第一球
記念すべき魔球コラム第一回目ということでなんの魔球にしようか悩んだ結果、第一回目は水原勇気(野球狂の詩)のドリームボールにしてみた。最初に野球狂の歌とは1972年から1976年にかけて連載された水島新司の野球漫画である。この漫画は当初は一話完結でその一話ごとに「野球狂」にスポットを当てた不定期連載として行われていた。全編を通しての主人公は、岩田鉄五郎という、老投手だが、各話ごとに主人公が存在していた。
そして物語が進むと今度は週一の連載へと変わる。ここで登場するのが女性初のプロ野球選手、水原勇気である。コミッショナーにも認められプロ野球選手として試合に登板した水原だったが水原はプロの壁に当たってしまう、そんな時に出会ったのが万年二軍暮らしの武藤兵吉である。その武藤はある日夢を見る。その夢というのが水原と武藤でバッテリーを組み、かの大打者、王貞治を三振にとるという夢であった。その夢をヒントにしたのがほかでもないドリームボールである。この夢の中の魔球を実現させようと燃える二人。しかしそんな二人を他所に武藤の広島カープへのトレードが決まってしまう。そして武藤は水原にドリームボールの完成の夢を託して移籍してしまう。武藤兵吉の決死の努力のなか水原勇気にプロボーラー転向の一報が入る。しかしそれはドリームボール完成への特訓であった。そして遂に一軍の試合で武藤と水原の対決が実現する。結果は水原のドリームボール前に武藤はあえなく三振してしまう。しかし肝心のドリームボールとはどのような変化を生む球なのか誰にもわからない。そんな中囁かれ始めたのがドリームボールなどというものはないのではないかというものだった。その様な状況下での武藤と水原の対決は又も武藤の三振に終わったが水原の決め球はただのシュートであった。これを期にドリームボールなどというものは存在しない、武藤が水原を打てないのは単に武藤の力不足とされ武藤は広島から自由契約を言い渡される。しかしそんな状況も一変、水原がリリーフ登板するやセ・リーグの名だたる打者達が空振り三振に切って取られていく。そして皆一様にこう言った。「打つ時になって自分の体が揺れてしまった。」と、
迎えた広島戦、今度は衣笠までもが水原に空振り三振に切って取られてしまう。そして同じ様に打つ時になって体が揺れてしまったという。ところが衣笠は周りから見たら完璧なスイングをしていたという。それをバックネットで観戦していた武藤は叫んだ、
「ドリームボールは実在したと。」そうドリームボールは実在したのだ!!
そして迎えた第二戦であることが起きる。なんと広島を解雇されたはずの武藤が広島ベンチに座っている、広島はドリームボール攻略に武藤を引き戻したのだ。かくしてゲームは終盤戦、水原勇気が登板、それに合わせて広島は代打武藤兵吉。ドリームボールの舞台は整った。しかしここで岩田鉄五郎はカーブのサインを出す。水原勇気はそれに首を振りなんとしてもドリームボールで三振にとるという。さらには引退を賭けた勝負だという。そして水原はドリームボールを投じる、ここで明かされるドリームボールの全貌、ドリームボールとはアンダースローの水原がフォークを投げることにより手元にきて落ちるというものである。しかし普通のフォークと違うところはフォークを投げるときはボールの縫い目を避けて握るがこのドリームボールは縫い目に合わせて握る。それにより生じる変化はホップし落ちる、それも落ちながら揺れる、スクリューボールに変化するというものだった。それを完全に見抜いていた武藤はレフトスタンドへのサヨナラホームランを放つ。敗れてショックを受ける水原、この一打に選手生命の全てをかけて燃え尽きた武藤。こうして二人の最後の対決は終わった。試合後、岩田鉄五郎は水原が引退を賭けたという発言が気にかかっていた。サヨナラホームランを打たれたただそれだけで引退などとは。しかし次の日、岩田鉄五郎の目に飛び込んできたのはいつも通りランニングをする水原勇気であった。引退するのでは問う岩田に水原は投手なら誰だって信念の一球を投げる時はそのくらいの覚悟はしていると言う。水原は武藤に打たれたことにより己も努力するように相手も打つためにひたむきな努力をしているという真の野球の素晴らしさ、厳しさを知る。そんな水原勇気をみて岩田鉄五郎は思う。水原勇気は自分以上の「野球狂」だと。
第一回目はこんな感じです。魔球コラムというよりも魔球を通した野球選手の話になってしまいました。まあ次回からはもっと魔球メインで考察なども入れていこうかと思います。ではこのへんで。