新穀町のお不動さん
 新穀町のお不動さんは毎年、7月27日に宵宮が開催されています。このお不動さんは昭和初期に新穀町に遷座され、それから毎年近所のおとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃん、こどもたちがいっしょになって宵宮が開かれています。
 昭和初期、現在の市役所は馬のせり市場、その周りは寿座や歓楽街で全国から人々が集まり、たいそう賑わったそうです。その後この街には商売を行っているお店がほとんど無くなってしまいましたが、当時は染物屋、ふとん屋、雑貨屋、小間物屋、煙草屋、下駄屋、ハンコ屋、塗師屋、畳屋、服屋、看板屋、洗濯屋、宿屋、鍛冶屋、魚屋、花屋、菓子屋、八百屋、果物屋、床屋、車屋、せともの屋、金物屋、荒物屋、塗物屋、呉服屋、古着屋、湯屋、酒屋、米屋、味噌屋、食物屋、飲屋などのお店が連なっており、そのお店の旦那が集まってお不動さんをお迎えしたようです。昭和30年代の宵宮はカーバイトを点けた露天商が沢山集まり、小屋を組んで演芸会を行った時期もありました。本尊は二尺の大変立派な立像で、昭和初期にお参りの人々に配られたお札は、そのお不動さんの本尊を写したもので非常によく似ています。そして修験道の開祖、役行者(小角)の座像と仏さまの像が合わせて奉られております。遷座当時や昭和初期の資料が見つかり平成24年に開館した「まち博2号館」に展示されています。
 この絵は昭和初期に参詣の皆様にお配りしたお札を復元したものです。たぶんご本尊を写したものだと思います。非常によく似ています。ご本尊の隣は修験道の開祖、役行者が奉られています。そして仏像や仏具も奉られております。

 黒澤尻西地区センターの資料にはこのように記載されていました。
黒沢尻西公民館二十五周年記念誌 黒沢尻西地区 町のゆかりたずね歩き 平成十二年十月一日
お不動さん(不動明王)の由来
 新穀町の西端、専修大学北上高校々舎前にお不動さんがある。ご本体は、二尺の立像であり、製作年は不明である。数年前までは、旧国道一○七号線の南側にあったが、区画整理により現在は北側に移されている。
このお不動さんは、昭和八年八月、時の新穀町至誠会員が協議した結果、江釣子村高橋嘉義氏宅に安置されている不動明王を、当町の守護神として安寧を祈願し、社を建立して遷座したものである。この不動明王については、次のような由来が残されている。
 明治二年( 1869 年)、不動明王を所持すするようになって十二代目にあたる方の記録によれば、「元亀元年( 1570 年)法尊僧都(煤孫円覚院)が大峰にて修行の後、黒沢尻鴻の巣(現在の黒岩白山神社北東周辺か)に紫雲山泉照院を建立して祀る。五代目義尊僧都の時に泉照院が焼失し、貞享年間(1684 〜1687 )黒沢尻本町に建立 して遷座した。その後、元禄年間(1688 〜1703 )に六代目義祐僧都の代に裏町に移り、明治二年まで十二代にわたり伝わった。」盛時には、後藤、藤根、長沼、滑田、竪川目、横川目の六ヶ村を霞場として信仰を集めた。江釣子村に移された 時期は不明である。※ 霞場 神主や修験者が、祈祷を引き受けたり御札を配ったりする縄張りの地域
 お不動さんは、大日如来の使いとされる仏様です。お不動さんのほとんどは修験道の行者が建てたものと伝えられ、日本古来の宗教、神仏混淆の修験道は、真言密教の呪文を唱え、大日如来やお不動さんを招来したと言われています。

 修験道は日本固有の宗教で、山を聖域、あるいは他界と見なす山岳信仰に、陰陽道、道教、仏教などが合わさって形成されています。開祖は役行者小角であると言われ、行者は鬼神を使い、孔雀明王呪を唱えたといわれています。修験道の行者は、山中に籠もり苦行を重ね、神仏との交流を図り、あるいは経文(呪文)を学び、また山中にて生きる知識を持って薬の調合や、あるいは様々な呪術を使い、平安末期、天台、真言密教の隆盛とともに山岳修行者が激増、鎌倉時代、原始の山岳信仰から修験道へと発展。江戸時代、「山伏法度」が定められ、山伏の定住が義務づけられ、世俗化がすすみ、教義が整備され、教団として拡大しました。さらに時代が下り、明治5年には修験道自体が政府によって廃止されました。
 山は典型的な「他界」であり、そこで暮らし、あるいは修行を行う山伏は正に異人であった訳です。修験とは、「行を修して験を得る」の意味であり、修験者は「験」、すなわち超常的な力を得るために山中の岩屋に籠もり、あるいは山林を駆け巡るなどの壮絶な行を行いました。これらの行は、室町の頃に体系化され「十界修行」となりました。
地獄行・餓鬼行・畜生行・修羅行・人間行・天の行・声聞行・縁覚行・菩薩行・仏
地獄行 床固め 小打木と呼ばれる木で自らを打ち叩き、自らを大日如来であると観想する行。
餓鬼行 懺悔 密室に入り、先達に五体投地して礼拝し、罪の懺悔をして懺悔文を読誦。
畜生行 業秤 両手を縛り、その体をつり上げ秤にかけて罪業の重さを量る。
修羅行 水断 水の使用を禁じられる修行。
人間行 閼伽 先達から散杖で水を注がれ煩悩を洗い流し、水の使用を許される。
天の行 相撲 相撲を取り、地霊を鎮める行。
声聞行 延年 扇を持って舞う天道快楽の修行。
縁覚行 小木 小木と呼ばれる木を拾い集めて護摩を焚く行。
菩薩行 穀断 穀断の行。
仏 正灌頂 柱源護摩。先達から秘印を授けられて自ら仏となる。
 この10段階の修行により、新参修験者に生まれながらに仏性を宿していることを教え、同時にその仏性を覆っている罪業を自覚させ、修行により罪
業を滅除し、そして仏に生まれ変わらせることを目的にしています。
 修験道の魔除け「臨兵闘者皆陣裂在前」九字を行う際に、九字とともに印を結び、最後に籠目を切る場合が最も複雑なものですが(主に修験道、真言密教での正式な九字です)、単に九字とともに籠目を切ることを特に「早九字」と言うこともあるようです。修験道では九字は護身法であると同時に、有力な調伏にも活用されました。普通、九字の後は、単なる気合いや、あるいは何もないのですが、修験道では九字の後に、十字目を唱えることで、様 々な効果を得ることができるといいます。
 修験道の本尊は様々にありますが、最も有名な、役行者が祈り出したと言われる蔵王権現がこの不動明王の化身(垂迹)であると言われています。 梵名を「アチャラナータ」と言い、「阿遮羅嚢他」と音写されますが、それよりもその原義である「動かざる守護者」あるいは、「動かない者の守護者」を漢訳した、不動、あるいは無動尊などの方が有名となっています。
 本来、梵名はシヴァ神を意味したのですが、仏教に取り入れられ、特に密教では大日如来が衆生の教化のために憤怒身となった大日如来の使者としての性格が与えられ、明王の中で最高のものとなりました。一切の煩悩を焼き尽くす「火生三昧」を本体とする、煩悩、悪業を滅却する尊でもありますが、大日如来の化身であるためか、清浄な心で祈ればあらゆる加護が得られると言います。また、修行者を加護し、行を達成させる慈悲の存在でもあると言われているため、天台系の回峰行では必ず不動明王の真言を唱えると言います。
 修験道の本尊は基本的に(つまり、多数の例外があるにも関わらず)、不動明王(=蔵王権現)です。そのため、修験道の基本的な呪法は不動法で、 修験者は不動明王を招き、供養し、そして一体と化すことを観じて修するのです。この不動法は加持祈祷、護摩、諸供作法、諸尊法、祭りなどの修法の 根本をなすものとなっています。この不動法の中でも最も有名なものが「不動金縛りの法」で、不動明王の持つ索で、悪霊は言うに及ばず、死霊、物の 怪などの怨敵を呪縛し、調伏した上で除災招福を計るものです。この「不動金縛りの法」は、かの役小角が一言主の神を呪縛したときに用いられた呪法であるとされ、修験道では一般的に用いられています。また、この不動金縛りの法にもかなりのバリエーションが存在し、不動明王自身ではなく、その眷属である護法童子(あるいは、脇侍の衿迦羅、制多迦)を使って呪縛したり、あるいは五大明王で呪縛するなどがあります。
お不動さんと鬼剣舞
 この地方には古くから鬼剣舞という民俗芸能があります。詳しくは分かりませんがお不動さんとも繋がりがあるような説があります。鬼剣舞は念仏剣舞の一つと言われ、太刀や扇子を使い勇壮な舞で、異形の鬼装束は仏の化身、修験道の祖、役行者が念仏を広めるため、念仏お唱えながら踊ったのが始まりとか、羽黒山の行者が悪霊退散・衆生済度の念仏踊りとして伝えられたのが始まりとも言われています。修験道の鎮魂呪術に反閇(へんばい)というものがあるそうです。陰陽道の呪術的歩行で「大地を踏み悪魔を踏み鎮め、場の気を整えて清浄にする目的で行われる舞い」なそうです。反閇(へんばい)が剣舞に代わってのではないかなど、様々なことが言われています。鬼剣舞の鬼の面は青(東:春:降三世明王)・赤(南:夏:軍荼利明王)・白(西:秋:大威徳明王)・黒(北:冬:金剛夜叉明王)・黄(中央:道化面:不動明王)があり、口が開いている阿(あ)と「口が閉じている吽(うん)の面があり、色は陰陽五行説による四季、方位を表すと共に五大明王を表し、仏なので鬼面には角がないと言われています。お不動さんと修験道、そして鬼剣舞と日本古来の山岳信仰と外からの宗教が結びつきがあったのかもしれません。反閇とは陰陽道の呪術のひとつで、術者が独特の足の運びで大地を踏むことで、魔物を退ける呪いです。修験道でもかつてこの反閇は広く行われ、修験者は村々に赴いては反閇を行い、村落を踏み清めたといいます。その反閇を踊りに化したのが、剣舞。大地を踏みしめる力強い独特のステップは、見る者の目を奪います。さらにこの退魔の踊りを一層強力なものとするのが、手にした剣と異形の面です。前述したように、この面は仏様、正確には五大明王のお顔といわれています。憤怒に満ちた形相は、まさに角の無い鬼。勇ましくも猛々しいこの踊りが安倍貞任はじめとした武将に大変好まれたというのも、うなずけます。