このホームページの主要部分は、1986年に私がスキーを始めて以来の、すべてのBC(バックカントリー)スキー記録をシーズンごと及びエリアごとにまとめたものです。 3年前の2018年4月に、主に中国山地でのステップソールスキー(スキー板の裏にウロコ状の滑り止めが付いたスキー)を使用した山行の記録をまとめたホームページを開設していましたが、このたびそれを大幅に改訂しました。 ウロコ板の活動が多くなったのは、2015~2016シーズンに、それまで持っていた細長のウロコ板に加えて、幅広(トップ120mm・センター88mm)のウロコ板を購入して以降で、それ以前はウロコの付いてないノーマル板での活動がほとんどでした。一方、活動エリアは、近年は中国山地にとどまらず、東北や北海道など、全国に広がってきました。 この改訂は、私のこれまでのBCスキー活動を包括的に整理し、過去の記録に簡単にアクセスできるようにすることで、今後の私自身の活動の指針にもなると考えてのことです。 また、ノーマル板や中国山地以外での活動記録も掲載することにより、より一層同好の皆さんの参考にもなればと思っています。 BCスキーと並んで私の登山活動の中で大きなウェートを占めてきた高校登山部の活動についても、このページの末尾に付け加えました。 さらに、高校登山部関連に含まれない個人山行も付け加えました。これにより、私のすべての登山活動がほぼ網羅されることになります。 高校登山部関連山行ならびに個人山行一覧のほかにBCスキーも含めた私のすべての山行を山ごとに整理した一覧も作りかけましたが、とりあえず全国各地の大まかなエリアごと(私のホームグランドと言える中国山地西部および広島市とその周辺については山ごと)の登山をまとめた文章を『ヤマレコ日記』にシリーズで投稿していますので、このページの末尾にリンクを付け加えました。 |
1955年2月、広島県の因島市(現在は尾道市と合併)に生まれ、高校時代までそこで過ごす。 2018年3月まで35年間広島県の高校教員を務め、最後2年間ハーフタイム再任用となるまで32年間各校の登山部・ワンダーフォーゲル部の顧問を務めた。 スキー歴は教員になって3年目(1986年2月)にスキー修学旅行に生徒を引率し、そのとき生徒と一緒にインストラクターに指導を受けて以来。登山が好きだったので、すぐに山スキー(バックカントリースキー)も始め、1998年からはテレマークスキーも始めた。 バックカントリースキーに夢中になったのは2010~2011年のシーズンからで、2015~2016年のシーズンからは幅広のステップソールの板(ウロコ板)を愛用している。 ホームグラウンドとしているのは、広島県を中心とする中国山地の山々だが、残雪期には中部地方や東北の山にも出かけたりしている。また、2019年からは北海道にも遠征するようになった。 定年退職翌年の2016年2月に『中国山地のバックカントリースキーと高校登山部顧問の30年』(A4判120ページ)を自費出版した。(この自費出版本については、表紙の写真と目次および各部の内容のリンクを下に掲載していますので、そちらからご覧ください。) 広島市南区在住。家族は妻と娘1人。2017年7月に購入した赤色のCX-5が愛車で、屋根にはスキーを積むための(やはり赤色の)ルーフボックスも載せ、バックカントリースキーに出かける際のよき足となっている。 なお、このホームページに関して質問等がある場合は、多くの山行記録をリンク付けしている『ヤマレコ』サイトのメッセージで連絡が取れると思います。あるいは個々のヤマレコ山行記録にコメントを頂いてもよいかと思います。 (以下、2024年6月追記) 2年前となる2022年7月下旬に妻が難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、以来、何日間も遠方に出かけての山行は難しくなり、病状の進行とともに今年の春ごろからは近場での泊りがけの山行も難しくなりました。今後の私の登山活動がどうなるかわからないところですが、可能な限りで登山を続けて行きたいとは思っています。 |
● 中国五県の標高1000m以上の山で、国土地理院地図に山吊記載がある山のうち、スキーで登頂&滑走した山の数 (注)大山の剣ヶ峰・天狗ヶ峰・弥山[大山頂上]は合わせて1つでカウント (スキー以外で登った山を加えると、96座) 詳細については次を。 ● 中国山地でスキー登山&滑走した山の数(兵庫県の1000m以上で山吊記載がある山、および1000m未満や地理院地図に山吊記載がない山も含む) 詳細については上記および次を。 中国山地でその他にスキー登山&滑走した山(1000m未満・地理院地図に山吊記載がない山) ● スキー登山&滑走をした回数(中腹からの滑走も含む) 詳細については次を。 ● 中国山地で最も多くスキー登山&滑走した山(中腹からの滑走も含む) |
恐羅漢山 45回 深入山 39回 大山(注1) 31回 鏡ヶ成(注2) 29回 もみのき森林公園 28回 |
県民の森(注3) 25回 氷ノ山・三ノ丸 16回 吾妻山 14回 三瓶山(注4) 13回 十方山 11回 |
大佐山 11回 臥竜山 9回 道後山・岩樋山 9回 羅漢山・法華山 8回 |
(注1)剣谷・振子沢・三ノ沢・槍尾根南斜面・奥大山スキー場を含む (注2)烏ヶ山カーラ谷・象山・擬宝珠山・1230ピーク・東山・他 (注3)ひろしま県民の森(竜王山・立烏帽子山・池ノ段・比婆山・烏帽子山・毛無山・伊良谷山・牛曳山) (注4)男三瓶・子三瓶・女三瓶・大平山を合わせて ● 中国山地以外で最も多くスキー登山&滑走した山(中腹からの滑走も含む) |
栂池周辺(注1) 13回 鳥海山(注2) 10回 乗鞍岳(注3) 10回 立山(注4) 7回 |
月山・姥ヶ岳 5回 富士山 5回 北八甲田(注5) 4回 羊蹄山 4回 |
御岳 3回 朝里岳 3回 唐松岳・八方山 3回 十勝岳 3回 |
(注1)白馬乗鞍岳・天狗原・フスブリ山・西鵯峰・栂池自然園 (注2)七高山・文珠岳・扇子森・三峰・千蛇谷 (注3)剣ヶ峰・朝日岳・富士見岳・位ヶ原 (注4)室堂山・一ノ越・別山乗越 (注5)大岳・硫黄岳・RW山頂・高田大岳。(南八甲田も加えれば6回) 山域別滑走回数ランキングの詳細については 上記の『滑走回数ランキング(中国山地および中国山地以外)および滑走回数合計』を参照 ● シーズン別滑走日数(山麓のみの滑走も含む) トータル613日 |
1985~1986シーズン 6日 1986~1987シーズン 5日 1987~1988シーズン 1日 1988~1989シーズン 8日 1989~1990シーズン 9日 1990~1991シーズン 9日 1991~1992シーズン 6日 1992~1993シーズン 5日 1993~1994シーズン 5日 1994~1995シーズン 5日 1995~1996シーズン 2日 1996~1997シーズン 0日 1997~1998シーズン 3日 |
1998~1999シーズン 7日 1999~2000シーズン 41日 2000~2001シーズン 7日 2001~2002シーズン 3日 2002~2003シーズン 9日 2003~2004シーズン 2日 2004~2005シーズン 3日 2005~2006シーズン 2日 2006~2007シーズン 0日 2007~2008シーズン 1日 2008~2009シーズン 1日 2009~2010シーズン 7日 2010~2011シーズン 40日 |
2011~2012シーズン 33日 2012~2013シーズン 13日 2013~2014シーズン 38日 2014~2015シーズン 40日 2015~2016シーズン 25日 2016~2017シーズン 31日 2017~2018シーズン 39日 2018~2019シーズン 37日 2019~2020シーズン 33日 2020~2021シーズン 47日 2021~2022シーズン 60日 2022~2023シーズン 17日 2023~2024シーズン 12日 |
こうしてみると2010~2011シーズンから急激に日数が増えているが、これはこのシーズンの初めにテレマークスキー道具一式を新調して再びBCスキーが面白くなったためである。ただし、2012~2013シーズンは雪が少なかったのと私自身の体調が万全でなかったので、日数が少なかった。また、2022~2023シーズンは家庭の事情により少なくなった。 2010~2011シーズン以前では、1999~2000シーズンがとびぬけて日数が多いが、1996年のひろしま国体が終わり、個人的な登山活動を行う余裕ができたため、また1997~1998シーズンからはテレマークスキーも始め、その練習によく出かけていたためだろう。(当時の勤務先が現在の廿日市市の少し山間部にある佐伯高校で、冠高原やもみのき森林公園といった雪のフィールドまで車で30分前後と平日の放課後でも手軽に行けた。) また、子どもが小さく(4歳)、家族でもよく雪遊びに出かけ、妻とはクロスカントリースキーで一緒にスキーハイキングをすることもあった。(クロスカントリースキーもテレマークスキーを始めてまもなく購入。) さらには、このシーズンに学校の登山部の生徒にクロスカントリースキーを体験してもらうことを始め、これはその後クラブ顧問の最後の年になる2016年までほぼ毎年のように続けた。 1999~2000シーズン頃の家族または単独スキーハイキングおよび1999~2000シーズン以降の登山部クロスカントリースキー体験のまとめについては次を。 |
2021年2月21日、北海道の十勝岳で、私の30数年のBCスキー歴で最大のピンチとなる事故を起こしてしまいました。幸い北海道警察救助隊に無事救助され事なきを得ましたが、今後二度とこうした事故を起こさないための教訓とするため、事故原因を分析し、その他の反省点も付け加え、ヤマレコの山行記録や日記などで公開していました。そしてそれらを改めて整理し、事故に至るまでの経験や最大の失敗原因ならびに生還の決定的ポイントなどを加筆し、改めてヤマレコのヤマノートで公開しました。皆さんの登山活動への参考にもなればと思い、そのリンクを掲載しておきます。 |
筆者プロフィールで紹介した自費出版本の第3部よもやま話では、『バックカントリーとは少し外れる四方山話』として、高校登山部やインターハイ登山大会などに関連する話題に触れています。 このホームページはバックカントリースキーの記録をまとめたものですが、私の登山活動の中で大きなウェートを占めてきた高校登山部の活動についても山行記録をまとめ、また、登山競技(インターハイ登山大会における審査基準)なるものについて解説してみました。 さらに、私のすべての登山活動を網羅すべく、高校登山部の活動に含まれない個人山行についてもまとめてみました。 また、多くの回数登った山については、今後、山ごとの一覧も作成してみます。(2023年10月) 以下のリンクからご覧ください。 |
上記で触れた『多くの回数登った山についての山ごとの一覧』はまだ未完成ですが、2024年2月以降、全国各地への登山をエリアごとに振り返り、私のホームグランドと言える中国山地西部と広島市およびその周辺の主な山への登山を振り返る文章を『ヤマレコ日記』にシリーズで投稿してきましたので、以下のリンクからご覧ください。 【全国各エリア】 ①北海道エリア ②東北エリア ③関東・新潟(中越)エリア ④中部(甲信/上越・北陸・東海)エリア ⑤中国地方以外の西日本(近畿・四国・九州)エリア ⑥中国地方東部エリア 【中国山地西部】 ①恐羅漢山一帯の山々と奥三段峡 ②十方山一帯と細見谷 ③深入山 ④高岳と聖山 ⑤臥龍山と八幡高原 ⑥大佐山 ⑦雲月山 ⑧中野冠山と一兵山家山 ⑨阿佐山山塊(天狗石山・阿佐山ほか) ⑩西中国山地東端の山々(寒曳山、熊城山、龍頭山、犬伏山) ⑪三瓶山 ⑫大万木山とその周辺の山々 ⑬猿政山と(高野)毛無山 ⑭吾妻山と福田頭 ⑮比婆山連峰 ⑯道後山と船通山ほか ⑰恐羅漢山西方の山々―広見山・半四郎山・岩倉山・春日山 ⑱十方山の南側の山々―立岩山・小室井山(もみのき森林公園)・大峯山・東郷山・天上山 ⑲冠山と冠高原・鬼ヶ城山 ⑳羅漢山・法華山、アカナメラ谷、横山 ㉑寂地山・右谷山・小五郎山 ㉒安蔵寺山とその周辺の山々、および大神ヶ岳 ㉓西中国山地南西端の山々(十種ヶ峰・弟見山ほか) ㉔東鳳翩山と桂木山・秋吉台 【広島市とその周辺】 ①白木山と牛尾山 ②岩谷観音と呉娑々宇山 ③絵下山 ④武田山連峰(火山を中心に) ⑤極楽寺山 ⑥窓ヶ山 ⑦宮島(弥山ほか) ⑧三倉岳とその周辺の山々 ⑨野呂山 ⑩牛田山山地と黄金山 |