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石原純



                  石 原  純

 
                         ISHIWARA  JUN

                                      (1881-1947)






                        ◎ 謹告 = 「 so-net 」 の 「 PHNの会ホームページ 」 は、2021年1月28日を もちまして 「 終了 」 となりました。
 







         理論物理学の開拓者 ・ 石 原  純



         口語自由律短歌の創造者 ・ 石 原  純



          昭和の怪物 ・ 石 原  純 





                                      

             ◇ 石原 純は、わが国における理論物理学の揺籃期に、アインシュタインに相対性理論など

                を学び、その後 量子物理学の領域で優れた業績を挙げた 理論物理学の開拓者である。

                われわれは、ノーベル賞学者・湯川秀樹朝永振一郎の前に、石原 純の先駆的な存在が

                あったことを忘れてはならない。



                また、石原 純は、アララギ派の重鎮として 短歌の世界でも知られ、 その後  いわゆる

                「 新短歌 」 ( 口語自由律短歌 ) の創造を成し遂げ、作歌と短歌理論の構築に専心した。



                石原 純の著作は、物理学、科学史、科学啓蒙書、児童科学書など 広範囲にわたっており、

                まさに 「 昭和の怪物 ・ 石原 純 」 と言われるに ふさわしいものである。

                







                ◇ 【 和田耕作による 石原 純 関連著作の ご案内 】 ◇



                       ・ 和田耕作 著 『 石原 純 ―― 短歌と科学の人生

                  
                       ・ 和田耕作 編 『 石原 純 全歌集

                       ・ 和田耕作 編 『 石原 純 歌論集

                       ・ 和田耕作 編 『 石原 純 随筆集

                         

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                       ・ 和田耕作 著 「 石原 純 と小倉金之助 」

                       ・ 和田耕作 編・追補 「 石原 純 自筆年譜 」

                          〔 小倉金之助研究会編 『小倉金之助と現代』 第四集、所収 〕


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 『 PHN (思想・人間・自然) 』 第25号  (2015年3月) 〔Web版〕 ・・・〔復元版〕



 ・・〔新原稿(2023年2月)による復元版〕・・

  ・【旧原稿による復元版は省略】






     PHN  第25号  PDF版


     phn25jun.pdf へのリンク  




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・石原純新短歌鑑賞

 ――『新短歌』の時代から――

 

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   和田耕作





【解題】

・『PHN(思想・人間・自然)』第25号(2015年3月)の「石原純

新短歌鑑賞」の復元版を20232月に「新原稿」により作成した。

・以下の石原純の新短歌などは、『石原純全歌集』(和田耕作編、2005

ナテック刊)より引用した。

 



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・ 実証論        (昭和12年)

照るための 陽ではない、

夜を つくるための 昼なのである。

〈二つの手〉の存在を実証せよ。

 

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・この作品については、石原純による「自歌自釈」がある。

 「自分の二つの手は互ひに反対の側にありながら、それらはい

つも争ふことなく協力する。それは同一の自分に属するから

である。それと同じやうに同一の社会や同一の国家に属する

か人々は、たとへ互ひに反対の立場に立たうとも恰も〈二つ

の手〉のやうに互ひに協力すべきであり、またその協力が実

証されなくてはならないのである。」〔『石原純全歌集』、p175


・このような解釈に読者が、たどり着くのは至難の業であろう。

 だが、例えば三浦梅園の「侌昜」論を あてはめてみると、

石原純の自釈は、よく理解できる。「昼と夜」「男と女」などは、

「侌昜」の一例である。「男と女」の協力なくして、人間社会

は成立しない。

 

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・ 戦争心理      (昭和13年)

 粥のやうな軟らかさ、なめし皮のやうな硬さ。

 さて 現代の世界は、そして人間は、

 とかく自分を 主義でいろ別けする。

 

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・「主義でいろ別けする」との状況は、現代でもあてはまる。

 今日でも、「人間」たちには「進歩」がないような「分断」と

 いうものが蔓延しているありさまである。

 

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・ 果てしなく世界は乱れる (昭和14年)

 人間は ふしぎにも愚かな生き物である。

 知らぬ間に 魔法の色硝子を もたされて、

 お互ひを透き見しながら 争ひあつてゐる。

 

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・前作品を受けて、「人間は ふしぎにも愚かな生き物である。」と

言われると納得である。石原純の作品は、これまで評価されずにき

たが、今日、再評価の時を迎えていると言えるであろう。

 

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・ 運 命          (昭和14年)

 開かれた窓より、

 閉ざされた窓の かなたにこそ

 この世の神秘はある と云ふ。

 かくて人間は 人間を欺いてゐる。

 

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・「人間は 人間を欺いてゐる。」との言葉も、実に今日的である。

 現代の犯罪の本質は、まさに人間が「人間を欺いてゐる。」結果

 のほかならない。



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・  雲            (昭和15年)

 雲の瞑想は 神秘である。

 神々のけだかい 毛ごろものやうな

 雲のすがたよ。

 

 雲は 時刻(とき)を知らない。

 ふと生まれて、やがて消え失せ、

 でも、常に悠々と 心伸びやかである。

 

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・「雲」の一篇には、「詩人・石原純」のすがたがある。石原純は、

 新短歌において、なによりも「詩的精神」を探究しつつ、表現し

 たのであった。

 

・山村暮鳥の詩「雲」は、あまりにも有名である。石原純の念頭に

 は、暮鳥の詩のイメージがあったのかもしれない。

・また、「雲」は、いつの時代にも詩的表現の頂上にあった。

 

・夏目漱石の最期の漢詩でも、「雲」〔「白雲」〕は、その詩の核心で

 あった。


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  眼耳双忘身亦失 〔眼耳 双つながら忘れて 身も亦た失い〕

  空中独唱白雲吟 〔空中に独り唱う 白雲の吟〕

           (吉川幸次郎著『漱石詩注』、岩波文庫より)

 

・「野の詩人・堀井梁歩」を、追悼した江渡狄嶺の漢詩の一部も

 ここに挙げておこう。

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  醇質似対名月   〔醇質は名月に対するに似て〕

  詩心似見白雲   〔詩心は白雲を見るに似る〕

(江渡狄嶺著『地涌のすがた』、青年書房刊より)

 

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・〔『PHN(思想・人間・自然)』 第25号、2015年3月〕

・〔2023年2月25日、新原稿により復元版を作成、PHNの会〕

 ・〔新原稿:2023年2月21日、和田耕作(C)、無断転載厳禁〕

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