第二球目

 

 魔球コラム第二回目は星飛雄馬(巨人の星)の消える魔球でいこうと思う。巨人の星とは梶原一騎原作・川崎上る画で1966年から1971年にかけて連載されたスポ根野球漫画である。ところで大半の方が魔球というとこの消える魔球を思い浮かべるのではないだろうか?そもそも魔球という言葉自体が世に出たのは1961年から1962年に:福本和也原作・ちばてつや画連載された、ちかいの魔球である(魔球と呼べるようなものは貝塚ひろしのくりくり投手が初めて出したとされている)。しかし魔球という存在を広く普及させたのは巨人の星のヒット、ひいては消える魔球の存在があったからであろう。しかしこの消える魔球という言い方は、巨人の星では必ずしも正しい呼称ではなく本来は大リーグボール2号というのが正しい呼称である。消える魔球という呼び名は当時巨人の星の人気を目にした企業がその魔球を再現しようとして野球盤に取り付けた機能のことである。当時、野球人気全盛であり野球盤と呼ばれる、野球競技を模したおもちゃが子供たちの間で人気だった。巨人の星の人気、そして野球盤の人気により、消える魔球、さらには、魔球というもの自体が世に広く普及されていくことになる。ここで消える魔球(大リーグボール2号)の説明をしていこうと思う。大リーグボール2号とは、星飛雄馬の父、一徹が開発した、魔送球を元に編み出された魔球である。この魔送球は一徹が退団するきっかけとなったものであり、三塁から一塁送球の際に、ランナーをかすめて行くというものであった。その魔送球を進化させ、ボールは消える瞬間に地面スレスレまで移動し再び見える頃に浮き上がってキャッチャーミットに届くという軌道を描くため、ストレートの軌道を描いているバットには当たらないという代物にしたのがこの魔球、消える魔球である。原理は、右足で蹴られたマウンドの土が頭上まで跳ね上がり、ボールを離した直後にその土が縫い目に巻き込まれ、球が本塁近くで地面すれすれに下降および上昇して下の土を巻き上げ、同時に縫い目の土が球を包み、マウンドの土と本塁附近の土の保護色で消えるというもの。一徹は「星投手の右足が高く上がると青い虫が飛び、青い葉に止まる」と表現した。弱点は土煙を利用するために風や水に弱く、強風や雨天での試合では使えないことである。さまざまな攻略法が試みられた魔球であり、「あらかじめホームベース上に何度も倒れこみグラウンドをならしておく」「三塁ランナーが強引な本盗をしかけ、両手で土煙をふせぐ」「ユニフォームの中に水をふくませておいてスイングとともにホームベース上に撒き散らす」「ホームベース上にヘルメットを落とす」などといった方法がとられた。この大リーグボール2号に対してライバル花形は、走者協力、ヘルメット落としといった本塁近くの土煙を封じる策を経て、最終的にそれまで見せなかった一本足打法のかまえで星を動揺させて投球モーションを中途半端なものにし、ボールを包むマウンドの土のほうを封じて打った。

つまり、花形は「消える魔球を打つ」というのは「消えずに見えるようになった魔送球を打つ」ことであった。この魔球は「巨人の星」の魔球の代表のように扱われているが、公式戦で初披露されたのが1969年のシーズンも終盤にさしかかった秋の対中日戦、オズマとの対戦で、左門が消える魔球と初対戦したのは、そのシーズンの大洋×巨人の最終戦。花形も阪神×巨人戦の1969年最終戦で初対決となった。 結局、消える魔球は1969年後期の登場直後に巨人のV5に貢献しただけで、その後のライバルとの駆け引きはオズマ帰国、伴トレードを挟んだオフシーズン中にすんでしまった。 1970年のシーズン開幕当時はすでに消える魔球は打たれる寸前の過去のものとなっていた。中日の伴、阪神の花形が消える魔球を打ったのも、それぞれ開幕して最初の対巨人戦であった。こうして消える魔球は時代とともに消えていった。しかし今日においても魔球の代名詞であることには変わりない。この魔球のおかげで後にも数多くの魔球が誕生していったのだからそういった意味でも魔球を語る上でもっとも欠かせない魔球のひとつであるといえよう。

 

 

 

というわけで二回目でした。やっぱ魔球といえばこれだろということでこれにしました。ちなみになんと無回転で180km/hのボールならこの魔球と同じ現象(沈んでからまた浮き上がるという減少)がおきるらしいです。興味がある人は一度お試しあれ。