方】・・・・・(No.306)〔2/2〕
・①「金瘡出血」・・・・・・・・「医林」〔医林集要〕
・②「癰疽悪毒」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・▼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・▼・
・▼・『本草綱目』(巻四)「百病主治薬・下」からの記載・▼・
○[眼目]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第二冊、p.323)〕・
○○[赤腫]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第二冊、p.323)〕・
・▼・・・・・「草部」・・・・・(No.306)・・・・・・▼・
・①【石斛】「同川芎、●〔口ヘンに畜〕鼻起倒睫」・・・・
・・・・・・「本草百病主治」
・②【木鼈子】「塞鼻起倒睫」・・・・・・「本草百病主治」
・上記の二項は、『本草綱目』(巻四)「百病主治薬・下」[眼目]
からの記載である。
・▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・▲・
○[烏薬]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.184)〕・
【附方】・・・・・(No.306)〔2/11〕
・①「心腹気痛」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・②「小児慢驚」・・・・・・・・・「済急」〔済急方〕
・『本草綱目』では、②、①の順番である。
○[楓香脂]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.192)〕・
○○[木皮]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.196)〕・
【附方】・・・・・(No.306)〔1/1〕
・①「大風瘡」・・・・・・・・・「経験」〔経験良方〕
○[熏陸香・乳香]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.197)〕・
【附方】・・・・・(No.306~307)〔5/31〕
・①「陰證呃逆」・・・・・・・・・「蘊要」〔傷寒蘊要〕
・②「辟禳瘟疫」・・・・・・・・・「――」
・③「香口辟臭」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・④「風虫牙痛」・・・・・・・・・「朱氏」
・「不可忍者・・」「朱氏集験方・・」の二文を省略し、「〔又方〕
乳香・・」の文のみを記載している。さらに、「直指方・・」
「聖恵方・・」の二文も省略している。
・出典を「朱氏」としているのは、「又方乳香・・」の文も「朱
氏集験方」のものと解釈したのであろうか。
・⑤「杖瘡潰爛」・・・・・・・・・「永類」〔永類鈐方〕
○[騏驎竭]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.210)〕・
【附方】・・・・・(No.307)〔4/12〕
・①「白虎風痛」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「新久脚気」・・・・・・・・・「奇效」〔奇效方〕
・③「腹中血塊」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・④「鼻出衄血」・・・・・・・・・「医林」〔医林集要〕
・『本草綱目』では、④、③の順番である。
○[質汗]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.214)〕・
【附方】・・・・・(No.307)〔1/1〕
・①「室女経閉」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
○[龍脳香]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.224)〕・
【附方】・・・・・(No.307)〔6/14〕
・①「風熱喉痺」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・末尾の「此陸一峯家伝絶妙方也」も原文のものである。
・②「鼻中息肉」・・・・・・・・・「集簡」
・③「傷寒舌出」・・・・・・・・・「夷堅志」
・④「中風牙噤」・・・・・・・・・「――」
・⑤「牙歯疼痛」・・・・・・・・・「▲」〔集簡方〕
・⑥「痘瘡狂躁」・・・・・・・・・「経験方」
・後半の「総微論・・」の文が省略されている。
○[樟脳]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.233)〕・
【附方】・・・・・(No.307)〔1/2〕
・①「牙歯虫痛」・・・・・・・・・「――」
・「普済方・・」の文のみを記載し、後半の「余居士選奇方・・」の文を省略している。
○[盧會]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.242)〕・
【附方】・・・・・(No.307)〔1/1〕
・①「小児脾疳」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
●【考察2】●
・複数の解説文のある処方で、省略されている文がある。
・『本草綱目』(巻四)「百病主治薬・下」[眼目]からの記載がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ.》▼
▼『本草綱目』巻三十五(上)「木部」・・「木之二」(喬木類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[蘗木]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.251)〕・
【附方】・・・・・(No.308)〔7/43〕
・①「咽喉卒腫」・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・②「鬈毛毒瘡」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・③「火毒生瘡」・・・・・・・・・「医説」〔張杲医説〕
・④「凍瘡裂痛」・・・・・・・・・「儒門」〔儒門事親〕
・⑤「自死肉毒」・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・⑥「斂瘡生肌」・・・・・・・・・「宣明」〔宣明方〕
・⑦「下血数升」・・・・・・・・・「普済」
・『本草綱目』では、⑦が最初に出ている。
○[厚木]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.267)〕・
【附方】・・・・・(No.308)〔2/14〕
・①「反胃止瀉」・・・・・・・・・「▲」〔斗門方〕
・②「中満洞瀉」・・・・・・・・・「鮑氏」〔鮑氏方〕
○[杜仲]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.275)〕・
【附方】・・・・・(No.308)〔1/6〕
・①「頻慣堕胎」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
○[漆]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.290)〕・
○○[乾漆]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.292)〕・
【附方】・・・・・(No.308)〔2/11〕
・①「喉痺欲絶」・・・・・・・・・「▲」〔聖済総録〕
・②「解中虫毒」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
○[楸]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.302)〕・
○○[葉]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.304)〕・
【附方】・・・・・(No.308~309)〔4/8〕
・①「一切毒腫」・・・・・・・・「范汪」〔范汪東陽方〕
・②「頭癢生瘡」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「児髪不生」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「小児禿瘡」・・・・・・・・・「聖恵」
○[桐]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.306)〕・
○○[桐葉]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.310)〕・
【附方】・・・・・(No.309)〔3/4〕
・①「癰疽発背」・・・・・・・・・「医林」〔医林正宗〕
・②「髪落不生」・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・③「髪白染黒」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[罌子桐]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.314)〕・
○○[桐子油]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.316)〕・
【附方】・・・・・(No.309)〔1/7〕
・①「解砒石毒」・・・・・・・・「華佗危病」〔華佗危病方〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・▼『本草綱目』では、ここに「○[海桐]○」(後出)がある。▲
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[棟]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.320)〕・
○○[実]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.322)〕・
【附方】・・・・・(No.309)〔1/11〕
・①「丈夫疝気」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
○○[根・木皮]・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.326)〕・
【附方】・・・・・(No.309)〔1/10〕
・①「小児蚘虫」・・・・・・・・・「――」
・最初文とその次の「斗門方・・」を省略し、三番目の「集簡方・・」
のみを記載している。その次の「経験方・・」、「簡便方・・」
の文も省略している。
○[槐]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.328)〕・
○○[槐実]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.330)〕・
【附方】・・・・・(No.309)〔1/5〕
・①「槐角丸」・・・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
▼・・・〔▼・この項、次の「○[海桐]○」の後に続く。〕・・・▲
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[海桐]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.317)〕・
○○[木皮]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.319)〕・
▼・この項は、「○[罌子桐]○」(前出)のすぐ後にあるもの。▲
【附方】・・・・・(No.309)〔1/3〕
・①「風虫牙痛」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[槐]○〔▼続き〕・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.328)〕・
○○[槐花]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.333)〕・
【附方】・・・・・(No.309~310)〔3/21〕
・①「中風失音」〔「癰疽発背」〕・・・・・・・「保寿」〔保寿堂方〕
・ここにある「中風失音」の解説文は、次にある「癰疽発背」の
ものである。大きな記載ミスである。
・②「外痔長寸」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・③「発背散血」・・・・・・・・「摂生」〔摂生妙用方〕
○○[枝]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.336)〕・
【附方】・・・・・(No.310)〔1/6〕
・①「陰瘡湿痒」・・・・・・・・「孟詵」〔孟詵必效方〕
●【考察3】●
・複数の解説文のあるもので、文の省略がある。
・処方の順番の異動がみられる。
・上に指摘したような大きな記載ミスもある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅳ.》▼
▼『本草綱目』巻三十五(下)「木部」・・「木之二」(喬木類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[秦皮]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.343)〕・
【附方】・・・・・(No.310)〔2/6〕
・①「赤眼生瞖」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・②「天蛇毒瘡」・・・・・・・・「宗奭本草」〔寇宗奭本草〕
○[合歓]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.348)〕・
【附方】・・・・・(No.310)〔2/5〕
・①「撲損折骨」・・・・・・・・・「百一」〔百一選方〕
・②「肺癰唾濁」・・・・・・・・・「独行」〔韋宙独行方〕
・『本草綱目』では、②、①の順番である。
○[皂莢]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.351)〕・
○○[皂莢]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.354)〕・
【附方】・・・・・(No.310~311)〔9/50〕
・①「中風口喎」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・②「中暑不省」・・・・・・・・・「澹寮」〔澹寮方〕
・③「鬼魘不寤」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「自縊将死」・・・・・・「外一〔台〕」[外一〔台〕方]
・⑤「水溺卒死」・・・・・・「外一〔台〕」[外一〔台〕秘要]
・⑥「急喉痺塞」・・・・・・・・・・「――」
・⑦「咽喉腫痛」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・⑧「一切痰気」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・⑨「小児頭瘡」・・・・・・「雑典〔興〕」[衛生雑典〔興〕]
○○[子]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.363)〕・
【附方】・・・・・(No.311)〔3/14〕
・①「下痢不止」・・・・・・・・・「摘要」〔医方摘要〕
・②「粉滓面●〔黒へんに干〕」・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「年久瘰癧」・・・・・・・・・「――」
・末尾の小文字部分「聖済総録・・」の文も原文のものである。
○○[刺]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.366)〕・
【附方】・・・・・(No.311)〔3/12〕
・①「婦人乳癰」・・・・・・・・・・・〔直指方〕
・出典として、「補遺」〔熊氏補遺〕とあるが、これはこの処方の
前にある「胎衣不下」のものであり、「直指方」が正しい。
・②「乳汁結毒」・・・・・・・・・「袖珍」〔袖珍方〕
・③「腹内生瘡」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
○[肥皂莢]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.370)〕・
【附方】・・・・・(No.311)〔3/9〕
・①「頭耳諸瘡」・・・・・・・・・・・〔摘玄方〕
・出典として、「海上」〔海上方〕とあるが、これはこの処方の
次にある「小児頭瘡」のものであり、「摘玄方」が正しい。
・②「癬瘡不愈」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・③「玉茎湿癢」・・・・・・・・・「摂生」〔摂生方〕
○[無患子]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.373)〕・
○○[子皮]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.375)〕・
【附方】・・・・・(No.311)〔1/2〕
・①「洗面去●〔黒へんに干〕」・・・・「集簡」〔集簡方〕
○○[子中仁]・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.376)〕・
【附方】・・・・・(No.311)〔1/1〕
・①「牙歯腫痛」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[無食子]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.377)〕・
【附方】・・・・・(No.311)〔1/8〕
・①「鼻面酒皶」・・・・・・・「危氏」〔危氏得效方〕
○[訶黎勒]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.380)〕・
【附方】・・・・・(No.311)〔1/15〕
・①「水瀉下痢」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[欅]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.389)〕・
○○[木皮]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.390)〕・
【附方】・・・・・(No.312)〔1/5〕
・①「通身水腫」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[柳]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.392)〕・
○○[柳華]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.394)〕・
【附方】・・・・・(No.312)〔2/6〕
・①「吐血咯血」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・②「金瘡出血」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○○[葉]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.396)〕・
【附方】・・・・・(No.312)〔1/6〕
・①「眉毛脱落」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○○[枝・根白皮]・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.397)〕・
【附方】・・・・・(No.312)〔7/18〕
・①「走注気痛」・・・・・・・・・「集験」〔集験方〕
・②「風毒卒腫」・・・・・・・・・「集験」
・③「陰卒腫痛」・・・・・・・・・「集験」
・④「項下癭気」・・・・・・・・・「范汪」〔范汪方〕
・⑤「歯齦腫痛」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑥「耳痛有膿」・・・・・・・・・「斗門」〔斗門方〕
・⑦「漏瘡腫痛」・・・・・・・・・「――」
・後半の「摘玄方・・」の文を省略している。
○[水楊]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.404)〕・
○○[木白皮・根]・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.407)〕・
【附方】・・・・・(No.312)〔1/1〕
・①「金瘡苦痛」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[白楊]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.407)〕・
○○[枝]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.410)〕・
【附方】・・・・・(No.312)〔1/3〕
・①「面色不白」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[楡]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.415)〕・
○○[白皮]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.410)〕・
【附方】・・・・・(No.312~313)〔9/18〕
・①「断穀不饑」・・・・・・・・「救荒」〔救荒本草〕
・②「虚労白濁」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「小便気淋」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・④「五淋渋痛」・・・・・・・・・「普済」
・⑤「身体暴腫」・・・・・・・・・「備急」〔備急方〕
・⑥「臨月易産」・・・・・・・・「陳承」〔陳承本草別説〕
・⑦「堕胎下血」・・・・・・・・・「普済」
・⑧「胎死腹中」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・⑨「五色丹毒」・・・・・・・・・「千金」[千金〔方〕]
○[蕪荑]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.422)〕・
【附方】・・・・・(No.313)〔3/10〕
・①「制殺諸虫」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・②「小児虫癇」・・・・・・・・・「杜壬」〔杜壬方〕
・③「虫牙作痛」・・・・・・・・・「危氏」〔危氏得效方〕
○[蘇方木]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.427)〕・
【附方】・・・・・(No.313)〔4/6〕
・①「産後血運」・・・・・・・・・「――」
・②「産後気喘」・・・・・・・・・「胡氏」〔胡氏方〕
・③「破傷風病」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・④「金瘡接指」・・・・・・・・・「摂生」〔摂生方〕
○[樺木]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.432)〕・
【附方】・・・・・(No.313)〔2/5〕
・①「乳癰初発」・・・・・・・・・「霊苑」〔霊苑方〕
・②「染黒鬚髪」・・・・・・・・・「多能」〔多能鄙事〕
○[巴豆]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.445)〕・
【附方】・・・・・(No.313~314)〔8/39〕
・①「乾霍乱病」・・・・・・・・・「――」
・②「二便不通」・・・・・・・・・「▲」〔楊氏家蔵〕
・③「傷寒舌出」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・④「中風口喎」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑤「荷銭癬瘡」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・⑥「疣痣黒子」・・・・・・・・・「怪症」〔怪症方〕
・⑦「箭鏃入肉」・・・・・・・・・「経験」
・⑧「小児痰喘」・・・・・・・・・「医鑑」〔龔氏医鑑〕
○[大風子]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.460)〕・
【附方】・・・・・(No.314)〔3/5〕
・①「大風瘡裂」・・・・・・・・・「衛生」〔衛生方〕
・②「楊梅悪瘡」・・・・・・・・・「衛生」
・③「風刺赤鼻」・・・・・・・・・「――」
○[相思子]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.463)〕・
【附方】・・・・・(No.314)〔1/3〕
・①「瘴瘧寒熱」・・・・・・・・・「千金」[千金〔方〕]
●【考察4】●
・処方の順番の異動や転記ミス、また解説文の省略がみられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅴ.》▼
▼『本草綱目』巻三十六「木部」・・・「木之三」(灌木類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[桑]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.467)〕・
○○[桑根白皮]・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.468)〕・
【附方】・・・・・(No.314)〔1/14〕
・①「小児天弔」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○○[桑椹]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.473)〕・
【附方】・・・・・(No.314)〔2/7〕
・①「抜白変黒」・・・・・・・・「蔵器」〔陳蔵器本草〕
・②「髪白不生」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○○[葉]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.476)〕・
【附方】・・・・・(No.314~315)〔2/13〕
・①「手足麻木」・・・・・・・・・「救急」〔救急方〕
・②「湯火傷瘡」・・・・・・・・・「正伝」〔医学正伝〕
・『本草綱目』では、②、①の順番である。
○○[枝]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.478)〕・
【附方】・・・・・(No.315)〔2/6〕
・①「風熱臂痛」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・②「紫白癜風」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○○[桑柴灰]・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.481)〕・
【附方】・・・・・(No.315)〔3/12〕
・①「白癜駁風」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「金瘡作痛」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・③「頭風白屑」・・・・・・・・・「聖恵」
○[楮]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.487)〕・
○○[葉]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.493)〕・
【附方】・・・・・(No.315)〔8/17〕
・①「通身水腫」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「人耽睡臥」・・・・・・・・・「楊堯輔方」
・③「吐血鼻血」・・・・・・・・・「聖恵」
・④「一切眼翳」・・・・・・・・・「聖恵」
・⑤「疝気入嚢」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・⑥「癬瘡湿痒」・・・・・・・・・「聖恵」
・⑦「痔瘻腫痛」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑧「魚骨硬咽」・・・・・・・・・「十便」〔十便良方〕
○○[樹白皮]・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.495)〕・
【附方】・・・・・(No.315)〔2/7〕
・①〔「魚骨硬咽」〕・・・・・・・・「衛生易簡〔方〕」
・前項⑧「魚骨硬咽」の後に「衛生易簡・・」として、記載され
ている。同名の処方のため、そこに記載されたものと思われる。
・②「膀胱石水」・・・・・・・・・「集験」
・『本草綱目』では、②、①の順番である。
○[枳]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.497)〕・
○○[枳実]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.500)〕・
【附方】・・・・・(No.316)〔3/13〕
・①「傷寒胸痛」・・・・・・・「厳子」〔厳子礼済生方〕
・②「大便不通」・・・・・・・・・「危氏」〔危氏得效方〕
・③「小児頭瘡」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○○[枳殻]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.503)〕・
【附方】・・・・・(No.316)〔6/18〕
・①「順気止痢」・・・・・・・・・「百問」〔嬰童百問〕
・②「疏導脚気」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・③「痔瘡腫痛」・・・・・・・・・「――」
・④「産後腸出」・・・・・・・・・「袖珍」〔袖珍方〕
・⑤「下早成痞」・・・・・・・・・「宣明」〔宣明方〕
・⑥「脇骨疼痛」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
○○[葉]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.511)〕・
【附方】・・・・・(No.316)〔1/1〕
・①「咽喉怪證」・・・・・・・「夏子益」〔夏子益奇病方〕
○[巵子]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.512)〕・
【附方】・・・・・(No.316~317)〔10/27〕
・①「鼻中衄血」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・②「臨産下痢」・・・・・・・・・「勝金」〔勝金方〕
・③「胃脘火痛」・・・・・・・・・「纂要」〔丹溪纂要〕
・④「熱病食復」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・⑤「喫飲〔飯〕直出」・・・・・・「怪證」〔怪證奇方〕
・⑥「鼻上酒皶」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・⑦「眉中練癬」・・・・・・・・・「保幼」〔保幼大全〕
・⑧「折傷腫痛」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑨「猘犬咬傷」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・⑩「湯盪火焼」・・・・・・・・・「救急」〔救急方〕
○[酸棗]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.520)〕・
【附方】・・・・・(No.317)〔2/7〕
・①「睡中汗出」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・②「刺入肉中」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○[白棘]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.526)〕・
【附方】・・・・・(No.317)〔1/12〕
・①「眼睫拳毛」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[山茱萸]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.533)〕・
【附方】・・・・・(No.317)〔1/1〕
・①「草還丹」・・・・・・・・・・「扶寿」〔扶寿方〕
○[郁李]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.544)〕・
○○[核仁]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.546)〕・
【附方】・・・・・(No.317)〔2/6〕
・①「腫満気急」・・・・・・・・・「楊氏」〔楊氏産乳〕
・②「脚気浮腫」・・・・・・・・「韋宙」〔韋宙独行方〕
○[衛矛]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.561)〕・
【附方】・・・・・(No.317)〔1/2〕
・①「鬼瘧日発」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
○[南燭]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.568)〕・
【附方】・・・・・(No.317)〔1/2〕
・①「誤呑銅鉄」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[五加]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.572)〕・
【附方】・・・・・(No.317)〔1/8〕
・①「小児行遅」・・・・・・・・・「全幼」〔全幼心鑑〕
○[枸杞・地骨皮]○・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.579)〕・
○○[枸杞子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.586)〕・
【附方】・・・・・(No.318)〔4/29〕
・①「口舌糜爛」・・・・・・・・・「蘭室」〔蘭室秘蔵〕
・②「男子下疳」・・・・・・・・・「衛生」〔衛生宝鑑〕
・③「婦人陰腫」・・・・・・・・・「永類」〔永類方〕
・④「澡浴除病」・・・・・・・・・「洞天保生録」
○[石南]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.598)〕・
【附方】・・・・・(No.318)〔1/3〕
・①「小児通晴」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[蔓荊]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.611)〕・
○○[実]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.613)〕・
【附方】・・・・・(No.318)〔3/[3]〕
・①「令髪長黒」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「頭風作痛」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「乳癰初起」・・・・・・・・・「危氏」〔危氏得效方〕
○[木槿]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.621)〕・
○○[皮・根]・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.622)〕・
【附方】・・・・・(No.318~319)〔6/6〕
・①「赤白帯下」・・・・・・・・・「纂要」〔纂要奇方〕
・②「頭面銭癬」・・・・・・・・・「経效」〔経效方〕
・③「牛皮風癬」・・・・・・・・・「扶寿」〔扶寿方〕
・④「癬瘡有虫」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・⑤「痔瘡腫痛」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・⑥「大腸脱肛」・・・・・・・・・「救急」〔救急方〕
○○[花]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.624)〕・
【附方】・・・・・(No.319)〔2/3〕
・①「下痢噤口」・・・・・・・・・「済急」〔済急方〕
・②「反胃吐食」・・・・・・・・・「袖珍」〔袖珍方〕
○[木芙蓉]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.626)〕・
【附方】・・・・・(No.319)〔5/10〕
・①「赤眼腫痛」・・・・・・・・・「▲」〔鴻飛集〕
・②「癰疽腫毒」・・・・・・・・・「▲」〔簡便方〕
・③「頭上癩瘡」・・・・・・・・・〔傳滋医学集成〕
・出典のところに、「奇効」とあるのは、転記ミスである。
・④「灸瘡不愈」・・・・・・・・・「奇效」〔奇效方〕
・⑤「一切瘡腫」・・・・・・・・・「多能」〔多能鄙事〕
○[密蒙花]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.634)〕・
【附方】・・・・・(No.319)〔1/1〕
・①「目中障瞖」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
○[木天蓼]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.644)〕・
○○[枝葉]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.646)〕・
【附方】・・・・・(No.319)〔1/1〕
・①「大風白癩」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[接骨木]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.649)〕・
【附方】・・・・・(No.319)〔1/2〕
・①「産後血運」・・・・・・・・・「産書」
●【考察5】●
・処方の順番の異動や転記ミスもあるが、原文どおりの記載内容である。
・同名の2処方を、一つにまとめて記載しているところがあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅵ-A.》▼
▼『本草綱目』巻三十七「木部」・・・「木之四」(寓木類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[茯苓]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.655)〕・
【附方】・・・・・(No.320)〔5/31〕
・①「妊娠水腫」・・・・・・・・・「禹講師方」
・②「卒然耳聾」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・③「面●〔黒ヘンに干〕雀斑」・・「集験」〔集験方〕
・④「痔漏神方」・・・・・・・・・「集験」
・⑤「水腫尿濇」・・・・・・・・・「普済」
○[琥珀]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.671)〕・
【附方】・・・・・(No.320)〔4/9〕
・①「琥珀散」・・・・・・・・・・「海薬」〔海薬本草〕
・②「小便尿血」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・③「従高墜下」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・④「金瘡悶絶」・・・・・・・・・「鬼遺」〔鬼遺方〕
○[豬苓]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.679)〕・
【附方】・・・・・(No.320)〔2/7〕
・①「通身腫満」・・・・・・・・・「産乳」〔楊氏産乳〕
・②「妊娠腫渇」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
○[雷丸]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.683)〕・
【附方】・・・・・(No.320)〔2/3〕
・①「小児出汗」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「下寸白虫」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅵ-B.》▼
▼『本草綱目』巻三十七「木部」・・・「木之五」(苞木類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[竹]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.699)〕・
○○[苦竹根]・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.705)〕・
【附方】・・・・・(No.321)〔1/1〕
・①「産後煩熱」・・・・・・・・・「良方」〔婦人良方〕
○○[筀竹茹]・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.705)〕・
【附方】・・・・・(No.321)〔3/10〕
・①「婦人損胎」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・②「牙歯宣露」・・・・・・・・・「永類」〔永類方〕
・③「飲酒頭痛」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○○[慈竹瀝]・・・・〔『国訳本草綱目』(第九冊、p.707)〕・
【附方】・・・・・(No.321)〔10/21〕
・①「中風口噤」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「小児口噤」・・・・・・・・・「兵部手集」
・③「産後中風」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・④「小児傷寒」・・・・・・・・・「千金」
・全文に強調の傍線あり。
・⑤「小児重苦」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・『本草綱目』では、⑤、④の順番である。
・⑥「小児狂語」・・・・・・・・・「至宝」〔至宝方〕
・⑦「欬嗽肺痿」・・・・・・・・・「兵部」〔兵部手集〕
・⑧「小児吻瘡」・・・・・・・・・「心鑑」〔全幼心鑑〕
・⑨「小児赤目」・・・・・・・・・「古今」〔古今録験〕
・⑩「卒牙歯痛」・・・・・・・・・「集験」〔集験方〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅵ-C.》▼
▼『本草綱目』巻三十七「木部」・・・「木之六」(雑木類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼・・・「この項からの記載はない。」・・・▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●【考察6】●
・処方の順番の異動などがあるが、原文どおりの記載内容である。
◎・むすび・◎
このたび、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方が、『本草綱目』の各薬物の
【附方】からの記載であることが判明したことにより、『真斎聚方』の全体的構成が
、ここに初めて明らかになった。
そして、すでに述べたように、真斎は、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方を、
『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から、基本的に「原文」そのままの内容で記載している。
それは、これまでの真斎の「筆写・抄出方法」を踏襲しているものである、と言えるであろう。
各処方の抄出については、真斎の臨床家としての必要性から選ばれたものと思われる。
『真斎聚方』「本草之部 附方」もまた、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から臨床的
に参考となる処方群を抄出して、臨床研究に役立てるということが目標であった。その「按文」
の一つひとつの内容が、それを物語っている。
いずれにしても、『本草綱目』の各薬物の【附方】を、これほど多く記載した真斎の研究態度
には、感服せざるを得ない。
以上は、「第1回目の考証」における「むすび」であり、私はこの時点で『真斎聚方』「本草之部
附方」の全体的な評価を急ぐ必要はないと思う。その全体的な評価は、今後、さらなる「考証と
考察」を進めてからでも十分であろう。
上記の「むすび」については、今回の「第7回目の考証」においても基本的に変わりはないと言えるであろう。
その他については、各項の【考察】において述べたとおりである。
〔2019年7月25日、PHN(思想・人間・自然)、第42号、PHNの会発行〕
〔2019年7月25日、和田耕作、Copyright(C)、無断転載厳禁、All rights reserved.〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』における
「本草之部 附方」の処方群〔【X】=No.210~333〕は、
『本草綱目』の【附方】からの記載であることの考証、
および『真斎聚方』の全体的な構成について
――【X-6】『真斎聚方』〔No.281~303〕
〔『本草綱目』巻二十七(菜部)~巻三十二(果部)〕
【ただし、今回は〔No.287~299〕に、『本草綱目』以外
の書物からの記載が挿入されている。】
――さらに、真斎の「筆写・抄出方法」から
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との
内容的同一性について考える
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」35号に引き続いて、No.115以降の処方群と、それらに関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群についての考証と考察を進める予定であったが、今回は、急遽予定を変更して、『真斎聚方』の「最終見出し」であるところの「本草之部 附方」〔No.210~333〕についての考証と考察を行うことにした。
「本草之部 附方」は、それまでの記述とは、大きく異なっており、その「出典」書目数も膨大であり、何による記載であるのかが、これまで不明であった。それは、『真斎聚方』における「最後の難関」と思われた。
しかし、実際に調査をしてみると、この問題は、意外にもすぐさま解決したのである。すなわち、「本草之部 附方」は、『本草綱目』の【附方】などからの記載であることが、このたび明らかとなった。
『本草綱目』は、各薬物などを、
【釈名】【集解】【正誤】【修治】【気味】【主治】【発明】【附方】
の八項目にわけて記述している。
真斎は、最後の【附方】の処方群の中からを選んで記載していることが明らかになった。一部には、【発明】や【修治】の項目からも記載しているところもある。
『真斎聚方』「本草之部 附方」には、『本草綱目』の書名も、処方のある巻数や「薬物名」などの項目も記されていない。したがって、本稿では【附方】などのある『本草綱目』の巻数や分類項目、さらには「薬物名」などをも示して、『真斎聚方』「本草之部 附方」の内容構成が明確となるように記述することとした。
今回は、その第6回目であり、【X-6】『真斎聚方』〔No.281~303〕
まで、すなわち、『本草綱目』の巻二十七〔菜部〕~巻三十二〔果部〕に相当する部分である。
ただし、今回の分には、途中〔No.287~299〕に『本草綱目』以外の書物からの記載が挿入されていることが判明した。
◎・『真斎聚方』の全体的構成について・◎
このたび、「本草之部 附方」の「出典」が判明したことにより、『真斎聚方』の全体的な構成を、次のように把握することができるようになった。
▼〔第一部〕・・・『真斎聚方』・「第一編」▼
・『真斎聚方』〔No.1~36〕
・この巻頭部分は、『類聚方集覧』などから記載によるものであり、
おもに『真斎方記』へと増補されるところのものである。
〔『PHN』32号(2018年8月号)を参照〕
▼〔第二部〕・・・『真斎聚方』・「第二編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.37~115〕+〔「B」=No.116~209〕
・次は、各医書群と『名家方選』三部作からの処方群である。
〔「A」については、『PHN』33号(2018年9月号)~35号
(2018年11月号)を参照。〕
〔「B」については、今後、考証の予定であるが、その一部であ
る安藤昌益と山脇東洋の処方群については、『PHN』30号
(2018年4月号)・31号(2018年5月号)を参照のこと。〕
・この「第二編」については、考証をさらに進めた上で、その
構成について再考する予定である。
▼〔第三部〕・・・『真斎聚方』・「第三編」▼
・『真斎聚方』「本草之部 附方」〔第三部〕の構成
〔「A」=No.210~287〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
+〔「B」=No.287~299〕・【『本草綱目』以外の書物の処方群】・
+〔「C」=No.299~303〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
+〔「D」=No.303~333〕(『本草綱目』【附方】などによる記載)
・『真斎聚方』の「第三編」と言える「本草之部 附方」は、この
たび『本草綱目』【附方】などからの記載であることが明らかに
なったのである。
・『真斎聚方』の「本草之部 附方」は、分量的には、『真斎聚方』
の中の三分の一を超えており、上記の「第一編」と「第二編」
を合わせて、仮に『真斎聚方』の「前編」とすれば、明らかに
『真斎聚方』の「後編」と呼んでよいものである。
・しかし、今回(6回目)初めて明らかになったのは、『真斎聚方』
〔「B」=No.287~299〕の存在である。この部分は、『本草綱目』
以外の書物から記載した処方であることが明らかとなった。
〔「A」については、『PHN』36号(2019年1月号)~『PHN』
41号(2019年6月号)を参照のこと〕
〔「B」〕については、『PHN』41号(2019年6月号)を参照の
こと〕
〔「C」〕については、『PHN』41号(2019年6月号)を参照の
こと〕
〔「D」については、今後、考証の予定である。〕
●・【出典】の考証のための文献一覧・●
・『新註校定・国譯本草綱目』(第八冊)〔菜部・果部〕
(昭和50年7月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第八冊)と略記する。〕
・〔明〕李時珍『本草綱目』(全二冊)
(1986年5月、商務印書館香港分館刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(上巻、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠共纂)
(大正四年十月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(下巻ノ一、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠
共纂)
(大正五年十一月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
▼凡例▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・。。。。。〔『本草綱目』の薬物名〕
【附方】・・・・・(No.210)。。。。。〔『真斎聚方』における№〕
〔1/5〕。。。〔『本草綱目』の5処方の内の1処方を記載〕
・「軽粉破口」・・・・・。。。。。「外台」〔A〕 〔外台秘要〕〔B〕
〔A〕=『真斎聚方』における略書名。
〔B〕=『本草綱目』を参照したわかりやすい書名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・「▲」は、『真斎聚方』に出典が欠落しているもの。
・「――」は、『本草綱目』に出典の記載なきもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・『真斎聚方』「本草之部 附方」の処方群の「出典」
である『本草綱目』【附方】との考証と考察・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ.》▼
▼『本草綱目』巻二十七「菜部」・・・「菜之二」(柔滑類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[●〔クサカンムリの下に析〕蓂]○・・・・・
・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.12)〕・
○○[子]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.13)〕・
【附方】・・・・・(No.281)〔2/2〕
・①「眼目熱痛」・・・・・・・・・「――」
・②「眼中弩肉」・・・・・・・・・「海上」〔海上方〕
○[雞腸草]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.18)〕・
【附方】・・・・・(No.281)〔1/9〕
・①「漆瘡瘙痒」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
○[莧]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.23)〕・
○○[菜]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.26)〕・
【附方】・・・・・(No.281)〔4/7〕
・①「漆瘡搔痒」・・・・・・・・・「――」
・②「蜈蚣螫傷」・・・・・・・・・「談埜」〔談埜翁方〕
・③「蜂蠆螫傷」・・・・・・・・・「――」
・④「諸蛇螫人」・・・・・・・・・「集験」〔集験方〕
○[馬歯莧]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.29)〕・
○○[菜]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.31)〕・
【附方】・・・・・(No.281)〔6/38〕
・①「小児臍瘡」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「毛虫螫人」・・・・・・・・・「霊苑」〔霊苑方〕
・③「蜂蠆螫人」・・・・・・・・・「張文」〔張文仲方〕
・④「蜈蚣咬傷」・・・・・・・・・「▲」〔肘後方〕
・⑤「小児白禿」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑥「身面瘢痕」・・・・・・・・・「聖恵」
○[灰藋]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.73)〕・
【附方】・・・・・(No.281)〔1/1〕
・①「疔瘡悪腫」・・・・・・・・・「普済」[普済〔方〕]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼▼▼・・・●【No.281】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼次にある2処方は、『本草綱目』からの記載ではないと思われる。
・①「陰萎不興」・・・・・・・・・「岣嶁神書」
・「蜂巣焼・・」
・②「陰寒萎弱」・・・・・・・・・「千金方」
・「蜂房灰・・」
▲▲▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[薯蕷]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.87)〕・
【附方】・・・・・(No.281)〔1/11〕
・①「手足凍瘡」・・・・・・・・・「儒門」〔儒門事親〕
○[百合]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.97)〕・
【附方】・・・・・(No.281)〔1/16〕
・①「抜白換黒」・・・・・・・・・「便民」〔便民圖纂〕
○[山丹]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.104)〕・
【釈名】紅百合
・[山丹]の項には、【附方】はない。【釈名】からの記載である。
○○[花]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.105)〕・
【主治】活血其蕊傳疔瘡悪腫、〔時珍〕。
・[花]【主治】からの記載である。
●【考察1】●
・『本草綱目』からの記載ではないと思われる処方が2つある。
・その他は、原文どおりの記載である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ.》▼
▼『本草綱目』巻二十八「菜部」・・・・・・・・・
・・・「菜之三・四・五」(蓏菜類・水菜類・芝栭類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ-A.》▼
▼『本草綱目』巻二十八「菜部」・・・・・「菜之三」(蓏菜類)▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[茄]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.117)〕・
○○[蔕]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.123)〕・
【発明】「時珍曰」治癜風・・・。
・【発明】の項からその全文を記載している。
○○[花]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.124)〕・
【附方】・・・・・(No.282)〔1/1〕
・①「牙痛」・・・・・・・・・・「海上」〔海上名方〕
○[苦瓠]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.130)〕・
○○[瓤・子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.132)〕・
【附方】・・・・・(No.282)〔1/25〕
・①「鼻窒気塞」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[敗瓢]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.136)〕・
【附方】・・・・・(No.282)〔1/6〕
・①「湯火傷灼」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[冬瓜]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.138)〕・
○○[白冬瓜]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.140)〕・
【附方】・・・・・(No.282)〔2/14〕
・①「食魚中毒」・・・・・・・・・「小品」〔小品方〕
・②「面黒令白」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
○○[白瓜子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.143)〕・
【附方】・・・・・(No.282)〔5/7〕
・①「服食法」・・・・・・・・・・「食療」〔孟詵食療〕
・②「悦沢面容」・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・③「消渇不止」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・④「男子白濁」・・・・・・・・・「救急」〔救急易方〕
・⑤「女子白帯」・・・・・・・・・「救急」
○[胡瓜]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.150)〕・
【附方】・・・・・(No.282)〔4/7〕
・①「咽喉腫痛」・・・・・・・・・「集要」〔医林集要〕
・②「杖瘡●〔火ヘンに欣〕腫」・・・・・・「集要」
・③「火眼赤痛」・・・・・・・・・「寿域神方」
・④「湯火傷灼」・・・・・・・・・「摘要」〔医方摘要〕
○[絲瓜]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.153)〕・
○○[瓜]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.154)〕・
【附方】・・・・・(No.283)〔3/28〕
・①「痘瘡不快」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・②「下血危篤」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・③「酒痢便血」・・・・・・・・・「▲」〔経験良方〕
○○[葉]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.159)〕・
【附方】・・・・・(No.283)〔5/6〕
・①「虫癬」・・・・・・・・・・「衆妙」〔摂生衆妙方〕
・②「陰子偏墜」・・・・・・・・・「選奇」〔選奇方〕
・③「頭瘡生蛆」・・・・・・・・「怪證」〔小山怪證方〕
・④「湯火傷灼」・・・・・・・・・「海上」〔海上名方〕
・⑤「刀瘡神薬」・・・・・・・・・「集験」〔集験方〕
○○[藤根]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.160)〕・
【附方】・・・・・(No.283)〔1/7〕
・①「腰痛不止」・・・・・・・・「雑興」〔鄧筆峯雑興〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ-B.》▼
▼『本草綱目』巻二十八「菜部」・・・・・「菜之四」(水菜類)▼
・・・・・▼〔この節からの記載項目はない。〕・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ-C.》▼
▼『本草綱目』巻二十八「菜部」・・・・・「菜之五」(芝栭類)▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[木耳]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.181)〕・
【附方】・・・・・(No.283)〔2/6〕
・①「眼流冷涙」・・・・・・・・・「▲」〔恵済方〕
・②「一切牙痛」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○○[楡耳]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.189)〕・
【附方】・・・・・(No.283)〔1/1〕
・①「服食法」・・・・・・・・・・「――」
●【考察2】●
・いくつか「出典」不記載のところもあるが、その他は原文どおり
の記載である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ.》▼
▼『本草綱目』巻二十九「果部」・・・・「果之一」(五果類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[李]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.209)〕・
○○[花]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.214)〕・
【附方】・・・・・(No.283)〔1/1〕
・①「面黒粉滓」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[杏]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.215)〕・
○○[核仁]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.218)〕・
【附方】・・・・・(No.284)〔7/53〕
・①「身面疣目」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「面上皯皰」・・・・・・・・・「食療」〔孟詵食療〕
・③「耳出濃汁」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・④「鼻中生瘡」・・・・・・・・・「千金」
・⑤「小児臍爛」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・⑥「解狼犬毒」・・・・・・・・・「千金」
・⑦「白癜風斑」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
○○[花]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.231)〕・
【附方】・・・・・(No.284)〔1/2〕
・①「粉滓面●〔黑ヘンに干〕」・・・・「聖済」〔聖済総録〕
○[桃]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.245)〕・
○○[核仁]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.249)〕・
【附方】・・・・・(No.284)〔5/31〕
・①「産後陰腫」・・・・・・・・・「――」
・②「婦人陰癢」・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・③「男子陰腫」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・④「小児卵㿗」・・・・・・・・・「外台」
・⑤「唇乾裂痛」・・・・・・・・・「海上」
○○[桃梟]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.255)〕・
【附方】・・・・・(No.284)〔1/8〕
・①「五種瘧疾」・・・・・・・「王隠」〔王隠君養生主論〕
○○[花]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.257)〕・
【附方】・・・・・(No.284)〔2/16〕
・①「面上粉刺」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「令面光華」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
○[棗]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.279)〕・
○○[根]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.291)〕・
【附方】・・・・・(No.284)〔1/1〕
・①「令髪易長」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
●【考察3】●
・原文どおりの記載である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅳ.》▼
▼『本草綱目』巻三十「果部」・・・・・「果之二」(山果類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[梨]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.295)〕・
○○[実]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.298)〕・
【附方】・・・・・(No.284)〔1/9〕
・①「反胃転食」・・・・・・・・・「――」〔総録〕
○[木瓜]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.310)〕・
○○[実]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.313)〕・
【附方】・・・・・(No.284~285)〔4/12〕
・①「臍下絞痛」・・・・・・・・・「食療」
・②「小児洞痢」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「髪稿〔槁〕不澤」・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「辟除壁虱」・・・・・・・・・「臞仙」〔臞仙神隠〕
○[山樝]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.325)〕・
○○[実]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.328)〕・
【附方】・・・・・(No.285)〔3/6〕
・①「痘疹不快」・・・・・・・・「危氏」〔危氏得效方〕
・②「痘瘡乾黒」・・・・・・・・・「全幼」〔全幼心鑑〕
・③「食肉不消」・・・・・・・・・「――」〔簡便方〕
○[柹]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.339)〕・
○○[白柹・柹霜]・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.342)〕・
【附方】・・・・・(No.285)〔3/14〕
・①「婦人蒜髪」・・・・・・・・・「普済」
・②「臁脛爛〔瘡〕」・・・・・・・「雑興」〔筆峯雑興〕
・③「解桐油毒」・・・・・・・・・「普済」
○○[柹蔕]・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.346)〕・
【附方】・・・・・(No.285)〔1/1〕
・①「欬逆不止」・・・・・・「済生」「潔古」「三因」など
○[安石榴]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.352)〕・
○○[酸石榴]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.355)〕・
【附方】・・・・・(No.285)〔1/5〕
・①「腸滑久痢」・・・・・・・・・「――」
○[橘]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.360)〕・
○○[黄橘皮]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.365)〕・
【附方】・・・・・(No.285~286)〔7/28〕
・①「寛中丸」・・・・・・・・「指迷」〔是齊指迷方〕
・②「霍乱吐瀉」・・・・・・・「百一選方」「聖恵〔方〕」
・③「卒然失声」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・④「途中心痛」・・・・・・・・・「談埜」〔談埜翁方〕
・⑤「食魚蟹毒」・・・・・・・・・「肘后」[肘後〔方〕]
・⑥「婦人乳癰」・・・・・・・・・「張氏」〔張氏方〕
・⑦「嵌甲作痛」・・・・・・・・・「医林」〔医林集要〕
○○[青橘皮]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.373)〕・
【附方】・・・・・(No.286)〔3/9〕
・①「婦人乳嵓」・・・・・・・・・「丹溪」〔丹溪方〕
・②「聤耳出汁」・・・・・・・・・「――」
・③「唇燥生瘡」・・・・・・・・・「――」
○○[橘核]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.376)〕・
【附方】・・・・・(No.286)〔1/1〕
・①「腰痛」・・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
○[枇杷]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.393)〕・
○○[葉]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.395)〕・
【附方】・・・・・(No.286)〔4/7〕
・①「酒●〔ヤマイダレに査〕赤鼻」・・・「本事」
・②「面上風瘡」・・・・・・・・・・・・「本事」
・③「痔瘡腫痛」・・・・・・・・・・「集要」
・④「痘瘡潰爛」・・・・・・・・・・「摘玄」
○[胡桃]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.412)〕・
○○[核仁]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.413)〕・
【附方】・・・・・(No.286)〔5/33〕
・①「久嗽不止」・・・・・・・・・「蕭大尹方」
・②「食酸歯●〔齒ヘンに楚〕」・・・「日華」〔日華本草〕
・③「誤呑銅銭」・・・・・・・・・「李樓」〔李樓方〕
・④「揩歯烏髪」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑤「火焼成瘡」・・・・・・・・・「――」
○○[胡桃青皮]・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.422)〕・
【附方】・・・・・(No.286)〔2/4〕
・①「烏鬚髪」・・・・・・・・・・「――」
▼・後半にある「総録」からの文が省略されている。
・②「白癜風」・・・・・・・・・・「――」
○[槲実]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.436)〕・
○○[木皮]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.439)〕・
【附方】・・・・・(No.286)〔1/9〕
・①「肘骨疽瘡」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
●【考察4】●
・一部に省略がみられるが、その他は原文どおりの記載である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅴ-A.》▼
▼『本草綱目』巻三十一「果部」・・・・「果之三」(夷果類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[荔枝]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.441)〕・
○○[実]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.446)〕・
【附方】・・・・・(No.286~287)〔2/6〕
・①「痘瘡不発」・・・・・・・「痘疹」〔聞人規痘疹論〕
・②「呃逆不止」・・・・・・・「摘要」〔楊拱医方摘要〕
○[龍眼]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.450)〕・
○○[実]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.452)〕・
【附方】・・・・・(No.287)〔1/1〕
・①「帰脾湯」・・・・・・・・・・「済生」〔済生方〕
○[橄欖]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.455)〕・
○○[核]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.460)〕・
【附方】・・・・・(No.287)〔2/3〕
・①「陰腎㿗腫」・・・・・・・・・「――」
・②「耳足凍瘡」・・・・・・・・・「乾坤」〔乾坤生意〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼▼▼この項は、「●【No.299】●」へと続く。▼▼▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・以下の処方群は、『本草綱目』からの記載ではないようである。
▼▼▼・・・●【No.287】●~●【No.299】●・・・・・・・・・
・・・▼・「『本草綱目』以外からの記載処方」・▼・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼・・・●【No.287】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「禿雞丸」(九味)・・・・・・・・・「松岑集」
・「治男婦諸虚百損」
・「又方」(十味)・・・・・・・・・・「松岑集」
・「泰丘師方也」「主治補心脾腎、一切虚弱者也。」
・「由之名人参三臓圓也」
・②「癭瘤之方」・・・・・・・・「松岑集」
・「海藻散坐〔堅〕丸」(四味)・・・・・「外科枢要」(薛己著)
・「治肝経癭瘤」・・・・・・『外科枢要』(巻四)にあり。
・③「松岑集 痘不起脹者虚也・・・保元湯方」・・・「松岑集」
・「保元湯」(四味)・・・『重訂古今方彙』(甲賀通元)の
「痘瘡」の項にあり。
・④「松岑集 防儉餅」(四味)
・⑤「古今医鑑 白雪糕方」(六味)・・・・「古今医鑑」
・「調脾徢胃固本還元」
・⑥「粒甲丹」(八味+三味)・・・「勢州俗家之方也」
・「昼夜不寐者」
●【考察5】●
・「松岑集」については、不明である。
▼・・・●【No.288】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「朱子読書丸」(七味)
・「読昼日記万千言」
・「朱子読書丸」は、『医学入門』(巻六)【雑病用・・】の項の
「虚」のところに見られるが、こことは薬物に少しく異動が
みられる。
・②「孔子大聖沈中方」(三〔四〕味)・・・「▲」〔万病回春〕
・「孔子大聖沈中方」(四味)は、『万病回春』(巻四)【健忘】の
項にあるが、ここでは「遠志」が欠落しており、「三味」であ
る。
・③「黒錫丹」(九味)・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・出典は『和剤局方』とあるが、「三因方」からの記載もあるの
で直接『和剤局方』(十二味)から記載したのではなく、他書
からの孫引きであろうと思われる。
・④「延齢丹」(十四味)・・・・・・・「▲」
・「治眩暈悶絶顛倒霍乱転筋・・・」
・⑤「一粒金丹」(五味)・・・・・・・「▲」〔医学入門〕
・「治五労七傷男女諸般労・・・」
・上記の文は、『医学入門』(巻六)の【内傷】の項からの記載
である。
・末尾に小文字で「一方 有紫何〔河〕車」とあるが、この文は、
真斎によるものと思われる。
・⑥「獺肝丸」(八味)・・・・・・・「▲」
・「治骨蒸伝屍・・・」
○・「一方」(四味)・・・・・・・「▲」
・⑦「六味地黄丸」・・・・・・・・「▲」〔万病回春〕
・「医貫云 治傷寒口渇者」
・「六味地黄丸」の処方は、『万病回春』(巻四)【虚労】の項に
ある。
・⑧「補中益気湯」〔八味〕・・・・・・〔万病回春〕
・「丹溪云 下後譫語・・・」
・「補中益気湯」の処方は、『万病回春』(巻二)の【内傷】の
項にある。
・「補中益気湯」の処方は、『真斎方記』にも見られるが、ここ
での記載とは異なっている。
●【考察6】●
・「出典」の不記載が多くみられる。
▼・・・●【No.289】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「桔梗枳殻湯」(三味)・・・・・「活人」〔活人事証方〕
・「要訣云 欲用大陥湯・・・」
・②「清上梅蘇丸」(三味)・・・・・「寿世」〔寿世保元〕
・「清上焦熱潤肺・・・」
・③「治黄胖 一方」(三味)・・・・・「▲」
・④「脾労丸」(三味+平胃散)・・・・「▲」
・「治脾労黄胖」
・⑤「黄胖丸」(四味)・・・・・「▲」
・「治黄胖」
・⑥「一方」(四味)・・・・・・「▲」
・「黄疸動悸」「東洞方 有大黄」
・⑦「一方」(一味)・・・・・・「▲」
・「傷寒熱甚吐而飲食水薬共不容者」
・⑧「一方」(一味)・・・・・・「▲」
・「傷寒初発邪至劇者」
○・「或云 傷寒余熱未除者主方」
・⑨「敷薬 治禁口痢」
・⑩「治疫痢」(香蘇散+五味)
・⑪「一方 治久瀉不止」
・⑫「寿世保元云 治小児泄瀉不止・・」・・・「寿世保元」
・『寿世保元』(巻八)【吐瀉】の項の処方「金棗丸」の付論三か
ら全文を記載しているものである。
・⑬「赤水玄珠云 熱痰喘嗽、火迫肺者〔金〕。・・「赤水玄珠」
白虎湯〔加〕瓜蔞仁・枳実・黄金、〔神效〕」
・『赤水玄珠』(巻七)【喘門】の項の「雑方」中の「加味白虎湯」
からの記載である。
・⑭「医学綱目云 多年咳嗽肺痿喀血紅丹者・・」・・「医学綱目」
●【考察7】●
・「出典」の不記載が多くみられる。
▼・・・●【No.290】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「金竜丹」(六味)・・・・・・「▲」
・②「梹榔黒豆湯」(六味)・・・・・・「▲」
・③「雞卵酒」・・・・・・・・・・「▲」
・④「参花散」(二味)・・・・・・「▲」
・末尾に「博案 此人参当用三七根」との、真斎の按文がある。
・⑤「浴方」(四味)・・・・・・「▲」
・⑥「蠲痺湯」(六味)・・・・・・「済生」
・⑦「金屑丸」(四味)・・・・・・「▲」
・⑧「一方」・・・・・・・・・・「▲」
・⑨「蘭方」(二味)・・・・・・・「▲」
・⑩「又方」・・・・・・・・・・「▲」
・⑪「百一選方云 治衂血」・・・「百一選方」
・⑫「四物湯 治久年不愈下血者」
・⑬「順和散 下血」(二味)・・・・・・「▲」
・⑭「本事方 治腸風下血」・・・・「本事方」
●【考察8】●
・「出典」の不記載が多くみられる。
▼・・・●【No.291】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「野間方 下血腸熱也・・・」
・②「四麿丸」(四味)・・・・・・「▲」〔厳氏済生方〕
・「治上気喘急妨悶不食」
・上記「主治文、薬物」とも、『厳氏済生方』(巻二)【喘論治】
の項の処方「四麿湯」に一致している。ただし、主治文の一部
が省略されている。
・③「生地黄丸」(五味)・・・・・・「▲」
・④「白薇湯」(四味)・・・・・・「得効」〔得効方〕
・「白薇湯」(四味)は、『医学入門』(巻七)の【婦人用・・】の
項にも見られるが、こことは「主治文」が異なっている。
・⑤「一方 下蚘虫」
・⑥「下瘵虫方」(四味)・・・・・・「▲」
・⑦「一方 治小児虫症」(二味)
・⑧「一郎二子散 治諸虫」(三味)
・⑨「頭風神方」(十一味)・・・・・〔先醒斎医学広筆記〕
・「頭風神方」は、「PHN」35号(2018年11月)の「(No.96)」
にすでに記載されている。
・『先醒斎医学広筆記』(巻三)「雑症」【脳漏】の項からの記載で
ある。主治文がないのも原文どおりである。
・『観聚方要補』(文政版・安政版)にも主治文の記載はない。
・ここでは、最初に書かれている薬物名が原文および「(No.96)」
の「土茯苓」ではなく、「萆薢(ひかい)」〔ヤマノイモ科の多
年草であるトコロ(オニドコロ)の根茎〕となっている。
ともに利尿・解毒剤である。
・⑩「琥珀円」(七味)・・・・・・「▲」
▼・末尾に「博案ルニ、此方 琥珀ナシ。琥珀錠ト同効ナル故ニ
名クル乎」との、真斎の按文がある。
・⑪「赤丸 婦人血瘕痼癖積・・」(三味)・・・・「▲」
・⑫「補天丸 一〔名〕海狗腎丸」・・・・・「松前家秘方」
・「海狗腎」とは、オットセイの陰茎。
●【考察9】●
・「出典」の不記載が多くみられる。
・「琥珀円」には、真斎の按文がある。
▼・・・●【No.292】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「加味八味丸」
・②「霊骨散 治労瘵」
・③「返本丸 治脾腎及諸虚損」(四味)・・・・「▲」〔医学入門〕
・『医学入門』(巻六)【雑病用・・】の「虚」の項からの記載で
ある。
・④「古今医鑑云 一婦人虚労発熱盗汗咳嗽・・・」
・⑤「療瘵湯」(六味)・・・・・・・・「辨正」
・⑥「凉髄丹」(六味)・・・・・・・・「辨正」
・⑦「小柴胡湯 治汗下後盗汗者」・・・「医通」
・⑧「龍膽瀉汗湯 治湿熱陰嚢常自汗者」・・・「医通」
・⑨「張氏医通云 頭汗出到頭而・・」・・・「医通」
・⑩「一方 陰嚢湿汗者」
・⑪「牡蠣湯 治小児盗汗」(三味)・・・・「▲」
・⑫「一方 肺癰咳唾膿血脉動数者」(十味)
・「野間云 治肺痿症・・・」
●【考察10】●
・「辨正」については、不明である。
▼・・・●【No.293】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「一方 治淋疼痛甚者」(二味)・・・「三因」〔三因方〕
・②「防風羗活湯」(八味)
・「眉稜骨痛而風寒痰温者」
・③「治平素有頭痛癖者」(二味)
・④「厚朴温中湯」(七味)・・・・・・「辨惑」〔辨惑論〕
・『辨惑論』(巻中)「肺之脾胃虚方」の項からの記載である。
・⑤「大全良方云 治妊娠腰痛者」・・・「〔婦人〕大全良方」
・『婦人大全良方』(巻十二)「妊娠腰痛・・第十四」の「紫酒」
からの記載である。
・⑥「百一選方 治腰痛」(三味)・・・・・「百一選方」
・⑦「一方 治白屑極多」
・⑧「治面上雀斑方」(三味)
・⑨「物理小識曰 黒髪油方」・・・・・・・・「物理小識」
・『物理小識』(方以智著)(巻五、医薬類・下、薬)の「黒髪油」
から、その全文を記載している。
・『物理小識』では、「茶子油」以降の文字がすべて小文字文であ
る。「又兆交曰」の原文は、「兆兗曰」である。末尾の「本草未
載」も原文のもので、小文字文である。
・三浦梅園が、『物理小識』から大きな影響を受けたことは、よ
く知られているが、真斎が『物理小識』を読んでいることは特
筆してよい。
・⑩「四物竜旦湯」(七味)
・「治目痛暴作翳雲疼不可忍」
・⑪「本事方 取牙落不犯手」
・⑫「長春穿牙散」(十二味)・・・・・「医通」〔張氏医通〕
・『張氏医通』(巻十五)の【歯門】の項からの記載である。
・原文は、「烏鬚髪。去牙風除口気。」であるが、ここでは「烏鬚
髪」の文が「口気」の後に記載されている。
●【考察11】●
・真斎が方以智の『物理小識』を読んでいたことは注目してよい。
▼・・・●【No.294】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「五香丸」(十味)・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・『千金方』(巻六・上)の【口病第三】の項からの記載である。
ただし、原文には、「零陵香」があり、「十一味」である。
・②「治産後熱毒口中腐爛不得食者」(三味)
・末尾の小文字文、「初惨痛不可忍者二三次効奇々妙々也」は、
おそらく真斎によるものであろう。
・③「香茶餅」(三味)・・・・・・・・・「古今医鑑」
・④「治痔疼痛甚難堪方」(三味)
・⑤「又方 内痔有下血者」
・⑥「治脹痔下血如注水方」・・・「原出:蘇沈良方」
・⑦「良姜円 治脱肛」(六味)
○「一方」
・⑧「医塁元戎云 血気枯渋大便秘結不通者」・・「医塁元戎」
・⑨「治老幼秘結方 心煩者」(三味)
・⑩「治中風初発者 奇方・・・」(五味)
・⑪「痿躄加味四物湯」(本方加五味)・・・「正伝」〔医学正伝〕
・⑫「安神散」(五味)・・・・・・・・・「寿世」〔寿世保元〕
・『寿世保元』(巻七)【婦人雑病】の項の「安神散」の「主治文」
からの記載である。なお、末尾の一文は省略されている。
▼・・・●【No.295】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「一方 治狐託人如狂乱者」(三味)
・②「沐浴方 令人香肌膚去風癬」(十四味)
・③「括蔞仁湯」(七味)
・「治乳風腫痛」
・④「一方 東洋」
・「治乳岩潰爛精神日衰」
・⑤「吉祥円」(十一味)
・「積年不孕者」
・⑥「丹臺玉案云 治産後陰戸及子宮脱下不収」・・・「丹臺玉案」
・⑦「竜王湯」(十四味)
・「治産前後諸症脱血多者禁用」
・⑧「急驚風 加減凉膈散 本方」・・・「活幼」〔活幼心書〕
・⑨「異方 銀白散 治慢驚風・・・」(十二味)
・⑩「龍虎円」(九味)・・・・・・「岡田家方」
・⑪「牛黄真珠龍虎円、木下龍虎円ト云」(十味)
▼・・・●【No.296】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「保童円 治五疳」(五味)
○「加減方」(十味)
○「又方」(六味)
・②「直指方云 欲発痘瘡麻疹最妙」
・「古今医鑑・・」
・③「銭氏云 痘・・・」〔銭乙の著作には『小児薬証直訣』がある。〕
○「一方・・」
・④「灸方」
・⑤「蟻入耳用・・」
・⑥「治瘭疽方」
・⑦「治同前 一切指腫方」
・⑧「治同前 疼痛不可忍方」
○「又方」
・⑨「肉流散」(三味)・・・・・「撮要」
・「去一切弩肉・・」
⑩「豕椒散」(七味)・・・・・・「撮要」
・「一切腫毒痛者皆能消散」
▼・・・●【No.297】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「抜疔毒方」
・②「蒼耳散」
・「疔瘡根脚自然抜出消散・・」
・③「山錫杖湯」(五味)
・「治馬刀癧・・・」
・④「頭風神方」(十一味)
・「治瘡毒上攻・・・」
・⑤「治下疳腐爛方」(三味)
・⑥「浮萍湯」(十味)
・「楊梅瘡初発・・」
○「依此方 博〔真斎〕製」(九味)
・「此方粉毒上攻用之奏奇効、頭痛甚者加辛夷」
▼・これは、真斎が作製したオリジナルの処方である。
・⑦「治鉄棘竹木諸刺肉中不出・・・」
・⑧「菎麻●〔サンズイに厄〕」(二味)・・「撮要」
・「竹木刺入肉中不抜者」
・⑨「抜尖散」「又方」・・・・・・・「撮要」
●【考察12】●
・真斎が作製したオリジナルの処方が記載されている。
▼・・・●【No.298】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「百一選方云 治竹木鉄針入肉中・・」・・・・「百一選方」
○「又五加木茎葉・・」
・②「種杏仙方云 治金瘡血不止・・」・・・・「種杏仙方」
○「出不止者」
・③「治諸血症方」
・④「白薬散」・・・・・・「撮要」
・「止痛消腫消散瘀血」
・⑤「鈆華散」(三味)・・・・・・「撮要」
・「接骨続筋活血止痛」
・⑥「湯溌火焼」
○「又方」 ○「又方」 ○「又」 ○「一方」
・⑦「治陰嚢湿痒」(四味)
・⑧「治虱方」
・⑨「海上方 治蛇咬」
・⑩「治誤呑銅鉄或金銀等物不能化者」
・⑪「救凍死方」
▼・・・●【No.299】●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・①「救喝死方」
・②「救諸絶方」
・③「透頂香」(五味)
・④「又方」(八味)
・⑤「衣香」(俗方)(九味)
・⑥「令髪不落」(三味)・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○「由之予〔真斎〕製一方」(八味)
▼・真斎が作製したオリジナルの処方である。
●【考察13】●
・真斎が作製したオリジナルの処方がある。
▲▲▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅴ-B.》▼・「前出《Ⅴ-A.》からの続き」(No.299~303)▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼『本草綱目』巻三十一「果部」・・・・「果之三」(夷果類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[榧実]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.468)〕・
○○[柀子]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.472)〕・
【附方】・・・・・(No.299)〔1/6〕
・①「寸白虫」・・・・・・・・・【詵曰】、「外台秘要」
○[海松子]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.473)〕・
○○[仁]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.475)〕・
【附方】・・・・・(No.299)〔2/4〕
・①「肺燥欬嗽」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・②「大便虚秘」・・・・・・・・・「宗奭」〔寇宗奭〕
○[檳榔]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.477)〕・
○○[檳榔子]・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.482)〕・
【附方】・・・・・(No.299~300)〔10/27〕
・①「痰涎為害」・・・・・・・・・「御薬院方」
・②「嘔吐痰水」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「醋心吐水」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・④「傷寒痞満」・・・・・・・・・「宣明」〔宣明方〕
・⑤「傷寒結胸」・・・・・・・・・「龐安時傷寒論」
・⑥「蚘厥腹痛」・・・・・・・・・「龐安時傷寒論」
・⑦「血淋作痛」・・・・・・・・・「――」
・⑧「虫痔裏急」・・・・・・・・・「――」
・⑨「寸白虫病」・・・・・・・・・「千金」
・⑩「口吻生瘡」・・・・・・・・・「――」
○[大腹子]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.488)〕・
○○[大腹皮]・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.490)〕・
【附方】・・・・・(No.300)〔2/2〕
・①「漏瘡悪穢」・・・・・・・・・「直指」
・②「烏癩風瘡」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
●【考察14】●
・ここから、再び『本草綱目』からの記載に戻っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅵ.》▼
▼『本草綱目』巻三十二「果部」・・・・・「果之四」(味類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[秦椒]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.527)〕・
【附方】・・・・・(No.300)〔1/6〕
・①「手足心腫」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
○[蜀椒]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.531)〕・
○○[椒紅]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.533)〕・
【附方】・・・・・(No.300)〔5/35〕
・①「頭上白禿」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「婦人禿鬢」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「百虫入耳」・・・・・・・・・「危氏」〔危氏方〕
・④「蛇入人口」・・・・・・・・・「聖恵」
・⑤「腎風嚢痒」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
○○[椒目]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.541)〕・
【附方】・・・・・(No.300)〔2/5〕
・①「痔漏腫痛」・・・・・・・・・「海上」〔海上方〕
・②「眼生黒花」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
○[胡椒]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.547)〕・
【附方】・・・・・(No.301)〔6/23〕
・①「心下大痛」・・・・・・・・・「――」
▼・「寿域方・・」「又方用椒・・」「又方胡椒・・」の三つの文
の中から、最後の「又方胡椒・・」のみを記載している。
・②「霍乱吐利」・・・・・・・・・「――」
・ここでは「孫真人・・」「直指方・・」の全文を記載している。
・③「大小便閉」・・・・・・・・・「総録」
・④「阿伽陀〔陁〕丸」・・・・・・「――」
・⑤「沙石淋痛」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑥「蜈蚣咬傷」・・・・・・・・・「多能」〔多能鄙事〕
○[畢澄茄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.554)〕・
【附方】・・・・・(No.301)〔1/6〕
・①「痘瘡入目」・・・・・・・・・「飛鴻集」
○[呉茱萸]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.556)〕・
【附方】・・・・・(No.301~302)〔12/46〕
・①「風●〔ヤマイダレに君、下に巾〕痒痺」・・・・・・
・・・・・・・・・「食療」〔孟詵食療〕
・②「頭風作痛」・・・・・・・・・「千金翼方」
・③「嘔涎頭痛」・・・・・・・・・「仲景」〔仲景方〕
・④「寒疝往来」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑤「陰毒傷寒」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・『本草綱目』では、⑤、④の順番である。
・⑥「小腸疝気」・・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・⑦「婦人陰寒」・・・・・・・・・「経心録」
・⑧「霍乱乾嘔」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・⑨「多年脾泄」・・・・・・・・「仁存」〔孫氏仁存方〕
・⑩「産後盗汗」・・・・・・・・・「千翼」[千金翼〔方〕]
・⑪「口瘡口疳」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑫「魚骨入腹」・・・・・・・・・〔孟詵食療〕
・出典のところに「兵部」とあるのは、転記ミスである。
○[茗]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.579)〕・
○○[葉]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.586)〕・
【附方】・・・・・(No.302)〔6/19〕
・①「熱毒下痢」・・・・・・・・・「――」
▼・最初の文「孟詵曰・・」のみを記載し、「直指・・」「経験良
方・・」「一方・・」「一方・・」の四つの文を省略している。
・②「解諸中毒」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・③「痘瘡作痒」・・・・・・・・・「――」
・④「陰嚢生瘡」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・⑤「風痰顚疾」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・⑥「月水不通」・・・・・・・・・「鮑氏」
○○[茶子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第八冊、p.593)〕・
【附方】・・・・・(No.302~303)〔2/3〕
・①「上気喘急」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「頭脳鳴響」・・・・・・・・・「摘要」〔医方摘要〕
●【考察15】●
・長文で、かつ複数の出典のある処方で、省略がある。
◎・むすび・◎
このたび、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方が、『本草綱目』の各薬物の【附方】からの記載であることが判明したことにより、『真斎聚方』の全体的構成が、ここに初めて明らかになった。
そして、すでに述べたように、真斎は、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方を、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から、基本的に「原文」そのままの内容で記載している。
それは、これまでの真斎の「筆写・抄出方法」を踏襲しているものである、と言えるであろう。
各処方の抄出については、真斎の臨床家としての必要性から選ばれたものと思われる。
『真斎聚方』「本草之部 附方」もまた、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から臨床的に参考となる処方群を抄出して、臨床研究に役立てるということが目標であった。その「按文」の一つひとつの内容が、それを物語っている。
いずれにしても、『本草綱目』の各薬物の【附方】を、これほど多く記載した真斎の研究態度には、感服せざるを得ない。
以上は、「第1回目の考証」における「むすび」であり、私はこの時点で『真斎聚方』「本草之部 附方」の全体的な評価を急ぐ必要はないと思う。その全体的な評価は、今後、さらなる「考証と考察」を進めてからでも十分であろう。
上記の「むすび」については、今回の「第6回目の考証」においても基本的に変わりはないと言えるであろう。
ただし、今回の分には、途中〔No.287~299〕に『本草綱目』以外の書物からの記載が挿入されていることが判明した。
この部分の記載については、「本草之部 附方」の前ある各医書からの処方群の記載と比較すると、「出典」の記載のないものも多く、その記載の仕方には統一性がなく、かなり雑然としているように思われる。急な必要性から、思い立って記載したものなのであろうか。
その他については、各項の【考察】において述べたとおりである。
〔2019年6月30日、PHN(思想・人間・自然)、第41号、PHNの会発行〕
〔2019年6月30日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』における
「本草之部 附方」の処方群〔【X】=No.210~333〕は、
『本草綱目』の【附方】からの記載であることの考証、
および『真斎聚方』の全体的な構成について
――【X-5】『真斎聚方』〔No.266~281〕
〔『本草綱目』巻二十二〔穀部〕~巻二十六〔菜部〕〕
――さらに、真斎の「筆写・抄出方法」から
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との
内容的同一性について考える
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」35号に引き続いて、No.115以降の処方群と、それらに関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群についての考証と考察を進める予定であったが、今回は、急遽予定を変更して、『真斎聚方』の「最終見出し」であるところの「本草之部 附方」〔No.210~333〕についての考証と考察を行うことにした。
「本草之部 附方」は、それまでの記述とは、大きく異なっており、その「出典」書目数も膨大であり、何による記載であるのかが、これまで不明であった。それは、『真斎聚方』における「最後の難関」と思われた。
しかし、実際に調査をしてみると、この問題は、意外にもすぐさま解決したのである。すなわち、「本草之部 附方」は、『本草綱目』の【附方】などからの記載であることが、このたび明らかとなった。
『本草綱目』は、各薬物などを、
【釈名】【集解】【正誤】【修治】【気味】【主治】【発明】【附方】
の八項目にわけて記述している。
真斎は、最後の【附方】の処方群の中からを選んで記載していることが明らかになった。一部には、【発明】や【修治】の項目からも記載しているところもある。
『真斎聚方』「本草之部 附方」には、『本草綱目』の書名も、処方のある巻数や「薬物名」などの項目も記されていない。したがって、本稿では【附方】などのある『本草綱目』の巻数や分類項目、さらには「薬物名」などをも示して、『真斎聚方』「本草之部 附方」の内容構成が明確となるように記述することとした。
今回は、その第5回目であり、【X-5】『真斎聚方』〔No.266~281〕まで、すなわち、『本草綱目』の巻二十二〔穀部〕~二十六〔菜部〕に相当する部分である。
◎・『真斎聚方』の全体的構成について・◎
このたび、「本草之部 附方」の「出典」が判明したことにより、『真斎聚方』の全体的な構成を、次のように把握することができるようになった。
▼〔第一部〕・・・『真斎聚方』・「第一編」▼
・『真斎聚方』〔No.1~36〕
・この巻頭部分は、『類聚方集覧』などから記載によるものであり、
おもに『真斎方記』へと増補されるところのものである。
〔『PHN』32号(2018年8月号)を参照〕
▼〔第二部〕・・・『真斎聚方』・「第二編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.37~115〕+〔「B」=No.116~209〕
・次は、各医書群と『名家方選』三部作からの処方群である。
〔「A」については、『PHN』33号(2018年9月号)~35号
(2018年11月号)を参照。〕
〔「B」については、今後、考証の予定であるが、その一部であ
る安藤昌益と山脇東洋の処方群については、『PHN』30号
(2018年4月号)・31号(2018年5月号)を参照のこと。〕
・この「第二編」については、考証をさらに進めた上で、その
構成について再考する予定である。
▼〔第三部〕・・・『真斎聚方』・「第三編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.210~281〕+〔「B」=No.281~333〕・
・『真斎聚方』の「第三編」と言える「本草之部 附方」は、この
たび『本草綱目』【附方】などからの記載であることが明らかに
なったのである。
・『真斎聚方』の「本草之部 附方」は、分量的には、『真斎聚方』
の中の三分の一を超えており、上記の「第一編」と「第二編」
を合わせて、仮に『真斎聚方』の「前編」とすれば、明らかに
『真斎聚方』の「後編」と呼んでよいものである。
〔「A」については、『PHN』36号(2019年1月号)~『PHN』
40号(2019年5月号)を参照のこと〕
〔「B」については、今後、考証の予定である。〕
●・【出典】の考証のための文献一覧・●
・『新註校定・国譯本草綱目』(第七冊)〔穀部・菜部〕
(昭和50年4月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第七冊)と略記する。〕
・〔明〕李時珍『本草綱目』(全二冊)
(1986年5月、商務印書館香港分館刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(上巻、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠共纂)
(大正四年十月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(下巻ノ一、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠
共纂)
(大正五年十一月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
▼凡例▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・。。。。。〔『本草綱目』の薬物名〕
【附方】・・・・・(No.210)。。。。。〔『真斎聚方』における№〕
〔1/5〕。。。〔『本草綱目』の5処方の内の1処方を記載〕
・「軽粉破口」・・・・・。。。。。「外台」〔A〕 〔外台秘要〕〔B〕
〔A〕=『真斎聚方』における略書名。
〔B〕=『本草綱目』を参照したわかりやすい書名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・「▲」は、『真斎聚方』に出典が欠落しているもの。
・「――」は、『本草綱目』に出典の記載なきもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・『真斎聚方』「本草之部 附方」の処方群の「出典」
である『本草綱目』【附方】との考証と考察・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ.》▼
▼『本草綱目』巻二十二「穀部」・・・「穀之一」(麻麦稲類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[胡麻]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.1)〕・
○○[白油麻]・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.9)〕・
【附方】・・・・・(No.266)〔5/31〕
・①「熱淋茎痛」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「頭面諸瘡」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・③「小児瘰癧」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・④「婦人乳少」・・・・・・・・・「唐氏」
・⑤「湯火傷灼」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○○[胡麻油(香油)]・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.15)〕・
【附方】・・・・・(No.266~267)〔10/36〕
・①「解河豚毒」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・②「解砒石毒」・・・・・・・・・「衛生」〔衛生方〕
・③「大風熱疾」・・・・・・・・・「図経」
・④「髪落不生」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑤「令髪長黒」・・・・・・・・・「普済」
・⑥「滴耳治聾」・・・・・・・・・「総録」
・⑦「蚰蜒入耳」・・・・・・・・・「図経」
・「李元淳尚書・・」の文が省略されている。症例文のためであ
ろう。
・⑧「蜘蛛咬毒」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑨「冬月唇裂」・・・・・・・・・「相感」〔相感志〕
・⑩「身面白癜」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[大麻]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.26)〕・
○○[麻蕢]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.31)〕・
【附方】・・・・・(No.267)〔1/1〕
・①「風顚百病」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[麻仁]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.32)〕・
【附方】・・・・・(No.267)〔3/38〕
・①「耐老益気」・・・・・・・・・「▲」〔薬性論〕
・②「産後秘塞」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・③「大風癩疾」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[小麦]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.41)〕・
○○[小麦]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.42)〕・
【附方】・・・・・(No.267~268)〔4/7〕
・①「消渇心煩」・・・・・・・・・「心鏡」
・②「老人五淋」・・・・・・・・・「奉親」〔奉親書〕
・③「項下癭気」・・・・・・・・・「小品」
・④「白癜風癬」・・・・・・・・「正伝」〔医学正伝〕
○○[麦麩]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.45)〕・
【附方】・・・・・(No.268)〔1/7〕
・①「諸種瘢痕」・・・・・・・・・「総録」
○○[麪]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.46)〕・
【附方】・・・・・(No.268)〔9/28〕
・①「咽喉腫痛」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「婦人吹奶」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「乳癰不消」・・・・・・・・・「聖恵」
・④「折傷瘀損」・・・・・・・・・「――」
・末尾に「一説 以姜汁調傳之 以帋〔紙〕覆之 妙也」との、
真斎の按文がある。
・⑤「火燎成瘡」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑥「白禿頭瘡」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑦「小児口瘡」・・・・・・・・・「普済」
・⑧「婦人断産」・・・・・・・・・「――」
・⑨「瘭疽出汗」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[大麦]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.54)〕・
【附方】・・・・・(No.268)〔3/9〕
・①「麥芒入目」・・・・・・・・「孫真」〔孫真人方〕
・②「被傷腸出」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「卒患淋痛」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[蕎麦]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.63)〕・
【附方】・・・・・(No.268~269)〔13/16〕
・①「欬嗽上気」・・・・・・・・「儒門」〔儒門事親〕
・②「男子白濁」・・・・・・・・・「――」
・③「赤白帯下」・・・・・・・・・「――」
・④「癰疽発背」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・⑤「瘡頭黒凹」・・・・・・・・・・「直指」
・⑥「痘瘡潰爛」・・・・・・・・・・「痘疹」〔痘疹方〕
・⑦「湯火傷灼」・・・・・・・・・・「奇效」〔奇效方〕
・⑧「蛇盤瘰癧」・・・・・・・・・・「阮氏」〔阮氏方〕
・⑨「積聚敗血」・・・・・・・・・「多能」〔多能鄙事〕
・⑩「頭風風眼」・・・・・・・・・・「――」
・⑪「染髪令黒」・・・・・・・・・「普済」[普済〔方〕]
・⑫「絞腸沙痛」・・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・⑬「小腸疝気」・・・・・・・・・・「集效」〔集效方〕
○○[稭]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.68)〕・
【附方】・・・・・(No.269)〔1/2〕
・①「噎食」・・・・・・・・・・・・「海上」〔海上方〕
○[苦蕎麦]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.69)〕・
【附方】・・・・・(No.269)〔1/1〕
・①「明目枕」・・・・・・・・・・「雑興」〔鄧オ雑興〕
○[稲]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.70)〕・
○○[稲穣・稲稈]・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.78)〕・
【附方】・・・・・(No.269)〔1/9〕
・①「解砒石毒」・・・・・・・・・「摘要」〔医方摘要〕
○[粳]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.80)〕・
○○[浙二泔]・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.87)〕・
【附方】・・・・・(No.269)〔2/4〕
・①「鼻上酒●(ヤマイダレに査)」・・「要訣」〔証治要訣〕
・②「服薬過剤」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
●【考察1】●
一部が省略されている処方もあるが、その他は基本的に原文に忠実な記載である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ.》▼
▼『本草綱目』巻二十三「穀部」・・・「穀之二」(稷粟類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[稷]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.91)〕・
○○[稷米]・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.95)〕・
【附方】・・・・・(No.269)〔1/4〕
・①「辟除瘟疫」・・・・・・・・・「肘后」〔肘后方〕
○[黍]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.97)〕・
○○[丹黍米]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.102)〕・
【附方】・・・・・(No.270)〔3/4〕
・①「小児鵞口」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・②「飲酒不酔」・・・・・・・・・「萬畢」〔萬畢術方〕
・③「令婦不妬」・・・・・・・・・「萬畢」
○[粱]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.108)〕・
○○[青粱米]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.112)〕・
【附方】・・・・・(No.270)〔1/4〕
・①「一切毒薬」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○[粟]○・・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.114)〕・
○○[粟米]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.116)〕・
【附方】・・・・・(No.270)〔4/9〕
・①「小児重舌」・・・・・・・・・「秘録」〔秘録〕
・②「雑物眯目」・・・・・・・・・「総録」〔総録〕
・③「湯火傷灼」・・・・・・・・「纂要」〔崔行功纂要〕
・④「熊虎爪傷」・・・・・・・・・「葛氏」〔葛氏方〕
○[薏苡仁]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.136)〕・
○○[薏苡仁]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.138)〕・
【附方】・・・・・(No.270)〔1/14〕
・①「消渇飲水」・・・・・・・・・「――」
○○[根]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.143)〕・
【附方】・・・・・(No.270)〔3/4〕
・①「蛔虫心痛」・・・・・・・・・「梅師」
・②「経水不通」・・・・・・・・・「▲」〔海上方〕
・③「牙歯風痛」・・・・・・・・「延年」〔延年秘録〕
○[罌子粟]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.144)〕・
○○[殻]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.147)〕・
【附方】・・・・・(No.270)〔2/8〕
・①「久嗽不止」・・・・・・・・・「危氏」〔危氏方〕
・②「久欬虚嗽」・・・・・・・・・「宣明」〔宣明方〕
○[阿芙蓉]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.150)〕・
【附方】・・・・・(No.270~271)〔2/4〕
・①「赤白痢下」・・・・・・・・・「――」
・後半の「一方・・」の文に傍線を引き、強調している。
・②「一粒金丹」・・・・・・・「医鑑」〔龔雲林医鑑〕
・原文は長文であるにもかかわらず、すべてを記載している。
●【考察2】●
最後の長文の処方も、そのすべてを忠実に記載している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ.》▼
▼『本草綱目』巻二十四「穀部」・・・「穀之三」(菽豆類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[大豆]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.153)〕・
【附方】・・・・・(No.271~272)〔20/66〕
・①「卒然失音」・・・・・・・・・「――」
・出典として、「普済」とあるが、これは、この次にある処方「熱
毒攻眼」の出典である。
・②「卒風不語」・・・・・・・・・「肘后」〔肘后方〕
・③「喉痺不語」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・『本草綱目』では、②、③、①の順番である。
・④「卒然腰痛」・・・・・・・・・「延年」〔延年秘録〕
・⑤「脚気衝心」・・・・・・・・・「廣利」〔廣利方〕
・⑥「新久水腫」・・・・・・・・・「范汪」〔范汪方〕
・⑦「解礜砒毒」・・・・・・・・・「肘后」〔肘后方〕
・⑧「酒食諸毒」・・・・・・・・・「廣記」
・⑨「解諸魚毒」・・・・・・・・・「衛生」〔衛生方〕
・⑩「解巴豆毒」・・・・・・・・・「肘后」〔肘后方〕
・⑪「湯火灼傷」・・・・・・・・・「秘録」〔子母秘録〕
・⑫「折傷堕墜」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑬「豌瘡煩躁」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・⑭「痘瘡湿爛」・・・・・・・・・「――」
・⑮「小児頭瘡」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑯「染髪令烏」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑰「疫癘発腫」・・・・・・・・・「――」
・『本草綱目』では、⑦より二つ前にある処方である。
・⑱「辟禳時気」・・・・・・・・・「領要」
・⑲「胞衣不下」・・・・・・・・・「産書」
・『本草綱目』では、⑱の前にある処方である。
・⑳「肝虚目暗」・・・・・・・・・「龍木」〔龍木論〕
○○[豆葉]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.168)〕・
【附方】・・・・・(No.272)〔1/2〕
・①「小便血淋」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[赤小豆]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.172)〕・
【附方】・・・・・(No.272~273)〔10/37〕
・①〔「水気腫脹」〕・・・・・・・・「――」
・処方名「水気腫脹」が欠落している。
・最初の「頌曰・・」の文が省略されている。
・「韋宙独行方・・」「梅師・・」の二つの文は、そのままで記載
されている。
・②「水虫腹大」・・・・・・・・・「肘后」〔肘后方〕
・③「中酒嘔逆」・・・・・・・・・「食鑑」〔食鑑本草〕
・④「乳汁不通」・・・・・・・・・「産書」
・⑤「婦人乳腫」・・・・・・・・・「梅師」
・⑥「癰疽初作」・・・・・・・・・「小品」〔小品方〕
・⑦「石癰諸癰」・・・・・・・・・「范汪」〔范汪方〕
・⑧「痘後癰毒」・・・・・・・・・「――」
・⑨「顋頬熱腫」・・・・・・・・・「――」
・⑩「六畜肉毒」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○○[葉]・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.180)〕・
【附方】・・・・・(No.273)〔1/2〕
・①「小児遺尿」・・・・・・・・・「千金」
○[腐婢]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.181)〕・
【附方】・・・・・(No.273)〔2/2〕
・①「飲酒不酔」・・・・・・・・・「千金」
・②「疔瘡悪腫」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[緑豆]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.184)〕・
【附方】・・・・・(No.273)〔5/10〕
・①「消渇飲水」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「老人淋痛」・・・・・・・・・「養老」〔養老書〕
・③「心気疼痛」・・・・・・・・・「――」
・④「十種水気」・・・・・・・・「朱氏」〔朱氏集験方〕
・⑤「扁鵲三豆飲」・・・・・・・・「――」
・末尾にある「一方・・」の文も原文のものである。
・『本草綱目』では、⑤、②、①、③、④の順番である。
○○[緑豆粉]・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.188)〕・
【附方】・・・・・(No.273~274)〔6/12〕
・①「解焼酒毒」・・・・・・・・・「――」
・②「解鴆酒毒」・・・・・・・・・「――」
・③「解砒石毒」・・・・・・・・「易簡」〔衛生易簡〕
・④「解諸薬毒」・・・・・・・・「易簡」〔衛生易簡方〕
・⑤「打撲損傷」・・・・・・・・・「澹寮」〔澹寮方〕
・⑥「杖瘡疼痛」・・・・・・・・・「生々編」〔生生編〕
○[豌豆]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.195)〕・
【附方】・・・・・(No.274)〔1/3〕
・①「霍乱吐利」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[藊豆]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.202)〕・
○○[白扁豆]・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.204)〕・
【附方】・・・・・(No.274)〔7/9〕
・①「消渇飲水」・・・・・・・・・「仁存」〔仁存堂方〕
・②「毒薬堕胎」・・・・・・・・・「永類方」
・③「中砒霜毒」・・・・・・・・・「永類方」
・④「六畜肉毒」・・・・・・・・・「事林」〔事林廣記〕
・⑤「諸鳥肉毒」・・・・・・・・・「事林」
・⑥「悪瘡痂痒」・・・・・・・・・「肘后」〔肘后方〕
・⑦「赤白帯下」・・・・・・・・・「――」
・『本草綱目』では、②の前にある処方である。
●【考察3】●
処方の順番が入れ替わっているところが多い。処方名「水気腫脹」が欠落している。その他、一部の省略も見られる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅳ.》▼
▼『本草綱目』巻二十五「穀部」・・・「穀之四」(造醸類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[大豆鼓]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.213)〕・
【附方】・・・・・(No.274)〔1/49〕
・①「辟除温疫」・・・・・・・・・「梅師」
○[豆腐]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.224)〕・
【附方】・・・・・(No.274)〔1/4〕
・①「焼酒酔死」・・・・・・・・・「――」
○[陳●〔「疒」の中に「稟」〕米]○・・・・・
・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.226)〕・
【附方】・・・・・(No.274)〔1/5〕
・①「諸般積聚」・・・・・・・・「百一」〔百一選方〕
○[蒸餅]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.245)〕・
【附方】・・・・・(No.274)〔1/6〕
・①「湯火傷灼」・・・・・・・・・「肘后」〔肘后方〕
○[飴餹]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.262)〕・
【附方】・・・・・(No.274~275)〔6/11〕
・①「瘭疽毒瘡」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「誤呑稲芒」・・・・・・・・・〔簡便方〕
・「誤呑稲芒」とあるが、この解説文は、二つ後の「誤呑錢釵」
〔外台秘要〕のものである。単純な転記ミスであろう。
・③「服薬過剤」・・・・・・・・・「千金」
・④「草烏頭毒」・・・・・・・・・「総録」
・⑤「手足●〔疒の中に咼〕瘡」・・・・「千金」
・⑥「火焼成瘡」・・・・・・・・・「小品」〔小品方〕
○[醤]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.267)〕・
【附方】・・・・・(No.275)〔1/6〕
・①「解軽粉毒」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[醋]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.272)〕・
【附方】・・・・・(No.275)〔15/33〕
・①「腋下胡臭」・・・・・・・・・「外台」[外台〔秘要〕]
・②「癰疽不潰」・・・・・・・・・「▲」〔肘後方〕
・③「舌腫不消」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「塞耳治聾」・・・・・・・・・「千金」
・⑤「面●〔黒ヘンに曾〕雀卵」・・・・「肘后」〔肘后方〕
・⑥「中砒石毒」・・・・・・・・・「廣記」
・⑦「蜈蚣咬毒」・・・・・・・・・「篋中」〔篋中方〕
・⑧「蜘蛛咬毒」・・・・・・・・・「篋中」
・⑨「諸虫入耳」・・・・・・・・・「篋中」
・⑩「狼烟入口」・・・・・・・・・「秘方」
・⑪「足上凍瘡」・・・・・・・・・「――」
・⑫「胎死不下」・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・⑬「胞衣不下」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑭「乳癰堅硬」・・・・・・・・・「千金」
・⑮「疔腫初起」・・・・・・・・・「――」
○[酒]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.279)〕・
【附方】・・・・・(No.275)〔3/17〕
・①「蛇咬成毒」・・・・・・・・・「▲」〔廣利方〕
・②「蜘蛛瘡毒」・・・・・・・・・「▲」〔廣利方〕
・③「毒蜂螫人」・・・・・・・・・「廣利」
○[春杵頭細糠]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.313)〕・
【附方】・・・・・(No.275)〔2/2〕
・①「膈気噎塞」・・・・・・・・「聖恵」[聖恵〔方〕]
・②「咽喉妨礙」・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
●【考察4】●
一部に単純な転記ミスが見られる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅴ.》▼
▼『本草綱目』巻二十六「菜部」・・・「菜之一」(葷辛類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[韭]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.315)〕・
○○[韭子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.324)〕・
【附方】・・・・・(No.276)〔3/7〕
・①「夢遺溺白」・・・・・・・・・「蔵器」「聖恵」
・②「玉茎強中」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・③「婦人帯下」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[葱]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.329)〕・
○○[葱茎白]・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.331)〕・
【附方】・・・・・(No.276~277)〔10/43〕
・①「傷寒労復」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「卒中悪死」・・・・・・・・・「▲」〔崔氏纂要〕
・③「脱陽危症」・・・・・・・・・「華佗方」
・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.336)では、この処方を「脱腸〔陽〕
危症」と記載しているが、解説文に「陽気即回」(陽気が直ち
に回復する)とあるので、「脱陽気の危症」と訳すべきで、「脱
腸」の記載は誤植であろう。
・④「卒心急痛」・・・・・・・・・「瑞竹」〔瑞竹堂方〕
・⑤「腹皮麻痺」・・・・・・・・・「危氏」〔危氏方〕
・⑥「小便閉脹」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・⑦「大小便閉」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・⑧「解金銀毒」・・・・・・・・・「外台」
・⑨「脳破骨折」・・・・・・・・・「肘后」〔肘后方〕
・⑩「自縊垂死」・・・・・・・・・「――」
○○[葉]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.339)〕・
【附方】・・・・・(No.277)〔1/5〕
・①「代指毒痛」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○○[汁]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.341)〕・
【附方】・・・・・(No.277)〔2/5〕
・①「痔瘻作痛」・・・・・・・・・「唐仲挙方」
・②「解鉤吻毒」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○○[鬚]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.343)〕・
【附方】・・・・・(No.277)〔1/1〕
・①「喉中腫塞」・・・・・・・・・「杜壬」〔杜壬方〕
○[薤]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.348)〕・
【附方】・・・・・(No.277)〔3/23〕
・①「毒蛇螫傷」・・・・・・・・・「徐玉」〔徐玉方〕
・②「諸魚骨硬」・・・・・・・・・〔葛洪方〕
・出典に「范汪」とあるのは、二つ後の処方のもので、転記
ミスである。
・③「咽喉腫痛」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[蒜]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.356)〕・
【附方】・・・・・(No.277)〔6/14〕
・①「止截瘧疾」・・・・・・・・・「唐慎」〔唐慎微〕
・②「悪核腫結」・・・・・・・・・「肘後」[肘後〔方〕]
・③「五色丹毒」・・・・・・・・・「葛氏」
・④「小児白禿」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・⑤「蛇蠍螫人」・・・・・・・・・「肘後」
・⑥「蜈蚣咬瘡」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
○[葫]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.365)〕・
【附方】・・・・・(No.277)〔3/47〕
・①「魚骨硬咽」・・・・・・・・・「十便」〔十便良方〕
・②「牙歯疼痛」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・③「眉毛動揺」・・・・・・・「夏子益」〔夏子益奇疾方〕
○[蕓薹]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.379)〕・
○○[茎葉]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.381)〕・
【附方】・・・・・(No.277~278)〔5/8〕
・①「風熱腫毒」・・・・・・・・・「近効」〔近效方〕
・②「手足瘭疽」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「異疽似癰」・・・・・・・・・「千金」
・④「血痢腹痛」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑤「腸風下血」・・・・・・・・・「聖恵」
○○[子]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.383)〕・
【附方】・・・・・(No.278)〔2/12〕
・①「傷損骨折」・・・・・・・・・「乾坤」〔乾坤秘韞〕
・②「湯火傷灼」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便単方〕
○[菘]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.385)〕・
○○[茎葉]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.389)〕・
【附方】・・・・・(No.278)〔1/3〕
・①「漆毒生瘡」・・・・・・・・・「――」
○○[子]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.390)〕・
【附方】・・・・・(No.278)〔1/1〕
・①「酒酔不醒」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[芥]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.390)〕・
○○[茎葉]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.393)〕・
【附方】・・・・・(No.278)〔4/4〕
・①「牙齦腫爛」・・・・・・・・・「――」
・②「飛絲入目」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・③「漆瘡搔痒」・・・・・・・・・「▲」〔千金方〕
・④「痔瘡腫痛」・・・・・・・「経效」〔談埜翁経效方〕
○○[子]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.394)〕・
【附方】・・・・・(No.278)〔6/23〕
・①「身体麻木」・・・・・・・・・「済生秘覧」
・②「感寒無汗」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便単方〕
・『本草綱目』では、②、①の順番である。
・③「中風口禁」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「喉痺腫痛」・・・・・・・・・「▲」〔聖恵方〕
・「又用辣芥子」以下の文が省略されている。
・⑤「耳卒聾閉」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・⑥「眉毛不生」・・・・・・・・「孫氏」〔孫氏集效方方〕
○[蕪菁]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.401)〕・
○○[根葉]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.406)〕・
【附方】・・・・・(No.278~279)〔4/12〕
・①「預禳時疾」・・・・・・・・・「神仙教子法」
・②「鼻中衄血」・・・・・・・・・「十便」〔十便良方〕
・③「大酔不堪」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・④「飲酒辟気」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○○[子]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.408)〕・
【附方】・・・・・(No.279)〔7/22〕
・①「服食辟穀」・・・・・・・・・「図経」〔図経本草〕
・②「黄疸如金」・・・・・・・・・「孫真人食忌」
・③「熱黄便結」・・・・・・・・・「食療」〔食療本草〕
・④「骨疸不愈」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑤「小児頭禿」・・・・・・・・・「千金」
・⑥「眉毛脱落」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑦「面黶痣點」・・・・・・・・・「聖恵」
○[萊菔]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.413)〕・
【附方】・・・・・(No.279)〔5/23〕
・①「失音不語」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「烟熏欲死」・・・・・・・・・「珍注【発明】」
・【発明】の項の「時珍」の注からの記載である。
・③「湯火傷灼」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・④「花火傷肌」・・・・・・・・・「聖済」
・⑤「打撲血聚」・・・・・・・・・「卲氏」〔卲氏方〕
○○[子]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.424)〕・
【附方】・・・・・(No.279~280)〔6/16〕
・①「上気痰嗽」・・・・・・・・・「▲」〔食医心鏡〕
・②「痰気喘息」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便単方〕
・③「久嗽痰喘」・・・・・・・・・「医学」〔医学集成〕
・④「高年気喘」・・・・・・・・・「済生」〔済生秘覧〕
・⑤「中気〔風〕口禁」・・・・・・「丹溪」〔丹溪方〕
・⑥「風祕気祕」・・・・・・・・・「寿域」〔寿域神方〕
○[生薑]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.426)〕・
【附方】・・・・・(No.280)〔11/50〕
・①「消渇飲水」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「中諸薬毒」「猘犬傷人」・・・・「小品」〔小品方〕
・③「蝮蛇螫傷」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「蜘蛛咬傷」・・・・・・・・・「千金」
・⑤「刀斧金瘡」・・・・・・・・・「扶寿」〔扶寿方〕
・⑥「閃折手足」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・⑦「跌撲傷損」・・・・・・・・・「易簡」
・⑧「百虫入耳」・・・・・・・・・「易簡」
・⑨「腋下狐臭」・・・・・・・・・「易簡」
・⑩「赤白癜風」・・・・・・・・・「易簡」
・⑪「両耳凍瘡」・・・・・・・・・「暇日」〔暇日記〕
○[乾薑]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.438)〕・
【附方】・・・・・(No.280)〔4/28〕
・①「陰陽易病」・・・・・・・・「類要」〔傷寒類要方〕
・②「癰疽初起」・・・・・・・・・「辨疑」〔諸症辨疑〕
・③「猘犬傷人」・・・・・・・・・「――」
・④「蛇蠍螫人」・・・・・・・・・「廣川」〔廣川方〕
○[胡荽]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.448)〕・
○○[根葉]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.450)〕・
【附方】・・・・・(No.280)〔1/9〕
・①「面上黒子」・・・・・・・・・「小説」
○[蘹香]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.466)〕・
【附方】・・・・・(No.280)〔3/20〕
・①「腎消飲水」・・・・・・・・・「保命」〔保命集〕
・②「辟除口臭」・・・・・・・・・「食医」〔食医心鏡〕
・③「蛇咬久潰」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[羅勒]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.475)〕・
○○[子]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第七冊、p.478)〕・
【附方】・・・・・(No.281)〔1/2〕
・①「走馬牙疳」・・・・・・・・・「活幼口議」
転記ミス、一部の文の省略、処方の順序の違いも見られるが、その他は、原文どおりの記載である。
◎・むすび・◎
このたび、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方が、『本草綱目』の各薬物の【附方】からの記載であることが判明したことにより、『真斎聚方』の全体的構成が、ここに初めて明らかになった。
そして、すでに述べたように、真斎は、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方を、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から、基本的に「原文」そのままの内容で記載している。
それは、これまでの真斎の「筆写・抄出方法」を踏襲しているものである、と言えるであろう。
各処方の抄出については、真斎の臨床家としての必要性から選ばれたものと思われる。
『真斎聚方』「本草之部 附方」もまた、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から臨床的に参考となる処方群を抄出して、臨床研究に役立てるということが目標であった。その「按文」の一つひとつの内容が、それを物語っている。
いずれにしても、『本草綱目』の各薬物の【附方】を、これほど多く記載した真斎の研究態度には、感服せざるを得ない。
以上は、「第1回目の考証」における「むすび」であり、私はこの時点で『真斎聚方』「本草之部 附方」の全体的な評価を急ぐ必要はないと思う。その全体的な評価は、今後、さらなる「考証と考察」を進めてからでも十分であろう。
上記の「むすび」については、今回の「第5回目の考証」においても基本的に変わりはないと言えるであろう。今回は、上記の各【考察】に見られるように、処方の順番が入れ替わっているところがやや目立つが、省略・転記ミスなどは比較的少ない方である。
真斎が記載している処方群には、同名の処方も少なくない。このような処方記載の傾向を探ることは、真斎の医学的な関心を見る上にも大切なことがらである。
〔2019年5月25日、PHN(思想・人間・自然)、第40号、PHNの会発行〕
〔2019年5月25日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』における
「本草之部 附方」の処方群〔【X】=No.210~333〕は、
『本草綱目』の【附方】からの記載であることの考証、
および『真斎聚方』の全体的な構成について
――【X-4】『真斎聚方』〔No.254~266〕
〔『本草綱目』巻十七・下〔草部〕~巻二十一〔草部〕〕
――さらに、真斎の「筆写・抄出方法」から
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との
内容的同一性について考える
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」35号に引き続いて、No.115以降の処方群と、それらに関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群についての考証と考察を進める予定であったが、今回は、急遽予定を変更して、『真斎聚方』の「最終見出し」であるところの「本草之部 附方」〔No.210~333〕についての考証と考察を行うことにした。
「本草之部 附方」は、それまでの記述とは、大きく異なっており、その「出典」書目数も膨大であり、何による記載であるのかが、これまで不明であった。それは、『真斎聚方』における「最後の難関」と思われた。
しかし、実際に調査をしてみると、この問題は、意外にもすぐさま解決したのである。すなわち、「本草之部 附方」は、『本草綱目』の【附方】などからの記載であることが、このたび明らかとなった。
『本草綱目』は、各薬物などを、
【釈名】【集解】【正誤】【修治】【気味】【主治】【発明】【附方】
の八項目にわけて記述している。
真斎は、最後の【附方】の処方群の中からを選んで記載していることが明らかになった。一部には、【発明】や【修治】の項目からも記載しているところもある。
『真斎聚方』「本草之部 附方」には、『本草綱目』の書名も、処方のある巻数や「薬物名」などの項目も記されていない。したがって、本稿では【附方】などのある『本草綱目』の巻数や分類項目、さらには「薬物名」などをも示して、『真斎聚方』「本草之部 附方」の内容構成が明確となるように記述することとした。
今回は、その第4回目であり、【X-4】『真斎聚方』〔No.254~266〕
まで、すなわち、『本草綱目』の巻十七・下〔草部〕~二十一〔草部〕に相当する部分である。
◎・『真斎聚方』の全体的構成について・◎
このたび、「本草之部 附方」の「出典」が判明したことにより、『真斎聚方』の全体的な構成を、次のように把握することができるようになった。
▼〔第一部〕・・・『真斎聚方』・「第一編」▼
・『真斎聚方』〔No.1~36〕
・この巻頭部分は、『類聚方集覧』などから記載によるものであり、
おもに『真斎方記』へと増補されるところのものである。
〔『PHN』32号(2018年8月号)を参照〕
▼〔第二部〕・・・『真斎聚方』・「第二編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.37~115〕+〔「B」=No.116~209〕
・次は、各医書群と『名家方選』三部作からの処方群である。
〔「A」については、『PHN』33号(2018年9月号)~35号
(2018年11月号)を参照。〕
〔「B」については、今後、考証の予定であるが、その一部であ
る安藤昌益と山脇東洋の処方群については、『PHN』30号
(2018年4月号)・31号(2018年5月号)を参照のこと。〕
・この「第二編」については、考証をさらに進めた上で、その
構成について再考する予定である。
▼〔第三部〕・・・『真斎聚方』・「第三編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.210~266〕+〔「B」=No.266~333〕・
・『真斎聚方』の「第三編」と言える「本草之部 附方」は、この
たび『本草綱目』【附方】などからの記載であることが明らかに
なったのである。
・『真斎聚方』の「本草之部 附方」は、分量的には、『真斎聚方』
の中の三分の一を超えており、上記の「第一編」と「第二編」
を合わせて、仮に『真斎聚方』の「前編」とすれば、明らかに
『真斎聚方』の「後編」と呼んでよいものである。
〔「A」については、『PHN』36号(2019年1月号)~『PHN』
39号(2019年4月号)を参照のこと〕
〔「B」については、今後、考証の予定である。〕
●・【出典】の考証のための文献一覧・●
・『新註校定・国譯本草綱目』(第六冊)〔草部〕
(昭和49年12月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第六冊)と略記する。〕
・〔明〕李時珍『本草綱目』(全二冊)
(1986年5月、商務印書館香港分館刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(上巻、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠共纂)
(大正四年十月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(下巻ノ一、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠
共纂)
(大正五年十一月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
▼凡例▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・。。。。。〔『本草綱目』の薬物名〕
【附方】・・・・・(No.210)。。。。。〔『真斎聚方』における№〕
〔1/5〕。。。〔『本草綱目』の5処方の内の1処方を記載〕
・「軽粉破口」・・・・・。。。。。「外台」〔A〕 〔外台秘要〕〔B〕
〔A〕=『真斎聚方』における略書名。
〔B〕=『本草綱目』を参照したわかりやすい書名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・「▲」は、『真斎聚方』に出典が欠落しているもの。
・「――」は、『本草綱目』に出典の記載なきもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・『真斎聚方』「本草之部 附方」の処方群の「出典」
である『本草綱目』【附方】との考証と考察・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ.》▼
▼『本草綱目』巻十七・下「草部」・・・「草之六」(毒草類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[烏頭]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.10)〕・
【附方】・・・・・(No.254)〔3/52〕
・①「膝風作痛」・・・・・・・・・・「扶寿」〔扶寿方〕
・②「遠行脚腫」・・・・・・・・・・「経験」[経験〔方〕]
・①、②の全文に傍点(左側)あり。
・③「老人遺尿」・・・・・・・・・・「普済」[普済〔方〕]
○[白附子]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.26)〕・
【附方】・・・・・(No.254)〔2/12〕
・①「小児吐逆」・・・・・・・・「保幼」〔保幼大全方〕
・②「慢痺驚風」・・・・・・・・「楊氏」〔楊氏家蔵方〕
○[虎掌・天南星]○・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.30)〕・
【附方】・・・・・(No.254~255)〔8/39〕
・①「中風口禁」・・・・・・・・「▲」〔経験方〕
・②「小児口禁」・・・・・・・・「――」
・③「小児風痰」・・・・・・・・「心鑑」〔全幼心鑑〕
・④「小児解顱」・・・・・・・・・・〔小児直訣〕
・真斎の解説文は、「小児解顱」の途中の「塞者」のところ
から、この前の処方「初生貼顱」の文の「塞者」のところへと
飛んでおり、出典の「危氏」も「初生貼顱」のものである。真
斎の転記ミスである。
・⑤「解頥脱臼」・・・・・・・・「医説」〔医説〕
・⑥「小児口瘡」・・・・・・・・「集効」〔集效方〕
・⑦「痰瘤結核」・・・・・・・・「済生」〔済生方〕
・⑧「身面疣子」・・・・・・・・・「簡易」〔簡易方〕
○[半夏]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.48)〕・
【附方】・・・・・(No.255~256)〔18/68〕
・①「風痰喘急」・・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・②「小児痰熱」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・③「停痰留飲」・・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・④「老人虚秘」・・・・・・・・・「局方」
・⑤「骨硬在咽」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・⑦「小児顖陷」・・・・・・・・・「――」
・⑧「面上黒気」・・・・・・・・・「▲」〔摘玄方〕
・⑨「盤脹生産」・・・・・・・・・「良方」〔婦人良方〕
・⑩「産後運絶」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑪「小児驚風」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・⑫「卒死不寤」・・・・・・・・・「――」
・「南宮夫人」とあるのは、「南岳夫人」が正しい。
・⑬「五絶急病」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・⑭「吮〔吹〕奶腫痛」・・・・「経験」〔劉長春経験方〕
・⑮「打撲瘀痕」・・・・・・・・・「永類」〔永類鈐方〕
・⑯「遠行足趼」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑰「金刃不出」・・・・・・・・・〔李筌太白経〕
・ここに出典として「本事」とあるのは誤り。「本事」は、
次の⑱の出典である。
・⑱「飛虫入耳」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
○[射干]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.78)〕・
【附方】・・・・・(No.256)〔1/10〕
・①「咽喉腫痛」・・・・・・・・・「袖珍」〔袖珍方〕
○[玉簪]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.88)〕・
【附方】・・・・・(No.256)〔1/5〕
・①「婦人断産」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・次にある「覆盆葉・・」の一文は、
○[覆盆子]○・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.167)〕・
の処方「臁瘡潰爛」のものである。これは、おそらくこの処方の
前の処方の出典「摘玄方」を、上記の①「婦人断産」の出典
「摘玄方」と間違えて、記載したのであろう。
しかし、「巻十七・下」から「巻十八・上」へと、大きく飛
び越えてのミスは、これまでにないものである。
この後は、次節に見るように、
○[覆盆子]○・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.167)〕・
の「覆盆葉・・」の一文から、
○[菟絲子]○・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.145)〕・
の①「婦人横生」の処方へと、遡及して記載している所をみる
と、ここにおいて一丁分の欠落があると考えることはできな
いであろう。
●【考察1】●
上記にみるように、「巻十七・下」から「巻十八・上」へと、大き
く飛び越えての転記ミスは、これまでにないものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ.》▼
▼『本草綱目』巻十八・上「草部」・・・「草之七」(蔓草類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[菟絲子]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.145)〕・
○○[子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.148)〕・
【附方】・・・・・(No.256)〔1/11〕
・①「婦人横生」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○○[苗]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.152)〕・
【附方】・・・・・(No.256)〔1/3〕
・①「面瘡粉刺」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
○[懸鉤子]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.173)〕・
【附方】・・・・・(No.256)〔2/2〕
・①「血崩不正」・・・・・・・・・「乾坤」〔乾坤生意〕
・②「崩中痢下」・・・・・・・・・「千金翼」
○[使君子]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.178)〕・
【附方】・・・・・(No.256)〔3/6〕
・①「小児脾疳」・・・・・・・・・「儒門」〔儒門事親〕
・②「小児蛔痛」・・・・・・・・・「心鑑」〔全幼心鑑〕
・③「虫牙疼痛」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[木鼈子]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.181)〕・
【附方】・・・・・(No.256)〔2/20〕
・①「酒疸脾黄」・・・・・・・・・「済急」〔済急方〕
・②「水瀉不止」・・・・・・・・・「寿精」〔寿精方〕
○[馬兜鈴]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.189)〕・
○○[独行根]・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.192)〕・
【附方】・・・・・(No.257)〔1/5〕
・①「悪蛇所傷」・・・・・・・・・「袖珍方」
○[榼藤子]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.194)〕・
【附方】・・・・・(No.257)〔1/4〕
・①「喉痺腫〔痛〕」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[牽牛子]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.199)〕・
【附方】・・・・・(No.257)〔6/38〕
・①「小児腹脹」・・・・・・・・「鄭氏」〔鄭氏小児方〕
・②「面上風刺」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・③「面上粉刺」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「面上雀斑」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・⑤「馬脾風病」・・・・・・・・・「心鑑」〔全幼心鑑〕
・⑥「小児夜啼」・・・・・・・・・「生々」〔生生編〕
○[紫葳]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.220)〕・
【附方】・・・・・(No.257~258)〔5/13〕
・①「大風癘疾」・・・・・・・・・・「儒門事親」
・②「鼻上酒皶」・・・・・・・・「百一選方」「楊氏家蔵方」
・末尾の小文字部分「楊氏家蔵方・・」の文も原文のもの。
・③「走皮趨瘡」・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・④「耳卒聾閉」・・・・・・・・・・「斗門」〔斗門方〕
・⑤「女経不行」・・・・・・・・・・「胎産」〔胎産方〕
○[営実・墻蘼]○・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.225)〕・
○○[根]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.227)〕・
【附方】・・・・・(No.258)〔8/12〕
・①「消渇尿多」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「小便失禁」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「少小尿床」・・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・④「小児疳痢」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑤「口咽痛痒」・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑥「口舌糜爛」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑦「筋骨毒痛」・・・・・・・・・・「――」
・ここに記載されている「鄧筆峰・・」の文は、原文の後半のも
のであり、前半の文章は省略されている。
・⑧「骨硬不出」・・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○[栝樓]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.231)〕・
○○[実]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.233)〕・
【附方】・・・・・(No.258)〔1/20〕
・①「面黒令白」・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
○○[根]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.240)〕・
【附方】・・・・・(No.258~259)〔8/24〕
・①「消渇飲水」・・・・・・・・・・〔千金方ほか〕
・原文には、(1)「千金方・・」、(2)「肘後方・・」、(3)「外
台秘要・・」、(4)「聖恵方・・」、(5)「又玉壺丸用・・」の5
つの文があるが、(2)・(3)・(4)の文が省略されている。出典
として「聖恵」とあるのは、(4)からの記載であるが、これを(5)
の文の末尾に出典としているのは正確ではない。
・②「黒疸危疾」・・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・③「小児熱病」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「虚熱欬嗽」・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑤「産後吹乳」・・・・・・・・・・〔永類方〕
・この出典に「産乳」とあるのは、次の「乳汁不下」のもので
真斎の記載ミスである。
・⑥「乳汁不下」・・・・・・・・・・「産乳」〔楊氏産乳〕
・⑦「箭鏃不出」・・・・・・・・・・「海上」〔海上方〕
・⑧「鍼刺入肉」・・・・・・・・・・「海上」
○[王瓜]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.245)〕・
○○[根]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.248)〕・
【附方】・・・・・(No.259)〔7/12〕
・①「小児発黄」・・・・・・・・・「図経」〔蘇頌図経〕
・②「黄疸変黒」・・・・・・・・・・「――」
・③「小便不通」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・④「大便不通」・・・・・・・・・・「肘后」
・⑤「乳汁不下」・・・・・・・・・「産乳」〔楊氏産乳方〕
・⑦「面上痱瘖」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
○○[子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.250)〕・
【附方】・・・・・(No.259)〔2/8〕
・①「消渇飲水」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「傳尸労瘵」・・・・・・・・・「神書」〔十薬神書〕
○[葛]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.251)〕・
○○[葛根]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.253)〕・
【附方】・・・・・(No.259)〔6/23〕
・①「妊娠熱病」・・・・・・・・・「類要」〔傷寒類要〕
・②「辟瘴不染」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「金創中風」・・・・・・・・・・「▲」〔応利方〕
・文の後半部分と出典が省略されている。
・④「酒酔不醒」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑤「諸薬中毒」・・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑥「解中鴆毒」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[天門冬]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.263)〕・
【附方】・・・・・(No.259~260)〔5/17〕
・①「虚労体痛」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「肺労風熱」・・・・・・・・・「食療」〔孟詵食療〕
・③「婦人骨蒸」・・・・・・・・・「機要」〔活法機要〕
・④「面黒令白」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・⑤「口瘡連年」・・・・・・・・「▲」〔齊徳之外科精義〕
○[百部]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.276)〕・
【附方】・・・・・(No.260)〔5/10〕
・①「暴欬嗽」・・・・・・・・・・「張文仲方」
「続千金〔十全〕方」「普済方」
・②「小児寒嗽」・・・・・・・・「小児」〔錢乙小児方〕
・③「三十年嗽」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「百虫入耳」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・⑤「熏衣去虱」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
○[何首烏]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.280)〕・
【附方】・・・・・(No.260~261)〔8/16〕
・①「皮裏作痛」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・②「自汗不止」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・③「腸風臓毒」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「小児亀背」・・・・・・・・・「――」
・⑤「破傷血出」・・・・・・・・「雑興」〔筆峯雑興方〕
・⑥「瘰癧結核」・・・・・・・・・「斗門」〔斗門方〕
・⑦「大風癘疾」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑧「疥癬満身」・・・・・・・・「博済」〔王袞博済方〕
●【考察2】●
一部に省略や転記ミスが見られる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ.》▼
▼『本草綱目』巻十八・下「草部」・・・「草之七」(蔓草類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[萆薢]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.295)〕・
【附方】・・・・・(No.261)〔1/5〕
・①「白濁頻数」・・・・・・・・・「――」
○[菝葜]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.299)〕・
【附方】・・・・・(No.261)〔1/5〕
・①「小便滑数」・・・・・・・・「儒門」〔儒門事親方〕
○[白斂]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.310)〕・
【附方】・・・・・(No.261)〔6/13〕
・①「面鼻酒皶」・・・・・・・・「御薬」〔御薬院方〕
・②「面生粉刺」・・・・・・・・・〔肘後方〕
・ここの文と出典(「談埜」)は、ともに次にある処方「凍耳成瘡」
のものである。ともに「白斂」ではじまる文のための転記ミス
であろう。
・③「湯火灼爛」・・・・・・・・・「外台」〔外台方〕
・④「諸物硬咽」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑤「銕〔鉄〕刺諸硬」・・・・・・・・「聖恵」
・⑥「刺在肉中」・・・・・・・・・・・「聖恵」
○[山豆根]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.322)〕・
【附方】・・・・・(No.261)〔4/13〕
・①「頭風熱痛」・・・・・・・・・「備急」〔備急方〕
・②「頭上白眉」・・・・・・・・・「備急」
・③「牙齦腫痛」・・・・・・・・・「備急」
・④「喉中発癰」・・・・・・・・・「永類」〔永類方〕
○[威霊仙]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.336)〕・
【附方】・・・・・(No.261)〔3/20〕
・①「痔瘡腫痛」・・・・・・・・・「外科精義」
・②「諸骨硬咽」・・・・・・・・・「――」
・最初の文のみを記載し、次の「乾坤・・」の文と「聖済録・・」
の二つの文を省略している。処方の基本は、最初の文で十分な
のであろう。
・③「痘瘡黒陥」・・・・・・・・・「儒門」〔儒門事親〕
○[茜草]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.344)〕・
【附方】・・・・・(No.261~262)〔4/11〕
・①「解中蠱毒」・・・・・・・「小品」〔陳延之小品方〕
・②「黒髭烏髪」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・③「脱肛不収」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「預解瘡疹」・・・・・・・・・「奇効」〔奇效良方〕
○[防已]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.353)〕・
【附方】・・・・・(No.262)〔2/12〕
・①「肺痿喀血」・・・・・・・・「録験」〔古今録験〕
・②「解雄黄毒」・・・・・・・・「――」
○[通草]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.365)〕・
【附方】・・・・・(No.262)〔2/3〕
・①「心熱尿赤」・・・・・・・・「銭氏」〔銭氏方〕
・②「婦人血気」・・・・・・・・「孟詵」〔孟詵本草〕
○[釣藤]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.368)〕・
【附方】・・・・・(No.262)〔2/3〕
・①「小児驚熱」・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・②「卒得癇疾」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[葎草]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.388)〕・
【附方】・・・・・(No.262)〔3/9〕
・①「小便膏淋」・・・・・・・・・「――」
・ここに出典として「范汪」とあるが、これはこの前にある処方
「小便石淋」の出典である。
・②「遍体癩瘡」・・・・・・・・・「独行」〔独行方〕
・③「烏癩風瘡」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
○[木蓮]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.399)〕・
【附方】・・・・・(No.262)〔2/8〕
・①「腸風下血」・・・・・・・・「家蔵」〔楊倓家蔵方〕
・②「乳汁不通」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[忍冬]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.408)〕・
【附方】・・・・・(No.262~263)〔3/18〕
・①「一切腫毒」・・・・・・・・「積善」〔積善堂方〕
・②「脚気作痛」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・③「忍冬膏」・・・・・・・・・「乾坤」〔乾坤秘韞〕
●【考察3】●
ここでも一部の省略や転記ミスが見られる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅳ.》▼
▼『本草綱目』巻十九「草部」・・・「草之八」(水草類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[澤瀉]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.443)〕・
【附方】・・・・・(No.263)〔2/6〕
・①「水湿腫脹」・・・・・・・・・「保命」〔保命集〕
・②「支飲苦冒」・・・・・・・・・「仲景(澤瀉湯)」
・後半の「深師方・・」の文が省略されている。
○[羊蹄]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.452)〕・
○○[根]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.454)〕・
【発明】の項から、【頌曰】のところの最初の文を記載している。
【附方】・・・・・(No.263)〔2/13〕
・①「頭上白禿」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・「独根羊蹄」の後の途中の9文字分が省略されている。
・②「癬久不瘥」・・・・・・・・「簡要」〔簡要済衆方〕
・「簡要済衆方」からの最初の文のみが記載されている。次にあ
る「永類方・・」「千金方・・」の2つの文が省略されている。
○[菖蒲]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.462)〕・
【発明】の項から、【楊士瀛曰】のところの全文を記載している。
【附方】・・・・・(No.263)〔7/27〕
・①「健忘益智」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・「方寸匕」の次から、この前にある処方「服食法」の「方寸匕」
とある文に飛んで記載されている。明らかな転記ミスである。
出典は、ともに「千金方」である。
・②「卒中客忤」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・③「蚤虱入耳」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・④「頭瘡不瘥」・・・・・・・・・「法天生意」
・⑤「露岐便毒」・・・・・・・・・「要訣」〔證治要訣〕
・⑥「熱毒湿瘡」・・・・・・・・・「衍義」〔本草衍義〕
・⑦「陰汗湿痒」・・・・・・・・・「▲」〔済急仙方〕
○[香蒲・蒲黄]○・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.476)〕・
○○[蒲黄]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.479)〕・
【附方】・・・・・(No.263~264)〔6/25〕
・①「舌脹満口」・・・・・・・・・「――」
・【附方】の前にある【発明】の項の「時珍曰」には、「本事方」
「芝隠方」などからの処方が記されている。
・②「重舌生瘡」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「吐血唾血」・・・・・・・・「簡要」〔簡要済衆方〕
・④「脱肛不収」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・⑤「胞衣不下」・・・・・・・・・・「▲」〔集験方〕
・⑥「産後下血」・・・・・・・・・「産宝」〔産宝方〕
○[菰]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.483)〕・
【附方】・・・・・(No.264)〔1/2〕
・①「毒蛇傷囓」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○[水萍]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.488)〕・
【附方】・・・・・(No.264)〔6/25〕
・①「大腸脱肛」・・・・・・・・「危氏」〔危氏得效方〕
・②「汗班〔斑〕癜風」・・・・・・「袖珍」〔袖珍方〕
・③「少年面皰」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・最初の文「外台・・」が省略されている。「普済方・・」の
説明の方がより具体的なためであろう。
・④「粉滓面●〔黒の右に干〕」・・・「聖恵」〔「聖恵方〕
・⑤「大風癘疾」・・・・・・・・「▲」〔十便良方〕
・「博案 観音聖号云云、一為信薬食養乎」との、真斎の按文が
ある。これは、「・・常に観世音の聖号を唱へる。猪、魚、鷄、
蒜を忌む。」〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.494)〕という本文に
対しての真斎の感想である。
・後半の「又方・・」の文が省略されている。
・⑥「焼烟去蚊」・・・・・・・・・「孫真」〔孫真人方〕
○[莕菜]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.501)〕・
【附方】・・・・・(No.264)〔1/4〕
・①「毒蛇螫傷」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
○[蓴]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.505)〕・
【附方】・・・・・(No.264)〔3/3〕
・①「一切癰疽」・・・・・・・・・「保生」〔保生餘録〕
・②「頭上悪瘡」・・・・・・・・・「保幼」〔保幼大全〕
・③「数種疔瘡」・・・・・・・・・「経験」〔経験良方〕
○[海藻]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.511〕・
【附方】・・・・・(No.264~265)〔4/5〕
・①「海藻酒」・・・・・・・・・・「范汪」〔范汪方〕
・②「癭気初起」・・・・・・・・・「丹溪」〔丹溪方〕
・③「項下瘰癧」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・④「蛇盤瘰癧」・・・・・・・・「危氏」〔危氏得效方〕
○[昆布]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.516〕・
【附方】・・・・・(No.265)〔3/4〕
・①「癭気結核」・・・・・・・・・「聖恵」〔「聖恵方〕
・②「項下五癭」・・・・・・・・・「聖恵」
・③「項下卒腫」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
●【考察4】●
ここでも、一部の省略や転記ミスが見られる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅴ.》▼
▼『本草綱目』巻二十「草部」・・・「草之九」(石草類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[骨碎補]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.528〕・
【附方】・・・・・(No.265)〔4/4〕
・①「虚気攻牙」・・・・・・・・・「霊苑方」
・真斎は、全文に傍点を付して強調している。最後の「有神」の
文字が「有補」のように書かれているのは、転記ミスである。
・②「風虫牙痛」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・③「病後落髪」・・・・・・・・・「――」
・④「腸風失血」・・・・・・・・・「▲」〔仁存方〕
○[石韋]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.532〕・
【附方】・・・・・(No.265)〔3/5〕
・①「小便淋痛」・・・・・・・・・〔聖恵方〕
・出典に「聖済」とあるが、異本では「聖恵」である。
『補註・本草綱目』では、「聖恵」である。
・②「便前有血」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・③「気熱欬嗽」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
○[景天]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.541〕・
【附方】・・・・・(No.265)〔2/7〕
・①「漆瘡作痒」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・②「眼生花瞖」・・・・・・・・・「▲」〔聖恵方〕
○[石胡荽]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.546〕・
【附方】・・・・・(No.265)〔1/7〕
・①「●〔口ヘンに畜〕鼻去瞖」・・・「啓微」〔倪氏啓微集〕
○[螺厴草]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.550〕・
【附方】・・・・・(No.265~266)〔3/7〕
・①「吐血衄血」・・・・・・・・・「朱氏」〔朱氏集験方〕
・②「手指腫毒」・・・・・・・・・「寿域」〔寿域神方〕
・③「蛇纏悪瘡」・・・・・・・・・「――」
○[酢漿草]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.552〕・
【附方】・・・・・(No.266)〔6/8〕
・①「小便血淋」・・・・・・・・・「百一」〔百一選方〕
・②「諸淋赤痛」・・・・・・・・「沈存」〔沈存中霊苑方〕
・③「二便不通」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・④「癬瘡作痒」・・・・・・・・・「永類」〔永類方〕
・⑤「蛇虺螫傷」・・・・・・・・・「崔氏」〔崔氏方〕
・⑥「牙歯腫痛」・・・・・・・・・「▲」〔節斎医論〕
○[地錦]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.556〕・
【附方】・・・・・(No.266)〔2/12〕
・①「金瘡出血」・・・・・・・・「危氏」〔危氏得效方〕
・②「悪瘡見血」・・・・・・・・「危氏」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅵ.》▼
▼『本草綱目』巻二十一「草部」・・・・「草之十」(苔類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[巻柏]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.588〕・
【附方】・・・・・(No.266)〔1/2〕
・①「大腸下血」・・・・・・・・・「仁存」〔仁存方〕
○[馬勃]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第六冊、p.594〕・
【附方】・・・・・(No.266)〔3/9〕
・①「咽喉腫痛」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「走馬喉痺」・・・・・・・・・「経験」〔経験良方〕
・③「声失不出」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
◎・むすび・◎
このたび、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方が、『本草綱目』の各薬物の【附方】からの記載であることが判明したことにより、『真斎聚方』の全体的構成が、ここに初めて明らかになった。
そして、すでに述べたように、真斎は、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方を、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から、基本的に「原文」そのままの内容で記載している。
それは、これまでの真斎の「筆写・抄出方法」を踏襲しているものである、と言えるであろう。
各処方の抄出については、真斎の臨床家としての必要性から選ばれたものと思われる。
『真斎聚方』「本草之部 附方」もまた、『本草綱目』の各薬物の【附
方】の項から臨床的に参考となる処方群を抄出して、臨床研究に役立
てるということが目標であった。その「按文」の一つひとつの内容が、それを物語っている。
いずれにしても、『本草綱目』の各薬物の【附方】を、これほど多く記載した真斎の研究態度には、感服せざるを得ない。
以上は、「第1回目の考証」における「むすび」であり、私はこの時点で『真斎聚方』「本草之部 附方」の全体的な評価を急ぐ必要はないと思う。その全体的な評価は、今後、さらなる「考証と考察」を進めてからでも十分であろう。
上記の「むすび」については、今回の「第4回目の考証」においても基本的に変わりはないと言えるであろう。今回は、省略されている文章や転記ミスなどが、少しく目立つという印象を受けるが・・。
真斎が記載している処方群には、同名の処方も少なくない。このような処方記載の傾向を探ることは、真斎の医学的な関心を見る上にも大切なことがらである。
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』における
「本草之部 附方」の処方群〔【X】=No.210~333〕は、
『本草綱目』の【附方】からの記載であることの考証、
および『真斎聚方』の全体的な構成について
――【X-3】『真斎聚方』〔No.240~254〕
〔『本草綱目』巻十五(草部)~巻十七・上(草部)〕
――さらに、真斎の「筆写・抄出方法」から
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との
内容的同一性について考える
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」35号に引き続いて、No.115以降の処方群と、それらに関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群についての考証と考察を進める予定であったが、今回は、急遽予定を変更して、『真斎聚方』の「最終見出し」であるところの「本草之部 附方」〔No.210~333〕についての考証と考察を行うことにした。
「本草之部 附方」は、それまでの記述とは、大きく異なっており、その「出典」書目数も膨大であり、何による記載であるのかが、これまで不明であった。それは、『真斎聚方』における「最後の難関」と思われた。
しかし、実際に調査をしてみると、この問題は、意外にもすぐさま解決したのである。すなわち、「本草之部 附方」は、『本草綱目』の【附方】などからの記載であることが、このたび明らかとなった。
『本草綱目』は、各薬物などを、
【釈名】【集解】【正誤】【修治】【気味】【主治】【発明】【附方】
の八項目にわけて記述している。
真斎は、最後の【附方】の処方群の中からを選んで記載していることが明らかになった。一部には、【発明】や【修治】の項目からも記載しているところもある。
『真斎聚方』「本草之部 附方」には、『本草綱目』の書名も、処方のある巻数や「薬物名」などの項目も記されていない。したがって、本稿では【附方】などのある『本草綱目』の巻数や分類項目、さらには「薬物名」などをも示して、『真斎聚方』「本草之部 附方」の内容構成が明確となるように記述することとした。
今回は、その第3回目であり、【X-3】『真斎聚方』〔No.240~254〕
まで、すなわち、『本草綱目』の巻十五〔草部〕~巻十七・上〔草部〕に相当する部分である。
◎・『真斎聚方』の全体的構成について・◎
このたび、「本草之部 附方」の「出典」が判明したことにより、『真斎聚方』の全体的な構成を、次のように把握することができるようになった。
▼〔第一部〕・・・『真斎聚方』・「第一編」▼
・『真斎聚方』〔No.1~36〕
・この巻頭部分は、『類聚方集覧』などからの記載によるものであ
り、おもに『真斎方記』へと増補されるところのものである。
〔『PHN』32号(2018年8月号)を参照〕
▼〔第二部〕・・・『真斎聚方』・「第二編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.37~115〕+〔「B」=No.116~209〕
・次は、各医書群と『名家方選』三部作からの処方群である。
〔「A」については、『PHN』33号(2018年9月号)~35号
(2018年11月号)を参照。〕
〔「B」については、今後、考証の予定であるが、その一部であ
る安藤昌益と山脇東洋の処方群については、『PHN』30号
(2018年4月号)・31号(2018年5月号)を参照のこと。〕
・この「第二編」については、考証をさらに進めた上で、その
構成について再考する予定である。
▼〔第三部〕・・・『真斎聚方』・「第三編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.210~254〕+〔「B」=No.254~333〕・
『真斎聚方』の「第三編」と言える「本草之部 附方」は、この
たび『本草綱目』【附方】などからの記載であることが明らかに
なったのである。
・『真斎聚方』の「本草之部 附方」は、分量的には、『真斎聚方』
の中の三分の一を超えており、上記の「第一編」と「第二編」
を合わせて、仮に『真斎聚方』の「前編」とすれば、明らかに
『真斎聚方』の「後編」と呼んでよいものである。
〔「A」については、『PHN』36号(2019年1月号)~『PHN』
38号(2019年3月号)を参照のこと〕
〔「B」については、今後、考証の予定である。〕
●・【出典】の考証のための文献一覧・●
・『新註校定・国譯本草綱目』(第五冊)〔草部〕
(昭和49年10月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第五冊)と略記する。〕
・〔明〕李時珍『本草綱目』(全二冊)
(1986年5月、商務印書館香港分館刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(上巻、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠共纂)
(大正四年十月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
▼凡例▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・。。。。。〔『本草綱目』の薬物名〕
【附方】・・・・・(No.210)。。。。。〔『真斎聚方』における№〕
〔1/5〕。。。〔『本草綱目』の5処方の内の1処方を記載〕
・「軽粉破口」・・・・・。。。。。「外台」〔A〕 〔外台秘要〕〔B〕
〔A〕=『真斎聚方』における略書名。
〔B〕=『本草綱目』を参照したわかりやすい書名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・「▲」は、『真斎聚方』に出典が欠落しているもの。
・「――」は、『本草綱目』に出典の記載なきもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・『真斎聚方』「本草之部 附方」の処方群の「出典」
である『本草綱目』【附方】との考証と考察・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ.》▼
▼『本草綱目』巻十五「草部」・・・・「草之四」(隰草類上)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[菊]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.1)〕・
【附方】・・・・・(No.240)〔1/22〕
・①「酒酔不醒」・・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○[野菊]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.11)〕・
【附方】・・・・・(No.240)〔1/4〕
・①「瘰癧未破」・・・・・・・・・「▲」〔瑞竹堂経験方〕
○[艾]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.19)〕・
【附方】・・・・・(No.240~241)〔11/51〕
・①「咽喉腫痛」・・・・・・・・「医方大成」「経験方」
・末尾の出典部分「李臣所伝方也」の記載なし。
・②「小児臍風」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・③「霍乱吐下」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・④「面上皯●〔黒の右に曽〕」・・・・「外台」
・⑤「婦人面瘡」・・・・・・・・「談埜」〔談埜翁試験方〕
・⑥「身面疣目」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑦「白癩風瘡」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑧「疔瘡腫毒」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・末尾の小文字部分も、すべて原文のものである。
・⑨「発背初起」・・・・・・・・「李絳」〔李絳兵部手集〕
・⑩「誤呑銅鐡」・・・・・・・・・「篋中」〔篋中方〕
・⑪「諸虫蛇傷」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[青蒿]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.41)〕・
○○[葉・茎・根・子]・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.44)〕・
【附方】・・・・・(No.241)〔1/17〕
・①「毒蜂螫人」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
○[馬先蒿]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.57)〕・
【附方】・・・・・(No.241)〔1/1〕
・①「大風癩疾」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
○[茺蔚]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.62)〕・
【附方】・・・・・(No.241)〔6/21〕
・①「胎死腹中」・・・・・・・・「独行」〔韋宙独行方〕
・②「産後血運」・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・③「産後血閉」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「小便尿血」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・⑤「聤耳出汁」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑥「粉刺黒班〔斑〕」・・・・・・・・・〔――〕
・「蘇頌曰」以下の文章を省略している。その前の文との内容的
重複を含んだ長文のためであろう。
・ここに出典として「孫真人方」とあるのは誤り。これは、次の
処方「馬咬成瘡」の出典である。
○「夏枯草」○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.79)〕・
【附方】・・・・・(No.241)〔3/7〕
・①「明目補肝」・・・・・・・・「簡要」〔簡要済衆〕
・末尾に「予 因発明之説 加甘草」との、真斎の按文がある。
これは、【発明】の項の末尾近くにある「甘草」を加えた処方
例を参照して、真斎が書き添えたものである。
・②「汗班〔斑〕白點」・・・・・「乾坤」〔乾坤生意〕
・③「瘰癧馬刀」・・・・・「薜〔薛〕己」〔薛己外科経験方〕
○「番紅花」○・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.106)〕・
【附方】・・・・・(No.241)〔1/1〕
・①「傷寒発狂」・・・・・・「王璽」〔王璽医林集要〕
○「大薊小薊」○・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.110)〕・
【附方】・・・・・(No.241)〔1/14〕
・①「癬瘡作痒」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[続断]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.115)〕・
【附方】・・・・・(No.241)〔2/4〕
・①「小便淋瀝」・・・・・・・・「録験」〔古今録験〕
・②「打撲傷損」・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
○[漏盧]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.121)〕・
【附方】・・・・・(No.242)〔1/8〕
・①「白禿頭瘡」・・・・・・・・「総録」〔聖済総録〕
○[苧麻]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.133)〕・
○○[根]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.135)〕・
【附方】・・・・・(No.242)〔2/11〕
・①「肛門腫痛」・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・②「脱肛不収」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[大青]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.140)〕・
【附方】・・・・・(No.242)〔4/5〕
・①「喉風喉痺」・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・②「小児口瘡」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「熱病下痢」・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・④「肚皮青黒」・・・・・・・「保幼」〔保幼大全方〕
○「胡盧巴」○・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.144)〕・
【附方】・・・・・(No.242)〔1/6〕
・①「陰㿗腫痛」・・・・・・・・・「――」
○[悪實]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.154)〕・
○○[根茎]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.159)〕・
【附方】・・・・・(No.242)〔1/21〕
・①「頭風白屑」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[葈耳]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.163)〕・
○○[実]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.165)〕・
【附方】・・・・・(No.242)〔7/21〕
・①「久瘧不瘥」・・・・・・・・「朱氏」〔朱氏集験方〕
・②「大腹水腫」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「風湿攣痺」・・・・・・・・「食医」〔食医心鏡〕
・④「牙歯痛腫」・・・・・・「千金翼」〔孫真人千金翼〕
・⑤「鼻淵流涕」・・・・・・・・「證治」〔證治要訣〕
・⑥「眼目昏暗」・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑦「嗜酒不已」・・・・・・「陳蔵本草」〔陳蔵器本草〕
○○[茎葉]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.166)〕・
【附方】・・・・・(No.242~243)〔11/28〕
・①「毒蛇溪毒」・・・・・・・・「勝金」〔勝金方〕
・②「疫病不染」・・・・・・・・「▲」〔千金方〕
・③「風瘙癮疹」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「面上黒斑」・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・⑤「赤白汗斑」・・・・・・・・「摘玄」
・⑥「大風癘疾」・・・・・・・・「乾坤生意」
・「又方」以下の文も、原文のものである。
・⑦「反花悪瘡」・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・⑧「一切丁腫」・・・・・・・・「養生方」「邵真人方」
・⑨「纏喉風病」・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・⑩「誤呑銅銭」・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑪「花蜘蛛毒」・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
○[天名精]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.173)〕・
○○[葉]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.178)〕・
【附方】・・・・・(No.243)〔1/11〕
【附方】・・・・・(No.243)〔1/11〕
・①「悪蛇咬傷」・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・末尾の「天名精「釈名」地菘也」との、真斎の文がある。
これは、「天名精」の【釈名】の項に、「地菘」とあることを
注解しているものである。
○○[鶴虱]〔天名精の実〕・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.181)〕・
【附方】・・・・・(No.243)〔1/1〕
・①「大腸虫出」・・・・・・・「怪疾」〔怪疾奇方〕
○[豨薟]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.182)〕・
【附方】・・・・・(No.243)〔2/5〕
・①「丁瘡毒腫」・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・②「反胃吐食」・・・・・・・「百一」〔百一選方〕
○[箬]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.190)〕・
【附方】・・・・・(No.243)〔1/12〕
・①「吹奶乳癰」・・・・・・・「済急」〔済急仙方〕
○[蘆]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.193)〕・
○○[根]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.196)〕・
【附方】・・・・・(No.244)〔3/12〕
・①「骨蒸肺委」・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・②「五噎吐逆」・・・・・・「玉函」〔金匱玉函方〕
・③「鯸鮧魚食〔毒〕・・・・・・「千金」〔千金方〕
○○[茎葉]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.197)〕・
【附方】・・・・・(No.244)〔1/6〕
・①「小児禿瘡」・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
○[蘘荷]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.206)〕・
【附方】・・・・・(No.244)〔5/9〕
・①「卒中虫毒」・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・②「喉中似物」・・・・・・・・「梅師」
・③「月信渋滞」・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・④「雑物入目」・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑤「風冷失声」・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・『本草綱目』では、⑤、④の順番である。
○[木賊]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.224)〕・
▲〔・この項の前にある「麻黄」の項の【附方】からの記載がない
のは、「麻黄」という薬物の重要性からみると不思議である。〕▲
【附方】・・・・・(No.244~245)〔9/12〕
・①「目昏多涙」・・・・・・・・「――」
・②「舌硬出血」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「血痢不止」・・・・・・・・「聖恵」
・④「瀉血不止」・・・・・・・・「廣利」〔廣利方〕
・⑤「腸痔下血」・・・・・・・「図経」〔蘇頌図経本草〕
・⑥「大腸脱肛」・・・・・・・・「三因」〔三因方〕
・⑦「婦人血崩」・・・・・・・・「医塁」〔医塁元戎〕
・⑧「月水不断」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑨「誤呑銅銭」・・・・・・・・「聖恵」
○[燈心草]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.231)〕・
【附方】・・・・・(No.245)〔3/10〕
・①「喉風痺塞」・・・・・・・・「――」
・『本草綱目』の解説では、「瑞竹堂方・・」「一方〔A〕・・」
「一方〔B〕・・」「恵済方・・」とあるが、真斎の文は、
「一方〔A〕・・」からはじまり、末尾の「一銭吹之」の部分が
「瑞竹堂方・・」の末尾の「一捻数次立愈」に置きかわってい
る。おそらく、真斎の転記ミスと思われる。また、「恵済方・・」
などの、その他の文は省略されている。
・②「夜不合眼」・・・・・・・・・「▲」〔集簡方〕
・③「通利水道」・・・・・・・・・「韓氏医通」
●【考察1】●
いくつかの省略や記載ミスもみられるが、真斎の記載方法は基本的にこれまでと同様であるといえよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ.》▼
▼『本草綱目』巻十六「草部」・・・・「草之五」(隰草類下)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[地黄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.235)〕・
【附方】・・・・・(No.245~246)〔12/64〕
・①「骨蒸労熱」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・②「初生便血」・・・・・・・・「全幼」〔全幼心鑑〕
・③「産後血病〔痛〕」・・・・・・「良方」〔婦人良方〕
・④「血熱生癬」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑤「一切癰疽」・・・・・・・・「博済」〔王袞博済方〕
・⑥「打撲損傷」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑦「物傷睛突」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・⑧「牙歯挺長」・・・・・・・・「備急」〔張文仲備急方〕
・⑨「牙動欲脱」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑩「耳中常鳴」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑪「鬚髪黄赤」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・⑫「毒箭入肉」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[牛膝]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.258)〕・
○○[根]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.260)〕・
【附方】・・・・・(No.246)〔10/21〕
・①「婦人血塊」・・・・・・・・・「図経」〔図経本草〕
・②「生胎欲去」・・・・・・・・・「良方」〔婦人良方〕
・③「胞衣不下」・・・・・・・・・「延年」〔延年方〕
・④「産後尿血」・・・・・・・・・「熊氏補遺」
・⑤「口舌瘡爛」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑥「天〔牙〕歯疼痛」・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑦「折傷閃肭」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・⑧「金瘡作痛」・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・⑨「卒得悪瘡」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑩「風瘙癮疹」・・・・・・・・・「千金」
○○[茎葉]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.265)〕・
【附方】・・・・・(No.246)〔2/4〕
・①「気湿痺痛」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「眼生珠管」・・・・・・・・・「聖恵」
○[紫菀]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.266)〕・
【附方】・・・・・(No.246)〔1/7〕
・①「纏喉風痺」・・・・・・・・・「▲」〔斗門方〕
○[麦門冬]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.272)〕・
【附方】・・・・・(No.246~247)〔7/12〕
・①「吐血衄血」・・・・・・・・「心統」〔活人心統〕
・②「衄血不止」・・・・・・・・「保命」〔保命集〕
・③「歯縫出血」・・・・・・・・「宝鑑」〔蘭室宝鑑〕
・④「咽喉生瘡」・・・・・・・・「▲」〔普済方〕
・⑤「乳汁不下」・・・・・・・・「熊氏」〔熊氏補遺〕
・⑥「金石薬発」・・・・・・・・「図経」〔図経本草〕
・⑦「男女血虚」・・・・・・・・「摘要」〔医方摘要〕
○[鴨跖草]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.285)〕・
【附方】・・・・・(No.247)〔4/4〕
・①「小便不通」・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・②「下痢赤白」・・・・・・・・「全書」〔活幼全書〕
・③「喉痺腫痛」・・・・・・・・「▲」〔袖珍方〕
・④「五痔腫痛」・・・・・・・・「得效」〔得效方〕
○[葵]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.287)〕・
○○[苗]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.289)〕・
【附方】・・・・・(No.247)〔3/4〕
・①「肉錐怪疾」・・・・・・・「奇疾」〔夏子益奇疾方〕
・②「湯火傷瘡」・・・・・・・・「食物」〔食物本草〕
・③「誤呑銅銭」・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○○[根]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.292)〕・
【附方】・・・・・(No.247)〔4/12〕
・①「消中尿多」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・②「瘭疽悪毒」・・・・・・・「集験」〔姚僧坦集験方〕
・③「口吻生瘡」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・④「蛇虺螫傷」・・・・・・・・「▲」〔古今録験〕
○○[冬葵子]・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.293)〕・
【附方】・・・・・(No.247)〔7/20〕
・①「小便血林」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「妊娠水腫」・・・・・・・「金遺〔匱〕」〔金匱要略〕
・③「倒生口噤」・・・・・・・・「産宝」〔昝殷産宝〕
・④「胎死腹中」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑤「胞衣不下」・・・・・・・・「千金」
・⑥「面上皰瘡」・・・・・・・・「陶隠」〔陶隠居方〕
・⑦「解蜀椒毒」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
【発明】・・・・・(No.247)
⑦「解蜀椒毒」の次にある「婦人良方云・・」の文章は、【発明】
の項からの記載である。
○[蜀葵]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.296)〕・
○○[根茎]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.299)〕・
【附方】・・・・・(No.248)〔2/7〕
・①「小児吻瘡」・・・・・・・・「▲」〔聖恵方〕
・末尾に「蜀葵根也下同」との、真斎の文がある。
・②「小児口瘡」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○○[呉葵華]・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.300)〕・
【附方】・・・・・(No.248)〔5/7〕
・①「横生倒産」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「酒皶赤鼻」・・・・・・・・「仁存」〔仁存方〕
・③「誤呑鍼銭」・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・④「蜂蠍螫毒」・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑤「二便関格」・・・・・・・・「――」
・『本草綱目』では、⑤が最初に出ている。
○○[子]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.301)〕・
【附方】・・・・・(No.248)〔3/3〕
・①「大小便閉」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「石淋破血」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「癰腫無頭」・・・・・・・・「経験」〔経験後方〕
○[黄蜀葵]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.304)〕・
○○[花]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.306)〕・
【附方】・・・・・(No.248)〔3/8〕
・①「難産催生」・・・・・・・・・「▲」〔産宝鑑〕
・②「小児口瘡」・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・③「小児禿瘡」・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○○[子・根]・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.307)〕・
【附方】・・・・・(No.248)〔1/4〕
・①「臨産催生」・・・・・・・・「経験方」
○[龍葵]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.308)〕・
○○[茎葉根]・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.311)〕・
【附方】・・・・・(No.248)〔3/12〕
・①「従高墜下」・・・・・・・「経験」〔唐瑤経験方〕
・②「天泡湿瘡」・・・・・・・・「――」
・③「辟除蚤虱」・・・・・・・・「――」
・「博 以此方考 一方・・・」との真斎の処方が記されている。
○[敗醤]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.323)〕・
【附方】・・・・・(No.249)〔1/5〕
・①「産後腹痛」・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
○[欵冬花]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.327)〕・
【附方】・・・・・(No.249)〔1/2〕
・①「痰嗽帯血」・・・・・・・・「済生」〔済生方〕
○[决明]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.335)〕・
【附方】・・・・・(No.249)〔2/8〕
・①「積年失明」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・②「青盲雀目」・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[地膚]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.341)〕・
○○[子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.343)〕・
【附方】・・・・・(No.249)〔3/10〕
・①「疝気危急」・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・②「妊娠患淋」・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・③「肢体疣目」・・・・・・・・「寿域」〔寿域神方〕
○[瞿麥]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.346)〕・
【附方】・・・・・(No.249)〔3/11〕
・①「子死腹中」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「咽喉骨硬」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・③「竹木肉入」・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
○[葶藶]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.359)〕・
【附方】・・・・・(No.249)〔1/20〕
・①「白禿頭瘡」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[車前]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.368)〕・
○○[子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.370)〕・
【附方】・・・・・(No.249)〔7/12〕
・①「石淋作痛」・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・②「滑胎易産」・・・・・・・・「▲」〔婦人良方〕
・③「陰冷悶疼」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「陰下痒痛」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・⑤「久患内障」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑥「補虚明目」・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・⑦「風熱目暗」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○○[草・根]・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.373)〕・
【附方】・・・・・(No.249~250)〔3/11〕
・①「小便不通」・・・・・・・・「百一」〔百一方〕
・②「熱痢不止」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「目赤作痛」・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・末尾にある「小児目痛」という小文字の文も原文のものである。
○[馬鞭草]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.376)〕・
○○[苗葉]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.373)〕・
【附方】・・・・・(No.250)〔3/15〕
・①「鼓脹煩渇」・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・②「婦人経閉」・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「白癩風瘡」・・・・・・・・「聖恵」
○[女青]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.384)〕・
【附方】・・・・・(No.250)〔1/3〕
・①「辟禳瘟疫」・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・末尾にある「此女青別録曰・・・」の文は、【集解】の項の「【別
録曰】女青・・」により、真斎が書いたものである。
○[鱧腸]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.392)〕・
【附方】・・・・・(No.250)〔2/10〕
・①「烏髪固歯」・・・・・・・・「――」
・ここでは、始めの「摂生妙用方・・」の文を省略し、中ほど
の「又法・・」の文のみを記載している。その後の「奉親養
老書・・」の文も省略している。長文のためであろうか。
・②「風牙疼痛」・・・・・・・・「集玄」〔集玄方〕
○[連翹]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.397)〕・
○○[茎葉]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.400)〕・
【附方】・・・・・(No.250)〔2/3〕
・①「瘰癧結核」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・②「頂辺馬刀」・・・・・・・・・「活法」〔活法機要〕
○[蒴藋]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.405)〕・
【附方】・・・・・(No.250)〔3/19〕
・①「癰腫悪肉」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「手足疣目」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「熊羆傷人」・・・・・・・「備急」〔張文仲備急方〕
○[藍]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.410)〕・
【附方】・・・・・(No.250~251)〔6/17〕
・①「服薬過剤」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・②「卒自縊死」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「唇辺生瘡」・・・・・・・・・「千金」
・④「歯𧏾腫痛」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑤「白頭禿瘡」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・⑥「天泡熱瘡」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[藍澱]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.418)〕・
【附方】・・・・・(No.251)〔1/4〕
・①「誤呑水蛭」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[青黛]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.420)〕・
【附方】・・・・・(No.251)〔5/13〕
・①「小児驚癇」・・・・・・・・・「生々」〔生生編〕
・②「小児夜啼」・・・・・・・・・「生々」
・③「産後発狂」・・・・・・・・・「摘玄」[摘玄〔方〕]
・④「瘰癧未穿」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・⑤「諸毒虫傷」・・・・・・・・・「録験」〔古今録験〕
○[蓼]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.425)〕・
○○[実]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.428)〕・
【附方】・・・・・(No.251)〔4/4〕
・①「傷寒労復」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・②「霍乱煩渇」・・・・・・・・・「聖恵」[聖恵〔方〕]
・③「小児頭瘡」・・・・・・・・・「薬性」〔薬性論〕
・④「蝸牛咬毒」・・・・・・・・「蔵器」〔陳蔵器本草〕
○○[苗葉]・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.429)〕・
【附方】・・・・・(No.251)〔4/7〕
・①「蓼汁酒」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「夏月暍死」・・・・・・・「外台」[外台〔秘要〕]
・③「血気攻心」・・・・・・・・「斗門」[斗門〔方〕]
・④「悪犬咬傷」・・・・・・・・「肘後」[肘後〔方〕]
○[葒草]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.432)〕・
○○[花]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.435)〕・
【附方】・・・・・(No.251)〔2/3〕
・①「心気●〔疒のなかに「丂」〕痛」・・・
・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・②「腹中痞積」・・・・・・・・「保寿」〔保寿堂方〕
○[虎杖]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.441)〕・
【附方】・・・・・(No.251)〔3/6〕
・①「心気●〔疒のなかに「丂」〕痛」・・・
・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・②「腹中痞積」・・・・・・・・「保寿」〔保寿堂方〕
○[虎杖]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.441)〕・
【附方】・・・・・(No.251)〔3/6〕
・①「小便五淋」・・・・・・・・「集験」〔集験方〕
・②「月水不利」・・・・・・・・「▲」〔聖恵方〕
・「又方・・」以下の文を省略している。長文のためであろう。
・③「時疫流毒」・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
○[萹蓄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.449)〕・
【附方】・・・・・(No.251~252)〔2/9〕
・①「痔発腫痛」・・・・・・・・「薬性」〔薬性論〕
・②「悪瘡痂痒」・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
○[蒺●〔莉の下に木〕]○・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.453)〕・
○○[白蒺●〔莉の下に木〕]・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.457)〕・
【附方】・・・・・(No.252)〔8/17〕
・①「催生下衣」・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・②「蚘虫心痛」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・③「三十年失明」・・・・・・・「外台」
・④「牙歯出血」・・・・・・・・「道蔵経」
・⑤「打動牙疼」・・・・・・・・「瑞竹」〔瑞竹堂方〕
・⑥「面上瘢痕」・・・・・・・・「救急」〔救急方〕
・⑦「白癜風疾」・・・・・・・「孫真」〔孫真人食忌〕
・⑧「一切丁腫」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○[穀精草]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.460)〕・
【附方】・・・・・(No.252)〔3/8〕
・①「偏正頭痛」・・・・・・「集験方」「聖恵〔済〕方」
・②「目中翳膜」・・・・・・・・「▲」〔明目方〕
・③「小児中暑」・・・・・・・・「保幼」〔保幼大全〕
○[海金沙]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.463)〕・
【附方】・・・・・(No.252)〔2/6〕
・①「膏淋如油」・・・・・・・・・「仁存」〔仁存方〕
・②「痘瘡変黒」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
○[紫花地丁]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.469)〕・
【附方】・・・・・(No.252)〔1/8〕
・①「一切悪瘡」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
●【考察2】●
ここでもいくつかのところでの省略などがみられる。しかし、真斎の按文なども適切なものであり、十分な思案によるものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ.》▼
▼『本草綱目』巻十七・上「草部」・・・「草之六」(毒草類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[大黄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.477)〕・
【附方】・・・・・(No.252)〔4/51〕
・①「打撲傷痕」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・②「金瘡煩痛」・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「凍瘡破爛」・・・・・・・・・「宝鑑」〔衛生宝鑑〕
・④「湯火傷灼」・・・・・・・・「夷堅」〔洪邁夷堅志〕
○[商陸]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.496)〕・
【附方】・・・・・(No.252)〔1/15〕
・①「耳卒熱腫」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
○[澤漆]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.527)〕・
【附方】・・・・・(No.253)〔1/8〕
・①「癬瘡有虫」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
○[甘遂]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.531)〕・
【附方】・・・・・(No.253)〔1/22〕
・①「耳卒聾閉」・・・・・・・・・「永類」〔永類方〕
○[続随子]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.538)〕・
【附方】・・・・・(No.253)〔1/6〕
・①「黒子疣贅」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[蓖麻]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.554)〕・
○○[子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.456)〕・
【附方】・・・・・(No.253)〔10/38〕
・①「口目喎斜」・・・・・・・・・「――」
・最初の文のみを記載し、「婦人良方・・」「一方・・」の二つの
文は省略している。処方の主要文としては、最初の文のみで十
分なのであろう。
・②「舌脹塞口」・・・・・・・・・「経験」〔経験良方〕
・③「催生下胞」・・・・・・・・「海上集験方」「肘後方」
・④「急喉痺塞」・・・・・・・・・「――」
・『本草綱目』では、④が③の前にある。
・⑤「盤脹生産」・・・・・・・・・「▲」〔摘玄方〕
・「塗頂、方同上」とあるが、この前の処方の出典は「摘玄」で
ある。
・⑥「催生下胎」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑦「一切毒腫」・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑧「癘風鼻塌」・・・・・・・・・「杜壬」〔杜壬方〕
・⑨「髪黄不黒」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・⑩「湯火灼傷」・・・・・・・・・「古今」〔古今録験〕
○[藜蘆]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.578)〕・
【附方】・・・・・(No.254)〔2/18〕
・①「頭生蟣虱」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・②「頭風白屑」・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
○[附子]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第五冊、p.586)〕・
【附方】・・・・・(No.254)〔4/113〕
・①「十指疼痛」・・・・・・・・・「簡易」〔簡易方〕
・②「鼻淵脳泄」・・・・・・・・・「普済」[普済〔方〕]
・③「耳鳴不止」・・・・・・・・・「産乳」〔楊氏産乳〕
・④「久生疥癬」・・・・・・・・・「聖恵」[聖恵〔方〕]
●【考察3】●
ここでも一部の省略や転記のミスなどがみられるが、真斎の記載方法に特に変化はないといえよう。
◎・むすび・◎
このたび、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方が、『本草綱目』の各薬物の【附方】からの記載であることが判明したことにより、『真斎聚方』の全体的構成が、ここに初めて明らかになった。
そして、すでに述べたように、真斎は、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方を、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から、基本的に「原文」そのままの内容で記載している。
それは、これまでの真斎の「筆写・抄出方法」を踏襲しているものである、と言えるであろう。
各処方の抄出については、真斎の臨床家としての必要性から選ばれたものと思われる。
『真斎聚方』「本草之部 附方」もまた、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から臨床的に参考となる処方群を抄出して、臨床研究に役立てるということが目標であった。その「按文」の一つひとつの内容が、それを物語っている。
いずれにしても、『本草綱目』の各薬物の【附方】を、これほど多く記載した真斎の研究態度には、感服せざるを得ない。
以上は、「第1回目の考証」における「むすび」であり、私はこの時点で『真斎聚方』「本草之部 附方」の全体的な評価を急ぐ必要はないと思う。その全体的な評価は、今後、さらなる「考証と考察」を進めてからでも十分であろう。
上記の「むすび」については、今回の「第3回目の考証」においても基本的に変わりはないと言えるであろう。
真斎が記載している処方群には、同名の処方も少なくない。このような処方記載の傾向を探ることは、真斎の医学的な関心を見る上にも大切なことがらである。
〔2019年3月25日、PHN(思想・人間・自然)、第38号、PHNの会発行〕
〔2019年3月25日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』における
「本草之部 附方」の処方群〔【X】=No.210~333〕は、
『本草綱目』の【附方】からの記載であることの考証、
および『真斎聚方』の全体的な構成について
――【X-2】『真斎聚方』〔No.223~240〕
――さらに、真斎の「筆写・抄出方法」から
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との
内容的同一性について考える
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」35号に引き続いて、No.115以降の処方群と、それらに関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群についての考証と考察を進める予定であったが、今回は、急遽予定を変更して、『真斎聚方』の「最終見出し」であるところの「本草之部 附方」〔No.210~333〕についての考証と考察を行うことにした。
「本草之部 附方」は、それまでの記述とは、大きく異なっており、その「出典」書目数も膨大であり、何による記載であるのかが、これまで不明であった。それは、『真斎聚方』における「最後の難関」と思われた。
しかし、実際に調査をしてみると、この問題は、意外にもすぐさま解決したのである。すなわち、「本草之部 附方」は、『本草綱目』の【附方】などからの記載であることが、このたび明らかとなった。
『本草綱目』は、各薬物などを、
【釈名】【集解】【正誤】【修治】【気味】【主治】【発明】【附方】
の八項目にわけて記述している。
真斎は、最後の【附方】の処方群の中から選んで記載していることが明らかになった。一部には、【発明】や【修治】の項目からも記載しているところもある。
『真斎聚方』「本草之部 附方」には、『本草綱目』の書名も、処方のある巻数や「薬物名」などの項目も記されていない。したがって、本稿では【附方】などのある『本草綱目』の巻数や分類項目、さらには「薬物名」などをも示して、『真斎聚方』「本草之部 附方」の内容構成が明確となるように記述することとした。
今回は、その「第2回目」であり、【X-2】『真斎聚方』〔No.223~240〕まで、すなわち、『本草綱目』の巻十二〔草部〕~十四〔草部〕に相当する部分である。
◎・『真斎聚方』の全体的構成について・◎
このたび、「本草之部 附方」の「出典」が判明したことにより、『真斎聚方』の全体的な構成を、次のように把握することができるようになった。
▼〔第一部〕・・・『真斎聚方』・「第一編」▼
・『真斎聚方』〔No.1~36〕
・この巻頭部分は、『類聚方集覧』などから記載によるものであり、
おもに『真斎方記』へと増補されるところのものである。
〔『PHN』32号(2018年8月号)を参照〕
▼〔第二部〕・・・『真斎聚方』・「第二編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.37~115〕+〔「B」=No.116~209〕
・次は、各医書群と『名家方選』三部作からの処方群である。
〔「A」については、『PHN』33号(2018年9月号)~35号
(2018年11月号)を参照。〕
〔「B」については、今後、考証の予定であるが、その一部であ
る安藤昌益と山脇東洋の処方群については、『PHN』30号
(2018年4月号)・31号(2018年5月号)を参照のこと。〕
・この「第二編」については、考証をさらに進めた上で、その
構成について再考する予定である。
▼〔第三部〕・・・『真斎聚方』・「第三編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.210~240〕+〔「B」=No.240~333〕
・『真斎聚方』の「第三編」と言える「本草之部 附方」は、この
たび『本草綱目』【附方】などからの記載であることが明らかに
なったのである。
・『真斎聚方』の「本草之部 附方」は、分量的には、『真斎聚方』
の中の三分の一を超えており、上記の「第一編」と「第二編」
を合わせて、仮に『真斎聚方』の「前編」とすれば、明らかに
『真斎聚方』の「後編」と呼んでよいものである。
〔「A」については、『PHN』36号(2019年1月号)および
『PHN』37号(2019年2月号)を参照のこと。〕
〔「B」については、今後、順次に考証の予定である。〕
●・【出典】の考証のための文献一覧・●
・『新註校定・国譯本草綱目』(第四冊)〔草部〕
(昭和48年11月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第四冊)と略記する。〕
・〔明〕李時珍『本草綱目』(全二冊)
(1986年5月、商務印書館香港分館刊)〔和田文庫蔵〕
・『補註・本草綱目』(上巻、多紀安元遺稿、多紀鶴郎・永島忠共纂)
(大正四年十月、半田屋医籍商店刊)〔和田文庫蔵〕
▼凡例▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・。。。。。〔『本草綱目』の薬物名〕
【附方】・・・・・(No.210)。。。。。〔『真斎聚方』における№〕
〔1/5〕。。。〔『本草綱目』の5処方の内の1処方を記載〕
・「軽粉破口」・・・・・。。。。。「外台」〔A〕 〔外台秘要〕〔B〕
〔A〕=『真斎聚方』における略書名。
〔B〕=『本草綱目』を参照したわかりやすい書名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・「▲」は、『真斎聚方』に出典が欠落しているもの。
・「――」は、『本草綱目』に出典の記載なきもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・『真斎聚方』「本草之部 附方」の処方群の「出典」
である『本草綱目』【附方】との考証と考察・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ.》▼
▼『本草綱目』巻十二「草部」・・・・「草之一」(山草類上)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[甘草]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.1)〕・
【附方】・・・・・(No.223)〔7/35〕
・①「初生便閉」・・・・・・・・・・・「▲」〔全幼心鑑〕
・②「小児撮口」・・・・・・・・・・・「玉函」〔金匱玉函〕
・③「痘瘡煩渇」・・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・④「陰頭生瘡」・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑤「代指腫痛」・・・・・・・・・・・「千金」
・⑥「凍瘡発裂」・・・・・・・・・・・「談埜」〔談埜翁方〕
・⑦「湯火瘡灼」・・・・・・・・・・・「李楼」〔李楼奇方〕
○[黄耆]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.17)〕・
【附方】・・・・・(No.223~224)〔2/14〕
・①「腸風瀉血」・・・・・・・・・「秘宝」〔孫用和秘宝方〕
・②「欬嗽膿血」・・・・・・・・・・・「▲」〔席延賞方〕
○[人参]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.30)〕・
【附方】・・・・・(No.224)〔11/77〕
・①「喘急欲絶」・・・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・②「産後発喘」・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「産後不語」・・・・・・・・・・・「良方」〔婦人良方〕
・④「横生倒産」・・・・・・・・・・・「良方」
・⑤「虚労発熱」・・・・・・・・・・・「奇效」〔奇效良方〕
・⑥「欬嗽吐血」・・・・・・・・・・・「朱氏集験方」
・⑦「歯縫出血」・・・・・・・・・・「談埜」〔談埜翁試效方〕
・⑧「消渇引飲」・・・・・・・・・・・「集験」
・『本草綱目』には、「鄭氏家伝・・」「聖済総録・・」
の文があるが、この二つの文は省略されている。
・⑨「下痢禁口」・・・・・・・・・・「良選」〔経験良選方〕
・⑩「老人虚痢」・・・・・・・・・・・「十便」〔十便良方〕
・⑪「傷寒壊證」・・・・・・・・・・・「百一」〔百一選方〕
○[沙参]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.64)〕・
【附方】・・・・・(No.225)〔3/3〕
・①「肺熱欬嗽」・・・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・②「卒得疝気」・・・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・後半の「按 丹参 附方【寒疝腹痛】・・「聖恵」」という按文
は、真斎が「丹参」〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.200)〕の附
方【寒疝腹痛】の全文をここに引いているものである。
・③「婦人白帯」・・・・・・・・・・・「要訣」〔證治要訣〕
○[薺苨]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.69)〕・
【附方】・・・・・(No.225)〔4/7〕
・①「解五石毒」・・・・・・・・・・・「図経」〔蘇頌図経〕
・②「解諸虫毒」・・・・・・・・・・・「▲」〔小品方〕
・③「解鉤吻毒」・・・・・・・・・・・「玉函」〔金匱玉函〕
・「按 鉤吻野葛也与此説不合」と、真斎の按文がある。
『国訳本草綱目』(第六冊、p.137)〕の「鉤吻」の【釈名】の
項に「野葛」とある。「和名」は、「つたうるし」である。
『本草綱目啓蒙』(巻十三)の「鉤吻」の項には、「黄野葛」と
あり、また、「鉤吻」については、諸説のあることが記されて
いる。
・④「面上皯皰」・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・『本草綱目』では、④、②、③、①の順番である。
○[桔梗]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.75)〕・
【附方】・・・・・(No.225)〔2/17〕
・①「骨槽風痛」・・・・・・・・・・・「経験」〔経験後方〕
・②「牙疳臭爛」・・・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
○[萎蕤]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.96)〕・
【附方】・・・・・(No.225)〔1/7〕
・①「小便卒淋」・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[知母]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.106)〕・
【附方】・・・・・(No.225)〔1/7〕
・①「紫癜風疾」・・・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
○[朮]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.130)〕・
【附方】・・・・・(No.225~226)〔6/31〕
・①「五飲酒癖」・・・・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・②「面多●〔黒の右に干〕●〔黒の右に曾〕」・・・
・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・③「自汗不止」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「老小虚汗」・・・・・・・・・・「心鑑」〔全幼心鑑〕
・⑤「老小滑瀉」・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑥「牙歯日長」・・・・・・・・・・「備急良方」
○○[蒼朮]・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.142)〕・
【附方】・・・・・(No.225~226)〔2/33〕
・①「湿気身痛」・・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・②「風牙腫痛」・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[貫衆]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.164)〕・
【附方】・・・・・(No.226)〔7/15〕
・①「鼻衄不止」・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「頭瘡白禿」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「漆瘡作癢」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「雞魚骨哽」・・・・・・・・・・「普済」
・⑤「解軽粉毒」・・・・・・・・・「積徳」〔陸氏積徳堂方〕
・⑥「血痢不止」・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑦「便毒腫痛」・・・・・・・・・・「多能」〔多能鄙事〕
○[遠志]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.173)〕・
【附方】・・・・・(No.226)〔5/7〕
・①「喉痺作痛」・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・②「脳風頭痛」・・・・・・・・・・「宣明」〔宣明方〕
・③「吹乳腫痛」・・・・・・・・・・「袖珍」〔袖珍方〕
・④「一切癰疽」・・・・・・・・・・「三因」〔三因方〕
・⑤「小便赤濁」・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[淫羊藿]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.179)〕・
【附方】・・・・・(No.226~227)〔2/8〕
・①「仙霊脾酒」・・・・・・・・・・「心鏡」〔食医心鏡〕
・②「遍風不遂」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[玄参]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.190)〕・
【附方】・・・・・(No.227)〔6/9〕
・①「諸毒鼠瘻」・・・・・・・・・「開宝」〔開宝本草〕
・②「年久瘰癧」・・・・・・・・・・「廣利」〔廣利方〕
・③「発班〔斑〕咽痛」・・・・・・「活人」〔南陽活人書〕
・④「急喉痺風」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑤「鼻中生瘡」・・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・⑥「焼香治癆」・・・・・・・・・・「経験方」
・末尾の小文字文も、『本草綱目』のものである。
○[地楡]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.195)〕・
【附方】・・・・・(No.227)〔5/14〕
・①「毒蛇螫人」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・②「虎犬咬傷」・・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・③「代指腫痛」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「小児湿瘡」・・・・・・・・・・「千金」
・⑤「小児面瘡」・・・・・・・・・「総微」〔衛星総微方〕
○[丹参]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.200)〕・
【附方】・・・・・(No.227)〔1/7〕
・①「丹参散」・・・・・・・・・・「明理」〔婦人明理方〕
○[紫草]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.210)・
【附方】・・・・・(No.227)〔5/9〕
・①「嬰童疹痘」・・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・②「癰疽便閉」・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・③「小児白禿」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「小便卒淋」・・・・・・・・・「千金翼」〔千金翼方〕
・⑤「産後淋瀝」・・・・・・・・・・「産宝」
○[白頭翁]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.215)〕・
【附方】・・・・・(No.227~228)〔2/5〕
・①「外痔腫痛」・・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・②「小児禿瘡」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
○[白及]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.219)〕・
【附方】・・・・・(No.228)〔9/9〕
・①「鼻衄不止」・・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・②「心気疼痛」・・・・・・・・・・「生々」〔生生編〕
・③「重舌鵞口」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「婦人陰脱」・・・・・・・・・・「廣済」〔廣済方〕
・⑤「疔瘡腫毒」・・・・・・・・・・「袖珍」〔袖珍方〕
・⑥「打跌骨折」・・・・・・・・・・「永類」〔永類方〕
・⑦「刀斧傷損」・・・・・・・・・・「済急」〔済急方〕
・⑧「手足皸裂」・・・・・・・・・・「済急」
・⑨「湯火傷灼」・・・・・・・・・・「趙真人方」
○[三七]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.224)〕・
【附方】・・・・・(No.228)〔8/8〕
・①「吐血衄血」・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・②「赤痢血痢」・・・・・・・・・・「集簡」
・③「大腸下血」・・・・・・・・・・「集簡」
・④「婦人血崩」・・・・・・・・・・「集簡」
・⑤「産後血多」・・・・・・・・・・「集簡」
・⑥「男婦赤眼」・・・・・・・・・・「集簡」
・⑦「無名癰腫」・・・・・・・・・・「集簡」
・⑧「虎咬蛇傷」・・・・・・・・・・「集簡」
●【考察1】●
一部の省略や処方の順番が前後しているところなどがあるものの、基本的に原文のとおりの記載であることに変わりはない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ.》▼
▼『本草綱目』巻十三「草部」・・・・「草之二」(山草類下)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[黄連]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.229)〕・
【附方】・・・・(No.228~229)〔14/[53]=実数による〕
・①「熱毒赤痢」・・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・②「下痢腹痛」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・③「治痢香連丸」・・・・・・・・・「――」
・④「雞冠痔疾」・・・・・・・・・・「斗門」〔斗門方〕
・⑤「痔病祕結」・・・・・・・・・「大成」〔医方大成〕
・⑥「痢痔脱肛」・・・・・・・・・「経験」〔経験良方〕
・⑦「小児食土」・・・・・・・・・「秘訣」〔童子秘訣〕
・⑧「小児月蝕」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・⑨「預解胎毒」・・・・・・・・・「湯液」〔湯液本草〕
・⑩「腹中児哭」・・・・・・・・・「補遺」〔熊氏補遺〕
・⑪「因驚胎動」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・⑫「妊娠子煩」・・・・・・・・・「良方」〔婦人良方〕
・⑬「癰疽腫毒」・・・・・・・・・・「簡易」〔簡易方〕
・⑭「中巴豆毒」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
○[胡黄連]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.250)〕・
【附方】・・・・・(No.229)〔1/15〕
・①「嬰児赤目」・・・・・・・・・・「仙方」〔済急仙方〕
○[黄芩]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.254)〕・
【附方】・・・・・(No.229~230)〔9/17〕
・①「膚熱如燎」・・・・・・・・・・「発明珍注」
・『本草綱目』の「膚熱如燎」の項の原註「方見発明下」を受け
て、真斎は[黄芩]の【発明】の項の末尾から記載し、出典を
「発明珍注」と記している。「珍注」とは言うまでもなく「李
時珍」の注のことである。
・②「三補丸」・・・・・・・・・・・「纂要」〔丹渓纂要〕
・『本草綱目』では、①「膚熱如燎」が、②の後にある。
・③「小児驚啼」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・④「眉眶作痛」・・・・・・・・・・「家珍」〔潔古家珍〕
・⑤「吐血衄血」・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑥「吐衄下血」・・・・・・・・・・・「卒病」〔卒病論〕
・⑦「血淋熱痛」・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑧「経水不断」・・・・・・・・・・「瑞竹」〔瑞竹堂方〕
・⑨「安胎清熱」・・・・・・・・・・「纂要」〔丹渓纂要〕
○[秦艽]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.266)〕・
【附方】・・・・・(No.230)〔1/11〕
・①「暴瀉引飲」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[茈胡]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.270)〕・
【附方】・・・・・(No.230)〔1/6〕
・①「虚労発熱」・・・・・・・・・・「澹寮」〔澹寮方〕
○[前胡]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.281)〕・
【附方】・・・・・(No.230)〔1/1〕
・①「小児夜啼」・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[防風]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.285)〕・
【附方】・・・・・(No.230)〔6/11〕
・①「睡中盗汗」・・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・②「偏正頭風」・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・③「解烏頭毒」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「解芫花毒」・・・・・・・・・・「千金」
・⑤「解野菌毒」・・・・・・・・・・「千金」
・⑥「解諸薬毒」・・・・・・・・・・「積善」〔積善堂〕
○[升麻]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.302)〕・
【附方】・・・・・(No.230)〔3/13〕
・①「胃熱歯痛」・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・②「口舌生瘡」・・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・③「熱疿瘙痒」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[苦参]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.311)〕・
【附方】・・・・・(No.230)〔4/28〕
・①「大腸脱肛」・・・・・・・・・「摘要」〔医方摘要〕
・②「下部漏瘡」・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・③「瘰癧結核」・・・・・・・・・・「備急」〔備急方〕
・④「湯火傷灼」・・・・・・・・・・「宝鑑」〔衛生宝鑑〕
○[延胡索]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.322)〕・
【附方】・・・・・(No.230)〔3/15〕
・①「産後諸病」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「疝気危急」・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・③「墜落車馬」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[貝母]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.327)〕・
【附方】・・・・・(No.230~231)〔5/17〕
・①「小児晬嗽」・・・・・・・・・「心鑑」〔全幼心鑑〕
・②「吹奶作痛」・・・・・・・・「得効」〔危氏得效方〕
・③「紫白癜班〔斑〕」・・・「徳生堂方」「談埜翁方」「聖恵方」
・④「蜘蛛咬傷」・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・⑤「蛇蠍咬傷」・・・・・・・・・・「直指」
○[山慈姑]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.334)〕・
○○[根]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.335)〕・
【附方】・・・・・(No.230~231)〔2/5〕
・①「粉滓面●〔黒の右に干〕」・・・・「普済」〔普済方〕
・②「牙齦腫痛」・・・・・・・・・・「集効」〔集效方〕
○[白茅]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.343)〕・
【附方】・・・・・(No.231)〔8/14〕
・①「反胃上気」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・②「肺熱気喘」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・③「虚後水腫」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・④「解中酒毒」・・・・・・・・・・・・〔千金方〕
・真斎の「出典」表記に、「肘后」とあるのは誤り。
・⑤「小便熱淋」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・⑥「小便出血」・・・・・・・・・「談埜」〔談埜翁方〕
・⑦「鼻衄不止」・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑧「吐血不止」・・・・・・・・・「千金翼〔方〕」
○[龍胆]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.353)〕・
【附方】・・・・・(No.231)〔4/10〕
・①「小児盗汗」・・・・・・・・・「百問」〔嬰童百問〕
・②「咽喉熱痛」・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・③「眼中漏膿」・・・・・・・・・・「鴻飛」〔鴻飛集〕
・④「蛔虫攻心」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[細辛]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.357)〕・
【附方】・・・・・(No.231~232)〔7/8〕
・①「小児口瘡」・・・・・・・・・「▲」〔衛星家宝方〕
・②「小児客忤」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・③「口舌生瘡」・・・・・・・・・・「三因」〔三因方〕
・④「口瘡𧏾歯」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑤「鼻中息肉」・・・・・・・・・・「聖恵」
・⑥「諸般耳聾」・・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・⑦「暗風卒倒」・・・・・・・・・・「得効」〔得效方〕
・『本草綱目』の順番は、⑦、②、①、③・・である。
○[白微]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.375)〕・
【附方】・・・・・(No.232)〔5/5〕
・①「肺実鼻塞」・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「婦人遺尿」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「血淋熱淋」・・・・・・・・・・「千金」
・④「婦人欠厥」・・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・⑤「金瘡出血」・・・・・・・・・「儒門」〔儒門事親〕
●【考察2】●
ここでも処方の記載の順番が前後しているところがある。また、小さな記載ミスもみられるが、大勢には影響ないものである。
真斎が、『本草綱目』の内容を、実に丁寧に検討していることは、数少ない真斎の「按文」からも理解できるであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ.》▼
▼『本草綱目』巻十四「草部」・・・・・「草之三」(芳草類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[当帰]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.393)〕・
【附方】・・・・・(No.232~233)〔8/27〕
・①「大便不通」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・②「室女経閉」・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・③「産難胎死」・・・・・・・・・「良方」〔婦人良方〕
・④「産後腹痛」・・・・・・・・・・・「良方」
・⑤「産後自汗」・・・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・⑥「小児臍湿」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑦「湯火傷瘡」・・・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・「按一方 当帰・地黄・芍薬・・・」「主治同前方并治諸腫物痛」
との、真斎による按文がある。
・⑧「白黄色枯」・・・・・・・・・・「三十六黄方」
○[芎藭]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.405)〕・
【附方】・・・・・(No.233)〔9/19〕
・①「気虚頭痛」・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・②「気厥頭痛」・・・・・・・・・・・「御薬院方」
・③「風熱頭痛」・・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・④「頭風化痰」・・・・・・・・・「経験」〔経験後方〕
・⑤「偏頭風痛」・・・・・・・・・「斗問〔門〕」〔斗門方〕
・⑥「経閉験胎」・・・・・・・・・・「霊苑」〔霊苑方〕
・⑦「損動胎気」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑧「歯敗口臭」・・・・・・・・・・「廣済」〔廣済方〕
・⑨「諸瘡腫痛」・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[蛇牀]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.417)〕・
【附方】・・・・・(No.233)〔4/15〕
・①「陽事不起」・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「子宮寒冷」・・・・・・・・「玉函」〔金匱玉函方〕
・③「婦人陰癢」・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・④「冬月喉痺」・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[藁本]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.421)〕・
【附方】・・・・・(No.233)〔2/3〕
・①「乾洗頭屑」・・・・・・・・・「図纂」〔便民図纂〕
・②「小児疥癬」・・・・・・・・・「保幼」〔保幼大全〕
○[白芷]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.425)〕・
○○[根]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.427)〕・
【附方】・・・・・(No.233~234)〔21/34〕
・①「小児身熱」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・②「頭面諸風」・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・③「偏正頭風」・・・・・・・・「談埜」〔談埜翁試效方〕
・④「眉稜骨痛」・・・・・・・・・「纂要」〔丹渓纂要〕
・⑤「口歯気臭」・・・・・・・・・・「済生方」
・⑥「盗汗不止」・・・・・・・・・「集験」〔朱氏集験方〕
・⑦「脚気腫痛」・・・・・・・・・「摘要」〔医方摘要〕
・⑧「婦人難産」・・・・・・・・・「経験」〔唐瑤経験〕
・⑨「大便風秘」・・・・・・・・・「十便」〔十便良方〕
・⑩「小便気淋」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑪「鼻衄不止」・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・⑫「小便出血」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・⑬「腸風下血」・・・・・・・「選奇」〔余居士選奇方〕
・⑭「痔漏出血」・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・⑮「痔瘡腫痛」・・・・・・・・・「摘要」〔医方摘要〕
・⑯「腫毒熱痛」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・⑰「乳癰初起」・・・・・・・・・「秘伝外科〔方〕」
・⑱「刀箭傷瘡」・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑲「解砒石毒」・・・・・・・・・「事林」〔事林廣記〕
・⑳「諸骨硬咽」・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・㉑「毒蛇傷螫」・・・・・・・・「洪邁」〔洪邁夷堅志〕
・末尾の「小文字部分」も原文のものである。
○[芍薬]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.435)〕・
【附方】・・・・・(No.235)〔8/16〕
・①「脚気腫痛」・・・・・・・・「事林」〔事林廣記〕
・②「消渇引飲」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・③「経水不正」・・・・・・・・「補遺」〔熊氏補遺〕
・④「血崩帯下」・・・・・・・・「良方」〔婦人良方〕
・⑤「赤白帯下」・・・・・・・・・「廣利」〔廣利方〕
・⑥「痘瘡脹痛」・・・・・・・・・「痘疹」〔痘疹方〕
・⑦「木舌腫満」・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・⑧「魚骨硬咽」・・・・・・・・「事林」〔事林廣記〕
○[木香]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.451)〕・
【附方】・・・・・(No.235)〔5/21〕
・①「小児陰腫」・・・・・・・「小児」〔曾氏小児方〕
・②「一切癰疽」・・・・・・・・・「▲」〔和剤局方〕
・③「悪蛇虺傷」・・・・・・・・・「袖珍」〔袖珍方〕
・④「腋臭陰湿」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・⑤「牙歯疼痛」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
○[甘松香]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.460)〕・
【附方】・・・・・(No.235)〔2/4〕
・①「労瘵熏法」・・・・・・・・・・「奇效」〔奇效方〕
・②「面●〔黒の右に干〕風瘡」・・・「良方」〔婦人良方〕
○[山柰]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.462)〕・
【附方】・・・・・(No.235)〔2/6〕
・①「面上雀斑」・・・・・・・・・・「――」
・②「醒頭去屑」・・・・・・・・・・「水雲」〔水雲録〕
○[豆蔲]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.478)〕・
【附方】・・・・・(No.236)〔1/10〕
・①「香口辟臭」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
○[白豆蔲]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.486)〕・
【附方】・・・・・(No.236)〔4/5〕
・①「人忽悪心」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・②「小児吐乳」・・・・・・・・・・「得効」〔得效方〕
・③「脾虚反胃」・・・・・・・・・・「済生」〔済生方〕
・④「産後呃逆」・・・・・・・・・「乾坤」〔乾坤生意〕
○[縮砂蔤]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.488)〕・
【附方】・・・・・(No.236)〔7/16〕
・①「婦人血崩」・・・・・・・・・「良方」〔婦人良方〕
・②「口吻生瘡」・・・・・・・・・「簡方」〔簡易方〕
・③「魚骨入咽」・・・・・・・・・「▲」〔百一選方〕
・④「歯痛〔牙歯〕疼痛」・・・・・「直指」〔直指方〕
・⑤「熱擁咽痛」・・・・・・・・・「戴原」〔戴原禮方〕
・○「魚骨入咽」・・・・・・・・・「▲」〔百一選方〕
・③と同様の記載で、ダブリ。
・⑥「誤呑諸物」・・・・・・・・・「得効」〔得效方〕
・⑦「一切食毒」・・・・・・・・・「事林」〔事林廣記〕
・『本草綱目』では、①、⑤、④、②、③、⑥・・の
順番である。
○[益智子]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.493)〕・
【附方】・・・・・(No.236)〔4/8〕
・①「小便頻数」・・・・・・・・・「朱氏集験〔方〕」
・②「腹脹忽瀉」・・・・・・・・・「得効」〔得效方〕
・③「婦人崩中」・・・・・・・・・「産宝」
・④「香口辟臭」・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
○[蓽茇]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.498)〕・
【附方】・・・・・(No.236)〔2/10〕
・①「鼻流清涕」・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・②「風虫牙痛」・・・・・・・・・・・「――」
・「本草権度」「聖済総録」による文を省略している。
○[肉豆蔲]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.507)〕・
【附方】・・・・・(No.236)〔2/7〕
・①「霍乱吐利」・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「老人虚瀉」・・・・・・・「瑞竹」〔瑞竹堂方〕
○[補骨脂]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.511)〕・
【附方】・・・・・(No.237)〔2/15〕
・①「腎虚腰痛」・・・・・・・・・・「――」
・「和剤局方」による長文を省略している。
・②「小児遺尿」・・・・・・・・「百問」〔嬰童百問〕
○[薑黄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.519)〕・
【附方】・・・・・(No.237)〔2/4〕
・①「心痛難忍」・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・②「瘡癬初生」・・・・・・・・・「千金翼〔方〕」
○[鬱金]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.523)〕・
【附方】・・・・・(No.237)〔5/13〕
・①「自汗不止」・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・②「衄血吐血」・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・③「中砒霜毒」・・・・・・・・「事林」〔事林廣記〕
・④「痔瘡腫痛」・・・・・・・・「摘要」〔医方摘要〕
・⑤「耳内作痛」・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
○[蓬莪荗]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.529)〕・
【附方】・・・・・(No.237)〔4/9〕
・①「一切冷気」・・・・・・・・「家宝」〔衛星家宝方〕
・②「上気喘急」・・・・・・・・「保生」〔保生方〕
・③「気短不接」・・・・・・・・「秘宝」〔秘宝方〕
・④「初生吐乳」・・・・・・・・「保幼」〔保幼大全〕
○[荊三稜]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.533)〕・
【附方】・・・・・(No.237)〔4/8〕
・①「癥瘕鼓脹」・・・・・・・・「千翼」〔千金翼方〕
・②「反胃悪心」・・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・③「乳汁不下」・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・④「渾身燎泡」・・・・・・・・・「得効」〔得效方〕
○[莎香附子]○・・・・国訳本草綱目』(第四冊、p.540)〕・
【附方】・・・・・(No.237~238)〔13/48〕
・①「升降諸気」・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・②「一切気疾」・・・・・・・・「局方」
・③「心腹諸痛」・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・④「酒腫虚腫」・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・⑤「気鬱吐血」・・・・・・・・「丹溪」「澹寮方」
・⑥「小便血淋」・・・・・・・・「十便」〔十便良方〕
・⑦「女人頭痛」・・・・・・・・「経験」〔経験良方〕
・⑧「耳卒聾閉」・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・⑨「聤耳出汁」・・・・・・・・「経験」〔経験良方〕
・⑩「諸般牙痛」・・・・・・・・・・〔普済方〕
・真斎の出典表記「経験」は、誤り。
・⑪「牢牙去風」・・・・・・・・「済生」〔済生方〕
・⑫「消渇累年」・・・・・・・・・「――」
・⑬「蜈蚣咬傷」・・・・・・・・「袖珍」〔袖珍方〕
○[線香]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.574)〕・
【附方】・・・・・(No.238)〔1/1〕
・①「楊梅毒瘡」・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[藿香]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.575)〕・
【附方】・・・・・(No.239)〔3/6〕
・①「霍乱吐瀉」・・・・・・・「百一」〔百一選方〕
・②「香口去臭」・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・③「冷露瘡爛」・・・・・・・「応験」〔応験方〕
○[薫草]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.578)〕・
【附方】・・・・・(No.239)〔2/10〕
・①「頭風白屑」・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「婦人断産」・・・・・・・「集要」〔医林集要〕
○[澤蘭]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.594)〕・
【附方】・・・・・(No.239)〔1/5〕
・①「産後陰翻」・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[香薷]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.603)〕・
【附方】・・・・・(No.239)〔1/10〕
・①「口中臭気」・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「小児髪遅」・・・・・・・「永類」〔永類鈴方〕
・③「白禿惨痛」・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
○[假蘇]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.613)〕・
【附方】・・・・・(No.239)〔2/31〕
・①「小児脱肛」・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・②「癃閉不通」・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[薄荷]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.624)〕・
【附方】・・・・・(No.239)〔3/10〕
・①「水入耳中」・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・②「蜂●〔萬の下に虫〕螫傷」・・・・「外台」
・③「火毒生瘡」・・・・・・・「医説」〔張杲医説〕
○[積雪草]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.630)〕・
【附方】・・・・・(No.239)〔1/4〕
・①「男女血病」・・・・・・・・「集験」〔董炳集験方〕
○[蘇]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.634)〕・
【附方】・・・・・(No.239~240)〔3/15〕
・①「風狗咬傷」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「蛇虺傷人」・・・・・・・・「千金」
・③「食蟹中毒」・・・・・・・・「金匱」〔金匱要略〕
○○[子]・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.640)〕・
【附方】・・・・・(No.240)〔1/9〕
・①「食蟹中毒」・・・・・・・・「金匱」〔金匱要略〕
○[水蘇]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第四冊、p.644)〕・
【附方】・・・・・(No.240)〔5/15〕
・①「沐髪令香」・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「頭生白屑」・・・・・・・「普済」
・③「暑月目昏」・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・④「中諸魚毒」・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑤「蛇虺螫傷」・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
●【考察3】●
いくつか省略されている部分もみられるが、これらの「処方群」に学ぶという点において、真斎の記載方法は一貫しているものと言えよう。
◎・むすび・◎
このたび、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方が、『本草綱目』の各薬物の【附方】からの記載であることが判明したことにより、『真斎聚方』の全体的構成が、ここに初めて明らかになった。
そして、すでに述べたように、真斎は、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方を、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から、基本的に「原文」そのままの内容で記載している。
それは、これまでの真斎の「筆写・妙出方法」を踏襲しているものである、と言えるであろう。
各処方の妙出については、真斎の臨床家としての必要性から選ばれたものと思われる。
『真斎聚方』「本草之部 附方」もまた、『本草綱目』の各薬物の【附
方】の項から臨床的に参考となる処方群を抄出して、臨床研究に役立てるということが目標であった。その「按文」の一つひとつの内容が、それを物語っている。
いずれにしても、『本草綱目』の各薬物の【附方】を、これほど多く記載した真斎の研究態度には、感服せざるを得ない。
以上は、「第1回目の考証」における「むすび」であり、私はこの時点で『真斎聚方』「本草之部 附方」の全体的な評価を急ぐ必要はないと思う。その全体的な評価は、今後、さらなる「考証と考察」を進めてからでも十分であろう。
上記の「むすび」については、今回の「第2回目の考証」においても基本的に変わりはないと言えるであろう。
真斎が記載している処方群には、同名の処方も少なくない。このような処方記載の傾向を探ることは、真斎の医学的な関心を見る上にも大切なことがらである。
〔2019年2月25日、PHN(思想・人間・自然)、第37号、PHNの会発行〕
〔2019年2月25日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』における
「本草之部 附方」の処方群〔【X】=No.210~333〕は、
『本草綱目』の【附方】からの記載であることの考証、
および『真斎聚方』の全体的な構成について――――
【X-1】『真斎聚方』〔No.210~223〕
『本草綱目』巻八〔金石部〕、および巻九~十一〔石部〕
――さらに、真斎の「筆写・抄出方法」から
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との
内容的同一性について考える
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」35号に引き続いて、No.115以降の処方群と、それらに関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群についての考証と考察を進める予定であったが、今回は、急遽予定を変更して、『真斎聚方』の「最終見出し」であるところの「本草之部 附方」〔No.210~333〕についての考証と考察を行うことにした。
「本草之部 附方」は、それまでの記述とは、大きく異なっており、その「出典」書目数も膨大であり、何による記載であるのかが、これまで不明であった。それは、『真斎聚方』における「最後の難関」と思われた。
しかし、実際に調査をしてみると、この問題は、以外にもすぐさま解決したのである。すなわち、「本草之部 附方」は、『本草綱目』の【附方】からの記載であることが、このたび明らかとなった。
『本草綱目』は、各薬物などを、
【釈名】【集解】【正誤】【修治】【気味】【主治】【発明】【附方】
の八項目にわけて記述している。
真斎は、最後の【附方】の処方群の中から選んで記載していることが明らかになった。一部には、【発明】や【修治】の項目からも記載しているところもある。
『真斎聚方』「本草之部 附方」には、『本草綱目』の書名も、処方のある巻数や「薬物名」などの項目も記されていない。したがって、本稿では【附方】などのある『本草綱目』の巻数や分類項目、さらには「薬物名」などをも示して、『真斎聚方』「本草之部 附方」の内容構成が明確となるように記述することとした。
今回は、その第1回目であり、【X-1】=『真斎聚方』〔No.210~223まで〕、すなわち、『本草綱目』では、巻八〔金石部〕、および巻九~十一〔石部〕に相当する部分である。
◎・『真斎聚方』の全体的構成について・◎
このたび、「本草之部 附方」の「出典」が判明したことにより、『真斎聚方』の全体的な構成を、次のように把握することができるようになった。
▼〔第一部〕・・・『真斎聚方』・「第一編」▼
・『真斎聚方』〔No.1~36〕
・この巻頭部分は、『類聚方集覧』などから記載によるものであり、
おもに『真斎方記』へと増補されるところのものである。
〔『PHN』32号(2018年8月号)を参照〕
▼〔第二部〕・・・『真斎聚方』・「第二編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.37~115〕+〔「B」=No.116~209〕
・次は、各医書群と『名家方選』三部作からの処方群である。
〔「A」については、『PHN』33号(2018年9月号)~35号
(2018年11月号)を参照。〕
〔「B」については、今後、考証の予定であるが、その一部であ
る安藤昌益と山脇東洋の処方群については、『PHN』30号
(2018年4月号)・31号(2018年5月号)を参照のこと。〕
▼〔第三部〕・・・『真斎聚方』・「第三編」▼
・『真斎聚方』〔「A」=No.210~223〕+〔「B」=No.223~333〕
・『真斎聚方』の「第三編」と言える「本草之部 附方」は、この
たび『本草綱目』【附方】などからの記載であることが明らかに
なったのである。
・『真斎聚方』の「本草之部 附方」は、分量的には、『真斎聚方』
の中の三分の一を超えており、上記の「第一編」と「第二編」
を合わせて、仮に『真斎聚方』の「前編」とすれば、明らかに
『真斎聚方』の「後編」と呼んでよいものである。
〔「A」については、『PHN』36号(2019年1月号)を参照〕
〔「B」については、今後、考証の予定である。〕
●・【出典】の考証のための文献一覧・●
・『新註校定・国譯本草綱目』(第三冊)〔水部・火部・土部・金石部〕
(昭和49年5月、新註増補版、春陽堂書店刊)〔和田文庫蔵〕
〔以下、『国訳本草綱目』(第三冊)と略記する。〕
・〔明〕李時珍『本草綱目』(全二冊)
(1986年5月、商務印書館香港分館刊)〔和田文庫蔵〕
▼凡例▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・。。。。。〔『本草綱目』の薬物名〕
【附方】・・・・・(No.210)。。。。。〔『真斎聚方』の№〕
〔1/5〕。。。〔『本草綱目』の5処方の内の1処方を記載の意〕
・「軽粉破口」・・・・・。。。。。「外台」〔A〕 〔外台秘要〕〔B〕
〔A〕=『真斎聚方』における略書名。
〔B〕=『本草綱目』を参照したわかりやすい書名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・「▲」は、『真斎聚方』に出典が欠落しているもの。
・「――」は、『本草綱目』に出典の記載なきもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・『真斎聚方』「本草之部 附方」の処方群の「出典」
である『本草綱目』【附方】などとの考証と考察
――【X-1】『真斎聚方』〔No.210~223〕・◎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅰ.》▼
▼『本草綱目』巻八「金石部」・・・・・「金之一」(金類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[金]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.139)〕
【附方】・・・・・(No.210)〔1/5〕
○[銀]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.149)〕
【附方】・・・・・(No.210)〔3/6〕
・①「妊娠腰痛」・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・②「胎動欲堕」・・・・・・・・・「婦良」〔婦人良方〕
・③「身面赤疵」・・・・・・・・・「千翼」〔千金翼方〕
○[赤銅]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.160)
【附方】・・・・・(No.210)〔1/1〕
・①「腋下狐臭」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○[自然銅]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.163)
【附方】・・・・・(No.210)〔1/3〕
・①「項下気癭」・・・・・・・・・・・「直指」〔仁斎直指方〕
○[銅青]○・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.170)〕
【附方】・・・・・(No.210~211)〔6/13〕
・①「爛弦風眼」・・・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・②「赤髪禿落」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・③「面黶黒痣」・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・④「走馬牙疳」・・・・・・・・・・・「経験」〔真人経験方〕
・⑤「臁瘡頑癬」・・・・・・・・・・・「筆雑」〔筆峯雑興〕
○[鉛]○・・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.172)〕
【附方】・・・・・(No.211)〔3/21〕
・①「瘰癧結核」・・・・・・・・・・・「傳信」〔傳信方〕
・②「解砒霜毒」・・・・・・・・・・・「危病」〔華佗危病方〕
・③「解硫黄毒」・・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[粉錫]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.183)〕
【附方】・・・・・(No.211~212)〔23/44〕
・①「小児無辜疳」・・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・②「小児腹脹」・・・・・・・・・・・「子母」
・③「腹皮青色」・・・・・・・・・・・「子母」
・④「小児夜啼」・・・・・・・・・・・「子母」
・⑤「寸白蚘虫」・・・・・・・・・・・「備急」〔備急方〕
・⑥「鼻衄不止」・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑦「歯縫出血」・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・⑧「墜撲瘀血」・・・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑨「折傷接骨」・・・・・・・・・・・「接骨」〔接骨方〕
・⑩「抓傷面皮」・・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑪「食梅牙●〔歯ヘンに楚〕」・・・・・「相感」〔相感志〕
・⑫「染白鬚髪」・・・・・・・・・・・「博物」〔博物志〕
・⑬「腋下胡臭」・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑭「陰股常湿」・・・・・・・・・・・「備急」〔備急方〕
・⑮「乾湿癬瘡」・・・・・・・・・・・「備急」
・⑯「燕口吻瘡」・・・・・・・・・・・「▲」〔普済方〕
・⑰「痘瘡瘢痕」・・・・・・・・・・・「小児」〔陳文中小児方〕
・⑱「瘡似峰窠」・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・⑲「血風臁瘡」・・・・・・・・・「孫氏集効方」、「楊氏簡便方」
・⑳「諸蛇螫傷」・・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・㉑「誤呑金銀」・・・・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・㉒「三年目瞖」・・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・「予用鉛糖鉛糖蘭説製未極是予別有説」との真斎の按文
がある。
・㉓「接骨続筋」・・・・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
○[鉛丹]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.191)〕
・①「吐血咯血」・・・・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・②「寒熱瘧痰」・・・・・・・・・・・・「――」
・③「赤目及瞖」・・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「小児口瘡」・・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑤「婦人逆産」・・・・・・・・・・・・「集験」〔集験方〕
・⑥「蠍蠆螫人」・・・・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑦「金瘡出血」・・・・・・・・・・・・「▲」〔集玄方〕
・「金瘡出血」の途中から欠落あり。
・原文の「為末」と「為末」の間の文が欠落。明らかな転記
ミスである。
・⑧〔「外痔腫痛」〕・・・・・・・・・・・「嬰童」〔嬰童百問〕
・「外痔腫痛」の前半まで欠落している。
・⑨「血風臁瘡」・・・・・・・・・・・・「積徳」〔積徳堂方〕
○[密陀僧]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.198)〕
【発明】・・・・・(No.212)
・この項からの記載あり。
【附方】・・・・・(No.212~213)〔9/18〕
・①「香口去臭」・・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「小児口瘡」・・・・・・・・・・・・「簡易」〔簡易方〕
・③「鼻皶赤皰」・・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「痘瘡瘢黶」・・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑤「●〔黒の右に干〕●〔黒の右に曽〕斑点」・・・
・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑥「夏月汗班〔斑〕」・・・・・・・・・「心統」〔活人心統〕
・⑦「骨疽出骨」・・・・・・・・・・・・「寿域」〔寿域方〕
・⑧「血風臁瘡」・・・・・・・・・・・・「集効」〔集效方〕
・⑨「陰汗湿痒」・・・・・・・・・・・・「――」
○[鍚]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.203)〕
【附方】・・・・・(No.213)〔1/2〕
・①「解砒霜毒」・・・・・・・・・・・・「済急」〔済急方〕
○[鉄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.218)〕
【附方】・・・・・(No.213)〔1/6〕
・①「脱肛歴年」・・・・・・・・・・・・「集験」〔集験方〕
○[鋼鉄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.222)〕
○○[鉄粉]・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.224)〕
【附方】・・・・・(No.213)〔5/6〕
・①「驚癇発熱」・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「急驚涎潮」・・・・・・・・・・・「▲」〔楊氏家蔵方〕
・④「頭痛鼻塞」・・・・・・・・・・・「▲」〔聖恵方〕
・⑤「雌雄疔腫」・・・・・・・・・・・「集玄」〔集玄方〕
○○[鍼砂]・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.225)〕
【附方】・・・(No.213)〔4/10〕
・①「風湿脚痛」・・・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・②「脾労黄病」・・・・・・・・・・・「摘玄」
・③「項下気癭」・・・・・・・・・・・「直指」〔直指方」〕
・④「染白鬚髪」・・・・・・・・・・・「――」
○[鉄鏽]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.232)〕
【附方】・・・・・(No.213~214)〔5/8〕
・①「湯火傷瘡」・・・・・・・・・・・・「積徳」〔積徳堂方〕
・②「風瘙癮疹」・・・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・『本草綱目』では、「湯火傷瘡」の前にあり。
・③「脚腿紅腫」・・・・・・・・・・・・「恵済」〔恵済方〕
・④「重舌腫脹」・・・・・・・・・・・・「生々」〔生生編〕
・⑤「小児口瘡」・・・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
○[鉄漿]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.234)〕
【附方】・・・・・(No.214)〔1/5〕
・①「漆瘡作痒〔癢〕」・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○[諸鉄器]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.235)〕
【附方】・・・・・(No.214)〔2/4〕
・①「舌腫咽痛」・・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「誤呑竹木」・・・・・・・・・・・・「集玄」〔集玄方〕
○○[鉄鋸]・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.239)〕
・【主治】「誤竹木・・」 ・・・・(No.214)
・[鉄鋸]【主治】の項からの記載である。
●【考察1】●
『真斎聚方』「本草之部 附方」が、『本草綱目』巻八の「金石部」から始まっているのはなぜであろうか。それは、次の『本草綱目』の構成から明らかである。
『本草綱目』(巻一)・・・・「序例上」
『本草綱目』(巻二)・・・・「序例下」
『本草綱目』(巻三)・・・・「百病主治薬上」
『本草綱目』(巻四)・・・・「百病主治薬下」
『本草綱目』(巻五)・・・・「水部」
『本草綱目』(巻六)・・・・「火部」
『本草綱目』(巻七)・・・・「土部」
すなわち、『本草綱目』(巻一)から『本草綱目』(巻四)までは、臨床的な内容ではなく、『本草綱目』(巻五)から『本草綱目』(巻七)は、【附方】もあり臨床的な内容であるが、【附方】の数も少なく、その頻用性は低いように思えるのである。
真斎は、より臨床的で頻用性のある『本草綱目』巻八「金石部」から記載を始めたと考えてよいであろう。
ちなみに、小野蘭山『本草綱目啓蒙』もまた、『本草綱目』(巻一)から『本草綱目』(巻四)までを省略し、『本草綱目』(巻五)の「水之部」からを、「巻之一」として記述しているのである。
真斎の記載には、明らかな転記ミスもみられるが、基本的に原文の内容どおりに記載していると言える。
「出典」の書目は、『本草綱目』におけるフルネームを「略名」で表記している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅱ.》▼
▼『本草綱目』巻八「金石部」・・・・「石之二」(玉類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[珊瑚]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.261)〕
【附方】・・・・・(No.214)〔1/1〕
・①「小児麩瞖」・・・・・・・・・・「篋中」〔銭相公篋中方〕
○[雲母]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.273)〕
【附方】・・・・・(No.214)〔9/14〕
・①「小児下痢」・・・・・・・・・・・・「心鑑」〔食医心鑑〕
・②「赤白久痢」・・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「婦人帯下」・・・・・・・・・・・・「千金」
・④「小便淋疾」・・・・・・・・・・・・「▲」〔千金方〕
・⑤「婦人難産」・・・・・・・・・・・・「積徳」〔積徳堂方〕
・⑥「粉滓面●〔黒の右に干〕」・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・⑦「風●〔ヤマイダレに軫〕遍身」・・・「千金」
・⑧「一切悪瘡」・・・・・・・・・・・・「千金」
・⑨「金瘡出血」・・・・・・・・・・・・「▲」〔事林廣記〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅲ.》▼
▼『本草綱目』巻九「石部」・・・・「石之三」(石類上)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[丹砂]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.295)〕
【附方】・・・・・(No.214)〔3/34〕
・①「妊婦胎動」・・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「子死腹中」・・・・・・・・・・・・「十全」〔十全博救方〕
・③「目生障瞖」・・・・・・・・・・・・「普済」
○[水銀]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.316)〕
【附方】・・・・・(No.214)〔1/29〕
・①「白癜風痒」・・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
○[雄黄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.349)〕
【附方】・・・・・(No.214~215)〔14/62〕
・①「偏頭風病」・・・・・・・・・・・・「博済」〔博済方〕
・②「百虫入耳」・・・・・・・・・・・・「▲」〔十便良方〕
・③「蜘蛛傷人」・・・・・・・・・「乾〔朝〕野」〔朝野僉載〕
・④「金瘡内漏」・・・・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑤「杖瘡腫痛」・・・・・・・・・・・・「救急」〔救急方〕
・⑥「解藜蘆毒」・・・・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・⑦「小児痘疔」・・・・・・・・・・・・「証治」〔痘疹証治〕
・⑧「眉毛脱落」・・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・⑨「蛇纏悪瘡」・・・・・・・・・・・・「▲」〔普済方〕
・⑩「纏喉風痺」・・・・・・・・・・・・「続千金方」
・⑪「牙歯虫痛」・・・・・・・・・・・・「類要」
・⑫「走馬牙疳」・・・・・・・・・・・・「全幼」〔全幼心鑑〕
・⑬「耳出臭膿」・・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済方〕
・⑭「臁瘡日久」・・・・・・・・・・・・「筆峯」〔筆峯雑興〕
○○[熏黄]・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.364)〕
【附方】・・・・・(No.215)〔2/5〕
・①「欬嗽熏法」・・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「手足甲疽」・・・・・・・・・・・・「近効」〔近効方〕
○[雌黄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.365)〕
【附方】・・・・・(No.215)〔4/12〕
・①「烏癩虫瘡」・・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・②「牛皮頑癬」・・・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・③「腎消尿数」・・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・④「小便不禁」・・・・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・上記③④の二方は、『本草綱目』では①「烏癩虫瘡」の前にあり。
○[石膏]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.370)〕
【附方】・・・・・(No.215~216)〔9/29〕
・①「傷寒発狂」・・・・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・②「水瀉腹鳴」・・・・・・・・・・・・「李楼」〔李楼奇方〕
・③「乳汁不下」・・・・・・・・・・・・「子母」〔子母秘録〕
・④「婦人乳癰」・・・・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・⑤「油傷火灼」・・・・・・・・・・・・「梅師」〔梅師方〕
・⑥「金瘡出血」・・・・・・・・・・・・「積徳」〔積徳堂方〕
・⑦「刀瘡傷湿」・・・・・・・・・・・・「積徳」
・⑧「瘡口不歛」・・・・・・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・⑨「口痛〔瘡〕咽痛」・・・・・・・・・「三因」〔三因方〕
・「以上 石膏之部也」との真斎の文がある。
○[滑石]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.392)〕
【発明】・・・・・(No.216)
・この項の「頌曰・・・」からの記載がある。
【附方】・・・・・(No.216)〔7/19〕
・①「傷寒衄血」・・・・・・・・・・・・「本事」〔本事方〕
・②「気壅関格」・・・・・・・・・・・・「▲」〔廣利方〕
・③「小便不通」・・・・・・・・・・・「楊氏」〔楊氏産乳〕
・④「婦人転脬」・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑤「妊娠子淋」・・・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・⑥「痘瘡狂乱」・・・・・・・・・・「痘疹」〔王氏痘疹方〕
・⑦「益元散」・・・・・・・・・・・・「直格」〔傷寒直格〕
・『本草綱目』では、⑦「益元散」は、これら【附方】の最初にあるものであるが、⑥「痘瘡狂乱」の中で「益原〔元〕散」に「・・を加え」、とあるため、真斎は、ここに処方のみの部分を記載している。『本草綱目』における「益元散」の原文は、極めて長文なものである。
○[五色石脂]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.405)〕
○○[白石脂]・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.409)〕
【附方】・・・・・(No.216)〔3/6〕
・①「児臍汁出」・・・・・・・・・・・「獨行」〔韋宇獨行方〕
・②「児臍出血」・・・・・・・・・・・「衍義」〔寇氏衍義〕
・③「粉滓面●〔黒の右に干〕」・・・・・「聖済」〔聖済録〕
○○[赤石脂]・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.411)〕
【附方】・・・・・(No.216)〔3/12〕
・①「痰飲吐水」・・・・・・・・・・・「千翼」〔千金翼方〕
・②「経水過多」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・③「小便不禁」・・・・・・・・・・・「普済」
○[爐甘石]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.416)〕
【附方】・・・・・(No.217)〔5/15〕
・①「一切目疾」・・・・・・・・・・・「――」
・②〔「爛弦風眼」〕・・・・・・・・・・「――」
・「爛弦風眼」の方中から「宣明眼科方」のみを記載している。
・③「聤耳出汁」・・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・④「下疳陰瘡」・・・・・・・・・・・「▲」〔通妙邵真人方〕
・⑤「陰汗湿痒」・・・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
○[石灰]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.456)〕
【附方】・・・・・(No.217)〔13/46〕
・①「染髪烏鬚」・・・・・・・・・・・・「集玄」〔集玄方〕
・②「身面疣目」・・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「面黶疣痣」・・・・・・・・・・・・「集玄」〔集玄方〕
・④「疣痣瘤贅」・・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑤「癰疽瘀肉」・・・・・・・・・・・・「普済」
・⑥「疔瘡悪腫」・・・・・・・・・・・・「普済」
・⑦「湯火傷灼」・・・・・・・・・・・・「肘後」〔肘後方〕
・⑧「杖瘡腫痛」・・・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑨「刀刃金瘡」・・・・・・・・・・・・「肘後」
・⑩「誤呑金銀」・・・・・・・・・・・・「秘宝」〔秘宝方〕
・⑪「馬汁〔汗〕入瘡」・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・⑫「螻蛄咬人」・・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑬「蚯蚓咬人」・・・・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
○[浮石]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.465)〕
【附方】・・・・・(No.217)〔1/12〕
・①「頭核脳痺」・・・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
●【考察2】●
【附方】からの各処方の記載の順序については、『本草綱目』での順序を、変更しているところがあることがわかる。
○[陽起石]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.473)〕
【修治】・・・・・(No.218)
・この項の全文を記載している。
○[陽起石]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、[慈石]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.478)〕
【附方】・・・・・(No.218)〔9/15〕
・①「耳卒聾閉」・・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・②「陽事不起」・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・③「眼昏内障」・・・・・・・・・・「原機」〔原機啓微集〕
・④「小児驚癇」・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・⑤「子宮不収」・・・・・・・・・・・「――」
・⑥「金瘡腸出」・・・・・・・・・・・「鬼遺」〔鬼遺方〕
・⑦「金瘡血出」・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑧「丁腫熱毒」・・・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・⑨「諸般腫毒」・・・・・・・・・・・「乾坤」〔乾坤秘韞〕
○[代赭石]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.487)〕
【発明】・・・・・(No.218)
・この項から「珍注・・」の部分を記載している。
【附方】・・・・・(No.218~219)〔6/16〕
・①「腸風下血」・・・・・・・・・・・「斗門」〔斗門方〕
・②「吐血衄血」・・・・・・・・・・・「斗門」
・③「堕胎下血」・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・④「婦人血崩」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑤「赤眼腫閉」・・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・⑥「喉痺腫痛」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[禹餘粮]○・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.494)〕
【附方】・・・・・(No.219)〔2/9〕
・①「身面瘢痕」・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・②「大風癘疾」・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
○[緑青]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.514)〕
【附方】・・・・・(No.219)〔1/4〕
・①「液下胡臭」・・・・・・・・・・・「集玄」〔集玄方〕
○[石胆]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.520)〕
【附方】・・・・・(No.219)〔5/20〕
・①「喉痺喉風」・・・・・・・・・・・「済生」〔済生方〕
・②「歯痛及落」・・・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・③「風犬咬毒」・・・・・・・・・・・「済急」〔済急方〕
・④「液下胡臭」・・・・・・・・・・・「簡易」〔簡易方〕
・⑤「赤白癜風」・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
○[礞石]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.552)〕
【附方】・・・・・(No.219)〔2/4〕
・①「一切積病」・・・・・・・・・・「楊氏」〔楊氏家蔵方〕
・②「急慢驚風」・・・・・・・・・「湯氏」〔湯氏嬰孩宝鑑〕
○[蛇黄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.581)〕
【附方】・・・・・(No.219~220)〔5/6〕
・①「暗風癇疾」・・・・・・・・・・「得效」〔危氏得效方〕
・②「驚風癇疳」・・・・・・・・・・・「霊苑」〔霊苑方〕
・③「小児項軟」・・・・・・・・・・・「活幼」〔活幼全書〕
・④「血痢不止」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑤「腸風下血」・・・・・・・・・・・「普済」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼《Ⅴ.》▼
▼『本草綱目』巻十一「石部」・・・・「石之五」(鹵石類)より▼
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○[食塩]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.589)〕
【発明】・・・・・(No.220)
・この項の「頌曰・・・」からの記載がある。
【附方】・・・・・(No.220)〔1/69〕
・①「脱陽虚證」・・・・・・・・・・・「救急」〔救急方〕
○[凝水石]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.618)〕
【附方】・・・・・(No.220)〔3/4〕
・①「牙齦出血」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・②「湯火傷灼」・・・・・・・・・・・「易簡」〔易簡方〕
・③「小児丹毒」・・・・・・・・・・・「経験」〔経験方〕
・「以上 三方 寒水石 皆凝水石也」との真斎の文がある。
これは、おそらく『本草綱目啓蒙』(小野蘭山)の「凝水石」
の項にある「是真の寒水石ニシテ、即、塩ノニガリノ凝リテ石
ノ如キ者ナリ。」「薬肆ニ●〔隹の下に口〕(うる)トコロノ寒
水石ハ、皆方解石ニシテ真物ニ非ズ。本邦ニテ誤リ来ルコト久
シ。因テ和書ニ寒水石トアルハ、方解石ヲ用ユベシ。」(『本草
綱目啓蒙』1、p.145、東洋文庫531、平凡社刊)などの記述
をふまえてのものであろう。
なお、真斎が『本草綱目啓蒙』を読んで書いたと思われる「按
文」は、『PHN』第34号における考証の中にもみられた。
○[朴消]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.630)〕
【附方】・・・・・(No.220~221)〔15/32〕
・①「関格不通」・・・・・・・・・・・「百一」〔百一方〕
・②「小便不通」・・・・・・・・・・「簡要」〔簡要済衆方〕
・③「時気頭痛」・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・④「赤眼腫痛」・・・・・・・・・・・「簡便」〔簡便方〕
・⑤「牙歯疼痛」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑥「食蟹齦腫」・・・・・・・・・・・「普済」
・⑦「喉痺腫痛」・・・・・・・・・・・〔外台秘要〕
・⑧「小児重舌」・・・・・・・・・・・「姚和」〔姚和衆〕
・⑨「口舌生瘡」・・・・・・・・・・・「孫真人方」
・⑩「小児鵞口」・・・・・・・・・・「簡要」〔簡要済衆方〕
・⑪「代指腫痛」・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑫「一切風疹」・・・・・・・・・・「梅師」〔梅師[方]〕
・⑬「漆瘡作痒」・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑭「婦人難産」・・・・・・・・・・・「信効」〔信效方〕
・⑮「死胎不下」・・・・・・・・・・・「信効」〔信效方〕
○[玄明粉]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.644)〕
【附方】・・・・・(No.221)〔1/3〕
・①「鼻血不止」・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済[録]〕
○[消石]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.648)〕
○○[生消]・・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.660)〕
【附方】・・・・・(No.221)〔6/14〕
・①「頭痛欲死」・・・・・・・・・・・「炮炙」〔炮炙論〕
・②「諸心腹痛」・・・・・・・・・・・「集玄」〔集玄方〕
・③「腰腹諸疾」・・・・・・・・・・・「集玄」
・④「眼目障瞖」・・・・・・・・・・・〔張三丰仙方〕
・この項の記載は、混乱している。
・「・・一点復明」までが「眼目障瞖」の説明文であり、それは
「眼目障瞖」の説明文の一部分である。
・末尾の「至旦塩水洗去之」の文は、この処方の前にある
「赤眼腫痛」の説明文の末尾の文である。「出典」の「聖恵」
〔聖恵方〕も、この処方のものである。
・⑤「風熱喉痺」・・・・・・・・・・・「三因」〔三因方〕
・⑥「重舌鵞口」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
○[硇砂]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.665)〕
【附方】・・・・・(No.221)〔1/28〕
・①「魚骨哽咽」・・・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
○[蓬砂]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.675)〕
【発明】・・・・・(No.221)
・この項の「洪邁夷堅志云・・・」からの記載がある。
【附方】・・・・・(No.221)〔4/12〕
・①「鼻血不止」・・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・②「飲酒不酔」・・・・・・・・・・・「相感」〔相感志〕
・③「木舌腫強」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・④「咽喉穀賊」・・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
・『本草綱目』では、③、④、②の順である。
○[石硫黄]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.679)〕
【附方】・・・・・(No.221~222)〔10/49〕
・①「小児聤耳」・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・②「小児口瘡」・・・・・・・・・・「得効」〔危氏得效方〕
・③「耳卒声〔聾〕閉」・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・④「欬逆打呃」・・・・・・・・・・・「摘要」〔医方摘要〕
・⑤「頭痛頭風」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・⑥「腎虚頭痛」・・・・・・・「聖恵方」「本事方」「普済方」
・⑦「鼻上作痛」・・・・・・・・・・・「澹寮」〔澹寮方〕
・⑧「酒●〔査の右に皮〕赤鼻」・・・・・「瑞竹堂方」
・⑨「鼻面紫風」・・・・・・・・・・・「宣明」〔宣明方〕
・⑩「身面疣目」・・・・・・・・・・・「普済」〔普済方〕
・『本草綱目』では、①、②、③が、⑩の後にある。
○[礬石]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.700)〕
【附方】・・・・・(No.222~223)〔16/86〕
・①「口舌生瘡」・・・・・・・・・「定斎方」「張子和方」
・②「口中気臭」・・・・・・・・・・・「生々」〔生生編〕
・③「衄血不止」・・・・・・・・・「聖済」〔聖済方[録]〕
・④「赤目風腫」・・・・・・・・・・・「集簡」〔集簡方〕
・⑤「爛弦風眼」・・・・・・・・・・・「永類」〔永類方〕
・⑥「聤耳出汁」・・・・・・・・・・・「聖済」〔聖済録〕
・⑦「卒死壮熱」・・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後方〕
・⑧「風湿膝痛」・・・・・・・・・・・「御薬院方」
・⑨「蛇虫諸毒」・・・・・・・・・・・「瑞竹」〔瑞竹堂方〕
・⑩「漆瘡作痒」・・・・・・・・・・・「千金」〔千金方〕
・⑪「小児臍腫」・・・・・・・・・・・「聖恵」〔聖恵方〕
・⑫「身面瘊子」・・・・・・・・・・・「多能」〔多能鄙事〕
・⑬「腋下胡臭」・・・・・・・・・・・「許堯臣方」
・⑭「女人陰痛」・・・・・・・・・・「肘后」〔肘後百一方〕
・⑮「丁腫悪瘡」・・・・・・・・・・「宝鑑」〔衛生宝鑑〕
・⑯「虫蛇獣毒」・・・・・・・・・・・「東坡良方」
・末尾に「按此方 雖不念薬王菩薩 可取効 然唯取愚人之気乎」
との真斎の按文がある。これは本文に「念薬王菩薩七遍」と
あるのを受けてのものである。
○[緑礬]○・・・・・〔『国訳本草綱目』(第三冊、p.718)〕
【附方】・・・・・(No.223)〔8/20〕
・①「重舌木舌」・・・・・・・・「積徳」〔陸氏積徳堂方〕
・②「爛弦風眼」・・・・・・・・・・・「永類」〔永類方〕
・③「倒睫拳毛」・・・・・・・・・・・「永類」
・④「耳生爛瘡」・・・・・・・・・・・「摘玄」〔摘玄方〕
・⑤「瘡中生蛆」・・・・・・・・・・・「摘玄」
・⑥「湯火傷灼」・・・・・・・・「経紅〔験〕」〔楊誠経験方〕
・⑦「塗染白髪」・・・・・・・・・・・「相感」〔相感志〕
・⑧「腋下胡気」・・・・・・・・・・・「直指」〔直指方〕
●【考察3】●
ここにも、すでに指摘したように、一部に記載の混乱がみられる。また、これまでと同様に各処方を記載する順序に入れ替わりがみられる。
◎・むすび・◎
このたび、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方が、『本草綱目』の各薬物の【附方】からの記載であることが判明したことにより、『真斎聚方』の全体的構成が、ここに初めて明らかになった。
そして、すでに上記の【考察1】においても述べたように、真斎は、『真斎聚方』「本草之部 附方」の各処方を、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から、基本的に「原文」そのままの内容で記載している。
それは、これまでの真斎の「筆写・妙出方法」を踏襲しているものである、と言えるであろう。
各処方の妙出については、真斎の臨床家としての必要性から選ばれたものと思われる。
『真斎聚方』「本草之部 附方」もまた、『本草綱目』の各薬物の【附方】の項から臨床的に参考となる処方群を妙出して、臨床研究に役立てるということが目標であった。その「按文」の一つひとつの内容が、それを物語っている。
いずれにしても、『本草綱目』の各薬物の【附方】を、これほど多く記載した真斎の研究態度には、感服せざるを得ない。
以上は、「第1回目の考証」における「むすび」であり、私はこの時点で『真斎聚方』「本草之部 附方」の全体的な評価を急ぐ必要はないと思う。その全体的な評価は、今後、さらなる「考証と考察」を進めてからでも十分であろう。
さて、先日届いた「安藤昌益と北千住の関係を調べる会通信」(第89号、2019年1月1日発行)には、『真斎聚方』『医論』『迷津槎談』のコピー類を入手して、希望する会員に頒布した旨が記されている。
ここに「備忘録」として記しておくと、『真斎聚方』はだいぶ以前に発見されていたが、それを直接閲覧した人は、数人と言われていた。私も今日まで、現物そのものは見ていない。
昨年三月、私が『真斎聚方』の全面複写を依頼するまで、それを全面複写した人は皆無であった。それは、『真斎聚方』が330丁を超える書物のため、撮影・複写の費用もばかにならないためであった、からであろうと思われる。その撮影にかかる費用などは、最初に複写を依頼した人の負担となるからである。
私は、意を決して、それをひとりで負担して、『真斎聚方』のデータを入手したのである。それから、その「出典」の考証などを進めて、今回、その「全体的な構成」が判明するまでに、十か月近くを要したことになる。そして、その「考証」作業は、現在進行形である。
したがって、今後の『真斎聚方』の研究にあたっては、私がこれまでに発表した『真斎聚方』に関連する論考〔「PHN」30号(2018年4月)~「PHN」36号(2019年1月)〕と、今後発表するであろうところの論考〔「PHN」37号(2019年2月、発行予定)以降〕などをも、十二分に踏まえての研究がなされることを希望しておきたい。
『真斎聚方』の原文は、いずれ「内藤記念くすり博物館」の「収蔵品デジタルアーカイブ」にて、公開されていくものと思われる。
〔2019年1月30日、PHN(思想・人間・自然)、第36号、PHNの会発行〕
〔2019年1月30日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』 の処方群
「〔11〕~〔27〕」(その「出典書目」一覧を含む)
および 「名家方選之部〔G〕~〔Q〕」 における
処方群の「出典」の考証と考察――【Ⅱ】『真斎聚方』
〔No.68~115〕
――真斎の「筆写・抄出方法」から『真斎謾筆』と
稿本『自然真営道』との内容的同一性について
考える
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎『真斎聚方』における「出典書目」一覧 および
『観聚方要補』・『雑病広要』の「出典書目」との比較表◎
―――「第2稿」・・・『真斎聚方』〔No.37~No.115〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼『観聚方要補』(多紀元簡著、文政二年〔1819〕版)
・『近世漢方医学書集成』(45~47)に収録。
・安政四年〔1857〕版あり。「原典から直接厳密に引用し、出典
を明記する。」、「処方集としての完成度において、今日これを
越えるものはない。」(小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』)
安政四年〔1857〕版は、「『観聚方要補』安政版」として影印
版が刊行されている(同刊行委員会編、医聖社、平成25年)。
▼『雑病広要』(多紀元堅著、安政三年〔1856〕)
・『近世漢方医学書集成』(48~52)に収録。
・「資料に用いられた医書は316種に及び、・・・出典を明示し、
引用は正確で・・・江戸医学館の高い水準を示している。」
(小曽戸洋、同前)
・『真斎聚方』における川村真斎の方法は、上記江戸医学館の多紀
氏と同様に原典から直接引用し、出典を明記する方法と酷似し
ている。〔和田〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『真斎聚方』 文政版『観聚方要補』 『雑病広要』
〔真斎、1852没〕 〔1819刊〕 〔1856刊〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔Ⅰ〕・初出(「PHN」34号参照)・
01~03
・『名家方選』〔1781刊〕 × ×
・『続名家方選』〔1805刊〕 × ×
・『名家方選三編』〔1807刊〕 × ×
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔Ⅰ〕・初出(「PHN」34号参照)・
01~10
・「千金要方」 ○ ○
・「瑞竹堂経験方」 ○ ○
・「普済本事方」 ○ ○
・「厳氏済生方」 ○ ○
・「和剤局方」 ○ ○
・「万病回春」 ○ ○
・「証治準縄」 ○ ○
・「金匱要略」 ○ ○
・「寿世保元」 ○ ○
・「外台秘要」 ○ ○
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11~20
・「是斎百一選方」 ○ ○
・「済生全書」 ○ ○
・「聖済総録」 ○ ○
・「外科正宗」 ○ ○
・「蘭室秘蔵」 ○ ○
・「三因方」 ○ ○
・「衛生宝鑑」 ○ ○
・「直指方」 ○ ○
・「痧脹玉衡書」 ○ ×
・「救偏瑣言」 × ×
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
21~30
・「薛立斎十六種」〔薛己〕 △ △
・「脾胃論」 ○ ○
・「活人事証方」 × ○
・「医学入門」 ○ ○
・「婦人大全良方」 ○ ○
・「魏氏家蔵方」 ○ ○
・「楊氏家蔵方」 ○ ○
・「弁惑論」 ○ ○
・「古今医鑑」 ○ ○
・「温疫論」 ○ ×
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔Ⅱ〕・初出(「PHN」35号参照)・
31~40
・「古今秘苑」 × ×
・「医学正伝」 ○ ○
・「太平聖恵方」 ○ ○
・「赤水玄珠」 ○ ○
・「幼幼新書」 ○ ○
・「本草綱目」 ○ ○
・「古今医統」 ○ ○
・「先醒斎医学広筆記」 ○ ○
・「宣明論」 ○ ○
・「続易簡方」 ○ ○
41~45
・「傷寒六書」 ○ ×
・「保赤全書」 × ×
・「傷寒緒論」〔『張氏医通』に収載〕 ○ ○
・「張氏医通」 ○ ○
・「銀海精微」 × ×
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」34号に引き続いて、『真斎聚方』のNo.68
以降の処方群(No.68~No.115)と、それらに関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群(No.69~No.115)について、できる限り「出典」の考証を行い、考究してみよう。
しかし、『真斎聚方』の膨大な処方群の「出典」の考証は、とうてい一人で短期間にできるようなものではない。以下においては、無理をしない範囲での考証にとどめることをお断りしておきたい。
むしろ、私は、『真斎聚方』における「出典書目」だけでも通覧しておくことは、今後真斎の方法と稿本『自然真営道』との関連性について考察する場合において、その意義と価値があると考え、この作業の続行を決意した次第である。
なお、本誌「PHN」33号、34号において考証した処方群を含む(No.37~No.115)の「出典書目」一覧(「第2稿」)をも収載して、なるべく『真斎聚方』の処方群の全体像を通覧できるように配慮した。
今回は、その第2回目〔Ⅱ.-〔11〕~〕であり、今後も続稿を予定している。
●【出典】の確認のための文献一覧、その他●
・「出典」が明示されている中国古典医学書の類は、おもに和田文庫
本の中文医学書などを使用し、できる限りその「原文」を参照して
考証を行った。しかし、真斎は、主に和刻本を参照しているものと
思われるので、底本による多少の誤差は覚悟のうえである。
・その他、京都大学・富士川文庫、早稲田大学・古典籍総合データ
ベースなどのWeb公開資料などによった。
・『重訂古今方彙』(古賀通元編著、文化五年〔1808〕版)〔和田文庫
蔵本による〕
「『重訂』本は、引用書目として六十三種の中国医書を示し、全
一八〇〇方を収録する。・・・『万病回春』を出典とする処方が
最も多く、・・・一般医家の愛用する第一の処方集となり、・・・
常用処方集として、今日にも強い影響を及ぼしている。」(小曽戸
洋『日本漢方典籍辞典』)」
・『名家方選』
(山田元倫〔浅井南皐〕維亨撰、中山泰成元吉校、天明元年刊
〔一七八一〕、『皇漢医学叢書、第十二冊』〔和田文庫蔵本〕所収
による)
浅井南皐(山田元倫、1760~1826)には、他に『名家灸選』(文化二刊
〔一八〇五〕)、『黴瘡約言』(享和二年刊〔一八〇二〕)、『養生録』
(文化十四年刊〔一八一七〕)などの著書がある。
・『続名家方選』
(村上等順〔名は図基〕編著、文化二年刊〔一八〇五〕、『皇漢医学
叢書、第十二冊』〔和田文庫蔵本〕所収による。なお、一部分については、
『皇漢医学叢書、第十二冊』に誤植などがあるため、京都大学・富士川文庫
本を参照した。)
・『名家方選三編』
(平井主善庸信撰、浅井子顕惟良校、文化四年刊〔一八〇七〕、
京都大学図書館・富士川文庫蔵本による)
平井庸信には、他に『続名家灸選』(文化四年刊〔一八〇七〕)、
『名家灸選三編』(文化十年刊〔一八一三〕)がある。浅井南皐の
『名家灸選』とともに、『名家灸選』の三部作は、「のちの灸治療に
影響を及ぼした」(小曽戸洋・天野陽介『針灸の歴史』)という。
◎・Ⅱ.-〔11〕・◎
・・・▽《Ⅰ.-〔10〕、「PHN」34号からの続き》▽・・
▼〔11〕・「No.68~69」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 九味清脾湯(No.68)(九味)・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
・『厳氏済生方』(巻一)【諸瘧論治】の項からの記載である。
原文の処方名は、「清脾湯」である。
②○ 蜀漆散(No.68)(三味)・・・・・・「金匱」〔金匱要略〕
・『金匱要略』(巻上)「瘧病脈・・第四」からの記載である。
・末尾の小文字部分も原文のものである。
③○ 七味清脾湯(No.68)(七味)・・・・・「三因」〔三因方〕
・『三因方』(巻六)【瘧病不内外因証治】の項からの記載であ
る。原文の処方名は、「清脾湯」である。主治文は、真斎に
よる要約文と思われる。
④○ 古今秘苑 第二方(No.68)(九味)・・・・◎〔古今秘苑〕
・『古今秘苑』の中の「古今良方」(巻十)【瘧疾】「治瘧三方」
の内の「第二方」からの記載である。
・『古今秘苑』の中の前半が「古今秘苑」(全三十二巻)で、こ
の部分は実は医学書ではない。後半が「古今良方」(全三十
二巻)で処方集となっている。
⑤○ 知母鼈甲湯(No.69)(六味)・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻五)【温瘧方】からの記載である。
⑥○ 加味香薷飲(No.69)(五味)・・・・・「済生」
・『厳氏済生方』(巻一)【諸瘧論治】の項からの記載である。
⑦○ 七宝飲(No.69)(七味)・・・・・・◎「正伝」〔医学正伝〕
・『医学正伝』(巻六)【瘧証】の項からの記載である。
原文の処方名は、「截瘧七宝飲」である。主治文は、真斎に
よる要約文と思われる。
・末尾の「本方・・」の文は、真斎のものと思われる。
⑧○ 常山飲(No.69)(七味)・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・『聖済総録』「瘧病門」【瘴瘧】の項からの記載である。
●・【考察1】・●
④の『古今秘苑』は、『観聚方要補』(文政版)や『雑病広要』においても引用されておらず、真斎の博捜の広さには驚きである。筆者もようやくにして『古今秘苑』の中文書を入手することができた。
◎・Ⅱ.-〔G〕・・・・・「外因病」【瘧】【瘧疾】・◎
・・・▽《Ⅰ.-〔F〕、「PHN」34号からの続き》▽・・
◇・「名家方選之部〔G〕」・・・・・(No.69~70)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔G〕」の処方群(No.69~70)
における『名家方選』三部作〔「外因病」【瘧】など〕
からの処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔G〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 截瘧方(No.69)(三味)・・・・・・・・・『名家方選』
「外因病」【瘧】(p.19)
②○ 又方(No.69)(二味)・・・・・・・・・・『名家方選』
「外因病」【瘧】(p.19)
③○ 治瘧母方(No.69)(四味)・・・・・・・・『名家方選』
「外因病」【瘧】(p.19)
④○ 截瘧方(No.69)(三味)・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【瘧疾】(No.49)
⑤○ 又方(No.69)(一味)・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【瘧疾】(No.50)
⑥○ 又方(No.69)(七味)・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【瘧疾】(No.50)
⑦○ 治労瘧難截者方・・・・・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【瘧】(p.80)
⑧○ 吐瘧妙方(No.69)(一味)・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【瘧】(p.80)
⑨○ 截瘧奇方(No.69)(五味)・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【瘧】(p.80)
⑩○ 截瘧一方(No.70)(二味)・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【瘧】(p.81)
⑪○ 截瘧丸 平穏之截方(No.70)(二味)・・・『続名家方選』
「外因病」【瘧】(p.81)
・「図基按・・」の按文は、編著者・村上等順によるもの。
⑫○ 治久瘧諸薬不効方(No.70)(一味)・・・・『続名家方選』
「外因病」【瘧】(p.81)
●・【考察2】・●
『名家方選』三部作における「外因病」【瘧】などの項目のすべての処方を記載していることがわかる。
◎・Ⅱ.-〔12〕・◎
▼〔12〕・「No.70~72」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 犀角旋復花湯(No.70)(七味)・・・・「千金」〔千金要方〕
・「予此方加檳郎〔榔〕」と、真斎の文がある。
②○ 大犀角湯(No.70)(十四味)・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻十八)【脚気衝心煩悶方】の項からの記載で
ある。
③○ 唐待中 療苦脚気攻心(No.70)(六味)・・「外台」
・『外台秘要』(巻十九)【脚気腫満方】の項からの記載である。
④○ 牽牛子湯(No.70)(五味)・・・・・「聖済」〔「聖済総録〕
⑤○ 崔氏 療脚気遍身腫方(No.71)(四味)・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十九)【脚気腫満方】の項からの記載である。
⑥○ 薏苡仁散(No.71)(七味)・・・・◎「聖恵」〔太平聖恵方〕
⑦○ 蘇恭防巳湯(No.71)(十味)・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十九)【脚気腫満小便渋方】の項からの記載
である。
⑧○ 延年 茯苓飲(No.71)(九味)・・・・・・・「外台」
⑨○ 思仙続断円(No.71)(九味)・・・・「本事」〔普済本事方〕
⑩○ 犀角麻黄湯(No.71)(十五味)・・・・・・「千金」
⑪○ 療脚気満小便少者方(No.71)(三味)・・・・「▲」
⑫○ 檳榔湯(No.71)(六味)・・・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
・『厳氏済生方』(巻一)【脚気論治】の項からの記載である。
原文では、「七味」である。
・「名檳蘇散」と、真斎によると思われる文がある。
⑬○ 蘇子降気湯(No.72)(十味)・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・主治文は、『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載
である。『和剤局方』では「八味」である。
○ 〔同上〕(十味) ・・・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻二)【喘急】の項からの記載である。
○ 〔同上〕 「千金方名 紫蘇子湯」・・・・・・「千金」
⑭○ 紫蘇湯(No.72)(五味)・・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十九)【脚気腫満小便渋方】の項からの記載で
ある。
⑮○ 牛膝湯(No.72)(十二味)・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十六)【筋虚極方】の項からの記載である。
◎・Ⅱ.-〔H〕・・・・・「下部病」【脚気】・◎
◇・「名家方選之部〔H〕」・・・・・(No.72~73)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔H〕」の処方群(No.72~73)
における『名家方選』三部作〔「下部病」【脚気】〕から
の処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔H〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 七味檳榔湯(No.72)(七味)・・・・・・・『名家方選』
「下部病」【脚気】(p.12)
②○ 治脚気脚弱冲〔衝〕心(No.72)(五味)・・『名家方選三編』
「下部病」【脚気】(No.37)
・小文字部分も原文のもの。
③○ 烏頭湯(No.72)(六味)・・・・・・・・・『名家方選』
「下部病」【脚気】(p.12)
④○ 黒豆湯(No.72)(三味)・・・・・・・・・『名家方選』
「下部病」【脚気】(p.12)
⑤○ 沈香湯(No.72)(七味)・・・・・・・・・『名家方選』
「下部病」【脚気】(p.12)
⑥○ 逆衝飲(No.73)(三味)・・・・・・・・・『名家方選』
「下部病」【脚気】(p.13)
⑦○ 如神丸(No.73)(四味)・・・・・・・・・『名家方選』
「下部病」【脚気】(p.13)
⑧○ 洗脚気急者方(No.73)(三味)・・・・・・『名家方選』
「下部病」【脚気】(p.13)
⑨○ 松葉酒(No.73)(三味)・・・・・・・・・『名家方選』
「下部病」【脚気】(p.13)
●・【考察3】・●
『名家方選』三部作の【脚気】の項のすべての処方が、原文どおりに記載されている。『続名家方選』には、【脚気】の項目はない。
◎・Ⅱ.-〔13〕・◎
▼〔13〕・「No.73~75」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 実脾飲(No.73)(十二味)・・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻三)【水腫】の項の「実脾飲」と【鼓腸】
の項の「分消湯」の二処方を合体して記載している。
②○ 沈香降気湯(No.73)(四味)・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻三)の【治一切気】の項からの記載である。
③○ 五霊湯(No.73)(五味)・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
④○ 紫蘇煮散(No.73)(四味)・・・・・「聖済」
⑤○ 壮原湯(No.74)(九味)・・・・・◎「赤水」〔赤水玄珠〕
⑥○ 本事方 実脾散(No.74)(六味)・・「本事」〔普済本事方〕
・『普済本事方』(巻四)【腫満水気蠱脹】の項からの記載であ
る。
○ 一方 (No.74)(十味)・・・・・・・・・・「▲」
⑦○ 五皮散(No.74)(五味)・・・・「百一」〔是斎百一選方〕
⑧○ 范汪 木〔朮〕防已湯(No.74)(八味)・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻二十)【水気方】の項からの記載である。
・末尾の「金匱・・」の文は、真斎のものである。
⑨○ 外台 麻黄湯(No.74)(五味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻二十)【風水方】の項からの記載である。
⑩○ 療患気兼水身面・・先服湯方(No.74)(六味)・・・「外台」
・『外台秘要』(巻二十)【気兼水身面腫方】の項からの記載で
ある。
・原文では「六味」あるが、ここでは「茯苓」の一味がかけて
いる。これに対しての真斎の按文「按六味之一味闕予加商
〔商陸〕四両」がある。
⑪○ 療水病方(No.75)(二味)・・・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻二十)【水病方】の項からの記載である。
⑫○ 療水病身腫方(No.75)(一味)・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻二十)【水病方】の項からの記載である。
⑬○ 聖済 人参湯(No.75)(九味)・・・・・・「聖済」
⑭○ 桑白皮湯(No.75)(五味)・・・・・・・・「聖済」
⑮○ 塌気散(No.75)(七味)・・・・◎「幼々新書」〔幼幼新書〕
⑯○ 又 四方塌気散(No.75)(四味)・・・「▲」〔幼幼新書?〕
⑰○ 踈鑿飲子(No.75)(十味)・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
・『厳氏済生方』(巻五)【水腫論治】の項からの記載である。
⑱○ 赤小豆湯(No.75)(四味)・・・「本草(赤小豆・附方)」
◎【『本草綱目』】
・『本草綱目』(巻二十四)「赤小豆・附方」からの記載である。
⑲○ 柴胡厚朴湯(No.75)(七味)・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【心腹脹満及鼓脹方】の項からの記載で
ある。
⑳○ 蒲灰散(No.75)(二味)・・・・・・「金匱」〔金匱要略〕
・『金匱要略』(巻中)「消渇小便・・治第十三」からの記載
である。
㉑○ 桑皮散(No.75)(十味)・・・・・・「入門」〔医学入門〕
・『医学入門』(巻七)【婦人用葯賦】の項からの記載である。
◎・Ⅱ.-〔I〕・・・・・「水飲病」【水腫】【鼓脹】・◎
◇・「名家方選之部〔I〕」・・・・・(No.76~77)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔I〕」の処方群(No.76~77)
における『名家方選』三部作〔「水飲病」【水腫】【鼓脹】〕
からの処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔I〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 禹水湯 又日敦阜剤(No.76)(七味)・・・・『名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.22)
②○ 赤小豆湯(No.76)(五味)・・・・・・・・『名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.22)
③○ 琥珀湯(No.76)(五味)・・・・・・・・・『名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.23)
④○ 白朮膏(No.76)(五味)・・・・・・・・『名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.23)
⑤○ 治水腫(No.76)(四味)・・・・・・・・『名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.23)
・原文には、「治水腫神方」とある。その他は原文どおり
である。
⑥○ 又方(No.76)(四味)・・・・・・・・・・『名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.23)
⑦○ 禹功丸(No.76)(三味)・・・・・・・・『続名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.85)
⑧○ 桃花水方(No.76)(四味)・・・・・・・『続名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.85)
⑨○ 療水腫鼓脹方(No.76)(四味)・・・・・『続名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.85)
⑩○ 療産後水気方(No.76)(四味)・・・・・『続名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.86)
⑪○ 療産後水腫方(No.76)・・・・・・・・『続名家方選』
「水飲病」【水腫】(p.86)
⑫○ 消黄丸(No.76)(六味)・・・・・・・『名家方選三編』
「水飲病」【水腫】(No.58)
⑬○ 八味敦阜剤(No.76)(八味)・・・・・『名家方選三編』
「水飲病」【水腫】(No.58)
⑭○ 治一切水腫方(No.77)(十二味)・・・『名家方選三編』
「水飲病」【水腫】(No.59)
⑮○ 又方 (No.77)(九味)・・・・・・・『名家方選三編』
「水飲病」【水腫】(No.59)
⑯○ 水腫利水(No.77)(三味)・・・・・・『名家方選三編』
「水飲病」【水腫】(No.59)
・原文では、「水腫利水方」である。その他は原文どおり
である。
⑰○ 又方 (No.77)(一味)・・・・・・・『名家方選三編』
「水飲病」【水腫】(No.59)
⑱○ 又方 (No.77)(一味)・・・・・・・『名家方選三編』
「水飲病」【水腫】(No.60)
⑲○ 赤小豆煎(No.77)(五味)・・・・・・『名家方選三編』
「水飲病」【水腫】(No.60)
⑳○ 試験赤小豆湯(No.77)(八味)・・・・『名家方選三編』
「水飲病」【水腫】(No.60)
㉑○ 治鼓脹方(No.77)(一味)・・・・・・『名家方選三編』
「水飲病」【鼓脹】(No.61)
㉒○ 又方(No.77)(三味)・・・・・・・・『名家方選三編』
「水飲病」【鼓脹】(No.61)
●・【考察4】・●
上記において指摘した以外は、『名家方選』三部作の【水腫】【鼓脹】の項のすべての処方が、原文どおりに記載されている。
◎・Ⅱ.-〔14〕・◎
▼〔14〕・「No.78~79」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 千金当帰湯(No.78)(十味)・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻八)【留飲宿食方】の項からの記載である。
②○ 〔療〕胸中痰飲腹中水鳴食不消嘔吐水湯〔方〕(No.78)(七味)・・
・・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻八)【痰飲食不消・・方】の項からの記載で
ある。
③○ 赤茯苓湯(No.78)(九味)・・・・・・・・・・・「▲」
④○ 療痰飲飲食不消乾嘔湯〔方〕(No.78)(十三味)・・「外台」
・『外台秘要』(巻八)【痰飲食不消・・方】の項からの記載で
ある。
⑤○ 清湿化痰湯(No.78)(九味)・・・・・「寿世」〔寿世保元〕
・『寿世保元』(巻三)【痰飲】の項からの記載である。
・「一方有白芥」との、真斎の注があるが、原文には、「黄芩」
の代わりに、「白芥子」がある。この処方は、『万病回春』に
もあり、やはり「白芥子」がある。
⑥○ 黒錫丹(No.79)(十二味)・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻五)【治痼冷】の項からの記載である。
・長い主治文と服薬文もすべて原文どおりの記載である。
ここでは、薬物名がフルネーム表記になっているのは、三文
字の薬物名が多いためであろう。
・末尾にある「本事方・・」「三因方・・」「楊氏方・・」の文
は、真斎のものである。『楊氏家蔵方』の【痼冷】の項に「黒
錫丹」がある。
・さらに最末尾に「△黒錫ハ鈆也。誤テ白錫ヲ用ユベカラズ。
白錫ハ大毒ニシテ、礜石ト同、因テ之レヲ記ス。」と真斎の
文があるが、ここには真斎の毒物への丁寧な配慮が感じら
れる。「礜石」とは、砒素を含んだ毒性のある石のこと。
・ちなみに、「黒錫丹」は、『観聚方要補』(巻一)【中風】の項
にも記載されているが、主治文は一行半と短い。しかし、服
薬文は真斎と同じく全文を記載している。
●・【考察5】・●
「黒錫丹」への注意文には、町医・真斎の人柄が感じられる。
◎・Ⅱ.-〔15〕・◎
▼〔15〕・「No.80~82」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 安中散(No.80)(七味)・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
・末尾の「予 加茯・・」の文は、真斎によるもの。
②○ 大半夏湯(No.80)(九味)・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻八)【胃反方】の項からの記載である。
③○ 半夏飲(No.80)(五味)・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
④○ 外台 大験方(No.80)(八味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻八)【胃反方】の項からの記載である。
・主治文「療胃反」が欠落している。
⑤○ 通気噎湯方(No.80)(四味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻八)【気噎方】の項からの記載である。
・原文にも主治文はない。なぜなら、その前の処方に「療気噎」
とあるからである。
⑥○ 枳宿二陳湯(No.81)(十二味)・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻五)【心痛】の項からの記載である。
⑦○ 二気散(No.81)(二味)・・・・・・「楊氏」〔楊氏家蔵方〕
・『楊氏家蔵方』(巻六)【脾胃方】の項からの記載である。
⑧○ 当帰養血湯(No.81)(十四味)・・・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻三)【翻胃】の項からの記載である。
・「連」の下に「用呉同炒去呉〔萸〕不用用連」とある小文字
部分も原文のもの。
⑨○ 古今録験 羚羊角湯(No.81)(七味)・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻八)【気噎方】の項からの記載である。
⑩○ 千金 通気湯(No.81)(四味)・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十二)【胸痺噎塞方】の項からの記載である。
⑪○ 乾姜湯(半夏湯)(No.81)(十味)・・・「千金方」
・『千金方』(巻十六)【噎塞第六】の項からの記載である。
・出典として「千金方集験名半夏湯」とある。
⑫○ 千金 七気湯(No.81)(十二味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十二)【雑療奔豚気及結気方】の項からの
記載であるが、主治文の前半部分が一致しない。
⑬○ 茯苓湯(No.81)(五味)・・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻六)【噫錯方】の項からの記載である。
⑭○ 茯苓湯(No.81)(五味)・・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻六)【噫錯方】の項からの記載である。
⑮○ 茯苓湯(No.81)(九味)・・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻六)【噫錯方】の項からの記載である。
⑯○ 生蘆根五味飲(No.81)(九味)・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻六)【許仁則療嘔吐方】の項からの記載であ
る。
⑰○ 橘皮竹筎湯(No.82)(六味)・・・・「金匱」〔金匱要略〕
・『金匱要略』(巻中)【嘔吐噦下痢病・・第十七】からの記載
である。
・末尾の「済生方 無棗有枇・・九味、治胃熱多・・不食」の
文は、真斎のものである。『厳氏済生方』(巻七)【脾胃虚実
論治】の項に、「橘皮竹筎湯」があり、「枇」は「枇杷葉」の
こと。「治胃熱多・・不食」の文は、「橘皮竹筎湯」の主治文
である。
⑱○ 千金 療痰飲飲食不消乾嘔湯方(No.82)(十三味)・・・
・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻八)【痰飲食不消及嘔逆不下食方】の項から
の記載である。
⑲○ 延年 茯苓飲(No.82)(五味)・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻八)【風痰方】の項からの記載である。
⑳○ 順気和中湯(No.82)(十一味)・・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻三)【翻胃】の項からの記載である。
㉑○ 古今医統 一方(名 育気湯)(No.82)(十味)・・・
・・・・・・◎〔古今医統〕
・末尾に「家君曰此症応兼用滾痰丸」と真斎の文がある。
これは、『錦城先生経験方』の「反胃」の項にある「一方
古今医統 治反胃・・・」の末尾に「兼用滾痰丸不然無効」
とあるのを真斎がこのように記載していることが判明した。
真斎が常に父・寿庵(錦城)の臨床治験を受け継いでいる
ことがわかる。なお、「滾痰丸」については、本誌「PHN」
32号を参照されたい。
㉒○ 黄連竹筎湯(No.82)(十味)・・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻三)【嘔吐】の項からの記載である。
●・【考察6】・●
上記に示したように、㉑○ 古今医統 一方(名 育気湯)のところに「家君・・」とあるのは、注目しておくべきことである。
◎・Ⅱ.-〔J〕・・・「上部病」【隔噎反胃】など・◎
◇・「名家方選之部〔J〕」・・・・・(No.82~83)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔J〕」の処方群(No.82~83)
における『名家方選』三部作〔「上部病」【隔噎反胃】
など〕からの処方群について――その「出典」の考証
と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔J〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 〔一〕大医試効〔云〕(No.82)・・・・・『続名家方選』
「上部病」【隔〔原文は口ヘン、前出および以下同〕噎反胃】(p.64)
②○ 治反胃方(No.82)(二味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【隔噎反胃】(p.64)
③○ 治隔噎方(No.82)・・・・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【隔噎反胃】(p.65)
④○ 又方(No.82)・・・・・・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【隔噎反胃】(p.65)
⑤○ 治膈奇方(No.82)(一味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【隔噎反胃】(p.65)
⑥○ 治反胃吐食及膈噎方(No.83)(二味)・・・『名家方選』
「上部病」【反胃吐食及膈噎】(p.1)
⑦○ 治〔膈噎方〕(No.83)(三味)・・・・・・・『名家方選』
「上部病」【反胃吐食及膈噎】(p.2)
・「膈噎方」の三文字が欠落している。
⑧○ 治同症 蛮方(No.83)(四味)・・・・・・『名家方選』
「上部病」【反胃吐食及膈噎】(p.2)
⑨○ 破棺散〔湯〕(No.83)(四味)・・・・『名家方選三編』
「上部病」【翻胃吐食膈噎】(No.20)
・原文は、「破棺湯」である。
⑩○ 崖椒丸(No.83)(三味)・・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【翻胃吐食膈噎】(No.20)
⑪○ 治膈噎諸薬不応者方(No.83)(一味)・・『名家方選三編』
「上部病」【翻胃吐食膈噎】(No.20)
⑫○ 縮砂仁湯(No.83)(四味)・・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【翻胃吐食膈噎】(No.21)
⑬○ 利膈湯(No.83)(三味)・・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【翻胃吐食膈噎】(No.21)
⑭○ 治痢疾胃気虚吃逆方(No.83)(三味)・・『名家方選三編』
「上部病」【翻胃吐食膈噎】(No.21)
●・【考察7】・●
上記において指摘した以外は、『名家方選』三部作の【隔噎反胃】
【反胃吐食及膈噎】【翻胃吐食膈噎】の項のすべての処方が、基本的に原文どおりに記載されている。文字の欠落などは転記ミスであろう。
◎・Ⅱ.-〔16〕・◎
▼〔16〕・「No.84~86」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 温中当帰湯(No.84)(十味)・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻七)【諸虫心痛方】の項からの記載である。
②○ 当帰鶴虱散(No.84)(八味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【九種心痛方】の項からの記載である。
③○ 当帰湯(No.84)(八味)・・・・・「▲」〔『外台秘要』〕
・『外台秘要』(巻七)【諸虫心痛方】の項からの記載である。
④○ 当帰湯(No.84)(八味)・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【心腹痛及脹満痛方】の項からの記載で
ある。
⑤○ 当帰湯(No.84)(六味)・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【冷気心痛方】の項からの記載である。
⑥○ 当帰湯(No.85)(十味)・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【胸脇痛及妨悶方】の項からの記載で
ある。
⑦○ 深師 芍薬湯(No.85)(十味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十五)【風毒方】の項からの記載である。
⑧○ 高良姜湯(No.85)(九味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【心痛不能飲食方】の項からの記載であ
る。
⑨○ 高良姜湯(No.85)(四味)・・・・・「千金」〔千金要方〕
⑩○ 牡丹五等散(No.85)(五味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻二十六)【㿗卵偏大方】の項からの記載であ
る。
⑪○ 解急蜀椒湯(No.85)(七味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【寒疝心痛方】の項からの記載である。
⑫○ 三和散(No.85)(十一味)・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
⑬○ 大温脾湯(No.85)(八味)・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十六)【温脾湯・・下痢方】の項からの記載
である。
⑭○ 古今録験 桂心湯(No.85)(五味)・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【心下・・懊痛方】の項からの記載であ
る。
⑮○ 小品 当帰湯(No.86)(十味)・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【心腹痛及脹満痛方】の項からの記載で
ある。
⑯○ 芎藭湯(No.86)(八味)・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【腹痛方】の項からの記載である。
⑰○ 人参丸(No.86)(九味)・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【心腹脹満及鼓脹方】の項からの記載で
ある。
⑱○ 烏苓通気散(No.86)(十三味)・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻五)【㿗疝】の項からの記載である。
⑲○ 小烏沈湯(No.86)(三味)・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
⑳○ 檳榔散(No.86)(八味)・・・・・・・「千金」
㉑○ 檳榔湯(No.86)(七味)・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【腹内諸気及脹不下食方】の項からの記
載である。
㉒○ 厚朴煮散(No.86)(八味)・・・・「聖済」〔聖済総録〕
㉓○ 大半夏湯(No.86)(十二味)・・・「千金」
㉔○ 柴胡勝湿湯(No.86)(十三味)・・・「蘭室」〔蘭室秘蔵〕
・『蘭室秘蔵』(巻下)【陽痿陽汗門】の項からの記載である。
正式名を「清魂湯」という。
㉕○ 古今録験 療気忽発満胸急者方(No.86)(六味)・・・「外台」
◎・Ⅱ.-〔K〕・・・「下部病」【疝瘕腰腹痛】など・◎
◇・「名家方選之部〔K〕」・・・・・(No.87~88)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔K〕」の処方群(No.87~88)
における『名家方選』三部作〔「下部病」【疝瘕腰腹痛】
など〕からの処方群について――その「出典」の考証
と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔K〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 臭橙飲(No.87)(七味)・・・・・・・・『続名家方選』
「下部病」【疝瘕腰腹痛】(p.70)
②○ 杜松散(No.87)(五味)・・・・・・・・『続名家方選』
「下部病」【疝瘕腰腹痛】(p.70)
③○ 療疝瘕腰腹疼痛諸薬無効者方(No.87)(四味)・・・・
・・・『続名家方選』「下部病」【疝瘕腰腹痛】(p.70)
④○ 治寸白方(No.87)(八味)・・・・・・『続名家方選』
「下部病」【疝瘕腰腹痛】(p.70)
⑤○ 治寸白虫方(No.87)(四味)・・・・・・『続名家方選』
「下部病」【疝瘕腰腹痛】(p.70)
⑥○ 治疝奇方(No.87)(六味)・・・・・・『名家方選三編』
「下部病」【疝瘕】(No.35)
⑦○ 退疝散(No.87)(四味)・・・・・・『名家方選三編』
「下部病」【疝瘕】(No.35)
⑧○ 石榴皮湯(No.87)(六味)・・・・・・『名家方選三編』
「下部病」【疝瘕】(No.36)
⑨○ 内疝散(No.87)(十五味)・・・・・『名家方選三編』
「下部病」【疝瘕】(No.36)
⑩○ 茴香円(No.88)(三味)・・・・・・・・『名家方選』
「下部病」【疝瘕】(p.11)
⑪○ 治疝気俄頃腰腹弦急不能揺者方(No.88)(二味)・・・
・・・・・『名家方選』「下部病」【疝瘕】(p.12)
●・【考察8】・●
ここには、『名家方選』三部作の「下部病」【疝瘕腰腹痛】【疝瘕】のすべての処方群が、原文どおりに記載されている。
◎・Ⅱ.-〔17〕・◎
▼〔17〕・「No.88~91」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 大七気湯(No.88)(十味)・・・・「準縄」〔証治準縄〕
〔同上〕 ・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
②○ 七気消聚散(No.88)(十味)・・・・「準縄」
③○ 奔豚湯(No.88)(九味)・・・・・「金匱」〔金匱要略〕
・『金匱要略』「奔豚気・・証治第八」からの記載である。
〔同上〕 (八味) ・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻十二)【雑療奔豚気及結気方】の項からの記
載である。
・末尾に「外台無芍当・・」と、真斎の文がある。
④○ 奔気湯(No.88)(六味)・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十二)【雑療奔豚気及結気方】の項からの記
載である。ただし、主治文が一致しない。
⑤○ 枳殻散(No.89)(十二味)・・・「本事」〔普済本事方〕
・『普済本事方』(巻三)【積聚凝滞・・膈気】の項からの記載
である。
⑥○ 一切冷気槍心切痛・・(No.89)(二味)・・「衛生」〔衛生宝鑑〕
⑦○ 積年患気発作有時・・(No.89)(十味)・・「千金」〔千金要方〕
⑧○ 踈肝散(No.89)(九味)・・・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻五)【脇痛】の項からの記載である。
・原文の処方名は、「疎肝飲」である。
⑨○ 分心気飲(No.89)(十二味)・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
⑩○ 正気天香湯(No.89)(五味)・・・・「入門」〔医学入門〕
・『医学入門』(巻七)「通用古方詩括」【気】の項からの記載で
ある。
⑪○ 快気湯(No.89)(三味)・・・・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
⑫○ 烏沈湯(No.90)(四味)・・・・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
⑬○ 秘伝降気湯(No.90)(十一味)・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
⑭○ 潰堅湯(No.90)(十味)・・・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻三)【積聚】の項からの記載である。
⑮○ 定志下気方(No.90)(十四味)・・・・・・「千金」
⑯○ 姜椒湯(No.90)(九味)・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻八)【痰飲食不消及・・不下食方】の項から
の記載である。
⑰○ 陷胸湯(No.91)(四味)・・・・・・・「千金」
⑱○ 指迷七気湯(No.91)(十味)・・・・「直指」〔直指方〕
⑳○ 枳実大黄湯(No.91)(五味)・・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻二)【飲食】の項からの記載である。
◎・Ⅱ.-〔18〕・◎
▼〔18〕・「No.91~93」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 千金翼 破癖方(No.91)(三味)・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻十二)【療癖方】の項からの記載である。
②○ 延年 半夏湯(No.91)(九味)・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十二)【癖及痃癖不能食方】の項からの記載
である。
③○ 〔療〕痰澼心腹痛兼冷方(No.91)(八味)・・・「外台」
・『外台秘要』(巻八)【痰澼方】の項からの記載である。
④○ 前胡建中湯(No.91)(十一味)・・・・・「千金」〔千金要方〕
⑤○ 〔療〕腹中痃気連心以来相引痛緊急方(No.91)(四味)
・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十二)【痃気方】の項からの記載である。
⑥○ 枳殻散(No.91)(四味)・・・・・・「本事」〔普済本事方〕
・『普済本事方』(巻三)【積聚凝滞五噎膈気】の項からの記載
である。
⑦○ 枳実白朮湯(No.91)(二味)・・・・「▲」
⑧○ 柴胡湯(No.92)(五味)・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
⑨○ 療冷気両肋脹満痃気不能食方(No.92)(七味)・・「外台」
・『外台秘要』(巻十二)【癖及痃癖不能食方】の項からの記載
である。
・「按此症又外台風痰飲気逆満悪心不能食方而桔梗無。予此
等之症兼用沈香降気湯頻奇験」との、真斎の按文がある。
⑩○〔療〕痃癖気壮熱兼咳久為骨蒸験方(No.92)(四味)・・「外台」
・『外台秘要』(巻十三)【痃気骨蒸方】の項からの記載である。
⑪○ 檳榔湯(No.92)(七味)・・「外台」
・『外台秘要』(巻七)【腹内諸気及脹不下食方】の項からの記
載である。
⑫○ 延年 人参丸(No.92)(七味)・・「外台」
・『外台秘要』(巻十二)【癖及痃癖不能食方】の項からの記載
である。
⑬○ 〔療〕冷熱久癖実不能飲食虚漫如水状方(No.92)(八味)
・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十二)【久癖方】の項からの記載である。
⑭○ 半夏湯(No.92)(九味)・・・・・・・「千金」
⑮○ 延年 療両肋脹急痃満不能食兼頭痛壮熱身体痛方(八味)
・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十二)【痃気方】の項からの記載である。
⑯○ 治胸膈心腹中痰冷気心下・・(No.92)(十一味)・・「千金」
⑰○ 千金 半夏湯(No.92)(九味)・・・・・「千金」
⑱○ 鉄刷湯(No.93)(四味)・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
服薬文以下の文もすべて原文からの記載である。
⑲○ 和方 調中散(No.93)(十二味)・・・「和方」
◎・Ⅱ.-〔L〕・・・「中部病」【心腹痛】など・◎
◇・「名家方選之部〔L〕」・・・・・(No.93~96)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔L〕」の処方群(No.93~96)
における『名家方選』三部作〔「中部病」【心腹痛】など〕
からの処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔L〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 調中散(No.93)(五味)・・・・・・・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.67)
②○ 療虚腹諸薬無効・・・腹痛難愈者方(No.93)(三味)・・
・・・・・『続名家方選』「中部病」【心腹痛】(p.67)
③○ 療心痛方(No.93)(一味)・・・・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.67)
④○ 化虫丸(No.93)(七味)・・・・・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.67)
⑤○ 治心痛徹背・・声不出者方(No.93)(二味)・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.67)
⑥○ 三霊湯(No.93)(三味)・・・・・・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.68)
・真斎は村上図基の長い按文もすべて記載している。ここにも
真斎の方法が明確にあらわれている。
⑦○ 安虫丸(No.94)(七味)・・・・・・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.68)
⑧○ 征虫丸(No.94)(五味)・・・・・・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.68)
⑨○ 青木香丸(No.94)(四味)・・・・・・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.69)
⑩○ 鶏胆丸(No.94)(四味)・・・・・・・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.69)
⑪○ 貼積塊方(No.94)(九味)・・・・・・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.69)
⑫○ 寛中湯(No.94)(三味)・・・・・・・『続名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.69)
⑬○ 瀉脾湯(No.94)(七味)・・・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.9)
⑭○ 緩中湯(No.94)(七味)・・・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.9)
・山田維亨の按文も全文記載している。
⑮○ 征虫丸(No.94)(七味)・・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.9)
⑯○ 黒丸子 古方(No.94)(五味)・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.10)
⑰○ 同 今方(No.94)(四味)・・・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.10)
⑱○ 順気丸(No.94)(五味)・・・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.10)
⑲○ 桂苓散(No.95)(六味)・・・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.10)
⑳○ 松脂丸(No.95)(二味)・・・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.10)
㉑○ 清中飲(No.95)(二味)・・・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.11)
㉒○ 鼈甲湯(No.95)(四味)・・・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.11)
㉓○ 治腹痛時・・嘔吐方(No.95)(一味)・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.11)
㉔○ 愈痛散(No.95)(五味)・・・・・・・・・『名家方選』
「中部病」【心腹痛】(p.11)
㉕○ 安虫快膈湯(No.95)(九味)・・・・・『名家方選三編』
「中部病」【心腹腰脇痛】(No.32)
㉖○ 治積年腹痛方(No.95)(三味)・・・・・『名家方選三編』
「中部病」【心腹腰脇痛】(No.32)
㉗○ 理中七気湯(No.95)(七味)・・・・・『名家方選三編』
「中部病」【心腹腰脇痛】(No.32)
㉘○ 腹調丸(No.95)(六味)・・・・・・・『名家方選三編』
「中部病」【心腹腰脇痛】(No.32)
㉙○ 治瘀血腹痛方(No.95)(六味)・・・・『名家方選三編』
「中部病」【心腹腰脇痛】(No.33)
㉚○ 瞿麦散(No.95)(四味)・・・・・・『名家方選三編』
「中部病」【心腹腰脇痛】(No.33)
㉛○ 治久年腹痛薬酒方(No.95)(二味)・・・『名家方選三編』
「中部病」【心腹腰脇痛】(No.33)
㉜○ 敷薬方(No.96)(八味)・・・・・・『名家方選三編』
「中部病」【心腹腰脇痛】(No.34)
㉝○ 治打撲閃挫腰痛方(No.96)(八味)・・・『名家方選三編』
「中部病」【心腹腰脇痛】(No.34)
㉞○ 治腎気虚風所乗腰痛方(No.96)(七味)・・・『名家方選三編』
「中部病」【心腹腰脇痛】(No.34)
●・【考察9】・●
『名家方選』三部作の「中部病」【心腹痛】【心腹腰脇痛】のすべての処方群をそのまま記載している。
◎・Ⅱ.-〔19〕・◎
▼〔19〕・「No.96~100」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 〔療〕偏風膈上風熱経心蔵〔臓〕恍惚神情天陰心中惛々
如酔不酲方(No.96)(四味)・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻十四)【偏風方】からの記載である。
末尾の小文字部分も原文のもの。
②○ 釣藤散(No.96)(十一味)・・・・・「準縄」〔証治準縄〕
③○ 川芎散(No.96)(十二味)・・・・・「準縄」
④○ 川芎茶調散(No.96)(八味)・・・・「回春」〔万病回春〕
・全文『万病回春』(巻五)【頭痛】の項からの記載である。
⑤○ 頭風神方(No.96)(十一味)・・・・・・
・・・・・・◎「広筆記」〔先醒斎医学広筆記〕
・『先醒斎医学広筆記』(巻三)「雑症」【脳漏】の項からの記載
である。主治文がないのも原文どおりである。
・『観聚方要補』(文政版・安政版)にも主治文の記載はない。
⑥○ 大三五七湯(No.97)(六味)・・・・・・「千金」〔千金要方〕
⑦○ 半夏白朮天麻湯(No.97)(十三味)・・・・「回春」
・全文『万病回春』(巻五)【頭痛】の項からの記載である。
⑧○ 導痰湯(No.97)(六味)・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・末尾の小文字部分「百一・・入門・・名寧心導痰湯、皆後世
方名也」は、真斎の文と思われる。
⑨○ 防風通聖散(No.97)(十七味)・・・◎「宣明」〔宣明論〕
・『宣明論』(巻二)【風論】からの記載である。ただし、主治
文は、「風論」からの要約のようである。
〔同上〕 ・・・・・「準縄」
〔同上〕 ・・・・「正宗」〔外科正宗〕
・『外科正宗』(巻二)「時毒論第二十二」【時毒主治方】の項か
らの記載である。
⑩○ 凉膈散(No.97)(七味)・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻六)【治積熱】の項からの記載である。
〔同上〕 ・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻二)【内傷】の項からの記載である。
・末尾に「一方 有桔〔梗〕・・」とあるのは、『万病回春』の
処方をさす。これは真斎の文である。
⑪○ 当帰飲子(No.98)(十味)・・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
・『厳氏済生方』(巻六)【瘡疥論治】の項からの記載である。
⑫○ 苦参丸(No.98)(十味)・・・・・・「準縄」
⑬○ 普済消毒飲(No.98)(十四味)・・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻二)「時毒論第二十二」【時毒主治方】の項か
らの記載である。
⑭○ 樺皮散(No.98)(五味)・・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻八)【治瘡腫傷折】の項からの記載である。
⑮○ 消風散(No.98)(十三味)・・・・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻四)「疥瘡論第七十三」からの記載である。
⑯○ 清上防風湯(No.98)(十二味)・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻五)【面病】の項からの記載である。
⑰○ 清肺飲子(No.98)(十味)・・・・・・・「回春」
⑱○ 犀角消毒飲(No.99)(四味)・・・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻六)【治積熱】の項からの記載である。
原文の処方名は、「消毒犀角飲」である。
・薬物のところに「力」とあるのは、「大力子」、すなわち「鼠
粘子」のこと。
・末尾に「呉昆医方考曰 此方名犀角無犀、角者謂其功同乎犀
角也」と、真斎の文がある。呉昆『医方考』(1584年)。
⑲○ 升麻和気飲(No.99)(十四味)・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻八)【治瘡腫傷折】の項からの記載である。
⑳○ 解毒瀉心湯(No.99)(十二味)・・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻四)「天泡第八十」からの記載である。
㉑○ 聖済 麻黄湯(No.99)(十三味)・・・・「聖済」
㉒○ 〔療〕風疹遍身主之方(No.99)(十一味)・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十五)【癮疹風疹方】からの記載である。
・原文の処方名は、「療風疹遍身方」である。
㉓○ 犀角湯(No.99)(十一味)・・・・・・「千金」
㉔○ 四順清涼飲(No.99)(八味)・・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻四)「湯潑火焼第六十一」からの記載である。
㉕○ 白蘚皮湯(No.99)(八味)・・・・・・「準縄」
㉖○ 牛房子散(No.100)(五味)・・・・「本事」〔普済本事方〕
・『普済本事方』(巻三)【風寒湿痺白虎・・諸病】の項からの
記載である。末尾の「此病・・」の文も原文のもの。
㉗○ 化班解毒湯(No.100)(九味)・・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻四)「火丹第七十九」からの記載である。
㉘○ 赤小豆湯(No.100)(十味)・・・・・・「済生」
・全文が『厳氏済生方』(巻五)【水腫論治】の項からの記載で
ある。
㉙○ 黄芩清肺飲(No.100)(十一味)・・・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻四)「肺風粉刺酒・・第八十一」からの記載
である。
◎・Ⅱ.-〔M〕・・・「上部病」【頭痛】【頭面】・◎
◇・「名家方選之部〔M〕」・・・・・(No.100~101)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔M〕」の処方群(No.100~101)
における『名家方選』三部作〔「上部病」【頭痛】【頭面】〕
からの処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔M〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 頭風方(No.100)(十味)・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【頭痛】(No.19)
②○ 姜黄湯(No.100)(七味)・・・・・・『名家方選』
「上部病」【頭痛】(p.1)
③○ 石亭丸(No.100)(三味)・・・・・・『名家方選』
「上部病」【頭痛】(p.1)
④○ 治湿家頭痛方(No.100)・・・・・・・『名家方選』
「上部病」【頭痛】(p.1)
⑤○ 清上湯(No.100)(十三味)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【頭面】(p.54)
・処方名の下に「頭下〔シ〕ト云」とあるのは、原文のもの。
(「皇漢医学叢書」本では、これが欠落しているため、早稲
田大学所蔵の原本を参照した。)
⑥○ 治頭屑方(No.100)(一味)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【頭面】(p.54)
・処方名の左に「フケクスリ」とあるのは、原文のもの。
(「皇漢医学叢書」本では、これが欠落しているため、早稲
田大学所蔵の原本を参照した。)
⑦○ 治婦人血風諸頭痛方(No.101)(二味)・・・『続名家方選』
「上部病」【頭面】(p.54)
⑧○ 治平素有頭痛癖者方(No.101)(二味)・・・『続名家方選』
「上部病」【頭面】(p.54)
⑨○ 大陽散(No.101)(四味)・・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【頭痛】(No.20)
●・【考察10】・●
ここでも、『名家方選』三部作の「上部病」【頭痛】【頭面】のすべての処方が記載されていることがわかる。なお、「皇漢医学叢書」本には、文字・ルビなどの欠落があるので、その考証には注意が必要である。
◎・Ⅱ.-〔20〕・◎
▼〔20〕・「No.101」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 通気防風湯(No.101)(七味)・・・・「回春」〔万病回春〕
・「弁惑論 名羌活勝湿湯」と、真斎の文がある。
・『万病回春』(巻五)【背痛】の項からの記載である。
②○ 枳殻煮散(No.101)(七味)・・・「本事」〔普済本事方〕
・『普済本事方』(巻七)【腹脇疼痛】の項からの記載である。
③○ 流気飲子(No.101)(十六味)・・「大全良方」〔婦人大全良方〕
・『婦人大全良方』(巻三)「婦人臂痛方論第七」からの記載で
ある。原文では、この主治文は「流気飲子」にはなく、その
前の処方の「白芥子散」のところにあるものである。なお
「檳腹」は、原文では「連皮大腹」である。
④○ 〔療〕腰膝髀連腿脚疼酸者方(No.101)(六味)・・・
・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻十七)【腰痛方】の項からの記載である。
◎・Ⅱ.-〔21〕・◎
▼〔21〕・「No.102~103」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 温胆湯(No.102)(六味)・・・・・・「千金」〔千金要方〕
・末尾の「得効方・・・」の文は、真斎のものと思われる。
②○ 紫石寒食散(No.102)(十三味)・・・・「金匱」〔金匱要略〕
・『金匱要略』(巻下)「雑療方第二十三」からの記載である。
③○ 十珍散(No.102)(十味)・・・・◎「続易簡方」〔続易簡方〕
・『続易簡方』(巻二)からの記載である。〔京大本による。〕
④○ 延年 酸棗飲(No.102)(八味)・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻十七)【虚労虚煩不得眠方】の項からの記載
である。
⑤○ 正脾散(No.102)(五味)・・・・・・「楊氏」〔楊氏家蔵方〕
・『楊氏家蔵方』(巻六)【脾胃方】の項からの記載である。
⑥○ 柴葛解肌湯(No.102)(九味)・・・◎「六書」〔傷寒六書〕
・末尾の小文字部分も含めて『傷寒六書』(巻四)からの記載
である。〔京大本による。〕
⑦○ 深師 酸棗湯(No.103)(七味)・・・「外台」
・『外台秘要』(巻二)【傷寒不得眠方】の項からの記載である。
・末尾の「金匱 無干姜・・」は、真斎の文である。
◎・Ⅱ.-〔22〕・◎
▼〔22〕・「No.103~104」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 利膈湯(No.103)(七味)・・・・・「本事方」〔普済本事方〕
・『普済本事方』(巻四)【虚熱風壅喉閉清利頭目】の項からの
記載である。
②○ 清咽利膈湯(No.103)(十四味)・・・・「正宗」〔外科正宗〕
・『外科正宗』(巻二)「咽喉論第二十一」【咽喉主治方】の項か
らの記載である。
③○ 牛房子湯(No.103)(八味)・・・・・「入門」〔医学入門〕
・全文ともに『医学入門』(巻六)「雑病用葯賦」【痰】の項か
らの記載である。
④○ 連翹散(No.103)(十一味)・・・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻二)「咽喉論第二十一」【咽喉主治方】の項からの記載である。
⑤○ 利咽解毒湯(No.104)(七味)・・・・◎「保赤」〔保赤全書〕
・『保赤全書』(下巻)の「利咽解毒湯」からの記載である。
しかし、主治文は原文とは少しく異なるところがある。たと
えば、原文の「疼痛」を、真斎は「咽喉 第六十六」の解説
文から「腫痛」という用語を使用している。早大本による。
⑥○ 射干湯(No.104)(七味)・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻二十三)【喉痺方】の項からの記載である。
⑦○ 羚羊角鼓湯(No.104)(八味)・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻二十三)【咽喉腫方】の項からの記載である。
⑧○ 清凉散(No.104)(十二味)・・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻五)【咽喉】の項からの記載である。
⑨○ 犀角玄参湯(No.104)(七味)・・・・・◎「傷寒緒論」
・「傷寒緒論」は、『医通』に収録されている。
・「傷寒緒論」〔『医通』に収録〕(巻下)【雑方】の項の「犀角
黒参湯」からの記載である。
⑩○ 氷硼散(No.104)(四味)・・・・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻二)「咽喉論第二十一」【咽喉主治方】の項からの記載である。
⑪○ 黄耆湯(No.104)(五味)・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
⑫○ 吹喉散(No.104)(三味)・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻七)【治咽喉口歯】の項からの記載である。
◎・Ⅱ.-〔N〕・・「上部病」【口舌牙歯咽・・】など・◎
◇・「名家方選之部〔N〕」・・・・・(No.104~106)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔N〕」の処方群(No.104~106)
における『名家方選』三部作〔「上部病」【口舌牙歯咽・・】
など〕からの処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔N〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 治咽喉痛因結毒者(No.104)(七味)・・・『名家方選三編』
・・・・「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.25)
②○ 妙香散(No.104)(六味)・・・・・・・・『名家方選三編』
・・・・「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.25)
③○ 珠明散(No.105)(四味)・・・・・・・・『名家方選三編』
・・・・「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.25)
④○ 椒酒煎 治口舌疼痛及破裂者(No.105)(一味)・・・・
・・『名家方選三編』「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.26)
⑤○ 治歯痛方(No.105)(二味)・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.26)
⑥○ 又方 (No.105)(二味)・・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.26)
⑦○ 又方 (No.105)(二味)・・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.26)
⑧○ 又方 (No.105)(一味)・・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.26)
⑨○ 治歯痛或腫方(No.105)(五味)・・・・『名家方選三編』
「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.27)
⑩○ 薏苡仁湯(No.105)(四味)・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.27)
⑪○ 治舌上瘡方(No.105)(三味)・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.27)
⑫○ 黛黄散(No.105)(七味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【口舌】(p.59)
⑬○ 黛紅散(No.105)(三味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【口舌】(p.60)
⑭○ 療口舌破裂腫痛方(No.105)(一味)・・・『続名家方選』
「上部病」【口舌】(p.60)
⑮○ 治口中一切腫瘍方(No.105)(七味)・・・『続名家方選』
「上部病」【口舌】(p.60)
⑯○ 療舌疽方(No.105)(四味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【口舌】(p.60)
⑰○ 治上焦鬱熱口中及牙歯腫瘍方(No.105)(三味)・・・
・・・『続名家方選』「上部病」【口舌】(p.60)
⑱○ 通喉散(No.105)(散味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【咽喉】(p.61)
⑲○ 治咽喉腫塞勺飲難通者方(No.106)(四味)・・・
・・・『続名家方選』「上部病」【咽喉】(p.61)
⑳○ 療喉痺方(No.106)・・・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【咽喉】(p.62)
㉑○ 又方 (No.106)(三味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【咽喉】(p.62)
㉒○ 治骨硬方(No.106)・・・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【咽喉】(p.62)
㉓○ 又方 (No.106)・・・・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【咽喉】(p.62)
㉔○ 治喉風方(No.106)(四味)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【咽喉】(p.62)
●・【考察11】・●
『名家方選』【口舌牙歯鼻耳眼】の項の9処方の記載が欠落しているが、これは非常に珍しいことである。記載漏れであろうか。
さらに、⑪○治舌上瘡方(No.105)(三味)・『名家方選三編』「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.27)の次の「治鼻淵方」と「又方」の2処方が欠落している。
このような欠落が生じたのは、『名家方選三編』「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.25~29)の内容が、Ⅱ-〔N〕、Ⅱ-〔O〕、Ⅱ-〔P〕の三か所に分けて記載されたことが原因であろうと思われる。
◎・Ⅱ.-〔23〕・◎
▼〔23〕・「No.106」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 麗沢通気湯(No.106)(十三味)・・・◎「医通」〔張氏医通〕
・『張氏医通』(巻十五)【鼻門方】の項からの記載である。
・原文には、「黄耆」があり、「十四味」である。
・「冬月・・夏月・・」の小文字部分も原文のものである。
②○ 鼻中自〔息〕肉不通利方(No.106)(二味)・・・・
・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻二十二)【鼻中息肉方】の項からの記載である。
・原文には「療鼻中塞肉不通利方」とある。
・「千金方・・・」の小文字部分も原文のものである。
◎・Ⅱ.-〔24〕・◎
▼〔24〕・「No.107」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 荊芥連翹湯(No.107)(十三味)・・・・「回春」〔万病回春〕
・末尾の小文字部分も含めて『万病回春』(巻五)【耳病】の項
からの記載である。
②○ 蔓荊子散(No.107)(十一味)・・・・「回春」
『万病回春』(巻五)【耳病】の項からの記載である。
③○ 犀角散(No.107)(十一味)・・・・・「準縄」〔証治準縄〕
④○ 犀角飲子(No.107)(八味)・・・・・「準縄」
⑤○ 精神散(No.107)(九味)・・・・・・「準縄」
◎・Ⅱ.-〔O〕・・・「上部病」【耳】など・◎
◇・「名家方選之部〔O〕」・・・・・(No.108)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔O〕」の処方群(No.108)
における『名家方選』三部作〔「上部病」【耳】など〕
からの処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔O〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①○ 治大人小児聤聹方(No.108)(二味)・・・・『続名家方選』
「上部病」【耳】(p.54)
②○ 治有小児停耳癖者方(No.108)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【耳】(p.55)
③○ 止耳痛方(No.108)・・・・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【耳】(p.55)
④○ 又方 (No.108)・・・・・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【耳】(p.55)
⑤○ 又方 (No.108)・・・・・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【耳】(p.55)
⑥○ 治耳鳴不聞者方(No.108)(五味)・・・『続名家方選』
「上部病」【耳】(p.55)
⑦○ 療中年後耳鳴方(No.108)(六味)・・・・『続名家方選』
「上部病」【耳】(p.55)
⑧○ 治耳聾方(No.108)(三味)・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.28)
⑨○ 治爛耳痛甚者方(No.108)・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.28)
⑩○ 聖功停耳方(No.108)(十味)・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.28)
⑪○ 萆麻子丸(No.108)(七味)・・・・・・・『名家方選』
「上部病」【口舌牙歯鼻耳眼】(p.6)
⑫○ 達啓散(No.108)(四味)・・・・・・・・『名家方選』
「上部病」【口舌牙歯鼻耳眼】(p.6)
⑬○ 九薬方(No.108)(二味)・・・・・・・・『名家方選』
「上部病」【口舌牙歯鼻耳眼】(p.7)
●・【考察12】・●
最後の⑬○九薬方(No.108)(二味)・『名家方選』「上部病」【口舌牙歯鼻耳眼】(p.7)の次の処方である「治骨槽風方」と「兼用丸薬方」の2処方が欠落している。
◎・Ⅱ.-〔25〕・◎
▼〔25〕・「No.109~111」の処方群とその「出典」の
考証、および「出典書目」通覧
①○ 補肝散(No.109)(九味)・・・・・・「準縄」〔証治準縄〕
②○ 柴胡散(No.109)(八味)・・・・・「事証」〔活人事証方〕
③○ 黄連洗湯(No.109)(三味)・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻二十一)【眼闇令明方】の項からの記載
である。
④○ 前胡瀉肝除熱〔湯〕(No.109)(十一味)・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十六)【肝労虚熱方】の項からの記載である。
⑤○ 流気飲(No.109)(十六味)・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻七)【治眼目疾】の項からの記載である。
⑥○ 羚羊角湯(No.110)(九味)・・・・「聖済」〔聖済総録〕
⑦○ 羚羊角湯(No.110)(六味)・・・・「医通」〔張氏医通〕
・『張氏医通』(巻十五)【目門】の項からの記載である。
⑧○ 羚羊角散(No.110)(八味)・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻七)【治眼目疾】の項からの記載である。
⑨○ 芎黄円(No.110)(二味)・・・・「楊氏」〔楊氏家蔵方〕
・『楊氏家蔵方』(巻三)【積熱方】の項からの記載である。
・末尾の「本事方・・」の文は、真斎によるものである。
⑩○ 洗肝散(No.110)(八味)・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻七)【治眼目疾】の項からの記載である。
⑪○ 大黄湯(No.110)(五味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻二十一)【眼暴腫痛方】の項からの記載
である。
⑫○ 檳榔湯(No.110)(九味)・・・・・「千金」〔千金要方〕
⑬○ 滋腎明目湯(No.110)(十三味)・・「回春」〔万病回春〕
・末尾の小文字部分も含めて『万病回春』(巻五)【眼目】の項
からの記載である。
⑭○ 五瀉湯(No.110)(十味)・・・◎「銀海」〔銀海精微〕
・『銀海精微』(巻上)【瞳人乾缺】の項からの記載である。
⑮○ 瀉肝湯(No.111)(十一味)・・・・・「千金」
◎・Ⅱ.-〔P〕・・・「上部病」【眼目】など・◎
◇・「名家方選之部〔P〕」・・・・(No.111~113)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔P〕」の処方群(No.111~113)
における『名家方選』三部作〔「上部病」【眼目】など〕
からの処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔P〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①○ 爐甘石散(No.111)(五味)・・・・・・・・『名家方選』
「上部病」【口舌牙歯鼻耳眼】(p.7)
②○ 芣苡湯(No.111)(七味)・・・・・・・・『名家方選』
「上部病」【口舌牙歯鼻耳眼】(p.8)
③○ 内障散(No.111)(五味)・・・・・・・・『名家方選』
「上部病」【口舌牙歯鼻耳眼】(p.8)
④○ 治塵埃砂石入眼疼痛不可忍者方(No.111)(二味)・・
・・・・『名家方選』「上部病」【口舌牙歯鼻耳眼】(p.8)
⑤○ 涼明飲(No.111)(十三味)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.56)
⑥○ 養明飲(No.111)(八味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.56)
⑦○ 洗眼方(No.111)(八味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.57)
⑧○ 治常目瞖〔翳〕者平素服之佳矣(No.111)(三味)・・・
・・『名家方選三編』「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.28)
⑨○ 石斛湯(No.111)(六味)・・・・・・『名家方選三編』
・・・・「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.28)
⑩○ 又方 (No.111)(四味)・・・・・・『名家方選三編』
・・・・「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.29)
⑪○ 治塵埃入眼疼痛者方(No.112)・・・・『名家方選三編』
・・・・「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.29)
⑫○ 治疳眼奇方(No.112)(三味)・・・・『名家方選三編』
・・・「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.29)
⑬○ 龍脳散(No.112)(八味)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.57)
⑭○ 石羔〔膏〕散(No.112)(四味)・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.57)
⑮○ 焔硝散(No.112)(三味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.57)
⑯○ 蓬砂散(No.112)(七味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.58)
⑰○ 黄連湯(No.112)(六味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.58)
・末尾の「以上六方・・」の小文字文も原文のもの。
⑱○ 治爛弦方(No.112)(三味)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.58)
⑲○ 小栢〔柏〕散(No.112)(六味)・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.58)
⑳○ 温洗眼目方(No.112)(三味)・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.58)
㉑○ 治疣目方(No.112)(二味)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.59)
㉒○ 治衝破眼方(No.113)(一味)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.59)
㉓○ 療雀目奇方(No.113)・・・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.59)
㉔○ 除眼瞖〔翳〕方(No.113)(一味)・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.59)
㉕○ 制疳丸(No.113)(七味)・・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.59)
㉖○ 治痘後毒入眼中痛者方(No.113)(二味)・・・『続名家方選』
「上部病」【眼目】(p.59)
●・【考察13】・●
『名家方選』三部作の「上部病」【眼目】関係の処方群は、すべて記載されている。
◎・Ⅱ.-〔26〕・◎
▼〔26〕・「No.113~114」の処方群とその「出典」の
考証、および「出典書目」通覧
①○ 清涼甘露飲(No.113)(十一味)・・・・「正宗」〔外科正宗〕
・『外科正宗』(巻四)【繭唇第六十三】の項からの記載である。
②○ 清熱補血湯(No.113)(十一味)・・・「準縄」〔証治準縄〕
③○ 甘桔湯(No.113)(七味)・・・・・・「医通」〔張氏医通〕
・『張氏医通』(巻十五)【小児門下方】の項からの記載である。
④○ 清陽湯(No.113)(十味)・・・・・・「準縄」
⑤○ 正宗 黄連瀉心湯(No.114)(九味)・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻四)【重舌第一百十二】の項からの記載であ
る。
◎・Ⅱ.-〔27〕・◎
▼〔27〕・「No.114~115」の処方群とその「出典」の
考証、および「出典書目」通覧
①○ 甘露飲(No.114)(十味)・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻六)【治積熱】の項からの記載である。
②○ 定痛散(No.114)(十二味)・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻五)【牙歯】の項からの記載である。
③○ 清胃散(No.114)(六味)・・・・「正宗」〔外科正宗〕
・『外科正宗』(巻四)【牙縫出血第六十九】の項からの記載で
ある。
④○ 清中散(No.114)(七味)・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻四)【歯病第五十五】の項からの記載である。
⑤○ 甘露円(No.114)(五味)・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻六)【治積熱】の項からの記載である。
⑥○ 瀉胃湯(No.115)(十一味)・・・・「回春」
・『万病回春』(巻五)【牙歯】の項からの記載である。
⑦○ 清陽散火湯(No.115)(十味)・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻四)【骨槽風第五十三】の項からの記載で
ある。原文には、「石膏」があり、「十一味」である。
⑧○ 茵蔯散(No.115)(九味)・・・・「医通」〔張氏医通〕
・『張氏医通』(巻十五)【歯門】の項からの記載である。
・原文には、「麻黄」「大黄」があり、「十一味」である。
◎・Ⅱ.-〔Q〕・・・「上部病」【牙歯】・◎
◇・「名家方選之部〔Q〕」・・・・(No.115)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔Q〕」の処方群(No.115)
における『名家方選』三部作〔「上部病」【牙歯】からの
処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔Q〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①○ 清熱白虎飲(No.115)(十味)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【牙歯】(p.61)
②○ 治血熱衝上齲歯痛方(No.115)・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【牙歯】(p.61)
③○ 治胃中鬱熱牙歯腫痛方(No.115)・・・・・『続名家方選』
「上部病」【牙歯】(p.61)
④○ 治齲歯方(No.115)(一味)・・・・・・・『続名家方選』
「上部病」【牙歯】(p.61)
⑤○ 治牙歯疼痛不可忍者方(No.115)・・・・『続名家方選』
「上部病」【牙歯】(p.61)
●・【考察14】・●
『名家方選』「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(p.4~6)の9処方の記載がない。Ⅱ.-〔N〕の【考察11】を参照。
さらに、Ⅱ.-〔O〕の最後の⑬○九薬方(No.108)(二味)・『名家方選』「上部病」【口舌牙歯鼻耳眼】(p.7)の次の処方である「治骨槽風方」と「兼用丸薬方」の2処方が欠落している。
『名家方選三編』「上部病」【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】(No.25~29)における「牙歯」関連の処方は、すでにⅡ.-〔N〕に記載されている。
◎・むすび・◎
以上、『真斎聚方』のNo.68~No.115の処方群の「出典」につて考証した。『名家方選』三部作の処方群とその前段の処方群との関係については、必ずしも明解ではないところもあるが、これまでと同様におおまかには関連している処方群としてとらえてよいものと思われる。
『名家方選』三部作の処方群について言えば、これまでは各項目のすべての処方を原文どおりに記載していたが、今回は、【口舌牙歯咽喉鼻耳眼】の項目において、いくつかの欠落している処方が見られた。
これらは、おそらく故意に削除したというよりも、各小項目ごとに分割して記載した際に漏れたものと考えられる。
したがって、原文を忠実に記載するという「真斎の方法」に変化は見られないと言える。
すなわち、稿本『自然真営道』と『真斎謾筆』との内容的同一性についての考察にも変わりはないと言える。
『真斎聚方』の内容は、例えば『観聚方要補』における処方の記述よりも詳細なところが多く、これらは今日においても、なお有用な「処方集」としての価値があるものと言えるであろう。それは、続稿における考証から、ますます明らかとなることが予測されるところである。
〔2018年11月25日、PHN(思想・人間・自然)、第35号、PHNの会発行〕
〔2018年11月25日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・
川村真斎による処方収集書『真斎聚方』 の処方群
「〔1〕~〔10〕」(その「出典書目」一覧を含む)
および 「名家方選之部〔A〕~〔F〕」 における
処方群の「出典」の考証と考察――【Ⅰ】『真斎聚方』
〔No.37~67〕
――真斎の「筆写・抄出方法」から『真斎謾筆』と
稿本『自然真営道』との内容的同一性について
考える
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎『真斎聚方』における「出典書目」一覧 および
『観聚方要補』・『雑病広要』の「出典書目」との比較表◎
―――第1稿・・『真斎聚方』〔No.37~No.67〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼『観聚方要補』(多紀元簡著、文政二年〔1819〕版)
・『近世漢方医学書集成』(45~47)に収録〔文政版〕。
・安政四年〔1857〕版あり(『観聚方要補』安政版刊行委員会
編『観聚方要補』〔安政版〕、医聖社、平成二十五年)。
「原典から直接厳密に引用し、出典を明記する。」、「処方集と
しての完成度において、今日これを越えるものはない。」(小曽
戸洋『日本漢方典籍辞典』)
▼『雑病広要』(多紀元堅著、安政三年〔1856〕)
・『近世漢方医学書集成』(48~52)に収録。
・「資料に用いられた医書は316種に及び、・・・出典を明示し、
引用は正確で・・・江戸医学館の高い水準を示している。」
(小曽戸洋、同前)
・『真斎聚方』における川村真斎の方法は、上記江戸医学館の多紀
氏と同様に原典から直接引用し、出典を明記する方法と酷似し
ている。〔和田〕
『真斎聚方』 文政版『観聚方要補』 『雑病広要』
〔真斎、1852没〕 〔1819刊〕 〔1856刊〕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔Ⅰ〕・初出・【『真斎聚方』〔No.37~No.67〕】
01~03
・『名家方選』〔1781刊〕 × ×
・『続名家方選』〔1805刊〕 × ×
・『名家方選三編』〔1807刊〕 × ×
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔Ⅰ〕・初出・【『真斎聚方』〔No.37~No.67〕】
01~10
・「千金要方」 ○ ○
・「瑞竹堂経験方」 ○ ○
・「普済本事方」 ○ ○
・「厳氏済生方」 ○ ○
・「和剤局方」 ○ ○
・「万病回春」 ○ ○
・「証治準縄」 ○ ○
・「金匱要略」 ○ ○
・「寿世保元」 ○ ○
・「外台秘要」 ○ ○
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11~20
・「是斎百一選方」 ○ ○
・「済生全書」 ○ ○
・「聖済総録」 ○ ○
・「外科正宗」 ○ ○
・「蘭室秘蔵」 ○ ○
・「三因方」 ○ ○
・「衛生宝鑑」 ○ ○
・「直指方」 ○ ○
・「痧脹玉衡書」 ○ ×
・「救偏瑣言」 × ×
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
21~30
・「薛立斎十六種」〔薛己〕 △ △
・「脾胃論」 ○ ○
・「活人事証方」 〔安政版○〕× ○
・「医学入門」 ○ ○
・「婦人大全良方」 ○ ○
・「魏氏家蔵方」 ○ ○
・「楊氏家蔵方」 ○ ○
・「弁惑論」 ○ ○
・「古今医鑑」 ○ ○
・「温疫論」 ○ ×
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・はじめに・◎
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
本稿では、本誌「PHN」33号に引き続いて、No.41以降の処方群(No.41~No.67)と、それらに関連すると思われる『名家方選』三部作の処方群(No.46~No.67)について、できる限り「出典」の考証を行い、考究してみよう。
しかし、『真斎聚方』の膨大な処方群の「出典」の考証は、とうてい一人で短期間にできるようなものではない。以下においては、無理をしない範囲での考証にとどめることにしたことをお断りしておきたい。
むしろ、私は、『真斎聚方』における「出典書目」だけでも通覧しておくことは、今後真斎の方法と稿本『自然真営道』との内容的関連性について考察する場合において、そのことに意義と価値があると考え、この作業の続行を決意した次第である。
なお、本誌「PHN」33号において考証した処方群(No.37~No.40)とその「出典書目」一覧をも収載して、なるべく『真斎聚方』の処方群の全体像を通覧できるように配慮した。
今回は、その第1回目であり、今後も続稿を予定している。
●【出典】の確認のための文献一覧、その他●
・「出典」が明示され、考証されている中国古典医学書の類は、おも
に和田文庫本の中文医学書などを使用し、できる限りその「原文」
を参照して考証を行った。しかし、真斎は、主に和刻本を参照している
ものと思われるので、底本による多少の誤差は覚悟のうえである。
・その他、京都大学・富士川文庫、早稲田大学・古典籍総合データ
ベースなどのWeb公開資料などによった。
・『重訂古今方彙』(古賀通元編著、文化五年〔1808〕版)〔和田文庫
蔵本による〕
「『重訂』本は、引用書目として六十三種の中国医書を示し、全
一八〇〇方を収録する。・・・『万病回春』を出典とする処方が
最も多く、・・・一般医家の愛用する第一の処方集となり、・・・
常用処方集として、今日にも強い影響を及ぼしている。」(小曽戸
洋『日本漢方典籍辞典』)
・『名家方選』
(山田元倫〔浅井南皐〕維亨撰、中山泰成元吉校、天明元年刊
〔一七八一〕、『皇漢医学叢書、第十二冊』〔和田文庫蔵本〕所収
による)
浅井南皐(山田元倫、1760~1826)には、他に『名家灸選』(文化二刊
〔一八〇五〕)、『黴瘡約言』(享和二年刊〔一八〇二〕)、『養生録』
(文化十四年刊〔一八一七〕)などの著書がある。
・『続名家方選』
(村上等順〔名は図基〕編著、文化二年刊〔一八〇五〕、『皇漢医学
叢書、第十二冊』〔和田文庫蔵本〕所収による。なお、一部分については、
『皇漢医学叢書、第十二冊』に誤植などがあるため、京都大学・富士川
文庫本を参照した。)
・『名家方選三編』
(平井主善庸信撰、浅井子顕惟良校、文化四年刊〔一八〇七〕、
京都大学図書館・富士川文庫蔵本による)
平井庸信には、他に『続名家灸選』(文化四年刊〔一八〇七〕)、
『名家灸選三編』(文化十年刊〔一八一三〕)がある。浅井南皐の
『名家灸選』とともに、『名家灸選』の三部作は、「のちの灸治療に
影響を及ぼした」(小曽戸洋・天野陽介『針灸の歴史』)という。
◎・Ⅰ.-〔1〕・◎
▼・〔1〕・「No.37~39」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
・〔以下の処方群は「PHN」33号において、すでに考証済。〕
・書名の前の「◎」は初出。
・「△・」は、今号での「出典」追補の部分である。
①〇 西州続命湯(No.37)(九味)・・・・・・◎「千金」〔千金要方〕
②○ 小続命湯(No.37)(十二味)・・・・・・「千金」
③○ 匀(いん)気散(No.37)(十二味)・・・・・
・・・・・◎「瑞竹」〔瑞竹堂経験方〕
△・『瑞竹堂経験方』(巻一)【諸風門】からの記載である。
④○ 白薇湯(No.37)(四味)・・・・・・◎「本事」〔普済本事方〕
⑤○ 八味順気散(No.38)(八味)・・・・◎「済生」〔厳氏済生方〕
⑥○ 烏薬順気散(No.38)(十味)・・・・・◎「局方」〔和剤局方〕
⑦○ 三生飲(No.38)(四味)・・・・・・・・「局方」
⑧○ 摂生飲(No.38)(七味)・・・・・・・◎「回春」〔万病回春〕
⑨○ 清陽湯(No.38)(十味)・・・・・・・◎「準縄」〔証治準縄〕
⑩○ 犀角升麻湯(No.38)(九味)・・・・・・「本事」
⑪○ 千金 三黄湯(No.39)(五味)・・・・・◎「金匱」〔金匱要略〕
⑫○ 清熱導痰湯(No.39)(十二味)・・・・◎「寿世」〔寿世保元〕
⑬○ 倉公 当帰湯(No.39)(六味)・・・・・・「千金」
⑭○ 偏風(No.39)(四味)・・・・・・・・◎「外台」〔外台秘要〕
⑮○ 朮附湯(No.39)(三味)・・・・・・・・「金匱」
⑯○ 滋潤湯(No.39)(十味)・・・・・・・・「回春」
◎・Ⅰ.-〔A〕・「外因病」【中風】◎
◇・「名家方選之部〔A〕」・・・(No.39~40)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔A〕」の処方群(No.39~40)
における『名家方選』三部作〔「外因病」【中風】〕からの
処方群について――その「出典」の考証と考察
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・▼〔この内容については『PHN』33号(2018年9月)
を参照のこと〕▼・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎・Ⅰ.-〔2〕・◎
▼〔2〕・「No.41~42」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①〇 十味香薷飲(No.41)(十味)・・・◎「百一」〔是斎百一選方〕
・『是斎百一選方』(巻七、第九門)【傷寒・感冒・中暑】の項
の「十葉香薷飲」に主治文・薬物が酷似している。
・「宝鑑名消暑十全散」と、真斎のものと思われる文がある。
『衛生宝鑑』(補遺)に「消暑十全飲」(十味)がある。
②○ 加味香薷飲(No.41)(五味)・・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
・『厳氏済生方』(巻一)【諸瘧論治】の項からの記載である。
③○ 春沢湯(No.41)(八味)・・・・・・◎「済生」〔済生全書〕
・『済生全書』からの記載である。『古今方彙』により確認。
④○ 外台 理中丸(No.41)(五味)・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻六)【霍乱吐痢方】の項からの記載である。
原文には「干姜」があり、「六味」である。
⑤○ 理中安蚘湯(No.41)(五味)・・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻二)【傷寒 附傷風】より記載。後段「傷寒・・」
の文は省略。
⑥○ 附子理中円(No.42)(五味)・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻五)【治痼冷 附消渇】より記載。服薬文に
少しの異動と省略あり。末尾の小文字文「口噤則幹開灌之」
は、真斎によるもの。
⑦○ 扁豆湯(No.42)(四味)・・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻六)【霍乱吐痢方】の項からの記載である。
⑧○ 霍乱転筋 洗方(No.42)・・・・・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
・『厳氏済生方』(巻二)【霍乱論治】の項からの記載である。
・原文には「洗方 治霍乱転筋」とある。
⑨○ 二勝散(No.42)(二味)・・・・・・◎「聖済」〔聖済総録〕
・『聖済総録』(巻三十九)【霍乱門】からの記載である。
⑩○ 厚朴人参湯(No.42)(六味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻六)【霍乱心腹痛方】の項からの記載である。
⑪○ 茯苓安心湯(No.42)(六味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻六)【上焦熱及寒吐痢腸鳴短気方】の項から
の記載である。
⑫○ 加減茹〔薷〕苓湯(No.42)(九味)・・・「寿世」〔寿世保元〕
・『寿世保元』(巻三)【霍乱】の項より記載。服薬文の過半以
上を省略。
●・【考察1】・●
以上は、おおむねそれぞれ原文どおりの記載であることがわかる。
一部分、服薬文の後半などには省略がみられるが、問題のない範囲であろう。ここでのテーマは、【傷寒 附傷風】【治痼冷 附消渇】【霍乱】などである。
◎・Ⅰ.-〔3〕・◎
▼〔3〕・「No.43~44」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
・「▲」は、原文に「出典」の表示なきもの。その右の〔『万病回春』〕、
〔『千金要方』〕などは、和田による考証である。
①○ 治遊風行走無定(No.43)(九味)・・・「千金」〔千金要方〕
②○ 独活寄生湯(No.43)(十五味)・・・・「千金」
③○ 大防風湯(No.43)(十三味)・・・・◎「外正」〔外科正宗〕
・『外科正宗』(巻三)【附骨疽主治方】からの記載である。
④○ 踈経活血湯(No.44)(十六味)・・・・「▲」〔『万病回春』〕
・『万病回春』(巻五)【痛風】からの記載である。
⑤○ 犀角湯(No.44)(九味)・・・・・・・「▲」〔『千金要方』〕
⑥○ 当帰拈痛湯(No.44)(十六味)・・・「▲」◎〔『蘭室秘蔵』〕
・『蘭室秘蔵』(巻中)【腰痛門】には「拈痛湯」とあり、主
治文が一致しない。薬物の「蘖」のところに「準縄無」と
真斎の注があるが、原文にも「黄蘖」はない。なお、浅田
宗伯の『勿誤薬室方函』にも「黄蘖」はない。
⑦○ 附子六物湯(No.44)(六味)・・・・・・・・「外正」
・『外科正宗』(巻三)【附骨疽主治方】からの記載である。
○ 〔同上〕・・・・・・・・・・・・◎「三因」〔三因方〕
⑧○ 続断円(No.44)(九味)・・・・・・・「本事」〔普済本事方〕
・『普済本事方』(巻三)【風寒湿痺白虎歴節走注諸病】の項
より記載。服薬文の一部分省略あり。
●・【考察2】・●
以上は、おおむねそれぞれ原文どおりの記載であることがわかる。
一部分、服薬文の後半などには省略がみられるが、問題のない範囲であろう。ここでのテーマは、【骨疽】【痛風】などである。
◎・Ⅰ.-〔4〕・◎
▼〔4〕・「No.45~46」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 独活湯(No.45)(九味)・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・『聖済総録』(巻十)【諸風門】からの記載である。
②○ 芎附散(No.45)(十味)・・・・・・「本事」〔普済本事方〕
・『普済本事方』(巻三)【風寒湿痺白虎歴節走注諸病】の項
より記載。服薬文の一部分省略あり。
③○ 開結舒経湯(No.45)(十二味)・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻四)【麻木】の項より記載。服薬文の一部分
を省略している。
④○ 蠲痺湯(No.45)(六味)・・・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
・『厳氏済生方』(巻一)【五痺論治】の項からの記載である。
⑤○ 五痺湯(No.45)(五味)・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻一)【治諸風】の章より、ほぼ原文のどおり
の記載である。
⑥○ 酸棗人湯(No.46)(五味)・・・・・・「聖済」
●・【考察3】・●
以上は、おおむねそれぞれ原文どおりの記載であることがわかる。
一部分、服薬文の後半などには省略がみられるが、問題のない範囲であろう。ここでのテーマは、前項に関連している【治諸風】【風寒湿痺白虎歴節走注諸病】などである。
◎・Ⅰ.-〔B〕・「外因病」【歴節痛風】【痛痺】【痛風】◎
◇・「名家方選之部〔B〕」・・・・・(No.46)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔B〕」の処方群(No.46)
における『名家方選』三部作〔「外因病」【歴節痛風】など〕
からの処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔B〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 療風毒疼痛甚者方(No.46)「三味」・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【歴節痛風】(p.80)
・原文の「右三味」が「右四味」となっているのは、転記ミスで
あろう。
・末尾に「疑脱甘草字」との、真斎の文がある。
②〇 療風毒劇痛方(No.46)「一味」・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【歴節痛風】(p.80)
③〇 治四肢疼痛難屈伸〔者〕方(No.46)「一味」・・『続名家方選』
「外因病」【歴節痛風】(p.80)
④○ 治痛風方(No.46)「八味」・・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【痛痺】(No.48)
⑤○ 又方(No.46)「六味」・・・・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【痛痺】(No.49)
⑥○ 又方(No.46)「一味」・・・・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【痛痺】(No.49)
⑦〇 治痛風方(No.46)「九味」・・・・・・・・・・『名家方選』
「外因病」【痛風】(p.18)
⑧○ 又方 治易症(No.46)「三味」・・・・・・・・『名家方選』
「外因病」【痛風】(p.18)
⑨〇 治痛解毒飲(No.46)「七味」・・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【歴節痛風】(p.79)
・村上国基による按文も原文のとおりである。
⑩〇 白朮湯(No.46)「十一味」・・・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【歴節痛風】(p.79)
・原文では、白朮湯は【歴節痛風】の項の最初にある。
●・【考察4】・●
『名家方選』三部作における各項目〔「外因病」【歴節痛風】など〕のすべての処方群が原文どおりの内容で記載されている。
やはり、前出のⅠ.-〔2〕~〔4〕のテーマを受けての記載であろう。
◎・Ⅰ.-〔5〕・◎
▼〔5〕・「No.47~48」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 清心抑胆湯(No.47)(十六味)・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻四)【癇症】からの記載である。
②○ 沈香天麻湯(No.47)(十二味)・・・◎「衛生」〔衛生宝鑑〕
・『衛生宝鑑』(巻九)にある処方であるが、「主治文」が一致
していない。
③○ 抑肝散(No.47)(七味)・・・・・・◎「直指」〔直指方〕
④○ 遠志円(No.47)(八味)・・・・・・「本事」〔普済本事方〕
・『普済本事方』(巻二)【心小腸脾胃病】の項より記載。
⑤○ 大定心湯(No.47)(十五味)・・・・・「千金」〔千金要方〕
⑥○ 寧志円(No.48)(十一味)・・・・・・・「直指」
⑦○ 寧志膏(No.48)(三味)・・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻五)【治諸虚】の項からの記載である。
・末尾に「百一選方寧志元有当菖茯」と、真斎のものと思われ
る文がある。
⑧○ 茯神散(No.48)(九味)・・・・・・・「本事」
・『普済本事方』(巻二)【心小腸脾胃病】の項より記載。
・「主治文」は、前出の「④○遠志円(No.47)」に同じ。
⑨○ 千金 七気湯(No.48)・・・・・・・・・「準縄」〔証治準縄〕
○ 又 千金 七気湯(No.48)(十二味)・・「外台」〔外台秘要〕
⑩○ 半夏麻黄丸(No.48)(二味)・・・・・「金匱」〔金匱要略〕
・『金匱要略』「驚悸吐・・・瘀血第十六」からの記載である。
⑪○ 薯蕷湯(No.48)(十六味)・・・・・・「千金」
・「此方見虚労」と、真斎による文がある。これは、後出の
【薯蕷湯(No.56)(十六味)・・・・「千金」】を指す。
●・【考察5】・●
②「沈香天麻湯」の「主治文」の不一致については不明である。
ここでのテーマは、【癇症】【心小腸脾胃病】【治諸虚】などである。
◎・Ⅰ.-〔6〕・◎
▼〔6〕・「No.49~50」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 枳実大黄湯(No.49)(十味)・・◎「玉衡」〔痧脹玉衡書〕
・『痧脹玉衡書』(巻下)【玉衡備用要方】からの記載である。
②○ 必勝湯(No.49)(九味)・・・・・「玉衡」
・『痧脹玉衡書』(巻下)【玉衡備用要方】からの記載である。
③○ 荊芥湯(No.49)(六味)・・・・・「玉衡」
・『痧脹玉衡書』(巻下)【玉衡備用要方】からの記載である。
・「食不消」「心煩熱」などの下の「加・去」文は、原文では、
小文字でわかりやすいが、ここでは文字の大きさが同じで
読みにくい。
・末尾の「水二・・」の服薬文が省略されている。
④○ 防風散痧湯(No.49)(六味)・・・「玉衡」
・『痧脹玉衡書』(巻下)【玉衡備用要方】からの記載である。
・原文では、この処方は巻頭にある。各処方の記載は順不同
である。
・「頭面腫」「腹脹」などの下の「加・去」文は、原文では、
小文字でわかりやすいが、ここでは文字の大きさが同じで
読みにくい。
・末尾の「水二・・」の服薬文が省略されている。
⑤○ 防風金勝湯(No.50)(十一味)・・「玉衡」
・『痧脹玉衡書』(巻下)【玉衡備用要方】からの記載である。
⑥○ 薄荷湯(No.50)(六味)・・・・・「玉衡」
・『痧脹玉衡書』(巻下)【玉衡備用要方】からの記載である。
⑦○ 活絡透毒飲(No.50)(十一味)・・・・・・
・・・・・・◎「急偏鎖言」〔『救偏瑣言』〕
・『救偏瑣言』(附巻)【瑣言備用要方】からの記載である。
・『救偏瑣言』には、「甘草」がなく「十味」である。末尾に
「外加地龍」とある。ここでは「早稲田大学本」によった。
○ 〔同上〕(No.50)(十一味)・・・・・「玉衡」
・『痧脹玉衡書』(巻下)【玉衡備用要方】からの記載である。
・『痧脹玉衡書』にも、「甘草」がなく「十味」である。
⑧○ 射于兜鈴湯(No.50)(十一味)・・・・「玉衡」
・『痧脹玉衡書』(巻下)【玉衡備用要方】からの記載である。
・原文には、「射于兜苓湯」とある。末尾の「加童便」も原文
にある。
●・【考察6】・●
ここには、 『痧脹玉衡書』からの記載が集中的になされている。
『痧脹玉衡書』は、『観聚方要補』(文政版)には、引用されているが、『雑病広要』には引用書目にない。
『救偏瑣言』は、『観聚方要補』(文政版)・『雑病広要』ともに、引用書目にない。
ここでのテーマは、「食不消」「心煩熱」「頭面腫」「腹脹」などである。
◎・Ⅰ.-〔7〕・◎
▼〔7〕・「No.51~57」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 竹葉飲(No.51)(七味)・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻十三)【骨蒸方】の項からの記載である。
②○ 知母茯苓湯(No.51)(十二味)・・・・「聖済」〔聖済総録〕
③○ 楽令黄耆湯(No.51)(十二味)・・・・「外台」
④○ 十全大補湯(No.51)(十味)・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻五)【治諸虚】の項からの記載である。
○ 〔同上〕 ・・・・・「正宗」〔外科正宗〕
・『外科正宗』(巻一)【潰瘍主治方】の項からの記載である。
・「此薬補虚損大有神効 即八珍湯加耆桂也」と、真斎の
ものと思われる文がある。
⑤○ 八珍湯(No.52)(八味)・・・・◎「薛己」〔薛立斎十六種〕
○ 〔同上〕 ・・・・・・「正宗」
・『外科正宗』(巻一)【潰瘍主治方】の項からの記載である。
・「即四君四物湯合方」と、真斎のものと思われる文がある。
⑥○ 八物湯(No.52)(八味)・・・〔前方⑤「八珍湯」の類似処方〕
・「即於前方中去参加耆」と、真斎のものと思われる文がある。
⑦○ 補中益気湯(No.52)(八味)・・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻二)【内傷】の項からの記載である。
○ 〔同上〕 ・・・・◎「脾胃論」〔李東垣『脾胃論』〕
・『脾胃論』(巻中)からの記載である。
・「正宗有 麦門冬 六分 五味子 五分」と、真斎のものと
思われる文がある。この薬物の記述は、『外科正宗』の原文
どおりであり、真斎はこれによって記している。ちなみに、
『外科正宗』では、「十全大補湯」「八珍湯」の次に、「補中
益気湯」が記載されている。
⑧○ 人参紫苑散(No.52)(十味)・・・◎「事証」〔活人事証方〕
⑨○ 聖済 人参養栄湯(No.52)(十味)・・・「聖済」
⑩○ 局方 人参養栄湯(No.52)(十二味)・・「局方」
・『和剤局方』(巻五)【治痼冷】の項からの記載である。
・「○便精遺泄 加龍骨 一両 欬嗽 加阿膠 甚妙」と、
真斎のものと思われる文がある。
⑪○ 竹葉黄金湯(No.53)(九味)・・・・・「千金」〔千金要方〕
⑫○ 生姜甘草湯(No.53)(四味)・・・・・「金匱」〔金匱要略〕
・『金匱要略』「肺萎・・・脈証治第七」からの記載である。
⑬○ 秦芁〔艽〕鼈甲飲〔散〕No.53)(六味)・・「衛生」〔衛生宝鑑〕
・『衛生宝鑑』(巻五)【労倦・・有熱】の項からの記載である。
⑭○ 秦芁〔艽〕扶羸湯(No.53)(九味)・・◎「入門」〔医学入門〕
・『医学入門』(巻七)「通用古方詩括」【労瘵】の項からの記載
である。
⑮○ 大半夏湯(No.53)(九味)・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十六)【肉極寒方】の項からの記載である。
⑯○ 逍遥散(No.53)(六味)・・・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻九)【治婦人諸疾】の項からの記載である。
・「加牡丹皮・・加味逍遥散」「○一方 加知母・・」「○又方
正宗有・・」「「○又一方・・之九薬也」と、真斎のものと思
われる文がある。
⑰○ 補肺人参湯(No.54)(十一味)・・・・「聖済」
⑱○ 皂莢丸(No.54)(一味)・・・・・・・「金匱」
・『金匱要略』「肺萎・・・脈証治第七」からの記載である。
⑲○ 黄耆湯(No.54)(十味)・・・・・・・「外台」
⑳○ 又黄耆湯(No.54)(八味)・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十七)【虚労裏急方】の項からの記載である。
㉑○ 黄耆建中湯(No.54)(七味)・・・・・「千金」
・「深師治・・・」の小文字文もすべて原文のものである。
㉒○ 事証方 黄耆建中湯(No.54)(十七味)
・・・「事証方」〔活人事証方〕
㉓○ 滋陰降火湯(No.54)(十一味)・・・・「回春」
・『万病回春』(巻四)【虚労】の項からの記載である。
㉔○ 肘後 獺肝散(No.55)(一味)・・・・・「金匱」
・『金匱要略』「肺萎・・・脈証治第七」からの記載である。
・原出典は、『肘後備急方』。
㉕○ 飲酒房労・・令人錯謬失常方(No.55)(十味)・・「外台」
・『外台秘要』(巻三十一)【飲酒積熱方】の項からの記載であ
る。原出典は、『千金要方』。
㉖○ 酸棗湯(No.55)(五味)・・・・・・・「金匱」
・『金匱要略』「血痺・・・脈証并治第六」からの記載である。
○ 〔同上〕 ・・・・・・・・「外台」
㉗○ 千金 酸棗湯(No.55)(八味)・・・・・「千金」
㉘○ 大建中湯(No.55)(十一味)・・・・・「千金」
㉙○ 大竹葉湯(No.55)(十八味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十七)【病後不得眠方】の項からの記載であ
る。
㉚○ 小品 黄耆湯(No.55)(十味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十七)【虚労小便不利方】の項からの記載で
ある。原出典は『小品方』。
㉛○ 又小品 黄耆湯(No.55)(八味)・・・・「外台」
・「有寒加厚朴 二両」と、真斎のものと思われる文がある。
㉜○ 丹参煮散(No.56)(十七味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十六)【筋実極方】の項からの記載である。
㉝○ 竹葉湯(No.56)(十四味)・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻三)【天行虚羸方】の項からの記載である。
ただし、原文には「崔氏」とあり、「竹葉湯」の名はない。
・小文字文・末尾文も原文によるもの。
㉞○ 青蒿散(No.56)(十艽味)・・・・・・「事証」
㉟○ 薯蕷湯(No.56)(十六味)・・・・・・「千金」
・「前出」あり。・・【薯蕷湯(No.48)(十六味)・・「千金」】
しかし、ここでは「右十六味」以降の服薬文などがある。
㊱○ 牛膝湯(No.56)(十二味)・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻十六)【筋虚極方】の項からの記載である。
㊲○ 止熱極湯(No.56)(十一味)・・・・・「外台」
㊳○ 内補黄耆湯(No.57)(十六味)・・・・「外台」
㊴○ 茯苓補心湯(No.57)(十五味)・・◎「大全」〔婦人大全良方〕
・末尾に「一方除木香」と、真斎のものと思われる文がある。
●・【考察7】・●
ここでのテーマは、【骨蒸】【治諸虚】【治痼冷】【虚労】などである。
小曽戸洋氏らによると『活人事証方』の写本類は、「通常流布していない」ものであるという(日本医史学雑誌、53巻1号、2007)。
確かに『観聚方要補』(文政二年〔1819〕版)の引用書目にはあげられていない。『雑病広要』の引用書目には見られる。
『観聚方要補』(安政四年〔1857〕版)の引用書目には、『活人事証方』と『活人事証方後集』の二冊があげられている。真斎がこの時期に当時の「新出医方書」(『観聚方要補』安政版刊行委員会編『観聚方要補』〔安政版〕解説、医聖社、平成二十五年)の一つである『活人事証方』に接しているのは驚くべきことである。
◎・Ⅰ.-〔C〕・「内因病」【虚労】【虚労瘵疾】【虚労】◎
◇・「名家方選之部〔C〕」・・・・・(No.57~58)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔C〕」の処方群(No.57~58)
における『名家方選』三部作〔「内因病」【虚労】など〕
からの処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔C〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 乾坤丸(No.57)「四味」・・・・・・・・・『名家方選』
「内因病」【虚労】(p.21)
②○ 治労咳方(No.57)・・・・・・・・・・・『名家方選』
「内因病」【虚労】(p.21)
③○ 朗明湯(No.57)(九味)・・・・・・・・・『名家方選』
「内因病」【虚労】(p.21)
④○ 七宝散(No.57)(七味)・・・・・・・・・『名家方選』
「内因病」【虚労】(p.21)
⑤○ 神授丸(No.57)(八味)・・・・・・・・・『名家方選』
「内因病」【虚労】(p.21)
⑥○ 治労瘵方(No.57)(一味)・・・・・・『名家方選三編』
「内因病」【虚労瘵疾】(No.53)
⑦○ 鷦鷯剤(No.57)(七味)・・・・・・・『名家方選三編』
「内因病」【虚労瘵疾】(No.53)
⑧○ 下伝尸虫方(No.58)(三味)・・・・・『名家方選三編』
「内因病」【虚労瘵疾】(No.54)
⑨○ 治伝尸労瘵方(No.58)・・・・・・・・『名家方選三編』
「内因病」【虚労瘵疾】(No.54)
⑩○ 又方(No.58)(六味)・・・・・・・・『名家方選三編』
「内因病」【虚労瘵疾】(No.54)
⑪○ 煎剤方(No.58)(七味)・・・・・・・・『名家方選三編』
「内因病」【虚労瘵疾】(No.55)
⑫○ 治労瘵初発者方(No.58)(一味)・・・・・『続名家方選』
「内因病」【虚労】(p.82)
⑬○ 下瘵虫方(No.58)(四味)・・・・・・・・『続名家方選』
「内因病」【虚労】(p.82)
⑭○ 疳労丸(No.58)(三味)・・・・・・・・・『続名家方選』
「内因病」【虚労】(p.83)
⑮○ 獺肝丸(No.58)(四味)・・・・・・・・・『続名家方選』
「内因病」【虚労】(p.83)
⑯○ 治遺精・・・心煩熱等症方(No.58)(九味)・・・・・・
・・・・『続名家方選』「内因病」【虚労】(p.83)
●・【考察8】・●
以上においても、『名家方選』三部作の「内因病」【虚労】などの項目からすべての処方をそのままの内容で記載していることがわかる。
ここでのテーマは、前出のⅠ.-〔7〕などのテーマを受けての記載であろう。
◎・Ⅰ.-〔8〕・◎
▼〔8〕・「No.59~61」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 白扁豆散(No.59)(七味)・・・・「本事」〔普済本事方〕
・『普済本事方』(巻五)【衂血労瘵吐血咯血】の項からの記載。
②○ 千金 五味子湯(No.59)(九味)・・・「千金」〔千金要方〕
③○ 外台 五味子湯(No.59)(七味)・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻十)【肺気不足・・霜雪方】の項からの記載
である。
④○ 千金 竹筎湯(No.59)(九味)・・・・「千金」
⑤○ 上焦熱膈湯(No.59)(四味)・・・・「外台」
⑥○ 補肺湯(No.59)(十四味)・・・・・「千金」
⑦○ 一方 補肺湯(No.60)(八味)・・・「千金」
⑧○ 千金 犀角地黄湯(No.60)(四味)・・・「千金」
⑨○ 回春 犀角地黄湯(No.60)(六味)・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻四)【失血】の項からの記載である。
⑩○ 麦門冬湯(No.60)(七味)・・・・・「千金」
⑪○ 竹葉湯(No.60)(九味)・・・・・・「外台」
⑫○ 神授散(No.60)(二味)・・・・・・◎「魏氏家蔵方」
⑬○ 赤小豆当帰散(No.60)(二味)・・・・「金匱」〔金匱要略〕
・『金匱要略』「百合孤惑・・第三」および「驚悸吐衂下血・・
治十六」からの記載である。
⑭○ 帰脾湯(No.60)(十味)・・・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
・『厳氏済生方』(巻三)【健忘論治】の項にある処方であるが、
主治文などが一致していない。むしろ『古今方彙』の内容と
ほとんど一致しているので、『古今方彙』からの孫引きであ
ろうか。末尾の「本方無当遠薛立斎加之」の文も『古今方彙』
にある。
しかし、『古今方彙』の出典には「済生」とあるが、その主治文の
末尾に「薛」とある。したがって、『古今方彙』における主治文は
『薛立斎十六種』からの引用である。真斎は、他でも『薛立斎十六種』
からの記載をしているので、おそらく『薛立斎十六種』によるものと
考えるのが妥当であろう。
・末尾に「又加・・加味帰脾湯・・」の文あり。
⑮○ 治卒吐血及衂血主之方(No.61)(六味)・・・・・「千金」
⑯○ 大便出血及口鼻皆血出血上心・・致之方(No.61)(六味)
・・・・・・・・・・・・・・「千金」
⑰○ 外台 当帰湯(No.61)(六味)・・・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻三十三)【妊娠随月数・・将息方】の項から
の記載である。
⑱○ 麻子湯(No.61)(九味)・・・・・・・・・・「千金」
⑲○ 本事方 香附子湯(No.61)(二味)・・「本事方」〔普済本事方〕
●・【考察9】・● ここでも考証の範囲の処方については、ほぼ原文どおりの記載である。ここでのテーマは、【衂血労瘵吐血咯血】【失血】などである。
◎・Ⅰ.-〔D〕・「内因病」【血証】「上部病」【吐衂血】◎
◇・「名家方選之部〔D〕」・・・・・(No.61~62)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔D〕」の処方群(No.61~62)
における『名家方選』三部作〔「内因病」【血証】、「上部病」
【吐衂血】〕からの処方群について――その「出典」の考証と
考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔D〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 三奇丸(No.61)(六味)・・・・・・・・『続名家方選』
「内因病」【血証】(p.83)
②○ 花蕋石散(No.61)(五味)・・・・・・・『続名家方選』
「内因病」【血証】(p.83)
③○ 三灰散(No.61)(三味)・・・・・・・・『続名家方選』
「内因病」【血証】(p.84)
④○ 止衂妙方(No.61)・・・・・・・・・・・『続名家方選』
「内因病」【血証】(p.84)
⑤○ 治金瘡血不正者方(No.61)・・・・・・・『続名家方選』
「内因病」【血証】(p.84)
⑥○ 又方(No.61)(一味)・・・・・・・・・『続名家方選』
「内因病」【血証】(p.84)
⑦○ 治諸血症方(No.61)・・・・・・・・・『続名家方選』
「内因病」【血証】(p.84)
⑧○ 治吐血衂血方(No.61)(二味)・・・・『名家方選三編』
「上部病」【吐衂血】(No.29)
⑨○ 又方(No.61)(一味)・・・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【吐衂血】(No.30)
⑩○ 治吐血方(No.61)(二味)・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【吐衂血】(No.30)
⑪○ 治衂血方(No.62)(二味)・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【吐衂血】(No.30)
⑫○ 又方(No.62)(二味)・・・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【吐衂血】(No.30)
⑬○ 又方(No.62)(二味)・・・・・・・・・『名家方選三編』
「上部病」【吐衂血】(No.30)
●・【考察10】・●
以上においても、『名家方選』三部作の「内因病」【血証】、「上部病」【吐衂血】の項目からすべての処方をそのままの内容で記載していることがわかる。ここでのテーマは、前出のⅠ.-〔8〕のテーマを受けての記載であることがわかる。
◎・Ⅰ.-〔9〕・◎
▼〔9〕・「No.62~62」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 胃風湯(No.62)(七味)・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻六)【治瀉痢】の項からの記載である。
・服薬文の後半部分の省略あり。
②○ 胃苓湯(No.62)(十味)・・・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻三)【泄瀉】の項からの記載である。
③○ 平胃散(No.62)(四味)・・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
・薬物の分量には異動あり。
④○ 香砂平胃散(No.63)(九味)・・・・「回春」
・『万病回春』(巻二)【飲食】の項からの記載である。
⑤○ 香砂養胃湯(No.63)(十一味)・・・・「回春」
・『万病回春』(巻二)【飲食】の項からの記載である。
⑥○ 六君子湯(No.63)(五味)・・・・◎「楊氏」〔楊氏家蔵方〕
・『楊氏家蔵方』(巻六)【脾胃方六十一道】の項(六味)から
の記載であるが、「陳皮」が欠落して「五味」となっている。
・末尾に「一方無茯有甘又一方無枳有甘」と、真斎のものと思われる文がある。
⑦○ 四君子湯(No.63)(四味)・・・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
・服薬文の後半部分省略あり。
・末尾に「薛立斎四君子湯加夏陳等分名六君子湯・・」と、
真斎のものと思われる文がある。
⑧○ 香砂六君子湯(No.63)(八味)・・・・「正宗」〔外科正宗〕
・『外科正宗』(巻一)【潰瘍主治方】の項からの記載である。
⑨○ 葛花解醒湯(No.63)(五味)・・・・・◎「弁惑」〔弁惑論〕
・主治文が原文と一致しない。『古今方彙』の主治文に一致し
ている。
・薬物は、原文と『古今方彙』ともに十三味であるが、ここで
は「五味」である。転記ミスにしては欠落薬物が多すぎる。
⑩○ 行気香蘇散(No.63)(九味)・・・・・・・◎「古今医鑑」
⑪○〔治〕夏月暴冷・・(No.63)(十一味)・・「千金」〔千金要方〕
・『千金要方』(巻十五下)【脾臓下】「冷痢第八」からの記載
である。
⑫○ 豆附円(No.63)(七味)・・・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻六)【治瀉痢】の項からの記載である。
・服薬文の後半部分の省略あり。
⑬○ 禹餘粮円(No.63)(八味)・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
・『厳氏済生方』(巻五)【泄瀉論治】の項からの記載である。
⑭○ 啓脾丸(No.63)(九味)・・・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻七、小児科)【泄瀉】の項からの記載である。
⑮○ 厚朴湯(No.64)(五味)・・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
・『聖済総録』(巻四十六)【脾臓門】「脾胃不和・・」の項から
の記載である。
⑯○ 四柱散(No.64)(四味)・・・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻三)【治一切気】の項からの記載である。
・主治文、服薬文の一部省略あり。
⑰○ 銭氏 白朮散(No.64)(七味)・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻七、小児科)【小児雑病】の項にある処方で
あるが、主治文・服薬文が一致しない。
・原文は「八味」であるが、「丁香」が欠落している。
⑱○ 升陽除湿湯(No.64)(十一味)・・・「蘭室」〔蘭室秘蔵〕
・『蘭室秘蔵』(巻下)【瀉痢門】からの記載である。
⑲○ 加味四苓散(No.64)(十一味)・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻三)【泄瀉】からの記載である。原文の処方
名は、「四苓散」である。
●・【考察11】・●
服薬文の後半部分の省略や主治文・服薬文が一致しないものがあるが、それぞれの項目に示したとおりである。
ここでのテーマは、【泄瀉】【飲食】などである。
◎・Ⅰ.-〔E〕・・・・・・・「外因病」【泄瀉】◎
◇・「名家方選之部〔E〕」・・・・・(No.64)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔E〕」の処方群(No.64)
における『名家方選』三部作〔「外因病」【泄瀉】〕から
の処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔E〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 益中散(No.64)(六味)・・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【泄瀉】(p.82)
②○ 良姜散(No.64)(三味)・・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【泄瀉】(p.82)
・「主治文」が欠落している。
●・【考察12】・●
「外因病」【泄瀉】の項目は、『名家方選』三部作の中で、『続名家
選』のみにあり、上記の二処方ですべてである。
ここでのテーマは、前出のⅠ.-〔9〕のテーマを受けての記載であることがわかる。
◎・Ⅰ.-〔10〕・◎
▼〔10〕・「No.65~67」の処方群とその「出典」の考証、
および「出典書目」通覧
①○ 大青湯(No.65)(五味)・・・・・・「聖済」〔聖済総録〕
②○ 参連湯(No.65)(二味)・・・・・・「回春」〔万病回春〕
・『万病回春』(巻三)【痢疾】からの記載である。
③○ 安石榴湯(No.65)(四味)・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻二十五)【数十年痢方】の項からの記載であ
る。末尾の「一方・・」の小文字も原文のもの。
④○ 調中湯(No.65)(七味)・・・・・「大全」〔婦人大全良方〕
・『婦人大全良方』(巻二十二)【産後腹痛及瀉痢方論第十一】
からの記載である。
⑤○ 断痢湯(No.66)(九味)・・・・・・「千金」〔千金要方〕
⑥○ 千金 治三十年久痢不正方(No.66)(六味)・・・「千金」
⑦○ 回春 芍薬湯(No.66)(七味)・・・・・・・「回春」
・『万病回春』(巻三)【痢疾】からの記載であるが、原文の
「升麻」がここでは「甘草」となっている。
⑧○ 古今録験 白頭翁湯(No.66)(七味)・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻二十五)【冷痢方】の項からの記載である。
⑨○ 温疫論 芍薬湯(No.66)(五味)・・・・・◎〔温疫論〕
・『温疫論』(巻一)【戦汗】の項からの記載である。
⑩○ 訶梨勒散(No.66)(一味)・・・・・「金匱」〔金匱要略〕
・『金匱要略』「嘔吐・・証治第十七」からの記載である。
⑪○ 外台 必効療痢兼渇方(No.66)(二味)・・「外台」
・『外台秘要』(巻二十五)【痢兼渇方】の項からの記載である。
⑫○ 外台 黄芩湯(No.66)(六味)・・・・・・「外台」
⑬○ 阿膠散(No.66)(五味)・・・・・・・・・「▲」
・末尾に「千金駐車円無芍薬・赤石脂」と、真斎のものと思
われる文あり。
⑭○ 局方 痢聖散子(No.66)(七味)・・・・「局方」〔和剤局方〕
・『和剤局方』(巻六)【治瀉痢】の項からの記載である。
・服薬文の後半部分の省略あり。
⑮○ 温脾湯(No.66)(五味)・・・・・・・・「千金」
⑯○ 〔純陽〕真人養臓湯(No.66)(十味)・・・・・「局方」
・『和剤局方』(巻六)【治瀉痢】の項からの記載である。
・服薬文の後半部分の省略あり。
⑰○ 紫参湯(No.66)(二味)・・・・・・「▲」〔『金匱要略』〕
・『金匱要略』「嘔吐・・証治第十七」からの記載である。
⑱○ 当帰導気湯(No.67)(九味)・・・・「準縄」〔証治準縄〕
⑲○ 外台 赤石脂湯(No.67)(七味)・・・・・「外台」
・『外台秘要』(巻二十五)【膿血痢方】の項からの記載である。
原文では「八味」である。
●・【考察13】・●
服薬文の後半部分の省略や一部に薬物の記述の異動がみられる。
ここでのテーマは、【痢疾】【治瀉痢】【膿血痢】などである。
◎・Ⅰ.-〔F〕・・・・・・「外因病」【痢】【痢疾】・◎
◇・「名家方選之部〔F〕」・・・・・(No.67)・◇
▼ 『真斎聚方』「名家方選之部〔F〕」の処方群(No.67)
における『名家方選』三部作〔「外因病」【痢】〕から
の処方群について――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔F〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
①〇 療痢疾一方(No.67)(五味)・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【痢】(p.81)
②○ 療禁口痢方(No.67)(一味)・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【痢】(p.81)
③○ 如神丸(No.67)(六味)・・・・・・・・・『名家方選』
「外因病」【痢疾】(p.20)
④○ 治痢疾後重方(二味)・・・・・・・・・・『名家方選』
「外因病」【痢疾】(p.20)
⑤○ 如神錠(No.67)(三味)・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【痢疾】(No.50)
⑥○ 治痢方(No.67)(一味)・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【痢疾】(No.51)
⑦○ 又方(No.67)(二味)・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【痢疾】(No.51)
⑧○ 治痢疾裏急後重不止者(No.67)(三味)・・・『名家方選三編』
「外因病」【痢疾】(No.51)
・「甘草」は、上記の①など他のところでは「甘」と略記され
ているが、ここでは珍しく「草」とある。
・「按牛扁之説不穏闘牛児也」と、真斎による按文がある。
・「甘草」の次に「牛扁」とあるが、真斎の按文は、これに
ついてのものである。「牛扁」とは、ゲンノショウコのこと。
・小野蘭山『本草綱目啓蒙』(巻十三)「牛扁」の項に「コレ
救荒本草ノ牻牛児、一名闘牛児ノ一種ナリ」(『『本草綱目啓
蒙』2、東洋文庫536、平凡社)とある。真斎の按文は、
この『本草綱目啓蒙』の記述をふまえたものである。
⑨○ 又方(No.67)(八味)・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【痢疾】(No.51)
⑩○ 治噤口痢不納水薬飲食入口則
吐出嘔不止無奈何者方(No.67)(五味)・・・『名家方選三編』
「外因病」【痢疾】(No.51)
●・【考察14】・●
以上においても、『名家方選』三部作の「外因病」【痢疾】などの項目からすべての処方をそのままの内容で記載していることがわかる。
ここでのテーマは、前出のⅠ.-〔10〕のテーマを受けての記載であることがわかる。
小野蘭山の『本草綱目啓蒙』は、江戸医学館における蘭山の講義を筆録して刊行されたものである。ちなみに、蘭山の肖像画を描いた谷文晁は、真斎の父・川村寿庵の親友であり、寿庵編『日本名山図会』の原画を描いている。
◎・むすび・◎
以上、『真斎聚方』のNo.41~No.67の処方群の「出典」について考証した。『名家方選』三部作の処方群とその前段の処方群(Ⅰ.-〔2〕~〔10〕)との関係性については、前号の「中風」の項のようにかならずしも明解でないところもあるが、おおむね相互に関連している処方群が記載されていることがわかった。その他、上記の「考察」において述べていることは、ここには再述しない。
なお、上記のⅠ.-〔2〕、Ⅰ.-〔3〕などの区分は、原文において改頁ないしは改丁のある部分にしたがっている。
真斎の「筆写・抄出方法」については、これまでも見てきたように、基本的には原文に忠実であることがわかる。それは、『観聚方要補』などにみられる江戸医学館の多紀氏と同様に原典から直接引用し、出典を明記する方法と酷似しているもので、真斎の方法の背景には、そのような考証学派の影響が見られるといえよう。真斎の按文について言えば、『真斎方記』や『真斎謾筆』と比較すると極めて少なく、短文のものが多い。
『名家方選』三部作の処方群について言えば、各項目のすべての処方を原文どおりに記載していることが、以上においても明らかである。この調子で行くと、『真斎聚方』から『名家方選』三部作の処方は、すべて復元できるような状況にあるような状況である。
したがって、『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との内容的同一性について考えるとき、稿本『自然真営道』の復元性もまた極めて高いものがあるといえるのではないだろうか。
『真斎聚方』における真斎の記述は、例えば主治文などは『観聚方要補』における記述よりも詳細なところが多い。それらの項目名〔目次〕を明示して書物として刊行できるように整理していたならば、おそらく現代にも通ずるところの有用な文献となったことであろう。
もともとそうした作業は、弟子や子息たちのすることが多いものである。真斎はそのような弟子などに恵まれなかったのであろうか。
▼・Ⅰ.-〔1〕~Ⅰ.-〔10〕の処方総数は、157処方である。▼
〔2018年10月25日、PHN(思想・人間・自然)、第34号、PHNの会発行〕
〔2018年10月25日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の真営道医学の継承者である江戸の町医・
川村真斎による処方収集書 『真斎聚方』のNo.37~39
「〔A.【中風】〕」、および「名家方選之部〔A〕」No.39~
40における処方群の「出典」の考証と考察
――真斎の「筆写・抄出方法」などから、『真斎謾筆』
と稿本『自然真営道』との内容的同一性について
考える
◇ 1. はじめに
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
この『真斎聚方』の全体的構成が、どのようなものなのかについては、「名家方選之部」〔26か所〕と「小児門」「雑方之部 名家方選 」、「本草之部 附方」という見出ししかないため、それを把握することが極めて困難である。
その巻頭部分(おもにNo.1~No.28)については、『真斎方記』との内容的同一性があるため、すでに見たようにその内容の構成を把握することが可能であった(本誌「PHN」第32号〔2018年8月号〕、参照)。
本稿では、「名家方選之部」の最初の見出し(No.39)を起点として、これを「名家方選之部〔A〕」(No.39~No.40)とし、さらにその内容と関連する「中風」の処方が収集されている部分(No.37~No.39)を、「〔A.【中風】〕」との仮見出しを付けて、考究してみよう。
●【出典】の確認のための文献一覧、その他●
・「出典」が明示されている中国古典医学書の類は、おもに和田文庫
本の中文医学書などを使用し、できる限りその「原文」を参照して
考証を行った。
・その他、京都大学・富士川文庫、早稲田大学・古典籍総合データ
ベースなどのWeb公開資料などによった。
・『名家方選』
(山田元倫〔浅井南皐〕維亨撰、中山泰成元吉校、天明元年刊
〔一七八一〕、『皇漢医学叢書、第十二冊』〔和田文庫蔵本〕所収
による)
浅井南皐(山田元倫、1760~1826)には、他に『名家灸選』(文化二刊
〔一八〇五〕)、『黴瘡約言』(享和二年刊〔一八〇二〕)、『養生録』
(文化十四年刊〔一八一七〕)などの著書がある。
・『続名家方選』
(村上等順〔名は図基〕編著、文化二年刊〔一八〇五〕、『皇漢医学
叢書、第十二冊』〔和田文庫蔵本〕所収による。なお、一部分については、
『皇漢医学叢書、第十二冊』に誤植などがあるため、京都大学・富士川文庫本
を参照した。)
・『名家方選三編』
(平井主善庸信撰、浅井子顕惟良校、文化四年刊〔一八〇七〕、
京都大学図書館・富士川文庫蔵本による)
平井庸信には、他に『続名家灸選』(文化四年刊〔一八〇七〕)、
『名家灸選三編』(文化十年刊〔一八一三〕)がある。浅井南皐の
『名家灸選』とともに、『名家灸選』の三部作は、「のちの灸治療に
影響を及ぼした」(小曽戸洋・天野陽介『針灸の歴史』)という。
◇ 2.『真斎聚方』「名家方選之部〔A〕」の処方群(No.39~No.40)
の「前段」としての「〔A.【中風】〕」の処方群(No.37~No.39)
について
――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
・『真斎聚方』の処方名・・/・・【出典】〔「 」内は原文による。〕
▼・〔A.【中風】〕・・・・・・・▼〔原文にはこの見出しはない。〕
①〇 西州続命湯(No.37)(九味)・・・・・・「千金」〔千金要方〕
・「西州続命湯」は、平成14年4月、奈良明日香村から出土し
た木簡に記されていた「国内最古の処方箋」として知られる
(小曽戸洋・真柳誠、日本医史学雑誌、48巻3号、2002)。
・主治文その他、『千金要方』と同じであり、『千金要方』(巻八)
の【諸風】の項からの記載である。
②○ 小続命湯(No.37)(十二味)・・・・・・「千金」
・主治文その他、『千金要方』と同じであり、『千金要方』(巻八)
の【諸風】の項からの記載である。
②○ 小続命湯(No.37)(十二味)・・・・・・「千金」
・主治文その他、『千金要方』と同じであり、『千金要方』(巻八)
の【諸風】の項からの記載である。
③○ 匀(いん)気散(No.37)(十二味)・・「瑞竹」〔瑞竹堂経験方〕
・『瑞竹堂経験方』は、寛政七年〔1795〕に、日本で桂川国瑞(甫
周)・多紀元簡らにより刊行されている。この書からの記載で
あろうと思われる。筆者は、いまのところ原文未確認である。
④○ 白薇湯(No.37)(四味)・・・・・・・「本事」〔普済本事方〕
・主治文その他、『普済本事方』(巻七)の【諸虫飛尸鬼疰】の項
からの記載である。
⑤○ 八味順気散(No.38)(八味)・・・・・「済生」〔厳氏済生方〕
・主治文その他、『厳氏済生方』(巻一)の【中風】の項からの記
載である。富士川文庫本にて確認済。
⑥○ 烏薬順気散(No.38)(十味)・・・・・・「局方」〔和剤局方〕
・主治文その他、『太平恵民和剤局方』の巻一【治諸風】からの
記載である。
⑦○ 三生飲(No.38)(四味)・・・・・・・・「局方」
・主治文その他、『太平恵民和剤局方』の巻一【治諸風】からの
記載である。
⑧○ 摂生飲(No.38)(七味)・・・・・・・・「回春」〔万病回春〕
・主治文その他、『万病回春』(巻二)の【中風】からの記載で
ある。
⑨○ 清陽湯(No.38)(十味)・・・・・・・・「準縄」〔証治準縄〕
・『証治準縄』(第一冊)の【中風】の項にある処方であるが、主
治文などが、十分に一致しないようである。
・『仁術便覧』(巻一)の【中風】の項にもあり、主治文、薬物は
一致。分量もほぼ一致している。服薬文は、『真斎聚方』より
も短文である。
・『東医宝鑑』(雑病篇巻二)の【風痺】の項にもあり、主治文、
薬物は一致。分量もほぼ一致している。服薬文も、過半程度一
致している。
⑩○ 犀角升麻湯(No.38)(九味)・・・・・・「本事」〔普済本事方〕
・主治文その他、『普済本事方』(巻五)の【眼目頭面口歯鼻舌唇
耳】からの記載である。
⑪○ 千金三黄湯(No.39)(五味)・・・・・・「金匱」〔金匱要略〕
・主治文その他、『金匱要略』の【中風歴節風病・・・第五】
からの記載である。
⑫○ 清熱導痰湯(No.39)(十二味)・・・・・「寿世」〔寿世保元〕
・主治文その他、『寿世保元』(巻二)の【中風】の項からの記載
である。
⑬○ 倉公当帰湯(No.39)(六味)・・・・・・「千金」
・主治文その他、『千金要方』と同じであり、『千金要方』(巻八)
の【諸風】の項からの記載である。
⑭○ 偏風(No.39)(四味)・・・・・・・・・「外台」〔外台秘要〕
・『外台秘要』(巻十四)「偏風方九首」の内の【急療偏風】から
の記載である。
⑮○ 朮附湯(No.39)(三味)・・・・・・・・「金匱」
・主治文その他、『金匱要略』の【中風歴節風病・・・第五】
からの記載である。
⑯○ 滋潤湯(No.39)(十味)・・・・・・・・「回春」
・主治文その他、『万病回春』(巻二)の【中風】からの記載で
ある。
・●【考察1】●・
以上の十六件の処方群は、次に記載されている「名家方選之部〔A〕」の処方群(No.39~No.40)の「前段」として収集されているものといえよう。なぜなら、その主題が、ともに【中風】であるからである。
これらの処方群は、特定の一つの書物からの記載ではなく、基本的には「出典」として示された多くの「原典」からの記載である。
真斎のもとには、蔵書家として知られた父・寿庵の蔵書類が數多くあったであろうと推察される。
真斎は、基本的に「原典」の文章・内容をそのまま記載しており、改変などは、ほとんど行っていない。それは、真斎の一貫した方法である。また、「八味」以上の処方が、9処方もあり、後世方の処方も多いことがわかる。これを以て、真斎を後世方派の医師であった、と規定することは誤りである。真斎の医学的立場は、折衷派的あるいは考証学派的医学として位置づけられるべきであろう。なぜなら、次に触れるところの多紀元簡の『観聚方要補』にしても、多くの後世方の医書群から、多数の処方を引いているからである。
当時、多くの処方類を集成した書物としては、多紀元簡の『観聚方要補』(文政二年〔1819〕刊、「近世漢方医学書集成45~47、多紀元簡(五・六・七)」に収録)などが知られている。しかし、真斎の上記の処方名と同じかまたは類似の処方は、十六件の内の八件ほどが確認できるものの、細部にわたって照合すると、それらは『観聚方要補』からの記載とは認めらないことが判明した。したがって、真斎は独自に各医書群からそれらの処方を収集して、これらの処方群を記載したと言える。
また、例えば『観聚方要補』のように、随所に見出しを記載して、もっとわかりやすく分類して作成していれば、『真斎聚方』は相当に有用な処方集成書となったことであろう。
◇ 3.『真斎聚方』「名家方選之部〔A〕」の処方群(No.39~No.40)
における『名家方選』三部作〔「外因病」【中風】〕からの
処方群について
――その「出典」の考証と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「名家方選之部〔A〕」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
〇 治中風初発者奇方(No.39)「四味」・・・・・『続名家方選』
「外因病」【中風】(p.78)
〇 椶葉湯(No.39)「四味」・・・・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【中風】(p.79)
〇 偏枯奇方(No.39)「三味」・・・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【中風】(p.79)
〇 療中風着痺方(No.40)「三味」・・・・・・・『続名家方選』
「外因病」【中風】(p.79)
〇 試癱瘓中風瘥不瘥方(No.40)「一味」・・・・・『名家方選』
「外因病」【中風】(p.18)
・「亨嘗云・・・」の按文は、原文にあるもので、編者の
「山田元倫維亨」によるものである。
〇 治偏枯方(No.40)「八味」・・・・・・・・・・『名家方選』
「外因病」【中風】(p.18)
○ 治中風腹堅実者(No.40)「五味」・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【中風】(No.46)
○ 又方(No.40)「二味」・・・・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【中風】(No.46)
○ 起死神応丹(No.40)「八味」・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【中風】(No.46)
○ 又方(No.40)「一味」・・・・・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【中風】(No.47)
○ 荊芥散(No.40)「一味」・・・・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【中風】(No.47)
○ 抑肝加謬飴湯(No.40)・・・・・・『名家方選三編』「外因病」
【中風】(No.47)
○ 豆淋酒(No.40)「十一味」・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【中風】(No.47)
○ 加味六君子湯(No.40)「八味」・・・・・・・『名家方選三編』
「外因病」【中風】(No.47)
●・【考察2】・●
・以上の処方は、『名家方選』三部作の「外因病」【中風】のすべての
処方を記載しているものである。
・真斎が薬物名を一字薬名にしているほかは、『名家方選』三部作の
内容と全く同じである。
・ここにも、原典を忠実に記載するという「真斎の方法」が見てとれ
る。こうした「真斎の方法」を念頭において、『真斎謾筆』と稿本
『自然真営道』との内容的同一性について考察することが求めら
れる。
◇ 4.むすび
上記の「2.」において、『真斎聚方』「名家方選之部〔A〕」の処方群(No.39~No.40)の「前段」としての「〔A.【中風】〕」の処方群(No.37~No.39)について、その「出典」の考証と考察を行い、また、「3.」において、『真斎聚方』「名家方選之部〔A〕」の処方群(No.39~No.40) における『名家方選』三部作〔「外因病」【中風】〕からの処方群について、その「出典」の考証と考察を行った。
『真斎聚方』「名家方選之部〔A〕」の処方群(No.39~No.40)と「〔A.【中風】〕」の処方群(No.37~No.39)とは、ひとつの【中風】
という主題でつながっていることが判明したが、これ以下No.40
以降の『真斎聚方』においても、このような関係性が見られるか
どうかについては、いまのところ明らかではない。
それは今後、続論において、検討されることになるであろう。
ここでひとつ注目しておくべきことは、『真斎聚方』の巻頭部分を
除く、『真斎聚方』の以上にみたような部分においては、『真斎聚方』
の巻頭部分や『真斎方記』、そして『真斎謾筆』などと比較すると、「真斎による按文」などがほとんどないことである。これはまさに『真斎聚方』の中で真斎の按文などがないところの主要な部分は、それらが「真斎による処方収集書」であることを物語っているものであるといえよう。
さて、すでにみたように、「原典」を忠実に記載するという「真斎の方法」は、『真斎謾筆』が稿本『自然真営道』の内容をかなりの精度において復元しているものであると考えられる重要な根拠となりうるものである。
〔2018年9月25日、PHN(思想・人間・自然)、第33号、PHNの会発行〕
〔2018年9月25日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の真営道医学を伝承した江戸の町医・川村真斎
の処方収集書 『真斎聚方』 の巻頭部分における処方群の
「出典」の考証と『真斎方記』との内容的同一性、および
『真斎方記』の成立過程についての考察
――『真斎方記』は、『類聚方』からの抜粋ではなく、
『類聚方集覧』からの抜粋である。さらに、真斎の「抄出方法」
から『真斎謾筆』が、稿本『自然真営道』の内容を「どれほど
反映したものであるか」、について再考する。
◇ 1 はじめに
『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)の巻頭部分(おもにNo.1~28、
〔以下、例えばNo.3とは、二丁のウラと三丁のオモテの見開き頁をさす。〕)
における処方群の「出典」の考証は極めて重要である。
なぜなら、この部分と『真斎方記』(東京国立博物館蔵本)とは、その
内容的な同一性と相互関連性が極めて緊密であることが確認されたからである。
一言にして要約すれば、この『真斎聚方』の巻頭部分を基盤として、
『真斎方記』が成立するに至っている、と断言できるからである。
そして、『真斎聚方』の巻頭部分と『真斎方記』の成立については、
吉益東洞の『類聚方』ではなく、『類聚方集覧』(雉間暘谷・標註)、
『古方兼用丸散方』(田口鼎信庵・集撰)などが、それらの「出典」
であることが、このたび判明したのでここに報告したい。
てきた川村真斎の『真斎謾筆』と昌益の稿本『自然真営道』との内容的同一性の議論
についても、少しく考察を加えておきたいと思う。
▼【考証のための主要文献一覧】▼
・川村真斎・稿『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)
・川村真斎・稿『真斎方記』(東京国立博物館蔵本)
・『古方兼用丸散方』(田口鼎信庵・集撰、文化元年〔1804〕刊、和田
文庫蔵本)〔表題「古方丸散方」、略称「丸散方」〕
田口鼎信庵は、「東武城北千住飛鳥山下」の人である。
・『古方分量考』(立花貞庵・著校、寛政七年〔1795〕刊〔後印本〕、
和田文庫蔵本)〔初刊は、寛政五年〕
立花貞庵(生没年不詳)は、江戸の人である。
・『類聚方集覧』(雉間暘谷・標註、享和三年〔1803〕刊、和田文庫
蔵本)
雉間暘谷(きじまようこく、生没年不詳)は、上総の人で、名は
煥(あきら)、字は子炳(しへい)である。
・舟山寛・撰『錦城先生経験方』(文化五年〔1805〕写、内藤記念
くすり博物館蔵本)
「錦城先生」とは、川村真斎の父・川村寿庵のこと。舟山寛は、
川村寿庵の門人で、著書に『医論』などがある。
◇ 2 吉益東洞の処方「十二律方」について
――『真斎聚方』の巻頭部分(No.1~2)の「出典」の考証、
および『真斎方記』(No.40~41)との比較と考察
真斎は、『真斎聚方』の巻頭に、まず吉益東洞の処方「十二律方」を記載している。
この「十二律方」は、多くの「丸散方」の処方集でも、巻頭に記載されているという
(後出、鈴木論文による)。
最初には、次の処方が記載されている(以下の処方名は省略し、別表に示す)。
〈・最初に記載されている処方の例・〉
〇 人参大黄丸 (名大簇) 治心下痞鞭大便難者
大黄 十両 黄芩 人参 各五両
●・【考察1】・●
・真斎の「十二律方」は、『古方兼用丸散方』からの記載である
東洞の「十二律方」の処方を、真斎は何によって記載したのであろうか。それは、『古方兼用丸散方』(以下、『丸散方』)という書物である。その「主治文」と薬物の分量もすべて、この書物によって記載している。ただし、「人参大黄丸」の処方名の「人参」の「参」の字は、原文では、「クサカンムリの下に「浸」の字」である。以下、原則として細かな用字の指摘はしない。
東洞の「十二律方」は、『東洞先生家塾方』(安永九年〔1780〕、村井琴山・校定、『東洞全集』に収録)にも収載されているが、照合した結果、真斎は『丸散方』により記載していることが判明した。
大塚敬節は、東洞の稿本『丸散方』について、「平日調剤のために、編するところ、故に家に蔵して之を公にせず、但入門の者謄写し得るのみ。」、「『丸散方』はまた『東洞先生家塾方』ともよばれたもの」と、述べている(『近世漢方医学書集成10、吉益東洞(一)』、解説)。しかし、『東洞先生家塾方』が二十三処方ほどの収録であるのに対して、刊本『丸散方』には四十処方ほどが収録されており、『東洞先生家塾方』の増補版が、すなわち刊本の『丸散方』であるといえよう。
・薬物名の「フルネーム表記」について
ここでは、その薬物名が「フルネーム表記」となっていることに注目してほしい。『真斎謾筆』では、ほとんどの薬物名が「一字薬名」(あるいは合成した一字薬名)で書かれていたからである。そして、それが、昌益の稿本『自然真営道』の原文によるものなのか、真斎によるものなのかが、これまで判然としなかったからである。
ところが、『真斎聚方』の巻頭部分のNo.1から6までは、薬物名が「フルネーム表記」となっているのである。
このことから、安藤昌益の稿本『自然真営道』の薬物名は、「フルネーム表記」となっていたものを、真斎が「一字薬名」(あるいは合成した一字薬名)に変更した可能性が高いということが推察されるからである。
二番目に記載されている「○ 硝石大円」以下の処方群についても、それらの「出典」は、『丸散方』である。
「十二律方」の処方は、『真斎方記』では、巻頭ではなく、末尾近くに出ている。以下に、『真斎方記』(No.40~41)における記載と比較しつつ、まとめてみよう。
▼ 吉益東洞の「十二律方」の処方群について ▼
――真斎は、『丸散方』により記載している。
参考までに『錦城先生経験方』の処方も示す。
・〔処方名〕・
・『真斎聚方』・ 「東洞の十二律方」
・(『真斎方記』)・ 〔【 】は、別名〕
▼・【大黄剤】・・・・・・・・・・・・・・・『散丸方』の分類による。
①・人参大黄丸 【大簇丸】
(人参大黄丸)
②・硝石大円 【夾鐘丸】〔別名:硝石大円〕
(硝石大円) ・・・出典「千金方」による〔真斎、鈴木〕。
▼・【甘遂剤】・・・・・・・・・・・・・・・『散丸方』の分類による。
③・三因控涎丹 【姑洗円】〔別名:控喘丹〕
(控涎丹) ・・・出典「三因極一病証方論」による〔真斎〕。
《参考》・『錦城先生経験方』には、「控涎丹」の記載が
七件あり、寿庵も頻用していた処方である。
④・外台如神丸 【仲呂丸】
(如神丸) ・・・出典「外台秘要」による〔真斎〕。
⑤・千金平水丸 【蕤賓丸】〔別名:平水丸〕
(平水丸) ・・・出典「千金方」による〔真斎〕。
《参考》・『錦城先生経験方』には、「平水丸」の記載が
二件ある。
▼・【大黄剤】・・・・・・・・・・・・・・・『散丸方』の分類による。
⑥・甘連大黄丸 【林鐘丸】
(甘連大黄丸)
▼・【巴豆剤】・・・・・・・・・・・・・・・『散丸方』の分類による。
⑦・備急円 【大呂丸】〔別名:備急円〕
(備急円) ・・・出典「儒門事親」or「和剤局方」による〔鈴木〕。
《参考》・『錦城先生経験方』には、「備急円」の記載が
三件ある。
▼・【大黄剤】・・・・・・・・・・・・・・・『散丸方』の分類による。
⑧・浮石丸 【夷則丸】〔別名:浮石丸〕
(浮石丸)
《参考》・『錦城先生経験方』には、「浮石丸」の記載が
一件あるが、これは「三物浮石丸」と一致し
ている。
▼・【甘遂剤】・・・・・・・・・・・・・・・『散丸方』の分類による。
⑨・滾痰丸 【南呂丸】〔別名:滾痰丸〕
(滾痰丸)
《参考》・『錦城先生経験方』には、「滾痰丸」の記載が
一件ある。
▼・【大黄剤】・・・・・・・・・・・・・・・『散丸方』の分類による。
⑩・芎黄散 【応鐘散】〔別名:芎黄散〕
(芎黄散) ・・・出典「楊氏家蔵方」による〔鈴木〕。
《参考》・『錦城先生経験方』には、「芎黄散」の記載が
一件ある。
⑪・三黄丸 【黄鐘丸】〔別名:三黄丸〕
(三黄丸) ・・・出典「儒門事親」or「和剤局方」による〔鈴木〕。
《参考》・『錦城先生経験方』には、「三黄丸」の記載が
二件ある。
▼・【軽粉剤】・・・・・・・・・・・・・・・『散丸方』の分類による。
⑫・牡蛎角石丸 【無射丸】
(牡蛎角石丸)
これらの処方は、原文にも「以上、十二律方 云」((『真斎方記』では、「以上、東洞為十二律方」)とあるように、吉益東洞の「十二律方」の処方である。これらは、古来の音階の十二律を冠した処方で、東洞が多用している処方群である。「多くの丸散方の処方集で、十二律方は、始めに収載されることから十二律方は東洞の丸散方の中で特に重要なものであったことは疑いがない」(鈴木達彦)という。
以上の調査に当っては、鈴木達彦「吉益東洞十二律方の検討」(日東医誌 Kampo Med Vol.63 No.1 15-24 ,
2012)を参照した。
●・【考察2】・●
『真斎聚方』の「十二律方」の処方群は、基本的に『真斎方記』でも同様に記載されている、と言える。『錦城先生経験方』には、「十二律方」のうちの七処方が散見されるが、すべての内容が完全には一致していないものもある。
▼『真斎聚方』(No.2)の処方▼
●・「巴豆剤」・・・・・・・・・・〔『丸散方』の分類による〕
〇・紫円・・・『丸散方』(一丁)による。〔『真斎方記』(No.41)にも、同文を記載。ただし、薬物名は「一字薬名」である(以下、同)。〕
・〈参考〉・「紫円」という処方名は、『錦城先生経験方』には、八件ほどみられ、真斎の父・寿庵が多用していたことがわかる。〔出典、千金方〕
〇・巴豆鷓胡菜丸・・・『丸散方』(二丁)による。〔『真斎方記』に
記載なし。〕
〇・疥癬摺薬・・・『丸散方』(三丁)による。〔『真斎方記』に記載
なし。〕
▼『真斎聚方』(No.3)の処方▼
●・「軽粉剤」・・・・・・・・・・〔『丸散方』の分類による〕
〇・前七宝丸・・・『丸散方』(四丁)による。
・〈参考〉・『錦城先生経験方』には、「七宝丸」があり、内容は
この「前七宝丸」とほぼ同一である。
〇・後七宝丸・・・『丸散方』(四丁)による。
・〈参考〉・『錦城先生経験方』には、「七宝丸」の次に「後方」
とあり、内容はこの「後七宝丸」とほぼ同一である。
〇・続七宝丸・・・『丸散方』(五丁)による。
〔以上、七宝丸の三処方『真斎方記』に記載なし。〕
〇・生々乳・・・『丸散方』(五丁)による。
「博案 此方非矣 ソッヒル 二十銭〔原文にはかねへんなし。
以下、同〕 炒緑礬 三十銭 食塩 三十銭 硝石 十銭
ヲ加ヘテ文火ヨリ武火ニテコレヲ焼ベシ。此方 極是矣 」
と、真斎による按文がある。〔文火=弱火の意、武火=強火の意〕
次に、
〇・「 ソッヒル ノ方 炒緑礬 六十銭 炒食塩 九十銭
水銀 四十銭 焼而去滓又焼之則成潔白 」
と、真斎により「ソッヒルの方」という処方が追加されている。この「ソッヒル処方」とは、オランダ流の処方ということである(中西淳朗「古写本『長崎吉雄先生秘伝』について」、日本医史学会雑誌、46巻4号、2000)。真斎と蘭学とのかかわりにおいて注目される処方である。
〔以上、「生々乳」、「ソッヒル処方」ともに『真斎方記』には記載なし。〕
●・【考察3】・●
真斎が蘭方を、『真斎聚方』に記載していることは、すでに触れた(本誌、「PHN」31号、拙論参照)。真斎の父・寿庵が、杉田玄白らと交遊関係にあったこともすでに紹介した(本誌、「PHN」30号、拙論参照)。このような背景の中で、真斎の「ソッヒル処方」も理解されることが必要である。
この「ソッヒル処方」もまた、梅毒治療処方の「スウィーテンの水銀水治療法」(『紅毛秘事記』吉雄耕牛訳など)と同様に、オランダ通詞・吉雄耕牛から杉田玄白らへ、そして川村寿庵・真斎らへと、伝承された可能性が高い。「スウィーテンの水」の伝承などについては、片桐一男『江戸の蘭方医学事始――阿蘭陀通詞・吉雄幸左衛門 耕牛』(丸善ライブラリー)に詳しい。
『紅毛秘事記』(吉雄耕牛訳、京都大学図書館・富士川文庫、写本)には、「ソッヒル」の「極細末・・」とあり、「ソッヒル」という薬物名が見られる。「七宝丸」や「生々乳」などの「軽粉剤」は、主に梅毒の治療に用いられるものである。真斎が、東洞流の「七宝丸」や「生々乳」などの次に、蘭方の「ソッヒル処方」を追加していることには、必然性があったのである。
蘭学者・長崎浩斎との交友のあった中神琴渓(1744~1833)は、「七宝丸」や「生々乳」などの「軽粉剤」を多用して、梅毒の治療に成果をあげていたことで知られているが、蘭方までは用いていないようである。東洞流の「軽粉剤」処方と蘭方との関わりについては不明ということであるが(片桐、前掲書、225頁)、それに比べて、真斎が「生々乳」の処方を「此方非矣」と批評しつつ、蘭方の「ソッヒル処方」を推奨していることの意義は大きく評価されてよいであろう。
●・「軽粉剤」・・・・・・・・・・〔『丸散方』の分類による〕
〇・梅肉散・・・『丸散方』(六丁)による。〔『真斎方記』(No.41)に
も、同文が記載されている。〕
この「梅肉散」とほぼ同一である。
▼『真斎聚方』(No.4)の処方▼
●・「軽粉剤」・・・・・・・・・・〔『丸散方』の分類による〕
〇・白州散・・・『丸散方』(七丁)による。〔『真斎方記』(No.41)に
も、同文が記載されている。〕
・真斎による按文あり。「博案一方有沈香減半 此方極是矣」
この一文のみ、『真斎方記』(No.41)にも記載されている。
・さらに真斎による按文あり。「禁方小牘曰、便秘者加大黄減
半、此方蛮人之所啓発癰疽之良剤也。・・・・・」。この按文か
ら真斎の蘭方への評価があらためて注目されるべきである。
『禁方小牘』(讃岐、千野良岱元達著、「内篇、上・下」享和二
年〔1802〕)には、多くの蘭方も収載されている。
●・【考察4】・●
『錦城先生経験方』には、「白州散」の「一方」として、「紅毛」と出典の示されている処方がある(37丁ウ)。真斎のみならず、すでに父・寿庵に時代から、川村家では、「蘭方」を使用していたことがここで確認できた。
○・與鼎丸・・・『丸散方』(七丁)による。〔『真斎方記』には記載な
し。〕
○・龍葵散・・・『丸散方』(八丁)による。〔『真斎方記』には記載な
し。〕
●・「大黄剤」・・・・・・・・・・〔『丸散方』の分類による〕
○・礬黄散・・・『丸散方』(十三丁)による。〔『真斎方記』には記載
なし。〕
●・「軽粉剤」・・・・・・・・・・〔『丸散方』の分類による〕
○・礬黄加軽粉丸・・・『丸散方』(八丁)による。〔『真斎方記』には
記載なし。〕
○・脇〔腋〕臭摺(わきが)薬・・・『丸散方』(九丁)による。
〔『真斎方記』(No.42)にも、同文が記載されている。〕
●・「大黄剤」・・・・・・・・・・〔『丸散方』の分類による〕
○・承気丸・・・『丸散方』(十丁)による。〔『真斎方記』(No.41)
にも、ほぼ同文が記載されている。〕
▼『真斎聚方』(No.5)の処方▼
●・「大黄剤」・・・・・・・・・・〔『丸散方』の分類による〕
○・三物浮石丸・・・『丸散方』(十一丁)による。〔『真斎方記』には
記載なし。〕『錦城先生経験方』の「浮石丸」と「主治文」を含め
て薬物も完全に一致している。
○・鉄砂大黄丸・・・『丸散方』(十二丁)による。〔『真斎方記』(No.42)
にも、同文が記載されている。さらに、「此方散尤妙也丸次之」
という真斎の按文がある。〕
○・薏苡仁円・・・『丸散方』(十三丁)による。〔『真斎方記』には
記載なし。〕
●・「雑方」・・・・・・・・・・・・〔『丸散方』の分類による〕
○・滑石礬甘散・・・『丸散方』(十六丁)による。〔『真斎方記』には
記載なし。〕
○・蝟皮丸・・・『丸散方』(十六丁)による。〔『真斎方記』には
記載なし。〕
○・五物大黄湯・・・『丸散方』(十七丁)による。〔『真斎方記』(No.41)
にも、同文が記載されている。〕
○・桃花大黄湯・・・『丸散方』(十七丁)による。〔『真斎方記』(No.41)
にも、同文が記載されている。〕
○・甘連大黄湯・・・『丸散方』(十八丁)による。〔『真斎方記』(No.41)
にも、同文が記載されている。〕
○・石膏黄連甘草湯・・・『丸散方』(十九丁)による。〔『真斎方記』(No.41)にも、同文が記載されている。〕
▼『真斎聚方』(No.6)の処方▼
●・「雑方」・・・・・・・・・・・・〔『丸散方』の分類による〕
○・甘草湯「千金」・・・・『丸散方』(十八丁)による。〔『真斎方記』
には記載なし。〕
○・黄連解毒湯・・・『丸散方』(十八丁)による。〔『真斎方記』(No.41)
にも、同文が記載されている。〕
○・鷓胡(しゃこ)菜湯・・・『丸散方』(十九丁)による。
〔『真斎方記』(No.42)にも、同文が記載されている。〕
○・解毒剤・・・『丸散方』(十九丁)による。〔『真斎方記』
には記載なし。〕
・「忍冬」のところに「博 用花」、「和大黄」のところに
「博 用唐大黄」と、真斎による注がある。
・〈参考〉・『錦城先生経験方』にも、「解毒剤 香川」があり、
薬物はこの「解毒剤」と同一である。
●・【考察5】・●
以上が、『真斎聚方』No.6までの処方である。ほとんどが『丸散方』によるものである。そして『真斎方記』に記載のない処方も多い。
しかし、『錦城先生経験方』を受け継いだ処方がみられること、薬物名が、ここまでは「フルネーム表記」であることには、注目しておくべきである。
◇ 4. 『真斎聚方』の巻頭部分(No.8~28)および『真斎方記』
(No.1~46)の成立過程と『類聚方集覧』について
――『真斎聚方』の巻頭部分および『真斎方記』における
「真斎による按文など」の紹介と考察
(1) 『真斎方記』についてのこれまでの研究について
川村真斎の『真斎方記』については、これまで「 『類聚方』の写本であり、それに「博按ず」という書き込みがあることが判明した。書き込みの量は少ないが・・・」(『安藤昌益全集』増補篇二、『真斎謾筆』解説・中村篤彦、二〇〇四)との紹介がなされて以後、その他の文献はすべて中村の解説を引用してきた。
『真斎方記』の発見者である山崎庸男も、中村の解説から「 『類聚方』の写本」としている(山崎『安藤昌益の実像』、二〇一六)。
八重樫新治も、「宝暦十二年に刊行された『類聚方』を目の前に置いて書き写したものと考えてよいだろう。(現代版の活字本と照合したが、処方の並びは一致している。)」と述べている。八重樫は、中村の解説を前提とした上で、「処方の並び」の一致のみを確認して、『類聚方』の写本としている(「しらべるかい」第8号、2011年12月)。しかし、以下に述べるように、『真斎方記』の成立については、これまでの解説では極めて不十分なことが判明したのでここに報告したい。
(2) 『真斎方記』の成立と東洞の『類聚方』・『方極』について
実は、『類聚方』(吉益東洞、一七〇二~一七七三、明和元年〔一七六四〕刊行、宝暦十二年は刊行年ではなく東洞が「自序」を書いた年である。)を筆写しただけでは、『真斎方記』は成立しえないのである。
なぜなら、各処方名の下にある「治○○○○○」という「主治文」は、東洞の『方極』(明和元年〔一七六四〕刊行)の文章だからである。
そして、東洞の『類聚方』と『方極』を前にし、この二著だけを合体しただけでも、『真斎方記』は成立しえないことがこのたび判明したのである。
(3) 『真斎聚方』(巻頭部分)および『真斎方記』の成立
と『類聚方集覧』(雉間暘谷・標註)について
このたび、『真斎聚方』の巻頭部分(No.8~28)の処方群と『真斎方記』(No.1~46)の処方群に内容的同一性があることがわかり、それらの「出典」を探求する過程において、筆者は、それらの「出典」のすべてが『類聚方集覧』であることを突き止めることができた。
すなわち、真斎はまず『類聚方集覧』から『真斎聚方』の巻頭部分(No.8~28)を記載し、後に再度『類聚方集覧』を前にして『真斎方記』の作成を行ったのである。
『類聚方集覧』(雉間暘谷・標註、享和三年〔1803〕刊)は、東洞の『類聚方』や『方極』などを基礎として、雉間暘谷が多くの「標註」(頭注)を書き加えたものである(「煥按・・」などのいわゆる「按文」を加えているところもある。
したがって、八重樫らのように「処方の並び」の一致のみを確認すると、確かに『類聚方』と一致する。しかし、『真斎聚方』『真斎方記』のすべての内容を比較すると、『類聚方』とは、一致しない内容が多数あるのである。なぜなら、真斎は、雉間暘谷の「標註」(頭注)の部分からも、多数の文章を記載しているからである。
『類聚方集覧』は、真斎に時代には相当数読まれていた書物である。
それは、尾台榕堂の『類聚方広義』(安政三年〔1856〕刊)の成立にも貢献しているものである。真斎は、嘉永五年〔1852〕に没しているので、榕堂の『類聚方広義』には接していない。
榕堂の『類聚方広義』は、安政三年以後には、東洞の『類聚方』よりも読まれている観があり、それは現代における漢方診療学においてもなおバイブルとしての地位を確保している書物であると言える。
(4) 『真斎聚方』の巻頭部分と『真斎方記』との比較、および
『類聚方集覧』との比較の概要について
それはともかくとして、以下に『真斎聚方』の巻頭部分(No.8~28)の処方群と『真斎方記』(No.1~46)の処方群との比較、および
『類聚方集覧』との比較の概要について見るために、いくつかの処方例をあげてみよう。
『真斎聚方』(No.8~28)は、『真斎方記』(No.1~46)に対応しているが、『真斎方記』は、『真斎聚方』の巻頭部分の大幅な増補版なのである。
▼A=『真斎聚方』(No.8)・・B=『真斎方記』(No.2)の処方例▼
○ 桂枝加芍薬大黄湯 治桂枝加芍薬湯證而有停滞者
桂 棗 生姜(*) 各六分 勺 一銭二分 甘 四分
将 二分
・以上の記載は、A、Bともに同文であるが、Aの「将」〔大黄〕
はBでは「大」である。(*)印は「一字薬名」表記(以下同)。
・「六分」などの分量表記は、すべて「小文字」であるが、
ここでは並文字にて示す。「一銭」の「銭」は、「かねへん」
なしの文字である。〔以下、同〕
・Bでは、これに次のような真斎の按文が追加されている。
①「博案 此大黄二分者与古之大黄不同 今之大黄者
倍加之可也」
②「分量従分量考 実応其機而已」〔小文字〕
①は、真斎の按文となっているが、『類聚方集覧』の「標註」にも
「宜倍加大黄」とある。②も真斎の文である。ここで真斎のいう「分量考」とは、『古方分量考』(立花貞庵・著校、寛政五年〔1793〕刊〔初刊〕)のことである。ちなみに、この処方の「分量」の記述は、『古方分量考』および『類聚方集覧』と同じである。『類聚方集覧』は、その編纂にあたり『古方分量考』などを参照しているものと思われる。
▼A=『真斎聚方』(No.9)・・B=『真斎方記』(No.2)の処方例▼
○ 烏頭桂枝湯 「治・・・」 〔A・Bは同文〕
烏頭〔Aは烏〕 三銭 「以水・・・」〔A・Bは同文〕
・Bの「按若軽病・・・」の按文は、原文の割注にあるもので、
煥によるもの。
・Bの最後にある「此説極是矣」は、真斎のものである。真斎の
按文は、普通は「博案」「予」などと記されているが、このよ
うな短文のものには、そのような表記がないものもある。
▼A=『真斎聚方』(No.11)・・B=『真斎方記』(No.6)の処方例▼
○ 茯苓戎塩湯
・Bには、「一説 代戎塩以青塩尤可也云 博 以芒硝代之」
とあるが、「博・・」の部分が真斎の文である。「一説・・」の
文は、『類聚方集覧』の標柱によるもの。
○ 葵子茯苓散
・Bには、「小便不利腫満者 博 此方 加滑芒痛用之」との真
斎の文がある。
○①苓姜朮甘湯
甘 朮 各五分 干姜(*) 苓 各一銭
・Bには、上記の薬物の記載なし〔真斎の記載漏れである〕。
・Aには、「以水一合二勺煮取六勺」の文があるが、Bではこの
一文が省略されている。このような「以水・・・」の文の省略は、この処方に限らず『真斎方記』の多くの処方において見ら
れるものである。Bには多数記載されているところの「以水・・」
の文章の省略は、『真斎方記』の記載における大きな特徴の一つ
である。
・Bには、『類聚方集覧』の本文と標柱から、一文ずつ追加され
ている。
○②苓桂朮甘湯 〔主治文、薬物の記載はA・Bともに同じ〕
・Bには、『類聚方集覧』の本文と標柱から、四文が追加されている。
○③苓桂甘棗湯 〔主治文、薬物の記載はA・Bともに同じ〕
・Bには、『類聚方集覧』の本文と標柱から、四文が追加されてい
る。
・最後に「此三方活用之則奏奇効也。博屢用之験」と真斎の一文がある。「此三方」とは、上記の三処方〔①~③〕である。
『真斎方記』における真斎の按文などの内容は、真斎自身の診療体験を集大成した内容のものが多い。それは、『真斎聚方』における真斎の按文の数と比較すると、『真斎方記』の方が格段に多く記載されているからである。これが書名を『真斎方記』とした所以であろう。
すなわち、『真斎方記』は、川村真斎の診療経験の集大成にほ
かならないものであると言えよう。
(5) 『真斎聚方』の巻頭部分および『真斎方記』における
「真斎による按文など」のすべての紹介と考察
▼▼以下においては、おもにBの真斎による按文などを、すべて紹介して、今後の研究に資することにしたい。なぜなら、『類聚方集覧』とAとBとの全文照合をしなければ、どれが真斎による文章なのかがわからない部分もあるからである。
したがって、以下では、AとBとの比較については、必要最小限度とし、AとBにおける真斎による按文などをすべて示し、考察を加えることにしょう。▼▼
▼A=『真斎聚方』(No.13)・B=『真斎方記』(No.10)の処方▼
〔C=『類聚方集覧』〕
○ 牡蠣湯
・Bには、「博案 骨蒸家等ハ本文之説而可也 至瘧疾則吐亦用
之可也」と真斎の按文があるが、Cの標柱には「骨蒸家宜随證
服此」とある。〔骨蒸とは、骨が蒸されるように熱く感じる熱
のこと。〕
▼A=『真斎聚方』(No.14)・B=『真斎方記』(No.11)の処方▼
○ 大青龍湯
・Bの最後に、「大青龍湯者発汗之甲剤也」と真斎の文がある。
○ 越婢加朮湯
・Bには、「博 此方加茯」と真斎の文がある。
▼A=『真斎聚方』(No.14)・B=『真斎方記』(No.12)の処方▼
〔C=『類聚方集覧』〕
○ 葛根黄連黄芩湯
・Bには、「東洞曰・・」の文の次に「是所謂法語也」との真斎
の文がある。「東洞曰・・」の文は、Cでは、「葛根湯」の本文
についての、標柱であり、その原出典は東洞の『類聚方』にお
ける「葛根湯」の末尾にある「為則〔東洞〕按・・」の文章で
ある。
真斎は、この文章が『類聚方』における本方「葛根湯」の東洞自身による按文であると理解した上で、敬意と重要性とを含めて「法語」と表現しているのである。したがって、真斎は、『類聚方集覧』により『真斎方記』を作成してはいるが、当然のことながら、東洞の『類聚方』をも参照していることは、言うまでもないことである。
▼A=『真斎聚方』(No.15)・B=『真斎方記』(No.13)の処方▼
○①柴胡加桂枝湯
・Bには、「博案 桂枝加桂 桂枝加芍薬 桂枝加葛根
桂枝加黄茋湯等則必非合方也」と真斎の文がある。
○②柴胡姜桂湯
○③柴胡加龍骨牡蛎湯
・Aには、 「一説 此方 小柴胡湯加龍骨牡蛎湯也
含章斎 大柴胡湯加龍骨牡蛎湯也 」
「博案 右三方 応症用之 」 とある。
・Bには、 「一説 此方 小柴胡湯加龍蛎
或 大柴胡湯加龍蛎 」 とある。
・Aの「一説・・」の文も真斎の文である。「含章斎」とは、
和田東郭(1743~1803)の別号である。東郭の『蕉窓方意解』
(文化十年〔1813〕刊)の「柴胡加龍骨牡蛎湯」には、「是亦
大柴胡湯方中ニ於テ龍骨四両牡蛎五両ヲ加ヘタルモノ也」と
ある。真斎は、この文によっている。「右三方」とは、上記の
①~③である。東郭は、一般には「折衷派」といわれているが、
「折衷派というのは、当時の後世方派、古方派以上に、治療に
有益と思われる手段を貪欲に自己の薬籠中に取り込んだ医師
のことである」(小山誠次『註釈百疢一貫―和田東郭医学の階
梯』、序)という。これは、まさに川村真斎の医学的立場その
ものにほかならないであろう。
・矢数道明は、「柴胡加竜骨牡蛎湯」の解説において、「小柴胡湯
あるいは大柴胡湯に竜骨・牡蛎を加える意味で柴胡加竜骨牡
蛎湯というものと、中西惟忠・宇津木昆台のように、全く独立
した方名として柴胡加竜骨牡蛎湯というべきであると唱える
ものとがある」と述べている(矢数『臨床応用漢方処方解説』
増補版、創元社)。
・『錦城先生経験方』では、「柴胡加龍骨牡蛎湯」は「癲癇」
「狂」、および「遺精」の項で使用されている。
▼A=『真斎聚方』(No.17)・B=『真斎方記』(No.20)の処方▼
○ 桃核承気湯
・Bには、「博案 催生者可与桂枝茯苓丸 小腹急結者可与此
湯」と、真斎の按文がある。
・『錦城先生経験方』には、「桃核承気湯」が一件ある。
▼A=『真斎聚方』(No.17)・B=『真斎方記』(No.21)の処方▼
○ 甘草粉蜜湯
・Aの「一説・・」の文は、「一説」の二字のみが真斎のもので、
以下は、Bにも記載されている文の中ほどを省略したもので
ある。ここには「余謹案」など『類聚方集覧』の編著者である
暘谷による按文が記載されているので、注意が必要である。
・Aの「予用米粉」は、真斎のもので、これがBでは「真斎粉用米粉也」となっている。
▼A=『真斎聚方』(No.18)・B=『真斎方記』(No.23)の処方▼
○ 通脉四逆加猪胆汁湯
・Aには、「予以黄金水煮此湯有験
家君代之以熊胆得効最奇験矣」とある。
・Bには、「家君以熊胆代之屢用之大効因 博記之」とある。
・「熊胆」の代用については、尾台榕堂の『類聚方広義』(安政三
年〔1856〕刊)の同処方の頭注に記載があるが、これは真斎
没後の書であるから、真斎の記述は、家君である父・寿庵に
由来するものである。
・「熊胆」の代用については、龍野一雄も可としている(龍野編著『改訂新版・漢方処方集』)。
▼A=『真斎聚方』(No.18)・B=『真斎方記』(No.24)の処方▼
○ 白通加猪胆汁湯
・Bには、「博案 以人尿汞黄金水者直以下通也」と真斎の按文
がある。
▼A=『真斎聚方』(No.19)・B=『真斎方記』(No.24)の処方▼
○ 烏頭湯
・Bには、「五蔵者肺心肝腎脾也 五府者胆小腸大腸膀胱胃也
良仲子曰四蔵四府也 脾胃者真也 」と真斎の文がある。
「良仲子」とは、言うまでもなく安藤良中(昌益)であり、
通説の五行論による臓腑論に対する昌益の四行論による臓腑論
の紹介である。
ここでわざわざ真斎が「良仲子」の説を紹介するのは、この
『真斎方記』の成立以前に、すでに『真斎謾筆』などを作成して
いたからではないだろうか。
真斎は、
①『真斎聚方』、 ②『真斎謾筆』など、 ③『真斎方記』
の順番で、これらを作成したのではないかと、私は考える。
▼A=『真斎聚方』(No.19)・B=『真斎方記』(No.25)の処方▼
○ 赤丸
・Bには、「厥逆悪寒心下悸者」の一文がある。これは、『類聚方
集覧』の文章ではない。そして、真斎の文でもない。
これは、『方機』の「赤丸」の末尾の一文である。すなわち、
真斎は、『方機』(文化八年〔1811〕刊、東洞口授、乾省守業筆
記、殿経文緯校訂)をも参照していることが判明したのである。
▼A=『真斎聚方』(No.20)・B=『真斎方記』(No.27)の処方▼
○ 梔子厚朴湯
・Bには、「博 此方 加大黄 治発黄」と真斎の文がある。
▼A=『真斎聚方』(No.20)・B=『真斎方記』(No.28)の処方▼
○ 瓜帯散
・Bには、「博案 吐方之術 吐方篇 吐方考 等可幷見
凡欲用吐方則可観小腹実者焉
小腹虚者必勿用矣 」と、真斎の按文がある。
・Bの末尾には、「此論不然 予従五分至一銭屢用之得効
古方者液雖日多用之口説而已 」と、真斎の文がある。
・「吐方篇」とは、荻野元凱『吐方篇』(宝暦十四年〔1764〕刊)
であり、「吐方考」とは、永富独嘯庵の『吐方考』(宝暦十三年
〔1763〕刊)である。独嘯庵は、山脇東洋の門下であるが、長
崎において吉雄耕牛について蘭学も学んでいる。その医学的
立場が、真斎の立場と近似しているのは偶然ではない。
独嘯庵と山脇東門が、越前の奥村良竹のもとで、吐方を学んでいることは良く知られている。その東門に入門した安藤周伯、その門人・川村寿庵から、真斎へと伝承された処方群を大切にする真斎がここにいる。
この「吐方」の重要性は、もともと傷寒論』『金匱要略』に論じられている。それは、大塚敬節『傷寒雑病論・要方解説』の「瓜帯散」の項にも要約されている。
ちなみに、『錦城先生経験方』の「傷寒」の項には、「瓜帯散」の処方がある。
▼A=『真斎聚方』(No.20)・B=『真斎方記』(No.29)の処方▼
○ 文蛤散
・Aには、「家君 此症多用五倍 予 亦用之数得効
本草 五倍子一名文蛤也 」と、真斎の文がある。
・Bには、「此文蛤 或五倍子一名也ト云 本草 五倍子一名
文蛤 用五倍子得効多矣 不可軽見焉 」と、真斎の文がある。
・Aに、「家君」とあるが、『錦城先生経験方』に「文蛤散」は
見られない。しかし、ここでも真斎が父・寿庵の臨床経験を
大切に受け継いでいることがわかる。
「本草」とは、『本草綱目』である。『本草綱目』の巻三十九
「五倍子」の項の「消渇飲水」には、「五倍子・・・日三服。
危氏得効。」とある。
▼A=『真斎聚方』(No.21)・B=『真斎方記』(No.29)の処方▼
○ 半夏乾姜散
・Bには、「博案 即土醤水也」と、真斎の按文がある。
この「土醤〔漿〕水」とは、「土」と「水」を大きな器に入れ、
かきまぜた後に沈殿させた上澄みのこと。
▼A=『真斎聚方』(No.22)・B=『真斎方記』(No.32)の処方▼
○ 防巳茯苓湯
・Bには、「一説 木防已之木字者朮字誤也 云々」と、真斎の
文がある。
・「木防已」を「朮防已」と記す「版本や書もあり、・・・いま日
本は一般に両者を区別しない」という(真柳誠「漢方一話 処
方名のいわれ18 防巳黄耆湯」、『漢方診療』13巻10号)。
▼A=『真斎聚方』(No.23)・B=『真斎方記』(No.33)の処方▼
○ 枳朮湯
・Bには、「博於此論不取 予此方合他方得効多矣」と、真斎の
文がある。これは『類聚方集覧』の編著者・暘谷が標柱で「合
方」を否定していることに対する反論である。
▼A=『真斎聚方』(No.23)・B=『真斎方記』(No.35)の処方▼
○ 赤石脂禹余糧湯
・Bには、「一説 真武湯ト云」と、真斎の文がある。
▼A=『真斎聚方』(No.24)・B=『真斎方記』(No.35)の処方▼
○ 大猪胆汁湯
・Bには、「近年 蘭方 スホイト ヲ多ク用ユト雖モ
予ハ 古方ヲ用ユル也」と、真斎の文がある。
・この処方は、便秘を治すものなので、「スホイト」とは、
「スポイト」式浣腸のことであろうと思われる。
・真斎は、蘭方をも使用する人であるが、おもに「古方」によ
り治療した人であることがわかる。
▼▼「既試方」より▼▼
▼▼『真斎方記』(No.38)には、「類聚方既試方ト云」とあり、ここの「射干麻黄湯」以下の十四処方は、『類聚方集覧』では、「目録」の次の巻頭部分に「既試方」として収録されているものである。▼▼
▼A=『真斎聚方』(No.26)・B=『真斎方記』(No.39)の処方▼
○ 麦門冬湯
・Aには、「博按 此方枯燥虚羸等症用朝鮮人参有奇験」と、
真斎の按文がある。「虚羸」(きょるい)とは、精気がなく、
体がやせ細っていること。昌益が使用しなかった人参を真斎
は、使用している。ここに真斎の臨機応変な医学的立場を見る
ことができる。
▼A=『真斎聚方』(No.26)・B=『真斎方記』(No.39)の処方▼
○ 栢葉湯
・Aには、「博 馬通汁代童便」と、真斎の文がある。
・尾台榕堂『類聚方広義』の頭注に「馬通汁今代童便」とある。
真斎の処方は、実に先進的なものであった。「馬通汁」とは、
新鮮な馬糞に水を混ぜて絞った汁のこと。
▼▼『真斎方記』(No.40~41)については、すでに本稿の「2.吉益東洞の処方『十二律方』の記載と『古方兼用丸散方』について」において、述べておいた。▼▼
▼▼『真斎方記』(No.41~42)についても、すでに本稿の「3.『真斎聚方』の巻頭部分(No.2~8)の処方群の「出典」の考証、および『真斎方記』(No.41~42)との比較と考察」において、述べておいた。▼▼
5. 『真斎聚方』の巻頭部分(No.27~34、52)と
『真斎方記』(No.42~46)の処方群の「出典」と比較
▼A=『真斎聚方』(No.27)・B=『真斎方記』(No.42)の処方▼
○ 四逆散 〔傷寒論〕
・Aには、「和田家分量之四逆散」として、「甘 六分 枳 三分
柴 八分 芍 一銭四分 」とある。
・Bには、「枳破水漬炙乾」とある。
・「和田家分量」とは、和田東郭の処方のことである。「和田家ニ
テハ雑病人、百人治療スレバ五~六十人ハ此方ニ加減シテ用
ユト門人ノ話ナリ。」(矢数道明『臨床応用漢方処方解説』より、
原出典は目黒道琢『餐英館療治雑話』)とある。
○ 竹筎温胆湯 (『万病回春』)
・AとBの内容同じ。
▼A=『真斎聚方』(No.28)・B=『真斎方記』(No.42)の処方▼
○ 生脉散 (『辨惑論』)
・AとBの内容同じ。
○ 加味生脉散 (『南陽活人書』、『医学入門』)
・Bには、「本出活人」と真斎の文がある。これは、原出典の
『傷寒類証活人書』(『南陽活人書』)のこと。
○ 参胡芍薬湯 (『医学入門』)
・AとBの内容同じ。
▼A=『真斎聚方』(No.27)・B=『真斎方記』(No.43)の処方▼
・○Aには、「導赤各半湯」 (『傷寒六書』) がある。
・○Bには、「瀉心導赤散」 (『寿世保元』) がある。
○ 升陽散火湯 (『傷寒六書』)
・Bでは、二行ほどが追加されている。
▼A=『真斎聚方』(No.52)・B=『真斎方記』(No.43)の処方▼
○ 補中益気湯 (『万病回春』、『脾胃論』)
・Bには、「予於此語有説」と、真斎の文がある。
▼A=『真斎聚方』(No.?)・B=『真斎方記』(No.43)の処方▼
○ 加減益気剤
・Aでは、「記載箇所」が不明である。
▼A=『真斎聚方』(No.41)・B=『真斎方記』(No.43)の処方▼
○ 理中安蚘湯 (『万病回春』)
・Bでは、一行ほど少なくなっている。
▼A=『真斎聚方』(No.28)・B=『真斎方記』(No.44)の処方▼
○ 復元湯 (『寿世保元』)
▼A=『真斎聚方』(No.?)・B=『真斎方記』(No.44)の処方▼
○ 温経益元湯 (『傷寒六書』)
・Aでは、「記載箇所」が不明である。
▼A=『真斎聚方』(No.34)・B=『真斎方記』(No.44)の処方▼
○ 犀角地黄湯 (『備急千金要方』)
・Bには、処方名が「本方犀角地黄湯」とある。
・Bには、「温疫論用此方」と、真斎のものと思われる文がある。
・Aには、『温疫論』からの引用文がある。
▼A=『真斎聚方』(No.35)・B=『真斎方記』(No.44)の処方▼
○ 犀角地黄湯 (『万病回春』)
・Bには、処方名が「加味犀角地黄湯」とある。
・Aには、「博按 此方応症可活用」と、真斎の按文がある。
・Bには、「一方 無連」と、真斎の文がある。これは、前項の
「犀角地黄湯」(『備急千金要方』)のこと。これには確かに「連」
(黄連)が使用されていない。
▼A=『真斎聚方』(No.32)・B=『真斎方記』(No.44)の処方▼
○ 達原飲 (『温疫論』)
・Bには、「温疫一般之時加柴葛可用之 真斎」と、めずらしく
「真斎」の署名がある。
○ 三消飲 (『温疫論』)
・AとBの内容同じ。
▼A=『真斎聚方』(No.32)・B=『真斎方記』(No.45)の処方▼
○ 柴胡清燥湯 (『温疫論』)
・AとBの内容同じ。
○ 柴胡養栄湯 (『温疫論』)
・AとBの内容同じ。
○ 承気養栄湯 (『温疫論』)
・AとBの内容同じ。
○ 承気養栄湯 (『温疫論』)
・AとBの内容同じ。
▼A=『真斎聚方』(No.33)・B=『真斎方記』(No.45)の処方▼
○ 蔞貝養栄湯 (『温疫論』)
・AとBの内容同じ。
○ 柴胡湯 (『温疫論』)
・AとBの内容同じ。
▼A=『真斎聚方』(No.34)・B=『真斎方記』(No.45)の処方▼
○ 托裏挙班湯 (『温疫論』)
・AとBの内容同じ。
▼▼以上で、『真斎方記』(No.42~46)は、終了している。ここには、おもに「後世方」の処方が多くみられる。これは真斎の医学的立場を考える上で重要である。真斎を単に「古方家」と規定することは、誤りであろう。真斎の医学的立場は、臨床に貢献する処方群から幅広く学ぶということである。その立場は、科学的手法にほかならず、現代医学の方法に通じるものであると言っても過言ではないであろう。▼▼
◇ 6. 『真斎聚方』『真斎方記』における真斎の「筆写・抄出方法」などから、
『真斎謾筆』と稿本『自然真営道』との内容的同一性について考える
――結びにかえて
上記の「4.」節の(4)、(5)において『真斎聚方』巻頭部分と『真斎方記』における真斎の按文などのすべてを紹介し、考察を加えたが、これらの真斎の按文などを除いた文は、すべて『類聚方集覧』の文章である。その『類聚方集覧』の文章を、真斎はほとんどそのまま記載していることがわかる。「一字薬名」の使用や一部に若干の文章の省略などもみられるが、基本的に原文の内容を忠実に反映していることもわかった。「5.」節での出典は、他の古典医学書からのものであるが、ここでも、真斎は基本的に原文の内容を忠実に記載していることがわかった。
このような真斎の筆写・妙出方法などから、われわれは、真斎の『真斎謾筆』と昌益の稿本『自然真営道』との内容的同一性について、あらためて考察しておくことが求められる。
すなわち、真斎は『真斎謾筆』において、昌益の稿本『自然真営道』を書き下してはいるが、その原意や内容を改変してはいないであろう、と推定される。フルネームの薬物名を一字薬名などに省略はしているが、処方の内容的変更まではしていないものと考えられる。
以上から、私は、真斎の『真斎謾筆』は昌益の稿本『自然真営道』の内容を十二分に反映したものであろうと結論したい。100パーセントとは言わないが、80~90パーセントの内容を維持しているものと考えている。
今後の昌益研究においても、『真斎謾筆』は昌益の稿本『自然真営道』の内容を十分に反映した書物として、その重要性にかわりがないことをここに強調しておきたい。
〔2018年7月30日、PHN(思想・人間・自然)、第32号、PHNの会発行〕
〔2018年7月30日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の真営道医学の継承者である江戸の町医・
川村真斎による処方収集書 『真斎聚方』〔「雑方之部
名家方選」〕における 『名家方選』 三部作 および
山脇東洋〔 『東洋先生方函』 〕の処方群の
「出典」の同定とその考察
――山脇東洋一門と安藤昌益・周伯父子との関係、
そして 川村真斎の医学的立場について
◇ 1 はじめに
安藤昌益の真営道医学を継承した川村真斎(1785~1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)は、浩瀚な著作である。
ここでは、昌益の真営道医学の処方群(本誌「PHN」第30号、参照)が記載されている「雑方之部 名家方選 」(175丁~209丁、ただし以下ではNo.175~209〔見開き2頁の番号〕と表記する)の中のいくつかの処方群について、その「出典」について考証してみよう。
最初に、『名家方選』三部作の中の処方群について、その「出典」を同定し、次に山脇東洋〔『東洋先生方函』〕の処方群についても、その「出典」を同定してみたい。
◇ 2 『真斎聚方』「雑方之部」における『名家方選』三部作
の処方群について
『真斎聚方』には、「名家方選之部」という見出しが、27か所ほどある。その「名家方選」という見出しは、「雑方之部 名家方選 」
(No.175~209)が最後となっている。
No.210には「本草之部 附方」の見出しがあり、これが『真斎聚方』の中の最後の見出しである。
『名家方選』の三部作における後半から末尾の部分にかけての大項目の順番は、「癈痼疾」「婦女病」「小児病」「解毒方」「雑集方」の順番となっているが、「雑方之部 名家方選 」の最初の処方群は、『名家方選』における最後の項目である「雑集方」から記載されている。そして、「解毒方」、「癈痼疾」の項目の処方へと遡って記載されていることが、以下の検証から明らかとなった。
・【出典】の確認のための文献一覧〔『名家方選』三部作〕・
・『名家方選』
(山田元倫〔浅井南皐〕維亨撰、中山泰成元吉校、天明元年刊
〔一七八一〕、『皇漢医学叢書、第十二冊』〔和田文庫蔵本〕所収
による)
浅井南皐(山田元倫、1760~1826)には、他に『名家灸選』(文化二刊
〔一八〇五〕)、『黴瘡約言』(享和二年刊〔一八〇二〕)、『養生録』
(文化十四年刊〔一八一七〕)などの著書がある。
・『続名家方選』
(村上等順〔名は図基〕編著、文化二年刊〔一八〇五〕、『皇漢医学
叢書、第十二冊』〔和田文庫蔵本〕所収による。なお、一部分については、
『皇漢医学叢書、第十二冊』に誤植などがあるため、京都大学・富士川文庫
本を参照した。)
・『名家方選三編』
(平井主善庸信撰、浅井子顕惟良校、文化四年刊〔一八〇七〕、
京都大学図書館・富士川文庫蔵本による)
平井庸信には、他に『続名家灸選』(文化四年刊〔一八〇七〕)、
『名家灸選三編』(文化十年刊〔一八一三〕)がある。浅井南皐の
『名家灸選』とともに、『名家灸選』の三部作は、「のちの灸治療に
影響を及ぼした」(小曽戸洋・天野陽介『針灸の歴史』)という。
◇ 『真斎聚方』「雑方之部 名家方選 」の処方群(No.175~No.182)
における『名家方選』三部作からの処方群について
――その「出典」と考察
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「雑方之部名家方選」 / 【出典】(『名家方選』
の処方名〕 / 三部作より)
〇 治落架風方(No.175)・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.53)
〇 又方 補中益気湯(No.175)
・・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.97)
〇 治陰虱方(No.175)「二味」
・・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.99)
〇 注舟車宜避方(No.175)「一味」
・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.98)
〇 治消渇之神剤 白龍散「四味」
・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.52)
〇 治遺溺方(No.175)「三味」
・・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.52)
〇 治湯火傷爛方(No.175)「二味」
・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.52)
〇 又方 (No.175)「一味」
・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.52)
〇 治打撲折傷 鶏鳴散(No.175)「二味」
・・・・『名家方選』「雑集方」(p.52)
〇 (又)治打撲金瘡即験奇方(No.175)「十四味」
・・・・・・『続名家方選』「雑集方」(p.102)
・真斎による按文「按此方・・」あり。
〇 縛血妙方(No.176)「五味」
・・・・・・『続名家方選』「雑集方」(p.103)
・「根来流ノ血シハリト云」(真斎による)
・「予此参〔人参〕亦用廣東参ト云モノ三七根」(真斎による)
〇 同煎薬方(No.176)「五味」
・・・・・・『続名家方選』「雑集方」(p.103)
〇 疵薬方(No.176)「三味」
・・・・・・・『続名家方選』「雑集方」(p.103)
〇 治腋下狐臭方(No.176)「四味」
・・・・『名家方選』「雑集方」(p.52)
・真斎による按文「按・・」あり。
〇 又方 治腋下狐臭方(No.176)「二味」
・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.97)
〇 予製一方(No.176)・・・・〔真斎による腋下狐臭方の処方〕
●【考察1】●
真斎は、『名家方選』・『続名家方選』・『名家方選三編』の三部作の各「雑集方」(各書の末尾の項目)の中から、順不同ですべての内容(薬物名、分量、用法など)をそのまま記載していることがわかる(以下も同様である)。それは単なる転記ではなく、自己の見解〔按文〕を述べるほど、それぞれの処方内容に精通しており、かつ自らの処方〔予製一方(No.176)〕をも創作していることがわかる。
「按文」や「予・・」という文章で、真斎は原文と自分自身の文章とを区別し、誤解が生じないように配慮をしていることがわかる。このような真斎の記載方法は、基本的に真斎の著作における共通点であり、それは、安藤昌益の稿本『自然真営道』を書き下して、「按文」などを追加しているところの『真斎謾筆』にも受け継がれていると考えてよいであろう。
〇 治打撲蒸薬(No.176)「五味」
・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.96)
〇 治自高墜下乳下痛不可忍者方(No.176)「一味」
・・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.96)
〇 治一切折傷金刃傷(No.176)「三味」
・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.96)
〇 治風犬傷方(No.176)
・・・・・・・『名家方選三編』「解毒方」(No.95)
〇 (又)治風犬傷及鼠咬毒及諸虫咬方(No.176)
・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.95)
〇 療狂犬毒再発至危篤者方(No.176)「二味」
・・・・・・『続名家方選』「解毒方」(p.101)
〇 治狐詑人方(No.177)「二味」
・・・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.51)
〇 療狐詑人如狂乱者方(No.177)「三味」
・・・・・『続名家方選』「雑集方」(p.102)
〇 治邪祟方(No.177)「一味」
・・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.51)
・「亨按俗云・・・」〔『名家方選』「雑集方」(p.51)〕
〇 又方 (No.177)「一味」
・・・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.51)
●【考察2】●
「亨按俗云・・・」という按文は、『名家方選』の原文にあるものである。すなわち、「亨」とは『名家方選』の編者である「山田元倫維亨」のことである。山田が編集時に付け加えた按文であるから「亨按俗云・・・」とあるのである。
この「按文」については、山崎庸男が安藤昌益の子息「安藤周伯 亨嘉」ではないか、と推論していたが(山崎『安藤昌益の実像』76頁)、それは誤りであることがこのたび確認された。山崎は、『名家方選』の原文を参照しないで論じていたのである。
〇 生眉毛奇方(No.177)「一味」
・・・・・・『続名家方選』「雑集方」(No.84)
・本項の「出典」確認は、京都大学・富士川文庫本による。
〇 生髪膏(No.177)「四味」
・・・・・・・・『続名家方選』「雑集方」(No.84)
・本項の「出典」確認は、京都大学・富士川文庫本による。
〇 断酒方(No.177)・・・・・・・・『続名家方選』「雑集方」(p.102)
〇 諸腫物潰方(No.177)「三味」
・・・・・・『続名家方選』「雑集方」(p.102)
〇 治疣奇方(No.177)・・・・・・・『続名家方選』「雑集方」(p.102)
〇 治瘤方(No.177)「三味」
・・・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.98)
〇 治骨硬不下咽方(No.177)「二味」
・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.97)
〇 又方(No.177)「一味」
・・・・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.98)
〇 又方(No.177)「一味」
・・・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.98)
●【考察3】●
以上は、主にそれぞれの書の「雑集方」からの記載である。
〇 解魚毒方(No.177)「一味」
・・・・・・・『名家方選』「解毒方」(p.48)
〇 解食蕈中毒欲死者方(No.177)「二味」
・・・・・『名家方選』「解毒方」(p.48)
〇 解河漏毒方(No.177)「一味」
・・・・・『名家方選』「解毒方」(p.48)
〇 下水銀方(No.177)「二味」
・・・・・・『名家方選』「解毒方」(p.48)
〇 解河豚毒方(No.177)「一味」
・・・・・・『名家方選』「解毒方」(p.48)
・文末に「烏蘞苺也」〔うれんぼナリ〕との真斎による注あり。
〇 解酒毒方(No.177)「三味」
・・・・・・『名家方選』「解毒方」(p.49)
〇 解河豚魚毒方(No.177)「一味」
・・・・・『続名家方選』「解毒方」(p.100)
〇 解章魚毒方(No.177)「一味」
・・・・・『続名家方選』「解毒方」(p.100)
〇 解竹筍毒方(No.178)「二味」
・・・・・『続名家方選』「解毒方」(p.101)
〇 解中漆毒者方(No.178)・・・・『名家方選』「解毒方」(p.49)
〇 又方 (No.178)「一味」
・・・・・・・『名家方選』「解毒方」(p.50)
〇 治漆瘡方(No.178)「一味」
・・・・・『続名家方選』「解毒方」(p.101)
〇 解生漆毒方(No.178)「二味」
・・・・・『続名家方選』「解毒方」(p.101)
〇 治服軽粉剤口中腐爛者方(No.178)「三味」
・・・・『名家方選』(「解毒方」p.49)
〇 又方 (No.178)「一味」
・・・・・・・『名家方選』(「解毒方」p.49)
・「予療黴毒・・・」・・・・(真斎による文あり)
〇 解粉毒方(No.178)「二味」
・・・・・『続名家方選』「解毒方」(p.101)
〇 治霜雪傷方(No.178)・・・・・『続名家方選』「解毒方」(p.101)
〇 解魚毒方(No.178)「一味」
・・・・・『名家方選三編』「解毒方」(No.93)
〇 解河豚毒方(No.178)「一味」
・・・・・『名家方選三編』「解毒方」(No.93)
〇 又方 (No.178)「一味」
・・・・・『名家方選三編』「解毒方」(No.94)
〇 解酒毒方(No.178)「一味」
・・・・・『名家方選三編』「解毒方」(No.94)
・「予解毒・・・此方奇々」・・・(真斎による文あり)
〇 治狂犬咬傷毒方(No.178)「三味」
・・・・・『名家方選』「解毒方」(p.49)
〇 抜竹木入肉方(No.178)「二味」
・・・・『名家方選』「解毒方」(p.49)
〇 神通湯(No.178)「十二味」
・・・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.50)
〇 金屑丸(No.178)「四味」
・・・・・『続名家方選』「解毒方」(p.100)
〇 治消渇欲飲水甚者(No.178)「一味」
・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.97)
〇 救溺死方(No.178)「一味」
・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.97)
〇 治破傷風反張或発諸悪症者〔方〕(No.178)「三味」
・・・・・・『名家方選三編』「雑集方」(No.96)
〇 治蝮蛇咬方(No.179)「六味」
・・・・・『名家方選三編』「解毒方」(No.94)
〇 又方 (No.179)「一味」
・・・・・『名家方選三編』「解毒方」(No.94)
●【考察4】●
以上は、主にそれぞれの書の「解毒方」からの記載である。「雑集方」からのものもある。これで『名家方選』の三著作の「解毒方」「雑集方」のほとんどの処方を、真斎は原文に忠実に収集・記載していることがわかる。『名家方選』の三著作では、項目の順番は「解毒方」「雑集方」の順であるが、真斎は最初に「雑集方」の項目から収集しているのは、前出の見出し「雑方之部 名家方選 」に一致している。
ここで、真斎の原文は改頁となっているが、まだ三件ほど「雑集方」からの処方群が続き、その後「癲癇」などの項からの記載となる。
〇 治癲癇方(No.179)・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.50)
〇 鉄朱散(No.179)「七味」
・・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.51)
〇 療癲癇方(No.179)「二味」
・・・・・『名家方選』「雑集方」(p.51)
〇 療〔治〕癲癇方(No.179)「二味」
・・・・・『名家方選三編』「癲癇」(No.71)
〇 又方 (No.180)・・・・『名家方選三編』「癲癇」(No.71)
〇 又方 (No.180)「四味」
・・・・・『名家方選三編』「癲癇」(No.71)
〇 失心丸(No.180)「四味」
・・・・・・『続名家方選』「癲癇」(p.91)
〇 奇効丸(No.180)「八味」
・・・・・・『続名家方選』「癲癇」(p.91)
〇 秘伝反魂丹(No.180)「十九味」
・・・・・『続名家方選』「癲癇」(p.91)
〇 治癲癇奇剤二方(No.180)「七味」
・・・・・『続名家方選』「癲癇」(p.92)
〇 次下虫丸薬方(No.181)「四味」
・・・・・『続名家方選』「癲癇」(p.92)
〇 醒心茯苓丸(No.181)「四味」
・・・・・『続名家方選』「癲癇」(p.92)
〇「治陽狂苦参一味糊丸・・・」(No.181)
・・・・・〔この一文は真斎によるものか? 「出典」不明〕
〇 療白癜風方(No.181)「三味」
・・・・・『名家方選』「癜風」(p.32)
〇 療赤白癜風方(No.181)「四味」
・・・・・『名家方選』「癜風」(p.32)
〇 治赤白癜風経年難愈者方(No.181)「四味」
・・・・・『名家方選』「癜風」(p.32)
〇 治癜風方(No.181)「二味」
・・・・・・『名家方選三編』「癜風」(No.69)
〇 又方 (No.181)「四味」
・・・・・・『名家方選三編』「癜風」(No.69)
〇 又方 (No.181)「一味」
・・・・・・『名家方選三編』「癜風」(No.70)
〇 又方 (No.181)「一味」
・・・・・・『名家方選三編』「癜風」(No.70)
〇 療赤白癜風方(No.181)「三味」
・・・・・『続名家方選』「癜風」(p.90)
〇 又方 (No.181)「三味」
・・・・・・『続名家方選』「癜風」(p.91)
〇(癩疾之一方)皂角散(No.181)「三味」
・・・・『名家方選三編』「癩疾」(No.70)
〇 又方 (No.181)「三味」
・・・・・『名家方選三編』「癩疾」(No.70)
〇 又方 (No.181)「八味」
・・・・・『名家方選三編』「癩疾」(No.71)
〇 一方 (No.181)「四味」・・・・・「真斎による追加の処方」
・「此方原出上田家也。家君伝之。」(真斎による文)
・家君とは、真斎の父・川村寿庵のこと。上田家とは、寿庵の
師・上田永久家。
〇 治癩病方(No.181)「七味」
・・・・・『続名家方選』「癩病」(p.92)
・「図基按・・」の文は、原文にある村上等順の按文。
・「図基」(のりもと)とは、『続名家方選』の編者・村上等順
の名である。
・「按此方白旦最妙也」・・・(真斎による按文)
〇 治癩瘡潰爛方(No.182)・・・・・『続名家方選』「癩病」(No.69)
・本項の「出典」確認は、京都大学・富士川文庫本による。
○ 治癩瘡腐爛甚者方(No.182)「二味」
・・・・・・『続名家方選』「癩病」(No.69)
・本項の「出典」確認は、京都大学・富士川文庫本による。
〇 治癩瘡愈後血色穢悪方(No.182)「二味」
・・・・・『続名家方選』「癩病」(p.93)
●【考察5】●
「雑集方」から、「癈痼疾」の中の小項目「癜風」「癲癇」「癩病」などへと進めているが、真斎は、「癲癇」「癜風」「癩疾」「癩病」と、その順番については臨機応変である。『名家方選』の三著作での大項目の順番は、「癈痼疾」「婦女病」「小児病」「解毒方」「雑集方」となっている。
この後も、『名家方選』の三著作からの記載が延々と続くが、ここでいったん「結び」として、次の課題へと進みたいと思う。
『名家方選』の三著作と真斎との関係についての考察は、以上の考証のみで、安易に結論を急いではならないが、真斎の記載方法の一端については、それを見ることができたのではないかと思う。もちろん、今後のさらなる追究が必要であることは言うまでもないことである。
◇ 3 『真斎聚方』における山脇東洋〔『東洋先生方函』〕
の処方群について
――その出典の「同定」と考察
次に、『真斎聚方』のNo.188から始まり、先に紹介した安藤昌益の処方群を挟むように断続的に(No.208からは集中的に)出ているところの、山脇東洋(1706~1762)〔『東洋先生方函』〕の処方群について、その出典を確認してみよう。
・【出典】の確認のための文献一覧・
・『東洋先生方函』(寛政十二年〔1800〕、林敬三郎益謙写本、
和田文庫蔵本)
〔参照資料=『養寿院経験方』(写本、京大・富士川文庫蔵本)、
『山脇東洋・吉益東洞 経験方』(写本、京大・富士川文庫蔵本)〕
・『方函』(内題「養寿院方函」、文化十三年〔1816〕刊本、和田文庫
蔵本)
▼左段▼ ▼右段▼
〔『真斎聚方』「雑方之部名家方選」 /【出典】(『東洋先生方函』)
の処方名〕 / 〈・〔 〕内は、原出典〉
〇 東洋治痞瀉心丸(No.188)・・・・・・瀉心丸方 二十八
〔傷寒論〕「二味」 〔刊本になし〕
〇 同 三黄丸(No.188)・・・・・・・・三黄丸方 二十九
〔金匱要略〕「三味」 〔刊本になし〕
〇 東洋治黴軽粉剤方(No.188)・・・・・軽粉剤方 三十三
〔佐井定策方〕「四味」 (刊本、軽粉剤 三十二)
〇 東洋六物解毒湯(No.188)・・・・六物解毒湯方 三十三
〔東洋先生方〕「六味」 (刊本、六物解毒湯 三十三)
〇 東洋用方治癩風(No.188)・・・・・・浮萍散方 五十五
〔儒門事親、浮萍散〕「五+二味」 (刊本、浮萍散 五十三)
〇 東洋療気脱方(No.189)・・・・・・・産後気脱方 百三十
〔刊本になし〕
〇 東洋用方三白散(No.189)・・・・・・・三白散方 六十七
〔平田仙道方、香月牛山活套方〕「三味」
(刊本、三白散 七十二)
〇 東洋用方金竜丹(No.189)・・・・・・金竜丹方 五十七
〔養寿院方〕「六味」 (刊本、金竜丹 五十五)
〇 東洋赤小豆湯(No.189)・・・・・・赤小豆湯方 四十六
〔東洋先生方〕「七味」 (刊本、赤小豆湯 四十二)
〇 東洋琥珀湯(No.190)・・・・・・・・琥珀湯方 四十五
〔東洋先生方〕「五+二味」 (刊本、琥珀湯 四十一)
〇 東洋再造散(No.190)・・・・・・・・・再造散方 十四
〔明・龔廷賢方〕「五味」 (刊本、再造散 十四)
〇 東洋用方療疥瘡薬湯(No.190)・・・療疥瘡薬湯方 六十二
〔長瀬立英氏授〕「四味」 (刊本、療疥瘡薬湯方 六十)
〇 又方 (No.190)・・・・・・・・・・・ 又方 六十三
〔長瀬立英氏授〕「四味」 (刊本、又方 六十一)
〇 東洋即功丸(No.190)・・・・・・・・・即功丸方 四十
〔養寿院方〕「四味」 (刊本、即功丸 四十)
〇 大檳榔湯(No.190)・・・・・・・・・檳榔紫蘇湯方 十七
〔外台秘要〕「六味」 (刊本、檳榔紫蘇湯 十七)
〇 小檳榔湯(No.190)・・・・・・・・・・・檳榔湯方 十二
〔外台秘要〕「六味」 (刊本、檳榔湯 十三)
〇 東洋用方紫蘇子湯(No.190)・・・・・・紫蘇子湯 九十四
〔千金方〕「十味」 〔刊本になし〕
〇 東洋三物金鈴丸(No.191)・・・・・三物金鈴丸方 二十六
〔養寿院方〕「三味」 (刊本、三物金鈴丸 二十六)
〇 東洋産後百日間不乳者(No.192)・・・・・醸乳丸 百十一
〔熊野玄宿方〕「三味」 〔刊本になし〕
〇 東洋療楊梅瘡反鼻散方(No.192)・・・・反鼻散方 七十一
〔饗庭太仲方〕「六味」 (刊本、反鼻散 九十)
〇 東洋用方治疳虫疳眼方(No.192)・・・・
「四味」 治小児疳虫疳眼方 百四
〔刊本になし〕
〇 東洋耆当姜●〔クサカンムリに浸〕湯(No.192)・・・・
黄耆当帰生姜人参湯方 四十二
〔東洋先生方〕「四味」 (刊本、黄耆当帰生姜人参湯)
〇 東洋用方甘連湯(No.192)・・・・・・・甘連湯方 八十
〔東洋先生方〕「四味」 (刊本、甘連湯 百二十六)
〇 東洋療嘔吐不止或暴瀉急後方(No.193)・・・・・
療嘔吐不止或暴瀉急後方者方 七十二
〔東洋先生方〕(刊本、療嘔吐不止或暴瀉急後方者方 九十五)
〇 東洋鷓胡菜湯(No.193)・・・・・・・・鷓胡菜湯方 五
〔養寿院方〕「四味」 (刊本、鷓鴣菜湯 五)
・「予用梹青」・・・・・〔真斎による〕
〇 同 殺虫丸(No.193)・・・・・・・・・殺虫丸方 二十七
〔養寿院方〕「二味」 (刊本、殺虫丸 二十七)
〇 東洋用方檳榔散(No.193)・・・・・・檳榔散方 百四十四
〔外台秘要〕「五味」 〔刊本になし〕
・「右五味・・」以下の解説文は、原文と異なっている。
▼〔・「檳榔散」の次の処方「古今医統一方 一曰育気湯」(No.194)
には、「家君曰反胃・・・」「家君曰、此方治一切之久病飲食絶
気急者、予数用之救数百人真方也」と、真斎による文がある。「家君」とは、川村寿庵〔錦城〕であり、「予」とは真斎である。「家君曰反胃・・・」の文章は、『錦城先生経験方』(内藤記念くすり博物館蔵)の十七丁に出ている文章の内容を真斎が書いたものである。〕▼
〇 東洋用方療齲歯方(No.195)・・・・療齲歯方 五十
〔播州赤穂・川端玄昌方〕 (刊本、四十八)
〇 東洋用方(No.195)・・・・・・・・南星散方 五十二
〔阿波・橋本柳伯方〕「四味」 (刊本、南星散 五十)
〇 同用方 (No.195)・・・・・・・研摩癜風方 五十八
〔中村如春方〕「三味」 (刊本、摩癜風方 五十六)
▼〔・この後、No.196からNo.198に安藤昌益の処方群がある。
本誌「PHN」第30号、拙論を参照。〕▼
○ 東洋用方華蛇散(No.199)・・・・・花蛇散方 六十八
〔王氏手集〕「二味」 (刊本、托痘白花蛇散 八十七)
〇 丁腫東洋用方(No.207)・・・・治疔瘡疼痛方 五十九
〔長瀬立英方〕「二味」 (刊本、五十七)
〇 東洋用方療癩風(No.207)・・・・大風子丸方 百一
〔長藩大夫大江豊西君家方〕「十一味」 〔刊本になし〕
〇 東洋骨硬方(No.208)・・・・・・・療骨硬方 四十八
〔東洋先生方〕「一味」 (刊本、四十五)
〇 又方 (No.208)・・・・・・・・又方 四十九
〔越前・田代万貞授〕 (刊本、四十六)
〇 洗眼散(No.208)・・・・・・・・洗眼散方 六十一
〔養寿院方〕「二味」 (刊本、洗眼散 五十九)
・文末の「成美堂・・・」は、原文のものである。
〇 治胸腹痛帖薬之方(No.208)・・・・〔左に同じ〕 百三
「七味」 〔刊本になし〕
〇 洗肝湯(No.208)・・・・・・・・・・・洗肝湯方 百七
「八味」 〔刊本になし〕
〇 沈香解毒散(No.208)・・・・・・・沈香解毒散方 百九
「四味」 〔刊本になし〕
・「即伯州散也」・・・真斎の文である。
〇 治黴毒(No.208)・・・・・・・・・・・治黴毒方 百十
「四味」 〔刊本になし〕
〇 痘疹差後余毒腫痛方(No.208)・・・〔左に同じ〕 百三十三
〔刊本になし〕
〇 如聖丸「直訣」(No.208)・・・・・・・如聖丸方 百三十八
「六味」 〔刊本になし〕
・原出典の「直訣」とは、『小児薬證直訣』(宋、錢乙)のこと。
〇 古今録験白頭翁湯(No.208)・・・・
古今録験白頭翁湯方 百四十一
「七味」 〔刊本になし〕
〇 温胆湯「千金」(No.208)・・・・温胆湯方 百四十二
「六味」 〔刊本になし〕
・原出典は、『千金方』である。
〇 療小児・・・馬明湯方(No.209)・・馬明湯方 百五十四
「四味」 〔刊本になし〕
・「一方・・。按・・」・・・真斎の按文あり。
〇 子宮不収者(No.209)・・・・・子宮不収者方 百三十一
〔刊本になし〕
・ここで真斎は、「以上 東洋用方也」と結んでいる。
それは、「以上 真営堂方也」(No.197)と結んだのと
同様の書き方である。
▼【本草之部 附方】(No.210~)・・・・・
〔『真斎聚方』にある最後の見出しである〕▼
◎ 一方 「東洋」治乳岩・・・(No.295)
・・・《出典は、東洋の処方とあるが、現在のところ不明である。》
〔刊本になし〕
●【考察6】●
山脇東洋の『方函』(内題は、「養寿院方函」)には、文化十三年の刊本もあるが、それ以前に多数の写本が作成されて、多くの門人たちなどに広く用いられていたものである。
このたび刊本『方函』(内題は、「養寿院方函」、「本編」=百三十八処方、「付録」=七十七処方、和田文庫蔵)と照合したところ、そこには見当たらない処方名が多数あった。本稿では『東洋先生方函』(写本、和田文庫蔵)を中心に同定し、かつ刊本『方函』(和田文庫蔵)をも参照した。
この『東洋先生方函』(写本、和田文庫蔵)には、真斎が記載しているほとんどの処方がみられることから、真斎もまた『東洋先生方函』の類似写本からその処方群を記載しているものとみられる。ちなみに、『東洋先生方函』(写本、和田文庫蔵)には、百七十三の処方群が収載されている。ただし、番号の「三十三」がダブリで二つある。
また、東洋の『方函』は、『養寿院経験方』『養寿院方函』などの書名でも、多くの写本類が残されている。その一つである京都大学図書館富士川文庫の『養寿院経験方』の写本には、百七十二の処方群が収載されている。
◇ 4 山脇東洋一門と安藤昌益・周伯父子との関係、
そして 川村真斎の医学的立場について
――結びにかえて
山脇東洋(1706~1762)は、古方派とされ、または『蔵志』の著者として知られているが、『東洋先生方函』(和田文庫蔵)および『養寿院経験方』(京都大学富士川文庫蔵)の巻頭には、
「 孫思邈 千金方
王壽〔燾〕 外台秘要方
晩近諸家方
草間陋巷経験方 」
とあり(この四行の前文は、刊本には記載されていない)、古方派という視点からのみ、山脇東洋一門の医学を見てはならないように思われる。なぜなら、東洋の処方群には、古方的な処方群〔七味以下の処方が多い〕のみならず後世方的な処方群〔八味以上の処方が多い〕も含まれており、かつ有名とは思われない医師たちの「諸家方」や「経験方」なども多いからである。ちなみに、『東洋先生方函』(和田文庫蔵)には、一般的に「多味」と言われる八味以上の処方〔後世方的処方〕が二十三処方(23/173=0.13)もある。しかし、上記にみる通り、真斎が記載している東洋の処方群のほとんどは、「八味」以下の処方が多い。これは、真斎の医学的基盤が主に古医方にあったからであろうか。
一方、刊本『方函』では、八味以上の処方は、「本編」では十三処方
(13/138=0.09)である。「付録」では、十九処方(19/77=0.24)あり、刊本の全体では、三十二処方(32/215=0.15)である。全体での比率にはそう大きな変化はないものの、「本編」のみでの比率が少しく低いようにも思われる。これは、おそらく刊本を編集した時点における医学界の趨勢と編者の編輯方針の反映であろう。
私としては、刊本よりも写本の『東洋先生方函』の方が、東洋の処方の実際を反映しているように思える。また、その内容的な価値は刊本よりも高いように感じている。
昌益の子息・周伯が、山脇東洋の子・東門(1736~1782)に入門したことについては、「わが子に背かれた昌益」(安永寿延『写真集・人間安藤昌益』)という見解があったが、それは明らかな誤りである。
安藤周伯は、山脇東洋一門の解剖学を重視するという医学的な進取性と実証的精神とともに、その東洋医学への幅の広い目配りと広汎でかつ確かな医学的基盤〔山脇東洋は王燾『外台秘要』を延享三年〔1746〕に覆刊している(小曽戸洋『中国医学古典と日本』)。〕を認識していたのではないだろうか。山脇東門もまた、解剖を行い、「吐方」や「刺絡」の術を実施している。その医学的進取性は、父・東洋にも引けを取らないものであった。その東門の門人として安藤周伯が、『東洋先生方函』からも学んでいた可能性は十二分にある。
『真斎聚方』において、真斎が安藤昌益の処方群と山脇東洋の処方群の多くを、隣り合わせ的に記載していることは、とても偶然事とは思われないのである。そこには意味深い関連性があるのではないだろうか。そして、真斎の父・寿庵が師・上田永久から受け継いだ処方群と、「家君」(寿庵)の処方についても、真斎がこと細かに記載しているのもまた偶然ではないのである。真斎にとって『真斎聚方』は、単なる処方群の収集、寄せ集めの書ではなく、その永年の臨床医家としての力量と、その医学的バックボーンを披瀝する場にほかならなかったのである。
『真斎聚方』には、『外台秘要』からの処方が多く記載されているが、一方で『万病回春』などいわゆる後世方の医書群からの記載も多く見られる。真斎の医学的立場は、真に臨床医学に寄与するかどうかという極めて実際的な基準で、その医学的内容を吸収していったのではないだろうか。
『真斎聚方』には、古医方・後世方を問わず、膨大な医書群からの記載がみられることは、その医学的立場の現れにほかならないであろう。真斎の時代は、吉益東洞流の古医方と江戸医学館を中心とした考証学派の隆盛の時代であった。真斎は、その古医方と考証医学とを基盤としつつも、それに偏しない幅広い視野を持った臨床医家であった。その医学的立場は、膨大な処方群を渉猟して、昌益の「安肝湯」を伝えたところの折衷派の巨星・浅田宗伯(1815~1894)の方法論に近似しているように思われる。
昌益の臨床医学は、『万病回春』などの影響を受けて後世方的ではあるが、独創的な処方ばかりである。真斎はそれらの後世方的な独創的な処方群をも評価できる力量と技量とを有していた数少ない臨床医家であった。その医学的位相は、父・寿庵の蘭学者たちとの交遊に見られる寛容的な姿勢を受け継いでいるものといえるであろう。
『真斎聚方』において真斎は、安藤昌益の処方群と山脇東洋の処方群の記載の前後などに、いくつかの「蘭方」の処方群を記載している。その処方群の出典の同定は重要な仕事であるが、それは今後の課題である。私はすでに真斎の父・川村寿庵と蘭学者・杉田玄白らとの交遊関係などについて、詳しく見てきた(本誌『PHN』第29号、拙論参照)。その寿庵の子・真斎が「蘭方」の処方群を取り入れていることにも、十分な必然性があったと言えるのである。
こうして見て来ると、真斎の医学的立場は、さらに「和漢蘭」医学の折衷派的・融合論的な視点からも考察されるべきであろうと思われるのである。
〔2018年5月25日、PHN(思想・人間・自然)、第31号、PHNの会発行〕
〔2018年5月25日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の真営道医学を継承した
江戸の町医・川村真斎による処方収集書『真斎聚方』
における稿本『自然真営道』の処方群と、『真斎謾筆』
および『良中先生自然真営道方』の処方群との
「原文」による比較と考察から見えること
――『真斎謾筆』は、稿本『自然真営道』の処方群を
最も正確に、最も詳細に伝承しているということ。
Ⅰ はじめに
安藤昌益の真営道医学を継承した江戸の町医・川村真斎(1785-1852)による処方収集書『真斎聚方』(内藤記念くすり博物館蔵本)については、『 『日本名山図会』と川村寿庵 』(岩手県立博物館、平成20年)に紹介されている。
しかし、そこに写真版で紹介されている安藤昌益由来の処方群(二丁分)は、すべてではない。ここでは、そのすべてを紹介し、かつ『真斎謾筆』(京大・富士川本)および『良中先生自然真営道方』(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本)との「原文」の比較により、『真斎謾筆』などが稿本『自然真営道』の処方群その他の内容をどれだけ反映したものとなっているか、という課題について考察してみよう。
なぜなら、『真斎謾筆』の内容については、八重樫新治氏〔「しらべるかい」第8号、2011年12月〕により稿本『自然真営道』をどれほど正確に伝承しているかということが議論され、「 「『真斎謾筆』が稿本『自然真営道』を書写したものだという説」に対して否定した 」、という見解が発表されているからである。
なお、『真営堂雑記』(東京国立博物館蔵本)にも、『真斎聚方』に出ている処方が六件ほどあるので、併せて比較することとしたい。
・各処方名の前の○印は、原文にない場合でも、わかりやすくするために付けて
いる。
・原文の薬物の分量表記は、小文字の部分が多いが、原則として薬物と同じサイ
ズとした。
・「一字薬名」の合成文字は、原則として「木瓜(*)」などのように開いて
〔二字以上にすること〕表記した。
・字体は、原則として新字体としたが、旧字体のままとしたところもある。
・『真斎謾筆』などには、処方名が同一のものがいくつかみられるが、総合的
判断によって選択し、比較をおこなった。
・「全・十五」=『安藤昌益全集』(第十五巻、農文協刊)
・『真斎聚方』(川村真斎著、内藤記念くすり博物館蔵本)
・『真斎謾筆』(川村真斎著、京都大学図書館・富士川文庫本、同図書館Webに
て公開)〔参照資料=「全・十五」〕
・『良中先生自然真営道方』(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、同博物館
Webにて公開)〔参照資料=「全・増補篇一」および『青森県史、史料編、
近世、学芸関係』(2004)〕
・『真営堂雑記』(東京国立博物館蔵本)
〔参照資料=『真営堂雑記』、安藤昌益と北千住の関係を調べる会、2013〕
Ⅱ 『真斎聚方』における稿本『自然真営道』の処方群と、『真斎謾筆』および『良中先生自然真営道方』の処方群
との「原文」による比較と考察
◎ 第一部 ◎
1-1 ○「霊妙湯」について
《○ 茎湿瘡ノ所以ハ、古説ノ下疳也。》 〔全・十五、456頁〕
A ・『真斎聚方』(195丁ウ〔ウラ〕)
○ 霊妙湯 真営
石决明 一銭 辰 五厘 竜脳 二厘五毛 海蛤甲 一銭
真珠 一厘
右五味為末作一貼土茯苓四十銭 水五合為三合入粉薬一昼夜服之如此至
八日
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.456, 原文より引用)
○ 茎瘡、腐爛甚ク毒溢レ嚢爛レ、其近キ所ニ平陥瘡出ル者ハ、是レ湿毒既ニ
深シ。是レハ軽剤ヲ以テ治スルコト能ハズ、是レ霊妙湯小半剤ノ症也。
○ 霊妙湯 小半剤ハ乃チ一剤ノ四ケ一也。
土茯苓 四十目 石决明 一銭 辰砂 五厘 龍脳 二厘五毛
真珠 一厘 海蛤甲 一銭
右五味、為細末トナシ、一合セニ匀ヒ一貼トナシ、土茯苓 四十目、水三椀
入レ煎ジテ二椀トナシ、右一貼ノ粉薬ヲ入レ攪匀シ、一昼夜ニ之レヲ服シ尽
ス、此ノ如クスルコト、毎月八日ニ至テ土茯苓二斤服シ終リ、八日ヲ八日ヲ
以テ一周トナス也。
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.456、457, 原文より引用)
○ 霊妙湯 本方
土茯苓 一斤 石决明 一両 辰砂 二分 龍脳 一分
真珠 五厘 海蛤甲 一両
右五味、為細末トナシ合匀シ一貼トナス。土茯苓 一斤、水十二椀ヲ以テ
八椀トナシ、右一貼ノ粉薬ヲ入レ攪匀シ、一昼夜ニ此八椀ヲ服シ尽ス也。
毎日此ノ如クシテ服シ八日ニ至テ一周トナストキハ、如何ナル腐リ堀〔マ
マ〕レタル悪瘡モ之レヲ治セザルコトナシ。若シ八日一剤ヲ尽シテ全快セザ
ル者ハ又一剤ヲ服スベシ、全ク愈ル也。
右土茯苓、味・性・能・功ノ所以及ビ石决明、辰砂、龍脳、真珠、海蛤甲
凡テ五味ノ性・能・功ノ所以ハ、薬性記、霊妙湯ノ部ヲ併見スベシ。
古方、五鳳丹ト名クルモノハ、鍾乳石・琥珀ヲ用ユレドモ不宜也。
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.186、原文より引用)
○ 茎瘡腐爛甚毒溢嚢爛其所近平陥瘡出者是湿毒瘡已深是霊妙湯服也。
○ 霊妙湯 小半剤乃一剤四一
土茯 四十銭 石决 一銭 辰砂 五厘 龍脳 二厘五毛
真珠 一厘 海甲(ハマグリ) 一銭
右五味為末一合匀為一貼
D ・稿本『自然真営道』「甘味ノ諸薬・自然ノ気行」
(全・十六上、影印版より書き下して引用)
○ 全通霊妙湯
△ 土茯苓 百六十目 石决明 二両 辰砂 二分 龍脳 一分
真珠 五厘 海蛤甲(ハマグリ) 一両
○ 古説ノ方ニ琥珀ヲ加フレドモ 是レハ似セ者ニシテ 其ノ気行ヲ知ラ
ザル故ニ之レヲ去ル。又、鍾乳石ヲ加フレドモ、石薬多キ則ハ土茯苓ノ
能・効沈ンデ利ク所無キ故ニ之レヲ去ル。・・・
水十二椀ヲ以テ煎ジテ八椀トナシ、毎一椀ニ末薬一貼ヲ入レ、攪匀ヒ
温服ス。一昼夜ニ服シ尽ス。毎日一料ヲ用ヒ、八日ニシテ乃チ愈ユ。
○ 古方ニ十二料、十二日トスルハ、私作ノ十二経ニ迷フ私作ノ妄失ナリ。
【考察〈1〉】
Aの前に、《○ 茎湿瘡ノ所以ハ、古説ノ下疳也。》と表示したのは、表題の処方が稿本『自然真営道』のどの項目内にあるのかを示すためである〔以下、同〕。
昌益の「自然真営道方」の中で、「霊妙湯」は独創的な最も重要な処方として、位置付けられているようである。B・『真斎謾筆』の中には、上記に引いたように二か所に詳細に述べられているからである。D・稿本『自然真営道』「甘味ノ諸薬・自然ノ気行」にも、詳細に解説されていることは、昌益自身が重要な処方としていたことに間違いがないであろう。
B・『真斎謾筆』が、稿本『自然真営道』をどれほど正確に伝承しているかということが八重樫新治氏〔「しらべるかい」第8号、2011年12月〕により議論されているが、上記のA~Dの資料群を比較すると、B・『真斎謾筆』の内容は、最も詳細であり、十分に昌益の処方を伝承していると考えてよいであろう。
以下の考察においても、このような問題意識を持ちつつ進めていこう。
B ・『真斎謾筆』(「霊妙湯 本方」)に、「古方、五鳳丹ト名ク」とあるが、この「古方」とは、『万病回春』を指している。さらに、D・「甘味ノ諸薬・自然ノ気行」における「古説ノ」および「古方ニ」のいずれも、『万病回春』を指している。これらは、昌益の医学的立場をとらえる上で、重要な問題である。
私は、すでに拙著『安藤昌益の思想』(1989)において、昌益のいう「古方」とは、「古説」であることを明らかにしているが、未だに昌益のいう「古方」を「後世派」に対立するところの「古方派」と解釈している人がいる(山崎庸男『安藤昌益の実像』209頁、2016)ので、ここに再度述べておくことにする。
八重樫氏〔「しらべるかい」第8号〕は、また「『甘味ノ諸薬・自然ノ気行』と
稿本『自然真営道』「薬性紀巻」の関連については、検証できてはいない」と述べている。しかし、上記のD・「甘味ノ諸薬・自然ノ気行」とB ・『真斎謾筆』との関連性は明らかであり、D・「甘味ノ諸薬・自然ノ気行」が、稿本『自然真営道』「薬性紀〔記〕巻」の内容の一部を成していることは、疑いがないところであろう。
1-2 ○「全脛湯」について
《○ 脛瘡ノ所以及ビ治方 古説ノ臁瘡也》 〔全・十五、456頁〕
A ・『真斎聚方』(195丁ウ-196丁オ)
○ 全脛湯
木瓜(*)・蒼・茯・陳 各二銭 五倍・葛・芣・防 各一銭〔半〕
○ 外治方 五倍・椒 各等分 水煎。 洗瘡乃 五倍・椒 等分
為末擦之有効。
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.458, 原文より引用)
○ 全脛湯 治脛瘡湿毒初発
木瓜(*)・蒼・茯・陳 各二銭 五倍・葛・芣・防 各一銭半
○ 外治ノ方 五倍子・山椒 各等分 水煎。 之レヲ以テ瘡ヲ洗ヒ浄メ
再ビ五倍子・山椒 等分 細末トナシ、之レヲ搽ルニ効アリ。
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.187、原文より引用)
○ 全脛湯 治脛瘡湿毒初発
木瓜・蒼朮・茯苓・陳皮 各二銭 五倍・葛根・車前・防風 各一銭半
○ 外治方 五倍・山椒 等分 洗瘡
【考察〈2〉】
A・B・Cの中では、A・『真斎聚方』が最も簡略化されていることがわかる。
B・『真斎謾筆』とC・『良中先生自然真営道方』を比較すると、Cは簡略化されているが、処方の要点は維持されており、昌益の処方は伝承されているといえよう。BとCを統合することによって、昌益の真営道医学は相当程度の復元が可能である。これは、単にいくつかの処方を比較した発言ではなく、BとCの全記述を比較した上での結論であることを述べておきたい。
1-3 ○「正身神妙飲」について
《○ 打瘡ノ所以、破折ノ所以・・・》 〔全・十五、462頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁オ)
霊天 一両 楊梅皮 二銭 沼菱殻 三銭
右 三味 為末以酒服
薯蕷去皮以鋓摺 四十銭 楊梅末 二十銭 攪合以雞子白演之
如元居骨塗之以晒布覆之当柾以麻糸絡之以綿覆之
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.461, 462、原文より引用)
〇 正身神妙飲 絶一切之打身ノ根
霊天蓋 一両 楊梅皮 二銭 沼菱 三銭
右 三味 細末トナシ酒ヲ以テ之レヲ服ス。・・・
薯蕷ヲ用テ皮ヲ去リ、鋓ヲ以テ摺リ、此分量四十目ニ楊梅皮ノ末
二十目ヲ攪キ合セ、雞子ノ清白ヲ以テ之レヲ摺リ演ベ、骨ヲ居直
シタル処ニ之レヲ擦リ、晒布ノ切ヲ以テ之レヲ覆ヒ、其上ニ薄柾ヲ
当テ麻糸ヲ以テ之レヲ絡ヒ、其上ヲ新綿ヲ以テ包ミ覆ヒ、・・・
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.189、原文より引用)
〇 正神身妙飲 絶一切之打身根
霊天 一両 楊梅 二銭 沼菱 三銭
右 三味 為細末以酒服有効
Z ・『真営堂雑記』(東京国立博物館蔵本、7丁〔ウ〕、原文より引用)
〇 正身神妙飲
霊天蓋 一両 楊梅皮 二銭 沼菱 三銭
同上〔酒ニテ用ユ〕
【考察〈3〉】
Cには、「正神身妙飲」とあるが、転記ミスであろう。Aの末尾の二行は、小文字で二行書きとなっているが、Bにより昌益の文章であることがわかる。
Bが最も詳細で、真営道医学を伝えていることは明らかである。Zは、薬物の表記がBと同一である。
1-4 ○「散滅湯」について
《○ 切傷瘡 古説ノ金瘡也。》 〔全・十五、463頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁オ)
〇 散滅湯
芎・芷・細・柴 各一銭半 陳・茯・芍 各一銭二 甘 小
右 治破傷風
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.464、原文より引用)
○ 切疵外邪ニ冒サルルトキハ 古説ノ破傷風也
〇 散滅湯 治切疵冒於外邪而感気浮遅者
芎・芷・細・柴 各一銭半 陳・茯・芍 各一銭二 甘 少
水煎。
頻服汗出テ外邪去ルトキハ、乃チ疵口ニ灸シ収愈膏ヲ就ケテ生肉湯ヲ
服シテ之レヲ治ス。
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.189、原文より引用)
○ 切疵冒外邪 古説破傷風
〇 散滅湯 治切疵外邪冒脉浮遅者
川芎・白芷・細辛・柴胡 各一銭五分 陳皮・茯苓・芍薬 各一銭
二分 甘草 少
【考察〈4〉】
Aに「治破傷風」とあるのは、Bにおける「古説ノ破傷風也」を踏まえた上での真斎による記述であろう。
1-5 ○「解火湯」について
《○ 焼爛瘡 古説ノ湯火瘡》 〔全・十五、465頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁オ)
〇 解火湯
●〔クサカンムリに下〕・麦冬(*)・梔・芩 各一銭半
茯・梨実・陳・甘 各一銭二分
治湯火傷
○ 外治方 大根葉為末演荏油搽患処経一夜速見効
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.465、原文より引用)
〇 解火湯 瀉湯火瘡之火毒
生●〔クサカンムリに下〕(*)・麦冬(*)・巵・芩 各一銭半
茯・梨 陰干ノモノ・陳・甘 各一銭二分 水煎。
火毒未ダ内ニ入ラザル者ハ内ニ入ルコトヲ防ギ、既ニ内ニ入ル者ハ其
火毒ヲ解スル也。
○ 外治ノ方ハ 大根ノ葉能ク日ニ干シ細末ト為シ荏ノ油ニ演ベ鳥ノ羽ヲ
以テ患フル処ニ搽ル。一夜ヲ経ルニ速ク効ヲ見ハス。神妙ノ薬也。得ヤ
スキヲ以テ軽ンズルコト勿レ。
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.190、原文より引用)
○ 焼爛瘡 古説火傷也
〇 解火湯 瀉湯火瘡火毒
生地・麦門・梔子・黄芩 各一銭半
茯苓・梨肉 陰干・陳皮・甘草 各一銭二分
○ 外治方 大根葉日干為細末演荏油以鳥羽搽患処
Z ・『真営堂雑記』(東京国立博物館蔵本、7丁ウ、原文より引用)
〇 解火湯
生地・麦門・梔子・黄芩 各一銭半
茯苓・梨肉 陰干・陳皮・甘草 各一銭二分
○ 外治 大根葉 鳥羽ニテ荏油ニ和シヒク
【考察〈5〉】
BとCの「瀉湯火瘡之火毒」という記述の一致、AとCの外治方の解説記述の酷似が注目されるが、内容的にはBにまさるものはない。Aの「治湯火傷」の記述も「古説ノ湯火瘡」を踏まえた上での、真斎による記述であろう。
Zの「解火湯」の薬物表記は、ここではCと同一である。
1-6 ○「急破瘡方」について
《○ 急破瘡ノ所以及ビ治方 俗ニ所謂構太刀(かまいたち)》〔全・十五、466頁〕
《○ 府毒瘡ノ所以及ビ治方 古説(ノ)癰(也)》 〔全・十五、429頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁オ)
〇 急破瘡方 俗云構太刀
芎・香附(*)・烏・柴 各一銭二分
荊・細・腹・夏 各一銭
散毒也
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.466、原文より引用)
〇 急破瘡ノ所以及ビ治方 俗ニ所謂構太刀、此コトヲ「カマイタチ」ト云。
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.422、原文より引用)
○ 散毒湯 散腐毒瘡未為膿者
芎・香附(*)・烏・柴 各一銭二分
荊・細・腹・半 各一銭
右 水煎
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.183、184、原文より引用)
○ 府毒瘡 古説之癰也
○ 散毒湯 散腐毒瘡未為膿者
川芎・香附・烏薬・柴胡 各一銭二分
荊芥・細辛・腹皮・半夏 各一銭
毎灸易散滅膏也
【考察〈6〉】
Aの「急破瘡方」の処方内容は、「外瘡門」の最初にある「散毒湯」であることがわかった。
2-1 ○「散毒膏」について
《○ 諸油ト瘡毒ト応・不応ノ所以ハ・・・》 〔全・十五、445頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁オ)
〇 外治散毒膏
附・草・烏頭・細・干姜 各十銭
桂・芎・烏・芷 各二十銭
修法剤八味薬浸香油二斤一宿用火熬之薬至蕉色以生絹漉之去渣又
熬下柳棍不住手攪之滴水成珠為度離火入乳香没薬末 各四銭
攪匀収貯
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.444、原文より引用)
○ 散毒膏 散滅一切之瘡毒也。
附子・草烏頭・細辛・乾姜 各十銭
肉桂・川芎・烏薬・白芷 各二十銭
・・・・・・
其修法ハ右八味ノ薬ヲ剤ミ二斤ノ香油ニ浸スコト一宿シ、火ヲ用テ之
レヲ熬ル。薬、蕉色ニナルニ至テ生絹ヲ以テ之レヲ漉シ、渣ヲ去リ油
ノミヲ用テ又熬シ、柳ノ棍ヲ下シ手ヲ住メズ之レヲ攪旋シ、水ニ滴シテ
珠ヲナスヲ度トシ、火ヲ離シテ乳香・没薬ノ末各四銭ヲ入ルルトキハ、
微辛味・微温性・微散能也。此時、油ト薬ノ間ヲ和ゲ攪匀シ収メ貯フテ
火毒ヲ退ケ、之レヲ用テ・・・
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.185、原文より引用)
○ 散毒膏 治散滅一切瘡毒者
附子・草烏・細辛・干姜 各十銭
肉桂・川芎・烏薬・白芷 各二十銭
右八味浸二斤香油一夜用火熬之薬至蕉色以薄紙漉去滓用油又
熬下柳棍不住手攪之滴水成珠為度離火入乳香没薬末 入各四銭
用之
Z ・『真営堂雑記』(東京国立博物館蔵本、8丁オ、原文より引用)
○ 散毒膏
附子・草烏頭・細辛・干姜 各十銭
肉桂・川芎・烏薬・白芷 各二十銭
香油二斤浸一宿
【考察〈7〉】
AとCの説明文の類似は、稿本『自然真営道』の原文を彷彿とさせるものである。Bからわかるように、「其修法・・・」の文章は、処方の次の頁に書かれているにもかかわらず、A ・B・C ともに、この同じ部分を引いているのは、その重要性を理解しての上であろう。
Zの薬物表記は、やはりBに一番近い。
2-2 ○「漆瘡方」について
《○ 漆瘡ノ所以及ビ治方》 〔全・十五、467頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁オ)
〇 漆瘡方
●〔クサカンムリに下〕・梔
生摺演搽之
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.467、468、原文より引用)
○ 漆瘡ノ所以及ビ治方 ・・・
○ 治方ハ、生●〔クサカンムリに下〕・巵子
二味生ニテ摺リ演ベ之レヲ貼ルトキハ、乃チ治スル也。
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.190、原文より引用)
○ 漆瘡
○ 治方 生地・梔子
二味生摺演搽之乃治也
【考察〈8〉】
A・B・Cともに、稿本『自然真営道』の原文に忠実な内容である。
2-3 ○「蜂螫」について
《○ 虫螫瘡及ビ治方ハ・・・》 〔全・十五、467頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁オ)
〇 蜂螫
以甘草浸水搽之
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.468、原文より引用)
○ 虫螫瘡及ビ治方ハ・・・
○ 蜂ニ●〔口ヘンに角〕レ腫痛スルニハ味噌ヲ布テ之レヲ灸ス。
又甘草ヲ以テ水ニ浸シ之レヲ搽ル
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.190、原文より引用)
○ 虫螫瘡
・・・・・・
蜂●〔口ヘンに角〕腫痛味布味噌灸之
【考察〈9〉】
Bは、AとCの両方の内容を含んでいる。
2-4 ○「諸骨咽ニ立ツノ方」について
《○ 諸骨咽ニ立ツノ方ハ、・・・》 〔全・十五、469頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁オ・ウ)
〇 諸骨
硬象牙為末以管吹入咽乃下是速効妙薬也
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.469、470、原文より引用)
○ 諸骨咽ニ立ツノ方ハ、魚鳥一切ノ骨、咽ニ立チタルニハ、甘草ヲ以テ
末トナシ蜜ヲ以テ大豆ノ大サニ丸シ、辰砂ヲ以テ衣トナシ、三五粒噛ミ
下スニ、口津ヲ以テ飲メバ骨腐棄スレバ咽ヲ下ル也。
○ 又方 象牙ヲ以テ末トナシ、管を以テ咽ニ吹キ入ルトキハ、
乃チ下ル。是レ速効ノ妙薬也。
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.191、原文より引用)
〇 諸骨咽立
○ 秘方 以甘草為末以蜜丸大豆大以辰砂為衣三五粒噛下以口津乃飲骨
腐柔下咽
○ 又方 以象牙為末以管吹入咽
【考察〈10〉】
Bは、AとCの原文を踏まえた上での書き下し文となっていることが明らかである。
2-5 ○「癩疾方」について
《○ 悪毒・湿瘡ノ所以及ビ治方ハ 古説ノ厲風 》 〔全・十五、469頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁・ウ)
〇 癩疾方
霊妙湯大半剤方加海漂消一両用之八日一周也。
毎周加増海漂消一両四周愈
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.470、472、原文より引用)
○ 悪毒・湿瘡ノ所以及ビ治方ハ 古説ノ厲風感気ハ細動也
○ 初発ノ治方ハ・・・
内薬ハ霊妙湯大半剤ノ方ニ海漂消一両ヲ加ヘ、之レヲ用ユルコト八日
一周也。一周ニ至テ少シク効アルトキハ、次ハ本方一剤ヲ以テ海漂消二
両ヲ加ヘ、之レヲ用ヒ二周ニ至テ大半愈ユベシ。又一剤ヲ用テ三周ニ至
テ全快スル也。若シ少シク全快ニ至ラザルコトアラバ、又一剤ヲ用テ四周ニ至リ、根ヲ断テ治スベキ也。
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本)
○ 【A・Bに該当する記述なし。】
【考察〈11〉】
Aは、Bの内容を簡略化していることがわかる。Bの内容が、稿本『自然真営道』の内容を反映している。Bの「古説ノ厲〔癘〕風」とは、「癩病」のことである。Cに該当する記述が見当たらないのは、「○○湯」などのような明確な処方名の「見出し」と薬物群の記述がなかったからであろう。
3-1 ○「生肉湯」について
《○ 府毒瘡ノ所以及ビ治方 古説(ノ)癰(也)》 〔全・十五、429頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁・ウ)
○ 生肉湯 治腐毒瘡出膿者
芍・当・芪・遠 各一銭半
桂・干姜(*)・茯・夏 各一銭
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.423、原文より引用)
○ 生肉湯 治府毒瘡去膿者 此方、助元気回気托膿新生肌肉也
芍・当・芪・遠 各一銭半
桂・干姜(*)・茯・半 各一銭 水煎
此方、愈テノ跡、其疵ヲ知ラズ
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.184、原文より引用)
○ 生肉湯 治助元気回気托膿生新肌肉府毒瘡去膿者
芍薬・当帰・黄耆・遠志 各一銭五分
肉桂・干姜・茯苓・半夏 各一銭
Z ・『真営堂雑記』(東京国立博物館蔵本、8丁オ、原文より引用)
○ 生肉湯
芍薬・当帰・黄耆・遠志 各一銭半
肉桂・干姜・茯苓・半夏 各一銭
【考察〈12〉】
Bの「此方、助元気・・・」の小文字文は、Cから昌益の文章であることがわかる。しかし、Bの文章の順番の方がわかりやすく、内容を理解した文章である。
Bは、文章を「書き下し」てはいるが、稿本『自然真営道』の内容を一番理解している文章であり、信頼できるものである。
Zの薬物表記は、Cと同一であるが、前半の分量表記「各一銭半」は、A・Bと同一である。Zの筆録者は、真斎の弟子たちと思われるので、Zは、AとBに類似しているのは当然のことであろう。
3-2 ○「鎮蒸湯」について
《○ 府毒瘡ノ所以及ビ治方 古説(ノ)癰(也)》 〔全・十五、429頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁・ウ)
○ 鎮蒸湯 治腐瘡内熱甚者
当・芍・枳・梔 各一銭半
大・硝・通・夏 各一銭
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.423、原文より引用)
○ 鎮蒸湯 治腐毒瘡内熱甚者
当・芍・枳・巵 各一銭半
大・芒・通・半 各一銭 水煎
内熱解シ大便通ズルトキハ、此薬ヲ止ム
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.184、原文より引用)
○ 鎮蒸湯 治腐毒瘡内熱甚者
当帰・芍薬・枳殻・梔子 各一銭半
大黄・芒硝・木通・半夏 各一銭
熱解通大便則止
【考察〈13〉】
Aの「治腐瘡」は、「治腐毒瘡」が正しい。A・B・Cともに稿本『自然真営道』の内容に忠実であると思われる。
3-3 ○「救元湯」について
《○ 蔵毒瘡 古説ノ疽也 》 〔全・十五、432頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁・ウ)
○ 救元湯 治臓毒瘡膿成引内者
桂・干姜・附・芪 各一銭二分
陳・夏・茯・甘 各炒一銭
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.427、原文より引用)
○ 救元湯 治蔵毒瘡膿成而引内者
桂・干姜・熟附(*)・芪 各一銭二分
陳・半・茯・甘 炒、各一銭
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.184、185、原文より引用)
○ 救元湯 治蔵毒瘡膿成而引内
肉桂・干姜・和附・黄耆 各一銭二分
陳皮・半夏・茯苓・甘草 各一銭
【考察〈13〉】
A・B・Cともに同一であり、稿本『自然真営道』に忠実であるといえよう。
3-4 ○「助元匀蔵湯」について
《○ 蔵毒瘡 古説ノ疽也 》 〔全・十五、432頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁・ウ)
○ 助元匀蔵湯 治蔵毒瘡潰膿不止
桂・干姜(*)・附・茯 各一銭半
芪・当・芍・遠 各一銭二分
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.427、428、原文より引用)
○ 助元匀蔵湯 治蔵毒瘡潰而膿不止者
桂・干姜(*)・附・茯 各一銭半
芪・当・芍・遠 各一銭二分 水煎
頻々之レヲ服スルトキハ元気盛ンニ蔵気調和シ食進ミ肌肉ヲ生ジ膿
自ラ止テ全快スル也
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.185、原文より引用)
○ 助元匀蔵湯 治蔵毒瘡潰膿不止者
肉桂・干姜・和附・茯苓 各一銭半
黄耆・当帰・芍薬・遠志 各一銭二分
【考察〈14〉】
A・B・Cともに同一であり、稿本『自然真営道』に忠実であるといえよう。
4-1 ○「腐毒膏」について
《○ 諸油ト瘡毒ト応・不応ノ所以ハ・・・》 〔全・十五、445頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁・ウ)
○ 腐毒膏
蒲黄・百部・茅根・●〔クサカンムリに下〕 各十一銭
当・麦冬(*)・紅・膝 各十七銭
修法剤八味薬浸香油二斤一宿以火熬之薬至蕉色以生絹漉之去渣用油又
熬下柳棍攪之不住手滴水為珠離火収貯
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.445、原文より引用)
○ 腐毒膏 腐採一切之腫瘡既成膿者
蒲黄・百部根・茅根・熟地 各十二銭
当帰・麦門・紅花・牛膝 各十七銭
・・・・・・
其修法ハ右八味ノ薬ヲ剤ミ二斤ノ香油ニ浸スコト一宿シ、火ヲ以テ之
レヲ熬シ、薬、蕉色ニナルニ至テ生絹ヲ以テ之レヲ漉シ、渣ヲ去リ油
ヲ用テ又熬シ、柳ノ棍ヲ下シ之レヲ攪旋シ、手ヲ住メズ水ニ滴シ、珠ヲ
ナスヲ度トナシ、火ヲ離レ収メ貯ヘ火毒ヲ退ケ、諸毒ニ応ジテ用ユル也。
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.185、原文より引用)
○ 腐毒膏 腐採一切腫瘡已為膿者
蒲黄・百部根・茅根・熟地 各十二銭
当帰・麦門・紅花・牛膝 各十七銭
右棟方照、但後二味之細末不入也
Z ・『真営堂雑記』(東京国立博物館蔵本、8丁ウ、原文より引用)
○ 腐毒膏
蒲黄・百部根・茅根・熟地 各十二銭
当帰・麦門・紅花・牛膝 各十七銭
【考察〈15〉】
Zの薬物表記は、B・Cと同一である。昌益の薬物表記は、「一字薬名」ではなく、B・C・Zのような薬物表記であった可能性がある。
Cの「右棟方照」とは、この処方の前にある「散毒膏」〔前出の2-1、参照〕における次の説明文のことである。
右八味浸二斤香油一夜用火熬之薬至蕉色以薄紙漉去滓用油又
熬下柳棍不住手攪之滴水成珠為度離火入乳香没薬末 入各四銭
用之
そして、「但後二味之細末不入也」とは、「乳香没薬末 入各四銭」を指している。
つまり、『真斎聚方』における処方の順番は、『真斎謾筆』および『良中先生自然真営道方』の順番どおりではなく、真斎により前後に入れ替えなどが見られるということである。本稿では、『真斎聚方』における処方の順番で記述し、B・Cについては原文のNo.○○を示し、その順番の前後が確認できるように配慮している。
4-2 ○「収愈膏」について
《○ 諸油ト瘡毒ト応・不応ノ所以ハ・・・》 〔全・十五、445頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁・ウ)
○ 収愈膏
酸棗・山茱・烏梅・榲桲 各十銭
芍・遠・陳・赤豆 各二十銭
修法如前
以散毒・腐毒・収愈 良仲子之三膏也 一切之腫物以三膏治之
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.445、原文より引用)
○ 収愈膏 一切之瘡毒既膿尽者主之
酸棗仁・山茱萸・烏梅・榲桲 各十銭
芍薬・遠志・陳皮・赤小豆 各二十銭
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.185、原文より引用)
○ 収愈膏 収愈一切之瘡毒已尽膿者
酸棗・山茱・烏梅・榲桲 各十銭
芍薬・遠志・陳皮・小豆 各二十銭
右照前
Z ・『真営堂雑記』(東京国立博物館蔵本、8丁ウ、原文より引用)
○ 収愈膏
酸棗仁・山茱萸・烏梅・榲桲 各十銭
芍薬・遠志・陳皮・赤小豆 各二十銭
【考察〈16〉】
Zの薬物表記は、Bと全く同一である。それにしても、Bの処方群では、「一字薬名」表記がほとんどであるが、「三膏」(散毒膏・腐毒膏・収愈膏)では、フル薬名表記であるのはどういうことであろうか。まさに「三膏」は、薬物表記も特別扱いである。
Aの「修法如前」とCの「右照前」とは、「4-1」の「腐毒膏」を参照せよということである。
「良仲子之三膏也」「一切之腫物以三膏治之」の文は、真斎によるものであるが、『真斎謾筆』にも、「此三膏ノ外、膏薬之レアルコトナキ也。」「是レ膏ハ、三膏ニ極ル所以也。」(全・十五、450頁)とあり、散毒膏・腐毒膏・収愈膏を昌益自身も「三膏」と位置づけ、相当の自信を有していたことがわかる。これまで昌益の処方と言えば「安肝湯」だけが特別扱いされてきたように思えるが、昌益自身からすれば、この「三膏」などが彼の代表的処方であったのではないだろうか。
ここで思い出されるのは、昌益の師の系統である味岡三伯(三代目)が、「腫れ物」の名医として知られていたことである。昌益のこの「三膏」は、その味岡三伯の学統を受け継いでいるのかも知れない。
5-1 ○「健脚湯」について
《○ 外湿・膝腫ノ所以 古説ノ鶴膝風。 》 〔全・十五、409頁〕
A ・『真斎聚方』(196丁・ウ、197丁・オ)
○ 鶴膝風方 治左膝 健脚湯
木瓜・芍・陳・枳 各一銭五分
当・桂・干姜(*)・茯 各一銭一分
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.401、原文より引用)
○ 健脚湯 治左膝腫痛而感気浮細帯動者
木瓜(*)・芍・陳・枳 各一銭五分
当・桂・干姜(*)・茯 各一銭二分
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.178、原文より引用)
○ 健脚湯 治左膝腫痛脉浮細動者
木瓜・芍薬・陳皮・枳殻 各一銭五分
当帰・肉桂・干姜・茯苓 各一銭二
【考察〈17〉】
Aの「健脚湯」の前に「鶴膝風方」とあるのは、「古説ノ鶴膝風」からの表示であろう。「治左膝」は、B・Cの処方の説明文からのものである。
5-2 ○「正脚湯」について
《○ 外湿・膝腫ノ所以 古説ノ鶴膝風。 》 〔全・十五、409頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・オ)
○ 治右膝 正脚湯
当・陳・茯・木瓜 各一銭三分
桂・楊梅・蒼・沢 各一銭一分
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.401、原文より引用)
○ 正脚湯 治右膝腫痛而感気遅細帯動者
当・陳・茯・木瓜 各一銭二分 水煎
〔桂・楊梅・蒼・沢 各一銭一分〕
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.179、原文より引用)
○ 正脚湯 治右膝腫痛脉遅細
当帰・陳皮・茯苓・木瓜 各一銭三分
肉桂・楊梅・蒼朮・沢瀉 各一銭一分
【考察〈18〉】
めずらしく、Bの〔 〕内の一行が欠落していることがわかる。『真斎謾筆』にもこの程度のミスはあるであろう。幸いA・Cにより、このようなミスも判明する。やはり、AとCの資料発見の意義は大きい。
5-3 ○「両脚達足湯」について
《○ 外湿・膝腫ノ所以 古説ノ鶴膝風。 》 〔全・十五、409頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・オ)
○ 治両膝 達足湯
芍・当・芩・巵・ 各一銭半
木瓜(*)・酸棗(*)・通・茯 各一銭二分
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.401、原文より引用)
○ 両脚達足湯 治両膝腫痛感気剛動而数者
芍・当・芩・巵・ 各一銭半
木瓜(*)・酸・通・茯 各一銭二分 水煎
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.179、原文より引用)
○ 両脚達足湯 治両膝腫痛脉剛動数者
芍薬・当帰・黄芩・梔子 各一銭半
木瓜・酸棗・木通・茯苓 各一銭二
【考察〈19〉】
Aの「治両膝 達足湯」の表記は、5-1、5-2のAの表記と同じスタイルである。BとCは、内容的には同一である。
5-4 ○「達踝湯」について
《○ 外湿・膝腫ノ所以 古説ノ鶴膝風。 》 〔全・十五、409頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・オ)
○ 達踝湯 治踝腫痛歩行不能者
蒼・防・陳・芍 各一銭半
茯・桂・干姜(*)・藿 各一銭三
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.402、原文より引用)
○ 達踝湯 治踝腫痛而不能歩行者
蒼・防・陳・芍 各一銭半
茯・桂・干姜(*)・藿 各一銭三分
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.179、原文より引用)
○ 達踝湯 治踝腫痛歩行不能
蒼朮・防風・陳皮・芍薬 各一銭半
茯苓・肉桂・干姜・藿香 各一銭三分
【考察〈20〉】
A・B・Cともに同一であるといえよう。
5-5 ○「平跟湯」について
《○ 外湿・膝腫ノ所以 古説ノ鶴膝風。 》 〔全・十五、409頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・オ)
○ 平跟湯 治跟腫痛歩行不能者
木瓜(*)・連・当・芍 各一銭半
通・桑寄・桂・干姜(*) 各一銭二分
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.402、原文より引用)
○ 平跟湯 治跟腫痛而不能歩行者
木瓜(*)・連・当・芍 各一銭半
通・桑寄・桂・干姜(*) 各一銭二分 水煎
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.179、原文より引用)
○ 平跟湯 治跟腫痛歩行不能
木瓜・黄連・当帰・芍薬 各一銭半
木通・桑寄・肉桂・干姜 各一銭二分
【考察〈21〉】
A・B・Cともに同一であるといえよう。
6-1 ○「滋腎湯」について
《○ 内湿・腰痛ハ、腎ノ預リ。》 〔全・十五、414頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・オ)
○ 滋腎湯 治腰痛
当・芍・●〔クサカンムリに下〕・茯 各一銭半
膝・地骨・蘗 各一銭 甘 炙、八分
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.406、原文より引用)
○ 滋腎湯 治常々腰痛感気沈細者
当・芍・熟●〔クサカンムリに下〕・茯 各一銭半
膝・骨・蘗 各一銭 甘 炙、八分
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.181、原文より引用)
○ 滋腎湯 治常腰痛脉沈細者
当帰・芍薬・熟地・茯苓 各一銭半
牛膝・地骨・黄栢 各一銭 甘草 八分
【考察〈22〉】
A・B・Cともにほぼ同一であるといえよう。
6-2 ○「降蒸湯」について
《○ 内湿・黄疽ハ、腎ノ預リ。》 〔全・十五、415頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・オ)
○ 清〔降〕蒸湯 治前證口乾発熱大便実
枳・連・大・滑 各一銭二分
通・茯・茵 各一銭 甘 三分
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.407、原文より引用)
○ 降蒸湯 治黄疸口乾発熱大便実感気沈数者
枳・連・大・滑 各一銭二分
通・茯・茵 各一銭 甘 二分五厘 水煎
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.181、原文より引用)
○ 降蒸湯 治黄疸口乾発熱大便実脉沈数者
枳実・黄連・大黄・滑石 各一銭二分
木通・茯苓・茵陳 各一銭 甘草 三分
【考察〈23〉】
Aの処方名「清蒸湯」は、「降蒸湯」が正しい。「清蒸湯」は、「降蒸湯」の一つ前の処方である。真斎先生も人間である、膨大な処方を収集しているのであるから、たまにはこのようなケアレスミスもするであろう。
その他は、A・B・Cともにほぼ同一であるといえよう。
6-3 ○「正心湯」について
《○ 内湿・黄疽ハ、腎ノ預リ。》 〔全・十五、415頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・オ)
○ 正心湯 治前症蒸汗黄染衣煩渇者
当・芍 各二銭
●〔クサカンムリに下〕・麦冬(*)・梔 各一銭二分
芪 一銭半 沢・猪 各一銭三分 通・甘 各一銭
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.407、原文より引用)
○ 正心湯 治黄疸入心蒸汗而黄染衣煩渇者
当・芍 各二銭
生●〔クサカンムリに下〕・麦冬(*)・巵 各一銭二分
芪 一銭半 沢・猪 各一銭三分 通・甘 各一銭
燈草 一団 水煎
感気和数ハ生ク、細数ハ治シ難キ也
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.182、原文より引用)
○ 正心湯 治黄疸入心蒸汗黄染衣煩渇者
当帰・芍薬 各二銭 生地・麦門・梔子 各一銭二分
黄耆 一銭半 沢瀉・猪苓 各一銭三分
木通・甘草 各一銭 燈心 水煎
若脉和数生細数難治
【考察〈24〉】
Bの「燈草」、Cの「燈心」は、ともに「燈心草」のこと。
B・Cの最後に「難治」とあるのは、注目される。神医・安藤昌益にも手に負えない病はあったのである。
7-1 ○「除湿湯」について
《○ 外湿・湿疫。 》 〔全・十五、407頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・オ)
○ 除湿湯 治湿疫
蒼・藿・夏・防・羌・荊・芷・細・茯 各一銭
甘 小 附 四分
以上 真営堂方也
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.398、原文より引用)
○ 除湿湯 治湿疫一般而感気沈細者
蒼・藿・半・防・羌・荊・芷・細・茯 各一銭
甘 少 和附 四分 生姜 五片 水煎
若シ頭甚ダ重キ者ハ葱白ヲ加フ
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.178、原文より引用)
○ 除湿湯 治湿疫同病一般脉沈細者
蒼朮・藿香・半夏・防風・羌活・荊芥・白芷・細辛・茯苓 各一銭
甘草 和附 生姜
【考察〈25〉】
Bが一番詳しく正確であると思われる。
Aの最後に、「以上 真営堂方也」とあり、真斎の稿本『自然真営道』からの引用は、ここでいったん終了する。
まず、この「以上」とは、どの処方までを指すのかが問題となる。私は、上記
の1-1から7-1までの全ての処方を指していると解釈している。1-1の処方名の次の「真営」という出典がそれを物語っているからである。本稿の第二部の
8-1の処方名の次にも「真営」と出典が示されている。この「真営」とは、稿本『自然真営道』が出典であるということであろう。
次に、「真営堂方也」をどのように解釈するかが、ここで問題となる。すなわち、この「真営堂方也」を稿本『自然真営道』の処方群と解釈するのか、それとも川村真斎が医院の号として「真営堂」を掲げていたので、その医院の「真営堂」で頻用している処方という意味を指すのか、という問題である。
真斎の弟子たちが記録したと思われる『真営堂雑記』(東京国立博物館蔵本)にも、稿本『自然真営道』から多くの処方群が引かれていることから考えると、「真営堂方也」とは、基本的には稿本『自然真営道』の処方群ということであるが、真斎の医院の弟子たちにも公開されていたという点では、真斎の医院「真営堂」で頻用されていた稿本『自然真営道』の処方群という解釈も成立するのではないだろうか。
川村真斎は、その医院「真営堂」において、稿本『自然真営道』の処方群を実際に使用して、その診療をしていたと見てよいであろう。
このように考えると、私には、川村真斎が浩瀚な『真斎謾筆』を作成し、さらには『進退小録』(東京国立博物館蔵本)をも作成したことの必然性が理解できるように思われる。
◎ 第二部 ◎
「1.はじめに」でも触れたように、上記、7-1、「除湿湯」までの原文は、
『 『日本名山図会』と川村寿庵 』(岩手県立博物館、平成20年)に写真版で紹介されている。
以下に紹介・検討する「8-1」(A・『真斎聚方』(197丁・ウ))からの処方群については、
これまでに紹介されているものはない。本稿により、初めて紹介されるものである。
8-1 ○「降気湯」について
《○ 内燥・傷食ハ肺ノ預リ也。 》 〔全・十五、369頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・ウ)
○ 降気湯 真営
枳・青・芍・麦冬(*)
当・橘・芩・梔
甘 少
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.359、原文より引用)
○ 降気湯 辛味之傷食感気浮数者主之
枳・青・芍・麦冬(*) 各一銭
当・陳・芩・巵 各八分
甘 少 水煎
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.163、原文より引用)
○ 降気湯 辛味傷食脉浮数者主之
枳実・青皮・芍薬・麦門 各一銭
当帰・陳皮・黄芩・梔子 各八分
甘 少 水煎
【考察〈26〉】
Aの「降気湯」の前に「真営」とあるのは、「第二部」の最初の処方と同様である。
Aの薬物には、分量の記載がない。以下の「第二部」の処方には、すべて記載されていない。
8-2 ○「解痰湯」について
《○ 内燥・欬嗽ハ皆肺病也。 》 〔全・十五、370頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・ウ)
○ 解痰湯
杏・麦冬(*)・芩・巵・貝
夏・桔・当・芍・甘
或加和附 少
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.360、原文より引用)
○ 解痰湯 痰嗽而感気剛数者主之
杏・麦冬(*)・芩・巵・貝 各一銭半
夏・桔・当・芍・甘 各一銭二分
和附 減半 姜・棗ヲ加へ 水煎
食後ニ服ス
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.163、原文より引用)
○ 解痰湯 痰嗽脉剛数者主之
杏仁・麦門・黄芩・梔子・貝母 各一銭
半夏・桔梗・当帰・芍薬・甘草
和附
【考察〈27〉】
Bが一番正確である。Cには、分量の記載がないところがある。
8-3 ○「貝桔湯」について
《○ 肺癰ハ・・・ 》 〔全・十五、372頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・ウ)
○ 貝桔湯 治咳唾膿血
貝・蔞・枳・杏
桔・薏・芩・芍
甘
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.362、原文より引用)
○ 貝桔湯 咳唾膿血感気動数者主之
貝・蔞・枳・杏 各一銭
桔・薏・芩・芍 各九分
甘 減半 和附 減半 水煎
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.163、原文より引用)
○ 貝桔湯 咳唾膿血脉動数者
貝母・瓜蔞・枳殻・杏仁 各一銭
桔梗・薏苡・黄芩・芍薬 各九分
甘草 和附
【考察〈28〉】
これもBが一番正確である。
8-4 ○「滋肺湯」について
《○ 内燥・淫病ハ、肺ヨリ発ス。 》 〔全・十五、373頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・ウ)
○ 滋肺湯
芍・当・蘗・麦冬(*)・●〔クサカンムリに下〕
白朮(*)・茯・干姜
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.362、原文より引用)
○ 滋肺湯 内燥淫病感気剛数者主之
芍・当・蘗・麦冬(*)・生●〔クサカンムリに下〕(*)・
白朮(*)・茯 各二銭
干姜 炒 五分 和附 微 水煎
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.164、原文より引用)
○ 滋肺湯 内燥淫病脉剛数者
芍薬・当帰・黄栢・麦門・熟地・白朮・茯苓 各二銭
干姜 五分 和附
【考察〈29〉】
これもBが一番正確である。
8-5 ○「降火止喘湯」について
《○ 内燥・喘息ノ諸病ハ、皆肺病也。 》 〔全・十五、374頁〕
A ・『真斎聚方』(197丁・ウ)
○ 降〔除〕火止喘湯
芩・巵・麦冬(*)・桑・芍
茯・当・杏・貝 甘 或加和附 少
B ・『真斎謾筆』(京大・富士川本、No.363、原文より引用)
○ 除火止喘湯 心火勝而肺燥者喘乍発乍止用食則胃口之気静故暫止
食気減則胃口之気発而乃起者主之
芩・巵・麦冬(*)・桑・芍 各一銭
茯・当・杏・貝 各八分 甘 少 和附 微 水煎
C ・『良中先生自然真営道方』
(杉玄達撰、内藤記念くすり博物館蔵本、No.164、165、原文より引用)
○ 除火止喘湯 心火勝肺燥者喘乍発乍止為食則胃口気静故暫止
食気減胃口気発乃起者主之
黄芩・梔子・麦門・桑白・芍薬 各一銭
茯苓・当帰・杏仁・貝母 各八分 甘草 和附
【考察〈30〉】
Aの「降火止喘湯」は、「除火止喘湯」が正しい。単純ミスであろう。
ここにおいても、Bの優位は揺るがない。稿本『自然真営道』の復元の際しての『真斎謾筆』の価値は絶大である。
Ⅲ むすび
ここで、以上の考察を全体的にまとめて、急いで無理に簡単に結論を出す必要はないであろう。なぜなら、本研究は川村真斎の資料と安藤昌益の稿本『自然真営道』との関連性についての、一部分的考察であるからである。
川村真斎の資料と安藤昌益の稿本『自然真営道』との関連性については、さらに追及する課題があると思われるからである。
しかし、「はじめに」でも触れた『真斎謾筆』の内容についての、八重樫新治氏の、「 「『真斎謾筆』が稿本『自然真営道』を書写したものだという説」に対して否定した 」、という見解については、私としては、異論を提出せざるを得ないと思う。
本稿の比較研究から、『真斎謾筆』は、稿本『自然真営道』の医学部門のほとんどの処方を含んでいるといえるからである。漢文を書き下しており、かつ真斎自身の感想・見解を述べているので、『真斎謾筆 医方ノ部』としたのであろう。
真斎の追加部分は、おおむね明らかになっており、昌益の語句表現を多少変えたとしても、その基本的な内容は受け継いでいるものと考えてよいのではないだろうか。
『良中先生自然真営道方』には、『真斎謾筆』にない内容があるので、100%のものではないにしても、『真斎謾筆』は稿本『自然真営道』の医学部門の80~90%程度の内容は十分に含んでいるのではないか、と私は思っている。
『真斎謾筆』と『良中先生自然真営道方』とを、統合することにより、安藤昌益の稿本『自然真営道』の医学部門については、かなりの程度の復元が可能であると言えると思う。
〔2018年4月15日、PHN(思想・人間・自然)、第30号、PHNの会発行〕
〔2018年4月15日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の医学の継承者である江戸の町医・川村寿庵と
蘭学者・杉田玄白、 および その周囲の人々
(江戸の考証学派の漢方医・目黒道琢ほか)
との交友関係などについて
Key words :
Ando Shoeki ,Kawamura Juan ,
Sugita Genpaku , Meguro Doutaku , Hori
Soyo
和田耕作
(Kosaku Wada)
・1 はじめに
安藤昌益の医学の継承者として知られる江戸の町医・川村寿庵(錦城、享保十六年〔一七三一〕?~文化十二年〔一八一五〕)については、『 『日本名山図会』と川村寿庵 』(岩手県立博物館 第60回企画展図録、平成20年10月)などに詳述されているが、これまで蘭学者・杉田玄白(享保十八年〔一七三三〕~文化十四年〔一八一七〕)と川村寿庵との交友関係については、昌益研究者たちにはまったく知られていなかった。
それはなぜであろうか。これまでの川村寿庵研究の基本文献は、森三の「川村寿庵とその名山図会」(『森銑三著作集』第十一巻所収)
などであった。森銑三は、永年にわたり寿庵の研究を進めていたが、それには、寿庵と杉田玄白との交友関係については、まったく触れられていなかったからである。
このたび刊行された松崎欣一著『杉田玄白 晩年の世界――『鷧斎日録』を読む』(慶應義塾大学出版会、2017年11月30日発行)には、川村寿庵と杉田玄白との密接な交友関係についての記述がみられるので紹介し、さらに『鷧斎日録』の刊行本などを参照しつつ、
玄白の周辺の人物たちと川村寿庵との交友関係、および目黒道琢の著書などにおける川村寿庵の処方、その他のことについても考察を進めてみたいと思う。
『鷧斎日録』の刊行本には、『杉田玄白全集 第一巻』(『鷧斎日録』、生活社、昭和19年11月)がある。この本の復刻版が『杉田玄白日記―鷧斎日録―』(蘭学資料叢書6、青史社、1981年10月)として刊行されている。
本稿では、『杉田玄白全集 第一巻』〔和田文庫蔵本〕により『鷧斎日録』を引用する。
なお、松崎欣一氏は、稿本の『鷧斎日録』などを底本としている。
・2 杉田玄白・柴野栗山・川村寿庵の交友について
実は、片桐一男著『杉田玄白』(人物叢書、昭和54年4月、4版、吉川弘文館)のなかには、すでに『杉田玄白全集 第一巻』(『鷧斎日録』)により、川村寿庵の名も示されている。
「 四 病論会
〈天明七年正月、産論会始まる〉
さて、あらためて玄白の(『鷧斎日録』を最初からみると、玄白が毎月一度「病論会」なる会合に出席していることがわかる。特に天明七年正月二十日の条には「産論会初」とあるから、この種の会合の初会であったものかもしれない。会の名称も当初は「産論会」「医者会」「医会」などといって、特に定まっていなかったが、やがて寛政元年から「病論会」に定着した様子である。
〈病論会の定日は毎月八日、のち十一日に変更〉
〈会場は会員の廻り持ち〉
医学上の集会であったようで、期日も初期の頃は毎月八日が原則であったようにみうけられるが、のち寛政九年の頃からは十一日に変更したようである。会場は会員の廻り持ちであったことが窺える。当然のことながら、わが玄白も何回か会場を自宅に引き受けて責任を果たしている。
〈病論会のメンバー〉
会員の名は全部を明確にしえないが、(石川)玄常・斯波栄碩・ 石□安哲・目黒道琢・川村寿庵・新富某・神戸周悦・加川某・新山某・利光・新城某・藤坂道恕・南前某・原長川某・山本済川・など十数名を数えている。いずれも医師であるが、必ずしも蘭方医ではない。専門流波を越えて、知識の交換が行なわれた模様である。特にこのうちでも川村寿庵や藤坂道恕・新城の各氏とは別に俳諧の会を度々開催している間柄であって、殊のほかうちとけた会員であったようだ。」(片桐一男『杉田玄白』、285、286頁)
片桐一男氏は、このように杉田玄白と川村寿庵との親しい関係について簡潔に述べている。漢方医である川村寿庵が、蘭学の大御所である杉田玄白と一緒に医学を論ずる会を毎月定期的に開いていたとは驚きである。両者の度量の大きさをみる思いである。
実は、これらのことは玄白からすれば、別に驚くものではないのである。玄白は、養嗣子の伯元を、京都の古方家から蘭学者となった
小石元俊(一七四三~一八〇八)のもとに遊学させている。さらに伯元を、当時京都の東堀川に住んでいた儒者・柴野栗山(一七三六~一八〇七)のもとに入門させ、漢学の素養を身に付けさせている。その柴野栗山は間もなく松平定信に招かれて江戸にのぼり、昌平黌の教授となる。すでに片桐一男氏が指摘しているように、杉田玄白と柴野栗山との交友は、相当に親しい関係であることがわかる。それは『鷧斎日録』のなかに頻出している「栗山先生」などの記載からも明らかである。そして、川村寿庵と柴野栗山もまたお互いをよく知る間柄であったことは言うまでもない。この柴野栗山が後に、川村寿庵が編集した『名山図譜』(一八〇五)、『日本名山図会』(一八一二)に序文を寄せることになるのはもはや必然的なのであった。
そして、栗山の序文は、川村寿庵その人の本領をとらえた余すところのない名文となっている。なお、その序文の内容については『 『日本名山図会』と川村寿庵 』、岩手県立博物館、第60回企画展図録などを参照されたい。
・3 松崎欣一著『杉田玄白 晩年の世界――『鷧斎日録』を読む』
のなかの川村寿庵
松崎欣一氏は、『鷧斎日録』の稿本類を直接に解読しつつ、川村寿庵ついて述べている。
「「日録」には川村寿庵の名は寛政元年正月十八日〔これは八日が正しい〕の条に「夜川村寿庵亭病論会」とあるのを初出として四十七件ほど記録されている。病論会の他とくに「俳会」への出席に関わるものが多い。
寛政九年の場合、全九件の内、俳会六件(一月十七日、四月二十八日、六月二十三日、閏七月六日、十月五日、十一月二十日)、病論会一件(四月八日)、その他「川村宴」とあるもの二件(五月十九日、同二十九日)である。
寛政十年十二月二日の条には「夜川村宴。秋月侯藩医館元正□死。前夜杯中之火と成ト云□□物語也」、また同月十一日の条には「川村病論会。肥前唐人瀬と云所にて先頃、和蘭船破損事と云」とある。秋月藩医館元正の死、あるいは和蘭船の難船などが話題になったようである。こうした会合の折に様々な情報が交換されたのであろうことが窺える。
享和二年三月には玄白の薩摩風邪罹患のことがあり、その治療処方記録の中に、「石川」の名とならんで「川村伝」などとして四回ほど名前が記録されている。また「川村宅篠崎宴」(寛政九年五月二十九日)、「道恕宴、川村送別」(享和元年七月十九日)などとも記されており、篠崎朴庵、藤坂道恕らとの相互関係もみることができる。
『甲子夜話』には川村寿庵について「風雅人にて、其人名山を好んで諸国を登渉せり。一年高野山に登りしとき」、「殊に芙岳を好み幾度か登れり」などとあり、「川村送別」というのは川村のそのような旅立ちの機会に催された宴であったかも知れない。」
(松崎欣一『杉田玄白 晩年の世界―『鷧斎日録』を読む』、122、 123頁)
松崎欣一氏は、『鷧斎日録』を丁寧に解読して、川村寿庵の記事が
「四十七件ほど記録されている。病論会の他とくに『俳会』への
出席に関わるものが多い」という。
松崎氏の言うように、「川村寿庵亭病論会」の初出は、「寛政元年正
月」であるが、「寿庵」の名は、すでに『鷧斎日録』に第一冊目の天
明七年正月十六日に条に「今晩目黒道琢方会席上談、寿庵曰・・・」
(4頁)として出ている。
その正月の二十日に「夜産論会初」とあるので、この会の始まりと
同時に『鷧斎日録』が書かれたものと思われる。その三月二十三日に
は「夜医会」とあり、しだいに「病論会」と呼ぶようになっていった
もようである。
これまでの川村寿庵の交友関係などについては、『 『日本名山図
会』と川村寿庵 』(岩手県立博物館 第60回企画展図録)に、「川
村寿庵関係図」(105頁)としてまとめられているが、このたび杉田
玄白の周囲の人々との交友関係が明らかとなり、「川村寿庵関係図」
は大幅な増補が必要となった。
・4 「病論会」の主なメンバーたちについて
杉田玄白と川村寿庵以外の「病論会」の主なメンバーたちについて
も、わかる範囲でみておこう。片桐一男氏と松崎欣一氏の挙げている
主なメンバーは、以下のとおりである。〔 〕内は、和田による。
《片桐一男》 《松崎欣一》
・(石川)玄常 ―――
・斯波栄碩 ・斯波栄碩
・石□安哲 ―――
・目黒道琢 ・目黒道琢
・川村寿庵 ・川村寿庵
・新富某 ―――
・神戸周悦 ・神戸周悦
・加川某 ・加川〔子慶〕
・新山某 ・新山
・利光 ・利光
・新城某 ・新城
・藤坂道恕 ・藤坂道恕
・南前某 ・南前
・原長川某 ・原長川
・山本済川 ・山本済川
――― ・家城
――― ・新家〔玄常〕
――― ・所
両氏の挙げているメンバーの異動で、特に注目すべきは、「(石川)玄常」と
「新家」である。〔以下、『杉田玄白全集 第一巻』(『鷧斎日録』)の頁〕
・「新家玄常宅集坐談」(8頁)
・「石川振舞」(10頁)
・「夜玄常宿」(25頁)
・「新家玄常宅集」(41頁)
・「西川玄常宿」(42頁)
・「新家□□会」(70頁)
実は、このように「新家玄常」「玄常」「石川」などが、混在してお
り、これをどのように解釈するかで、氏名の挙げかたに異動が生じて
いるのである。私としては、「石川玄常」はメンバーではないかもし
れないが、次節でみるように、川村寿庵とともに「玄白への治療」行
為をしているとみられるところから、ここに含めて論じておきたい。
片桐一男氏の新著『杉田玄白評論集』(勉誠出版、2017年5月刊)
には、「病論会」の主なメンバーとして「玄常、斯波栄碩、石□安
哲、目黒道琢、川村寿庵、新富、神戸周悦、加川、利光、新城、藤坂
道恕、南前、長谷川、山本済川、新家など」(220頁)とあり、玄常
の前にあった「(石川)」が削除されている。「長谷川」は、「原長川」
の誤植と思われる。
・杉田玄白・・・蘭学者、『解体新書』訳者
われわれはこれまで、玄白の医学思想のなかの、漢方の位置づけについて、
十分に認識してこなかったのではないか。玄白は次のように述べている。
「上代の周のころは、まだ医学の道もきちんとしていて、疾医(内科)と瘍医(外科)
とがちゃんと分れていた・・・宋・元の時代になって・・・『千金方』とか『外台秘要』
とかの古医書にとりついて外科を立てたものですから、外からの治療の術はかえって
下手になったように思われます。
しかしそうはいっても、内療に関してはシナほど進んでいるところはあるまい、
さいわい日本にはオランダの膏薬や油薬また手術法も少々は伝わっているから、それを主にし、
さらに各家に伝わった秘方で自分が覚えた分はみな公開していっしょにし、そのうえに内療の
ほうはシナの医書によるにしても、日本伝来の妙薬なども加え、それら全部をひとつにまとめて
漢文にし、日本一流の外科をうちたててやろうと、若いころから心がけてまいりました。
・・・根太(ねぶと)・腫物(はれもの)・吹出物といった古い言葉の意味を生かして部門分け
をし、およばずながらシナ人にまでもわが日本流の外科をさせてやろうというつもりで著述
を企てまして、草稿が七、八巻ほどできあがりました。」
(「和蘭医事問答」のなかの玄白から建部清庵への答書、芳賀徹訳、『日本の名著22、
杉田玄白・平賀源内・司馬江漢』より引用)
ここには、蘭学と漢方の両方から、新しい外科学を打ち立てようと
する杉田玄白の思想がにじみでている。蘭学者・玄白が、川村寿庵や
目黒道琢らの漢方医たちと「病論会」を行うことは、何ら不思議なこ
とではないのである。これまでの科学史研究では、蘭学者と漢方医と
を対立的にとらえてきた傾向があると思われるが、これについては
とらえ直しが必要ではないだろうか。
・川村寿庵(錦城)・・・漢方医(町医)
青森県三戸生まれ。名は元善、字は子長、号は錦城。安永二年
江戸にのぼり安藤昌益(二代目)のもとで稽古、後に昌益の師・川村快庵
に入門する。快庵没後娘婿となり、川村家を継ぐ。
寿庵には『医真天機』(京都大学富士川文庫蔵)、『錦城先生経験方』(内藤記念
くすり博物館蔵、舟山寛写、文化五年写)などがあり、『錦城先生経験方』には安藤昌益
の処方として知られる「安肝湯」が記載されている。寿庵の次男の博(真斎、一七八四~
一八五二)もまた、安藤昌益の稿本『自然真営道』の医学部門の内容を記述した『真斎謾筆』
など多数の昌益医学関連資料を残している。〔『 『日本名山図会』と川村寿庵 』
(岩手県立博物館 第60回企画展図録)、「2009安藤昌益研究発表会記録集」(調べる会
、2009)に詳しい。〕
《「川村別荘」のこと》
このたび『鷧斎日録』を詳細に見ていたら、享和二年三月の玄白の
「薩摩風邪」罹患後の五月十一日に「川村別荘病論会」(501頁)と
ある。その年の十二月十二日には「川村別荘へ参」(515頁)、享和三
年正月十三日には「昼 川村別荘宴」(524頁)、享和三年十月十八日
には「川村別荘宴」(553頁)、とある。
この「川村別荘」の場所は不明であるが、寿庵は隠居後(文化初年
ころ)に「北本所番場町」に住んだということなので、「川村別荘」
の場所は「北本所番場町」であろう。
・石川玄常・・・蘭学者
『解体新書』に杉田玄白・中川淳庵とならんで、「東都 石川玄常世通 参」とある。
石川玄常の「事績については、太田錦城が撰した墓誌銘によってみる以外に
その資料を持たない。それによれば、石川玄常は延享元年(一七四四)二月二十八日
生まれ、・・・京師に遊学して高名の医と交わって学んだとある。・・・天明八年
に一橋公(徳川治済)の召しに応じて侍医となり、文化十二年(一八一五)正月
二十八日、享年七十二をもって卒したとみえる。」
(片桐一男『杉田玄白』、174頁)
片桐一男氏が、「(石川)玄常」(前出の引用部分参照)と石川をカッコに入れている
のには、理由がある。『鷧斎日録』の「天明七年七月八日」のところに「夜玄常宿」
とあるからである。毎月八の日は「病論会」のある日であるから、ここには「病論会」
と記されていないが、片桐氏は、石川玄常を「病論会」のメンバーと推測したようである。
しかし、松崎欣一氏は「病論会」のメンバーとして、石川玄常の名を挙げていない(前述、
参照)。「病論会」の会場は、メンバーの持ち回りであるが、石川玄常宅で開かれたという
ような記録がないからである。私も、石川玄常は「病論会」の正式なメンバーではないと
思っているが、次節でみるように、享和二年三月、杉田玄白が「薩摩風邪」に罹患し、
病勢がさらに悪化した時、『鷧斎日録』に「十五日 石川 回陽返本湯 同 川村 丸□□」
とあるように、同じ十五日に石川〔玄常?〕と川村寿庵のふたりがいち早く駆けつけて、
玄白への治療を行っているとみられるこのことから、石川〔玄常?〕と川村寿庵は、
知己の間柄であると考える。石川〔玄常?〕は「病論会」の正式なメンバーではないかも
しれないが、玄白のグループの重要な人物として、ここに含めることにした。
・目黒道琢・・・江戸考証学派の漢方医
目黒道琢(元文四年〔一七三九〕~寛政十年〔一七九八〕)の事
蹟については、『近世漢方医学書集成107 目黒道琢』(名著出版、
昭和58年)の「解説」(小曽戸洋)に詳しい。これによると、目黒道琢
(号、飯溪)は、会津の人、二十歳で江戸に出て医術を究め、多紀藍溪の
推挙により、医学館の教授となり医経を講じたという。寛政三年まで、白河侯
(松平定信)に仕えた。著述は、『素問』『霊枢』『難経』『傷寒論』などの
注解書など多数に及んでいる。
『近世漢方医学書集成107 目黒道琢』(名著出版)には、『餐英館療治雑話』
『驪家医言』などが収録されている。
矢数道明は、『臨床応用 漢方処方解説』(創元社)の「凡例」において、
「先人の口訣書では、『勿誤方函口訣』(浅田宗伯)と『餐英館療治雑話』
(目黒道琢)『医方口訣集』(長沢道寿)の三書が最も理解しやすく、記述も
妥当のように思われる」として、『餐英館療治雑話』から多数の引用をしつつ、
漢方処方の解説をしている。
後述するように、このたび目黒道琢の著書から川村寿庵や堀
宗與らの処方を見つけることができたことは、大きな収穫であっ
・《その他の医師たち》
・斯波栄碩・・・漢方医
・神戸周悦・・・漢方医
この二人も、享和二年三月、杉田玄白が「薩摩風邪」に罹患し、病勢が
さらに悪化した時に、玄白への治療をおこなっていることが、『鷧斎日録』
にみられる。「十九日 ・・・斯波伝」「二十日 ・・・神戸 ・・・斯波」
「二十三日 ・・・永〔栄〕碩」とある。
・藤坂道恕・・・漢方医
松崎欣一氏は、「藤坂道恕宅諸会合」(123頁)の表を作成して
いる。これによると藤坂は、「病論会」「俳会」「軍会」「源氏会」
「道具会」など、一番多くの会に参加していることがわかる。
その宅には、薬草園もあったようである。玄白とは相当に密
なる交際があった人である。
・山本済川・・・漢方医
このたび、山本済川には下記の著書があることが判明した。
『古方要訣』(一冊)、天明二年刊本(刈谷市立中央図書館
村上文庫蔵、全面複写で九十九枚)
山田正珍(図南、一七四九~一七七九)による序文がある。
山田は、儒学を山本北山に学び、大田錦城とは同門である。
亀田鵬斎らとも交友があった。『傷寒論集成』、『傷寒考』な
どの著書がある。
『古方要訣』の巻頭に、次のようにある。
「 下毛 済川山本源繕著
男 山本公輿校 」
『古方要訣』の構成は、以下のとおりである。
「古方要訣巻一」・・・(総論)
「古方要訣巻二」・・・(各論、病症論)
「古方要訣類方」・・・(古方処方をイロハ順に分類)
奥付けには、「 丹方彙編 近刻 」
「 東武書肆 野田七兵衛 」 とある。
内容的には、山田正珍学派の傷寒論集といえるだろう。
・加川〔子慶〕・・・漢方医
このたび、「加川子慶」の処方が、目黒道琢の著書『驪家医言』(東大鶚軒本)
および『驪家医言抄書』(杏雨書屋所蔵)〔ともに『漢方医学書集成107
目黒道琢』に収録、同一の処方〕にあることがわかった。
《加川子慶の処方》・・・「截瘧方 加川子慶 」 〔詳細略〕
・5 川村寿庵(錦城)の杉田玄白への治療処方の実際
享和二年三月、七十歳の杉田玄白は、十二日の「病論会」に出席し
て、蕎麦を食べる。その後、高熱を発し、吃逆(ひゃっくり)や嘔気
(はきけ)なども加わり、「薩摩風邪」に罹患し、病勢がさらに悪化
した。二十日、二十一日には、ついに「人事不省」におちいってしま
うほどの大病となる。
このとき、玄白の治療にあたったのが、「病論会」の面々であった。
その治療処方記録の中には、「石川」らの名とならんで「川村伝」な
どとして四回ほど川村寿庵の名が記録されている。その日記の「欄
外記事」の部分を、『杉田玄白全集 第一巻』(『鷧斎日録』)から引い
ておこう。(□は文字不明部分、〔 〕内は和田による。)
「十三日朝 麻黄湯 同昼 九味羗活湯 同晩 竹〔葉〕石膏湯
十四日朝 柴胡加龍骨牡蠣湯 十四日昼 川村傳 青□・山椒・
甘草 右 水煎 同 麦門冬湯
十五日 石川 回陽返本湯 同 川村 丸□□
十六日 川村 施覆花代□□湯 □鍚丹
十七日 同 川村傳 附子末鹽 右□□炒り袋に盛り胸上を
蒸す
十八日 前方 」
(『杉田玄白全集 第一巻』〔『鷧斎日録』〕、497頁より引用)
川村寿庵(錦城)の処方集としては、『錦城先生経験方』(内藤記念
くすり博物館蔵、舟山寛写、文化五年写)などがあり、これには安藤
昌益の処方として知られる「安肝湯」が記載されている。
上記の『鷧斎日録』の処方と『錦城先生経験方』にある処方とを比
較してみよう。(以下の『錦城先生経験方』の丁数は見開きの左頁下
の数字によるもの)
【『鷧斎日録』】・・・・【『錦城先生経験方』にある処方の丁数】
・麻黄湯・・・・・・(第二丁にあり、『傷寒論』の処方)
・九味羗活湯・・・(第三十二丁にあり、羗活湯、『万病回春』の処方)
・竹〔葉〕石膏湯・・・(第十丁に「石膏散」とあるが、「右細末白湯送下」
とあるので、「竹〔葉〕石膏湯」〔『万病回春』の処方〕と同じ処方であろう。)
・柴胡加龍骨牡蠣湯・・・・(第二十四丁にあり、『傷寒論』の処方)
・麦門冬湯・・・・・(第十丁にあり、『金匱要略』の処方)
・附子末鹽・・・・・「塩附子」のことであろう。
以上から、これらの『鷧斎日録』の処方は、川村寿庵(錦城)が日
ごろの診療・治療に用いていたものであることがわかる。
なお、「石川〔玄常?〕」による「回陽返本湯」とは、「回陽救急湯」
(『万病回春』の処方)のようなものではないかと思われる。「回陽」
とは、精気をとりもどすことである。
・6 目黒道琢の著書『驪家医言抄書』(杏雨書屋所蔵本)に収載され
ている川村寿庵(錦城)の処方
このたび、川村寿庵(錦城)の処方が、目黒道琢の著書『驪家医言
抄書』(武田科学振興財団杏雨書屋所蔵本)〔『漢方医学書集成107
目黒道琢』に収録〕にあることがわった。
《川村寿庵(錦城)の処方》・・・・・
「治婦人淋疾 河村壽菴
芩々香 中 海螵蛸 小 柚皮 大 甘草 小 水煎 」
目黒道琢の著書『驪家医言抄書』に川村寿庵(錦城)の処方を発
見することができたことには、大きな意義がある。これは寿庵の
臨床家としての実力を証明しているからである。
・7 安藤昌益の高弟・神山仙確の義兄・仙悦が弟子入りした
江戸の医師「堀 宗與」とその処方について
――目黒道琢の著書『驪家医言』『驪家医言抄書』にみられる
「堀 宗與」の処方
安藤昌益の高弟・神山仙確の義兄・仙悦が弟子入りした江戸の医師
「堀 宗與」の事蹟については、これまでまったく不明であった。
このたび、目黒道琢の著書『驪家医言』『驪家医言抄書』の中に、
「堀 宗與」の処方を見つけることができたので引用しておきたい。
《堀 宗與の処方》・・・・・
〔『驪家医言』と『驪家医言抄書』の両著にみられる処方〕
「○ 安鎮丸 治癲癇 堀 宗與傳
紫河車 一両 菎蒻根 二分(陰干) 角石 甘草 各七分
右四味黒霜加麝香 二分 再合分七服日一貼煎服
服後欲知愈者可喰菎蒻不除勿発 」
「○ 治酒疽及一切酒客病 堀 宗與
黄連 黄芩 各三分 大黄 二分 半夏 三分
甘草 小 枳棋子 五分
右六味水煎服 為散白湯下 尤佳 」
「○ 治疳湯 治疳癖 堀 宗與
野蚕殻 一● 大黄 二● 青黛 五● 紅花 五分
甘草 右以三合煮減半 分温服 」
〔●は「浅」から「さんずい」を除いた字〕
「堀 宗與」については、今回、この三処方が見つかっただけで、
その他の事蹟については、「外科」医とあるのみでまったく不明であ
る。
神山仙確の義兄・仙悦(宗仙)は、享保十二年に江戸にのぼり、外
科医「堀 宗與」に入門する。しかし、享保十五年には、「堀 宗與」
のもとから「出奔」している。
仙悦は、その後「古川宗錢」と名乗り、深川あたりに住んでいたと
いう。元文二年に「出奔」の罪を許され、明和三年には八戸藩への出
入りも許されている。また、「古川宗眠」などとも名乗っている。(野
田健次郎「神山家について」、および「八戸藩日記」を参照した。『安
藤昌益全集』〔校倉書房刊〕第十巻所収による。)
また、「八戸藩日記」には、元文五年(一七四〇)九月八日の条に
「堀宗与悪事付審、逆意の族」などとあるという(松尾政重「安藤昌
益と神山家のひとびと」、「調べる会通信」第3号、2004年11月)。
この江戸の医師「堀 宗與」の事蹟については、さらなる探索が必
要である。御縁のある方々からのご教示をお願い致したい。
・8 むすび
このたび、松崎欣一著『杉田玄白 晩年の世界――『鷧斎日録』を読む』(慶應義塾大学出版会、2017年11月30日発行)を入手したのをきっかけに、川村寿庵と杉田玄白との密接な交友関係、および目黒道琢の著書などから、寿庵や安藤昌益の高弟・神山仙確の義兄・仙悦が弟子入りした江戸の医師「堀 宗與」の処方などを見つけることができたことは、誠に幸いであった。
玄白の『鷧斎日録』は、すでに昭和19年に刊行されていたが、これに「川村寿庵」の名が出ていることに気づくことがなかったのは、その本と片桐氏の本もともに所蔵していた自分自身にも反省すべき点があったのかも知れない。これらに目を向けさせていただいた松崎欣一先生にこころからの感謝を申し上げたいと思う。
〔脱稿:2017年12月18日、和田耕作〕
〔2018年1月1日、PHN(思想・人間・自然)、第29号、PHNの会発行〕
〔2018年1月1日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の門人・志津貞中〔大坂・西横堀の住〕=
志津大二郎の著書『四聲占考』の発見とその考察
ANDO SHOEKI and SIZU TEICYU(=DAIJIRO)
和田耕作
(Kosaku Wada)
1 はじめに――志津大二郎の著書『四聲占考』の発見
私は、かつて「安藤昌益の門人・志津貞中について――大阪の医師・
志津大二郎」(「安藤昌益研究会会報」十三号、一九八三年十月、拙著『安藤昌益の思想』
〔一九八九、甲陽書房〕に収録)を発表し、昌益の門人・志津貞中は、大阪の医師・志津
大二郎である可能性が高いことを述べた。その後、多くの研究者たちが「志津貞中=志津
大二郎」説を採用し、今日に至っている。例えば、萱沼紀子『安藤昌益の学問と信仰』
(一九九六、勉誠社、81頁)など。
上記の拙論において述べたように、大阪の医師・志津大二郎には、『四聲占考』と
『素問入式運気解』の二冊の著書があったことが書籍目録から判明していた。しかし、
これまでにこれら二冊の著書は、発見されていなかった。
私はこのたび〔2017年6月13日〕、早稲田大学図書館「千厓文庫」から『四聲占考』
を発見することができたので、以下に紹介したい。
なお、上記の拙論を一読していただいてから、以下を読んでいただければ、
さらに理解の助けとなるであろう。
2 『四聲占考』の構成と目次
『四聲占考』(一冊、早稲田大学図書館千厓文庫所蔵)は、タテ143ミリ×ヨコ57ミリ
の小和本(四十四丁)である。
著者名は「華陽散人」と記されているが、すでに「上記の拙論」において述べたように、
大阪の医師「志津大二郎」の著書である。
なお、『享保以後江戸出版書目』では、作者として「花陽散人」とある(上記の拙論参照)
が、正しくは「華陽散人」であることが明らかとなった。
『四聲占考』の構成は、以下のとおりである。〔表=オ、裏=ウ〕
・占考題言(せんこうだいげん)・・・・〔表紙のウラ〕
・四聲占考 叙・・・・・〔一丁オ~二丁オ〕
・凡 例・・・・・・・・〔三丁オ~五丁ウ〕
・四聲占考 目録・・・・・〔六丁オ~七丁ウ〕
・本文・・・・・・・・・・〔八丁オ~四十三丁ウ〕
・跋・・・・・・・・・・・〔四十四丁オ~四十四丁ウ〕
・奥付・・・・・・・・・・〔裏表紙の前〕
跋文に「宝暦六 丙子歳 仲呂 門人 惟齊 識」とある。
奥付は、以下のとおりである。
「 臨玄堂蔵版
宝暦六 丙子 霜月 出版
大坂 博労町心斎橋筋
発行書林 西田屋利兵衛
同 清水町三体橋筋
本屋 又兵衛 」
「西田屋利兵衛」は、大坂にて、宝暦七年四月から安永二年三月まで営業。(『享保以後板元別
書籍目録』坂本宗子編、清文堂出版刊、昭和五十七年による。以下、「版元別書目」と略称す。)
『享保以後江戸出版書目』では、『四聲占考』の板元として「西村や利兵衛」とある(上記の拙論参照)。
しかし、「西村や利兵衛」の出版物は、『四聲占考』のみであることから、これは多数の書籍を刊行して
いる「西田屋利兵衛」が正しいことが、本書により明らかとなった。
「本屋又兵衛」は、延享四年七月から文化四年四月まで、大坂島之内綿袋町・博労町にて営業
(「版元別書目」による)。本書の発見により、これに「清水町三体橋筋」を追加すべきである。
◎本文〔八丁オ~四十三丁ウ〕の目次◎
〔Ⅰ〕
一 音(おん)は天に生ずるの事 並 図
〔八丁オ~九丁オ〕
一 声(こえ)は地に成るの事 並 図
〔九丁ウ~十丁ウ〕
一 音と声とにて考がへ様(よう)の事
〔十一丁オ~十二丁オ〕
一 いろはにて四声(しせい)の事
〔十二丁オ~十三丁オ〕
〔Ⅱ〕
一 人事(じんじ)の考へ 並 失物(うせもの)の事
〔十四丁オ~三十六丁ウ〕
〔Ⅲ〕
一 四声 五調子と為(な)るの弁 並 図
〔三十七丁オ~三十八丁オ〕
一 五調子より十二調子を生ずるの事
〔三十八丁オ~三十八丁ウ〕
一 十二調子の弁
〔三十八丁ウ~四十丁ウ〕
一 十二調子にて日々の吉凶の事
一 十二調子にて天時(ひより)の考へ
一 十二調子にて一切(いつさい) 進退・動静の事
〔四十丁ウ~四十三丁ウ〕
本文は、以上のように〔Ⅰ〕〔Ⅱ〕〔Ⅲ〕に分けられ、〔Ⅱ〕の「人事の部」
〔十四丁オ~三十六丁ウ〕が、その中心を成している。
3 『四聲占考』の内容と安藤昌益との関係について
巻頭の「占考題言」には、本書の目的が簡潔に述べられている。
「四声の占(うらなひ)は、調子にては運気を考へ、音(おん)にては吉凶を察す。
今日 他(た)より人来(きた)る 其の発語(はつご)の一言(ごん)を得(とり)、
いろはにて 平(ひょう)・上(じょう)・去(きょ)・入(にゅう)の四声(しせい)
を分ち 其の日の十二支に合せ考(かんが)ふなり。」
「四聲占考 叙」では、以下のように「天地自然ノ道理」や「天地ノ自然ニ任(まか)ス
所以(ゆえん)」と、「自然」が強調されている。
「天 至リテ 而シテ 音(おん)ヲ布(ほどこ)シ、
地 之レヲ受ケテ 而シテ 声(こえ)ヲ発ス。
是レ 天地自然ノ道理ニシテ 而シテ 一言(ごん)ノ下(もと)ニ 其ノ肝胆ヲ 察ス。」
「我が 朝、 四声ヲ以テ 五十音ニ分ツ。
蓋シ 四声ニ於ル 開閉ノ五品 存(あ)リ。
是レ 五行ニ配シ、十干・十二支ニ合ス。
剋限ヲ以テ 相生・相剋ヲ別(わか)チ 万緒(よろづ)ノ吉凶ヲ考(かんが)フルニ、
毫厘モ 差(たが)フコト無シ。
是レ 私智ヲ以テ 焉(これ)ヲ推(お)スニ非ズ。
天地ノ自然ニ任(まか)ス所以(ゆえん)なり。」
このように「自然」というものを強調している点は、安藤昌益の思想につながるものを見ることが
できる。しかし、本書全体の中に、いわゆる「昌益用語」と言われるものはみることができない。
だからといって、「志津貞中」=「志津大二郎」説が否定されたわけではない。なぜなら、昌益の
刊本『自然真営道』(宝暦三年)と本書『四聲占考』(宝暦六年)の成立時期は、ほぼ同時期であり、
『四聲占考』は、「志津貞中」=「志津大二郎」が昌益思想の本格的影響を受ける以前の著作と
考えられるからである。
門人の跋文には、
「此の書は 先生 﨑港(きこう)に於て 伝授す。
日々に用いて 疑心 既に亡び 信を存(そん)して 長生す。
茲(ここ)に於て 門人某 梓(あずさ)に鋟(ちりば)め
諸人 日用彜倫(いりん)のため 弘(ひろ)く世に行
(おこな)はれんことを希(こいねが)ふこと、年久し。」
*﨑港(きこう)=長崎港
*鋟梓(しんし)=上梓
*彜倫(いりん)=人の常に守るべき道。
とあり、その内容の成立から刊行までには、相当の年月が経過していることがわかる。
4 まとめ
このたび発見された志津大二郎著『四聲占考』(宝暦六年)には、安藤昌益の思想に直接
結びつくものは見当たらない。だからといって「志津貞中」=「志津大二郎」説が、
ゆらぐものでもない。
本書は、本邦においてこの一冊のみが確認されたもので、他に見ることのできない資料
であることから、貴重なものであることはまちがいない。
「声占い」というユニークな分野の先駆的著作としても、今後活用されるべきもの
である、ということを指摘して、本書の紹介を終わりとたい。
〔2017年8月1日、PHN(思想・人間・自然)、第28号、PHNの会発行〕
〔2017年8月1日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
安藤昌益の稿本『自然真営道』を所蔵していた北千住の
橋本律蔵が浅倉屋から入手した文雄の『非出定後語』
の「原本」(橋本律蔵旧蔵本、律蔵自筆の「識語」あり。)
の発見について
和田耕作
(Kosaku Wada)
・【 目次 】
1 はじめに
2 橋本律蔵が浅倉屋から入手した文雄の『非出定後語』の
「原本」(橋本律蔵旧蔵本、律蔵自筆の「識語」あり。)
の発見
3 橋本律蔵旧蔵『非出定後語』の「副本」(亀田文庫本)の
先行研究の検証
1)川原衛門『追跡 安藤昌益』(1979年5月、図書出版社)
について
2)新谷正道「紹介 橋本律蔵関係資料について」
(「安藤昌益研究」第5号、1992年8月)について
3)稲葉克夫『八戸の安藤昌益』(平成14年3月、八戸市発行)
における橋本律蔵の「識語」の検証
4 橋本律蔵旧蔵『非出定後語』の「原本」について
5 橋本律蔵自筆の「識語」発見の意義と『雑記』の著者の検証
6 《付論》 三村竹清『随筆 佳氣春天』(書物展望社、昭和10年)
に引用されている「橋本律蔵旧蔵の『出定後語』への書入れ」に
ついて
〔2016年10月30日、PHN(思想・人間・自然)、第27号、PHNの会発行〕
〔2016年10月30日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕
〔2015年3月30日、PHN(思想・人間・自然)、第25号、PHNの会発行〕
〔2015年3月30日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕