コレクション考
コレクションするって なんなのだろう? と自問していたのは
まだ始めたばかりの頃で いろいろ迷いがあった時だったような気がします。
しかし そこは
折り紙つき・筋金入り・B型マイペース人間の のこと。
「いいじゃないの 楽しけりゃ〜」 という いけ いけ ムード で乗り切り
今では こんなホームページまで作ってしまうほど 明確な位置づけができました。
ポストカードなんて 少しずつお小遣いを貯めれば
小学生にでも できるコレクションです。
ではありますが そこらへんに山とあるカードでも 枚数が増すにつれ
何かコレクション自体にパワーが産まれてきたような気がしていました。
そんなとき 荒俣宏さんの著書 『ヨコオ論タダノリ』 平凡社 が刊行され
さっそく読んだ は やっぱり!と 納得したのです。
コレクションについての章 「瀧が来た!」 から 抜粋させていただくと
「いったい 何が悲しくて、こんなにたくさんの瀧のカードばかり
集め狂わなければならないのか。
苦悩はないのか 反省はないのか?
と 真剣に問いかけたくなる。
しかしコレクターご当人は いたって無邪気なのである。
中略
瀧のある景観について深く思索をめぐらすのではなく
ポストカードを頭からあびて 紙のシャワーの刺激を味わう。
そんな感じなのである。
大脳はむしろ 圧倒的な枚数を前にして
麻痺してしまっている。
はじめから結論づけるようだが
横尾さんにおけるコレクションという行為の真相は
そういう肉体的なことなのである。
ところで 瀧なら瀧というテーマが
単なる思考の対象では収まりきらなくなり
ついに 物理的な刺激となって
頭の上から降りだしてくるためには
二つの条件を必要とする。
第一に 量
すなわち コレクションと呼ぶにふさわしい数量がなくてはならない。
こう書くと 一流のコレクションに必要なのは
量ではなくて質だろう と反論する向きもあろう。
しかし質は大脳にしか奉仕せず だいいち大盤振る舞いを許さない。
無駄とか無意味とかを生み出せない。
その点 量はシャワーとなって肉体を刺激し あふれかえる。
無意味も有意味も 何もかも その中に共存させ得る。
そして次に
固執したり追求したりしてはならないことが 二番目の条件となる。
コレクションは 追い回してはいけないのだ。
むこうから自然にあつまってきてもらう。
中略
こうして 一万二千枚の絵はがきは
横尾忠則さんに啓示をもたらした。
これを読んで何故 やっぱり! と 思ったかというと
コレクションは 量だ ということ。
まだまだ啓示を受けるほどの量ではないにしても
たとえ啓示は天才のみに下るにしても
その片鱗のようなものは 凡人にも感じとれると思うのです。
コレクションする日々が楽しい というのも 量が産むパワー。
データを入力しなくちゃ♪ ファイルの整理をしなくちゃ♪
美術展に行かなくちゃ♪
図書館で美術書を調べなきゃ♪ ネットで検索しなくちゃ♪
フィールドワーク (カードを取得する作業) に出かけなくちゃ♪
と ウキウキし
一枚一枚 新しいカードをみつけた時の喜びが
即 エネルギー源となるのですから
このコレクションが 悪い道理はないのです。
まして ヴィンテージものでもない ごく一般のポストカードとなれば
手に入りにくいために固執する
追い回す 騙される 悔しい思いをする 財を失う
などとは いっさい無縁。
ポストカードはエフェメラ(蜻蛉)のようなもの
いま捕まえなければもう二度と出会えない
などと突き詰めず
ま、ご縁のものですから・・・と
おっとり構えるのも ポイントでしょう。
そんなに集めてどーするわけ? と
よく質問され困っていたのですが
この本を読んで
そうだ! 答えなんていらない
ただひたすら集めればいいんだ と悟ったのです。
コレクションするとは そういうシンプルな行為なのです。
・・・だから見せるの嫌だったんだ
何のために集めるの? だってさ。 高く売れるの? ともいった。
好きだからにきまってるじゃないか。
意味なんかないんだよ。 コレクションは自分自身なんだ ・・・
↑これは辰巳渚著 『暮らす!』技術 宝島社新書
という本の抜粋です。
はじめに著者が 『捨てる!』技術 を出版したとき
コレクションをいらない 物 として切り捨てるのか!
との反論が寄せられたのだとか。
それで 次に出したこの本で
意味のなさが大切なことはたくさんある と述べ
ただ それをはっきり自覚できているかどうか
が 問題と指摘しています。
その通り!
コレクションというのは 自覚しなければ集まらないわけですから
もちろん 捨てる対象にはならないし
その人にとって 大切なもの 心のよりどころになるもの ですから
それはゴミではなく 立派な 存在価値があるので〜〜す!!
(って 誰に向かって言ってるのかな?)
ま このコレクションカードを前にすれば
たいていの人が 呆れた顔をするのは仕方がないことです。
が 6000枚を越えたある日
コレクションを始めて以来 初めて
とても嬉しい出来事がありました。
たまたま我が家を訪れた知人から なんと
このコレクションを 褒めていただいた(←敬語)のです。
オリジナルなテーマで
ただひたすら 労力 のみを使っての コレクション。
そこがたいへん好感もてるし
元来 コレクションとは そういうものなのでは・・・
との 暖かいお言葉でした。
ばんざ〜〜〜い!
2012年8月5日付けの朝日新聞に
荒俣宏さんの 仕事力 という記事がのっていました。
のコレクションが13年目を目前に
ちょうど7000枚を突破した頃です。
荒俣氏の 趣味について語る言葉には
いつもいつも 励まされます。
少し抜粋してご紹介しますと
大好きなことを 本業と平行して追い求めていって欲しい。
何故ならそれが 異なった状況で知恵になることがある。
狭い趣味の領域に閉じこもっているなら
オタクと呼ばれるだけかもしれません。
しかし 自分の周りには
外に開かれた複数の窓があると思い描いてください。
関心領域の窓を開けていくのです。
あなたの趣味のフィルターを通していくと
それは誰もが持っている一般情報ではなく
あるキーワードによって貫かれた 「強力なオンライン」 になる。
他の人に聞いても出てこない分野を開いていくのです。
周りからなんと言われようと
自分の好きな無駄なことに 労力と時間を使いなさい。
なぜなら世間が考える仕事の常識とは異なる無駄にこそ
ポテンシャル・潜在価値 が眠っているからです。
無駄には 実は伸びしろというか
自分の新しい道を拓く可能性があるのです。
人間には お金がなくても投資に回せる資源がある。
それは 時間 です。
関心のある好きな分野に きちんと時間と気持ちを注ぎ
「こんなことを知っているのは君しかいないよ」
といわれるポジションを とりにいってください。
は もはや 就職を目指す若者ではありませんが
この荒俣氏の 『伸びしろ』 と言う言葉には
どんなに歳を重ねても 心に響く力があります。
これこそ コレクターの究極論なのではないでしょうか。