大森荒神社は、延享年代(約260年前)より現在の西際波台バス停附近の荒神山にあり、農民が五穀豊穣や万霊の鎮魂を祈願していました。
当時の神社は生活の全ての原点であり、その祭祀は唯一の娯楽の場で、今で言う地域コミュニティ、ふれあいの場でした。
明治34年の神社仏閣統廃合令により大森荒神社も迫条の平原八幡宮の分社飛び地境内として存続することになりました。同時に平原沖の旦の神社も平原八幡宮の分社となりました。
その後、昭和2年4月に現在の地に社殿が改築されました。因みに、費用は2613円43銭でした。
社殿が立派になるとともに、農耕の神として遠く吉部、万倉方面からの参拝者も多くなり現在に至っています。
大祭は毎年2月28日に行なわれ、その年の米の作柄、出来高のお例(おためし)が告げられます。この大森荒神社は山口の高倉荒神を勧請して作られたもので、このお例は高倉荒神より受けてきます。
寒い時期ではありますが、露店もおおく出、植木市も賑わいます。
祭神は火具槌命、大国主命、大歳命。
自治会の神社部長、亀齢会、子ども会を始め多くの地区の方々の神社の清掃、注連縄作り等、荒神社を存続させる為のボランティア活動によって大森の荒神社は守られています。
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