楽しい授業和歌山
日本の読者には「宗教は妄想である」「スピリチュアルは妄想である」「守護霊は妄想である」等と書いた方がインパクトがあったからもしれない。当たり前すぎてだめか?「ファンタジーは妄想である」といってるみたいなものだしな。しかし学校では、ファンタジーと現実、科学との違いの教育があまりになさ過ぎるように思える。婉曲な表現は一切無しに、真っ正面から宗教の有害性と無神論の正当性を徹底的に説いている。宗教原理主義の台頭による日々の犠牲者の増大に危機感を覚えた筆者の熱意が伝わってくる。また逆に、なぜ宗教や物語を人間が必要としているのかも考えさせてくれる。翻訳も良いのか読みやすい。同じ作者の『利己的な遺伝子』より面白いかも。原題は"THE GOD DELUSION"。
教育工学会の夏合宿に参加して、私の環境では実現できない面白いことを見せてもらって勉強になった。けれど同時に「WIRED」(同朋社)5月号のジョブス(アップル社の創立メンバーの一人)のインタビューを思い出した。
W:テクノロジーは教育の向上に役立ちましたか。
J:私は以前、テクノロジーは教育を手助けできると考えていた。私は誰よりも率先してコンピュータ を学校に無償で提供してきた。でも、問題は技術が解決できるものだけではないんだという、必然的な 結論に到達してしまったんだ。教育の欠陥は技術では直せない。テクノロジーをいくら注ぎ込んでも、 衝撃を与えることはできないだろう。
とジョブスは述べ、自分の娘が私立学校ですばらしい教育を受けたと語り「教育バウチャー制」の必要性を説く。「教育バウチャー制」というのは、ミルトン・フリードマンらの唱える「授業料
クーポン制」(『選択の自由』上下/講談社文庫)と同義語だろう。
さらに続けて言う。
J:でも、残念なことにテクノロジーは解決策にならない。あらゆる知識をCD−ROMに焼き込めば解決になるってわけでもないし。すべての学校にWebサイトを設置するのも可能だし、悪くない。でも、それで教育問題の解決のために何かしているんだっていう自己満足に陥ったら、かえって始末が悪い。
そうして、リンカーンはテクノロジーなして面白い人物になったという。
明治維新を指導し、明治時代を支えた人物は近代学校教育を受けたのではなく古い時代の教育を受けていたわけである。
教科書、ノート、黒板(白板)、問題集といった伝統的学習ツールは非常に強力で効果的かつ安価ですから、そう簡単に電子機器に置き換わらないだろう。特に初等教育では。