屋良です。岩上安身さんのスタッフの方が映像を取っています。岩上さんが沖縄に来られてインタビュー取材を受けました。パソコンを一台持ってきて、ハンディカメラで撮影して、そのインタビュー映像がライブでネット配信されていた。愕然としました。日本のメディアは変わっていく可能性があると思いました。本日の講演もネット配信して、会場の向こうの何千という人々に向かってお話しすることになります。

先ほど高江のDVD「やんばるからのメッセージ」の上映がありました。みなさん、高江のこと、ご存知でしょうか。ほとんどヤマトのマスコミでは報じられない。沖縄防衛局が、森林を伐採して住宅地の近くに新たな米軍施設―ヘリパッドを作ろうとしているのに、住民が反対運動を起こしています。これに対して防衛局が住民の「妨害」をやめさせるために那覇地裁に仮処分申請をした。このようなことがどれほどヤマトで知られているのだろうと思います。

昨年の910月は、普天間報道がほとんど連日トップ記事で取り上げられました。しかし、普天間基地がどのような基地で、なぜ一国の総理が辞めざるを得ないのか。沖縄で何が起きているのか。きょうはこのことを考えてみたいと思います。

沖縄の基地はギネス級

沖縄の基地については、0.6%の沖縄に米軍施設の75%が集中している、といわれます。米軍はアジア太平洋地域に10万人を配置しています。米国と同盟を結んでいる国は五カ国、韓国・オーストラリア・フィリピン・タイと日本です。シンガポールは協力国として100数十名がいるだけです。10万人のうち、日本に約半数の41626人、沖縄にはその内の25500人がいます。次に韓国に38725人。この五カ国の面積を合計すると890万平方キロになります。この中で沖縄の比率は0.025%です。この0.025%の沖縄に、アジア太平洋地域の米軍の4分の1が集中している。全世界に展開する米軍20数万人の10%にあたります。こんな軍事の島は世界にない。この現状をギネスブックに残すべきでしょう。

海兵隊の移転〜50年前といま

沖縄の米軍の大部分は、海兵隊です。沖縄の基地の75%を占有しています。1995年の少女暴行事件の犯人も海兵隊でした。なぜ海兵隊が沖縄にいるのでしょう?

海兵隊はそもそも沖縄にはいなかった。岐阜県と山梨県に駐留していました。1950年の朝鮮戦争で在日米軍の陸軍が朝鮮半島に出動した。これをバックアップする為に1953年に岐阜と山梨県に配備された。ところが3年後に沖縄に移転してきます。朝鮮半島から遠い沖縄になぜ移転したのか。しかも当時沖縄には海兵隊を運ぶ船もなかった。軍事合理的な説明はできない。いまだその理由は謎です。そこがあまり追求されていない。当時の沖縄は米軍占領下にあった。
2002年に沖縄タイムスが報じた記事があります。当時沖縄にいた米総領事スティーブスが19555月に本国に当てた手紙が米公文書館で保存されていた。「海兵隊の沖縄移転計画は中止すべき」「軍部が計画に賛成しているというのは大きな勘違い」「海兵隊が沖縄に移転すると、土地問題は解決不可能となる」とあります。当時はすでに米陸軍と空軍で沖縄本島の30%が米軍基地だった。海兵隊移転でさらに20%が基地になり、1200世帯の住民が土地と田畑を奪われてしまう。沖縄に基地が集中するのは当然と思っていた総領事が考え方を変えたのはなぜか。陸軍の幹部が来たときに総領事が海兵隊移転について意見を求めたところ、「色々な部隊がいると司令部機能が混乱する。反対だ」と言われた。海兵隊の司令官に同じ質問をしたところ、同じ理由で「移転したくない」という。「この移転理由を説明できるのは国防長官だけだろう」と総領事は皮肉っています。

つまり、移転は政治的な理由であって、軍事的合理性はなかったということです。

1950年代は,日本各地で反基地運動が盛り上がっていました。1952年から始まった石川県の内灘闘争。53年の長野県の浅間山の演習場反対闘争。55年の群馬県妙義山接収反対闘争。54年から56年の東京都立川の砂川闘争。海兵隊のいた岐阜と山梨でも強力な反対闘争があった。もう一つは50年の警察予備隊、547月自衛隊発足という日本の再軍備の動きです。基地拡張と再軍備は、敗戦後10年も経っていない日本の中では、非常にセンシティブな問題としてあった。このような日本(ヤマト)の政治状況の中で、沖縄へ海兵隊が移転されることになったのではないかと想像されます。

なぜ海兵隊はグアムへ移転するのか

海兵隊は沖縄に18000人駐留しています。その内の司令部と補給部隊中心に8000人が移転されます。司令部が移ることはかなり大きいことです。会社で言うと、社長室と総務部が移転して、営業部が残るという感じです。会社のメインは移転先ということになるでしょう。沖縄の海兵隊がグアムの海兵隊になり、沖縄の出先に少しだけ残るという話です。なぜ移転なのか。日本の安全保障環境がそれほど大きく変わったのか。

50年代も移転の理由が「政治的理由」であったように、実は今回も政治が大きな要因だった。20031116日に、ラムズフェルド国防長官(当時)が沖縄に立ち寄り、当時の稲嶺県知事と会談しています。知事は「米軍再編の中で沖縄の基地の思い切った変革をお願いしたい」と要望した。長官は「世界中の部隊の見直しをしているので、具体的な言及はできない」とそっけなく応えました。なおも食い下がる知事に「米軍は沖縄のみなさんにも歓迎されている面もありますね」と席を立とうとする長官に、騒音問題、米兵の事件事故などを訴え続けると、ラムズフェルドの顔色が変わっていったんです。その後に、ホワイトハウスで化学反応が起こる。それまで決着済みとして米軍再編の協議に乗っていなかった沖縄の基地問題が急浮上し、海兵隊のグアム移転の話が出てくる。

海兵隊はこの移転にまったく乗り気ではなかった。まず年間465億円くらいのコストが余分にかかる。これは20073月の国防総省監察監事務所報告の計算です。さらに、米紙ワシントンポストの報道によるとグアムのインフラ整備に2-3000億円かかる。基地内の整備は日米で13000億円。予算確保が難しいと国防総省の担当者は話しているという記事です。このインフラ整備は最近では6000億円以上かかり、米国から日本政府に追加予算を求める声が強まっているのが現状です。

50年前と今回の海兵隊のグアム移転を比較すると、非常によく似ている。政治的混乱状況と軍部の反対、海兵隊が乗り気でない、50年前は「ウイルソン国防長官しか移転理由を知らない」と言われたが、今回は「すべてはラムズフェルド長官」。ここでポイントとして強調したいのは、政治です。軍事合理性ではない。

つい私たちは、米軍の軍事的理由があり、沖縄の戦略的位置があり、と思いがちです。これがまったくそうではない。このことを強調したいと思います。軍隊をどこに配備するかは、政治が決める。文民統制の論理からしても、当然そうなります。それなのに、基地問題で総理大臣が辞めざるを得ないというのは、本当におぞましいと思います。

 

海兵隊は日本防衛?抑止力??

鳩山前総理が「学べば学ぶほど抑止力に海兵隊が必要」と言った、その抑止力です。

まず普天間基地とはどんな基地か。常駐機52機、CH46中型輸送ヘリ23機、もう一つCH53大型輸送ヘリ4機。これで輸送できる兵員は700人です。さらにKC130空中給油兼輸送機12機で、輸送兵員1100人。このKC130 は岩国移転が決まっています。そうすると27機のヘリと700人が抑止力か、という議論になります。ヘリでは遠くまで運べませんので、佐世保にある揚陸艦が海兵隊を輸送します。2000人運べます。沖縄にはさんご礁があって、大型艦船が配備できない。

北朝鮮で緊急事態が起こると、まず長崎から揚陸艦が沖縄に来て、海兵隊と物資を積んで北上する。これが果たして合理的でしょうか。揚陸艦で輸送できるのは2000人ですが、海兵隊が任務を帯びて出動するときには、大規模紛争には遠征軍4万人が、だいたい2つくらい編成されます。小規模紛争には遠征旅団1.5万人、非戦闘員救出や臨検、人道支援に遠征隊2000人が編成されます。朝鮮半島有事にはカリフォルニアとハワイと沖縄、岩国の全兵力5個旅団78万人が動員されるといわれています。

つまり沖縄の海兵隊だけでは有事に対応できないし、輸送手段もない。学べば学ぶほど、海兵隊の抑止力には疑問符がついてくるのではないでしょうか。

湾岸戦争では全体で50万人、海兵隊92990人ヘリが177機、ジェット機、輸送機194機が3~4ヶ月かけて空輸しています。

イラク、アフガンにも海兵隊が1000人前後派遣されています。他にもオーストラリア・フィリピン・タイ・韓国に訓練などで派遣されますので、沖縄にはほとんどいない。今年の1月から4月、普天間問題が迷走を続けている時期に普天間には4機しかいない。その時に鳩山さんは抑止力と言っていたわけです。

 いずれにせよ、グアム移転で、司令部機能がグアムに集結し、沖縄、岩国、ハワイなどの海兵隊を遠隔操作していくという形になる。

現在、海兵隊はアジア太平洋の同盟国の五カ国を半年間のローテーションで回って、テロとの戦いの一環として民生安定活動をして、山村や農村の道路整備や復興活動を展開しているわけです。ローテーション方式で沖縄にいる部隊をグアムに移転してもらって、各同盟国を巡り、日本では自衛隊と共同訓練したりすれば沖縄にいる必要もない。そのような合理的な解決策を見出していくのも政治の役割ではないのか。そう思います。

 

外国軍の駐留 「普通の国」の場合

イタリアの場合、米軍1万人を受け入れています。F16戦闘機50機が常駐している軍事空港ですが、飛行機の飛び方などを非常に細かく決めています。風向きに関わりなく住宅地を避けるようになっています。イタリア軍が管理している基地をNATO軍に提供していて米軍が利用している形です。管理権はイタリア軍の司令官が持っています。夜10時から朝の6時まで飛行できない。日本の場合は、協定はあるが、守られない。東京の上空にも米軍が管理する空域があります。イタリアと違い、米空軍にすべて任せています。イタリアは基地使用協定で規定しているが、日米地位協定では「妥当な配慮を払う」という規定だけで、配慮するのは米軍です。イタリアのお昼寝タイムには滑走路を使えない。日本では嘉手納で夜中の23時に飛んでいる。パイロットの安全性を配慮している。

航空写真で見てわかるように、イタリアもベルギーもドイツもトルコも周辺に住宅はない。普天間、嘉手納と大きな違いがある。住宅密集地に二つの軍事空港があるなんて言うのは、世界中どこを探してもない。このことを最後に強調して、講演を終わります。