力が先か圧力が先か  

(2019年4月16日)


 ニュートンは万有引力と運動の法則で有名ではあるが力学に限らず光学でもスペクトルの発見などに名を残す物理学者であった。そのニュートンが質量とは密度に体積を乗じた量であるとした。現代の私たちは密度とは単位体積あたりの質量であると習うから、ニュートンともあろう人が変な考え方をしたものだと思うかもしれない。

 ニュートンは綿のようなふわふわしたものと金属などの塊を想定して、質量とは物質の密度と体積を乗じて決まる量だと考えたのであろう。数式で表すと質量をm、体積をV、密度をρとすれば、m=ρVである。

 私たちは密度ρが質量mを体積で割ったものと習うわけだからρ=m/Vである。単に、同じ式を書き換えただけに過ぎない。従って、ニュートンが間違っていたわけではないし、おかしな考え方をしたわけでもない。

 では何故現在は質量が先にあって密度が定義されるように習うのであろうか。考えられる理由は、その方が工学的に便利だからということであろう。質量の基準は水や金属球で簡単に決められるが、密度の基準は考えにくかったのであろう。量というのは常に比較することに意味がある。違う物質の密度を比較することは困難であろうことは容易に想像できる。

 しかし、基準を作って比較することを考えて物理量を定義するということは技術に重きを置いてしまったのであり科学の観点からは必ずしも適切ではなかったといえなくもないだろう。実際、技術の発達により単位の定義はキログラム原器でさえ変更を求められてしまう。

 科学の観点を重視すれば、物体は質量よりも密度の概念が先にあるように思われる。現代の最先端を行く科学者に意見を求めたら、そんなことはどうでも良いことです、忙しいのだからと言われそうである。

 表題の力が先か圧力が先かについても質量と密度の関係のように、同じ関係がある。現在は圧力は単位面積当たりの力として単位Pa(パスカル)が定義されている。1パスカルは1平方メートルあたり1N(ニュートン)の力を受ける大きさである。1気圧が1013ヘクトパスカルであるからパスカルは日常の生活では小さい単位である。

 科学的には力か圧力かどちらが先にあったと考えるべきなのだろうか。これはニュートンに習うまでもなく、圧力ではないかと思う。風船を膨らまして内圧がいくら高くなっても、外には力が発生していない。丁度釣り合っているからである。

 ロケットエンジンは燃焼室の中で燃料が燃えて高圧の燃焼ガスが発生する。燃焼室はノズル部分から高圧ガスが排出するので横方向には力が出ないものの基軸方向には一方的に力が発生する。これがロケットエンジンの推力である。

 蒸気機関車はボイラーで焚いて出来た水蒸気がピストンを押して力を発生する。車のエンジンはガソリンエンジンもディーゼルエンジンも燃焼ガスがピストンを押して力を発生する。 

 ボールを投げるときも手のひらでボールに力を加える。力を加えるときは必ず圧力として加える。力が作用するとき、決して点や線ではなく常に面で作用している。従って、力より先に圧力があるのである。

 この意味からも力は圧力に面積を乗じたものと定義することが理に適っている。1Nの力は1Paの圧力が1m2の面積に作用したときの大きさである。

 このような力が物体に作用すると、その物体には二つの変化が生じる。一つは加速度運動をすることであり、二つ目はその物体内部に応力・ひずみが生じることである。

 加速度運動は外からその物体を観察することで力が付加されていると認識できるが、応力・ひずみはその物体にひずみゲージを貼り付けることで力が付加されていることが認識できる。加速度センサーと称するものは、実際にはすべてひずみゲージを利用した力センサーである。

 応力・ひずみで検知する場合は常に(圧力で定義された)力が付加されていることがわかるが、加速度運動を観察さるだけでは応力・ひずみが伴う場合と、伴わない場合がある。後者は自由落下状態にある物体である。

 もし、両方を力と言うならば、前者は見かけの力であり、後者は実際の力という必要が出てくる。見かけの力とは存在を実証できない力であり、頭の中で想定するだけの量である。

 重力は見かけの力に過ぎないのだが、自由落下を阻止したときに重量(または重さ)という実際の力が発生する。この時は阻止した力と面で圧力として釣り合っている。

 重力加速度だけは加速度センサーで検知できないが、これは重力が力でないからである。

(参考) 力は圧力として作用する

(了)


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