山でちょっと怖かったこと

1.セミになった 話
 沢登りを始めて一年ぐらい経った頃、丹沢水無川源次郎沢の10m位の滝でのことだった(Fナンバーはよく覚えていない)。普通は滝の左を簡単に越していけるのだが、この沢を登るのは何回目かだったので、傾斜が急な右を登ってみようとふと思ってしまった。この頃はまだザイルを使わずに沢登りをしていたので、完全なフリーで濡れた垂直に近い壁にとりついた。下部は難なく登っていけたのだが、上部のハング気味の下を落ち口に向けて左にトラバースするところで詰まってしまった。いろいろ探っているうちにドンドン姿勢が悪くなってしまい、足がミシンを踏みだした。それはすぐに治まったのだが体勢の悪さは変わらず、まさにセミの様に壁にしがみついて一歩も動けない状態になっていた。セミと違うのは、鳴く余裕も全く無い状態だったことだ。高さは7、8m位だったろうか。落ちたらどの位のダメージが有るのか判らず、「落ちたくない!」と必死にしがみついていた。そして突然カーッと頭に血が上ったようになり、何が何だか判らなくなって一瞬目が見えなくなった。「あー落ちる!」と心で叫ぶしかなかった。しかし数秒経つと頭に登った血がすーっと引いたように治まり、まだ落ちずにいることに気がついた。すると不思議なことに、とても冷静な状態に戻っている自分にも気がついた。そして一息ついてから改めてホールド、スタンスを探ってみると、先程まで無かったものが今現れたかのように確認でき、それを使って驚くほどスムースに抜けることができた。無事滝上に立ってホッとしながら、「岩登りもメンタルなものなんだなー。」と感慨にふけるオコジョだったが、「無茶なことをしたな。」と反省もしていた。これは一寸では無く相当怖かった話。

2.運だけ・・その1
  これも同じく丹沢での事。まだ経験の浅いH君と葛葉川本谷を登りに行った。順調に遡行を続け、やがて板立の滝。正面のフェースを簡単に登り、続いて登ってくるH君を待っていた。しかし彼はなかなか登ってこない。傾斜が結構急なので滝上からは登っているところが見え難いので、声をかけてみると途中で詰まっているらしい。「大丈夫だよ。手掛かりは沢山有るから、ゆっくり登って!」しかし、うまく登れないとの返事しか返ってこない。滝上の濡れた岩の傾斜を少し先に進んでみると、やっと姿が見えた。「落ち着いて登ればなんてことないから!」と声をかけるが、やはり動けないようだった。心の中で「こんなところで詰まるかな。」と少しいらつきはじめた。(初心者を連れて来ておいて、なんて傲慢だったんだろう。)仕方なく、具体的にホールド、スタンスを指示しようと、腰を落とした姿勢のままもう少し前に進んだその時、突然濡れた岩で左足が滑った。「馬鹿たれ!」と自分を罵りながら、どうすることもできず、すぐ目の先の縁から飛び出していくのを覚悟した。
 しかし体は滝を落ちなかった。落ち際の縁ぎりぎりで止まっていた。何が起こったのだろうと見てみると、思わず伸ばした左足の靴の踵が、わずかな岩角に引っ掛かって止まったのだと判った。慌てて平らな所まで退がりながら、信じられないような幸運が起こったのだと感じていた。落ちれば真下にいたH君を巻き添えにしたに違いなかっただろう。結果を想像するだけでも、とても嫌だった。

3.運だけ・・その2
 これは自分に起こった事ではなく、 少し前を歩いていた会の仲間に起きたことだった。もう40年以上前の事なのに、そのシーンは今でもはっきりと覚えている。
 その年の冬合宿は穂高の明神岳だったので、11月後半の連休を利用して数人で偵察に行った時のことだった。明神池上方から明神5峰に登るルートを探したのだが、木の多い急な壁をラッセルと垂直の木登りで強引に抜けて稜線に出た。この後4峰と3峰の間のコルからルンゼを宮川へ降りる予定だった。4峰のあたりだったと思うのだが岳沢側の急な斜面をトラバースする箇所が有った。雪面は硬く締まっていたので慎重に浅いステップを辿って歩いていた。(この時もアイゼンは使っていなかった。思い起こしてみると、その頃は厳冬期以外は殆どアイゼンを使わなかった。春山もそうだったので、夏の雪渓でアイゼンを履くなどはもっての外だった。新人で初めての穂高合宿でも、北尾根3峰の涸沢側フェースへのアプローチで、かなり急な上部雪渓も、スプーンカットとキックステップだけで登って行った。)
 岳沢側の急な硬い雪面トラバースを半ばまで来た時、3人ほど前を歩いていたSさんが、何があったかは判らないが突然スリップした。 これには本当に驚いた。ここは急な傾斜と硬く締まった雪の斜面。アンザイレンしていない状態では絶対にスリップしてはいけないところ。 その為、皆が緊張して慎重に歩いていたはずなのに何故!。正直に言うとこの時は「これは止まらない!」と思った。 止まれなければ岳沢までの数百メートルを落ちていくことになる。滑って行くSさんを絶望的な思いを抱きながら目で追っていくしかなかった。その時奇跡が起こった。停止姿勢にも入っていなかったSさんの体が突然ピタッと止まったのだ。 まるで神の手が落ちていくSさんの体をむんずと捕まえたような止まり方だった。いったい何が起きたのか、狐につままれたような気分だった。しばらくしてから登り返してきた彼の話では、広い雪面のそこだけに岩の頭が少しだけ出ていて、それに靴が引っかかって止まったということだった。そういわれてその場所を見てもそうとは判らないような小さなでっぱりで 、何かの力が働いたとしか思えないような幸運だった。

4.運だけ・・その3
 これも会の他メンバーのことだ。 場所も”その2”と同じ穂高。この年の合宿は四季すべて穂高だった。夏合宿は奥又白池にテントを張って、北尾根4峰正面壁を何本か登った。台風に遭い10人用テントの太いポールが曲がってしまうなど、色々な事があったが無事に日程を終え、食料が減ったとはいえまだまだ重い荷を担いでの下山が始まった。この日は天気が良く、中畠新道の急な岩混じりの尾根を、軽快な足取りで駆け降りていっていた。半分ほど下ったその時Uさんが足を滑らせた。そしてそのまま尾根の左側、奥又白谷の急な斜面に飛び込んだ。他の皆が上から覗き込んでみると、すぐ下に有った小さなダケカンバの木に引っかかって止まり、苦笑いをしていた。だが本人は気づいていなかったかもしれないが、上から見ていた我々は思わずゾッとしていた。それはその斜面に有る木はそれ程多くはなく、すり抜けていってもおかしくなかった。そしてその数メートル先は奥又白谷の垂直に近い壁になっていることに気づいたからだった。
 このケースは強運だったというよりは、それ程運が悪くはなっかたということかもしれないが、今でもその時の場面が強く心に残っている。

5.ブロック雪崩
 会に入って初めての春合宿は、谷川岳での雪上と岩登りの訓練だった。 初日は芝倉沢を出合から少し登っていった右岸の急な斜面で1日かけての雪上訓練。天気は上々で春山の明るい陽射しを浴びながら、滑落停止を繰り返し練習した。昼には荷物を置いた対岸の平地で、イグルーを作って遊びながら食事を楽しんだ。そして午後はコンテニュアスでのパートナーの滑落を止める練習をした。でもこれは難しかった。手元に何回かザイルを巻いたループを持ちながら行動し、パートナーが滑落したらループを雪面に投げ落とし、そこにピッケルを深く差しこむ。差し込んだピッケルに覆いかぶさるように全体重をかけビレイ点にしてパートナーを止める。というのが理屈なのだが、実際には上から滑って来た時はショックが大きすぎて引きずり落とされてしまうし、下が滑った時には見えてないので(訓練時にも下は黙って落ちる)気づく間もなく引きずり落とされてしまう。結局ピッケルが刺さる程度の雪ならば、落ちた本人が自力で止まれるはずだというのが自分の結論だった。そんな時間を過ごし、2時前後だと思うのだが訓練を終了し対岸の荷物の処に戻り、BCへ帰る準備を始めた。そして荷物をまとめていたその時、突然にザァーという大きな音が聞こえた。何だと思って周りを見渡してみると、たった今まで訓練に使っていた右岸の急斜面の上に巨大な雪のブロックが現れ、そのまま斜面を滑り降り沢底に達してズシーンという地響きをたてて止まった。小さな小屋ほどもあるその大きさに皆しばらく黙った後、思わず笑ってしまった。しかし、もし終了があと5分でも遅ければ、どんなことが起きていたかは皆ハッキリと判っていたのでその笑いは少しひきつっていたと 思う。