山添村の石仏【奈良県・北東部】    2001.8.2

 山添村のほぼ中央の、平らな円錐形をした神野山(618m)は、かつては火山であったとか、いや、岩石が硬いので浸食に耐えた「残丘」であるなどと言われ、地元の人には「神の山」と言って親しまれている。五月はツツジ、夏はキャンプ、年間を通じて手軽なハイキングコースである。

 名張川流域には縄文早期の遺物が数多く出土し、布目ダム建設のときの布目川流域の発掘調査では、縄文及び南北朝時代の遺物や住居跡が発掘されたとか。これらのことが、この村の太古からの長い歴史を物語っている。ダムの湖底に水没しかかった幾つかの遺跡や磨崖仏は、この村の人々の手厚い保護により、今は安全な場所に移されている。

 8月2日、大阪の日中の気温が何年ぶりかに38度を越える炎暑。奈良地方もそれに近かったであろう。地図で見ると遠隔の地に見えた奈良県北東端の山添村も、名神高速・近畿自動車道・西名阪・名阪国道をひと走り、1時間30分で神野山登山口に到着した。村の中央を南北に名阪国道が走っているので意外に便利であった。多くの石仏は車道の傍にあるので、この季節しんどい目をして歩くより車が楽である。

       
  首切り地蔵 山添村・峰寺
 江戸時代の作。像高58㎝。往来の安全を祈願して造られた。首部の折損からこの名が付けられた。元は峰寺大橋の岩山の側に祀られていたが、布目ダム建設に伴い、この地に移された。        
山添村の茶畑  山添村は、奈良県の北東の端に位置し、標高は平均200mぐらいであろうか、一般には「大和高原」と呼ばれている。特産品、大和茶の茶畑が美しい農山村である。
  阿弥陀磨崖仏 山添村・桐山
 南北朝時代の作。像高66cm。文和4年(1355年)の銘がある。古道(奈良道)の通行安全を祈って造られたものと考えられ、この場所が中世の交通の要所であったとか。
ころび不動 山添村・的野
 南北朝初めの作。像高30cm。道端の巨岩に小さな不動明王立像が横たわっている。小柄ながら堂々とした風格である。
阿弥陀如来立像 山添村・的野
 八幡神社隣の常照院跡で見られる。 鎌倉時代の作。像高約1m。建長五年(1253年)の銘あり。県下で最も古いもののひとつとか。花崗岩で、やや風化しているが立像感にあふれている。
  三尺地蔵 山添村・的野
 的野川北岸の岩石に切り付けられた像高90cmの磨崖仏。正安3年(1301年)の銘がある。きりっとした美しい顔立ちのお地蔵様である。   
大日如来磨崖仏 山添村・牛ヶ峰
 室町初期の作。像高3m。牛ヶ峰のこの地は巨岩巨石が累積しており、その昔、弘法大師がこの山に大日如来を顕し、密法根本の基を開く霊場とされたとか。岩の底部を岩窟にして護摩壇を設け、岩屋寺とし、入口頭上に本尊とする金剛界大日如来像を刻んだ。  
不動明王立像 山添村・峰寺
 峰寺の六所神社にあり、南北朝時代の作。像高72cmの磨崖仏。銘文は摩滅しているが、専門家によって建武五年(1338年)の銘文が発見されたとか。直立した姿勢で右手に降魔の利剣を持っている。
  五尺西向阿弥陀 山添村・的野
 鎌倉末期の作。三尺地蔵近くの的野川対岸にある舟形光背の阿弥陀如来磨崖仏。像高は1.5mで西を向いているのでこの名が付いた。樹木が鬱そうと生茂り、昼間も薄暗く霊験な雰囲気が漂うところにスックと立つスリムな阿弥陀様。
塩瀬地蔵座像 山添村・神野山
 鎌倉時代の作。像高160cm。地蔵堂の火災で焼けただれている。すぐ前に古い伊勢街道が残っており、昔から通行する人々の旅の安全と眼のお護り地蔵として親しまれている。神野山の中腹にある。   
毘沙門天像 山添村・峰寺
 峰寺の六所神社左手奥の裏山の崖に彫られた毘沙門天。甲冑をつけ、宝塔のようなものを持っている。この神社の守護神であろうか。