サッカークリニック3月号を読んで

私の愛読書の一つであるサッカークリニック05年03月号に、「なるほどな」という記事がありましたので、その記事に関して想うところを書きました。

<高校選手権について>
 高校選手権について総括記事が掲載されていました。内容は以下の通りのようです。

 @地域による強弱の差が縮まった
 A「コンパクトな中盤で守備重視」という傾向がより一層強まった
 B上記守備を、打開できるチームがいなかった

全くもってその通りだと感じます。特にBについては強く感じます。筆者(どなたかは??ですが)は中盤のプレスに耐えきれず、本来は中盤を作って繋ぐチームですら蹴ってしまっていたことを非常に残念に思っているようですが、私だけではなかったようですね、そう思っていたのは。繋げるところでも勝負に拘るあまりに何でもかんでもクリアしてしまう傾向に一石を投じていることも同感です。「星稜を含め、彼らが今後、鹿実や市船の守備を打ち負かすプレーができるようにレベルアップに取り組んでいくことが、高校サッカー(私は高校サッカーだけでなく、日本のサッカーだと思います)のさらなる活性化につながるのではないだろうか。」と述べられていますが、日本サッカーの特徴である中盤の造りに拘るチームが上位に入って欲しいですね。中東やアフリカのチームなど、フィジカルに長けたチーム(高さ勝負や、スピード勝負をしてもなかなか勝てない)を相手にしても、中盤で崩して攻撃を仕掛けられる日本であって欲しいです。

<ベンチワーク語録を読んで>
「流れ」「パイオニア」というお題の2つの話なのですが、非常に共感を得ました。どちらもあまり一般的にはあまり言われないことです。特に後者は、今の流れとは逆行する話です。

「流れ」の方は、ボールを奪った後、パスを繋いでの4本目のパスをミスすることを嫌う柏のMさんの話です。
上記のように高校サッカーでは「コンパクトでプレスの掛かった中盤」が一般的ですが、ジュニアサッカーも同様に中盤がコンパクトです。よって、ボールを取ったらひとまず前に運んでしまう(蹴る)ことが、「勝つ」という意味では最も効率的なのですが、敢えて繋ぐことに拘る指導者も多いと思います。実は、繋ぐサッカーにおいては、ボールを奪った直後が非常に重要なのです。私は子供達に、「ボールを奪った地点が最も奪われやすいのだ」と教えています。コンパクトな中盤でボールを奪うと、回りは人だらけで(敵も味方も)、ぼやぼやしていると一気に囲まれてしまいます。取ったら速やかに、密集地帯からボールを動かさないと、低学年のサッカーのようにお団子になってしまいます。奪ったら、自分で
運ぶのか繋ぐのかを早く判断して、速くしかも正確にボールを動かすことを求めます。(当然、繋ぐ中には、ダイレクトプレーで一気にカウンターを狙うプレーも含まれます。)この時、「早く」「速く」に力点を置きすぎてしまうと、味方に繋がるかわからない不確定なパスをしてしまいます。やみくもに蹴ってしまうなら、潰されて自分のところでボールを奪われなさいと言います。自分のところでボールを奪われることによって、身をもって自分の判断力の遅さ、技術不足を痛感する必要があると思います。ボールを奪った地点で、早く正確な判断が出来れば、例えショートパスでも、質が良いパスを2本も繋げば密集地帯から脱出できると考えます。密集を脱出したところでボールを落ち着かせ、その時、前が良いタイミングで動き出せば、ロングパスでも良いし、ドリブルで行けるのであればそれでも良いと思います。そこからが攻撃だと考えます。Mさんの場合は、私が言うパスが2本ではなく3本と考え、「4本目のパスは余裕がある状態で出せるはずで、そこからが本格的な攻撃。」と考えており、その4本目のパスに非常に拘るのだと思います。また、4本目のパスを出す選手のボールを受けるまで動きについて言及されていますが、これもまた、まさにその通りです。ボールから少し離れた選手には、「3〜5秒後に何が起きるのかイメージしながらポジションを取ったり、準備をしておこう」と子供達には言います。
近年、ダイレクトプレーが最も有効な得点パターンと言われます。それを否定することは出来ません。しかし、
「ダイレクトプレー=前に(あるいはゴールに向かって)蹴る」ではなく、「ダイレクトプレー=究極の繋ぎ」であるべきと思います。

「パイオニア」は、都内の有力チームのNさんの話です。昨今、「子供達には教えすぎは良くない」といことが一般的に言われるようになっていますが、そういう風潮の中で敢えてNさんは敢えて、
「教えちゃうよ、教えちゃった方が早いもの」
とおっしゃいます。記事の筆者は、Nさんは有力チームのコーチなので、勝利に急がされているから・・・ と書いていますが、それは違うのではないかと思います。Nさんはおっしゃいます。
「皆が皆できる子なら問題ないけど、実際出来ない子の方が多い。良質な判断も結構なんだけど、分からない子はいくら待っても分からない。だから教えるのよ。」
これは必ずしも、勝利至上主義で教えているのではなく、教えないと分からない子には、教えた方がその子にとってHAPPYだと考えているのだと私は思います。Nさんの意見に、私は思わず頷いてしまいます。すべての選手が自分で考えて、判断できる子に・・・・ それは理想的にはその通りです。全員が、小野のようにセンス溢れた子であれば、誰も事細かな指示など出さないでいいでしょう、いや、細かい指示は出すべきでないでしょう。しかし、すべての選手がそのようなレベルにないことは明らかです。「自分で考えさせる」と言っても、その子のレベルによって、どこまで教えるか変えて指導するのは普通だと思います。選手はそれぞれレベルが違うので、「考えさせる」レベルというのも選手によって違って然るべきでしょう。その結果、選手によっては今の風潮では「それは教えすぎでは・・・」というところまで教えてしまう場面があっても不思議ではないと思います。(当然、全員に対して、一挙手一投足について全部指示を出すのは問題でありましょうが)
さらに言うなら、基本的なことや一般的なセオリーはすべて教えてしまう。「自分たちで考えるべきは、基本的な部分、従来のセオリー以上の部分だ。本当のイマジネーションはセオリー外のところにあるのだから。」という考え方だってあっても、おかしくはないのではとさえ思います?逆に、あまりに教えなさすぎて、身体能力は高いのに、あまりにサッカーを知らない選手が、埋もれてしまっているうことになりはしないのか?本当のサッカーの楽しみを知らずに辞めてしまっている子が出てきやしないのか?と心配になります。あまりサッカーを知らない選手に、「この場面では、一流選手はこういうことまで考えてプレーしているんだよ」と教えてあげると、「へー、そんなことまで考えてサッカーってやるのかぁ」と驚かれたりします。そいうところまで踏み込んで考えてサッカーをやり始めると、サッカーって面白くなるんですよね。「考えてサッカーしろ!」という指示を受けて、どうしていいかわからずにいる選手って、結構多いと思います。
自主性に任せて自分で考えさせる=教えない(詰め込まないで、自分で自主的に)という構図が、ゆとり教育により学力が低下している現在の学校教育に重なって仕方がないのは私だけでしょうか。。。。

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