心の10か条(まだ10個ないけど) 


園芸家になってはや10数年。その時々で、好きなものは色々変わるが
植物達に向き合う姿勢は変わらない。
”向き合う場所=ベランダ”と言う事も変わらない。
向き合ってるうちに気づいた事、コロコロと気が変わる私だけど
「これだけは変わんないだろうな。たぶん・・・」ってのを、
紹介します。あんまり役には立たないかもしれないけど。




1

植物の都合は考えない。鬼軍曹になれ。


常に自分中心で地球は回っているのである。
そして、私の周りをきれいな花が、緑が、奇妙な草が、アブラムシどもが
グルグルと手をつないで、スキップしながら回っているのである。
もちろん、「こうしてやりたい、こうしたらもっと気持ちよくすごせるだろう」
と思う事は沢山ある。しかし、所詮自分の生活サイクルでしか世話はできないのだ。
それなら無理せず、はなっから植物達の方に諦めさせてしまった方が良い。
「この人は、私たちの意見を聞いてくれない自分勝手な人だ」と
最初から思わせるのだ。そうすると植物達は「自力で生きなければ」と
思うのである。とにかく何にしても無理は禁物だ。
無理していると段々楽しくなくなってきてしまうからだ。
私はいつも植物達に語りかけている。
「生きたければついて来い!」と。
そして、ついて来れなかった者に待っているのは”死”である。



2

イングリッシュガーデン(もしくは南仏プロバンス風)に憧れる事なかれ。


憧れはある。すごく憧れている。いや、それどころか羨ましくてたまらない。
それは素直に認める。
しかしここは日本で、しかもガーデンではなくベランダなのだ。
つまり、ガーデニングではなくべランディングなのだ。(ほんとか?)
どうがんばってもイングリシュガーデンは作れないのである。
最初はこじゃれた「プチガーデン」をめざしていた。
しかし、ある時気づいたのである。「プチガーデンは所詮偽者でしかありえないではないか」
せっせと偽者を造っていることが、虚しくなってきてしまったのだ。
それなら、ちんけな憧れなどスッパリ捨てて、我が道を行こうじゃないか!
ちなみにファンシーに傾くのもNG。これは、ただ単に私が嫌いなだけ。
こぎれいな寄せ植えも嫌い。



3

植物は見た目でえらべ


育て方や、どんな気候に合っているかなど後で考えればいいのだ。
どんな高山だろうと、灼熱の砂漠だろうと、結構なんとかなるものである。
食用にするもの意外は、観賞用である。
って事はやっぱり見た目第一だ。
あたりまえだが、好きなものにはおしみなく愛情が注げるものなのだ。
ちなみにその愛情と言う言葉の中には、スノコを自分で作ったり、ツル植物のために
ごみ捨て場から人目を盗んで、イーゼルを拾ってきたりと言う意味も含まれている。


4

本を信用することなかれ


初心者にありがちな事に「本に書いてある通りにしなければ絶対に育たない」
と、思い込んでしまう事がある。
土作りも水やりも、寸分たがわず行わなければならないのだ。
私もそうだった。
しかし、何種類か育てているうちに本に書いてあるとおりにやっても
育たない物が出てくるのである。
始めは自分が未熟だからだと思い、また挑戦する。
でも、また敗北だ。懲りずにまた挑戦。そしてまた敗北・・・
だんだん頭に来て、自分の事は棚に上げ、「この本が悪いんだ!」
と、本のせいにして何となく自分の考えでやってみたりする。
「あれ?なんか育ってる・・・」
そこで、やっと気づくのだ。
「本に書いてあることがすべて正しいとはかぎらない」と言う事に。
その育て方というのは、結局その本の著者の育て方なのだ。
もちろん”一般的”ということを考慮して書いてはいるのだろうが、
場所や環境が変われば、育て方が変わってきて当然なのである。
(「庭植え」「庭に鉢を置く」「玄関先に鉢を置く」って言うのを基本にしている物が多い。
しかし、「ベランダで育てる〜」ってのにも「ええっ!マジ?!」ってのがけっこうあるし、
「絶対この人この花を育てたことないよなぁ」ってのも結構ある。バカにしてるよなぁ。)
しかし、場所や環境よりも一番の原因は「その人の癖」だろうと思う。
知らず知らずのうちに、園芸のやり方にもその人その人の「癖」が
出来てしまうものだと思う。

著者が、著者の家で、著者の癖で育てるーーーみごとに育つ
私が、私の家で、著者の癖を真似しながら、私の癖で育てるーーー育たない

そういうことだ。
そして、だんだん自分のやり方が解かってくると
あんなに一途に信用していたにもかかわらず
「本に書いてある事は(私にとって)嘘っぱちばかりだ」と
思えてきてしまうから不思議である。
では、本も信頼できなくなった今、何を頼りにするのか・・・
それは、ズバリ”勘”である。
感じるままに育てればよいのだ。

5

中より外


植物は皆、元々は屋外に生えている物である。
しかし、年中屋内に取り入れているというか、特に根拠はないのだが
「外に出すべきではない」と思いこんでいる物はないだろうか。
特にチランジア、パイナップル科のものなど、珍奇植物コーナーにあるような
一見観葉植物的な類は「外に出すと枯れるのではないだろうか」と思いがちである。
しかしそれはまちがいだ。
真冬や特別温度管理が必要な物以外は「外に出してみるべきだ」と思う。
ビックリするくらい綺麗な色になったりするものすらあるのだ。
気持ちのいい季節は人間だって外に出たくなる。
植物だって同じだ。
みんな外に出たがって、ウズウズしているのである。
大事大事に箱入りにしていた事がかえって迷惑だったりするのだ。
室内でショボショボしていた奴等も、外に出すととたんにイキイキして
野生の顔を取り戻すのだ。
外の空気こそが最大の栄養源だ。
さぁ、植物と共に外へ出よう!

ただし、直射日光に当てるか当てないかは、見極めが肝心。
ヤバイ気配がしたら、取り返しがつかない事になる前に日陰に移すべし。

原産国(自生地)のイメージに惑わされる事なかれ


一般的に育て方が確立されている物は、それに自分のやり方をプラスすればよい。
しかし、「何だかわからない物」が突然私を訪ねてきて「今日からお世話になります」
とだけ言い放ち、居座ってしまったらどうしたらいいのだろう。
「水は好き?あんまり好きじゃない?太陽は好き?嫌い?寒いのは?暑いのは?」
次々質問してみるが、一向に何も答えない。
そうなると仕方がないので、とりあえずナニ人か調べてみる。

よく本などを見ると「〜原産」と書かれている。
それを見て「ふ〜ん、暑い所か、じゃあ寒さには弱いだろう」などと予想をたてたりする。
しかし、安易に予想を立ててはいけないのである。
特にやっかいなのは「アフリカ原産」物である。
アフリカで植物が生息している場所と聞いて何を思うだろうか。
私はシマウマがライオンに食べられ、乾季には毎日太陽が照りつけ、雨が一滴も降らず、
はたまた雨季になれば大洪水が起こる所を想像する。
しかし、本当にそんな所ばかりだろか?
広いアフリカ大陸全体が全部そんな所な訳ないのである。
山だってあるし、密林だってあるのだ。
そうなると当然温度や湿度だってちがってくる。
私のイメージはあきらかにまちがいだ。
たとえば砂漠だって、サラサラの砂地だってあれば、硬い土の所もあり、
毎朝霧が降りてくる所もあれば、地表を数センチ掘ると驚くほど冷たかったりする所もあるのだ。
砂漠に生えてるからと言って、水をやらず日にガンガン当ててはいけないのだ。
大事なのは「どの国に生えている物か」と言う事よりも、「どんな場所に生えているのか」
と言う事なのである。

では、どうやって調べるのか。自生地の写真などがあれば良いのだが、
もちろんそんなに細かいところまでわからない事は多い。
人に聞いたり、植物園に見に行ったりもするのだが、それでもわからなかったり、
調べるのが面倒になって来たらどうするのか?
そんな時はまたしても自分の勘が頼りだ。
色々な種類の植物を育てていると「多分こいつは、これにに近いんじゃないか」という
勘が働くようになる。
鬼平言う所の「勘働き」が鋭くなるのだ。

まあ、しかし自生地がわかったところでそいつが私のもとで生息するのは、
所詮ベランダの中なので、温度や湿度が調節出来る訳ではない。
では、何故わざわざ調べるのか?
少なくとも水やりや肥料や植え替えのタイミングなどは調節してやる事が出来る。
何もわからないより、少しでも知っておいてやった方が、きっと植物達も安心して
私について来てくれるであろう。
鬼軍曹も部下がいなければただの「威張りんぼう」になってしまうので、
なかなか大変なのだ。

3度挑戦してダメだったら諦める


人間と人間や、人間と動物との間に相性があるように、人間と植物の間にも相性がある。
Aさんにいともたやすく育てられる物が、Bさんにはどうしても育てられない。
BさんやCさんには育てられるが、Aさんには出来ない。
そう言うものが必ずあるはずである。
まず、1度目ダメだったとする。
まだその時点では相性が悪いのか、世話の仕方を間違えているのかわからない。
2度目、条件をかえてみる。また、だめだった。
3度目、これが最後だとウリャ〜っと気合を入れてみる。
やっぱりだめだった。こうなるとどう考えても相性が悪いとしか思えないのだ。
もちろん、その植物と場所的な条件が合っていないと言う事も考えられる。
しかし、同じような条件で育てていても、「Aさんちでは育っているのになんでだろう?」
と言う事がある。
聞いてみると大体「特別な事は何もしていない」と答えるのである。
こうなると相性が悪いとしか考えられない。
相性が悪かった物はどうがんばってもダメなので諦めるより仕方がない。
何と言っても「相性が悪い」のだ。こればかりはどうしようもないのである。

ただし、どうしても、どうしても、諦められない物はしつこく挑戦するべし。
所詮、諦められてしまう物に対しては、そんな程度の気持ちでしかないのだ。

ベランダ園芸とは盆栽作りなり


ベランダはスペースが限られてくる。
でも、植物は1個でも多く育てたい。
そうなると必然的に1個あたりに割り当てられられるスペースは小さくなる。
しかも、上は洗濯物の領域なので、天高く伸びる事も許されない。
とにかく“小さく低く”が望ましい。
鉢は出来る限り小さく、伸びた枝はブチブチ切る。
これはまさに盆栽である。
何もベランダで梅や松を育てろという訳ではない。
盆栽を作っているつもりはなくても、知らず知らずのうちに普通盆栽になど なり得ない
ような植物でも、全ての植物が勝手に盆栽化しているのである。
ベランダ園芸家は皆、盆栽園芸家なのである。



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