体験・メッセージ

きびだんご(匿名・2014.5)

中学2年生女子、症状は不潔恐怖症です。

発症は、小学5年生の12月頃(たぶん)です。
前々からおかしいとは思っていたのですが特に気にせず生活していました。
初めはとなりの男の子が机に触れるたびいつもティッシュで拭いていました。
友達からも「何してるの?」とよく聞かれました。

それから冬休みがあり、3学期が始まった頃がすごかったです。
冬休み前までは気にしていなかったあれこれがとても気になり、家に帰った途端母親に「どうしよう、どうしよう」と泣いていました。
母親はついこの間まで正常だった私を見て、戸惑っていました。
お風呂も大変でした。

足の爪の中に入った靴下の糸くずなどが気になり、お風呂はそれで1時間ほどかかりました。3日くらい学校に行っていましたが、母親に「今日は休みなさ い」と言われ休んだきり学校には行けませんでした。

1月の中旬には、外にも出られなくなり、4ヵ月ほど家にいました。
それからは1日中つま先立ちで歩いたり、物も触れなくなりました。
お風呂は、どこまで洗えばいいのかわからなくなり2ヶ月ほど入っていませんでした。
トイレも一度に3ロールつかったこともありました。
その中でも、一番の楽しみはインターネットで知り合ったお友達とお話することでした。

それでもいい加減治さないとと思い始めました。
簡単にいえば我慢なんですが、とても怖かったです。
手洗いの回数などは50回から1回ずつ減らしていきました。
ソファも座れなかったんですが、座れました。
その日の夜、仕事から帰ってきた父親に報告すると涙を流していました。
それを続け、小学6年生の9月には学校に行けました。
たまたまその年は10月に修学旅行があり、修学旅行も参加できました。

中学校に入り、6年生の時は授業に出たりでなかったりだったので6時間出れるようにしようと思い無理して1日中行ってたんですが、あまりのしんどさに 症状が悪化してしまい学校を2ヶ月ほど休むハメになりました。
ですが、6月に担任の先生から「別室登校してみないか?」と言われそれからずっと別室登校です。
違う学年の方もおり、とても仲良くしてもらっています。

部活の方も行っています。
一番居心地が良く、今年から後輩が二人入ってきてとても賑やかになりました。

今の目標は、一番苦手なのは砂なので、砂を触ることです。
これからも、頑張っていきたいと思います!

ぶれんど・ひこ(匿名・2013.7)

自分の事を話すのはハードルが高いですが、強迫性障害のひとつの体験として知ってもらいたいので、伝えることにします。
自分にはまず、発達障害のベースがあり、幼いころチックもあって、鍵のかけ忘れの確認など、病的ではないにしても強迫の兆しがあったと親からききまし た。
中学生から人間関係がうまくいかず、高校は一度やめて、二十歳のとき通信制で卒業。
強迫症状が本格的にでてきたのは10代の頃、郵便局のアルバイトを始めた頃です。
研修で、アルバイトが郵便物を捨てて逮捕されたというようなビデオを見せられてから、自分が配達中に風に飛ばされたり、故意に落としたのではない場合 も、そうなるのかなぁと思い、不安になったのです。
ポストに入れても下に落ちてないか確認したり、郵便物を左手にもってバイクで運転しているので、風で飛ばされてないか後ろを確認したりして、とても時 間がかかります。周りの人が確認行為もせずスムーズにやるのを見て、初めて自分は何かの病気じゃないかと思いました。

その頃はいろいろ調べても病名もわからず、親が、当時カウンセラーから「強迫神経症じゃないか」と聞いて、インターネットで検索したら、そこにタク シーで人をはねたかどうか戻って確認する症状が書かれていて、自分の行動と一致したのを覚えています。
そのサイトに書かれた行動療法の治療法を見て、要は確認をやめればいいんだ、簡単だ、と思い、独自に行動療法をやりはじめたものの、なかなかうまくい かず、プライベートでバイクに乗っていても人をはねてないか不安になり、道をもどり確認するようになりました。
仕事の場面でも、一生懸命仕事をしていれば大丈夫だと思っていましたが、クレームがきたり、時間がかかり遅いので注意をうけ、すごく悔しくて、もう一 切確認しないと決めて我慢しました。それで成果も出てきて喜んだのもつかの間で、こんどは、郵便物の不在お知らせに恥ずかしいことを書いてしまったん じゃないかと不安になり、その不安が強烈で、仕事を回避するようになり結局辞めざるを得なくなりました。
なにかアルバイトをしようと、強迫が出ないようなものを探しましたが見つからず、責任が発生しない学校に行こうと決め、通信制高校に通い始め、しばら く経ったときです。
今度は、婦女暴行をしてしまったかもしれないなどと加害強迫が出はじめ、公衆トイレなどに近づくと不安で、年齢的にもそんなことを親にも説明できず、 誰にも相談できず悩みました。
それから、再度アルバイトに挑戦することになりました。
前よりマシにはなりましたが、強迫症状によって常に緊張し続けている感じでした。

こんなことを繰り返してきた中で、車の免許をとり運転することはかなり辛かったです。行動療法的にやってみました。人を撥ねてしまったら…と本当に不 安で、確認せずに帰宅してみたものの、すごく不安でふさぎこんだり、両親ともそのことでは堂々巡りのやりとりで、本当にそうだったらどうしようと不 安が強まり、車の運転中確認をせずにいられなくなりました。
戻って確認ということはしないようにしていましたが、ミラーばかりをしょっちゅう見て運転していたり、頭の中で確認しながらだったりで、非常に危なっか しいです。
自分の強迫は、ほんとうに一進一退でした。本や映画を見ているときに確認のため前に戻るとか、借りること売ることなども不安が高かったです。インター ネット全般も不安でした。
最近は、確認行為を一切やらないように心掛けていて、確認強迫はほとんどなくなったと思い、車の運転も普通にできるようになりましたが、確認行為がな くなったと思った現在も、人間関係で、人がどう思ったか、自分がどうとるか?…親しくなればなるほど、嫌われたくないという思いが強くなるので、親し くなれなかったりしていました。 その会話の不安を誰かに質問したくなり、また、聞かなくても、頭の中で自然な感じで確認をしていて、それが確認強迫 だと気づくのに時間がかかり ました。
いま心がけているのは、人と話して人に確認しないようにすることですが、そうすると頭のなかでは会話が繰り広げられていて、頭の中で確認をしてしまっ ています。
根っこにある考え方や知識など、認知の面で見直そうと、現在専門家のもとに通っています。
これから、時間がかかりそうですが、いろいろ少しずつやっていけたらと思っています。

K・T (匿名・2011.5)

私は16歳の時に強迫性障害を発症し、15年が経ちます。
主な症状は不潔恐怖です。一番大変なのは、不潔恐怖のため、一人で外出したり、一人でトイレに行ったりできないことです。
そのため、外出するときはいつも家族に付き添ってもらい、トイレも手伝ってもらいます。汚れてしまうとパニックになってしまいます。
トイレや入浴、着替え、歯磨きなど全てに順序があり、人と違うやり方をし、時間がかかってしまいます。
そんな生活を15年間も続けると、強迫のない自由な生活をしていた頃のことなど、ほとんど忘れてしまいました。
今では強迫のない世界など想像もできませんが、症状を持ちながらも一つだけ頑張れた事もあります。
25歳の時に通信制の大学に入学し、何とか4年間で卒業し、卒業論文も書くことができました。
不潔恐怖で本にも触れなかった時のことを思うと夢のようです。
現在は、通信制大学の大学院に在籍し、週1回のアルバイトとデイケアに通う生活をしています。

ひまわり☆ポップ (匿名・2008.7)

私は、メールなど、文章をつくるということなども強迫観念につながってしまいます。 現在も強迫が完治したわけではないので、どうしてもメールをうったりするのが遅くなってしまいます。
ホームページに一言を載せるということもとても勇気の要ることでした。
自分の言葉が誰かを傷つけてしまわないか?そのことで強迫がでてきたらどうしよう!?という気持ちもありますが、頑張ってひとつ殻をやぶってみようか な、と思いました。
私もいろんな人の本を読んだり、そうやっていろんな人から力をもらって、ここまでこれたというのもあるので、思いきって載せてもらうことにしました。
この会の交流会である「ぼちぼち会」に参加するなかで、ぼちぼち強迫と向き合いつつ、治していければ良いな…と思っています。
「ぼちぼち」ってなんだか、ホッとする言葉ですね。

こころ (匿名・2007.9)

「家族の思い」って何だと思う?と、訊きました。
強迫性障害の子どもを持つ友人は即答で「そんなの病気が治ること!」と。

〔我が子の状況〕
我が子が「OCD」を発症したのは、小学校6年生の時です。でも、その1年ほど前からは少しずつ様子が変わり始めていました。
元々の性格などもあり、親としてはこんなものかなぁという思いと少しおかしいという思いが交錯していました。
そして、ある事が引きがねとなりやっぱりおかしい、何とかしないといけない段階だと強く思うようになりました。
当初は学校にも以前からするとかなりぎりぎり間に合う時間ですが、毎日通学できていました。
ただ、同じような時間に起きても、身支度や着替えにかなりの困難と時間がかかるようになり、遅刻ぎりぎりの時間にしか家をでる事ができず、また、遅刻 するのが凄く嫌な事だったので、家から学校へ大慌てで走って行くという状況でした。
学校に行ってからは、何とか皆に合わせて動いてはいたようです。
この当時困難になっていたのは次のようなものです。
「字を書く」・・漢字の練習がよく宿題にありましたが、少しの線の歪みや止め、払いが気になり、何度も消して書きなおす、1行書くのに30分はかかる というようなありさまで、私がこれでも十分書けているよと声をかけても全然聞く事が出来ず、本当に細部まで正確を求めていた。
「入浴」・・湯船につかる事ができなくなり、シャワーのみ、それでもかなり細かい事にこだわり、だんだんと時間が長くなる。
真冬でもシャワーだけで、長時間入るが、不思議と風邪は引かない、浴室からでて、置いているバスタオルで体を拭く事が出来ない。自分で拭けない。
そして、衣服を着るときに、箪笥から取り出す時周りに触っていないか、ちゃんと取り出せているか、着る時も同じ、何度もやり直す、着なおす、などの症 状として出ました。
その後、髪型が極度に気になる、トイレが今までのように使えない、汚いと思っても自分では触れないから私に拭いてくれと言う、何度も同じ動きをやり直 して周りに触っていないか確認するなど、本当にいろんな症状が入れ替わったり重複したり、また重くなったり軽くなったりしながら現在に至っています。
もちろん、こんな状況ですから学校は、小学校はなんとか6年生の後半を通学しましたが、中学は1年生途中までは何とか皆さんと同じように通学できたも のの、それ以後は行けたり行けなかったりで、ほとんど授業面では受けられていないと思います。
中学の1年生後半からきちんと診断名がついた3年生半ばまでは、心身症的な症状も併発していました。
普通高校へは本人の希望で進学したのですが、やはり病気を抱えている身にはきつかった様で、半年ほどで「通信制」へ変わりたいと希望して翌年受験し直 し転校しました。
我が子は「高校は卒業したい」という気持ちを強く持ち、本当に良く頑張りとおして3年で卒業し、希望する専門学校へと進学したのですが、やはり毎日の 通学が病状から困難なことで、「進路変更したい」と退学となりました。
この病気は数ヶ月単位の波と毎日の波が入り混じり、毎日同じ事を繰り返す日常生活自体を普通に送る事が困難です。
それでも学齢期と、そして発症と時を同じくして始まった思春期を越えてきました。
今振りかえると、親子ともに、必死でとにかく毎日をやり過ごす事に神経をすり減らしていたと思います。
全く周りを見る余裕もなく、またなかなか周りに理解されず、主治医からも適切な親の接し方やアドバイスも無く、本当に疲れきっていました。
この後、我が子は「うつ」症状を併発して家から出る事もままならない状態へと悪化していきました。
親の余裕のない切羽詰った不安定な心の状態が子どもにも影響したのかと思います。
そこそこ波はあっても何とか出来ていた事すら出来なくなり、強迫の症状とうつ症状に翻弄され疲弊憔悴しきっていく我が子を見る事は、これ以上の苦しみ はないと思えるものでした。
そして、今この一番苦しくしんどかった時期を乗り越えて、我が子は病気とその症状を抱えながらも、折り合いをつけて普通に近い生活を送られるところ に、ようやくきました。
大きな大きな波を越えて3年ほどかかり中学・高校期と同じような病状レベルまで戻りました。 年齢的にも成人して落ち着いてきている事と我が子自身が病気についてある程度の理解が深まった事、発症した小学校時代から今もずっと周りに友達がいて くれた事がここまで回復してこられた大きな要因になっているようです。
現在、通院・投薬治療を受けながら、アルバイトで接客の仕事をしています。
そして、同年齢の皆さんと同じような経験や生活に近い事がなんとか出来ているようです。

〔わが子へ〕
あなたが、発症した当初「えっ、なに?どうしたの」「どうなったの」、なにが何だか親のほうも訳けが分からず、当然この病気に対する知識も理解もな く、ただ「どうすれば良いのか」「どこへ相談すれば良いのか」と、親も焦りと不安で一杯でした。
「専門医」などということも考えに及ばず、色々と訪ね歩いた所でも適切な情報・支援など貰えませんでした。
そんな状況で、生まれてからの人生の半分を病気と共に過ごしてきたあなた。
苦しかったでしょう、辛かったでしょう。
親として初期の段階で早く何とかしたいと考えながらも、何も出来ず、助けにならず、ごめんなさい。それが、とても悔しいです。
けれど、あなたは、生きている、懸命に生きてくれている。
OCDという病気に囚われても、苦しくとも辛くとも、症状に翻弄され「しんどい」「何とかしたい」と言いながらも粘っている。そんなあなたを、親とし て誇りに思います。
休み休みでもゆっくりでも良いから、あなたのペースで、あなたのOCDに対する治療が本格的に出来るようになることを願っています。
あなたが、OCDの根本治療と言われる認知行動療法を受けるようになる為のサポートはどんなことでもしていきたいです。
OCDによる儀式行為の辛さしんどさから解放され、コントロールできるようになり、ごく普通の生活が送れる日が来る事を信じ、いつも心に寄り添いそっ と見守っています。

〔年長のきょうだいの一言〕
うつ症状を併発して、かなりしんどかった時期に、「あの子がかわいそすぎる。もっとちゃんと治すこと考えて、本気で親も対応しないと。
いつまで同じことを繰り返させるのか。
私より、勉強でも何でも良く出来たのに、このままでは、あんまりひどすぎる。」

〔親として〕
今考えますと、わが子は、それなりにOCDになりやすい素因を持っていたといいますか、脆弱性を持っていたようです。
幼いころより、神経質、不安がる、こだわりが強い、集中力があるのを通り越してのめりこむ。
これと思うと周りのことが目に入らず、そのことのみに執着する…などです。
周りの同年齢の子どもを持つ方々から「ちょっと考えることが違うね。」 「個性が強いね。」などとよく言われました。
少しずつOCDの症状的なものが見え始め、5~6年かかって、今の不潔恐怖へと移ってきました。
当初、病名もつかず、親の目から見ると「今までとは違う、おかしい、何か違う。」という事に対して、「親の思いすぎ」「考えすぎ」「こんなこと、これ くらいの年齢にはよくあること」など「親の構いすぎ、心配しすぎが悪くしている。」と言われ続けました。
私たち親の「何だか分からないがきっと病気だ。」との訴えに対して、何ら適切な対応・答えは返ってきませんでした。
そして、発症から5年ほど経ち「強迫性」という病名が付いた時「ああ、やっぱり病気だったんだ。性格とかじゃなくて。」と、おかしなことですが、逆に 安堵しました。
今、わが子は、わが子なりに病気のことを理解し、服薬もしていますが、OCDの薬物療法「単剤」「最大量」というところにも至っておりません。
ただ、うつ症状はかなり改善されてきているという状況です。
OCDの治療についての情報はわが子には伝えていますが、なかなか「専門医」による「専門治療」にまでは踏み切れずにおります。
今親としては、できる限り普通の生活を毎日続けること、きちんと自分で通院・服薬を続けること、わが子自身が「もっと良くしたいので、どうしたら良い のか」「その為に行動療法を受けたい」と考える方向へ向かわせる為のサポートを続け、応援したいと思っています。決して、慌てず、焦らず、諦めずに。

〔医療・福祉関係の方へ〕
OCDという病気は、昔からあり、全人口の2パーセントほどの罹患率とか聞いています。
この病気について、正しく理解し、知っている医師、とりわけ「専門医」の少なさ、適切な治療を受けている患者の少なさに落胆しています。
発症年齢が低いほど、家族ごと巻き込み、家族ともども病気に翻弄されて、患者を支える家族をも「心の病」に追い込んでいきます。
初期段階からの家族を含んだ適切な治療・指導・支援が望まれますが、残念ながら、今もってそのような体制は「無」く、患者も家族も疲れて極限での生活 を送っているという方が多くおられます。
OCDの正しい理解のもと医療・福祉・行政の連携したサポートが一日も早く、どこに住んでいても受けられるようになることを願います。
そして、何よりOCDの患者を治療している医師のみなさん、状況に応じて「先の見える、具体的な病状説明」と「治療の方向」を患者が理解できるように 説明して頂きたいです。
長期に及ぶことの多いOCD患者が前向きに治したいという気持ちを持続させることは難しく、その時々気持ちの浮き沈みが「波」としてあります。
それを、言葉をかけることで辛くとも良くしていきたいという気持ちを持続させるという方向へ導いて頂きたく思います。
ある程度有効な薬物(SSRI剤など)と認知行動療法で改善できている患者がいるにもかかわらず、また、昨今の医学書などにも治療法として取り上げら れているのに、実際日本中で、これを病院できちんとした指導の元で受けられるというのは、ほんの一握りの患者さんだという事実に憤りを感じます。
医療行政の遅れでは済ませられない重大な事態という認識を、まず医療・福祉現場の方々に持って頂きたいと切望しています。
10年前の「私」の姿に重なる方に出会うたび、色々な事が思い浮かびます。
私は幸いにも「子どもの強迫友の会」や「OCDの会」に出会え、学ぶ事が出来、強く前向きになれた事に感謝しつつ、会に多くの方が集まり、お互いに 「何か」を得る事が出来、それが「OCD患者本人」を正しく援助する事に繋がればと思います。
わが子は、自身のOCDという病気を通して、私たち親に学ぶ事、考える事を教えてくれ、また、数多くの人達との出会いの機会を作ってくれました。
それは、私たち親の何にも勝る財産となっています。
わが子に深く感謝の気持ちを伝えたいです。
「ありがとう」

ペコちゃん (匿名・2007.7)

現在高校1年の娘です。小4から中1まで強迫の症状に悩まされました。
何十分もかかる手洗い。「私は○○子やなあ」と自分の名前を何度も確認。 玄関につづく数段の階段の昇り降りに何時間もかかり、あげくの果てに家から出られなくなりました。 また、強迫観念で4カ月もお風呂に入れませんでした。
どんどん重症化する娘になすすべがなく、家族で息をひそめて生活していました。
小5の夏、医療機関にかかり、お薬の存在を知り服薬を始めました。徐々に薬の量を増やし、有効量になった時お風呂に入れるようになり、手洗いなどの強 迫行動が薄紙を剥ぐようによくなってきました。
強迫性障害は「うつ」の親戚と聞いたことがありますが、よくなってきたときの不安神経症状は大変なものでした。
不眠、何日も眠りつづける。 リストカットに家中の刃物を隠しました。
あげくのはてに2階から飛び降りて足を骨折しましたが、これで見張っていないですむと思いホッとしました。 あやまって死んでしまわないかいつも神経をぴりぴりさせていたからです。 この頃が一番きつかったです。
それから恥ずかしい話ですが、おもらし。 本人も不思議と自覚がないのです。
結局5年生は全休でした。そんな感じなので学校どころではありません。
でもできるだけ陽に当たって体力をつけようと、毎日車でショッピングセンターや色んなところに出かけました。 一緒に出かけると気も紛れるのか、だんだん元気になりました。
6年生になり、時々は学校に行けるようになりました。
集団生活はとても疲れやすいみたいで、行っても保健室登校でしたが、公的な制度を使って週1回学生ボランテイアの大学生に来てもらい、共に学習したり してもらえたことはありがたかったです。
小学校の配慮のおかげで、修学旅行や卒業式の行事にも参加できました。
そして中学1年の春、本人が言い出して、医師に相談のうえ、薬を中止しました。
徐々に薬に対する依存性も無なってきていたのか、あれから3年がたちますが、お蔭様でその後も再発することなく元気に生活しております。 学習にも支障なく、高校受験にも挑戦し、希望の高校に入学することができました。
娘は、強迫の症状があったときのことを思い出すのは大変しんどいらしく話題にしませんが、いつか何かの形でお返ししてね。
しんどい時、たいへんな時、支えてくださった会の皆様、ほんとうに有り難うございました!

すもも (匿名・2006.1)

48歳、男性です。
28歳のころ、職場の人間関係で悩み、ある時期に不眠が発症し、3か月間も続きました。そのときは、薬が合ったのか治りました。
カギや財布の確認などの強迫症状が、いまだに続いています。 今は無職です。趣味は、コーラスをやっています。
これからの要望は、強迫性障害のことを全国にアピールし、相談する場所を多くしてほしいです。

ひまわり (匿名・2006.1)

息子は35歳です。現在も強迫性障害をかかえています。
  3~4年前から便秘がひどくなり、それをうったえて、開業医をおとずれました。 そこで、心療内科へ、と云われ、3週間の通院がはじまりました。  便秘に対して、とてもこだわりがつよく、精神科へ通院をはじめました。
その間、摘便行為を始めるようになりました。摘便で排便をしているのに、便が出ないと思い、便に対するこだわりが強く、部屋中を汚物で汚し、最近は、 小水を部屋にするようになりました。
父親との衝突をくりかえしています。生活に対する不安感がつよく、自分の生きる目的が見つからず、自殺願望があり、新聞がくれば、一番に死亡事故等の 記事を見て、自殺者数を3万、4万人・・・と、言っています。
ガイドヘルパーさんに(月に34時間)来ていただいています。
胃腸科の病院のドクターツアーを続けていて、そのため、多くの人の意見にふりまわされているかもしれません!? 

あんあん (匿名・2005.3)

息子で12歳男児。脳性まひ・てんかんもあり、養護学校小学部に通っています。
家族は、父・母・妹との4人で暮らしています。成人した兄弟は別居しています。
強迫性障害の発症は7歳頃かと思います。元々こだわりが強いほうではありましたが、問題行動が出現しはじめたのは、その頃です。
発症の状況はというと、学校生活の中での事故や、親戚との外食中に起こった出来事による、強い恐怖心からか、確認行為がはじまり、後にはそれが儀式化 していくことになりました。
強迫については、儀式化している確認行為をはじめ、自傷行為、他傷行為を含む反社会的行為が、パターンとして50近くは有ると思います。主症状は3パ ターンほどで、これについてはどんなに落ち着いている時でも出現しない日は無いです。症状が進んでくると他者への巻き込みもひどく、特に妹がその的に なってしまい、暴力や暴言もあり、非常に衝動的になります。
2年ほど前からは、他府県の小児心療センターヘ入退院を繰り返しています。退院している時は、遠方ですがそちらに2週間ごとに通院しています。
症状に波もあり、日々、予測のつかない“その日暮らし”のような毎日ではありますが、退院している現在は、同じ屋根の下で暮らせることを嬉しく感じる 今日このごろです。

月の光 (匿名・2005.3)

10代後半の息子が強迫性障害です。
中学3年ぐらいから手を洗う時間が長くなってきて、受験の時期からが特にひどくなりました。姉がいます。
現在はある程度まで落ち着いてきていますが、一人では外出できないので、家でオンラインゲームをしているか寝ているかです。
春ぐらいから、走る事を考えているみたいです。
親のおもいは、はやく一人で行動できるようになってくれたらいいなと思っています。
まあ、ぼちぼち、つきあっていこうと思います。

黒チビ (匿名・2005.3)

中学2年生頃に、朝、お腹が痛いと言って登校できない日が何日かありました。
この頃から、肘の辺りを気にする奇妙な動作が増えました。我々、親は、強迫性障害ということについて知識もなく、年月だけが経過。途中、精神科などを 受診するも、結果がともなわないこともあり、医者に対する不信感が強く、かなり症状が軽減したとはいえ、昼夜逆転の生活は改善がありません。特に、花 粉症の季節に大きく体調を崩しては、せっかくよくなりかけた状態も元へ戻ります。 こうした繰り返しで、発症から15年くらいが経過しました。
目下、医者に対する不信感を取り除くことと、相性が良い医者と出会えることができるよう、この会に参加しました。

ノリノリ (匿名・2005.3)

娘は15歳で、三人姉妹の二番目です。発症は、11歳になって間もなくのことでした。
子どもが病気をしてから私自身も勉強しなくてはと思い、後に読んだ本で、発症の数ヶ月前から、いろいろと信号を送ってくれていたことがわかりました。
でもその時は、そんな病気があるということすら知らなかった状態で“ある日やって来た”という感じでした。
きっかけの原因は友だち(クラスの)でした。
ある特定の子どもに対しての“バイ菌タッチ”という酷いいじめの中で、娘は、いつのまにか、いじめられている子どもさんが本当に汚いのではと思うよう になったみたいです。
後は、それを否定しようと思うものの、どうにもならず、教室の中すべてが汚れて見えて、教室に入れない状態になりました。
それからは、発症して2週間ぐらいであっという間にひどくなり、学校に持って行った物はすべて汚れていて、その汚れが家にも付いていると言って、家の 中でもどこにも居られなくなった状態でした。
それで家も飛び出してしまい、探すこともしばしばで、子どもが寝入ってくれるまで目が離せない状態でした。
手洗い回数も異常で、何かをする度に手を洗うという行為の繰り返しで、タオルは使えず、キッチンペーパー・ティッシュは一日でゴミ箱一杯になりまし た。
現在は入院し、本人の努力もあり、その症状も落ち着いてきたものの、周りの目を異常に気にしたり、自分の欲しい物やしたい事がやりたい時にできなかっ たら、いつまでもこだわったりします。
また、ちょっとした言葉ですごく傷つき、言葉が出てこなかったり・・・と、まだまだ問題は山積みです(これもすべて、強迫症からくる強迫行為を相当ガ マンしているから出てくる症状らしいですが)。
とにかく、“あせらず、あせらず”の気持ちで、親子共々ガンバッテいます。

流れ星 (匿名・2005.3)

息子は30歳をすぎました。今から考えると、発症時期は、思春期ごろだったと思います。
細かい事にこだわっていて、家族をふりまわしていました。
現在は、ほとんど寝ていて何もせず、何をするにも時間がかかる状況です。
そういうことから、食事も2日に一回くらいしかとりません。
一人では、とても生活できない状態です。
なんとか一人で生きていけるようになってほしいと思っています。