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◆103〜109◆楽しき取材日記
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【110】平成20年9月24日(水曜)
競輪界も昭和60年の幕開け。ここ数年、上昇気配から見放されたかのような公営競技。それに対し中央競馬は昨年の売り上げが前年比104・8%とわずかだが伸びた。ルドルフVSシービーといった話題もあったが、それ以上に売り上げに貢献したのが場外発売であり電話投票だ。
競輪界も「建物を構えているだけではファンはついてこない。追いかけないことには…」と、法改正を済ませ、場外売り場設置へ本格的に取り組みだした。
ちょうど元旦付けで、次のような原稿を書いた。
繁華街の一角、ジャンの音が耳に聞こえてくる。競輪場ではない。場外車券売り場からだ。発売窓口に手を突っ込むと同時に、ハッと目が覚めた。
まだ時期が早かった。今年か、来年か。いずれ場外売り場が都会のど真ん中に設置されるだろうが、現状では“夢”の域をでない。
昨年、通産省の指導で場外車券売り場設置基準の改正、施設改善、競輪開催条件の緩和、開催休日の流動的設定など、諸施策を展開してきた。これで中央競馬と同じように、場外で車券が購入できる可能性も出てきた。
関東地区では館林場外が昨年稼働。前橋競輪の売り上げアップに貢献している。常設以外は7カ所あるが、東京都、大阪市、神戸市など、人口密度の高い地区では場内売りばかりだ。
中野浩一の出現で、競輪界、いや自転車熱が高まった今日、もっと身近に中野と接触できる場所があれば、車券の売り上げも上昇カーブを描くかもしれない。
近畿地区では、場外車券売り場の設置問題が積極的にすすめられている。甲子園競輪開催時に西宮競輪場で早朝前売り場外車券を発売している。いわゆる“ミニ場外”だ。この拡大解釈で大阪のキタかミナミに“場外”ができそうなムードだ。
近畿自転車競技会の久保忠雄会長は、事あるごとに「これからの時代は場外です」と話している。だから、大阪通産局へも積極的に指導を求めに足を運んできた。
業界は1985年を“競輪振興元年”としている。すでに新番組制度(KPK)がスタートして1年9ヶ月、ファンにも浸透。昨年11月にはユニホームも改善され、徐々に古いカラを破ってきた。
場外車券売り場が実施、稼働すれば、テレビとのタイアップも考えられる。4月には京王閣では“電話投票”も実施。さらにナイター競輪(薄暮競輪)も“日の目”を見そう。ファン離れを阻止し、飛躍へ踏み出すのが今年だ。
こんな原稿を書いて、1月16日付で、プロ野球担当として異動したのだが、今では大阪ミナミのど真ん中、日本橋に会員制場外車券売り場「サテライト大阪」ができて、競輪熱の昂揚に貢献している。
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【103】平成20年7月17日(木曜)
大阪コンビに明暗―奈良競輪の「開設33周年記念・春日賞争覇戦」後節決勝(59年2月28日)は安福洋一(当時は大阪41期)が内線突破で1着失格、続いた伊藤浩(大阪45期)が繰り上がって初の記念優勝を手に入れた。
決勝戦の人気は中野浩一と滝沢正光で分けていた。中野は逃げる佐久間重光を2角番手まくりでゴールを目指したが、インをついた安福が鋭く抜け出した。中野マークの伊藤も中野を抜く勢いだ。滝沢のHSまくりは届かない。
「(安福が)切ってるやろ。内を開けとらんもん」
中野は安福の失格を予知、そしてV奪取の気持ちでいた。管理室から“安福失格”を知らされると、すぐに表彰式出場の用意を整えて検車室へ。ところが写真判定の末、伊藤がタイヤ差抜け出ていた。
「弱いなぁ、抜かれたとは…。まあ、仕方ないか。初優勝やろ、伊藤は。それにしても弱いなぁ。これしか言えんもん」中野の口からはタメ息ばかりが聞こえてくる。
悔しそうな顔で天を仰いだのが安福だ。ゴールへはトップで到達していたのに…。“幻の記念v”の金星は、一瞬のうちに目の前から消えていった。
「力は変わらへん。それを知っただけでも…」こう話しながらも、安福の心が平常心に戻るまで、かなりの時間がかかった。中野を破ったーこれだけでも安福の今後に価値がある。
中野―伊藤―安福―礒野実―山森雅昌―滝沢―佐久間―中嶋直人が落ち着いた並び。6周目ホームで中嶋―佐久間が中野の横へ並び駆けると中野は佐久間を迎え入れた。中嶋は誘導員を交わし、佐久間―中野が抑えると中嶋は安福の後ろへはまり込んだ。
8番手に置かれた滝沢が最終ホームから猛然と襲いかかるが、中野は必勝パターンの“番手まくり”を放った。が、直線で中野は粘れない。内をついた安福、外へ踏んだ伊藤が中野を沈めていた。
「信じられない」と伊藤。過去、中野に2回土をつけており、3度目はでっかい“記念V”が転がり込んできた。
「中野さんに勝って記念が取れるなんて、思いもしなかった。うれしいですねぇ。これからもいい励みになります」と、さらに意欲。次走(3月4日から)の西宮でも中野に任せて…。「いいよ、連覇だよ」と中野が伊藤を持ち上げる。中野―伊藤のタッグは、これでさらに絆が強くなった。
この後、安福は奈良へ転籍するが奈良記念を取れないまま。
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【104】平成20年7月25日(金曜)
「第31回全日本プロ自転車競技大会」初日は59年5月12日、京都府の向日町競輪場に全国の精鋭142選手、外国招待選手、アマチュア選手が参加し、健脚を競った。
この日は、各種目の予選に続き、メーンの1000b独走の決勝、4000b団体追い抜きの予選、決勝戦が行われた。
“一発勝負”の1000b独走は初出場の新鋭・本田晴美(岡山)が1分07秒69の好タイムで、みごと優勝を飾った。
本田は「まさか優勝するとは…。べつに狙っていたわけでもないし、コンディションが良かったのでしょう。でも、こうなれば世界選(8月スペイン)にも行ってみたいですね」と、うれしさ一杯の中にも、チラリ“野望”をのぞかせていた。
また、4000b団体追い抜きは、予選で4分43秒18の日本新記録をマークした近畿地区チーム(榎田浩二、渡辺久哲、柳原利弘、井狩吉雄)が、予想通り北日本チームと決勝戦で顔を合わせ、大接戦の末、0秒31北日本を抑えて、この種目V5を飾った。
ほとんど同時にゴールを駆け抜けた瞬間、スタンドを埋めた3200人のファンから大きな歓声と拍手がわき上がった。
3コーナーで声をからして応援、ゲキを飛ばした近畿地区チームの監督・小田真美(大阪)は思わずバンザーイ、バンザーイし、フィールド内をピョンピョンはね回った。助監督の坂東利則(兵庫)も「4日前に120`(ロードレース・鈴鹿)を走ってきたヤツばかりやのに、よう走ってくれた。良かった、良かった」と大喜び。
56年の岸和田大会についでの地元、近畿地区での開催。なんとか4000b団体追い抜きで優勝を飾り、関係者もホッとした表情を浮かべていた。
◆1000b独走決勝◆
@本田晴美(岡山)1分07秒69A内田浩司(福岡)1分07秒77B松枝義幸(岡山)1分08秒13C山本剛(高知)1分08秒22D小川博美(福岡)1分08秒24E杉井英雄(東京)F野田正(福岡)G柳谷聡(青森)H唐津信一郎(奈良)I竹内久人(岐阜)
◆参考記録=坂本勉(日大)1分07秒20、Y・カール(フランス)1分08秒04、山本和雄(マエダ工業)1分08秒49、G・ハットン(アメリカ)1分09秒68、T・シュミッツ(オランダ)1分11秒84
今は近畿地区も低迷続きだが、このころは全プロでも北日本に負けないぐらい上位入着を果たしていた。
【105】平成20年8月2日(土曜)
“オレは地元や”―向日町競輪「開設34周年記念・平安賞」前節(59年8月2日〜4日)に臨む松本整(京都45期)が、地元記念初優勝へ怪気炎を上げた。
5月12、13日の両日、向日町で全プロ大会が行われた。スプリントに出場した松本に対し、スタンドの声援はV7チャンプ中野浩一をしのぐものだった。
「世界選へ行きたいですわ。足試しもあるし、世界は広いでしょう。自分にとってプラスになるものがたくさんあると思う」
ところが、準々決勝で坂本典男(青森=世界選出場)に敗れ、夢は消えた。「やっぱり力不足やった。また来年、挑戦します」とがっくり肩を落とした。
敗因はテクニックより、肝心の脚がパンと仕上がっていなかったことだ。今年初走の立川記念(6落欠)で落車。左鎖骨を折って入院生活を送り、4月から実戦から遠のいた。
「練習で感じが戻っていても、実戦になると、どうも…」
悩み、苦しんだ。「勝つ競走をする」と決めた今年の目標。落車事故で、また一から出直しだ。
全プロ後の向日町準記念(23@着)は“若輪会”仲間の山森雅昌に乗って優勝。清嶋彰一、富原忠夫の叩き合いを山森がまくったもので、松本には“タナボタ式”のVだった。が、この今年初Vで先に光が見えたのは確かだ。
「めぐまれの優勝だったが、気分はグッと楽になった。だけど、自分で攻めていかんとね。甘さを見せると、すぐにつけ込まれる」
2場所前の福井記念(31D着)準決勝で滝沢正光を突っ張り、そしてイン粘り、ゴールは滝沢を3着に沈めるシャープな回転。これが本来の勝ちパターンだ。
「そうですねん。ええ位置を回ったら成績はまとまる。だけど、もっと上に行くには自分で動いて勝たんと。強くなりたい。今回は好位戦より、自力で滝沢君に勝ちたい」
気合だけは負けん…の松本、ダービー王・滝沢正光(千葉)や片岡克巳(岡山)らトップレーサーを一撃の心意気だった。
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【106】平成20年8月24日(日曜)
和歌山競輪の準記念「紀の国賞」(59年9月30日〜10月2日)はS級2、3班戦で、地元の金谷和貞(和歌山45期)が「連続S1をねらう」と気合をこめての参戦。上山豊秋(福井)、桜井邦彦(大阪)、佐藤嘉修(愛知)ら難敵を相手に、1年6ヶ月ぶりの優勝をねらう。
西宮オールスターの前検日(19日)、久々にやる気が満ちあふれていた。8月の向日町記念72F着から小田原記念22E着、一宮準記念22E着、防府記念21G着と好成績を残し、脚に確かな感触があった。
「調整もバッチリだったし、自分でもかなり戦えそうな気がしていた。小回りだし、逃げればなんとかなりますからね」
ところが、有利なはずの西宮の短走路をうまく使いこなせなかった。1走目はジャン前から逃げて、越智祥泰のHSまくりによってダウン。2走目は追い上げて叩かれパー。3走目はジャンでまくれず敗退。結局、669着に終わった。
「仕掛けるタイミングが悪かった。ひと呼吸早かったり、遅かったり、まったくレースにならなかった。」
重い足取りで帰路についた。が、沈んでいては、次の競走に影響を及ぼす。まして、地元で開催の“準記念”だ。巻き返しを図らなければならない。
「今期(9月)は防府記念で好滑り出し、1月からS1に上がるし、2期続けてのS1を狙っていた。それがオールスターで得点もダウン。このままでは、またS2に逆戻りです」
S1とS2ではレースの“待遇”も違う。S1なら初日は特選から、S2だと予選に回されるケースもでてくる。この差は大きい。
「地元の準記念でしょう。点数の大幅アップはのぞめないが、着順の大きな数字は取れない。プレッシャーもかかるが、主導権を握ることを考えます」
S級制度が始まった昨年の4月。いきなり奈良で準記念を勝ち取った。以後は快音もない。同型(先行)が多く、苦しいレースをしいられそうだが、ここで踏ん張らないと“S1の座”も危なくなる。金谷にとって試練の場だ。
【107】平成20年8月26日(火曜)
岸和田競輪「開設35周年記念・岸和田キング争覇」前節は59年11月4日からの開催。地元のエース井上薫(大阪42期)が、10月の名古屋記念に次いで、記念V2をねらう。
ガチャーン! 直線で踏み込んだとたんに落車。目の前は真っ暗。脳裏をよぎったのは「骨を折ってないか」だ。幸い、左右の腕と左大腿部の擦過傷、打撲ていどですんだ。直前の松戸2日目のことだった。
「(山口国男に)競り勝って、真ん中を突っ込んだときに(菅谷幸泰の)後輪と接触。脚が軽かったし、勝てるチャンスやった。ツキがなかった。まあ、岸和田には支障ないよ」
過去、落車のたびに鎖骨を折ってきた。合計6回だ。それも調子が上がると骨折。波に乗り切れないままだった。
「このごろ怪我が軽くなった。転ぶ瞬間に、鎖骨を折らないように、自然とカバーしている。今まで休むことも多かったが、あまりクヨクヨ考えなかった。シーズンオフのつもりで、気分転換をはかっていた」
選手が下降線をたどるのは、骨折事故がほとんど。井上は転んでも、逆にたくましさを増してきた。精神的に強い選手だ。
「松戸から日数もないが、その前に合宿(和歌山県の周参見で2泊3日)をやってるので脚には“貯金”がある。調子そのものに不安はない」
夏場は中野浩一とともに世界選手権へ参加。ケイリン競走は予選、敗者復活戦ともに敗れたが、スプリント競技では第6位ぶ入賞、初体験の世界選で得るものは多かった。
「世界選の合宿でタイムも出ていたし、ぼくにとっては大きなプラス。気持ちの上でも“欲”がでてきた」
帰国第1戦のオールスター競輪は初走で落車。闘志が空回りしたケースだ。続く名古屋記念(21@着)で夢にまで見た記念優勝。が、その後観音寺7失欠、松戸7落欠と、リズムが狂った。
「名古屋の優勝で、ものすごくヤル気になった。うまく噛み合わないけど、いつも攻めの競走に徹している。今回も強気にいく」
スタートを決めれば2番手、ダメならアウトからの切り崩し。“好位キープ”を肝に銘じ、地元バンクで花を咲かすか。
残念ながら、井上の地元記念優勝は2年後の37周年だった。
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【108】平成20年9月1日(月曜)
岸和田競輪「開設35周年記念・岸和田キング争覇」後節は59年11月11日からの開催。前節の井上薫に引き続き、地元の伊藤浩(45期)を取り上げた。
前節の決勝戦前(6日)、準決勝の模様がテレビに映し出されていた。伊藤は食い入るように見つめている。とくに9Rの吉井秀仁、10Rの佐々木昭彦のレースぶりに注視した。
「吉井さんも、佐々木さんも落ち着いていますね。ボクに欠けていたのは“これ”です」
今年は2月の奈良記念(32@着)で優勝したあと、3月から計5回の落車で、近況は目を覆うばかりの不振だ。それでいてツキもない。落車禍で自然と弱気になっていた。
「突っ込むところが以前と違うんですね。意識しなくても落車の不安がいつもつきまとっていた。でも、一宮で久保さん(千代志)から“自分の走る道を忘れてるよ。もっと恐れずに戦ってみることだよ”と言われて、ハッと気がつきました。もう大丈夫です」
悩む伊藤を勇気づける久保のアドバイス。加えて、練習仲間の渡辺久哲(46期)が「ボクで役に立てるなら、いつでも言ってほしい。伊藤君が以前のように自信をつけてくれるためなら…」と、車で誘導やモガキ合いに一役買うと言う。伊藤は素直に受け入れた。
「実は5日の練習で半年ぶりに気持ちよく踏めたんです。久ちゃん(渡辺)も“絶好調”と認めてくれた。今までモヤモヤとしていたのが吹っ切れた」
昨年は競輪祭(231D着)で決勝入り。“近畿一”の看板を背負うのも、すぐだった。それが落車で遠回り。今回の地元戦から軌道修正するわけだ。
「岸和田は気合を入れて、意地でもやらんと…。これからは自力でまくったりすることも考えている。練習で出ても、競走で(まくりを)出さないとね」
スタンディングは抜群。他人任せの“マーク屋”では先が知れている。佐々木と同じような体形だが、違うのは“自力”で攻める点だ。“動くマーク屋”を目指す伊藤、試練の時期にさしかかっている。
「今回は中野さん(浩一)がいるでしょう。後ろは譲れません。そうすればチャンスも出てくる」
“人脈”の中野。いくら平凡な成績を残していても、頼りになる男だ。伊藤にとって、中野が自力で駆ける限り、Vの可能性はグッと濃くなってくる。
この大会は大阪の先輩・西村暢一(40期)が記念初優勝を飾った。
【109】平成20年9月18日(木曜)
小倉競輪の「第26回競輪祭・全日本競輪王決定戦」は59年11月27日に決勝戦が行われ、中野浩一のバックまくりに乗った井上茂徳(佐賀41期)が差し切り、通算特別V4を飾った。獲得賞金も9271万7700円となった。
この大会、中野は絶不調だった。それでも決勝戦にコマを進めた。人気は清嶋彰一―尾崎雅彦―吉井秀人―菅谷幸泰―小磯伸一に集まった。ただ、馬場圭一―伊藤豊明の動向で、中野―井上にも出番は十分だった。
尾崎がスタートを決めて前受けに入ると、赤板で上昇する清嶋に中野―井上も付いていった。そして馬場―伊藤が叩くと中野は3番手。清嶋は5番手の位置だが、中野に見られて動けない。最終バックにかかると中野は一気にスパート。もちろんゴールは井上がきっちり差し切った。
ゴールへ向かう井上、粘る中野。調子の良否は問題ではない。交わすべくして交わした“勝負の脚”だった。
これで中野のまくりを差して取ったタイトルは4つ。オールスター、ダービー、競輪王2回だ。中野が「シゲは強か。今の俺なら抜かれて当然」と、井上に屈しても、九州両雄で上位を占めたことに満足そうだった。
今年は特別の決勝戦へ全て進出。安定感では輪界でも1。中野がダメなら“オレが…”と燃えたのが競輪王戦だ。
「一度は清嶋さんに付けて競ってもと考えたが、中野さんが前に出たでしょう。やっぱり中野さんに付いていった。スタートを取っても、フタをされたり、カマされたりするし、後ろから攻めるのが正解だった」
57年に続いて二度目の“1億円”にも近づいた。12月の配分は広島、佐世保、平の記念競輪だ。
「ええ、1億円は、頑張ってやりたいですね。期待されてるんだから…」とニタリと笑って最後の言葉を結んだ。
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