確かなこと

(平成21年6月6日)

   この世の中で絶対的に確かなことはあるだでしょうか。つまり、確率1の命題があるでしょうか。現実の世界ではニュートン力学ですら、アインシュタインの相対性理論によって成立する限界を付けられたという歴史的事実もあります。

 実世界のことは絶対的に眞である命題は無いとして置く方が良さそうです。しかし、現在の知識で十分確かだということは多いのです。命題「明日も太陽は昇る」は十分確かなことです。確かさ0.999999以上と言って良いでしょう。

 信じてよいことは十分確かなことです。命題が真である確かさが、例えば、0.999999以上である場合です。確かさが0.999999以上ある命題は、むしろ疑うより信じた方が良いのです。信じるということは、もう疑いを挟まないということであり、疑うことに付随する労力や時間の無駄が省けます。

 では、命題「飛行機は安全である」はどうでしょうか。現代の航空機の事故統計はしっかりしていて、現在は100万回のフライト(離陸から着陸まで)で破局的な事故が起きるのは1回以下にまで下がっています。私は飛行機の設計、製造、運用、がどのようになされているかの大体の知識も持っています。

 総合して、この命題が真である確率は0.999999程度はあると思うので、私は安全を信じて飛行機に乗っています。信じてというのは、実際は、安全か危険かを意識していないだけですが。

 実際に100万回のフライトを眼にしているわけではなく、資料やニュースから判断しているわけです。それらが間違っていることもありますから、個人が抱く確かさは0.999程度かもしれません。

 実は「0.999999以上確かなことは信じなさい」と学生に教えられたのは佐貫先生です。航空機の安全性についてもう心配しながら乗ることもないという意味で「百万に一つの小さな確率は無視しなさい」という表現だったかもしれません。

 飛行機に乗ることによる恩恵が大きいから、少しのリスクは許容するということなのです。実際、安全という言葉の最新の定義は「リスクが許容できるほど小さい状態を言う」となっています。

 確率1の世界として数学があります。ただし、数学の世界は抽象した論理の世界であって、直接に実世界を対象にしているのではありません。如何に実世界の問題に数学が使われるようとも、数学が使われた時点で実世界の近似として使われていることになります。物理法則が数式で如何に見事に実世界を説明するものであっても、その法則が絶対に眞であるとは言えない理由がこの点にあります。

 幾何学で定義される、点や線ですら実世界にはあり得ないことですから、数学も抽象世界であることが判るでしょう。もちろん、数学は抽象世界だから実世界に役立たないと言っているのではありません。全く逆です。例えば、虚数はその名のとおり実世界にはないものですが、中間状態で虚数を導入ることで結果の式が実世界を非常によく説明していることは多いのです。

 十分確かなことは信じて行動したほうが良いのです。逆に不確かなことを信じて行動すると後悔する破目になることが多いのです。聖書に書かれたことは何でも正しいと全てを信じるのも問題でしょう。聖書ももともとは人間の誰かが伝聞で書いたものですから、間違いがあっても不思議ではありません。

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