前にこけたら・・・

 山で転ぶことは、どんなに注意深く歩いていても完全には避けられないと思う。 でも同じ転ぶのでも、どの方向に転ぶかで結果に大変な差が出る。狭い山道では左右に転ぶのも危ないのだが、 前に転ぶのは他と比べ物にならないくらい危険だと思う。オコジョが現役の頃、前にこけたのは3回。 全てはっきりと覚えている。

 1回目は18歳くらいの頃、丹沢にHと2人で沢登り合宿に行った時だった。テント持参で3泊程度の山行だったが、食料計画等が滅茶苦茶だったので、荷はひどく重いものになってしまった。 背負子を地に置いて、腕を通して立ち上がろうとしても、なかなか立ち上がれなかったので、30キロ位はあったのだと思う。初日は葛葉川本谷に向かった。今考えると信じられないほど間抜けだったのだが、終わった後に水無川に移動する予定だったのに、荷物をデポする知恵も無く、入渓点まで全てを背負って行ってしまった。入渓点ではもちろん荷物を置き、軽荷で沢に入ったのだが、経験が浅いと言っても、実に馬鹿だったなと今でも思う。そして沢を無事に登りきって荷物の処へ戻り、重い背負子を担ぎ、緩い下りの砂利の林道を菩提のバス停に向かって早足で歩き出した。しばらく歩いて行っていると、突然足が何かに引っ掛かり、体勢を直す間もなくバターンとまともに前に倒れた。背負っていた重い背負子が頭を超えて前に飛んでいき、ひどい恰好でしばらくジタバタした後やっと起き上がった。なにが起きたのかと転んだあたりの路面を見たが、小石以外には特に何もなかった。不思議に思いながら靴を見てみると、片方の靴紐のループがぶっつりと切れていた。つまり靴紐のループが、反対の靴のフックに引っ掛かってしまったのだった。ひどい転び方をした割には、幸いにもかすり傷程度で済んだから良かったのだが、その後は靴紐は一回結んだ後、ループの部分をもう一度結ぶ癖がついた。それにしても山靴の紐は、どうしてあんなに長い必要があるのかと、今でも疑問に思うのだが・・。

 2回目に前に倒れたのは、やはり10代の頃で、増富から瑞牆山に寄ってから金峰山に登り、そこで小屋に泊まって、翌日国師ヶ岳へ縦走し、笛吹川西沢経由で下山しようとしている時だった。その頃には山を歩くことにかなり慣れてきていて、後ろの足が何かに引っかかった感触があると、反射的に足を後ろに跳ね上げて避けられるようになっていた。岩混じりの尾根を下っていたこの時も、後ろ足が何かに引っかかったのを感じたが、瞬間的に脚を後ろに蹴り上げて解放されるのを待とうとした。(もちろん、とてもわずかな時間の中でのことなのだが。)しかし足は上に跳ね上がらなかった、「どうして・・・?」と戸惑いながら、なす術もなく勢いよく前に倒れていった。倒れた先は硬い岩の上だったが、運の良いことに全く平らな処だったので衝撃は大きかったが、ほとんど怪我もせずに済んだ。起き上がろうとして足元を見ると、地面から木の根が半円状に出ていて、片方の靴の爪先がすっぽりと嵌まり込んでいた。これでは転ぶはずだ。しかしこんなに判りやすい障害になぜ気が付かなかったのか反省しながら、倒れた先が平だった幸運に感謝した。なにせ、平らな岩の先は数メートルの垂壁になっていたのだから、そこから飛び出せば、ただでは済まなかっただろうと思う。

 3回目は、それから数年後の北岳春山合宿でのことだった。その日は二人ずつ数パーティーに分かれたバットレスの集中登攀で、オコジョは後輩のTと組んで4尾根を登った。天気も申し分なく良く、乾いた岩肌を充分に楽しめた。頂上で他ルートの仲間と合流してから、二俣に設営したBCに向けて降り始めた。やがて稜線を離れ、大樺沢への急な雪面に踏み込んだ。5月の急な雪面といえば、誰でも好きなグリセードをするしかない。この頃は「尻セード」は山屋のやることではないと思っていた。グリセードも短めのピッケルで、体を思い切り後傾させ、踵のエッヂがブレキーにならないよう、なるべく靴底を傾斜にフラットにしてスピードが出るようにしていた。もちろんこれをする時は、雪面の状態、末端やサイドの状態等、出来るだけ確認することは勿論していた。この時もかなりのスピードで滑っていたが、突然つま先が何かに引っかかった。春山なので、上からは見えにくい木の枝か何かが、雪面から出ていたのかもしれない。前に放り出された体が空中で一回転して雪面に落ちた。そしてその勢いのまま滑落を始めた。しかしこの頃は山岳会に入ると、滑落停止訓練を事あるごとに繰り返し実施していた。オコジョも100本位はこなしていたと思う。という訳で春山の柔らかい雪面で停止するのは難しいことではなく、この時も10メートル以内で簡単に止まった。本番でこれを使ったのは、この時1回だけだったが、訓練とはそんなもので、一度有るか無いかの事のためにでも何度も繰り返して身に付けておかなければいけないことも有る。余分なことだと思うが、未組織の登山者でも雪山や雪渓を登る人は、この訓練だけはきちんとやっておいたほうが良いと思う。きちんと止まるのは意外に難しいもので、腕が少しでも伸びたらとても止まりにくい。その為にピッケルのブレードを必ず肩甲骨の下にしっかりと当ててから反転してピックを雪面に打ち込む。また、その頃の一般的なピッケルはピックの角度が浅かったので、シュピッツェ(石突)の方を握った手を背中の上に持ち上げ角度をつける。そして打ち込んだピックに体重をかけるために、足を後ろに反らす。(エビ反る。)この一連の動作を、滑落スピードが増す前に自動的にできないと、シビアなケースにはとても対応出来ないと思う。ある時、仲間の一人が同じような状況で滑落し、停止姿勢をとったままずるずると滑り続け、ブッシュに突っ込んだことがあった。行き着いた先がブッシュだったから良かったが、それがシュルンドやクレバスなら、重大な事故になっているのだから。という訳で、我々は何事もなくBCに降り立ったのだが、この日の午後この斜面で事故が起きた。詳細な状況までは判らなかったのだが、およその事は、8人程のパーティーが1本のザイルに全員が繋がって下降中に滑落。そのまま止まることなく滑り続け、滅茶苦茶に絡まったザイルに締め付けられて何人かが負傷したということだった。パーティの中に滑った時に自力で止まれないかもしれないメンバーがいれば、ザイルを結びたくなる気持ちも判るような気もするが、停止姿勢に入った人が他の人に引きずり落とされ、その人が又他の人を引きずり落とす。そんな光景が目に浮かぶようだった。実はこの日、4尾根を登り終えた後、頂上への硬く締まった雪面をトラバース気味に登っている時パートナーのTが、怖いからザイルを結ばないかと言い出した。スリップすれば、そのままバットレスから空中に飛び出していくわけだから、その気持ちも判らないわけではないが、階段のようなしっかりしたステップが有り、ピッケルを刺すビクともしないような穴も続いてた。まさかこんな処をスタカットで行くわけにはいかないし、かと言ってコンティニュアスでは止める自信は無いに決まっている。Tにはそう言ってハッキリと断った。冷たい先輩だと思ったかもしれないが、技術的な裏付けのない無意味な巻き添えごっこをする気は無かった。コンティニュアスでパートナーの滑落を停める訓練ももちろん経験していたが、実用に耐えるものと感じたことはなかった。
この後、前に転んだことはどんな処でも1度も無かった。

と、締めようと思っていたのだが、これをまだ書き終えていない7月に行った陣馬山からの下りで、道の横の斜面から突き出した木の根に気づかず、靴を引っ掛けてまともに前に突っ込んでしまった。顔も着地してしまったので、額を擦りむくし、シャツも泥で汚れた。とても惨めな気持ちになってしまった。そんな中から一つの新しい教訓。目が弱くなるとピントだけではなく、色相の細かい差を識別する力も弱くなるようだ。土と同じような色の太めの木の根に全く気付かなかった。よっぽど気を付けないと又転ぶぞと自分に言い聞かせるのでした。