いろは長屋とは? 
落語の魅力になじんでいただこうと、ホームページを訪れてくれた皆さんにだけ、ネタ帳を公開!
題して「國落ネタ帳 落語いろは長屋」。
機関紙の『花色木綿』でも、ちょっとまじめに各自が自分の持ちネタの
演題研究なんて記事を載せてました。
古典落語にまつわって「いろは」から理解していただけるように、できるだけ注釈もつけます。
順に増やしていきますので、お楽しみに。
《参考文献:筑摩書房『古典落語』、三一書房『立川談志独り会』、中央公論新社『新釈落語噺』、各音源所収解説書ほか。注釈は小学館『大辞泉』、三省堂『新明解国語辞典』ほか》

あわびのし
 鮑のし

腹が減って「おまんまが食べたい」と甚兵衛さん。ところが、 御足(おあし)が切れてお米も何もみんな切れている。おかみさんに「近所で五十銭借りて魚屋行って尾頭付きを買って帰ってきたら口上を覚えて、地主の婚礼に 尾頭付きを前に 口上言うとお返しに壱円(いちえん)くれるから、それで五十銭返して残った五十銭でおまんま買って食べるんだよ」と言いつけられた甚兵衛さん。とはいえ五十銭では鮑しか買うことができず、これを持って行くと「 磯の鮑の片思い 」といって婚礼に片貝とは縁起が悪いと追い返されてしまう。困ってさまよっていると、頭(かしら)から“ 熨斗の根本の鮑”という話を仕込んだ啖呵(たんか)を教わり逆襲に…?

市販されているものではCD以外にもポニーキャニオンから山藤章二のラクゴニメ(9)古今亭志ん生(他に饅頭こわいを収録)PCVE-11574というビデオが出ています。お楽しみください。


御足: おかね。足がはえたように、すぐなくなることから。「切れる」は、すっかりなくなる。
尾頭付き(おかしらつき): 尾と頭のついたままの魚。慶事での料理に用いる。
口上(こうじょう): 口で言う、一定の形式にしたがったあいさつ。
磯の鮑の片思い: アワビは二枚貝の片側だけのように見えるところから自分が慕っているだけで、相手にはその気のない恋をいう。
熨斗(のし): いまでは熨斗紙が用いられるが、もとは「のしあわび」を包んだ形に色紙を折ったものを贈物に添えた。「のしあわび」は鮑の肉を薄くはぎ、長く伸ばして干したもの。古くは神前に供えたが、のちにはひろく祝儀にも用いる。


うしほめ
 牛ほめ

与太郎が、お父ッつァんに呼ばれて、佐兵衛(さへえ)叔父さんの 普請(ふしん)を褒(ほ)めに行って来いと言われる。「家は総体檜造(そうたいひのきづく)り、天井は薩摩の鶉木理(うずらもく)、左右の壁は砂摺(すなず)りでござい、畳は備後表(びんご)の五分縁(ごぶべり)でござい。お床間(とこ)は結構ですな、お軸も結構ですな、あれは唐画の茄子(なす)でございますな、“売る人もまだ味知らぬ初茄子(はつなすび)”これは其角(きかく)の発句(ほっく)でござい〔去来(きょらい)の句とする演者も〕。庭は総体御影石造(みかげづく)りで」と、これだけのことを言わして利口になったと感心してもらおうというわけ。さらに台所(だいどこ)の柱に節穴(ふしあな)がある。「叔父さん、この穴をそう気にすることはありません。この穴へ 秋葉様(あきばさま)のお札(ふだ)をお貼(は)んなさい。節穴が隠れまして、第一(だいち)火の用心がよろしうございます」そして「ああ・・・叔父さん、いい牛ですね。 天角地眼(てんかくちがん)、一黒鹿頭(いちこくろくとう)、耳小歯違(じしょうはちごう)でござます」 さあ、与太郎のことですから、うまくいくかどうか。なにしろ「左右の壁は・・・」を「佐兵衛の嬶(かか)ァは 引きずりで」なんて言いかねませんから。 与太郎ものの代表といったところでしょうが、飯島友治編『古典落語』筑摩書房刊(第二期第四巻)によると、

 他の与太郎噺では、大家とか叔父とかが出てきて与太郎の世話をし、面倒をみることが多いが、この『牛ほめ』では、親が自分の馬鹿息子を立てようといろいろ心遣いしている。・・・世間に対し少しでもよく見せたいという親心、そんな親の欲目をからませている点に、他の与太郎ものとの違いがある。「なにを?」「うン」「この節穴ィ」と区切り区切り感嘆の間をおきながら話す、この呼吸、“間”が非常に難しい。そしてこうしたなにげない箇所の出来具合が、噺全体の調子を決めてしまうのである。与太郎のトンチンカンな返事のおかしさも、こうした背景となる描写の細やかな演出によって人情の機微に通じた深みのある笑いとなるのだが、残念ながらこうした箇所に意を用いる噺家も少なくなったようである。

などと解説に述べられていますけど・・・、まあお楽しみくださいと言いたいんですが、寄席などではよく聞かれるわりに市販のものが見当たらなくて。


普請: 家をたてたり、なおしたりすること。
秋葉様: 火伏せ〔防火〕の神様。余談ながら、秋葉原は、幕末近くに原が焼け、その跡に小さな秋葉様を祀ったところから秋葉ッ原と称したことによるという。
天角地眼・・・: 荷車を引いたり田仕事の出来る強い牛の条件。後半は一石六斗二升八合の語呂合わせ。
引きずり: きれいな着物を着ているだけで、はたらかない女を悪く言うことば。


 おばけながや
 お化け長屋

家主の 因業(いんごう)なのに怒った 店子(たなこ)たちが、空き店(だな)にいつまでも借り手がつかないようにしてやろうと申し合わせ、古狸(ふるだぬき)の杢兵衛(もくべえ)と呼ばれる最 古参の店子が 差配(さはい)と称して借り手と応対することに。いいことずくめの物件なのに、 敷金はいらないし、家賃も払いたかったら払えばいいと話し、借り手が疑念を抱いたところへ、器量よしのやもめが住んでいたが泥棒に惨殺され、その幽霊が出るという作り話でこわがらせ、まず一人目は成功。今度は威勢のいい借り手が飛び込んできた。なんとその男!条件がよすぎるのはお化けか幽霊でも出るのだろう、それくらいは我慢するから、すぐに越してくると言う。怪談話をしてもこわがらないどころか、逆に杢兵衛がさんざんいじりまわされる。長編なので、たいがいこの辺で切るんですが、まだ先があります。 この越してきた威勢のいい男が湯へ行った留守に怪談話通りの仕込みを行う連中があらわれる。まんまとはまって湯から帰って来た男が驚いて逃げ去ると、喜んだ連中はもっとおどかしてやろうと、あんまを呼び込み布団に入れて手足に一人ずつつながって、大入道が寝ている趣向をととのえる。親方のところに逃げ込んだ男の話を聞いて、その親方が長屋にやって来る。一同は逃げ去り、残ったあんまがいいつけのとおり「ももんがあ!」とすごむが、親方は少しも驚かず、「あんまだけを置き去りに逃げるとは、 尻腰(しっこし)のねえ野郎どもだ」「へえ、腰と足は逃げてしまいました」
市販ものではNHK落語名人選79三代目三遊亭金馬〜五代目古今亭志ん生POCN-1119にリレー落語が収録されていますので、お楽しみください。


因業: 頑固で思いやりのないこと。
店子: 「借家人(しゃくやにん)」の古風な言い方。
古参: ずっと以前からその職や地位に就いていること。
差配: 所有主の代わりに貸地・貸家などの管理をする人。
敷金: 貸家・貸間を借りるとき、家主にあずける保証金。
尻腰がない: だらしがない。「尻腰」は意地や根気。


親子酒
お酒が好きな親子が登場。
息子の将来を思い、酒で 間違いを起こすようなことがあってはと、親子で禁酒の約束をしてみたものの、おとうさんは、おかみさんにせがんで内緒で一本…もう一本だけ…もう半分…しまいにゃァ、持ってこォいッ…べろべろに酔っ払ったところへ息子が帰って来た。こりゃ大変!おとうさん、しゃきっとして見せて…ところが息子もへべれけで戻ってきた。「やっぱりこれで好きなものは、やめようと思っても、なかなかやまりませんねェおとうさん」「馬鹿野郎!けれど、この 身代をお前にそっくりゆずっていこうと思えばこそ、おとうさんは口うるさく言うんですから…」と愛情を見せながらサゲへ。桃家のり曰く「酔っ払いの雰囲気の出し方、親子の酔っ払いの違いを出すのが難しいが、さらりとした中に親子の対話がおもしろい」と。
CDなら五代目柳家小さん名演集(九)ポニーキャニオンPCCG-00055(他に饅頭こわい・うなぎ屋所収) などでお楽しみください。


間違い: 気がかりで、不安な状態(事)。事故やけんかなどよくないこと。酒で間違いを起こしたOBが何人いることやら…
身代: 一家・個人の全財産。資産。

火焔太鼓
「落とし咄に出てくる人物はってぇと、たいがい決まっております。八っつあんに熊さん、それに横丁のご隠居、人のいいのが甚兵衛さん、馬鹿で与太郎という、このへんが大立者…」そう、その甚兵衛さんが登場します。この甚兵衛さんをどう演じるかというのも、なかなか難しいところです。下手をすると与太郎のようになってしまうし…つまり、「人のいい」という肩書きをどうとらえるかということにつきるのでしょうか。

最も語釈が具体的かつ個性的な三省堂 新明解国語辞典によると、「(1)他人の言行を頭から信じ、恨んだり憎んだりする所が全くない。(2)人にばかにされても、また人から皮肉を言われてもすぐぴんとはこないほどに血のめぐりがよくない。」とあります。やはり(1)のいわゆる善人というのは、どんなだろうという人間観察が必要となってくるでしょう。

道具屋を営む甚兵衛さん。普段から商売が下手で、おかみさんからサンザ小言をくらっています。今日もきたないけれど時代がかった太鼓を仕入れてきたものの、おかみさんから金をどぶに捨てるようなもんだとけなされます。しかし、ひょんなことから、さる大名のお屋敷に、この太鼓を売りに行くことになる。おっかなびっくりの甚兵衛さん、この太鼓が火焔太鼓という世にふたつというような名器だったので高値で売れるということになって舞い上がってしまいます。この浮き沈みの激しい心理描写が聞き所。
また、「 志ん生の火焔太鼓か、火焔太鼓の志ん生か」といわれる志ん生ならではの クスグリが多く盛り込まれた落語です。「お前さんは馬鹿がこんがらかっちゃったねえ。」「なにを言ってやんでぇ、びっくりして座りションベンして馬鹿んなんじゃねえぞ!」などなど。

それにしても、この落語もオチがわかりにくくなってしまったようです。「 半鐘はいけないよ、 オジャンになる。」のオジャンは半鐘の音にひっかけたもの。江戸時代には火の見櫓(やぐら)に吊るしてあった半鐘を、火事が遠いときにはジャンジャンと、近い火事にはジャンジャンジャンと三連打、町内の出火はジャジャジャジャ…と続けざまに鳴らしたそうで。
時代劇ぐらいでしか見なくなってしまいまして、昭和の時代は東宝の特撮映画で半鐘をジャンジャンジャンと鳴らして「 ゴジラだあ、逃げろ〜」っていう場面で、まだ馴染みはあったもんですが。えっ、それも知らない!?明治じゃなくて、昭和は遠くなりにけりですね。

そう、それと、CBS・ソニーが出していた「東京放送」に遺された実況録音テープからのレコード(これも時代を感じますね)に、お正月の高座ということで、「太鼓はもうかるよ、ドンドンともうかるから」と、志ん生が落としているものがありました。おめでたい席でおじゃんにしてはいけないということで考え出したそうですが、私は学祭の真打披露のときに、このオチを使わせてもらいました。
さてさて、今回は数多く商品化されている中で、ちょっと変り種「山藤章二のラクゴニメ(1)古今亭志ん生 火焔太鼓」PCVP-11335というアニメーションで再現したビデオがあることをご紹介しておきます。お楽しみください。



 
新明解国語辞典:
 
國學院大学にゆかりのある国語学の大家(たいか)金田一京助先生の手になる『明解国語辞典』を承け、山田忠雄氏による新機軸の辞書。
この辞書の特異性は、恋愛の語釈「特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。」など話題を呼んだ。
山田忠雄氏の死後の新版では、やや表現をやわらげる改訂がなされている。
 
古今亭志ん生:
 
1890〜1973年。1939年に五代目志ん生を襲名するまで、十数回の改名を繰り返したり、天衣無縫・八方破れといわれる芸風と生活で知られる、昭和を代表する落語家のひとり。長男は故金原亭馬生,次男が古今亭志ん朝
 
クスグリ:
 
笑わせるように仕組んであるところ
 
半鐘:
 
小型の釣り鐘。火災などの警報にたたき鳴らした。
 
おじゃん:
 
せっかくの計画がだめになること。
 
ゴジラ:
 
昭和29年、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって第五福竜丸が放射能を浴び、乗組員に死者が出た事件を受け、もし東京に核爆弾が落ちたらという比喩を、水爆実験によってよみがえった恐竜に東京が破壊されるという設定で公開された映画。
世界で唯一の被爆国である日本からの非核のメッセージを高らかに掲げたものだったが、以後徐々にアイドル化して変形。


紙入れ
いわゆる間男(まおとこ)の一席。間男とは新明解国語辞典によると「夫のある女性が他の男性と密通すること。また、その男性。」とあり、では「密通」はと引くと「昔、禁じられている間柄に在った男女が、人目を忍んで性的な関係を持つこと。」と、いまや「不倫」という言葉に取って代わられたと言いたげです?
まあ、昔は結婚は親がきめる、たとえ若い二人が惚れ合っていて夫婦になろうとしても親が許さなければ仕方がないんで駆け落ちと…さらに封建的な社会では、女のほうが自分の亭主以外に本当に好きな男と情を交わすことは許されず、これをやると死
罪。ただし亭主にだけその権利があって、その場に踏み込んだのであれば二人の男女を切り殺しても罪にならないというわけで、重ねておいて四つにされる。でも、相手の男は殺したいが女房は惜しいんで、「だらしない亭主ようよう三つにし」なんて古川柳もあるとか。
この手の川柳で、もっとも有名なのが「町内で知らぬは亭主ばかりなり」というおなじみのものや、「間男は亭主のほうが先に惚れ」〜「おい、こいつはなあ、いい奴だから、お前も面倒みてやれよ…」というのが始まりで、そのうちに本当に面倒をみるようになってしまってというのが、この咄のはじまりです。

旦那が留守なのを物怪の幸いと呼び出された新吉。ところが旦那が帰って来て、間一髪、裏口から逃げたものの、紙入れを忘れてしまった。それも、いつも世話になっているその旦那からもらったもので、旦那が見れば自分が来ていたことがわかってしまう、おまけに「今晩旦那が帰って来ないから泊まりに来い」という手紙を入れてある!
もう駄目だ、おしまいだ!逃げようか、でも見つかってなければ逃げることはなし、明日様子をうかがいに行ってみよう、いや謝りに行こうと、旦那の家へ。
「誰だ、新吉じゃねえか、こっちへ上がれ。この野郎!」「すいません、二度としませんから勘弁してください!」…さあて、旦那の恩を裏切ったうしろめたい気持ちと、年上の女の色香との板ばさみになってしまった新吉の運命やいかに。風の谷の塗八いわく「後半の旦那と新吉のかけあいが気に入っている」という佳境にはいります。
CDでは日本コロンビアから談志が選んだ・艶噺し八 三遊亭円弥(他に土橋亭里う馬めぐすりを収録)COCJ−30758などで、お楽しみ下さい。




一席:

演説・講談・落語などの一回分をいう造語。慣用句に「一席ぶつ(演説をしたり威勢のいい話をしたりする)」「一席設ける(客を呼んでもてなす)」など。
せんりゅう
川柳:

五・七・五の三句からなる俳句と同形式だが、俳句のような季語や切れ字の制約はなく、口語を用い、人生の機微や世相・風俗をこっけいに、また風刺的に描写するのが特色。江戸中期に流行した雑俳のひとつ。
(もっけのさいわい)
物怪の幸い:

思いがけない幸運。

間一髪:

「危機一髪」と同様、「一発」という誤字が見られることが多い。「髪の毛ひと筋のすきまほどの、わずかな違いで」の意。受験必須!?

紙入れ:

今の札入れと似たようなものだが、紙幣のなかった時代には財布と紙入れの用途ははっきり分かれていたとか。二つ折れの両側に入るようにはなっておらず片側は、いわば蓋(ふた)の役をしていて、手紙とか書付けとかを入れたという。
ぬるはち
風の谷の塗八

六代目三優亭発橋を襲名。第38回渋三落語会で「紙入れ」を口演。
かきょう
佳境:

物事が進行しておもしろくなった所。


替り目
まだ酒飲みが出てくる噺はあまりふれていませんでしたね。
酔っ払いの亭主とその女房の噺。私も好きな噺で、敬老会などに呼ばれたときは、この噺をもっていくと、たいてい喜ばれるものです。
酔っ払った亭主が帰ってきた。女房は寝かせようとするが、亭主はもう少し飲みたいと言うは、ツマミをもってこいと言うは。女房がなんにもないよと言っても、「今朝食べた納豆の残りが…」とか「となりでもらったおしたしが…」とか散々言う。しまいに漬物までないと聞くや「生で持ってこい。生でかじって、糠と塩を食って、頭に石を乗せて置く…」なんて言い出す。亭主が聞き入れないので、女房は仕方なく、おでんを買いにいく。すると亭主は「あーあ、いっちゃった。 有り難いねえ、女房ならばこそ、夜、夜中、亭主のわがままを承知で、おでんを買いにいってくれる、俺には過ぎたる女房だ。いい女だよ。口じゃあポンポン言うようなものの、心から済まないと頭を下げて、……おいっ、まだいかねえのかい。いけねえ、元帳見られちゃった…」で、たいがい落ちに。
実はこの先があって、女房がおでんを買いに行った留守にまよいこんだ”うどん屋”と話し込みながら亭主は酒に燗を付けるのを頼み、燗が付いたら「もう用はない」と追い出してしまう。帰ってきた女房が気の毒に思って何か注文しようと”うどん屋”
を呼ぶ。居合わせた客が「おい、うどん屋、あそこの家で呼んでるよ」「えぇと何処で……あっ、いけません、いまあそこへいくと”御銚子の替り目”です」というのが本来の落ちだそうな。
CDならAPC−38古今亭志ん生名演集(三十)他に「後生うなぎ」「ふたなり」「たいこ腹」を収録〜このシリーズは安価でおすすめ  MADE BY PONY CANYON などでお楽しみください。たわいもない日常の活写がうけるのでしょうか。



有り難い: 古語「ありがたし」(あり=存在する+かたし=むずかしい)の「めったにない」がもとの意味。
『枕草子』には、舅(しゅうと)に褒められる婿、姑(しゅうとめ)にかわいがられる嫁、眉毛がよく抜ける銀の毛抜き、主人の悪口を言わない従者、ひとつの癖もないこと、などを並べている。
鎌倉時代になると西行法師の「ありがたき人になりけるかひありて悟りもとむる心あらなむ(=人間に生まれついたというありがたい値打ちがあるのだから、悟りの境地を求める意欲があってほしいものだ)」<山家集>のように、宗教的な意味で感謝の気持ちを表すようになった。
この意味から現在一般に感謝を表す「ありがたい」となっていったとされる。

禁酒番屋

酒の上とはいえ大変な失敗(しくじり)をした侍がでた藩の殿様が自らを含め禁酒令を出した。それでも酒を飲む者がいるので、殿のお耳ィ入るてえとえらいことになる。重役会議の結果、屋敷の門の脇に番屋を設けて、厳しく取り締まることに。この 家中の近藤という侍が馴染みの酒屋に「一升、屋敷内の 身共の小屋へ届けてくれんか。金に 糸目はつけん。」と無理な注文をする。なんとかしようと店の者は、カステラの の底に五合徳利を二本並べ、蓋(ふた)をして 水引をかけた包みをこしらえた。

「お願いでございます」「通れェ、いずれへ参るか」「近藤さまのお小屋へ通ります」「なんだ?その方(ほう)は」「へいッ、手前向こう横丁の菓子屋でございます。カステラのご注文でございます」 「なに…役目の手前手落ちがあってはならん。一応は取り調べる。包みをこれへ出してみろ」「へい…これあの おつかいもんでございますんで…」 「なに?進物(しんもつ)か。あゝそうであろう。家中きっての酒飲み近藤が食すわけはないと思った。改めるには及ぶまい。では、ま、よいから持ってまいれ」「ありがとうございます。どっこいっしょッ」「待て!」うっかり口をすべらせたために番屋の役人に見破られた上、中身を取り調べると口実に?一升の酒を全部飲まれてしまった。「こら、かようなカステラがあるか。あの ここな偽(いつわ)り者めがッ!立ちかえれェッ!」仕方がないので、今度は油徳利に酒を入れ、油屋に化けて行くが、またもや失敗。偽り者なんぞ言われて二升のまれた店の若い連中は腹立ちまぎれ、寄ってたかって一升徳利へ小便を仕込む。「小便を小便ですと言って持っていくんですからね、嘘(うそ)偽りないんですから」と敵討(かたきう)ちに!? もお役人もベロベロ。はてさて、こっからの演じ方が芸の細やかなところ。ものがものだけに、不快感が先行して、仕返しの痛快味が半減しないように「きれいにはなさなくちゃいけない」というのが、この噺を 十八番とする柳家小さんの演出の苦心とか。
市販されているのはNHK落語名人選49五代目柳家小さん(他に「長屋の花見」を収録)POCN-1089などがあります。お楽しみください。



かちゅう 
家中:

家来(けらい)の総称。江戸時代には大名の家来をさす。
みども 
身共:

自称の代名詞。多く同輩以下に対して、大名・武士などが使った。おれ。わたし。
 
糸目はつけない:

「糸目」は、つりあいを取るために凧(たこ)の表面につける糸。
《糸目をつけないと凧を制御できないところから》物事をするのに何の制限も加えない。多く、惜しげもなく金品をつかうことにいう。
◆「いとめ」は「厭い目」の意ともいう。「厭(いと)う」は、@いやがるAいたわるの意  。
おり  
折:

薄い木の板などで浅く箱型に作った容器。料理や菓子などを詰める 。
 
水引:

贈り物の包みなどにかける細くて堅いひも。
〔細いこよりを数本あわせのりをひいて固め、中央から金銀・紅白・黒白などに染め分ける〕
 
おつかいもの:

おくりもの。進物。
 
ここな:

人や物を表す語の上に付いて、それをののしっていう意を強める。この!っといた感じ。
どれくらいの落語家さんが、この言葉を残してるでしょうかね。
 
十八番:

歌舞伎俳優の市川家に伝来した新・旧各十八種の得意の狂言(きょうげん)。
十八番と書いて「おはこ」と用いるのは、その台本を箱に入れて保存したところから出た語とも。
その人のレパートリーのうち、一番得意のものの意。


きんめいちく
 金明竹
いつも伯父さんに小言(こごと)ばかり言われている与太郎。言われたとおり素直に(?)やるから(伯父さんが爪を伸ばしておくとよくないから爪を取れというから猫の爪を取って叱られたり…)失敗ばかり。さて伯父さんが出かけた後、店番をしていると上方(かみがた)の方の言葉づかいお客がやって来て口上を聞くが、これがさっぱりわからない。

「私(わて)中橋(なかばし)の加賀屋佐吉方(かた)から参じました。先度(せんど)仲買(なかがい)の弥市(やいち)が取り次ぎました 道具七品(ななしな)のうち、祐乗(ゆうじょ)・光乗(こうじょ)・宗乗(そうじょ)三作(さんさく)の 三所物(みところもの)、ならびに備前(びぜん)長船(おさふね)の則光(のりみつ)、四分一(しぶいち)ごしらえ横谷宗a(よこやそうみん)小柄付(こづかつ)きの脇差(わきざし)、柄前(つかまえ)はな、旦那(だな)はんが古鉄刀木(ふるたがや)と言やはって。やっぱりありゃ埋木(うもれぎ)じゃそうに、木ィが違(ちご)うとりまッさかいなァ、念のためちょとお注意(ことわり)申します。次は のんこの茶碗、黄檗山(おうばくさん) 金明竹(きんめいちく)、寸胴(ずんどう)の花活(はないけ)、『古池や蛙(かわず)とびこむ水の音』と申します、あれは 風羅坊(ふうらぼう)正筆(しょうひつ)の掛物(かけもの)で、沢庵(たくあん)・木庵(もくあん)・隠元禅師(いんげんぜんじ) 張交(はりま)ぜの小屏風(こびょうぶ)、あの屏風はなァ、もし、私(わて)の旦那の檀那寺(だんなでら)が兵庫におましてなァ、へえ。この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、兵庫へやり、兵庫の坊主の屏風にいたしますと、かようお伝言(ことづけ)願います。」筑摩書房刊飯島友治編『古典落語』第一巻から

伯母さんにも聞いてもらうが、さっぱりわからないうちに帰られてしまい、戻ってきた伯父さんに説明するにも、伯母さんに与太郎が伝染(うつ)ったんじゃないかと思うような珍問答に。

レコードで三代目金馬のとかあったんですが、言い立ての入った音源がCDだと…誰か教えてください。


道具七品: 則光の脇差、金明竹の自在(じざい)、同じく寸胴の花活、香合(香を入れる小さい容器。ここでは織部焼きの陶磁器か?)、のんこうの茶碗、風羅坊の掛物、張交ぜの屏風をいう。ただし、ここの言立ては香合を除いた六点のようだ。
三所物: 刀剣の付属品である目貫(めぬき)、笄(こうがい)、小柄(こづか)の称。江戸時代、同じ意匠(いしょう)の揃(そろ)いが尊重され、後藤家彫は有名。室町後期の初代祐乗・二代宗乗・三代交乗三人の作品を言うところ、関西訛(なまり)のように乗をじょと発音させている。「祐乗…」から「木ィが違うております」までは脇差の説明。
のんこう: 江戸初期の京都の陶工、楽家の三代目吉左衛門の俗称。
金明竹: マダケの栽培品種。金明竹で特に名高いのは京都宇治の黄檗山万福寺の庭園。開山は隠元禅師。二代目が木庵。「自在」は、茶の湯で、釣り釜をつるすのに用いる竹製の鉤(かぎ)か。「ずんどの花活」は、正しくは「ずんどう」で竹を輪切りにした簡素なもの。
風羅坊: 松尾芭蕉の別号。「正筆」は直筆の意。
張交ぜ: いろいろな書画などをとりまぜてはること。沢庵は江戸初期の臨済宗の僧で書の大家。


(余話)TBSラジオ放送で川戸貞吉が林家彦六から聞いたという話によると、いわゆる前半の猫の件は、別の独立した落語であったのを先代金馬が金明竹につっこんでしまった。つかみこみは恥ずべきこととする林家は「小僧や、小僧や…」で始まり、旦那がお使いに行ってしまってという昔の型を守り、猫の件はやらなかったとか。

孝行糖
落語でお馴染みの与太郎が出てくる噺ですが、この与太郎、ちょっと違います。
なんと!親孝行なんです。それで将軍様から 青緡五貫文(ごかんもん)の褒美をいただきます。でも、それをそのまんま渡せば与太郎は馬鹿だからすぐに遣っちまうだろうてんで、大家さんや町内の者が、これを元手に飴屋をやらせてみようということに。その名も孝行糖。
「ほォら、孝行糖…孝行糖…孝行糖の本来は、 の小米に 寒晒し、榧(かや)ァに銀杏(ぎんなん)、 肉桂に丁字、チャンチキチン、スケテンテン。昔、昔、もろこしの… 二十四孝のその中で、 老莱子といえる人、親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖だ…食べてみな、おいしいよ、また売れた、嬉しいね」
と鉦(かね)と太鼓の音を合方に囃して歩く。親孝行の徳で、たいそう売れるんですが、ある日、江戸中で一番やかましい 水戸様の御門前で売ろうとして門番に六尺棒でめったうちにされた与太郎が、通行人に助けられ、「痛いですめばいいほうだ。どことどこを打たれた?」と聞くと…(地口と仕草の落ちが待ってます)。
さて、ただ馬鹿のように演じればいいわけではない与太郎にも個性があって、それを豊かに演じあげるというのも難しくも味わいのあるところかな?
CDならNHK落語名人選5 三代目三遊亭金馬(他に薮入りを収録)POCN-1005でお楽しみください。



あおざし
青緡:

江戸時代に幕府から銭を与える時に用いた青く染めた麻縄の銭差。
うる  
粳:

粘りけの少ない、普通の飯にする米。
かんざらし  
寒晒し:

寒中、穀類や布などを水や空気にさらしておくこと。寒晒し粉(白玉粉)の略。
にっきにちょうじ  
肉桂に丁字:

ともに香辛料に用いる。
  
二十四孝:

中国で古来有名な親孝行な子、二十四人の称。老莱子はその一人。
ろうらいし  
老莱子:

古代中国、周の楚の人。親孝行で年七十になっても、親を喜ばせるために、赤ん坊のまねなどをしたという。…と、『大漢和』とかにも書いてあるんだけど…まあ言い伝えということで、それにしても親子で長生きな…赤ん坊のまねする翁って、想像ずると妙〜!
 
水戸様:

徳川御三家の一つ。現在の後楽園球場(東京ドーム)とその周辺一帯に上屋敷があり、
門前で町人がうろちょろしていると水戸侯の下級侍は、天下の副将軍の威を借りて、厳しく叱りつけたそうな。「天下のご意見番」なんて称があって黄門様には将軍も閉口したみたいですよね。
それはそうと、水戸黄門役の俳優さんって、古くは映画の月形竜之介からテレビシリーズの東野英治郎、西村晃、佐野浅夫と、みんな黄門役の前は悪役が多かった人ばっかり!
えっ、石坂浩二だって、悪役のほうがそれはそれはうまいんだから。NHK大河ドラマ元禄太平記の柳沢吉保とか…

権助魚
落語の中に出てくる、これまた個性的なキャラの権助(ごんすけ)。この噺が持ちネタの風の谷の塗八も「ずばり権助をやってみたくて選んだ」と言います。
旦那が お妾さんのところへ通っていると感づいた奥様に、権助が旦那の出かけ先を確かめるように命じられます。ところが権助は逆に旦那に買収されて、隅田川で網打ちなどして遊んで遅くなるとごまかしてくれと頼まれます。一応、その証拠に魚屋で網打ち魚を買って奥様に見せろと言われるんですが、権助が買ってきたのは… ニシン タラ、ゆでダコ、めざし、かまぼこ等々。
これが隅田川でとれたと、きちんと説明してみせるんですから権助はすごい!
ちょっと市販のCDなどがわからなくて申し訳ないんですが、ばかばかしく楽しめる噺です。



めかけ 
妾:

例によって三省堂新明解国語辞典第四版「その男性と肉体関係を持ち生活を保証されているが、正式な妻としては扱われないで暮らす婦人。」どうも粋じゃぁありませんね、せめて「お妾さん」と呼んでおきました。

ニシン:

北太平洋に広く分布する海水魚。卵は数の子とよばれ食用される。

タラ:

北太平洋・日本海に多い海水魚。スケソウダラ(スケトウダラの別名)の卵巣の塩漬けは、たらことして食用される。

ざっぱい
雑俳

ご隠居さんのところへ八五郎がやって来て…という落語での代表的なシチュエーションの咄(はなし)です。
八五郎が、ご隠居さんに俳句を教わり、即座にくだらない俳句を連発して、笑わせてくれます。
「初雪や」など、句の上の五文字に対して、中の七文字、下の五文字を付けて一句にまとめる遊びは、 元禄時代から行われたとか。

演者にとっても、いろいろと手を加えて遊ぶことができるので、楽しい咄です。
國落では、現 元翁 七代目三優亭右勝 が演じ、落ちで 横井庄一を登場させたことで話題になりました。
(もう時代を感じさせますが。)

大喜利でも、「やりくり川柳」というお遊びをすることがあります。
最初に回答者が下の五文字を言っておき、言い終えたところで、客席から上の五文字を言ってもらい、回答者は中の七文字を考えてまとめた出来を競うというものです。
学祭などにお越しの節は、大喜利もお楽しみに、どうぞ。

「雑俳」を聞いてみたい方。現在、一般に単品で入手可能なものは、CDならNHK落語名人選36 三代目三遊亭金馬(他に「堪忍袋」「一目上がり」「小言念佛」を収録)があります。
どうぞお楽しみください。


元禄時代: 大体300年くらい前です。
犬公方(いぬくぼう)で有名な江戸時代5代将軍の徳川綱吉の時代です。
元翁: 「がんおう」と読みます。昔は「元治ー(がんじー)」といいましたが、
OBになってこの名前に変えて、あちこちで落語をやられています。
横井庄一: 敗戦を知らずに戦後27年目にしてグァム島で発見された元軍曹。
「恥ずかしながら帰ってまいりました」のフレーズがネタに。のち国会議員にも当選。
大喜利: テレビの笑点でおなじみの、しゃれやとんちで言葉遊びをするという出し物です。


十徳

よくできた噺だなあと思います。パターン的には「つる」などと同様、隠居さんから聞いた話を八つァん、熊さんが、よそで話して失敗するという、たわいもないものですが、言葉遊びが実にきれいなもんです。
十徳は、室町時代に下級武士が着た脇を縫った素襖(すおう)のことで、江戸時代には腰から下にひだをつけ医者・儒者・絵師などの礼服となったそうです。絽(ろ)や紗(しゃ)などを用い、色は黒に限り、裕福な隠居なども着たとか。

あるとき隠居が十徳を着て歩いていたのを見かけ、あれは何て着物だろうと仲間に聞かれて、知らねえと言うのは癪(しゃく)にさわるので、「知ってるとも、あれは…帷子(かたびら)のねんねこだ」と言って笑わ れた主人公。くやしくて、隠居のところへ聞きに来て、ついでに謂(いわ)れ=由来を聞いてみる。

困った隠居は

「ま、無理に理屈をつければだな、この十徳をわしが着るだろう…立ったところを見るてえと、この通り襞(ひだ)がついている。で、この…衣のごとくだ。坐(すわ)ったところは、ぱっと広がって、羽織のごとくだ。ごとく、ごとくで十徳だい。」
と。こいつは面白いと、自分を笑った連中に自慢して話して聞かせようとするんですが、

「立ったところを見れば、衣のようだ。坐ったところは、羽織のようだようだ、ようだで…やァだ。いや、待ってくれ。衣みてえだ。羽織みてえだ。みてえ、みてえで…」

と、こんな調子で落ちへ。
 
市販では、コロンビアのCD全集「談志ひとり会第一期」が単品化され、(7)COCJ−32937に収録(他に西鶴一代記・夢金・山号寺号)されています。國落では任天堂芸夢がやっとりましたか。軽くて味わいのある噺、落研学生も是非、語り継いでほしいもんです。

     十 徳 「じっとく」と読む。「じゅう」がカ・サ・タ・ハ行の音で始まる時は「じっ」となる。
モーゼの十戒(じっかい)、五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)など「じゅっ」と國學院生なら読まないようにしたい。
     素襖 直垂(ひたたれ)の一種。
    絽 ・紗 すきまを作った、からみ織りの一種。
     帷子 夏用の麻布で作られた、ひとえの着物。
ね ん ね こ  ねんねこ半纏(ばんてん)の略。幼児を背負った上から羽織る広袖の綿入れ半纏(はんてん)。
    ごとく 文語助動詞「ごとし」の連用形。…のようだ。問答などではお馴染みの表現。
 「一枚でもセンべいとはこれいかに?」「一個でもマンじゅうと言うがごとし」って。
任天堂芸夢 初代。第二十七代幹部。真打昇進後も同名。


松竹梅
と言っても、お酒じゃあ〜ありません。登場人物の名前なんです。 
 お店の婚礼に出入りの職人松五郎・竹三郎・梅吉が招かれる。三人は 頭文字の松竹梅 をもじった趣向 ご祝儀 を町内のご隠居さんから教わり、宴席で披露するが、なんと梅さんが…まあ、やり損なうという粗忽を描いた小品です。
 そんな梅さんが愛らしくて好きと言う凛堂すずが、高座稽古を終えて言うことには、「明るく・はっきりと・大きな声でという基本をがんばろうと思いました。」と。 そうです、梅さんはちょいと稽古をおろそかにしたために…初心忘るべからずですね。

 さて、この落語で、ご隠居さんは婚礼での 忌み言葉 なんてぇのも教えてくれます。「帰る」と言ってはいけないよ、「お開き」と言うんだとか(これがサゲに関連します)。

 ところで、ご隠居さんから三人が教わる余興の「なったぁーなったぁージャに なった!当家の婿殿、ジャになった!」「なにジャになぁられた?」のフレーズ 。
実は私、落語を知る前の小学生の時分に聞いて知っておりました。昭和44 年放映の「ひみつのアッコちゃん」に出てくる落語好きの小学生(おまけに、 いつも着物を着てます。妙な設定だね、どうも。さすが原作者赤塚不二夫 先生!)のガンモという子が、いつもくちずさんで登場。当時はまだ何のこと やらと?まさかこの落語が原典だったとは…。これと並んで脇で印象的なの が「見ぃちゃったぁ、見ぃちゃったぁ」の情報屋のチカ子。見たい方はこちら のURLのキャラクター紹介(平成版ですが)へ。
http://www.toei-anim.co.jp/tv/akko/
ちなみに私は初回作のエンディング曲、水森亜土が歌った「すきすきソング」 が好きでした。「はーあーあああっ納豆ぉーぃ」って、これを聞くには朝日 ソノラマじゃないと…いや、もとい!落語のほうはCDならNHK落語名人選62 四代目三遊亭円遊(他に「湯屋番」「堀の内」を収録)POCN−1102などで お楽しみください。




松竹梅:

三つとも寒さに耐えるところから、漢籍には「歳寒の三友」と呼んで愛で称され、日本では、めでたいものとして慶事に使われる。頭文字をとったと言うと余談だが、「魔法使いサリー」に出てくる、よっちゃんの三つ子の弟は 、トン吉・チン平・カン太で「トンチンカン」だった…このエンディングの「いたずらの歌」も楽しい…今回は注も本文も余談ばっか(^^ゞ
おたな 
お店:

商家の奉公人や出入りの商人・職人などが、その商家を呼ぶ語 。

趣向:

物事を実行したり作ったりする上の・おもしろいアイデア。

祝儀:

祝いのあいさつ。

忌み言葉:

縁起をかついで使うのを避ける言葉。


崇徳院
百人一首をモチーフにした落語というのもいくつかあるもんです。
「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ」
作者は 保元の乱に敗れて讃岐(さぬき)に流され、そこで亡くなった悲運の崇徳院(すとくいん)。

ある大店(おおだな)の若旦那が寝込んでしまった。医者によると「なにか思いつめているようだ」と。心配した大旦那が聞き出そうとするが、どうしても若旦那は口を割らない。とどのつまり、熊さんになら話をしてもよいというので、熊さんが聞き出したところ、ある日、出会ったお嬢さん風の人に恋煩いだという。そこで熊さん、そのお嬢さんを捜す羽目に。手がかりは、若旦那がその折お嬢さんから渡された崇徳院の歌が書かれた短冊。熊さんは「瀬を早み〜」と唱えながら方々を捜し回るという…

この和歌の意味は「川の流れが速いので岩にせき止められた急流が二つに分かれても、後に再び合流するように、私たちもいったんは別れてもいつかきっと会おうと思う」という、どんな障害があっても恋を貫こうとする強い意志が読み取れるもの。落ちも、この和歌をつかった「拍子落ち」「途端落ち」といったところ。
CDならNHK落語名人選14三代目桂三木助(他に、へっつい幽霊を収録)POCN−1014などでお楽しみください。



保元の乱: 1156(保元元)年、崇徳上皇・後白河天皇兄弟、関白藤原忠通・弟頼長の対立がからみ、上皇が源為義らの武力をたのんで天皇方に挑戦敗北した。院政の混乱と武士の進出を示す事件。(『日本史用語集』山川出版社から)
兄弟・同族が敵味方に分かれて戦った悲劇としても語られるが、根はもっと深いところにも存在するらしい。崇徳天皇の父は鳥羽天皇で、母は待賢門院璋子であるとされているが、『古事談』によると、実は曾祖父白河上皇と璋子とが密通して生まれた子であったという。鳥羽帝はこのことを知って、「叔父子」と呼んで崇徳院を避け、父子の対立を生んだ。崇徳天皇は鳥羽法皇によって退位させられ上皇になっても院政を行えなかったうえに、自分の皇統も疎外されるという境遇に陥ったのだという。なんかドロドロ…


せんりょうみかん
 千両みかん
ある大店(おおだな)の若旦那が「 みかんが食べたい」と寝込んでしまった。そんなことなら、すぐに買ってきましょうと安請け合いをした番頭。大喜びの若旦那。が、しかし、今は夏、どこにも売っているわけがない。これは迂闊だった。「がっかりして伜(せがれ)が死んだらお前のせいだ。 主殺しといって訴えてやる。主殺しは死罪だ」と大旦那にも言われて、番頭は江戸中を探し回る。
そしてやっと「私のところも代々続いたみかん問屋、いつどんなときでも、“ありません”、“切らしています”とは言えませんから」と蔵を開けて捜してくれる店があった。とはいえ、やはり真夏のこと。いまのように冷凍など保存の術(すべ)があるわけでなし。どれもこれも腐っている。そんな中にたった一つだけ、まだ腐らずに…この一個の値段が千両だという。番頭びっくり。
帰って旦那に相談してみると「そうだろうねえ、安いね」と、あっさり。若旦那も千両のみかんですと聞いても驚きもしないばかりか、ただただ、おいしそうに食べて、「番頭さん、ここに三袋残った。両親に一つずつ。もう一つは番頭さんに」と。十袋あったから一袋百両の勘定になる…番頭、いま手の中に三百両の重みを感じて…

なかなかに難しい噺かもしれません。まず季節感がなくなったと言われる現代に演じることの難しさ。そしてサゲまでどう説得力をもたせるかという難しさでしょうか。

CDならTEICHIKUの「志の輔らくご 両耳のやけど2(他に宿屋の仇討を収録)」TECR-20182などでお楽しみください。


蜜柑: 念のため〜ミカン科の常緑小高木。あたたかい地方につくられる。初夏、白色の小さな五弁花をつけ、初冬、黄色に熟した水分の多いあまずっぱい実がなる。季語としては冬、花は夏。
迂闊(うかつ): 注意が足りないようす。うっかりしたようす。
主殺し(しゅうごろし): 主人または主君を殺すこと。また、殺した者。江戸時代では、親殺し以上に凶悪な大罪とされた。

粗忽長屋
柳家小さん師匠の得意ネタで、その演出法の芸談などが、とうとうと述べられているものなどを目にすることもありますが、とにかく落語らしいというか、落語の醍醐味(だいごみ)というか、また 「粗忽」という言葉でまとめてしまう、まあ、いろんな意味ですごい噺だなあ〜と。
浅草の観音様の境内(けいだい)で 行き倒れがあった。身許(みもと)がわからず困っていると、これを見かけた八公が、「これァ熊の野郎だ」と言い出す。ところが熊公には身寄りたよりもなければ引き取り手もない。すると八公、「じゃァ、こうしましょう。ともかく、当人ここィ連れて来ましょう」と言い出す。
さっそく長屋に帰って、熊公に「お前が死んでるから早く付いて来い」と告げると、熊公もそそっかしいもんで話してるうちに納得して二人で熊公?の死骸を引き取りに再び 浅草寺へ。こうなると、なんだかもうわけがわかりません。そんな馬鹿な!ってとこでしょうが、落語のほうは噺がトントンとテンポよく運んで楽しませてくれます。
まあ実際にCDならポニーキャニオン「五代目柳家小さん名演集5(他に短命・強情灸を収録)」PCCG-00051などでお楽しみください。



そこつ  
粗忽:

そそっかしい様子

行き倒れ:

病気・寒さ・飢えなどのため、道ばたで倒れたり死んだりすること。
江戸時代には行き倒れがあると現場の町が面倒を見る掟であった。引き取り手があればよいが、
身許不明では埋葬するにも費用は町の負担であるからたいへんな迷惑であったようだ。
せんそうじ 
浅草寺:

東京都台東区にある聖観音(しょうかんのん)宗の総本山。
山号は金竜山。話中に出てくる「馬道」は浅草観音東横、吉原(よしわら。「なか」と称す
ことも)方面へ通じる道。「夜明かし」という終夜営業している飲食店の屋台も出ていたようだ。

そこつのくぎ
 粗忽の釘
ある粗忽者が引っ越しをすることに。ところが、引っ越し先を忘れて迷ってしまう始末。やっと引っ越し先にたどり着くと、先に着いていた(って、着けるのが普通だが)女房に箒を掛ける釘を打ってくれと言われる。が、大変なことに壁に釘を打ってしまった!長屋の壁というのは薄いもの。そこへ特大の 瓦釘を打ってしまったいう。さあ、隣家へ謝りに行って来いと女房に言われるが、さすがは粗忽者、お向こうの家に行ってしまう。気を取り直して落ち着いてやろうと、隣の家に行ったものの、今度は落ち着きすぎて何しに来たか忘れてしまう。(「粗忽」って「そそっかしい」という意味だそうですが、こうなるともお何と言ってよいやら、それとも「粗忽」という言葉がもつ意味が深いのか?)やっと釘の一件を伝えて確かめてみると、なんとお隣の仏壇の中あたりに釘のとっ先が出たらしい。中の 阿弥陀様の運命は・・・ 市販のものでは、ポリドールNHK落語名人選70五代目柳家小さん(他に船徳を収録)POCN-1110などでお楽しみください。


瓦釘: 普通の平瓦を止める釘は短いが、この噺では、丸瓦などを固定させるために使う特別に長い(15〜20センチ)釘のようだ。
阿弥陀: 仏教で、西方の極楽浄土にいて、すべての人を救う誓いを立てているほとけ。浄土宗・真宗では本尊とし念仏(「なむあみだぶつ」。「なんまいだ」はその音変化「なんまいだぶつ」の略)による極楽往生を説く。ちなみに「あみだクジ」というのは、阿弥陀仏の功徳(くどく)が平等であるからとも、もとクジの図形が放射線状で阿弥陀仏の後光に似ているからとも。

たがや
江戸の夏の夜の風物を色濃く伝え、また同時に、当時の町人の気質の一端をのぞくことのできる噺です。
両国の川開き、花火の当日。見物人でごったがえす橋の上。徒歩(かち)の供侍二人、中間に槍を持たせた侍が馬に乗ってさしかかる。反対側から人に押され押されてやって来た箍屋(たがや)と、ちょうど橋のまん中で出くわした。はずみで落とした道具箱に入っていた箍が伸びて、馬上の侍の裏金の一文字という陣笠を跳ね上げてしまった!「無礼者ッ」
さあて、箍屋がいくら謝っても許してもらえそうにない。そこで威勢のいい啖呵を切りまくる。それではひとつ 飯島友治編『古典落語』第三巻 筑摩書房版の速記からご紹介。
「いらねえやいッ、丸太ん棒ッ」
「なんだ?丸太ん棒とは」
「血も涙も無え眼も鼻も口も無え、のッぺらぼうな野郎だから丸太ん棒てんだ、この四六(しろく)の裏めッ」
「時々わからんことを申すな。なんだ?その四六の裏というのは」
三一てんだ、たまにゃァな、賽(さい)ころでもひっくりけえして…目ェ覚えとけ」
「無礼なことを申すと、手は見せんぞ」
「見せねえ手ならしまっとけ、そんな手ェ見たかあねえや」
大小が怖くないか」
「大小が怖かった日にゃァ柱暦の下ァ通れねえ、侍が怖かった日にゃァ忠臣蔵の芝居は見られねえや、なに言ってやがる馬鹿ッ」
「二本差しているのがわからんかと申すのだ」
「知ってらい、たった二本じゃァねえか。焼豆腐だって二本差してるじゃァねえか、気のきいた鰻は四本も五本も差してらあ、そんな鰻ォ汝等(うぬらァ)食ったことァあるめえ……俺も久しく食わねえけども……。斬る?どこからでも斬ってくれ、さあ首から斬るか、腕から斬るか、尻(けつ)から斬るか、斬って赤くなけれァ銭はもらわねえ西瓜(すいか)野郎てんだ、斬れッ」

馬上の侍から「斬り捨てえッ」と声がかかったからたまらない、箍屋の運命やいかに…まあ、このへんが聞きどころ、聞かせどころとなるわけですが、なかなかに難しい。後半の野次馬の無責任さも一興です。CDならNHK落語名人選15三代目桂三木助(他に三井の大黒を収録)POCN−1015ほかでお楽しみください。



両国の川開き: 旧暦五月二十八日。花火のほめ言葉は、江戸の二大花火屋であった玉屋と鍵屋の二店の名を呼ぶことから始まった。ただ、一般には「たァまやァァ」のほうが馴染深いけれども、玉屋は天保十四(1843)年五月、将軍家慶が日光の家康廟へ参拝の折、自家火を出したために、江戸追放に処せられ、店名は断絶してしまった。それにもかかわらず、明治になっても、玉屋のほめ声がかかり、花火と言えば、玉屋のほめ言葉しか思い出されない。
「橋のうえ玉屋玉屋の人の声 なぜか鍵屋と言わぬ情なし」(鍵屋の錠に情をかけている)
ちゅうげん 
中間:
 
江戸時代、武士に仕えて雑務に召し使われた男
たんか 
啖呵:

しゃくにさわった相手などに言う、するどくて歯切れのいいことば。
さんぴん 
三一:

三一侍(さんぴんざむらい)。
1年間の扶持(ふち=武家の主人が家臣に対してあたえた給与)三両一分であったところから、身分の低い武士を卑しんで言う語。
手は見せん: 刀を抜く手も見せずに即座に斬ること。

大小:

大小の刀。打刀(うちがたな)と脇差の小刀(ちいさがたな)。
はしらごよみ 
柱暦:

柱や壁などに張ったり掛けたりしておく暦。暦には大小の月が書いてある。「西向く侍、小の月」と覚えたもんです。に(二)し(四)む(六)く(九)さむらい(士が十一に見える)てなわけで。


たぬき

落語には、個性的な登場人物ばかりでなく、動物も出てまいります。
狐狸妖怪 (こりようかい)などと四字熟語的に「人を化かすもの」としてあげられますが、 「キツネ、タヌキがよく人を化かすなんてことを言います…」と語り出す落語の代表的な登場人物?である狸のおはなし。

命を助けてもらった子狸が、恩返しをする  で、民話などにもよくある型。「義理がてぇこと言ってやがんなぁ。恩なんざぁいいよ、返さなくったって」と言う八五郎に対して「いやぁ、このまま帰れません。うちの親父(おやじ)は 昔気質一刻者ですから、『恩を受けて恩を返さない奴があるか、そいじゃまるで人間も同様じゃないか』と、えらいことになりますから…」と 辛辣なところも。
かくして、恩人に頼まれて「札」に「鯉」に「釜」に「サイコロ」に化けてと、四種類の失敗談となっていくのですが、「札」と「釜」は 前座噺、「鯉」は 二つ目噺、「狸賽(たぬさい)」は 真打の噺とされていたそうな。
そして、狸の演出法に「狸は動物だから相手の人間を下から見る。しかし、人間をまともには 見られないから、目をそらせている。狸の気分になって、言葉尻(ことばじり)、目の使い方、形、そういうものを化けたときと化けないときとで変えるように」とかあるそうですが、いずれにせよ、落語を覚えたまましゃべるのではなくて、なりきりというか、演じる者のこだわりが必要なのでしょう。

昔、うちの落研に、万年堂ほよよ君というのがおりました。彼の初ネタに、この噺を指定したところ、どうハマッテしまったものか、八五郎の家の戸をトントンとたたくものがあり、「誰だ」と聞くと「狸です」と答えるあたりから狸の台詞(せりふ)が、彼が話すとおかしくておかしくて、普段は 高座稽古で笑うなんてことは絶対ないんですが、このときばかりは、みんな吹き出してしまって…。そんな彼も、1年目の途中で退部してしまいました。続けていれば、もっと化けたでしょうか。そう、「化ける」とは落語界で、意外にお客が沢山(たくさん)来たことや急に芸がうまくなったことを言うそうです。で、化ける噺は縁起(えんぎ)が良いということで昔の芸人さんはよく演じたとか。
CDならNHK落語名人選47五代目柳家小さん(他に宿屋の富を収録)POCN−1087などでお楽しみ下さい。



 
噺・咄:
 
ともに落語にまつわる「はなし」というときに使う漢字。
「咄」のほうは「咄嗟(とっさ)」などでしか他にお目にかかることはないかも。
「噺」のほうは国字(漢字の構成法にならって日本で独自に創作した和製漢字)です。
むかしかたぎ 
昔気質:
 
古くから伝わるものを守り通そうとする一本気(いっぽんぎ)な気風であること。
いっこくもの 
一刻者:
 
頑固(がんこ)で自分を曲げない人。
しんらつ 
辛辣:
 
表現や批評が手きびしいこと。
 
前座:
 
見習を終え、落語家としてのスタート地点。
 
二つ目:
 
師匠のもとから独立、高座で羽織を着ることが許される階級。
 
真打:
 
落語家として一人前と認められ、寄席でトリをとることができる最上級の格。
 
見られない:
 
昨今、動詞の可能形に「見れない」など「ら抜き言葉」なるものがあらわれ、文法的に破格であるので、「見られない」を國學院大学の文学部の学生なら用いたいところ。だが、意味伝達上の便宜(べんぎ)から許容する向きも出てきている。
 
高座稽古:
 
落研で、実際に高座(寄席での舞台のこと)で落語をやるつもりで部員に聞いてもらって批評を受ける稽古です。
やるほうも聞くほうも真剣で緊張します。厳い批評に泣き出す女子部員もおりました。


たらちね
前座噺と呼ばれ、ひとつの長い文句を何度もくりかえすパターンのもの。
八つぁんなる者のところに大家さんが縁談をもってくる。ちょいとキズのある相手だと言う。なにかと思えば、言葉がていねい過ぎると。そんなことは構わないと八つぁんは大乗り気。
大家さんが、さっそく今晩連れてくるというので、待つ間、八つぁんは 七輪(しちりん)に火をおこしながら新婚生活の空想にふける〜この件は、前座噺といってもなかなか力量のいるところか〜
さて、お相手を連れてきた大家さんは 「仲人(なこうど)は宵(よい)の口」とかなんとか言って、通訳せねばならないことにならぬうちに、相手の名前も告げずに引き上げてしまう。弱った八つぁんが名前を尋ねると、
「自らことの姓名を問い給うか。そもそも我が父はもと京都の産にして、姓は安藤、名は慶三、 字(あざな)は五光、母は千代女と申せしが、母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見て わらわをはらめるがゆえ、 たらちねの胎内を 出(い)でしその時は、鶴女鶴女と申せしが、それは幼名、成長ののちこれを改め清女と申し 侍(はべ)るなり」
これを最初から最後まで一つの名前と思ってしまったから八つぁんは、さあ大変…

CDならポニーキャニオンの八代目春風亭柳枝名演集 1(他に元犬、山号寺号を収録)PCCG-00040などでお楽しみください。


七輪: 炭火をおこしたり、煮炊きをしたりするための簡便な土製のこんろ。《価が七厘ほどの炭で間に合うの意からとも》
仲人は宵の口: 仲人は、結婚式が済んで務めが終わったら、若夫婦のじゃまにならないうちに帰ったほうがよい。引き揚げ時を見計ることが必要なことをいう。
字: 成年男子が実名以外につけた別名。
わらわ: 女性がへりくだって自分を言う語。近世では、特に武家の女性が用いた。わたし。
たらちねの: 「母」「親」にかかる枕詞。「たらちねの母の胎内を…」とすれば据わりが良いか。また、これから派生して、男女の別を強調する意識から母を「たらちめ」というようになたことから、父の意にもなったと。
出(い)づ: 語頭の「い」が脱落した形が江戸時代に下一段活用化して、現代語の「でる」となったとか。〔学研 新・古語辞典 市古貞次編〕 「出雲」ってのは、“いづも”読めますね。
侍る: 高校の古文の学習でラ行変格活用の動詞は「あり」「をり」「はべり」「いますがり(いまそがり)」の四語のみ!なんて教わりませんでしたか。また、古語の丁寧語も「はべり」「さぶらふ」「さふらふ」の三種類しかないとか。…(て)おります。…(て)います。ちなみに「申す」は謙譲語。「言う」という動作の及ぶところの人を敬うわけで、相手の動作などに使われることはないのが謙譲語。だから「先日、社長が申されましたことは…」なんて謙譲語と尊敬語と丁寧語と三つもつかってあるんですが、謙譲語で×。「私が社長に申し上げる」のならいいんですが、社長の動作なら「先日、おっしゃったことは…」と尊敬語でね。補講〜「申す」はサ行四段活用なので、過去の助動詞「き」に接続する場合、正しくは「申しし」。中世以降、特に近世になって「申せし」が用いられるようになり、明治期に文法上許容事項とされる。(中村幸弘國學院大學教授釈)



※サゲでつかわれる「恐惶謹言」と「よってくだんの如し」の対比は、今は手紙などをこういう言葉で結ぶこともほとんどなくなったので、わかりにくくなってしまいましたね。「恐惶謹言」は手紙の終わりに書く、最も丁寧なあいさつ語。《おそれつつしんで申し上げる意》「よってくだんの如し」は《そこで前記記載の通りである》という書状・証文などの最後に書き記す語句。


短命

隠居さんのところへ、伊勢屋の旦那がまた死んだと八五郎がやって来た、これで三度目だと。どういうわけかというと、大旦那が亡くなって、 器量のいい一人娘に 入婿(いりむこ)を迎え安心したか、お 内儀(ないぎ)も間もなく亡くなったが、店のほうは番頭が一ッ手で引き受けてやってくれていて、夫婦仲むつまじかった。にもかかわらず、その婿をはじめ来る婿来る婿みんな早死にをしてしまったのだと。これを聞いた隠居さん、女房の器量がよすぎる、夫婦仲がよすぎる、亭主にひまがありすぎる、これを俗に“三過ぎる”といって、たいてい亭主は短命だと。さっぱりわからないという顔つきの八五郎に「その 当座昼も箪笥(たんす)の (かん)が鳴り」「何よりも側(そば)が毒だと医者がいい」「新婚は夜することも昼間する」とか川柳(せんりゅう)などを聞かせたり、「かりにお 給仕(きゅうじ)をしてもらって、茶碗を受け取るときに、指と指がこうさわるだろ?顔を見りゃァ、ふるいつきたいようないい女・・・短命だろ?」と投げかけ、やっと察しがついた様子。そこで家で自分の女房に嫌々ながらも給仕をさせてみた。「茶碗を受け取ると、ふッふッふッ、なァるほど、指と指がさわって、顔を見りゃァふるいつきたいような・・・」とサゲへ。 昭和50年代に聞いた三遊亭円楽の口演はクスグリも多く、それでいていやらしさが少しもない爆笑落語に仕立ててました。めんどくさそうに給仕する女房が手渡す前に茶碗を投げるんですが、「あ、あ、・・・おまえほうったな?・・・おらァ慣れてるから受けるんだぞォ。これが 田淵ならむこうィ行っちゃうんだぞおまえ。」ってクスグリなんざあ、時代を感じさせますが爆笑でした。いやほんと、立風書房刊『名人名演落語全集』第十巻にも速記が収められてるくらいですから。「がんばれタブチくん」(1980年には映画にもなった、いしいひさいち原作のものですが、これも時代を感じるか。)以前にもネタになっていたのね。 市販されているものではポニーキャニオン五代目柳家小さん名演集5(他に強情灸、粗忽長屋を収録)PCCG-00051などでお楽しみください。円楽が「長命」の演目で口演したキングレコード「江戸の後家さん」というCD(KICH-3127)があるようですが、どんなかな?


器量: きれいかどうかの観点だけから見た、女性の顔立ち。/三省堂『新明解国語辞典』
入婿: 女性の家に迎えられて婿となること。/同上
内儀: 「商家の主婦」の意の老人語。/同上
当座: その場。しばらくの間。だから、あれをしている間(注釈にならないって!?)
鐶: 〔たんすなどの〕輪の形の取っ手。
給仕: 食事の世話をすること。
田淵: 田淵幸一。1946年東京生まれ。捕手。1970年ドラフト1位で法政大から阪神に入り、球界を代表するホームランバッターに。1979年トレードで西武へ。阪神、西武を通じて背番号は22。1984年現役引退。

長短
 ひどく気の長い少し甘い長さんという男と、 日本一気短かみたいな男その名も短七ッつあんという正反対の人物二人っきりの噺で、場所も短七ッつあんの家の一場面だけという設定。まあ、話としては二人のやりとりのギャップだけのたわいもないものですから、あらすじも紹介のしようがないのですが、(早い話が〜、まあ〜、その〜、なんといいうか〜長さんが短七ッつあんの家へ来て、悪気はないけど、とろくて、短七ッつあんを怒らせてしまう〜とまあ、そんなような〜って、ちっとも早かねえよ!)
 とはいえ、お菓子を食べる仕草や、煙草の火のつけ方吸い方といった、長さんの仕草のいらいらしてくるくらいの間抜けな型など、見せ所は多く、さらにその間を補う相手を見つめる目線など微妙な表情の滑稽感など演出には細やかさがいるところです。修道院奪双いわく「長短の差を出すために長さんをゆっくりやろうと思うと単調になりがちだし、短七ッつあんをはやくやろうと意識しすぎると、長さんと短七ッつあんが仲良く見えなくなりがちなので、その辺りの微妙な調節が難しい」と。
CDならNHK落語名人選60三代目桂三木助(他に「ねずみ」を収録)POCN−1100等でお楽しみください。



日本: 「ニホン」と読むか「ニッポン」と読むかについいては難しいところ。
「日」は漢音ジツ、呉音「ニチ」で、ニチホンがニッポンに音変化し、発音のやわらかさを好むところからさらにニホンが生じたとする説も。ジパング・ジャパンなどはジツホンにもとずくとも。昭和九年に臨時国語調査会が国号呼称統一案としてニッポンを決議したが、政府採択には至っていない。
日本放送協会は昭和二十六年に、正式の国号としてはニッポン、その他の場合はニホンとしてもよいとした。日本銀行券や国際運動競技のユニホームのローマ字表記がNipponなのは、上記の事情による。
学研現代新国語辞典にも詳しいコラムあり。さすがは金田一先生の手になる辞書!いや名探偵じゃなくて、じっちゃんじゃない、父上は金田一京助先生。その京助先生がリズム感などは息子にはかなわないと言ったほどの音韻の大家、金田一春彦先生の手がけた辞書。

つる

 「やかん」と同じ、いわゆる根問いもの。これは「鶴」の名前の由来にまつわる一席。 昔は鶴とは言わず、首長鳥(くびながどり)と言った、それがなんで鶴になったかというと、「昔、一人の老人が浜辺に立って、はるか沖合いをながめていると、唐土(もろこし)のほうから首長鳥の雄が一羽、ツーッと飛んで来て浜辺の松へポイととまった。あとから雌がルーッと飛んで来て、浜辺の松へポイととまった」それで鶴となったいう話を聞いた奴が、まねをして誰かに聞かせようとするんですが、失敗するという…CDなら「特選!! 米朝落語全集 第十六集(他に三枚起請を収録)」などでお楽しみください。
このCDの解説に「この“つる”という咄は落語のエッセンスやで。短い中に話術のほとんどすべてのテクニックが揃っている。説いて聞かせる、軽く流す、かぶせる、はずす、とまどう、運ぶ、強く押し出す、気を変える……など、それにサゲのバカバカしい面白さ、これがうまくやれたら大抵のネタはやれる。大ネタは作の力でかえってやりやすい。こんな軽いはなしがむつかしい」という言葉がありました。
この落語が初ネタの 桃家のり曰く「八っつあんが鶴の名前の由来の話を二度もまちがえる所がおもしろい。ただ、同じ話を繰り返して言うので単調になってしまう点が難しい」と。初ネタとしても申し分ないネタですよ。がんばって。




鶴:

語源については諸説あり定まらない。『万葉集』では鶴に「たづ」と「つる」の二つの呼び名があり、歌語として鳥のほうを指す場合には「たづ」を使った。一方、「相見つるかも(相見鶴鴨)」(1八一)のように助動詞「つる」を表すのに「鶴」をあてた。このように、散文や口頭語では使われない、和歌に特有な語がある。たとえば、散文でいう「かへる(蛙)」を和歌では「かはづ」と歌い、「ことば」を「ことのは」などとわざわざ言った。
和歌では、ある種の仏教語以外は漢語を使わない。また、敬語や音便形は少なく、係助詞「なむ」はきわめてまれにしか使われないなどもちょっと補足。(受験に役立つかな?)

桃家のり

三代目四季廼家葉月を襲名。

出来心
落語には、失敗ばかりで笑わせてくれるドジな泥棒がたくさん登場します。
なにをやらせてもダメな子分を呼んで泥棒の親分が「今のうちに 足をあらって 堅気 (かたぎ)になっちまうか?」と問うと、「これから心を入れ替えて悪事に励みますから」と言うので、親分は空き巣の手口を教えてやる。そして、もしつかまったときには「まことにどうも申し訳ございません。長いこと失業いたしております。八つを頭に四人の子どもがございます。七十歳になる老婆が長の患い、薬ひとつのませることもできません。ホンの貧の盗みの 出来心でございます」と涙のひとつもこぼして哀れっぽくもちかけてみれば、「あゝ、出来心じゃしょうがねえ」ってんで、勘弁してくれて、うまくいきゃあ百円札の1枚もくれて逃がしてくれようって寸法だと。

ところが、運が悪いのか、間が抜けているだけなのか、ドジばかり。やっと留守の家を見つけたものの、あまりに貧乏でろくな物が置いてない。そこへ住人の八五郎が帰ってきたから、さあたいへん。泥棒あわてて縁の下に隠れた。八五郎は、これを口実に 店賃(たなちん) の払いを待ってもらおうと家主を呼び、あることないこと騒ぎ立てる。

落語の基本ともいうべき前座噺、しかしまた、真打ちがやるとそれなりの味が出るもんで、八五郎が盗まれたと称するものを口から出まかせに家主に報告するところがヤマ場となって、「裏は 花色木綿 」とくり返すクスグリを生かしたサゲで終わった場合(「どこから入った?」と聞かれた泥棒が、裏から入りました」「ここの裏をなんだと思っている」「裏は花色木綿」)を『花色木綿』と呼び、八五郎が「これも出来心でございます」と答えるサゲまでやった場合を『出来心』と呼ぶとも。切れ場も多いので、たびたび口演される泥棒噺の代表作です。

CDなら日本コロンビア「志らくのピン」(他に親子酒、不精床他を収録)COCA-14805など実に楽しめます。立川志らく曰く「泥棒と被害者と、主人公が二人いる落語です。二人のようにいい加減に生きられたら人生最高です。二人とも決して出来心でやった行為ではありません」(CD解説より)と。

余談ですが、落研で新歓後の時期に、もう花の季節ではないんですが、花見と称して大学の裏をずっと行って有栖川宮公園に出かけたもんです。と、ある時、 往復亭小敏太 果物盗んだ事件というのがありまして、公園に行ったら、持ってるんですよ。気が利いたものと感心して聞くと、途中の店から持ってきたって…そりゃあ泥棒じゃないか!…すると本人「いや、店先の手の届く所に置いてあったから」…馬鹿野郎ッ、置いてんじゃねえ、売ってんだよ。すぐ返して来い!って幹部に叱られてましたが、まあ寄合酒を地でいくような…ありゃぁ、出来心じゃぁないよなあ。


足をあらう: @よくない仕事をきっぱりとやめる。A現在の職業をやめ(て出直しす)る。
堅気: 〔水商売・やくざなどと違って〕遊興・投機などをしたりしないで、地道な職業についていること。また、その職業。
出来心: 計画的ではなく、ついふらふらと起こった悪い考え。
店賃: 店の借り賃。家賃。
花色木綿(はないろもめん): はなだ色(うすい藍色)に染めた木綿。多く裏地に使う。
往復亭小敏太(おうふくていこびんた): 第25代幹部。三代目三優亭おや馬。徳島出身で阿波踊りも得意とした。

天狗裁き
熊さんの女房が、同じ長屋に住む人が百足(むかで)をまたいだ夢を見て、それから 客足がついたという話を聞いてきた。「お前さんも儲かるような夢でも見なさいよ」と、「寝れば見られるから」と強引に寝かす。まだ夢も見ないうちに、すぐに起こされた熊さん。「どんな夢を見たか言ってごらん」、「見ないものは言えない」で夫婦ゲンカに。近所の奴が仲に入るが、「女房に言えなくても俺には言えるだろう」、「見ないものは言えない」でまたケンカに。家主が仲に入ったが「大家さんだろうがお奉行(ぶぎょう)様だろうが見ないものは言えない」で、とうとう奉行所へ。「お奉行さんよりこわいのは 天狗様だ」と言ったもんだから、天狗に裁きをまかせると山へ連れて行かれて縛られる。そこへ天狗が出て来て、やっぱり「どんな夢か言え」と迫られる。熊さんも観念して、天狗から羽うちわをかり、身振りよろしくしゃべっているうちに空に舞い上がる。ほうぼうを飛んで降りた先は、たいそう立派な財産家の屋敷。いまひとりの娘が死ぬか生きるかの大騒ぎ。羽うちわの (神通)力でパ〜ッと。さあ命の恩人ということで 祝言(しゅうげん)をあげ、とんとん拍子に熊さんは・・・とんとん拍子にサゲへ。 夢をあしらった落語はわりに多いが、天狗が出てくるのは落語では珍しい?まあ、ポニーキャニオン古今亭志ん生名演週十五(他に子別れ上・下を収録)PCCG-00292ほかでお楽しみください。


客足: やってくる客の数。
天狗: 深山に住むという妖怪。山伏姿で、顔が赤くて鼻が高く、背に翼があったり、手には羽団扇・太刀・金剛杖を持つ。神通力があって、自由に飛行するという。
神通力: (じんずうりき)。(じんつう)は新語系。超人的な能力のこと。
祝言: 「結婚式」のやや古風な称。

天災

短気で喧嘩が好きで親孝行も糞食らえという八公が、ご隠居さんに紹介されて 心学の話を聞きに行くことに。その名も紅羅坊名丸(べにらぼうなまる)という先生が八公の心を静めようと諭(さと)してくれますが…
「気に入らぬ風もあろうに柳かな」「むっとして、帰れば角の柳かな」「人間も万事柳かな」(柳というのは、決して風に逆らわない。柳のように軟らかく、 心を持って、右に左に、逆らわず…)
 「堪忍の、成る堪忍は誰もする。成らぬ堪忍、するが堪忍」「堪忍の袋を常に首に掛け、破れたら縫え、破れたら縫え」(腹が立つのを抑えるのが堪忍で…) などと言っても、いっこうに 埒があかない
そこで、 「相手を人間と思わないで、これをすべて天だと思う。早い話が、相手が お天道さまだと、睨みつけても眩しいばかり。天へ向かって唾をすれば己の顔へかかる。天の成す災(わざわ)い、 “天災”というように、何事も世の中の出来事は全て、天災だと思って諦(あきら)められませんか」と聞いて、妙に納得した八公は、さっそくこの聞いた話を誰かに聞かせようとマネをするんですが…
ちょうど長屋に帰ると大騒ぎ!なんでも新しい女を引っ張り込んだ熊公のところに先妻が出刃包丁持って飛び込んできたんだと!それを聞いた八公が熊公に紅羅坊先生よろしく意見しようという…弥志亭なごみ曰く「それまでの八を滅茶苦茶ガサツに演じておいて、真似をするところは急にしおらしくさせてギャップを出して笑いをとりたい。会話の掛け合いが面白いので、間を含めて リズムを大切にしてやるのを心がけたい」と、演出方法も考えてます。CDならポリドールNHK落語名人選19六代目春風亭柳橋(他に「大山詣り」を収録)POCN-1019などでお楽しみください。




心学:

江戸時代に、神道、儒教、仏教を総合し、やさしい説明と通俗なたとえで説いた道徳教育。
(らちがあかない) 
埒があかない:

進展しない。語源の埒(らち)は周囲に仕切りとして設けた柵。 
柵があかないから進めないんですね。
(おてんとうさま)
お天道さま:

太陽を敬い親しんでいう語。

天災:

自然現象によって起こる災害。

…よろしく:

上の内容を受けて、いかにもそれらしく、の意を表す。

どうかん
 道灌

元職人の八公が、横丁のご隠居の家に遊びにきた。出されたお茶を飲みながら、ご隠居の家にある書画についての由来などを聞く中に
〜なんでも、 「治にいて乱を忘れず」足ならしのため 狩くらに出た太田道灌 村雨に降られ、近くのあばら屋を訪れたときの様子だとか。中から出た 賤の女は盆の上に 山吹の枝を手折って差し出した絵だと〜???
八公にわからないのも無理はない、道灌公にもおわかりがなかったところ、家来が 「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」という歌にかけてのお断りではと。道灌公は自分の 歌道の暗さを反省し、帰城していった…。
この話を聞いた八公、友達が雨具を借りにきたら、この手で追い返そうと思いつき、ご隠居に歌を書いてもらうんですが…。

前座噺の代表とされる、いわゆる根問い物の落語ですが、どうしてなかなか落語としての基本・内容は充分にあって、おろそかにはできない、味わいもあって私は好きな噺です。市販されているCDでは、コロンビアの三代目三遊亭金馬傑作集5(他に転宅、大師の杵を収録)COCF-13875などでお楽しみください。


治(ち)にいて乱を忘れず: 出典は『易経』。世の中が平和な時でも、世が乱れた時の場合を考えてその用意を忘れないようにする。
狩くら: 「狩競」などと書き、狩りで獲物を競うこと。「狩衣(かりぎぬ)」「水干(すいかん)」などに「行縢(ぬかばき)」を付け「綾藺笠(あやいがさ)」「騎射笠(きしゃがさ)」などをかぶり、弓矢を持った姿を狩装束(かりしょうぞく)という。
大田道灌(おおたどうかん): 室町中期の武将。初名持資(もちすけ)とか、道灌は入道名。左衛門大夫に任官。江戸城・川越城などの創設者。兵法に長じ、和漢の学問や和歌にもすぐれた。が、その才に恐れをいだいた上杉顕定の讒言にのった主君上杉定正に相模国糟屋( 神奈川県伊勢原市 )の定正の館にて謀殺された。>
村雨(むらさめ): ひとしきり激しく降り、やんではまた降る雨。にわかあめ。
賤の女(しずのめ): 身分の低い女子。
山吹: バラ科の落葉低木。晩春、黄色の五弁花を開き、実は暗褐色だが、八重咲きのものは実がならない。ここでは「実がない」を「蓑(みの)がない」を掛けて、雨具がないことを伝えたということ。
「七重八重(ななえやえ)花は…」: 『後拾遺集』に中務卿(なかつかさのきょう)兼明親王(かねあきらしんのう)の詠としてある。「だに」は多く下に打ち消しの語を伴って「…さえ」の意味。「ぞ」は係助詞、「悲しき」は係り結びの法則で「悲し」の連体形。
歌道(かどう)に暗い: 「歌道」は、和歌をつくる技術や作法。「暗い」は、その方面・分野のことについて知識が乏しいこと。

道具屋

さて、今回は与太郎噺のご紹介といきますか。
おじさんの世話で与太郎が商売をして珍騒動になるという落語がいくつかありますが、今回は道具屋。
しかし並べた品物はどれもゴミといわれるものばかりで、なかなか売れない。首が抜ける(おまけに鼠に鼻をかじられ欠けてしまって梅毒のような)雛人形、火事場で拾ったノコギリ、はいてひょろっとよろけるとビリっと破けるような股引などなど。

その品物にちなんで、落ちの種類も多く、長くも短くもできる落語です。
鉄砲(こんなもんを売っているとは、おじさんはマフィアだったのか??)の値段を聞く関西風の客が 「この鉄砲はなんぼ?」与太郎「1本」以下「いや代を聞くのじゃ」「台は樫(かし)です」「わからんやつじゃ、鉄砲の金(かね)じゃ」「鉄です」「そうじゃない、値じゃ」「音(ね)は、ずどぉん」 というもの。
笛をひねくりまわしているうちに穴から指が抜けなくなった客に与太郎がうんと高く値をふっかけるので「おい足元をみるな」「いえ、手元を見てます」と落とすもの。「この小刀は先が切れないから負けろ」「いえ、先が切れなくとも元が切れます」など。

落語の代表的なキャラクターの与太郎ですが、ただ馬鹿として演じてもいけない、ちょっと難しい役でもあります。「与太郎の歯に衣を着せない性格の痛快さがウケているのかもしれない」という評論があるように、周囲に対する遠慮がない、状況判断がないというバカさなのでしょうか。愛すべき人物である与太郎がまきちらす笑いの多い落語です。

ちょっと思い出話をすると、東海大学の年忘れ落語会で学生最後の高座だったでしょうか、当時の頭下位亭切奴(とうかいていきりど)だった現春風亭昇太さんの道具屋を聞きました。表向きは大家をしているおじさんが世間に内緒でやっている商売の権利を譲ってやるともちかけられた与太郎が「誰も知らないと思っても、ちゃんとあたしが知ってらあ。悪いことはできねえもんだ」 「おい、変なこと言うなよ、なんだかおじさんが悪いことでもしてるような…」「おじさんの商売は頭に、どの字が付くだろう」「おお、よく知ってたな、どの字が付くさ」「ほうらやっぱり!ドイツ大使館だろ!」「バカか、おまえは…」(ふつうは「泥棒」と言うところ)とやって会場を大爆笑にしたのを今でも覚えてます。
CDなら小三治特選ライブ5(他に天災を収録)キングレコードKICH3177ほか、いくつかでお楽しみください。



梅毒: 代表的な性病。悪化すると、できものができたり[瘡(かさ)を掻(か)く]、鼻の軟骨などが崩れて、末期には脳障害などもひきおこす。
ももひき 
股引:

脚にピッタリするズボン下。下着用と作業用がある。江戸末期から半纏(はんてん)・腹掛けとともに職人の常用着。
足元をみる: 相手の弱みにつけこむこと。
(もとがきれる)  
元が切れる:

価格が原価より安くなること。与太郎は、おじさんから品物の原価が書いてある元帳(もとちょう)を渡されていて、 それより高く売れれば、おこづかいがもらえることになっていた。
(はにきぬをきせない)   
歯に衣を着せない:
 
思ったままに率直に言うことの慣用句。
春風亭昇太: 三代目春風亭柳昇に入門、92年真打。若手新作派として最もパワフルな活動を展開。
猫と金魚
桃家へいが「旦那が番頭に 翻弄(ほんろう)されるのが面白い!」と語る、ちょっとした爆笑落語です。でも、CDが…誰か教えてください。
お隣の猫が金魚を食べてしまう、かといってご近所と 角つきあいするわけにいかず、怒鳴り込むわけにいかない。旦那が番頭に相談すると、この番頭がどうもおとぼけで…「隣の猫の手の届かない高いとこに金魚鉢を上げようか」「はす向かいのお風呂屋の煙突の上はどうでしょう」「そんなとこじゃ眺めることも出来ないじゃないか」「双眼鏡で見たらどうでしょう」「私ャ、 山本五十六じゃないんだよ」と、こんな調子で。
結局、湯殿 の上の棚に金魚鉢をあげたものの、ところがやっぱり隣の猫が金魚鉢をかきまわしている。こらしめようと思うが、番頭はねずみ年で無理だ?と言う。そこで、頭(かしら) の虎さんを呼んで、猫をつかまえてもらおうと…ドタン!ピシャン!ザブン!助けて〜なんと虎さん 濡れ鼠に。

國落では 土掘亭もぐらの熱演が忘れられません。4年生での学祭のときに10分のものが9分に、9分が8分に、そして8分のものが7分にと、やるたんびに短くなっていく、それでいて一発ギャグも(「棚の上に金魚鉢をあげてくれ」「上げました」「それでいいんだよ」「で、金魚どうしましょう」「シュビーン!」って、シュビーンってなんだよって感じですが)さえわたり面白さが倍増していくという。学生落語 4年目にして自分のものにしてしまうというのはこのことかなと感心したもんです。


翻弄: 自分の思うとおりにもてあそぶこと。
角突き合い(つのつきあい): なかが悪くてよくけんかすること。
山本五十六(やまもといそろく): 海軍大将・元帥。連合艦隊司令長官として太平洋戦争で真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦などを指揮し、ソロモン諸島上空で戦死。月の家円鏡改め橘家円蔵が「猫と金魚」のギャグとして用いている。
湯殿(ゆどの): ふろば。
かしら: 鳶(とび)の者などの、いちばん上の人。
濡れ鼠(ぬれねずみ): 衣服を着たまま、全身がびしょぬれになること。
土堀亭もぐら: 第25台幹部。四代目三優亭周朝。富山出身。肩車という言葉が通じず、説いて聞かせると「ああっ、“さるぼんぼ”ですか。」と、数々の方言で楽しませてくれたり、いろいろ逸話も多い一人。

猫の皿
江戸時代も末期になると、先祖伝来の名刀を売り払って、その金でもって、茶器やら美術品を求めたという…そこで地方を捜し歩いて安く買っては高く売る。「今どき兜(かぶと)なんぞかぶってると、あたま痛くなっちゃうでしょう。頭痛持ちになるといけないから、よかったら値よく買いますよ」なんてことを言って買って来て、調べてみると、これが名人の作で、とんでもなく高く売れたり…。
こういう商売をしている果師が、旅の途中で立ち寄った茶店で高麗の梅鉢という実に高価なものを見つけます。なんと、その茶店の爺(じい)さんは、その皿で猫に飯を食わせているではありませんか。知らないのなら、なんとかしてふんだくってやろうと果師は「この猫を俺に譲ってくれないか」と持ちかけます。ところが爺さんもなかなかのもので、皿までたどりつくには…と、なかなか皮肉な人を食ったおかしみのある咄です。
「果師が猫をほしいという件(くだり)や下げ、このとぼけた爺さんが気に入った」とは梅毒蝮秘三太夫の弁。おっと、この咄はあまりしゃべりすぎてはいけないかな。CDならNHK落語名人選2 古今亭志ん生(他に「唐茄子屋」を収録)POCN−1002などで、お楽しみ下さい。


はたし  
果師:

「売り果たす師(人)」の意で、古着や古道具の市場で、仲間相手に売買する者で、自身は店を持っていなかったとか。
(こうらいのうめばち)
高麗の梅鉢:

朝鮮の高麗焼の梅鉢(梅の花を図案化したもの)の皿。当時でも高麗時代の上等な製品は非常に高価なものであった。

人を食う:

相手を軽く見てばかにすること。
ついでだが、故吉田茂首相(第2次大戦後、第5次にわたって内閣を組織、サンフランシスコ講和条約に調印し占領下の日本の独立を果たしたが同時に日米安全保障条約を結んだ昭和の宰相で、国会で演壇から水をぶっかけたりバカヤロー解散などとエピソードは多い。)が、記者に「総理は血色(けっしょく)がよろしいが健康の秘訣は」と聞かれ「わしは人を食っとるからだよ」と答えたという、おっと、これは余談が過ぎた?
さげ  
下げ:

落語のオチ(おわりのシャレやことば)。
ばいどくまむしひさんだゆう
梅毒蝮 秘三太夫

八代目三優亭左勝を襲名。第38回渋三落語会で「猫の皿」を口演。

野ざらし

長屋住まいの八五郎が、夜中に隣家で女の声がするのを聞きとがめ、のぞいてみると、一人暮らしの浪人者のところへ若い女がいるではないか。翌朝、聞いてみると、世にも奇怪な物語… 向島へ釣りに行ったが一匹もかからず、あきらめて帰ろうとすると、かきわけた の中に人骨を見つけたという。 野ざらしではと 不憫に思い、飲み残しの酒を注ぎ、 回向をしてやった。すると夜中に、その 功徳によって浮かばれたと礼に来たのが、あの美女だと。うらやましがった八五郎は幽霊でもなんでも、女が釣れるならと、強引に竿(さお)を借りて向島にやって来る。おおぜいの釣り人たちの迷惑もかえりみず、どんな女が訪ねて来るかと空想して唄まで飛び出す八五郎の浮かれまくりの大騒動…
CDなら三代目春風亭柳好名演集(他に「たちきり」「二十四孝」を収録)がお薦めです。 全篇歌い上げる調子でテンポのある心地よい運びの一席です。
「唄を唄うところと、浮かれた八五郎と周りの釣り師達のテンションのギャップが難しい」とは桃家へいの弁。 苦心してます。



むこうじま 
向島:

現東京都墨田区の地名。隅田川東岸に位置する。
よし 
葦:

植物アシの別名。「悪し(あし)」に通じる忌(い)み嫌って「善し(よし)」にちなんで呼んだ。

野ざらし:

風雨にさらされて白骨化した人間の骨。特にその頭骨。
ふびん 
不憫

かわいそうなこと。
えこう 
回向:

難読語として受験必出!?死者の冥福(めいふく)を祈って念仏を唱(とな)えたりすること。
くどく 
功徳:

難読語Bランク!?あとでよい結果がかえってくる、よいおこない。

のめる
『二人癖(ににんぐせ)』ともいう噺で、なんぞてえと「一杯呑(の)めらァ」という口癖の男と、なんぞてえと「つまらねえ」という口癖の男、この二人がお互いに「その癖はよくない」、直そうということに。言ったら罰金という約束で、今度はお互いにそれを相手に言わせようとする。先に仕掛けて逆に罰金を払わされたのは「一杯呑めらァ」が口癖の男。くやしいもんで、なんとか「つまらねえ」を言わせようとさらに一案、向こうの好きなものは何だ〜将棋が好きだ!それじゃあ 詰め将棋で仕掛けてやろう。本来は“詰まない”というところだが、口癖なら“詰まらない”というだろうと。計略 図に当たって「つまらねえ」と言わせて罰金がもらえると喜んだものの・・・ 小品ながら、なかなかよくできた噺と思うんですが、残念ながら市販の音源もなかなか見つからなくて、つまらねえ・・・


詰め将棋: 王将の詰め手を研究する将棋。与えられた譜面に基づき、一定の持ち駒を使って、連続して王手をかけて詰めるもの。王将の逃げ場がなくなり動けなくなる、勝負がつくことを「詰む」という。
図に当たる: 思ったとおりに事がすすむ。
化け物使い
 御家人らしき隠居、この人が猛烈に人使いが荒い。いくら 奉公人が来ても、すぐに 音を上げてやめてしまう。そんな隠居のもとで、へこたれずに、よく働いて三年いついた男がいた。しかし、この男も、隠居が化け物屋敷という噂(うわさ)のある空き家に引っ越すというのを機に、 ひまをくれという。

家の広さに引きかえて格安だから隠居は越したのが、噂どおりに出た!一つ目小僧…

ところが隠居は驚きもこわがりもせず、呼び寄せてこき使う。翌日は 大入道。これまたこき使われて…次の日も…やがて出てきたのは狸で、涙ぐんで…

真打に昇進した 入船亭扇辰師匠が、國學院大學落語研究会創立45周年記念落語会(於浅草木馬亭)で演じてくれました。CDならポリドールNHK落語名人選59三代目桂三木助(他に、さんま火事を収録)POCN-1099などでお楽しみください。


御家人(ごけにん): 〔徳川幕府の直参(じきさん)で〕お目見え以下のさむらい。
奉公人(ほうこうにん): 飯炊き・薪割り・庭掃除。使い走り、その他雑用をする役で、落語では「権助奉公」などと、俗に権助といった人物が出てくる。他に杢助(もくすけ)とか本名または仮につけた名を呼んだ人物も。権助はなにも信州人にかぎった訳ではないが、江戸時代には『お信濃(しな)』などと侮称されていたが、鈍重ながら我慢強くよく働いたので、雇主の受けは他国人よりよかったという。 “信州強情・信州辛抱”などという言葉もその辺の事情をよく伝えている。
音(ね)を上げる: よわねをはく。
暇(ひま): 主従・夫婦などの関係を絶つこと。「暇を出す」は使用人などをやめさせるの意。「暇を取る」は使用人のほうからやめる、暇をもらう。
大入道(おおにゅうどう): ずばぬけて大きい男(の姿の化け物)。
入船亭扇辰: 第27代幹部。六代目若木家志楽。新潟の出身と聞き「シベリヤが近いで。知ってるゥ」とかなんとか地理的なことから歴史的なこと(〜抑留〜)からなにやらウンチクを述べまくる往復亭びん太(第23代)により入部当初シベリ家翌柳と命名され、のち万年堂亀頭(第22代)からはプテラノドン(〜翼竜だから〜)と呼ばれたなどの記憶だが? 1989年九代目入船亭扇橋に入門、2002年春真打に昇進。

花見の仇討

桜の季節。ただ花見をしても面白くも何んともないから、見てる連中が 割れ返る ような趣向をしようと考えた四人組。花見の趣向という仮装をそれぞれが昔はよくやってたんだそうで。敵(かたき)を捜す 巡礼(じゅんれい) 兄弟に、討たれる浪人者、仲に入る 六十六部 と、仇討(あだうち)の筋書きを決めて、さっそく稽古。そして衣装もそろえて、翌日、 飛鳥山へ。ところが六十六部役が間の悪いことに伯父さんに出くわしてしまう。あいにくこの伯父さん耳が遠い。「そんなかっこうで、どこへ行くんだ」「ハナミのシュコウだよ」「なに!相模から四国へ行く?とんでもない野郎だ」と、つかまっちまう。そうとは知らぬ巡礼兄弟役と浪人役は、 「やあ珍しや、汝(なんじ)は○○○○よな、○年以前国許(くにもと)においてわが父を討って立ち退(の)きし大悪人、汝に巡り逢(あ)わん、其の為に、長の年月(としつき)、兄弟の艱難(かんなん)心労如何(いか)ばかり。ここで逢(お)うたは盲亀(もッき)の浮木(ふぼく)優曇華(うどんげ)の、花待ち得たる今日の対面、いざ立ちあがって、親の仇敵(かたき)だ尋常に、勝負、勝負(しょおォぶ)」 と、 割り科目(ぜりふ) で始めてみたものの、そこへ「巡礼兄弟に助太刀(すけだち)を致す」と本物の侍が。さあて浪人役はたまらない!果たして…梅毒蝮秘三太夫曰く、「芝居の部分が見せ場。花見のにぎやかな雰囲気が出せれば」と。 CDならポリドールのNHK落語名人選 68金原亭馬生(他に、たがや収録) POCN-1108 などでお楽しみください。


割れ返る: 大さわぎのようすをあらわすときに使う。
巡礼: 聖地や霊場を巡拝する旅によって、信仰を深め、特別の恩寵(おんちょう)にあずかろうとすること。また、その人。
六十六部: 笈櫃(おいびつ)に経典六十六部を入れ、日本六十余州の国分寺へ詣で、一部ずつ納めて修行する行脚(あんぎゃ)僧。この筋書きでは背負(しょ)っている笈櫃を開けると中には酒、肴、三味線、太鼓が入っていて、大一座になって、飲めや歌えのドンチャン騒ぎといく予定だった。
飛鳥山(あすかやま): 東京都北区南部にある台地。江戸時代からの桜の名所。
割り科白: 一つの科白(せりふ)を、二人または三人以上で分けて述べること。

はんたいぐるま
 反対俥
昭和生まれの四天王と呼ばれて期待された落語家に立川談志、三遊亭圓楽、古今亭志ん朝、月の家円鏡。この円鏡が橘家圓蔵を襲名する前後によく聞かれ、おもしろかったなあと印象の強い噺です。

乗ったはいいが、ほかの俥(くるま)にどんどん抜かれていくような、まぬけな俥に乗ってしまった不運な客が、ほかの俥を捜していると、いたっ!「おゥッ、俥屋ァ、おめえ早いかァ?」「なにをォ?……早(はえ)えかァ?まぬけめェ、 一瀉千里虎の子走(ばし)り、“ 韋駄天”の熊ッてなおれの事(こ)ッたァ。おれァな、 梶棒、プップッ、こう持ってな、あァッ、あァッ、ラァラァラァラァラァラァラィッ、どいたどいたどいたどいたどいたどいたどいたァ…い」早いのなんの。ところが川ぶちに来て、 芸者と出くわして…

ものすごく体力を使う噺で、ビクター『愛蔵版 爆笑!! 円鏡メモリアル』円鏡自身による演目解説によると「疲れた時演(や)ります。疲れた時ダラダラした噺を演ってるとダメです。疲れた時は、疲れる噺をすると、手を抜くわけにいかないですからガンガン演っていきます。」と。

「明治から大正の初期にかけて、大変にこの人力車ッてな流行(はや)りましてねェ。〜略〜 赤いゲットゥにくるまって居眠りしてるからそそかっしいやつァね、はがきィほうり込んだりなんかしてねェ。」と、噺に入っていくんですが、「あれは伸治兄さん(現桂文治)が演っていたんです。三平さんも演っていた。でもあれは古い、もう。だからわざと時代をつけるために言う場合もあるんです。もう赤ゲットなんて言葉はね。そうかといって、毛布にくるまって…というとダメなわけなんで、でも『赤ゲットと郵便ポストと間違えて』といっても、まあ一〇〇人中五人ぐらいしか知らないんじゃないかな。うけないんじゃないかな。でもまあ、ちょっと時代をね。ああそう、明治時代なのかな?とかね。」とも。

CDならポリドールNHK落語名人選77十代目桂文治(他に道具屋、浮世床を収録) POCN-1117などでお楽しみくさだい。


一瀉千里(いっしゃせんり): 気がかりで、不安な状態(事)。事故やけんかなどよくないこと。酒で間違いを起こしたOBが何人いることやら…
韋駄天(いだてん): 仏舎利を奪って逃げた鬼を追いかけて捕らえ、また僧の急難を走って行って救ったと言われる神。足が速い人のたとえにされる。
梶棒(かじぼう): 人力車・荷車などを引くための長い柄。
芸者: 料亭・旅館などに呼ばれ、時間ぎめで酒席に出てお酌をしながら客の話し相手になったり注文によって歌や踊りで座興を添えたりする女性。もう本物はなかなかお目にかかれませんし、宴席に呼んで遊興することを「芸者をあげる」といってサゲに関係しますが、金がかかるんでしょうねえ。
赤ゲット: ゲットはブランケット(毛布)の略。明治時代、赤い毛布をはおって都会見物に来たことから田舎者のことや慣れない洋行者をも指すようになったと。

不精床
不精な奴というのをもっともよくあらわした小噺というのが先代春風亭柳橋師の十八番にあって、どんなのかってえと、
「どうだい、これだけ不精な奴が集まったんだから、ひとつ不精会ってのを作ろうじゃあねえか」…「面倒くせえから、止そう」
これでおしまいという…。

 ifシリーズなら、「もしも床屋が不精だったら」といったところでしょうか、客が来ても「いらっしゃい」とも言わない。世辞も言わない。客が「ちょいといい男にしてもらいたいんだけど」と言えば、「そりゃあ無理だ。お前さん鏡見たことあんのかい」といった始末。 月代を剃る前に客に自分で湿せと言うし、湿しに使おうとした水瓶(みずがめ)には、 ボウフラが湧(わ)いているし。
 やっとやってもらえるかと思えば、「オイ、小僧(やっこ)、鍋のケツばかりでガリガリやってたって腕はあがらねえよ。久しぶりに客が来たんだから、生身の頭ぁやってみろ」だって。小僧の稽古台になった客は災難。「小僧さん、そぉっとでいいんだよ。痛いよ、ちょっと痛い。痛い!」それを見ていた親方が「バカヤロウ、客が三度、痛いって言ったら止めろって教えてあるだろう」と、やっと親方が替わってやってくれると思えば、小僧に向かって小言を始める。それも剃刀(かみそり)を振り回しながら。この客の災難はまだまだ続く〜。

 ということで、CDならCOLUMBIA「志らくのピン」(他に親子酒・出来心などを収録)COCAー14805などでお楽しみください。まあ、これは不精というより、わけのわからない床屋ということになってますが、不精なのか乱暴なのか、そのへんを一応演者としてはわきまえて演出していけば味付けもかわってくるんでしょうか。



さかやき 
月代:

中世末期以後、成人男子が前額部から頭上にかけて髪をそり上げたこと。
また、その部分。
 
ボウフラ:
 
蚊の幼虫。水中に住み、体は短い棒状で、くねくねと運動し浮き沈みする。
最近は下水がすっかり整備されて水のたまったドブなども少なくなり、見る機会が減ったもんです。蚊はいるのに…。
つまり、まあ、ここではボウフラが湧くということで、水をずっと替えていないってことを表現してるわけで。

豆屋

 豆屋が、ある長屋の路地に入っていくと凄い顔をした男に呼び止められ、一升いくらだと聞かれる。値段を言うと、「おっかあ、おもてぇ 心張りかって、そこにある 薪ざっぽう一本持って来い」と閉じ込めれ、まけろと脅される。一升枡(ます)に豆を山盛りにさせられたうえに、さんざんに値切られてしまう。やっと帰れたと思ったら、また向こうの家から呼ばれる。これも恐い顔の男で、一升いくらだと聞かれる。
これはさっきの兄貴分か親分かと思って、仕方なく安い値段を言うと、「おっかあ、おもてぇ心張りかって、そこにある薪ざっぽう一本持って来い」と閉じ込められ、そんな安い豆があるはずはないと嚇される。どうなることやら…という滑稽噺。
短い時間で高座を勤めなければならない時にやる一種の「逃げ噺」。噺は短いが、落ちでドーンと受けて下りられるという型の落語。テンポよくポンポンと運ぶのもコツでしょうか。
CDならNHK落語名人選50十代目桂文治(他に「源平盛衰記」を収録)POCN−1090でお楽しみください。



しんばり   
心張り:

心張り棒の略。戸口などのしまりを確実にするために、戸をおさえるつっかい棒。
 
かう(支う):

棒やくさびなどを、物にあてて支える。
 
薪ざっぽう(薪雑把):
 
棒の代わりに使える薪。

饅頭こわい

「十人寄れば気は十色」というわけで、それぞれ好き嫌いがあるもんです。
若い連中が集まって陽気に盛り上がろうというところへ、あとから一人、血相を変えてやってくる。なんでも苦手な蛇に出会ったとか。なるほど、胞衣を埋めた上をいちばん最初に通った虫がこわくなるなんて迷信もあり、それじゃあ蛇がとおったからか?
とにかく虫が好かねえとかは、みんなあるだろうから聞いてみようと、話がもりあがったところで、怖いものはない!という男が出てくる。ところが、よく聞いてみると、そいつは実は饅頭がこわいと言う。おもしろがった仲間たちが、そいつを饅頭で暗殺(?)しようと…ところが、 という落語の中でもポピュラーなもの。

雑俳』のように八っつあんに隠居さんという1対1のシチュエーションに慣れたら、登場人物が多い落語にチャレンジしていく。大人数の雰囲気を出すわけですから、明るくにぎやかに楽しそうに演じることがポイントでしょうか。饅頭を割って餡を確認しながら食べる所作も見所。

もとになった話は、中国のの時代の笑い話だそうで、それが日本に来て翻訳されて、多くの落語家が、手を加えてひきのばして現在にいたったというから、落語の中でもかなり古いものだそうです。
それだけに昔からよく知られた咄で、落ちの「濃いお茶が一杯こわい」ということばが日常会話にも用いられるくらいになったとか。
そんなふうに知られすぎたとはいえ、筋がわかっていても、笑っていただけるように精進、精進!

國落の演者の弁によれば、弥志亭なごみ曰く、「饅頭をこわがっているようにみせるところは難しかったです。」 壮烈亭美竺いわく「やはり食べる所作をすることは困難を極めました」などと研鑚のあとが偲ばれます。
まあひとつ、CDなら五代目柳家小さん名演集(九)ポニーキャニオンPCCG-00055(他に親子酒・うなぎ屋所収)などでお楽しみください。


みん 
明:

ちょうど日本の室町時代の頃の王朝。
三代足利義満(一休さんでおなじみ将軍様)が勘合貿易を始めた相手国。これは受験必須知識かな。
えな  
胞衣:

胎児が生み出された後、排出された胎盤・卵膜など。
後産、明治中期頃までお産婆さんなどが方角を決めて埋める風習があったそうで、こんな迷信も信じられていたとか。
しょさ  
所作:

そのように見せるしぐさ・動きのこと
しょうじん
精進:

ひたすら努力すること

壮烈亭美竺:

「それってぃ びーちく」と読みます。学校で呼ぶには勇気のいる名前でした。びーちく。
喋るか食うか、2通りの行動パターンしかもっていない。(圧倒的に食うほうにウェイトが)
最近は放浪のホテル住まいで、元から高いエンゲル係数がさらに上昇しているという。
六代目 花廼家団吾楼 を襲名。

妾馬
八五郎出世とも呼ばれ、昔から親しまれた落語でしょうか。士農工商という身分差のきびしかった封建時代。お大名に見初められてお屋敷奉公にあがった町娘のお鶴がお世継ぎを生んだ。兄に会ってほしいとねだられた殿様の 鶴の一声で、八五郎が大名屋敷に呼び出され、 お召しかかえで出世するというおめでたい噺なんですが、出かける身支度の世話をする大家さんも大騒ぎ、出かける八五郎はトンチンカン、八五郎と殿様の間に入った家老の三太夫はいい災難…食い違いの滑稽さばかりでなく、少しホ ロリとさせられる演出もできるなど、なかなかの大ネタでもあります。
梅毒蝮秘三太夫いわく「なんといっても、何時、どんな所にいってもつねにかざりけなくありのままでいようとして人間臭い八五郎を演じてみたい。八五郎はさしづめ落語の中の寅さんといったところか!? とくにこの話はその八五郎を中心として、話がコミカル展開して行くところが気に入っている。が、八五郎をいやみなく、さらっと演じる事が思いのほか難しい。またそれにともない徐々に八五郎のペースに巻き込まれていく周りの人達の雰囲気もうまく見ている人に伝える事ができれば」と。苦 労の跡もうかがえます。
CDなら、NHK落語名人選17八代目三笑亭可楽(他に二番煎じを収録)POCN−1017などでお楽しみください。




鶴の一声:

多くの人の議論や意見をおさえつける、有力者・権威者の一言。

召しかかえる:

雇って家来にする。

元犬
浅草蔵前の八幡様の界隈に、一匹の白犬がいた。江戸時代には白犬が人間になることがあると信じていた人が多かったそうで、参拝する人々が「お前は人間に生まれ変わるから楽しみにしていな」といって頭をなでていく。
「今すぐ人間になりたいから、八幡様にお願いしよう」と三七、二十一日の間、はだし参り(まあ犬ですから当たり前…)。
満願の日の朝、白い毛が飛んで人間になった。ちょうど桂庵の旦那にひろわれて、変わった奉公人を捜しているご隠居がいるというので、そこへ連れて行かれる。
ところが人間になったばかりで犬の習性が抜けきれないので、あまりにもトンチンカンなことを言ったりしたり。
ご隠居が「鉄瓶の蓋がチンチンいってないか」というと、チンチンの格好をするし、「焙炉を取ってくれ、焙炉」といえば、「ワン!」。いくら変わり者を捜していたとはいえ、ご隠居は気味が悪くなり、女中のおもとを呼んだ。
「もとはどうした。もとはいぬか」の問いかけで、オチにつながります。

まあ、ナンセンスといってしまえば、それまでですが、一つ一つのしぐさを丁寧に大きめに、おおらかさをかもし出していくことができればいいでしょうか。
市販のCDでは、八代目春風亭柳枝名演集(一)PONY CANYON(他に山号寺号、たらちね収録)PCCG-00040で、お楽しみください。


まんがん 
満願:

期限を定めた神仏への祈願の日数が終わること。
けいあん 
桂庵:

職業紹介業。口入屋ともいう。

チンチン:

鉄瓶などの湯の煮えたぎる音を表す語。/犬が後ろ足で立って前前足をそろえて上げるしぐさ。
ほいろ  
焙炉:

茶の葉などを入れ、火にかけてかわかす道具。

いぬか」:

「居ぬ」の「ぬ」は、古語で打ち消しの助動詞「ず」の連体形。
ここでは「いないのか」という問いになっているが、完了の助動詞「ぬ」との混同に気をつけることが受験などでは必要。


『古今和歌集・秋上』藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の「来ぬ」の「ぬ」は完了の助動詞。
連用形接続なのでカ行変格活用「来」は(き)と読む。
「秋が来たと目にははっきりと見えないけれども、風の音ではっと気づかされたことだ。」の意味なので、(こぬ)と読んで、打消しと勘違いしては、「秋が来ない」ことになってしまうから要注意。

桃太郎
罪がない”とされる子どもがでてくるお噺。とはいえ、
「昔々…」「何年ごろ?」
「あるところに…」「どこの国、何ていう町、番地は?」
「おじいさんとおばあさんが…」「名前は?」
「うるせえ!」
と一つ一つ聞き返してくる現代っ子(?)の金坊に悲鳴をあげ怒るお父っつぁんに金坊は、この「桃太郎」の中に秘められてある内容を分解して説明をしてやることに。聞かされたお父っつぁん「なるほど、フンフン、そうかぁ…」と感心していくという逆転の一席。
「あのネ、お父っつぁん、昔々とかっていう語り出しは、時代や場所を決めちまうと話が狭くなる。日本中どこでも通用するように、つまり話に 普遍性を与えるという…」
やな子どもだね、どうも。
「キビ団子は粗食の代表。犬・猿・雉は智・・勇、だよ。猿は智恵があり、雉は勇気があり、犬は三日飼われるとその恩を忘れないってぇだろう。鬼ケ島、あれは世間を鬼にたとえたんだよ。そこで闘って成功して、信用という宝を持ち帰りましたっていう話なんだよ」云々…。
落語は、ためになります。親子で聞かなきゃあいけません…なんてとこでしょうか。でも昔話は昔話として、何事もあるがままを受け止める”ゆとり”ももちたいものだとも思いますが。

大きな声で、はっきりと、明るく元気よく、という落研で最初に言われる心得を胸にとめて、話し手も聞き手も楽しめる、ほのぼのとした雰囲気を出したいところ。
市販のCDなどは………誰か教えてください。(^^ゞ


 
罪がない:

むじゃきなようす。
(ふへんせい)
普遍性:

すべてのものにあてはまること。
そしょく 
粗食:

そまつな食事。また、それを食べること。「粗食に耐える」

仁:

思いやり。いつくしみ。なさけ。
特に儒教(じゅきょう〜古代中国の春秋時代の孔子にはじまり、戦国時代の孟子・荀子を経て発展した政治・道徳思想。
仁によって人間の信頼を回復し、道徳によって礼・社会秩序を保とうとする。日本にも大きな影響を与えた。
『論語』は孔子の弟子たちがまとめた言行録で、孔子の著書ではないので、試験のときには注意)における最高徳目で、
他人と親しみ、思いやりの心をもって共生を実現しようとする実践倫理。

やかん
物知りを自認するご隠居のところへ、八っつあん・熊さんがたずねて来て、いろいろと聞く「根問いもの」というポピュラーな古典落語の小品です。とはいえ、本当に物知りならよいのですが、「自認」ときては…。
たとえば、「嫁入り」は、来る嫁に目が二つ、迎える婿(むこ)に目が二つ、合わせて「四目(よめ)入り」。「奥さん」は、女はみな奥座敷でお産をするから「奥産」。そして魚の名前の由来やら適当なことを言っているうちに、「薬鑵(やかん)はなぜヤカンという?」と聞かれる。
そこでご隠居「むかしは『水わかし』といったが、まだ鉄砲のないころの戦場で、急な敵襲におどろいた若武者が、鎧(よろい)は身に付けたが兜(かぶと)が見当たらない。そこで近くにあった水わかしをかぶって出陣した。飛んできた矢が…」とたわいない超ナンセンスに終始します。芸界で「しったかぶりをすること」を「やかん」といったりするのは、この一席から生まれた用語だそうな。
CDならPONY CANYONから正蔵改め林家彦六名演集(四)PCCG−00024(他に真景塁ケ淵・普段の袴・首提灯を収録)などで、お楽しみ下さい。
演者にとっても楽しみながらできる落語で、桃家へい曰く「ご隠居が苦しまぎれに答えるのに、常に偉そうで、満足気なところが面白いし気に入っている」と。ううむ、「やかん」の素質がありそうなコメント…。




根問い:
 
根本まで問いただすこと。どこまでも問いただすこと。

奥さん:

昔の邸宅に「大奥」ということばもあるように、奥に住むのは女性であり、もと身分が高い人の妻をいった「奥方」そして「奥様」がしだいに一般にも広く用いられるようになったもので、これはあながちでたらめでもない所があります。が、かように語源というものは俗説も多く、学問的な定説をみるには困難がひかえているようです。
最近の好著に講談社『暮らしのことば語源辞典』山口佳紀編がありますが、ちょっと大部(たいぶ)。角川文庫ソフィアから、私ども國學院大學の中村幸弘先生著の『難読語の由来』『読みもの日本語辞典』というハンディなものもあることを添えさせていただきます。
学生時代、講義の合間に「時計」はどうして「時」が「と」と読むのかなど、お話いただいたのを思い出します。興味のある方はどうぞ。
 
桃家へい
 
五代目花廼家小袖を襲名。第38回渋三落語会で「やかん」を口演。

寄合酒/ん廻し
兄貴分の誕生日の祝いに酒と 肴(さかな)をもらい、あるいは雨などのため出職〔 左官 、大工などの職人〕の連中が休みで集まり酒を飲む 算段をするが、酒の肴を各自集めてきたものの料理する段でメチャメチャになってしまうという滑稽な噺。後半は、ん尽くしの言葉遊びが置かれ、上方でも『田楽食い』『ん廻し』の題名で演じられるとか。ここでの飯島友治編『古典落語』第二期第四巻(筑摩書房)からその件(くだり)を簡単に、

料理がメチャメチャになったあと、 味噌田楽の差入れがある。おでんでんがくといって運のつくように食うものだから、んの字を一つ言ったら一本、二つなら二本とんの数だけ食うことにしようと相談がまとまり、さて「みかん」と言ったのが一本、「みかんきんかんわしゃ好かん」で四本、「本山(ほんざん)坊(ぼん)さん看板カン」で七本とくるが、やがて「千年前新禅院の門前の玄関に、人間半面半身疝気いんきん金看板銀看板、金看板根元(こんげん)万金丹、銀看板根元反魂丹、瓢箪看板灸点(きゅうてん)」と二度くり返して九十本食おうという豪傑が現れる。かと思うと、「おい、算盤を持ちなよ。『じゃァーん』と一本、『じゃんじゃんじゃーん』と三本、…」と半鐘の音を真似て際限なく食う魂胆の男。そのうち…

酒の肴を持ってこいと言われれば、あれこれ悪知恵を働かせて 塩物屋や乾物屋等からせしめてくるは、料理しろと言われれば、せっかくせしめた数の子を煮てしまうなどの滑稽の連続とあり、どこで切っても一応のサゲがつけられるし、にぎやかで楽しい噺なので演じてみるのもいいのでは。が、市販のCDなどがなかなか…知ってる人は教えてください。


肴: 酒をおいしく味わうために食べるもの。
左官: かべをぬる職人。
算段: 手段を考えること。
田楽(でんがく): 豆腐・ナス・魚などを串に刺して火にあぶり、味噌を塗ってさらに焼いた料理。
塩物屋・乾物屋: 乾物(かんぶつ)の中でも特に塩干物〔干鱈、塩鮭、鯵の干物など〕を中心に商っている店を塩物屋といった。乾物屋のほうは、米以外の穀類や麩、鰹節、海苔それに塩物も扱っていた。

りんきのこま
 悋気の独楽

定吉が、おかみさんに言いつけられて旦那のあとを追い、どこに行くか見届けることに。ついて行くとご妾宅(しょうたく)へ。定吉はちゃっかりお妾さんからお小遣いをもらったり、ごちそうになったり、そして 辻占の独楽をもらう。黒い独楽が旦那の独楽で、赤い独楽がお妾さんの独楽、ちょっと薄いのがおかみさんの独楽だと。これを三つ同時に回して旦那の独楽がお妾さんの独楽にくっついたらお泊りに、おかみさんの独楽にくっついたらお帰りになることしていたそうな。 戻った定吉は、おかみさんに旦那を見失ったとごまかしたが、もらった辻占の独楽を見つけられてしまう。やきもち焼きのおかみさんに言われて仕方なく、この独楽を定吉が回してみることに。結果は・・・。演出的には極論すると、ここでの“おとまりです”と言う“間”でこの噺が決まってしまう。独楽がぶつかって、それがしかもサゲにつながるわけで、ここの独楽をまわすところを盛り上げていくのが力量のいるところでしょうか。 市販のものではNHK落語名人選73二代目桂小南(他に三十石を収録)POCN-1113などでお楽しみください。


悋気(りんき): 〔男女の間の〕やきもち。しっと。
辻占(つじうら): 偶然起こった物事によって吉凶を判断すること。

六尺棒
 頑固オヤジに 道楽息子でのお笑いという落語ではよくある設定の噺です。吉原かなんかで遊んで帰りが遅くなった若旦那。家の戸が閉まってるんで、店の者の名前を次々と呼んで、開けてもらおうとすると、
「夜分遅く、表をどんどんとお叩きになるのは、どなたですな」
 おっと、一番悪いのが起きてた!
 若旦那が開けてくださいと頼むものの、この頑固オヤジは、 慇懃に他人と話すような口調で、とりつくしまも与えぬといった調子。それならと自棄(やけ)になった若旦那、家に火をつけますよと、マッチをすり出す。怒ったオヤジは 六尺棒を持って飛び出してくる。つかまってなるものかと逃げ足の速い若旦那。うまくオヤジをやりすごした若旦那は、ちゃっかり家に入り込んで、今度は戻ってきたオヤジを入れてやらない…飛々院とら馬いわく、「親父さんと若旦那の駆け引きと逆転するところが面白い」と。
実は子を気遣い、歳をとった親父を気遣うといった、ほんのり親子の情も伝わる小品です。
CDならコロンビア「決定版 志ん生落語集 ライブ 七」(他に粗忽長屋・厩火事を収録)COCF−11767などでお楽しみ下さい。




道楽:

(1)「趣味」の意の老人語。(2)ばくち・女狂いなどの悪い遊び。〜新明解国語辞典第四版。
ううむ、きわどい語釈。

吉原:

江戸時代、遊女屋の多く集まった場所。今は…
いんぎん 
慇懃:

たいへん礼儀正しく、ていねいにするようす。
とりつくしま: 頼りとしてすがるところ。多く、あとに打ち消しの表現を伴って用いる。(相手に突き放されてどうしようもない状態を表現。)

六尺棒:

樫(かし)などで作った長さ六尺(約1.8メートル)の棒。防犯・警備・
護身用などに用いた。