90000人ー空前の大結集!

 会場の読谷村運動公園広場は、人の波で埋め尽くされた。子どもたちからお年寄りまで老若男女。前段のオープニングイベントには、ポップス・ラップから民謡など若いアーチストがストレートに平和へのメッセージを表現した。

 会場には黄色い鉢巻やタオル、リボンがいっぱい。鳩山政権へのイエローカードだ。ふらついている鳩山政権への怒りと、祈るような想いが込められている。

 各地域で実行委員会が組織され、県下41市町村の首長(一部代理)と全政党の議員が参加し壇上に並んだ。最後まで参加をためらっていた仲井真知事の姿もあった。「こぶしはあげない」と語っていたというが、そして発言に「県内移設反対」の言葉は聴かれなかったが、周囲の勢いにつられるように、しっかりとこぶしを突き上げていた。(左の中央、ブルーのシャツ)

 周辺道路は、大会へと向かう車で大渋滞。大会終了後の16時半過ぎにようやくたどり着いた人、結局たどり着けずにラジオで大会終了を知り引き返した人の話をいくつも聞いた。

 会場カンパは500万円を越えた。80名の代表団が、翌26日から上京し、政府・関係大臣要請行動を展開し、国会前に座り込んだ。

 沖縄の民意は、何度も示された。世界一危険な普天間飛行場は、即時閉鎖しかない。「閉鎖・返還」問題の「移設先探し」へのすり替えを許してはならない。

         大会決議文
 
 普天間飛行場の返還は平成8年日米特別行動委員会(SACO)合意から13年経過した今なお実現を見ることはなく、その危険性は放置されたままです。
 しかも、平成16年(2004年)8月13日に発生した沖縄国際大学構内への米軍海兵隊所属CH53D大型輸送機ヘリコプターの墜落事故は、市街地に位置し、住宅や学校等が密集する普天間飛行場の危険極まりない現実を明らかにしました。一歩間違えば大惨事を引き起こしかねず「世界一危険な飛行場」の存在を改めて内外に明らかにしています。しかも、平成18年(2006年)の在日米軍再編協議では同飛行場の全面返還を合意しており、県民や宜野湾市民は、最も危険な普天間飛行場を早期に全面返還し、政府の責任において跡地利用等課題解決を求めているのです。
 私たち沖縄県民は、去る大戦の悲惨な教訓から戦後一貫して「命どぅ宝」、基地のない平和で安全な沖縄を希求してきました。にも関わらずSACO合意の「普天間飛行場条件つき返還」は新たな基地の県内移設に他なりません。
 県民の意思はこれまで行われた住民投票や県民大会、各種世論調査などで明確に示され、移設先とされた名護市辺野古沿岸域は国の天然記念物で、国際保護獣のジュゴンをはじめとする希少生物をはぐくむ貴重な海域であり、また新たなサンゴ群落が見つかるなど世界にも類をみない美しい海域であることが確認されています。
 名護市長は、辺野古の海上及び陸上への基地建設に反対しています。また、勝連半島沖埋め立て案についてはうるま市長・市議会ともに反対を表明しています。
 よって、私たち沖縄県民は、県民の生命・財産・生活環境を守る立場から、日米両政府が普天間飛行場を早期に閉鎖・返還するとともに、県内移設を断念し、国外・県外に移設されるよう強く求めるものです。
 以上決議する。
 
▽大会スローガン
 日米地位協定の抜本的改定を求める。
 返還後の跡地利用を促進するため、国の責任で、環境浄化、経済対策などを求める。
 返還に伴う、地権者補償、基地従業員の雇用確保を国の責任で行うよう求める。
                           2010年4月25日
                           4・25県民大会