◆82〜91◆ちょっとした思い出
◆82◆平成20年1月13日(日曜)
 和歌山競輪の「第6回紀の川賞」後節(57年4月18日〜)の主役・越智祥泰が「オール1着」をねらいます」と気合をこめて乗り込んできた。
現在の得点が104・82(117位)、A1班へはちょっぴり足りない。5月に初の“Aワン”を張るが、このままでは、また9月から2班へ逆戻りだ。そこで越智は自分自身にカツを入れた。
 「和歌山の後、玉野(25日から)が残っていますが、今回でAワンの点数を取りに行きます。一つも負けられません。たとえ点数が達しなくて9月から2班に落ちても、今はすぐに返り咲ける自信もあります」
 五体にみなぎる“自信”は、初体験の大垣ダービー(9117着)で植えついた。昨夏の小松島記念を勝ったあと、差し主体の戦いが続いた。マーク屋への転換期だった。ダービーへも「マークで勝負」と勇んで参加したものの、1走目で菅田順和に競り負けて大敗。沈む越智を励ましたのが松村信定(高知)だ。
 「松村さんに“出てみろ(自力駆けの意)”といわれて、考え直しました。競り負けてショックだったけど、自分の足を試す気になりました」
 2走目はまくりで1着。3走目は1角過ぎから逃げて11秒6の好ラップをマークした。もちろん後ろで小松孝志(香川)が好援護したのも見逃せない。四国のマーク屋が、越智の力量を高く買ったためのアドバイスであり、援護だったのだ。
 「あの逃げ切りで迷いはふっきれました。先行に限界を感じてマークに変わろうとしましたが、これからは元の先行、まくりで戦います」
 防府記念145着のあと、連日、ロード練習。12日には150`の踏み込み、合計距離では600`をはるかにオーバーした。13日からはバンクでモガキ中心に汗を流した。500走路を逃げて14秒5のタイム、新車の手応えも上々だ。
 ところが初日は2角まくりを同期の三好章仁に差され、準決勝はもたつき気味の1着。「どうも重すぎる」と内容の不満が尾をひいたのか、決勝は内に詰まったまま敗れた。練習の成果がそのまま結果につながるほど、競輪は甘く無かった。

◆83◆平成20年1月16日(水曜)
 中野浩一が右肩打撲で欠場した「第29回全日本プロ自転車競技大会」は5月8日、福島県いわき市の平競輪場で幕を開けた。お祭り大好き人間・中野がいないことで、ちょっぴり寂しい大会だったが、ヤング陣の活躍で大いに盛り上げた。
 初日のハイライトは千b独走。“千の鬼”高橋健二が7位に沈み、代わって野田正が1分08秒48の好タイムで、初のチャンピオンに輝いた。野田の師匠・松田隆文は2年続けて高橋に敗れ、連続2位に甘んじていた。いわば“師匠の仇”を討ったわけ。
 松田は「勝てるとは思わなかった。無欲で走ったのがよかった。師匠も喜んでくれるでしょう」と胸を張った。逆に高橋は「重かった」と一言。押し寄せるヤングパワーの前に、さしずめ“鬼”も形無しだった。
 交歓競技のスクラッチでは、昨年の世界選で2位のG・シングルトン、モスクワ五輪2位のY・カールの実力者が、日本のプロ、アマの選手をなで切り、改めて“世界の壁”の厚さを感じさせた。やはりワールドチャンピオン中野浩一以外は、世界に通じないのか。
 千bは野田に続いて2位が菅田彰人1分08秒60、3位が金田隆博1分08秒61。参考記録だが、G・シングルトンは1分06秒63の大会新をマークするなど、パワーをアピールした。この年、シングルトンは世界選(イギリス・レスター大会)でV6を目指す中野を苦しめた。1対1の2本目、ゴールでの落車で右鎖骨骨折。中野もシングルトンのラフプレーに1本目に落車するなど、血みどろの戦いで、6連覇を達成した。
 最終日のスクラッチは菅田順和が「中野がいないのならオレが…」の心意気。尾崎雅彦との“銀メダリスト対決”は菅田が2−0で完勝、3度目の挑戦で初優勝を飾った。2本目のラップ10秒82は中野でもマークできないほどの好タイムだった。5千b個人追い抜きは町島洋一が3連覇を達成した。
◆84◆平成20年2月2日(土曜)
 全冠制覇を目指した中野浩一と井上茂徳が落車で姿を消したびわこ競輪「第33回高松宮杯競輪」の決勝戦。尾崎雅彦、木村一利の39期が人気を分け合ったが、優勝を手に入れたのは伏兵の伊藤豊明だった。
 西の王座戦を3着でクリアしたあと「信じられん。優勝戦に乗るなんて。特別競輪に慣れたせいか足が軽く感じられる。ボクは脇役、西日本の4番手ですからね」と無欲だった。それが、最終バックを逃げる木村―佐野裕志の3番手で回るラッキー。4コーナーではまくり込む尾崎を佐野が外へ振ると、開いた内を伊藤が見逃さない。一気に踏むと、ゴールへ1着で到達していた。
 「信じられん」を何度も連発。ガッツポーズでファンの声援に応えながら、脳裏をよぎったのは「失格ではないやろか」だった。理由は念願の新居が完成して、引っ越しを待つばかりだった。当然、ローンも残っていた。
 「優勝なら高額の賞金が手に入る。失格ならパー。賞金がもらえなくなったら家のローン返済に響く」
 剣道は二段の免状をもっているが、高校3年から自転車部に入った。そのころは一日も早くサラリーマンになることを考えていた。幼いうちに離婚した母・美子さんが兄と豊明を苦労しながら育てたのを見ているから、親孝行をしたかったのだ。
 幸い、伊藤が失格になるようなレースではなかった。四国へ17年ぶりのビッグなタイトルを持ち帰るとともに、優勝賞金1千20万円も手に入った。「瀬戸内に春が来たぞ。まぐれでも」と喜んだ。その後も、61年にオールスター競輪(平)、63年にルビーカップ(平塚)を優勝するなど、S級のトップクラスで活躍した。

◆85◆平成20年2月9日(土曜)
 西宮競輪「西宮杯争奪」後節(57年7月25〜27日)の主役は地元のエース亀川修一だった。直前の福井記念41E着で滝沢正光を強烈なまくりで倒して決勝入り。それも11秒4の好ラップだ。
 「いま、自分でも調子がええと思う。福井もまくってやろうと決めていた。不思議やけど、出よう、出よう(自力で動く意)と気持ちがなってるんや」
 宮杯前に中里光典と張った合宿、そして世界選の出場を決める選考合宿。福井の前には中野浩一や菅田順和、北村徹らと岩手県の紫波自転車競技場で“自費合宿”と、亀川は鍛え続けていた。中野や菅田とのマンツーマン対決では負け知らずだ。
 「中野さんや菅田さんは超一流やし、その人らとスクラッチをして勝てたんだから(トップの座が)近くに見えてきたような気がする。ボクは先行ばかりで戦った。スクラッチと競輪競走は違うけど、力はついている」
 今まで4大レースに8回出場して優出はゼロ。印象は“弱い”が、暮れの奈良記念(21@着)、3月の西宮記念(63@着)での勝ちっぷりは近畿のエースそのものだった。一昨年は競輪祭・新人王を手に入れた。やはり超一流へ伸びる器なのだ。
 「西宮は地元やしなぁ。先行でもかめへん。ファンの人も多いし、負けられへん」
 そして決勝戦。後輩・植野幸喜のジャン先行に乗った亀川が滝沢正光のバックまくりを巧みに牽制。それでも力ませに踏む滝沢だが、亀川は4角手前からシャープに伸び切った。
 「植野君のお陰です。地元で優勝するのは本当にうれしい。ホッとしています」
 初日はバンクレコードの9秒31をマーク。準決勝は滝沢をまくれず2着。この敗戦が亀川の闘争心に火を付けた。
 「今年は世界選に賭けてみます。何かやれそうな気がする。この優勝でさらに自信もわいた」
 V6へ挑戦する中野とともにイギリス・レスター大会へ出場する亀川。掛け値なしに日の丸(3着まで)を揚げる候補だ(結果は4位)。

◆86◆平成20年2月11日(月曜)
 57年9月15日からの西宮競輪「サンスポ杯」後節戦での“主役”に取り上げたのが福山稔だった。
 心技体ともに充実期を迎えている。5月1日に道代さんと挙式、来年2月には“二世”も誕生。練習にも一段と身が入ってきた。
 「直前の福井(841着)はオーバーワークだったのか重く感じた。西宮へ向けて張り切りすぎたみたい。今度はそうはいきませんよ。地元ですからね」
 ホームバンクの甲子園は走路改修で閉鎖され、練習の場は三田方面へ通じる街道だけ。連日、一人で踏み込んだ。
 「バンクで練習しなくても大丈夫です。一人で行くのも、自分のペースを守るため。気が向けばいくらでも踏めますから」
 自己との戦いを課し、いまV奪取への気力を奮い立たせている。一昨年の9月岐阜でA級初V、昨年6月門司でV2、今年は優勝2着が6回と惜敗続き。なんとしても手に入れたいのが優勝の二文字なのだ。
 「ええ、年に1回しか優勝していないけど(優勝を)欲しいんですわ。それに地元でも勝ってないし…。微差で負けたり2着ばっかり。地元で1回は勝ってみたい」
 願いは切実だ。マーク屋の宿命か、2着屋のイメージがついて回るのは仕方がない。が、それではおもしろくない。強者がもてはやされるプロの世界。2着屋からの脱皮を考えても当然だ。
  「スタートを武器に強い人を迎え入れていたが、いつも人を頼っていて足が落ちてしまった。だから一年ほど前からスタートを取るのをやめた。先行はしないけど、まくりもやるし、追い上げて番手(先行選手の後ろ)を奪いにいく」
 機動力を備えたマーク屋、いわゆる俊敏さを売り物にしてきた。7月の四日市(61A着)は3番手から追い込み11秒4、8月の京王閣(31A着)では11秒7のまくりで快勝。この2戦で自信もついた。
 「結婚して子どももできる。ここらで弾みをつけたいと思っている。勝つための最善の方法を考えて戦います」
 奄美大島で生まれ、選手になる前は北海道で自衛隊の“レンジャー部隊”に所属、ここで競輪選手という職業を知った。苦労の末につかんだ生きる道。サンスポ杯を取って愛妻・道代さんへ最高のプレゼントに…。今回は福山の試練の場だ。
 残念ながら準決勝で脱落したが、福山は“穴男”として“福”を運んでいた。

◆87◆平成20年2月14日(木曜)
 高松競輪に二度目の「第25回オールスター競輪」(57年9月23〜28日)がやってきた。9年ぶりの開催に向け「スター群像」として新鋭や話題を取り上げた。まず48期の“三羽がらす”の新谷隆広(群馬)、市村和昭(長野)、栗山勝彦(埼玉)を「初陣48期生」として紹介した。
 ◆新谷隆広=人気の市村に対し、新谷は文句なしの48期・実力bPだ。7月の西宮で市村と帯同。選抜落ちの市村に比べ、新谷は豪快に動き回って3連勝。A級初優勝を飾った。
 「ボクは器用ではない。積極的に動くしかない。先行、まくりで臨むだけです」
 A級入り後、早駆けがたたって優勝の美酒を味わえなかったが、この西宮で新谷の素質は一気に開花した。続く前橋41@着で勅使川原登、守屋利治に逃げ切り、8月立川12@着、9月平塚21@着も勝ち取った。実に5場所で4回の優勝。“本モノ”になった証でもある。群馬王国再建へ、新谷によせる期待は大きい。
 ◆市村和昭=スケートの市村から競輪の市村へーマスコミは、こぞって“華麗な転身”として取り上げた。人気先行の競輪学校入りだったが、自転車に慣れてくると、ポンポンと勝ち星を積み重ねた。最後は栗山を抜いてbQに浮上した。
 「B級では10連勝に挑戦したけど、結局だめだった。最近はスタートを取って、前でさばく競走を多くしている」
 流行のS取り→前さばきを早くも取り入れている。が、これでは先が知れている。新人は果敢に動いてこそラインも長くなるというもの。いわゆる“捨て石覚悟”の攻めが必要だ。師匠の栗田弘之も「今回は東京の人を引っ張ってこいと言ってある」と積極駆けを要求しているのだが…。
 ◆栗山勝彦=デビュー後9連勝で、市村にストップをかけられた。それでも3月の前橋で特進を決めた。A級では、いきなり大宮11@着、静岡11@着を優勝。静岡はA1班を破っての“金星”だった。
 「後がダメだった。点数(昇格のための)が気になって…。ギアを一枚上げたのも原因している。練習では感じもいいのだが、実戦になるとどうも…」
 A級の厚い壁にぶちあたったのだ。ライバル新谷の活躍を横目に、栗山は苦しみだけを覚えた。しかし、やる気だけは失っていない。大宮でのファン投票は第1位にランクされた。「勇気づけられました。勝てなくても、名前だけは売りにいきます」と、強豪へのチャレンジをきっぱり誓った。

【88】平成20年2月16日(土曜)
 高松宮杯を伊藤豊明が制し、瀬戸内地区はにわかに活気を帯びてきた。そして中、四国の中心地、高松競輪で「第25回オールスター競輪」(57年9月23〜28日)が開催なら、なおさらだ。瀬戸のエース・木村一利と四国のスター・馬場圭一がV奪取へ燃えても、当然だ。そんな二人を“スター群像”で「瀬戸内の二強」としてピックアップ。
 ◆木村一利=輪界のウルフが牙を剥いてきた。関東、九州地区は団結力が強い。それも前引きする機関車が豊富にいる。瀬戸内は…。人数が少なく、いつも脇役でしかない。
 「そうなんよ。優勝戦に乗ってもウマ(先行)がいない。やっぱり一人では戦えん。だけど、今度は違うよ。瀬戸内みんなで、がっちりまとまっていく」
 宮杯で逃げた木村。前待ちの佐野裕志を引っ張ったが、これではVも遠のくだけ。関東勢を封じ、伊藤豊明が優勝したことで、わずかでも溜飲が下がったが…。いま、オールスターへ向けて、頭の中は“作戦”で目まぐるしく回転している。
 「まず優勝戦に乗るように全力をつくす。乗れば優勝をねらう。今まで3回優出しているが、いつも前について失敗。今度は目標をしぼっていく。自分でもやらないけんと思ってる」
 勝ち上がり段階では、持ち前のスタート力をいかして“前攻め”だ。そして“大一番”では9分の1の確率に賭ける。初のビッグタイトル奪取へ、全身から闘志がほとばしっている。
 ◆馬場圭一=ファン投票10位。12479票の期待がこもっている。第4位の藤巻昇が病気欠場、繰り上がってドリーム戦へ出場することになった。地元が生んだ全国区のスター、ファンの支持も絶大だ。
 「オールスターは、まだ勉強する場です。とにかく思い切って攻めて行くつもりです。ドリーム戦は見せ場をつくります」
 特別レースは昨年のオールスターが初めて。2994着だった。続いて新人王719着、宮杯363着を経験。もうひとつ“強さ”を感じさせなかった。だから「まだ勉強の場」というのだ。
 コーチの大田周治さんも「(優勝を)ねらうのは先のこと。オールスターより、新人王(11月)の方が当面の目標。やはり階段は一歩ずつ登らないと」と焦りは禁物という。
 「積極的に動いてますよ。どんどん攻めて行っている。結果はそれからです。あと、6日間を乗り切るスタミナをつけたい」
 記念Vは観音寺で2つ。他競輪場では優出クラスでも、四国では常に争覇圏内だ。

◆89◆平成20年2月26日(火曜)
 高松競輪「第25回オールスター競輪」(57年9月23〜28日)は、世界の中野浩一が準決勝で後輪破損のアクシデントに見舞われ脱落、優勝争いは混沌としていた。決勝戦のメンバーは@山口健治A井上茂徳B滝沢正光C菅谷幸泰D緒方浩一E新谷隆広F吉井秀人G松村信定H小林信太郎の9人。
 中野がいなければオールスター連覇を目指す井上が“本命”を背負うが、相手はズラリとそろったフラワー軍団。滝沢を先頭に吉井―山口―菅谷―小林と一枚岩だ。新谷もこの後ろからの組み立て。井上―緒方に松村は前さばきか、新谷の一発に賭けるしか手はない。
 スタートで前を取った井上に緒方―松村が続く。前さばきの一手だ。この井上に菅谷が並びかけ、その上を滝沢が一気に叩く作戦を立てていたが、井上がすんなり菅谷を迎え入れて崩れた。滝沢が主導権を握ると、井上は吉井の内へ飛び付き、2番手を確保。3角まくりを放った新谷を井上が大きくブロックすると、内を突いた松村、小林が鋭く伸びて、井上のオールスター連覇の夢は消えた。
 優勝した松村はバックで4番手にとりついたのが勝因だった。父・憲さんは昭和28年に「第4回高松宮杯」を優勝しており、親子で特別競輪を制覇した。「何も覚えていない。抜けるとは思っていたけど」と、勝者は放心状態で、突っ立ったまま。喜んでいたのは父・憲さんで「まさか息子が特別競輪を取ってくれるとは思わなかった」と。そして「信定はおとなしい性格で、大学に行ってサラリーマンになるように育てたが、受験に失敗したんで自転車に乗らせた」と言う。自転車に乗れば蛙の子は蛙だった。
 伊藤豊明が奪った「高松宮杯」に続いて、「オールスター」も四国の松村が獲得。九州やフラワー軍団に押され気味だった四国に、やっと春が来たのだ。

【90】平成20年3月5日(水曜)
 “サンスポ杯”をかけた岸和田競輪の「かつらぎ賞争奪戦」前節(57年10月3〜5日)の主役は橋本彰文。過去の岸和田での優勝者を集めた“グランドチャンピオン決定戦”のサブタイトルつきだ。橋本は気合満々だ。
 結婚、女児誕生、母親の交通事故と、今年に入って橋本の周辺は目まぐるしく移り変わった。強いショックを受けたのは、母親の敏代さんが交通事故で入院したことだった。6月26日以後、敏代さんは意識不明のまま病床に伏している。
 「ボクは四日市へ行ってたんですが、虫の知らせか、初日の朝から胃が痛んで走らずに帰ってきた。そしたら母の事故でしょう。もう目の前が真っ暗になりました。頭を打っているから話しはできないし…」
 母親思いの橋本、徹夜で看病にあたった。練習どころではない。生と死の境をさまよう敏代さんの側を、一時も離れることはできないが、7月3日からの小松島記念を休んだだけで22日からの西宮戦へ臨んだ。準決勝を9秒6の好タイムで逃げ切ったあと、共同インタビューの席で「母が元気になる日を待つだけです。そのためにも、ボクはバンクで戦います」と目を真っ赤にして、強い決意をのぞかせた。
 「今も状態は一緒です。だけど声をかければ足を動かしたり、目を開いたりするんですよ。医者も時間が必要だと言ってます。交通事故は怖いですね。ボクも運転するときは真ん中を走って気をつけるようになりました」
 8月7日から13日まで、中野浩一らの世界選強化合宿へ参加した。亀川修一、北村徹、野田正らとのスクラッチ、朝からのロード練習、超一流の中へ混じって、橋本は新しい“体験”をした。
 「いい勉強になりました。57年の中期(5月1日〜9月30日)はA1班をねらっていたが、結局できなかった(ランク133位)。でも中野さんらと練習して、上の人の力が分かったのはプラスでした」
 岸和田へ備えて植野幸喜、亀川昌宏、岡本克也らのヤングと街道でみっちり乗り込んできた。ルミ子夫人と佳織ちゃん(3ヶ月)と暮らす橋本。“サンスポ杯”を勝ってV6達成は、一家の光でもあり、敏代さんへの励ましでもある。またプロとして飛躍するためにも、今回は負けておれない。
 この原稿の結末は、スクラップとして資料が残っていなくて、残念。

【91】平成20年4月8日(火曜)
 岸和田競輪の「開設33周年記念・岸和田キング争覇戦」前節は57年10月31日からの3日間開催。注目株は“先行1車”の利が見込める堂田将治だ。
 金谷和貞が初の記念を勝ち取った10月の和歌山記念。逃げたのは、この堂田だった。後続の競りを誘えば堂田に記念初Vが転がり込んでいたかも知れない。それが、後ろの菅田順和は木村一利にさばかれ、堂田は番手まくりを浴びて9着に敗れた。
 「まだ力不足なんです。甘かったんですねぇ。また出直します」
 44期実力1の鳴り物入りでプロデビュー。が、B級では10連勝を飾れず、A級へは定期昇級。それからが真価発揮だ。5月からの6ヶ月間で、15場所のうち優勝7回、優勝2着4回をマーク。やはりナミの新人でないことを実証した。昨年5月には念願のA1班に昇格だ。
 「考えたんですよ。人の後ろで走っても、おもしろくないし、悔いの残る方が多いと、ね。だから、今は積極的に出て行きます。調子も変わらないし、逃げれば自分の力を出し切れますからね」
 堂田が描く現時点の目標は、記念の優勝戦で連にからむことだ。過去の最高順位が9月西武園記念の3着。先行選手だから大敗もしかたないが、パワーさえ備えておれば入着も十分可能だ。
 「オールスター(5122着)は初日に失敗したが、後は満足している。その後の松戸(11B着)でかなり踏めた。記念の優勝はしたいけど、まず2着に粘らないと」
 岸和田は和歌山戦の前に京田晃宅に泊まり込んで、岸和田バンクを初体験。「クセのないバンク」を実感した。それだけ走りやすいということだ。
 初日特選が11秒6の逃げ切り、準決勝は11秒3のまくりを決め、連勝で決勝戦に進出した。逃げるのは堂田だけ。当然、優勝の最短距離にいたが、ジャンで5番手の堂田は「自分の優勝より後ろの人(佐藤彰一)に勝ってほしい」とばかりに、最終ホーム手前から猛然とスパート。この勢いに佐野裕志も合わせられない。佐藤―阿部利美が続くが、切り替えた小松孝志が3番手を奪取。ゴールは佐藤―小松で抜け出し、堂田は3着に敗れた。
 佐藤はデビュー9年目で初の記念優勝。「堂田君のおかげ。記念優勝なんて、もう取れないと思っていた。一般戦でも5年ぐらいしてない(52年12月の向日町以来)。恵まれって怖いですねぇ」と、堂田に感謝の面持ちで一杯だった。
 差されても思い切り自分のレースをした堂田。またまた記念3着にも、心根の優しさが伝わる一戦だった。