長崎街道
長崎街道は、江戸幕府唯一の開港場長崎と小倉・大里を結ぶ、脇街道でした。肥前佐賀藩領では、彼杵、塩田、多良の3道筋に分かれていたため、
宿駅の数は一定せず、
彼杵通のコースだけで25、6ヵ宿を数えました。
長崎街道は、世界の文物や情報を、大阪・京都や江戸そして全国に伝える道であり、また、オランダ商館長や、参勤交代の九州諸大名、文人・商人らも
利用する交通量の多い道としてもっとも重要な役割を持っていました。