「想人」第十五話 イスカンダル

(1)
 

「歩、あゆみ……」
 進は、人工呼吸を施し、水を吐いた息子を激しく揺さぶった。

「歩……」
 進は、学生相手に話に熱中してしまったことを後悔した。進は息子の青白い頬を何度も叩いた。
(目を覚ませ、あゆみ……)

「お・・・おとう…さん」
 薄目を開けた幼いユウの体を、自分の体に押し付けるように抱きしめると、進の頬に涙が流れた。

 進は、新しい自分を知った。
 「歩が死んでしまう」そう思った時の怖さ。
 父親としての弱さ……
 
 



 ユウは、医務室で寝ていた。その姿を、スヴァンホルムは数人の医師たちとガラスの向こうから見ていた。それは、ユウが捕虜になった時と同じ状況である。

「私の部屋に戻すのは反対だと?」

「はい。エフスキアさまが撮影していた映像と彼の記憶が大きく違っております。精神的動揺が大きいことで、彼の意思がどれほどこの事件に関わっているか、まだわかりません。外部からの関与の行動であった場合は、今後同じような事件が起こる危険が大きいと思われます」

 一度意識を戻したユウは、目の前で起こった惨事にひどくおびえた様子だった。そのため、医師たちの手に託したのだが、事件後に発見されたエフスキアが、ことの一部始終を撮影していたことにより、ユウの立場が逆転した。

「危険な爆弾を抱え込むことはないということか」

「はい。誰が何のために、どのようにこのような事件を起こしたかが、分からぬうちはここで観察させていただきたい」

(確かに)
 と、スヴァンホルムは、あの映像を観たものは、誰しも同じことを言うだろうと思った。
 しかし、戦闘中に捕虜になったユウが、この事態を推測して、わざとヤマトから送り込まれた工作員には思えなかった。
(イサダイネが言っていたトナティカ人たちの力?)

「トナティカの少年たちを館から全員追い出したら、人手が足りぬ。特に地下室の世話はどうするのだ?」

「わかっております。今は暫定的に交代で何とかやっておいますが……まさか、それを、彼に任せるおつもりなのですか?」

「では、引き続き、お前たちの誰かが世話をしろ」

「それは……」

「検討してくれ」
 スヴァンホルムは、もう一度、映像を再生して、小さなモニターで見た。

 ティスタが小さい刃物を構えて、後ろからエフスキアを刺す。そして、苦しむエフスキアを次に刺しているのは、ユウだった。ティスタからためらいもせず刃物を受け取ると、ユウは何度もエフスキアを刺す。エフスキアが苦しくなって動かなくなっていくと、ティスタも苦しんでいく。ユウは二人に構わず、刃物を振り下ろす作業をやめない。そのうち、だんだんユウの動きも鈍くなり、部屋の中の三人は、完全に動きを止めた。映像は、一時停止をしているかのように、そのままの状態が続く。

「本当に爆弾だな」



(2)
「静かですね」
 ユウが目覚めると、スヴァンホルムはベッドの側のイスに座っていた。そして、ユウの言葉に、ただ、黙って頷くだけだった。

「人が減ったからな」
 と言ったスヴァンホルムの言葉を、ユウは繰り返した。
 (人が……あぁ)
 死んでしまったということだと気づき、血でベトベトしていたあの部屋の風景を思い出した。

 スヴァンホルムは、ユウを見ていた。
 
「何度も聞くが、あの時、あの二人は何か言いあっていなかったか?」
 スヴァンホルムは、相変わらず、ユウの顔を見ていた。

(声? 音?)
 ユウは、その時の音を覚えていなかった。
(何も聞こえてないなんて、おかしい)
 意識が朦朧としていたとしても、人が人を刺しているのに、エフスキアの声も逃げる音も、ティスタの声も、それどころか、雨が降っていたはずなのに、その雨音さえ、耳に残っていない。

「思い出せないのならいい。エフスキアのやり方をどうにかしなくてはと思っていた。トナティカの少年たちは、屋敷から出ていってもらった」
 スヴァンホルムは、そう言うと立ち上がった。
「お前も、ここだけの生活だ。あの部屋には行くな」

「はい……」

「仕事を…これから仕事を一つ任せたい」

「はい」

「気持ちが落ち着いたら、やってもらうつもりだ」

「はい」
 
 ギ、ギギギ
 重たい扉が閉まる音がして、部屋は静かになった。風の音、鳥の声も聞こえない。ただ、激しく降る雨の音が、一層、ユウを周りの世界から遮断していた。
(窓が閉まっているのに)
 ユウは、部屋を見渡した。数日離れていただけで、随分、印象が変わっていた。
(何かが違う……なんだろう、空気も違うみたいだ)



「カメラの調子はどうだ」
 別の部屋に入ったスヴァンホルムは、複数のモニターを見ているボラーの医師たちに声をかけた。
「はい、顔の細かな表情まで、よく見えます」

 スヴァンホルムの身を案じた医師たちは、部屋にカメラをつけることを条件にした。

(気づいているようだな)
 天井を見上げ、部屋を見ていたユウの様子を見て、スヴァンホルムは、医師たちの言うことも一理だと思った。
(素直そうにみえて、やはり、あの男も兵士。何をするかわからない・・・か)



(3)
「数値はすべて良好な範囲以内にあります。過労はいたし方ありませんが、睡眠と栄養だけは充分とってください」
 涼子は、小型測定器から出てきた検査結果票を進に渡した。
 第二艦橋で、さっきまで進と打ち合わせをしていた航海班のメンバーたちは、忙しそうに個々に仕事をしていたが、涼子と進の話に耳を傾けている。

「過労はいたし方ないか……」
 涼子は、進にお構いなしで、カバンに機器類を入れていった。それが済むと、髪留めから抜けた髪を耳にかけ、進と向き合った。
「はい、艦長職は多忙ですから、それは仕方ありません。でも、食事と睡眠と検査だけは忘れないでください」
 進が決められた時間に検査に来なかったことを涼子はちくりと一言入れた。進だけではなく、周りの乗組員たちにも気にしてもらうために、涼子はわざと人がいる場所で言ったのだった。

「今日はすみませんでした。柳原先生」
 涼子は顔を上げず、カルテに進の検査結果を書き込んでいた。進は、シャツのボタンを留め、衣服を整えていた。
「いいですよ。明日から私と佐渡先生とで交代で、艦長のいるところにうかがうことにしましたから。必ず場所だけわかるようにしてください。私たちも他の患者や乗組員たちの健康管理で意外と忙しいのです。決まった時間に艦長の検診をしたいので、これからはよろしくお願いします」
 
「ありがとう。私の居場所はいつでもわかるようにしておこう。……ところで、澪の様子は?」
 澪の話になると、進は声をひそめた。
「とてもいいですよ。本人は、もう大丈夫だと言っています」
 
「復帰できそうか?」

「また暴走するかもしれませんが、今はとても安定しています。彼女曰く、この間、森戦闘班長を感じることができたそうです」

「感じることができた?」
 進が顔を起こし、涼子の顔を見た。涼子は、にっこり微笑んでいた。
「はい、彼の意識をはっきり感じたのだと言っていました。澪は、『森戦闘班長が極度にパニックになったので、自分も引きずられてパニックになってしまった』とも言っていました。本当にそうかどうかは、確かめる術(すべ)はありません。非科学的なことはあまり信じておりませんので」

「安定してきているのことはいいことだ」
 涼子は、そう言う進の顔が清々しく見えた。

「艦長、体の調子はとてもいいです。私は医者ですので、摩訶不思議なことは判断できませんが、澪がポジティブになれるのなら、彼女の話を肯定的に受け止めようと思ってます」
 涼子は、傍らで、何か言いたげな島次郎の存在に気づいた。
「艦長、お食事も、なるべく決まった時間に取るようにしてくださいね。では、私はこれで」
 頭を下げ、涼子は白衣のすそををひるがえし、きびすを返した。颯爽と歩く涼子の、ピンでまとめていた髪は、白い背中に何本かの筋になって垂れていた。

(髪のウェーブがなくなってきているんだ)
 次郎は、髪に気を遣いたくないからとウェーブヘアにしている言っていた涼子を思い出していた。

「彼女に用があったのでは?」
 進は、涼子の後姿を見ていた次郎に声をかけた。
「いいえ、別に……。艦長、ガルマン・ガミラス側から航路図が送られてきました」
 次郎は、進の前に、今送られてきたデータを表示した。
「ここから亜空間トンネルを通って、宇宙図のどのあたりに出るかわかりませんが、ガミラス本星の近くにでるようです」

 次郎は航路図を見ながら、まだ、涼子の姿を追っている自分がいることに気づいた。
 トナティカから地球に戻ってから、進と宇宙を旅することに夢中になっていた。その念願がかなっているのに、それよりも、涼子の存在が気になっていた。



(4)
ぐぁーあー、あー
 トナティカの月・アフィラが、厚い雲から顔をのぞかせた。それを喜んでいるのか、それともうらんでいるのか、遠吠えのような女の叫び声が響く。
 イサダイネは、スヴァンホルムから命ぜられた調査を確実に実行できるように、奔走していた。スヴァンホルムの意図は別の所にあるとわかっていても、自分の好奇心を押さえ切れない性分から、現場に出て行く。前々からうわさに聞いていた『森の狂女』と呼ばれる女についての問い合わせが、イサダイネの好奇心を揺さぶり、足を進ませた。うわさの女の声が聞けたのは、不眠不休の状態にある自分への褒美のようだった。

「雨が完全に止んだようです」
 その言葉におかまいなしで、イサダイネは女の声を聞いていた。もがいているような声が続く。

 イサダイネは、ボラーの勢力範囲地区内のトナティカ人の身元確認の調査を始めているのだが、問題点や疑問が多く、スヴァンホルムの言葉の通り、トナティカのいろいろな面を知ることができた。前回の調査は、一部、トナティカ人も使って調査をしており、あいまいな部分がかなり多いということもわかってきた。
(前回の調査は、抜け道はたくさんあったのだ)とイサダイネは思った。細かいところまでチェックしようとすれば、確実にごまかしも見えてくるのだろうということも確信していた。何が出てくるのか、イサダイネは、それを見つけることができるのは自分だと思うと、面倒な仕事も楽しくなってきていた。

「アフィラが天空に輝く時、女は叫んでいるそうです。どこの部族、部落にも属していませんが、彼女はそんなに大きくは移動していません。このあたりのいくつかの部落の間をふらふらしているようです。このあたりの人々が、休む場と食事を提供しているからです。彼女が一番長く滞在しているのは、あちらの森の入り口近くの部落ですね」

「彼女が、何と言っているのかわかる者はいないのか?」
 イサダイネの質問に、調査官が、調査票を見ながら話しを続けた。
「トナティカの言葉ではなく、ただ、叫んでいるそうです。部落の住民たちは、別れた男を呼んでいるのだと言っておりました」

 イサダイネは、初めて聞いた新たな情報に反応した。
「男? 男がどこかに行ってしまったというのか?」
 
「うわさではそういう話です。アフィラが奪っていったとか。アフィラへ行ってしまったとか」
 
「『森の狂女』について、詳しい事情を知っている者がいるのか?」

「い、いえ、皆、推測のようです。女はどこからか流れてきたらしいのです。前の、ボラー制圧の後に。あのアフィラの月に執着があるので、世話をしている部族の者たちが、そういう話じゃないかと言っているのです」

「女の顔を確認したか?」

「私はありません。前回の記録の時の写真があります。これです」
 差し出された画像を見て、イサダイネは、顔をしかめた。
「顔にやけどを負っているのです。前回の調査官が言うには、顔だけでなく、体の半分以上は、このようにケロイド状にただれているとのことでした」

「あの女とこの写真の女は同一人物なのか? 早急に確認しろ。それから、他に問題はないか?」

「あります。前回、調査しなかったイシュ・ファ・アロの島々は、どういたしましょうか」

「うぶすなの島か……男は入ることができないだろう」

「はい。女性の調査官がおらず、前回は未調査で、出入り可能な者だけ、実際に面会して、他の者は、報告のみです。今回は、いかがいたしましょうか」

「調べないわけにはいかない。女性で、島に行けそうな者を何とか手配しよう」


きえぇー、くわぁー、あーぁー
 アフィラが雲に隠れていくのを惜しむかのように、女の叫びは途切れていった。月が完全に黒い雲に隠れると、女の声も消えていった。

「確かに悲しい声だ」
 イサダイネは、写真の女性がアフィラに向かって叫んでいる姿を想像した。

 ツツツツツー
 腰に着けていた通信機が鳴る。次の調査官からの通信だった。
 イサダイネは、通信機の手元付近に明示されている時計を見て、少し考えたが、陸上移動用バイクにまたがると、次の場所へ向かった。



(5)
 真田志郎は、ブラックホールの観測を担当している三枝幹夫という男の講演を聞いていた。政府は、正確なことを伝えることが困難を乗り切る第一の策として、頻繁にこの男をメディアに登場させていた。
 (体のいい、スポークスマンだな)と、志郎は意外に話し上手な学者を見守りながら思った。政府が公表している数字は確かなものなのか、そして、自分の出した解答をどう思うかを聞くために、アイドル歌手並みに忙しい三枝のスケジュールにあわせて、この会場に来ていた。

 スポットライトを浴びていた三枝がお辞儀をする。それに合わせて一斉に拍手が鳴り始めると、志郎は、演台から去る三枝の動きに引き寄せられるように、歩み寄った。政府の人間がまわりに数人いたが、志郎のことは連絡済みだったのか、阻まれることなく、三枝に近づくことができた。

「三枝先生、私は…」
 志郎が言いかけると、三枝をさえぎるように一人の女性が割り込んできた。
 
「あちらに一室設けてあります。そこでお話できるようになっています」
 細めのスカートをはいたスレンダーな女性だった。
「どうぞ」
 仕事としての笑みだったが、なかなか感じのよい笑顔だった。
 
 部屋にはいると、すでに部屋にいた三枝は、飲み物のボトルを振って迎えてくれた。
「どうですか? 私はミネラルウォーターをボトルで飲むので、ボトル入りの飲み物ばかりしかありませんけど」
 
「いえ、先生。私にかまわず、どうぞ」

「先生なんて、はずかしい。学生からだけでいいです、その呼び名は。今は、そこらじゅうから、ドクターサエグサやら先生やらと呼ばれて、はずかしいですよ」
 三枝は、大学の教授だったが、数ヶ月前、政府の諮問機関のメンバーになったという。それまで、研究一筋だったというが、背が高く、垢抜けした容姿の三枝は、カメラや聴衆の前に立つには、うってつけの人物だった。

「最近、私たちの出している情報についてですね。そちらでも、観測して、大体のところ、わかっていらっしゃると思いますが、あれは、今までのデータから算出された、ちゃんとした数字ですよ」
 志郎の質問より先に、三枝は答えた。三枝は、どうやら、ここでも、時間がないのだろう。志郎におかまいなしでカバンの中に、先ほどの講演の原稿や細々とした私物をカバンの中に入れ始めた。
「下手な数字は、市民に疑念を抱かせるだけです。最近は、敏感になっていますからね。専門に勉強した人も結構いますから、間違いを指摘されたりしたら、私たちに対する信頼も崩れ、ものすごいパニックが起こるでしょう。昔、イスカンダルに向かったヤマトを、どんな風に待っていたか、あなたには想像できないでしょう?」
 三枝の言うとおりだと志郎は思った。地球防衛軍の中でも、地球連邦政府の中でも、良識ある人たちがたくさんいて、助かっている。
 
「そうだ、そうだ。古代は、今、どのあたりにいるのですか?」

(古代?)
 志郎は耳を疑った。

「古代とはね、彼が学生の頃から知り合いで。というより、知り合いになったというか。何しろ、当時、彼ほどワープや太陽系外を経験している人がいなかったからね。いろいろ聞きたくって、授業の合間をねらって追っかけしてたんだよ。かなり、迷惑かけてたけど、こっちも、その頃必死で」
 三枝は、一人でくすくすと笑っていた。
「ヤマトが行くときね、今度は逆に彼があのブラックホールのことを質問してきて。それこそ、時間お構いなし、質問攻め。昔の敵討ちだね、あれは。時間もなかっただろうし、こっちも昔のお詫びも兼ねてね、かなり真剣に計算して、彼に説明した。おかげさまで、あの時の予想数値は結構今の数値に近いものが出せてね。そのおかげで、こんな羽目になってます。昔ちょっかいだした罰ですよ。……古代は、絶対、間に合うように帰ってくる……でしょ?」

「そうですね。予定では、もう、着いているはずです」

「約束はきちんと守る奴だったからな」
 三枝の答えに、志郎は、白い歯を見せた。



(6)
 窓の外の明度が明るくなってくると、空は色味を帯びてくる。黒だけのような気がしていた夜の空は、青や赤や紫が複雑に絡んだ色だとイサダイネは思った。遅くに部屋に戻ったものの、なかなか眠りにつけず、たまってした書類作成をしている間に空の変化に気がついた。
(少し寝なければ)
 そう思うものの、イサダイネは、昨日聞いた女の声を思い出すたび、その場へ行きたくなる衝動にかられた。見てもいないのに、女の姿が脳裏に浮かぶ。長い髪、ぼろぼろの衣を幾重にもかぶり、髪は月の光を受け輝く。彼女が振り向くことを切望し、イマジネーションを最大限にして、思い描くが、それ以上の姿を想像することができなかった。そして、振り切るためのに、夜の間、ずっと、集まりつつある資料を機械につぎつぎに入力して、頭と手を休ませないようにしていた。
(醜女なのかもしれない)
 そう思いつつも、かすれかすれ叫んでいた女のことを考えれば考えるほど、イサダイネが今まであったことのない程の美しい女性に美化されていった。
 外の明るさは、一気にイサダイネに疲れを運んだ。ベッドに体をうずめても、頭の中に浮かぶのは、声とそして、女の姿−−−けれど、それは、細い指先やぼろ布からもれる銀糸のような髪−−−だった。最前線に働くものは、薬の中毒になりやすいと、くどいほど講義を受け、それは自分と無関係だと思っていたイサダイネは、なんとなく、薬に走りたくなくなる最前線の兵士たちの気持ちが始めてわかるような気がした。
(魔女かもしれない)
 イサダイネは、自分の鼓動が激しくなるのを感じた。



「これをある部屋に運んでほしいのだ」
 質素な食べ物と、真っ白な布が台の上に乗っていた。
 今朝、早くにスヴァンホルムに、何かの連絡が入った。一旦、出かけたスヴァンホルムが戻ってくると、ユウは、部屋から出され、長い廊下を進み、エレベーターに乗って、建物の下へつれて行かれた。そこは今までいた居住空間ではなく、金属で囲まれた、ボラー人たちが働く施設だった。
 当分、部屋から出ることができないと思っていたユウは、一気に、今まで入ることなかった−−−しかし、少なくとも捕虜になったすぐにいたところは、この施設のどこかだったに違いないが−−−領域に足を踏み入れることができたことに、気持ちが湧き立ってきた。反面、その気持ちを悟られまいと極力顔や態度にださないようにも気をつかった。

「ギルダに案内してもらえ」
 台の横にいた、男に声をかけ、スヴァンホルムは部屋を出て行った。
(何か、特別なことがおきたにちがいない)
 ユウは、急ぐスヴァンホルムの姿を見て、そう思った。スヴァンホルムが、そのあせっている姿をみせまいと、目を合わせていないようにしていたようにユウは感じた。

「それではいきましょう」
 ギルダにそう言われ、ユウは、小さくつばを飲み込んだ。柔らかな物腰で従順そうなギルダに、今、スヴァンホルムの行動を思い描いていたことを見られていたようで、ユウは、気持ちを落ち着かせた。
(あせってはいけない。あくまで、俺は偶然捕虜になり、ここでは、はじめてなことに戸惑う地球人でなければ)
 
 荷物の乗った台は、そのまま運べるようになっており、磁力か何かの力で床から数ミリ浮かんで、少量の力で押すことができるようになっていた。ギルダは、その荷台を押しながら、歩き出した。また、長く廊下を進み、いくつかのエレベーターを乗り継いだ。複雑に連結された区画を進んでいるようで、エレベーターを乗り継ぐたびに、人は減り、新しい区画に入るたびに壁にあいた小さな穴に、鍵のようなものを差し込んで進んだ。扉も何もないが、何らかのセキュリティがかかっているらしかった。解除せずに進めば、なんらかの攻撃または、妨害がまっていることは明らかだった。
 いくつか目ののエレベーターのドアが開くと、ユウは目をしばたたかせた。そこだけは、大きく厚いドアが、その先を区切っていた。
「説明をします。この中にいる人物に食事とベットのシーツの交換をしてきていただきたい。そのうえ、できたら、服の交換と清拭をしてきていただきたい。服の交換と清拭のやり方は、あなたのやり方でよいのですが、やりたくなければやらなくてもよいです。気分が悪ければ、荷物だけ置いて、すぐに戻ってきてください。中は、最近、掃除など行き届いておりませんので、清潔な状態ではありません。ドアは三つ。こちらからしか開けることはできません。そして、これを」
 ギルダは、ユウに首飾りを差し出した。
「この部分が点滅している間、このドアは、順番に開いていきます。あまり長いせぬように。嫌であれば、この荷を置いてくるだけでいいのです」

 ユウには、話が飲み込めなかった。まるで、メルヘンに出てくるような竜か怪獣を飼っている部屋のように、大きなドアが目の前にある。

「中は危ないのですか」
「いいえ、ただ、臭いが少々。それに」
 ギルダはよほど人がいいのか、この部屋があまりいいものではないことを顔一杯にあらわしていた。
「それに?」
 ギルダの止めた言葉を、ユウは、続きを問いかけた。
「声に耳を貸してはいけません。気が狂うものも出ています。こちらからの救出もままなりません。置いて戻ってくるだけでいいのです」
 ギルダは再度、ユウに首飾りを差し出した。

(悪魔に差し出す生贄だな)
 ユウは奪うようにギルダの手から取った。
(少なくとも、この中にはボラー人が嫌がるものがいるってことだけは確かなんだ)
 ギルダからの鍵を首にかけると、ユウはドアの前に立った。



(7)
 ガシャンと背後の重い扉が一枚閉じると、目の前の扉が開いていく。中は暗いものだと思い込んでいたユウは、まぶしいほど白い世界に驚いた。白い壁に囲まれ、白い布が幾重も天井から下りていて、どうやらベッドらしきものを包んでいた。部屋の白さに反して、鼻につく臭いでユウは顔をしかめた。何かの薬のような人工的な臭いのすきまから動物の臭いが漂う。空気清浄機のようなものが動いてはいるものの、白いベールに近づけば近づくほど、中からの異臭は強くなっていった。
 天井からの布は、かき分けてベッドに近づけば近づくほど、汚れで黄色くまたは血のような色がついていた。誰かがいるのは明白だった。

「う……うう」
 人の声を聞くとユウは止まった。つばを飲み込むと、一気に最後の数枚をかき分けた。

(あなたは……)
 つい、名を叫けんでしまいそうだった。

<声をだしてはならぬ>
 ユウの頭の中で、言葉が駆け抜けた。



 書類に目を通しながら、スヴァンホルムは、ユウのことを思った。
(何事もなければ、よいが)
 書類の中で、長文で書かれていたイサダイネの報告書に目が留まった。簡潔に数字が羅列された報告書の中で、日記のように文章になって書かれていた。
(『月に叫ぶ女』か。文学青年気取りだな)
 一気に書いたのか、誤字脱字が目立つ。
「アフィラに連れて行かれた恋人を思い、その思いにかられて、夜空に輝くアフィラに向かって叫んでいる女……」
 スヴァンホルムは、思わずつぶやいた。

 ティティティティ
 内線の音に反応して、スヴァンホルムはボタンを押した。
 画面の向こうの男は、書類を手にしているスヴァンホルムに申し訳なさそうな顔をした。
「お仕事中、すみません。先ほど、変死体が見つかったという報告がありました」
(死体ひとつで、わざわざ報告することもないのに)
 スヴァンホルムは、そう思ったが、連絡をよこした男を罵倒するわけにいかぬと、言葉にはださなかった。

「ボラー人の変死体です」
 変死体というからには、普通の死に方ではないだろうと、スヴァンホルムは、身を乗り出した。
「身元はわかったのか」
「はい、調査担当のイサダイネ・ホーンディッチ・サルコルだということです。確認したところ、未明に書類提出後、行方不明になっております。イサダイネ所持の銃で撃たれていました。自殺か他殺かはまだわかっておりません」
 スヴァンホルムは、すぐに言葉がでなかった。
(やはり、何かが動いている)
 画面の男は、口を閉じ、スヴァンホルムの言葉を待った。
「遺体は丁重に。しかし、死因は確認する必要がある。監察医に調査させよ。あとは、現場を再調査して、目撃者を探せ」

 再度、ボタンを押して、オフにすると、スヴァンホルムは、手元の文章を読んだ。
『その声は、ひび割れ、何を言っているかわからないが、胸の中をまさぐるように私の中に届く……』
(何を感じたのか、イサダイネ。偶然なのか、逆恨みか? それとも、何かに巻き込まれたのか?)
 

 
 ユウは涙を流して、くっきりと浮かんだ骨にくっつくように張り付いたゴムのような皮膚の手を両手で包み込み、そっと唇に寄せ、額にあてた。
(ビヤコウクさま)
 ユウは、トナティカの親愛なる人への挨拶を無意識におこなっていた。



(8)
「早くすみましたね」
 最後のドアが開くと、ギルダがユウを待っていた。ギルダは、それ以上何も言わず、ユウをじっと見ていた。ユウの様子を観察しているようだった。
「あの方は、どういう方なのですか?」
 ユウは、ギルダに話しかけた。初めて、あの部屋に入って者であれば、そういう質問は当然すべきであろうと、判断したからだった。
「囚人です」
「囚人?」
 ギルダはうなづいた。
「声をききませんでしたか?」
 ユウは、一瞬、どう返事しようか迷った。
「うなり声をききました」
 ギルダはけげんそうな顔をしたが、「そうですか」というと、ユウから台の取っ手を取り、歩き始めた。

「あの、私の作業はどうでしたか。もう少し、丁寧の方がいいですか」
 ギルダのあとを追うように歩きながら、ユウはきいた。
「あの部屋のカメラは壊れているので、中の様子はわからないのですよ。ただ、あの人物には近づかない方がいいと思います。その方が、あなたのためです」
「どういうことですか?」
「あの白い布は、思念波の防御のためにあります。近づくほど、強い思念波を直接浴びる可能性があります。今まで、精神を害する者も出ているので、面倒なら、荷を置いてくるだけでもいいのです」
「わかりました」
(よかった……)
 ユウは、自分の作業内容を見られていのではないかと心配だったが、その心配は必要ないだろうと判断した。
(だが、それも本当かどうかわからない。気を緩めてはならない)
 

 スヴァンホルムは、部屋には来なかった。ユウは、一人で食べる夕食時間でさえ、慎重になった。そして、ベッドに入り込むと、肌掛けを体に巻きつけた。
(スヴァンホルムは、なぜ、来なかった? やはり、疑われているのだろうか)
 そう考えながらも、ユウは、一人でいられていることにホッとしていた。あの部屋に入っていた時間は短かったけれど大きな収穫があった。自分の事情について理解してもらえる人に出会え、細かい会話はできなかったが、多少の情報を仕入れることができたのは大きな進展であった。

<ヨリシロを……>
(依代……)
 トナティカにいる間に、もう少し、思念で会話する練習をすればよかったと、ユウは後悔していた。今までは、この屋敷に仕えていたトナティカの少年たちがその役目をしていたのだろう。
 ユウは目を閉じ、窓の外の木々を思い描いた。しかし、木の細部を思い描こうとすると、どうも、そのイメージがわきにくく、余計な方へ気がそれていった。
(中庭の木)
 そこは、ティスタが側にいて、空から青い羽が舞い降りてきた所。
 ユウの頭の中に、木と舞い降りる羽がくっきりと浮かんだ。羽が舞う。風がいたずらしているように、羽は下へ落ちることなく、空中を舞っていた。上空には、羽の主の青い鳥が木の上の方で旋回している。
(誰か、だれかこの声を拾って。ビヤコウクさまは生きている。誰か、この声に気づいて)
 
 キュウ、キューウーン
 鳥の声と共に、青い鳥がゆっくり、ゆっくり、降りてきた。プファンが見せてくれた鳥。青くつややかに光る翼。

<あゆみ>
 ユウの心臓がドクリと鳴った。

(9)
(やった!)
 ユウに向かって触手を伸ばしている何者かの声。ユウは、はやる気持ちを抑えて、頭の中のイメージをより正確に再現していた。言葉の一つ一つ、そして、実際見たイメージをより正しく。

(だれ?)
 名前を知っている誰かからの呼びかけ……ユウは、ドキドキしながら、自分の声を飛ばした。

 すっと今までの触手が引っ込み、見えかけた向こう側の相手の痕跡がパッと消えた。それと同時に、部屋のドアが開いた。

カツ、カツ、カツ、カツ……
 急いで歩いているような音。スヴァンホルムの足音だった。
 スヴァンホルムの足音は、そのままのリズムを続け、今は部屋の隅に置かれているイスに向かっていった。靴音は止まり、イスに深く座り込む音がすれども、そのあとは動く様子もなくそのまま、部屋は静かになった。
 
 ユウは、体を覆っていた肌掛けから顔を出した。
 スヴァンホルムは、天井の一点を見ていた。

(何かバレた? しかし、もしそうだとしたら……)
 そうだとしたら、イスに座って悠長に考え事などせずに、部下たちを連れてきて、どこかに連行されているだろうと、ユウは自分に言い聞かせた。
 何かが変わりつつあることだけは確かだった。ティスタの事件、そして、コンタクトを取りたがっている誰かの声。しかし、ユウにはそれが何を示唆しているのかわからなかった。一人では状況の打開が難しい今、ボラーではない者たちと合流し、チャンスを待つことが、地球への帰還の唯一方法だということだけはユウの中に固まりつつあった。
(自分で新しい展開を作る……)

 ユウは、肌掛けを少し大げさにはらいのけた。
 その音に気づき、スヴァンホルムはベッドの上のユウの方に顔を向けた。
「起きていたのか?」

「すみません。お部屋にいらしたときの音で、目が覚めてしまいました。声をかけずらくて、少し、だまっていました」
 ユウの言葉をさほど気にすることなく、スヴァンホルムは目をそらした。

 窓の外からぱらぱらと小さな音がする。雨季の雨はすぐに地を射るような雨になった。スヴァンホルムは屋外の誰かを思っているのか、外の様子をぼんやり眺めていた。ユウは、そのスヴァンホルムの様子をベッドの上から見ていた。

「お茶を……飲むか? トナティカのお茶だ」
 思い出したかのようにスヴァンホルムが言うと、ユウは、にこりと微笑んだ。
「はい」

「見よう見真似だ。トナティカの少年たちがいれるお茶はうまいが、私がいれるお茶の味は、保障できないぞ」
「大丈夫です。私は飲んだことありませんから」

 かちゃかちゃと不慣れに茶器を扱うスヴァンホルムの様子を見ながら、ユウは、出そうになったため息を飲み込んだ。
(ホント、いい人だな……)
 相手が冷徹であれば、それなりに演じることができるかもしれないのに、スヴァンホルムは、時々、妙に、何年も一緒にいたように親しげになる。しかし、そうかと思えば、じっとユウを観察している所もあるので、ユウは、気を抜かないように気をつけていた。

「どうだ?」
「何かを煎ったものですね。地球の飲みもに近いものがあります」
 エフスキアに出された豆を煎った飲み物であることは、香りでわかったが、味は大きく違っていた。スヴァンホルムはいつも薄めのものを飲んでいるらしかった。
「地球人はトナティカのお茶が好きなのだな」
「スヴァンホルムさまは、苦手ですか?」
「香りは好きなのだがな。味はどうも泥水のようにしか思えん」
 そう言うと、スヴァンホルムはフフッと小さく笑った。

「古代もよく飲んでいたな……」

「古代艦長も?」
 ユウは噴出しそうになったお茶を飲み込んだ。のどに熱いものが流れていく。それが収まると、ユウは言葉を続けた。
「艦長とは、親しかったのですか?」
「よく会って話をした。トナティカの話をよくした」
 進がトナティカで親しくしていたボラー人は、やはり、スヴァンホルムだったのだと、ユウは確信した。

「動物や植物、風習や人々の暮らし……変なものに興味をもっていたな」
 スヴァンホルムは、ぶつぶつ何かをつぶやくと、腰を上げた。

「どうかしたのですか?」
 ユウの鼓動はドクドクと大きくなった。スヴァンホルムの表情は硬くなっていった。
「仕事に行く」
「こんな遅くにですか?」
 ユウは、スヴァンホルムの顔を見つめた。

 心、ここにあらぬスヴァンホルムの姿を、ユウは、不安げな瞳で見続けていた。外の雨は、激しく窓を打ち続けていた。
 それでも、スヴァンホルムは、頭の片隅にはユウのことを忘れずにいたようで、ドアに向かって出した一歩をひいて、ユウの方に体を向けると自分に言い聞かせるようにしゃべり出した。
「ああ、明日もギルダに従って世話をしてほしい……嫌だったら、やらなくてもいい」
「私は大丈夫です。人の世話は得意です」
「そうだな、人当たりはよさそうだ。まるで……いや、では、体に異変があったら、早めにギルダに相談するように。無理はするな」
 ユウに声をかけながらも、スヴァンホルムの体はドアに向かっていた。
 スヴァンホルムの姿がドアの向こうに行ってしまうと、ユウは、ふーっと息を吐きながら、ベッドに腰を下ろした。

(何か思い出したかと思った……)
 ユウは、肌掛けを体に巻くと、ごろんとベッドにころがった。

(10)
 翌日、ユウは、またギルダに案内されて、ビヤコウクの部屋に向かった。
 ユウは、言葉を口にすることなく作業をこなした。
その合間、ユウは、ビヤコウクの手にそっと触れた。手のしわは深く、青白い肌に青い血管が鮮やかに浮かんでいる。ビヤコウクの鋼鉄のような冷たい手をマッサージしたい気持ちを抑えて、ユウは黙々と体を動かした。

<心配をする必要はない。私はここで朽ちていくだろうが、まだ、この星には、命の力みなぎるものはたくさんいる>
 ユウは、涙を流さないようにするのに必死だった。

<私はここから出られないかもしれない。しかし、私の言葉は、ここから出ることができる>
 
 ユウは、シーツを取り替える作業の途中、そっと、一枚の羽を忍ばせた。
(ここに依代を置いておきます)
 そして、何食わぬ顔で作業し続けた。ビヤコウクの白い手がシーツの隙間に伸びていった。ユウはちらりとその手の動きを確認すると、替えたシーツを簡単にたたんで台車に乗せた。

<私は、倒れる。その時に>
 その言葉が聞こえたと同時に、ビヤコウクが上半身をベッドから乗り出し落ちた。
「あっ」
 ユウは駆け寄り、ビヤコウクの体を起こし、ベッドへ戻した。その時、ビヤコウクの冷たい手が、ユウの服をぎゅっと掴んだ。ユウはビヤコウクの脇に両手を差し入れ、ベッドからたれたようになっていた上半身をゆっくりベッドに戻した。
 ユウの服を掴んだビヤコウクの指を一本ずつほぐすように、ユウは、指を重ねた。ビヤコウクの手の内にあった羽を受け取ると、ユウは羽が見えないように、自分の服の重なり部分に押し込んだ

<空へ向けて放ちなさい>
 ユウの頭に、青い空に舞う羽の姿が浮かんだ。
(必ず)
 ユウは乱れたシーツを整えながら、答えた。

 すばやく作業を終えると、ユウはドアの前に立った。ドアが開き、台車を滑らせるように移動すると、ドアがユウの動きにあわせるように閉じていった。ユウは、小さく息を吐いた。その数秒後、反対側のドアが開き、青白い光の空間にギルダが現れた。

「今日は早くすみましたね」
「ええ、昨日は、全体が汚かったので、片付けに手間取りましたが、今日は、シーツを変えるぐらいでしたから」
 ギルダは、それにうなづくと、ユウに急ぐようにと促した。
 

<もうしばらく、待ちなさい>
 ビヤコウクがドアの閉まる瞬間、ユウに伝えた言葉を頭の中で繰り返した。
(何かが変わる)
 喜びでもあるが、失敗する可能性もある。文明的に劣ったトナティカの人々が何ができるのか、ユウには想像ができなかった。
 

「スヴァンホルムさまは忙しいので、こちらには帰らないかもしれないそうです」
「え?」
 ユウは、どんな顔をしていいものかと思ったが、ギルダは、お構いなしで、ユウの前をスタスタと歩いていた。
(もう、動き始めている)
 この建物にいるボラー人もまばらになっていた。
(中枢機関は別のところにあるのか? だとしたら……艦(ふね)?)
 ユウは手を首に持っていく。もし、緊急事態になって、ボラー人たちが皆、艦に逃げていったとき、自分はどうなるのだろうかと不安になった。
(見捨てられるだけなら、トナティカで生き延びる術もあるだろう。その時、これが何をもたらすのか)
 ユウは自分の首に巻かれている装置をうらめしく思った。ごくりとつばを飲み込むと、それは確実にそこにあった。

 一日、何もせず、部屋に閉じ込められたままだったが、外につながる窓からは、隣接する森の風景が見えるだけましだった。ここ数日は雨が激しく、外の鳥の声をさえぎっていた。
(何かのはずみに、ここから出ることができても)
 ユウは、首輪型の装置をつかんだ。

<ヨリシロを……ヨリシロを……>
 その声に、ユウは、服の重なりにはさんだ羽を思い出した。

 手で羽のあるあたりを押さえ、目を閉じて、鳥の声に耳を集中させる。
 木々の間に吹く風。その風が葉をこすらせ、森の奥へ奥へと流れていく。目の前の木の葉が薄れ、空が広がる。スッと上に舞い上がっていくと、風は加速して、飛んでいる鳥たちに向かっていった。その鳥の羽を優しくなでるように進んでいくと、土の塊を寄せたようなトナティカ特有の集合住宅が見えてきた。
(そこなのか?)
 ユウは手を伸ばした。誰かが同じように手を広げて待っていてくれている……そんな気がした。

「何をしている?」
 突然の声にユウは振り向いた。部屋の入り口にはスヴァンホルムが立っていた。



(11)
 スヴァンホルムは、もし、自分に子どもがいたらと、思うことがしばしばあった。それは、イシュタリムが願っていたことだった。トナティカの人々から尊敬されていたイシュタリムの、唯一のわがままだったのかもしれない。
 「望んではいけないことはないでしょう」と、イシュタリムは笑って言っていた。トナティカの人々から、女神のように崇められることに窮屈だったのか、ベッドの中では一人の女になっていた。スヴァンホルムはトナティカの人々を冒涜する気持ちを持って、『女神』のごときイシュタリムを抱いていたわけではなかった。少なくとも、そんな気持ちはなかった。二人の関係が知れてしまったらという不安を抱えながらも、その頃心を許していた友と、二人の関係を察していたに違いないトナティカの長老に見守られながらの逢瀬の日々……スヴァンホルムの人生において、穏やかな日々であった。

 スヴァンホルムには、ユウにこれほど親しみを感じた理由がわからなかった。若い部下たちはたくさんいた。少年兵との接触の機会もあった。しかし、これほどまでに心許せるものがなんなのか、自分にも衆道の兆しがあったのかと、自問自答と繰り返していた。

「私は、もしかしたら、自分の子どもを抱くことができないかもしれない。私の体は、通常の人より強くできていないから。でも、産みたい。ボラーや地球では、死んでしまうほどの小さな赤ちゃんでも、生きていけるほど医術がすぐれているのでしょう? 私にも子どもが産めるかもしれない」
 イシュタリムは、子どもを欲しがった。

「この星は、子どもはみんなで育てるのよ。子どもは大切な宝物なんですもの。その子は、みんなの力で育っていき、ボラーの人にも、地球の人にも、トナティカ人にも愛される子になるわ」
 そういう話をしているイシュタリムは、とても輝いていた。白く透き通る指先でやさしくスヴァンホルムの頬をなでて微笑んでいた。

 結局、子どもがほしいというイシュタリムの希望も、いつまでもイシュタリムのいるトナティカの生活が続いてほしいというスヴァンホルムの希望もかなわなかったが、ユウが側にいるだけで、イシュタリムの夢がほんの少しだけわかる気がしたのだった。
(イシュタリムの夢の子)
 
 仕事が忙しくなればなるほど、探しても見つからぬイシュタルムの消息が気がかりになった。そして、ユウを見ていると、あのイシュタリムとの生活に強くこがれるようになっていた。なぜ、ユウを見ているだけで、そんな気持ちが強くなっていくのかスヴァンホルムにはわからなかったが、一日の疲れをいやすために、イシュタルムをより強く思い出すために、スヴァンホルムは部屋で待つユウのもとで、一日を終えたいと思っていた。

 イサダイネの事件だけでなく、トナティカで何かが起こりつつあるのだけは、スヴァンホルムにも察知できていた。トナティカの人々は、不平を言わない。けれど、小さい子どもでさえ、スヴァンホルムがどんなに好意的な笑みを浮かべていても、怒りの目を向けていた。音楽好きで、いつも音楽と共に笑い声があったトナティカではなくなってしまったこともスヴァンホルムは知っていた。人々の目をこんなにしたのは、やはりボラーの統治のせいで、ボラーの統治の仕方に欠点があったのは間違いなかった。だからといって、ほとんど開発されていないトナティカをボラー連邦は黙って見過ごしてくれるようにはならないだろうこともスヴァンホルムはわかっていた。
 ボラーの利益だけを考えた開発は、自然の中の多くの聖地や神の宿る木のことなど考えずに行われていた。優先順位をつけて、トナティカの人々の根底を揺るがす禁忌だけは避けてきたつもりだったが、トナティカの人々からみれば、大事なものには、順位はない。トナティカの人々の大切なものを奪っていることには変わりない。
 イサダイネの事件も、部下たちから、「厳罰を」の声があがっていた。誰でもいい、仲間を殺した者はどうなるか、見せしめが欲しいということだということはスヴァンホルムはわかっていた。
 結局、スヴァンホルムは、部下を落ち着かせ、集団でも個々でも、トナティカの人々に蛮行を働かぬように諫めることだけに終始していた。
 そして、スヴァンホルムは、いつもの通りに部屋に戻る。せめて、寝ている間だけでも、イシュタリムのいる夢の世界に浸りたいと思いながら……

 スヴァンホルムは、開くドアの向こうに、窓辺の側に立つユウの姿を見た。スヴァンホルムの目は大きくなっていった。
(前にもこんな風景が)
「何をしている?」
 スヴァンホルムは詰まっていた言葉をようやく一つ吐き出すことができた。
 
 窓の向こうの木々が、風景が、そして、取り巻いている空気でさえ、ユウを歓迎している。スヴァンホルムの方に振り向くと、ユウはにこりと微笑んだ。
(ああ……)

 その笑顔をどこかで見たのか、スヴァンホルムは思い出していた。イシュタリムが夢見ていた子どもの姿が、ユウの姿に重なっていく。イシュタリムは具体的に子どものことを話していたわけではないのに、どうして、ユウの姿と重なっていたのか。
 スヴァンホルムの頭に、今、目の前と同じような風景の記憶がよみがえってきた。
(そんな……まさか……)

 スヴァンホルムは、自分の心臓が強く早く鼓動を刻んでいるのに気づいた。



(12)
「夜風にあたっていました」
 ユウは、平然と言いのけた。その様子に、スヴァンホルムはよほどかちりときたのか、ユウの言葉を繰り返し、詰問した。
「夜風? 激しい雨が降っているのに、風だと?」
「すみません。一日中閉じた空間にいると、気持ちが滅入ってしまうのです」

「ほう、宇宙戦艦に乗っていたというのに」
 スヴァンホルムはそれ以上言葉を続けるのをやめた。そうでなければ、言葉があふれ、言葉だけでなく、手までもでそうだった。
(そうなったら、まるで痴話げんかだ)
 スヴァンホルムは、長イスに深く座り、目を閉じた。ただ一つの記憶だけで、目の前の何かが崩れていった。それは、イサダイネの殺害と同じように、何も変わらない世界が、自分の知らぬ間に、大きく変わっていっていることを突きつけられたようだった。

 ユウは、ただ、動ぜず、普段通りを心がけて、窓の内側の扉を閉めた。
「私が世話をしている老人のことですが」
 ユウは思い切って、長老の話を始めた。
「あの部屋にいると、頭の中を探られているようで、どうも苦手なのです」
 ユウはイスに座っているスヴァンホルムをじっと見ていた。スヴァンホルムは何か考えているようだったが、目を開け、一言、「明日も世話をするように」と言うと立ち上がった。
 ユウは、ただじっと、スヴァンホルムの次の動きを見守った。
 スヴァンホルムはユウの姿をちらりと見、
「すまない、どうも仕事が残っているとと、気持ちがせく。私は執務室に行く。体調が悪ければ、明日は、あの囚人の世話は休めばいいだろう」
そう言葉を残すと、部屋を出て行った。

(何をイライラしているのだろう)
 ユウはスヴァンホルムの背中を見送りながら、そっとウエストに挟み込んで隠した羽を確認するかのように触った。
(慎重にならないと。この部屋には監視カメラがある、たぶん……)

 ユウは、急いでベッドにもぐりこんだ。ベッドのシーツの中なら、直接は何をしているかは見えないだろう。
(もう一度、最初から)
 さっきのイメージを頭の中に浮かべる。
(そう、風に乗る……風に連れて行ってもらう……)
 そして、ユウは、目の前に見える指先をつかむ。
(もう一度、連れて行って……)



(13)
 執務室に戻ったスヴァンホルムは、部屋の奥にある簡易ベッドの置かれた狭い部屋で横たわった。若いころ、初めて宇宙船に乗った時のような狭いベッドは、体を自由に動かすことはできなかったが、目を閉じ、何も考えずに寝るためには最適であった。可能な限り体をくねらせ、一番安定する体勢を確かめると、スヴァンホルムは枕元の電気を切った。
 チュ、テュ、テュ
 居心地いい眠りに入りかかったとき、聞きなれた電子音が耳に届いた。通信機からの音だった。
「先ほど、オウルフの身柄を確保いたしました」
(オウルフ……)
 一度眠りかかった頭の中を少しずつ覚醒させながら、スヴァンホルムは上半身を起こした。
「問題がなければ、彼と面会したいのだが」
「今からですか?」
「今からだ。何か問題があるのか?」
「いいえ、ただ、かなり、強引につれてきたものですから」
「そう、命令を出したのを私だ。彼に、そのことについて、説明する義務がある」
「わかりました」
 スヴァンホルムは、通信機のスイッチを切ると、胸元のボタンを急いで留めた。指がかじかんだように自由に動かず、いつもよりすんなり動かない。スヴァンホルムは小さな深呼吸をした。ボタンは先ほどの動作が信じられないほど、ちゃんとボタン穴へ入っていく。
 靴をはきながら、スヴァンホルムは、オウルフと呼ばれていた男の顔を思い出していた。

「私はね、この星の人が好きなのだ。木々や動物たちを大切にし、自分たちの自由な意思を大切にする。人らしいと思わんかね。国のため、国のためと生きているボラー人とは大きく違う」

 部屋に通されたスヴァンホルムが見たのは、後ろに手を拘束されている男がイスに座らされている姿だった。
「やあ、久しぶり」
 言葉はとても親しげだが、乱れた衣服、髪から、かなり強引に連れてこられたことが伺えた。
「また、戻ってきたと聞いていたが、こんな風に再会するとは。フフフ、ハハハハハ」
 男の笑い声が部屋の中にこだまする。スヴァンホルムを見る目は姿と裏腹で、輝きを失っておらず、ずっとスヴァンホルムの姿を捉えていた。
「オウルフ、わが連邦がお前のわがままを、ずっと見過ごしていたのは、今日の日のためだ。役割、きちんと果たしてもらう」
「おや? 私は、ボラー連邦から、何か報酬をいただいていたかな? 約束はした覚えはないが」
 オウルフと呼ばれた男は、また、声を立てて笑った。
「君がどれだけ、ボラーの人間かを思うだけでいい」
「その割には、この連行のされ方。これでは、罪人と同じだ」
 オウルフは、縛られた手をイスにぶつけてガサガサと音をさせた。
「急を要した。すまなかったな。いくつかのことを聞きたい。質問に答えてもらえれば、君は、元居た場所に丁寧に送っていかせる」
 スヴァンホルムは、オウルフをなだめながら、この男は知っていても、何もしゃべらないだろうと思った。
「オウルフ、私の信頼している部下が何人か不審な死を遂げた。この星の住人たちが、不満を持っているのもわかっているつもりだ。何が起こる? 何かが起こるはずだ」
「ほう、この星の住人たちは、戦を好まぬ性質。そんなに怒らせることをしたのかな」
 オウルフは、鼻で笑った。しかし、オウルフはパッと真顔に戻った。スヴァンホルムは言い切った。
「私は、何もしていない。そんな命令は出していない」
 スヴァンホルムの言葉を聞くとオウルフは眉間にしわを寄せた。
 オウルフの不満を感じたスヴァンホルムは、話題を変えた。
「この星について歴史書を書くのが、君の目標だったね」
「それは昔のこと。書かれた歴史なんてものは、征服したものの驕りの塊だよ。征服者が自分を正当化するために書くものが、歴史ならば、私はただ、この星で生きるだけでいい。スヴァンホルム、昔のあんたの方がましだったよ。この星の住人は、こんな風に半植民地化されていても、大きな行動しないってことは、昔のあんたは知っていた。今はどうだい、商人たちはやり放題で、あんたたちに提出した計画書どうりに採掘していると思っているのかい。人の使い方もどうだ。工作機械があるのに、人力でさせて、奴隷のように酷使しているのではないか」
「徐々に取締りをしている。私が聞きたいのは、そうではない。今、この星で暴動が起きたら、どうなる? 我々は武力で抑えるしかないだろうが、私はそれはしたくない。この星の住人は、念じることだけで言葉や考えを遠くの人に伝えることができるという。部族はバラバラのようで、どこかつながっている……お前が私にそう言っただろう」
「武力、武力、武力。それは解決の素になると思っているのか」
「だから、彼らに武力ではない方法で訴えることも必要だ」
「彼らの能力は万能ではないし、すべての人がそうであるわけではない。それよりも、前のように、我々も長老たちを敬い、この星のやり方で……」
「何人かのボラー人は、不審な死に方をしている」
 スヴァンホルムは、オウルフの話を断ち切った。オウルフはそんなことを知っている風で、かろうじて動く足の裏で、床を強く蹴って反論した。
「少しずつ、少しずつ怨念のような行き場のない感情が積み重なって、それが今までこの星になかったくらいに深く人々の心に蓄積されているのだ。解決方法を教えてやろう。ここいらで、一旦、この星から引き上げるがいいだろう。宇宙に出てまでこの星の住人は追っかけてくることはない」
「無理だ」
「あんたの何人か部下が、残忍な方法で殺されているのだろう」
「それだけでは撤退できない。この状態を回避するため、もっと、確実なデータが欲しいのだ。その協力をお願いしたい」
「私に? ボラーを捨てた私にか」
「私たちの危機を平気で見ているのか」
「ああ、そうだ。だが、まだ、時間はある。今、この星を撤退すれば、あんたたちの仲間もこれ以上死なずにすむ。これが一番いい解決方法だ。お互い冷静になる必要がある」
 スヴァンホルムは、口を一文字にぎゅっと閉じた。
「撤退はできない。長老を人質に取っている。この長老を使ったいい方法を考えろ」
「長老を人質に……そんなことは今すぐやめろ。長老が死ぬようなことがあったら、彼らはどんなに怒り狂うか」
「オウルフ、君は私の今までの部下の中で一番の知恵者だった。もう少し、我々にいい解決策を提案してくれ。君も家族のことが心配だろう。いい策が浮かんだら、すぐに連絡をくれ。私は待っている」
 スヴァンホルムは、部屋を出ると、部下に命令をくだした。
「オウルフの住居周辺と家族を調べ上げろ。少々、強引でもいい。なるべく早くだ」
(時間がないのだ)
 スヴァンホルムは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


(14)
「艦長、これでいいですか?」
 背後から聞こえる澪の声に、進は振り向いた。
「ああ」
 進はそれ以上、言葉を発することができなかった。青いドレスを着た澪は、明らかに地球人ではなかった。透き通るような素肌、豊かな金色の髪は、ドレスによって一段と輝いて見えた。
 言葉にできない分、進は微笑んだ。うれしさもあり、悲しさもあり……複雑な気持ちを、今はどう自分の中で消化していったらいいのか、進にはわからなかった。

「艦を下りて、謁見するには……私ひとりでは心許ない。君に同伴をお願いしたい。彼もきっと……」
 進は手袋をはめた手をぎゅっと握った。
「彼?」
 澪は進の言葉を繰り返した。
「彼は、デスラー総統は、きっと君に会いたがっている」
 澪は、首をかしげた。髪がその胸元で揺れる。
「スターシャの娘である、君に会いたがっている。だから、君は、スターシャの娘として彼にあって欲しいんだ。ただ」
 進は、唇を硬くした。
 澪は、何度も瞬きをして、進の口元をずっと見ていた。そして、進の口元が微笑んだ。
「君が嫌なら、ヤマトの制服でかまわないよ。命令ではなく、これはあくまで、私の希望だから」
 澪の手がすっと伸び、ドレスの袖を確認するように手を交互に高く上げた。
「では、少し、このあたりを詰めてもらえませんか? ここ、少しゆるくて」
 澪は、両脇をつまんで、体を左右に振って、ドレスの布の流れるさまを確かめていた。
 進は、少しやせてまた一段と大人の体形になっている澪を見て、微笑んだ。ふっくらしていた頬も少しこけ、うつむくと長いまつげが深い海のような瞳を覆い隠す……彼女がやはり、イスカンダルの最後の女王の血を引いていることを物語っていた。
「わかった。もう一度、君の今のデータを入れて、作りなおさせるよ」
 澪は小さくうなづいた。



 ユウは、羽を胸に押し付けると、目を閉じた。
(鳥よ……)
 外の木々の姿を頭の中にイメージし、鳥を探す。
(誰か、答えて……)
 ユウは、イメージの世界の中の森の奥へ進んでいった。以前、トナティカにいたときに歩いた森をイメージした。イメージが明瞭なほど、ユウは早く森を進むことができた。しかし、そのイメージも途切れ気味になっていた。記憶があやふやな部分は、暗い雲がかかっているようになるり、失速していく。あせればあせるほど、ユウのイメージしている森は狭くなっていた。

 キューン、キューウーン
(ああ)
 鳥が、ユウを導くように目の前に現れ、先導する。
(さっきの場所へ連れて行っておくれ)
 ユウの体は風に乗って、鳥といっしょに上昇する。そして、さっき見た景色に戻った。鳥は、一声鳴くと、いくつかある窓の中の一つに向かって飛び込むように突っ込んでいった。窓から伸びる手にユウは手に持っていた羽をそっと乗せた。ユウの手が伸びてきた手に触れる。温かい感触が妙になまなましかった。
(あっ)
 ユウがそう思った瞬間、糸を手繰り寄せられたように、ユウはベッドのある寝室に引き寄せられた。
 はあ、はあ、はあ、はあ
 短い時間だったはずなのに、それ以上何かを考えるのも面倒なくらい、頭が疲れていた。がんがんと耳元で鐘を打ち鳴らされているようだった。



(15)
 ユウは翌日も、ベッドの中で何度か繰り返した。
 鳥に導かれてたどり着く窓の手が、だんだんと明瞭になってきていた。
(もう一度……)
 鳥の声に導かれてユウは、一つの窓に吸い込まれるように近づいた。
 すっと伸びる手。白くもう何年も日に当たっていないような青白い手。ユウはその手に向かって、自分の手を伸ばす。伸ばした指先が白い指に触れそうで触れない。大きく腕を動かし、白い指に触れようとするが、ユウの指先は、空を切るだけだった。その空のどこからか、鳥の羽音が聞こえていた。
 キューン
(だめだ……)
 ユウの目の前は真っ暗になり、体は強い力で後ろへと引っ張られた。
(何かにつかまらなければ)
 手を伸ばして、周りの物を探る。初めは何も感じなかった腕に、何か重さを感じるようになる。そして、体全体に重さを感じるようになると、それは、無重力の世界から、引力の世界へ戻ってきた時のようだった。
 ゴブゴブ、ググ
 ユウは、息が苦しくなってきたことに気づいた。ユウは、腕を振り回すように動かそうとした。しかし、さっきまで、自由に動いた腕には、さらに何かが覆いはじめていた。
(水の中?)
 何度も夢で見たシーンが始まった。夢であるはずなのに、手足は水の重さで動かなくなり、口からもれるあぶくの音や泡が生々しいほど、ユウの脳内で表現されていた。
(これは夢なのだ)
 夢の中で、ユウは、自分に言い聞かせる。
 ゴボッ
 大きな息を漏らしたとたん、ユウは、さらに暴れた。息を吸うことができない。
(これは本当に夢なのか)
 ユウには、現実か夢かが判断つかなくなっていった。そうこうしているうちに、体全体が大きなGがかかったように強く抑えつけられているように重たくなった。
(嫌だ)
「死ぬのは嫌だ」
 思わず、ユウは叫んだ。声になったかどうかわからなかったが、その言葉だけが、リアルにユウの頭の中に繰り返していた。だが、次の瞬間、ユウの腕は強く握られ、引っ張られた。
 体はふわりと軽くなったが、その分、手足をまた、大きく動かした。パンパンという音がユウの耳に響いた。
「目を覚ませ」
 その声とともに、もう一度、同じようにパンパンと音がした。ユウは、頬に痛さを感じたが、目を開けることができなかった。
「目を開けろ」
 もう一度、両頬をリズムよくはたかれる。今度は、頬の表面がヒリヒリするような感触も感じた。ユウは、左右にだらんと伸びた両腕で、周りをまさぐった。波打つ布と慣れた硬さのマット……寝台の上にいることに気づくと、ユウは呼吸を整えながら、ゆっくりと目を開けてみた。目の前には、意外な人物がいたので驚いた。
「ス、スヴァンホルムさま?」
 ユウの両肩をつかみ、体をベッドにねじ伏せるように抑えていたのは、スヴァンホルムだった。
 スヴァンホルムは、呼吸を整えるように、何度か深く吐いた。
「また、おぼれる夢か」
 スヴァンホルムは、ベッドから降りると、脇のテーブルの水差しの水をコップに入れ、それを一気に飲み干した。
「死んだように寝ていたかと思ったら、大暴れ……まるで、最初の時のようだ」
 スヴァンホルムは、コップに水をなみなみに入れ、ユウに差し出した。
「最初の時?」
 ベッドのそばに立っているスヴァンホルムを見上げたユウは、コップを受け取った。
「子どものとき、水におぼれたことは?」
「いえ、記憶にはありません。でも、おぼれた夢はよく見ます。理由はわかりません」
 見ていた夢をスヴァンホルムはどうしてわかったのか、ユウは気になったが、話がそれたことで、少し気持ちが落ちついてきた。ユウは、コップの水をごくりごくりと音をたてて飲んだ。そして、スヴァンホルムが何を知っているのかが気になった。
(すべてを知っているのか、それとも、おぼれた夢だけを知っているのか)
 
「怖い夢なのか、おぼれる夢は」
 ユウは考え事をしていて、スヴァンホルムへの返事をすっかり忘れていた。
「いえ、最後は必ず誰かに助けてもらえる夢です。いつも、途中で終わってしまうので、苦しいだけです。でも、今日は、最後まで見ることができました」
「最後まで苦しそうだったが」
「ちゃんと助けてもらいました。スヴァンホルムさまに」
 ユウは笑った。笑うほど余裕がないときであるはずなのに。今まで、何度もおぼれる夢を見るたびに、同じようにそばにいてくれた人がいた。それが父親であったことをユウは思い出せた。
「微熱があるそうだ。今日は部屋で休むように」
 ユウの首にはめられた輪は、ユウの健康状態のデータも、どこかに記録されているようだった。


(16)
 スヴァンホルムが仕事へ出て行ったあと、ユウは一人、ベッドの中で寝ていた。
 体が少しほてっている。
(心が騒ぐ……)
 ユウは、漠然といつもと違うということだけを感じ取っていた。
(それだけ、自分が感じ取れるようになったのか、それとも……)

 イシュ・ファ・アロ・ドウダ  イシュ・ファ・アロ・ドウダ
  イシュ・ファ・アロ・ドウダ  ララララララ
 
 ユウの耳に無邪気な歌声が聞こえたような気がした。風に乗って、誰かの心の声が届いたのだろうか。以前、トナティカにいたときにも途切れ途切れ、誰かが歌う歌声が聞こえたような時があった。医者である母親は、そんな話をよく聞いてくれた。

「歩は若いからからしら、それとも、もともと、そういう素因を持っていたのかしら。この星の人たちの思念に同調しちゃうのかしら」
「同調?」
「そうね。たとえば、うれしそうな人のそばにいると、うれしくなっちゃうでしょ。その能力が長けていると、強い思念波に同調できるのかも。離れていても、思念波を感じることができるのかもしれないわ」


(もしも……)
 ユウは目を閉じた。

イシュ・ファ・アロ・ドウダ  イシュ・ファ・アロ・ドウダ
 イシュ・ファ・アロ・ドウダ  ララララララ……

 ユウは、笑い声がどこからか聞こえたような気がした。だが、声を聴こうと音を聞き取ろうとするが、聞こえてくるのは、雨の音だけだった。
「むずかしいな」
 意識すればするほど、先ほどまで感じることができた気配と音は遠ざかっていった。
 ユウは朦朧とする中、さっきの歌をくちづさんだ。
イシュ・ファ・アロ・ドウダ  イシュ・ファ・アロ・ドウダ
 イシュ・ファ・アロ・ドウダ  ララララララ……


「いつもあんな感じか」
 モニターに映るユウの姿を見ていたスヴァンホルムは、隣の監視官に声をかけた。
「ええ、部屋にいるときは、窓辺にいて外をみていたり、ベッドの中でうずくまっていたりですね。あと、定期的に運動をしています。体力を落とさないようにしているのでしょう。訓練された兵士は、大抵、体を動かしたがりますので、変わった行動ではないでしょう。動いていない時は、神経を研ぎ澄ませているのかもしれません。たとえば、カメラに映っていることを意識していたり、または、部屋や部屋の周りについて、何か変化がないかを感じ取ろうとしているのかもしれません」
「捕虜としては、ありきたりな行動か」
 監視官の手を押しのけ、、スヴァンホルムは画面に映るユウの姿部分を拡大する操作をしていった。その動きに監視官は眉をひそめた。
「どの星の兵士も、精神的に異常をきたしていなければ、同じような行動をしています。今日は体温が高いせいか、少し意識の混濁もみられますが」
 監視官の言葉を完全に無視と決め込んだスヴァンホルムは手を止めた。
 画面には、ユウの顔がどんどん広がっていった。そして、その焦点は、ユウの唇へと絞られて行った。
「何か言っている? 音声は拾えるか?」
「音声はかなり小さいです。地球の歌か言葉を口ずさんでいるのではないでしょうか」
「拾えるだけでいい。どんな音を出しているのか、解析してもらえないか」
「音だけでいいですか」
「翻訳できるものなら、翻訳してくれ」
 スヴァンホルムは、また、モニターに目をやった。
「今日は、どういたしましょうか」
 スヴァンホルムは、後ろで控えていた男に視線を向けた。
「今日は部屋で休むように伝えてある……どうしたのだ?」
 スヴァンホルムはその男の後ろに控えていた男に気づくと、声をかけた。
「ご報告にまいりました」
 スヴァンホルムは細かいことでも報告するよう、口うるさく命じていたことを思い出した。
「そう……オウルフはどうしている?」
「気を失っているようで、動かないままです。それから、オウルフの家族に逃げられました。今、追っています」
 スヴァンホルムは唇をかみながら、何かを考えていたが、男をにらむように話し出した。
「周りのトナティカ人たちに、オウルフの家族に伝えるように言ってくれないか。<オウルフの命は、あなたたちの行動次第だと>」
「探索はやめますか」
「トナティカ人たちの動きを見張れ。家族は見つからないないだろう。オウルフのことだ、家族には自分が捕まった時のことを言っているはずだ。あの男は、そういう段取りはきちんとできる男だ」
(まったく……)
 以前から、オウルフの能力を買っていたスヴァンホルムは、その後の言葉を収めた。オウルフはトナティカの女と結婚をし、子どもをもうけていた。それ以来、オウルフは、トナティカの人々と同じ服を着、同じ住居に住み、同じものを食べていた。それは、ボラーの生活環境と比べれば、質素で、原始的で、快適さもなく、不衛生な生活であった。

(イシュタリムが望んでいたのは、そういう生活だったのか。いや、そんなことはない。彼女は進んだ文明の生活の中で子どもを産みたかったのだ)

「トナティカ在留のボラーの同志たちには、第三段階の緊急配備をするよう、連絡をしろ」
 スヴァンホルムは後ろの男に言うと、画面のユウの姿をもう一度じっと見た。


(17)
 その夜、スヴァンホルムは部屋に戻ってこなかった。
 ユウは、深く寝入り、朝までぐっすり寝ていた。
 朝、ギルダが来て、長老の世話を休んでもいいと言われたが、ユウは昨日行けなかったことが気がかりで、強く部屋に行く事を希望した。
「いいでしょう」
 ギルダはあっさり、ユウの希望を飲んだ。
 ユウはギルダに導かれ、地下方向のあの部屋へ向かっていた。毎日、わざと違うルートで案内されたが、おおよその方向だけは感じ取っていた。
(下へかなり下って……)
 ユウは、自分の決めたポイント地点から、その場所までの大体の位置関係を頭の中に叩き込んでいた。
「あっ」
 ギルダは小さく声を出した。壁の文字は、ボラーの文字だろう。ユウには読めないが、ギルダはその文字で、道を間違えたことに気づいたようだった。ギルダは来た道を戻り、また、別のエレベーターで下へ下った。
(そう、さっきは、少しずれていた)
 ユウは、ギルダの間違いに気づいた自分の頭の中の地図に確信を持った。
 部屋の前に着くと、毎回の儀式のように、ギルダから首飾りを受け取る。そして、大きく重い扉が、一枚ずつ開いていく。

 かさり
 最後のドアが開いた時、枯れ葉が落ちるような、かすかな音をユウは聞いた。
 ユウは、白い布を掻き分け、その中心へ向かった。
(ビヤコウクさま!)
 不自然な体勢でベッドに倒れている体に、ユウは駆け寄った。そして、その体を揺さぶった。枯れ果ててしまった体には、かすかな温かさはあるが、もう、命のエネルギーというのが尽きかけていた。
(ビヤコウクさま……)
 肩を揺さぶるユウの手に何かが触れる。ビヤコウクの手が、ユウの手に触れていた。
「よかった」
 ユウは、声に出した。

<声を出してはならぬ。誰かが聞いているかもしれぬ>

 その声に、ユウは、少し目を開けたビヤコウクの体を抱き起こし、まっすぐ上を向いて寝ている姿勢に移動させた。体のいたるところの肉が崩れ、ただれているところは無数にあった。毎日、ユウは姿勢を変えてはいるものの、一日中付いているわけではないので、充分ではなかった。
(すみません、私の力では何もできず)
 ユウは、ビヤコウクの手を取り、唇にその手を押し当てた。

<お前のせいではないよ。誰のせいでもない。私の命は直に枯れるのだ>

 ユウの額に触れていたビヤコウクの手は、すっと離れていった。

<お前に会えてよかったよ。私は、誰かに最期の言葉を告げることができるのだからね>

 ユウは、首を振った。
(だめです、ビヤコウクさま。依り代を飛ばすことができました。誰かが、必ず来てくれます。ですから、ビヤコウクさま……)

<泣いてはだめだ。お前は戦士になったのだろう。戦士は、どんな時にでも戦い続ける。いいかね、戦いは、力で攻撃するだけではない。自分との戦い、平和を守るための戦い……いろいろある>

 ビヤコウクの手は、そっとユウの頬をなでた。

<おやおや、お前には大事な人がいるのだな。そう、大事な人の側へいつか戻らなくては。争いが続けば続くほど、お前は、お前の星に帰れなくなるだろう。そして、この地の人々もたくさん死んでいくだろう>

 しわの一つのようにビヤコウクの目は閉じられていった。

<お前は賢い子だ。わかるだろうよ、どうしたら、地球に帰ることができるのか。どうしたら、この地の人々が、昔のように暮らしていけるかを>

 ユウはもう一度首を大きく振った。
(わかりません。わかりません、ビヤコウクさま。あなたがここで死んだら、皆が半狂乱になります。どうか……)

<私の心の一部をお前に託すよ。私はそんなことを望んではいないことを伝えておくれ。私は、自然に枯れるだけなのだ。わかるね、お前は、たくさん生きているものを見てきているはずだ。命が枯れるということはどういうことか、わかるはずだ。この地の者でも、勇んで戦いを望む者もいるだろう、ボラーの者でも、戦いをやめさせようとする者もいる。そして、お前は、そのどちらでもない。だから、この地の者にもボラーの者にも話すことができるであろう>

 ユウの指先にビヤコウクの指先が触れる。そして、その指先の動きは、そのまま止まってしまった。
 ユウは、ビヤコウクの体をゆすった。心臓に耳をつけ、首の動脈に手をやった。
(ビヤコウクさま)
 ユウは、最期に触れた指に顔をすりつけた。



(18)
「あの長老が亡くなったのか?」
 スヴァンホルムは、あごの辺りに手を持っていき、少し角ばった自分のあごをつかんだ。その姿を見ていたギルダは、頭を下げた。ビヤコウクの死の咎めを受けるのではないかと、スヴァンホルムの言葉をただ、その姿勢で待っていた。
「まさか……」
「はい、あの地球人の捕虜が世話をしているときでした。あまりにも時間がかかっていたので、外からドアを開けたら、放心状態の彼があの長老を抱きかかえておりました」
 スヴァンホルムは、口を開けかけたが、言葉にするのをためらった。長老の死も驚きの一つだったが、その長老を抱きかかえるユウの姿が脳裏をよぎったからだった。それも鮮明にその様子を映像として頭の中に入り込んでいた。
「長老の遺体から離すが大変でしたが。今までの係りの者でも、発狂したり、心を閉ざしてしまったり、心の病にとりつかれた者がおりましたから。あの青年も、何かの術で心を抜かれてしまったのではないでしょうか」
「もういい」
「はい?」
 スヴァンホルムの言葉でギルダは顔を上げた。目の前には、口をしっかり一文字に閉ざしたスヴァンホルムが立っていた。
(何かが始まる……)
 スヴァンホルムの頭の中には、その言葉が、ぐるぐるとめぐっていた。
「レベル5の体勢をとれと、トナティカにいるすべてのボラー人に通達しろ。なるべく早くだ」
 そう叫ぶようにいうと、次に脳裏に浮かんだのは、窓辺に立ってにこやかに振り返るユウの姿だった。
(行かせない。カゴの鳥はカゴの中だ。空には行かせない)



 ユウは、ぼんやり外の木々の揺れを見ていた。
(死んでしまったのだよ。ビヤコウクさまは)
 風が流れると、雨の滴を蹴散らしているように、葉が小枝が揺れる。。 
<誰のせいでもない。私の命は直に枯れるのだ>
 これで二人目だった。ユウの腕の中で、命が枯れていったのは。その瞬間、時を止めたいと思っても、死という瞬間はホンの小さなポイントで、止まることなく、時は流れていく。
 ユウは目を閉じ、森の奥へ心を放った。まだ昼間だと言うのに、森の奥へ進むほど、暗雲の塊のようなものが森の向こうに固まっているのが見える。ぐるぐると、黒い塊は集まり、より漆黒の世界をつくり、森を暗くしていく。
 ウウウ
 塊はうなり声を上げ始める。
(だめだよ。ビヤコウクさまは戦いを望んではいなかった。いけない!)
 ユウの叫び声が黒い塊から飛び出してくる行く筋の突風の黒い手によって、消されていく。ユウは、その強い風に吹かれて、立っているのが精一杯だった。
(いけない。戦ってはいけない!)

 
(19)
 スヴァンホルムは、立ち止まった。頭の中に、部屋で待つ笑顔ユウの姿が浮かんだ。それを振り切るように体の向きを変えて、反対の方向に足を向けた。住居に使っていた館には人影がない。皆、緊急体制で、指令本部のある戦艦の中へ移動していっていた。
 ドアの前に立つスヴァンホルムは、目を一度閉じた。腰につけた銃に手をやり、もう一度確認する。
 ギ、ギギギ
 ドアの隙間から、窓辺に立つユウの姿があった。
「今日も雨だな」
 スヴァンホルムの声がかかるまで、ユウはただ、窓の外を眺めていた。
「すみません。ぼんやりしていておりました……」
 ユウは、夢遊病者のように、ゆっくりと力なく振り向き、歩きだした。スヴァンホルムは、手を前に出し、それ以上近づくなという合図を出した。
「一つ聞いていいか」
「なんでしょうか」
「お前の父親についてだ」
「父ですか?」
 スヴァンホルムは、ユウの瞳がくるり輝き、生気を取り戻したのを確認していた。
「夢によく出てくる父親だ。よほど、父親が好きなのだろう」
「そんなことはありません」
「私の星では、子どもとその父親は接点が少ない」
「スヴァンホルムさまのお父様は、どんな方だったのですか?」
「学問が好きで、研究室にばかりいて、会わない日が多かった。軍人だったおじの武勇伝を聞きながら、私は、どちらかというと、おじのように、戦いの成果で評価される世界にあこがれていた」
「私の父も学者だったのでした。でもよく家にいました。私の面倒もみていたので……きっと、私を育てるために、そういう生活をしていたのかもしれません」
「なぜ、お前は宇宙戦士になったのだ」
 ユウは、言葉に詰まった。
「スヴァンホルムさまと同じかもしれません。父の友だちは軍人が多かったので、そのおじさんたちの話を聞いていたせいか、あこがれていました。……でも」
「でも?」
 スヴァンホルムは、ユウの言葉を繰り返した。
「私が生まれる前、父は宇宙で仕事をしていたそうです。私はその話を父から聞いたことがなかったので、父のことが知りたかったのかもしれません」
「父親のことが好きなのか」
「ええ、たぶん……やさしくて、いつも、笑って見守ってくれていた父が好きでした」
 ユウの唇が硬く閉じられたのを確認したスヴァンホルムは、とっておきの質問を投げかけた。
「お前の父は、軍人だったのか?」
 ユウは首を横に振った。
 スヴァンホルムは質問を続けた。
「お前が生まれてからも宇宙に出ていたのではないか? 父と一緒にお前もこの星にきたことがあるのではないか?」
「いえ、違います」
 二人の言葉は途切れ、お互い見合う状態が続く。
 その沈黙を切るように、スヴァンホルムが言葉を続けた。
「ではなぜ、この星での歌を知っている」
「トナティカの少年たちの歌を聞いただけです」
 スヴァンホルムの質問は続いていく。ユウは少しあせり始めた。
(スヴァンホルムは何かを思い出したのか?)
「あの老人の名前を知っているか」
「いいえ」
「知っているのだろう」
「いいえ、知りません」
「知りません……か」
 スヴァンホルムは繰り返した。そして、ユウの顎に手を伸ばし、顎先をつかんだ。
「私は、お前に会っている。以前、この星でお前に会っている」
 ユウはぎゅっと唇を硬く閉ざした。
「もう一度聞く。お前は、この星に、父親といっしょに来たことがあるのではないか?」
 ユウは口の中にたまったつばを飲み込むと、ゆっくり唇を開いた。
「トナティカに……いました。父と母といっしょにいました」


(20)
「あなたにはたくさん嘘をいいました。私は、トナティカの少年たちの歌っていた歌も知っていました。あの老人……ビヤコウクさまのことも知っています。私はこの星にいました。父と母と一緒にこの星にいました。そして、あなたをお見かけしたこともあります。きちんとあいさつをしたことはありませんでしたが、私はあなたのことを知っていました」
 ユウは、自分の胸が激しく動いているのを感じていた。それでも、それを押し隠すように、ゆっくり息を吸った。
 スヴァンホルムは驚いた様子もなく、眉一つ動かさず、体も微動だにせず、ユウの様子を見守っていた。ユウの顎先をつかんでいた手を離した。
(動揺なしか? しゃべったのは間違いだったか?)
 ユウはすべて使い果たしてしまったと思った。
(こんな時は……)
 こんな時、父はどうするのだろうかとユウは父親の顔を思い浮かべた。
(お父さんは、きっと、そんなドジは踏まないだろうな)
 ユウの口元の緊張が緩む。スヴァンホルムはすかさず、ほえるように言葉を吐いた。
「面白いか」
 ユウは、小さく頭を振った。
「いえ、おろかな自分を笑いました」
「おろかな自分?」
「札をすべて切りました。最後の一手だけでも残しておくべきでした」
「札? カード? まあ、いい。うまく訳せない言葉もあるだろう。今の言葉の意味はわからないが、私の動揺を楽しめただろう。少なくとも、お前の方がずっと嘘をついていたのだからな」
「スヴァンホルムさまも気づかれていたのでしょう、私のことは」
 ユウはもう一度、ゆっくり息を吸った。そして、言葉を続けた。
「そうです、私は古代進の子どもです。でも、トナティカから脱出する時、父は母をこの星に残して、地球へ戻った。私は、母をこの星に残していった父を許せなかった。ずっと、許せなかった……」
「ではどうしてなのだ? お前は、ヤマトに乗っていた。古代が艦長であるヤマトに」
「そうです。私はあの人が艦長であるヤマトの乗組員になりました。その時は、最愛の人を置いていくような人を信じることができませんでした。でも、私はヤマトの航海で知りました。古代進はトナティカに戻り、母を捜したがっていた。あの人の大切な人は、今でも母でした。そして、彼は信じているのです、必ず母に会えることを」
(ボクもそうだ。宇宙に出て、トナティカに行けば、必ず母に会えると、信じていた)
 ユウは目を軽くつむると、小さく息を吐いた。
 母の笑顔を思い出していた。
(お母さん、笑顔のあなたの横には、必ずお父さんがいましたね。そう、そうなんだ……)
「スヴァンホルムさま、あなたの大切な人は誰ですか。今でもイシュ……」
 スヴァンホルムの目がキッとユウをにらむ。ユウは、今までの言葉の中で、一番大きく反応したスヴァンホルムを見た。
(ビンゴ!)
 一瞬、輝いたユウの瞳をスヴァンホルムも見逃さなかった。
「セティ……」
 ぐぐ
 首にはめられたリングは、縄を何重にもかけたように、ユウの首を締めつけていった。
「…う…うぅ」
 確実にユウの急所を捉え、じわじわと締めあがる。ユウは、膝を床につけ、両手で首のリングを引っ張った。しかし、リングと体には爪すら入らないほど、皮ふに食い込んでいた。

(21)
(サーシャ……)
 ユウは、ふと金色の細い糸が指に首に絡んでいく幻想を見た。
(ああ、君に抱かれながらならば……)
 目を閉じ、脳裏に浮かぶ澪の後姿が振り向くことを願った。



「ダメよ」
 澪の声に、涼子は振り向いた。
 澪は、とっさに出た言葉に驚き、口元を押さえた。
「どうしたの?」
 涼子は、澪の肩をつかんで、振り向かせた。診察が終わり、部屋から出て行く澪が発した言葉に不安を感じた涼子は、澪を診察室のベッドに座らせた。
 澪の顔をのぞきこんだ涼子は、澪の言葉を待っていた。
「ん?」
「ごめんなさい。ふと、どうでもいいやって歩が……ユウの声がしたような気がしたんです」
 澪は顔を赤らめた。
「ふーん。それでどうなったの?」
 涼子は、平静を保ったまま、なるべくさりげない言葉を選んだ。澪の不安定な心はひそかに持っている力を暴走させることもある。
「『うん』って答えが返ってきた…ような気がして、その後は、聞こえなくなったけれど」
「その後は聞こえなくなったの?」
 こくりと澪がうなづき、涼子は腰に手をやり、スッと背を伸ばした。涼子のちらりと見る澪の顔には不安げな色はなかった。
「きっと、大丈夫」
 澪の言葉に、涼子はすぐに答えを返すことができなかった。
「なんか、大丈夫な気がするの。だから、大丈夫」
 澪は、顔を上げ、涼子に精一杯の笑顔を向けた。
「そっか、澪が言うなら、そうだよね。澪のカンを信じるよ」
 涼子は声を大きく出す。いつの間にか身についた患者を元気付ける方法だった。
「会えますよね」
 少し振るえる澪の声に、涼子は、言葉を返した。
「会えるよ、会えるさ」
 涙を耐えて、微笑む澪の姿は美しく、涼子は一瞬、背筋が寒くなった。今までも、他の女性よりも美しいと感じていたが、ここ数日の澪の美しさは、同じ息をしている人ではないかのように涼子には見えた。



「艦長、ガルマン・ガミラスから本星の位置の連絡がはいりました。今、確認中です。あ…映像も入りました。そちらにデータを回します」
 進は指先を、点滅を繰り返すポイントに走らせた。
 画面に映るのは、漆黒に浮かぶ水色の星だった。
(ああ)
 進の頬に、目からあふれた涙が行く筋も流れていった。

「それでね、涙が出てしまったんだ」
 進は、地球へ帰還する際に地球を見た時の話をユキに話していた。まだ、最初の航海を終え、二人が付き合いだした頃……
「地球はね、真っ暗の中に浮かぶ、宝石みたいなんだ。今にも透けて向こう側が見えるんじゃないかって思うくらい」
 ユキは、進の唇をふさぐように唇を重ねた。そして、首に巻いた手をより強くからませ、体を密着させた。一時、進は体を硬直させたが、そっと、絡んできたユキの手をはずし、今度は逆に抱きしめた。ユキは進の胸に顔をうずめた。
「ごめんなさい、なんだか、地球に嫉妬しちゃった」
 

「艦長」 
 通信機からの声で、進は手袋をはずして、頬の涙を払った。
「なんだ?」
「あの惑星の名前がわかりました。追加の通信で、今、連絡がはいりました」
 通信班長のフェイの声が少しうわずっていた。進は何も言わず、データの惑星の映像をじっと見ていた。
「イスカンダル……惑星の名はイスカンダルだそうです」



「どうした?」
 進は突然駆け込んできた澪に声をかけた。
「何か、よくわかりませんが、胸騒ぎが……ぽっかり、何かが消えてしまったような」
 澪の言葉に進は答えるわけでもなく、澪の次の言葉を待った。
「急に体が震えて……すみません、自分でも自分のことがよくわからなくて」
 
第15話 『イスカンダル』終わり
第16話 『デスラーズパレス』

なぜ、この話を書いたのか、知りたい方はこちらを読んでね
SORAMIMI 

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