『日々の泡』ふうに   2002,9〜

■登場人物

椎葉純平  (49) 主人公。
椎葉菜穂子 (45) 純平の妻
京極塔子  (29) 純平の恋人
京極春彦  (25) 塔子の弟、盲目のジャズ・ピアニスト
歌川シーナ (15) 夏休みの間、純平の家で暮らす美少年
歌川椎花  (24) シーナの姉、柳田国男を研究する大学院生
歌川花蘭  (24) 歌川椎花の双子の妹。久し振りに帰国中。
歌川錬蔵  (68) 大学教授、一時期、若者に圧倒的人気を博した評論活動で知られる。
アリダ・ヴァリ・歌川 錬蔵の後妻。シーナの母親。現在、錬蔵とは別居中。
三崎一司  (50) 純平の友人。呉服店主。
高橋武   (38) 純平の友人。食品会社の営業部員。
高橋和江  (39) 武の妻。離婚調停中。
長谷川亮  (35) 純平の部下。いわゆるコンピューター「オタク」。独身。
能登松次郎 (88) 純平の「連句」の師匠。故人
杉田善導  (78) 浄土宗黒谷派の僧侶
山野繭子  (25) 京極春彦の恋人。
今田菊洋   (58)  経歴不明、ほぼ「通行人」の立場。
碓井愛子  (30) 碓井良三の妻。ほぼ「通行人」の立場。

遊亀トラ   (88) 戦前から続く料亭旅館の女将。柳屋三喜松のことを覚えている。
遊亀七海   (15) 遊亀トラの曾孫。

   苺/今田菊洋    2003短歌人7月号

苺とは母の乳首に似るゆゑと寂しみながら湯浴みさせをり

道元が越えたる峠に草苺、一期一会と言へば微笑む

木耳やとほく別れしかの人は耳を噛めとぞ戯れなしつ

座禅草うすくらがりに咲き匂ふ嫌はるることも肯ふごとし

茨苺を摘むと危ふき指先の老いたる母がしばし華やぐ

苺色骸骨透視鼠子もてあやしきところへ分け入らむかも

老家族影すら淡き旅にして一色郡一胡村帰らなむはや




   若狭・白木/椎葉純平   2003短歌人6月号

似て非なるもののひとつに想ひ出の傷痍軍人・白き木蓮

白木とは新羅の謂ひやこの村に高速増殖炉もんじゅ眠れる

コシアブラ、またの名「馬鹿の木」の新芽なる天麩羅食へば民宿『ゑびす』

若狭にて聴く『ハイヤ節』はつはつに丹後訛りの混じれるあはれ

コシアブラ、すなはち「越の蝦夷」の木、白木を削り花になすとぞ

船泊めて隠れ棲みたき地名かな「鬼生郡梅園村字白女」



   王と玉子/遊亀七海+椎葉純平   2003短歌人5月号

王の右にとてもちいさな涙を置けばすなわち寂しい温泉玉子

ニッポンの王は誰かと尋ねるに、既にあなたは笑って眠る

そのむかしチグリス川を遡る鮭を食いつつ悲しむ兵士

海雲と書いて「もずく」と読むという 豊旗雲の戦さ想ほゆ

なまぐさい小女子(いかなご)という小魚を箸でつまんで唇へ運んで

母が言う「あんたみたいな娘など卵で産んで食えばよかった」

『曲水の宴』や、みんなそれぞれにダブルバインドの春の青空

おかあさん!慈姑(くわい)掘るとてしゃがみ込む、その姿勢それがニッポン


    林檎/椎葉純平    2003短歌人4月号
               
青林檎、部分入れ歯で噛むなんて!林檎の中に氷雨降るとぞ

フリースの裏地ほのかな辛子色、小林幸子の唄が聞こえ来

みづぐきのあとが沁みるぜ歯の痛み堪えて『夜半の目覚』を読めば

居酒屋の樫の木椅子の軋むまま、総括といふ語彙もあつたな

銀青の春のいかなご玉筋魚酢で喰つて、ほんたうのことは言つてはならぬ

くれなゐの椎名林檎を剥きをれば透きとほるもの指より零る

春雷や、CNNが戦争をリアルタイムで映すも見ゆる


   仏説/杉田善導    2003短歌人3月号

私たちの暗い頭を照らしゐる寒満月は偽りの月

そこに在るものが逆さに見えてゐる醜く歪んだ仏手柑ひとつ

心中の前の夜ゆゑ一家族奢りて蟹を喰ひけるも笑へず

この国に戦争があり文旦漬がザボン漬となれど変はらざるものあり

もぞもぞと乏しき花粉を舐めゐるか栃の木洞の冬の蜜蜂


  今田菊洋    2003短歌人2月号

雪の夜の酒呑童子はいかばかりさびしき心もてあそばむや

はるかには龍のごとかる瀧見えて言葉すくなく人は痩せをり

草の戸も枯れはてしままかきくらし冬のいかづち雷ひとり遊びす



  遊亀トラ

貝の干物は顎鬚剃って目だけ渇くと睨みつく

魚の干物は田圃のなかに両目落として火にあぶる
  遊亀七海

冬の日の日暮れの雲はさびしくてわたしが作った薄焼きたまご
               あなたに

  三崎一司     2003,01 短歌人

言はざるを得ないと云ふを岩猿を追へないと聴く、寒き会議に

梅肉屋高野吉兵衛軒下に雪宿りする猿あり、マジかよー

カシミアの古きコートに故もなく『遠野物語』を想ひ出だしぬ

孫といふ憎っくき者にたどたどと「河童駒引き」読みやる真昼

ゑん     こう
猿の手は短く猴の手は長し孫悟空はいづれなりしや

岩見にて読む『ゑんこうの恩返し』猿の名を持つ河童さびしゑ

金糸猴捕らはれて来てこの園に飼はるると聞く、姿は見えず

蓮池に霙降りつつ人ひとり遠くに見えて見えずなりゆく

ポンチョ着て河童のやうねと笑ひゐし遠き恋人、雪の禅寺



  高橋武  2002,10  短歌人12月号


擦れ違ふ僧侶四、五人それぞれに雲の名前を語ると聞きぬ

薄甘きうんぺいもちを尋ぬれば雲に平らと老婆は笑ふ

雲のごとく長持唄は聞こえ来てフェミニズムの路地曲がると消ゆる

団鬼六真似て生きむか雲さへも亀甲縛りに縛つてみせて

雲助といふ語とともにひとびとに忘れ去られし横山やすし

誰にでも十四、五分はTVに映る機会がある鰯雲

蜘蛛膜下出血といふ病名はなにゆゑ赤い雲を想はす

むくむくと積乱雲の立つ見ればいかにも冬の日本海側

しらくもの白鬚神社は言ふまでもなく渡来系、kissも苔の香



  歌川錬蔵
(いろは歌沓冠)   2002,9  短歌人11月号秋季作品特集

ケ浜、かきくもりつつ時雨来てふと西行のごとき心地

島はペニスの喩とや寒々とレインコートの衿さへ立た

ひ濃き若狭の雲丹の紙包み座席にありて、人はをらず

なぶり」は鄙振りのこと寒蝉も耳川河畔の料亭に酔ひ

なへあふ般若心経 わかものの赤ふんどしも暫くは良

かかるいろは楓の一葉は慚愧のごときかさかさの笑

ムジンにしたがひ歩む葬列が見え隠れする 死者の逆

るい水蛇口にうけて眼を洗ふすなはち恋のこころぞ浅き

璃いろの歌くちずさみ愛人に逢ふと愛発の関けふ越えて

かしとは烏滸なることや泥臭き養殖うなぎを三匹も食

といふやや不快なる身を運ぶ硝子の浮き玉ほどろに砕

のことは曖昧なれば原発廃炉反対集会にも誘われるま

が捨てし携帯電話くさむらに発光せずんば悔しからむ

の露、『新古今集』の男らは恋の嘆きをさめざめと泣

宮はさびしいところ はるばると朝鮮渡来の鐘の朱の

いてゐる女を抱けばきりぎりすすべては遠い日々の花

といふは紗にあらざれど悲しみの川を流るる錦有為無

くむくと秋の乱雲斑猫もんじゆはこちらふげんはむか


    
  
杉田善導        短歌人10月号

                       
はなづら
蜻蛉や蕪村の壁はつきあたり そこを曲がつて馬の鼻面

あきつしま、蜻蛉の首の切れさうな細きあたりが津軽海峡?

かげろふのあるかなきかの比喩に似て陽炎座てふ芝居小屋あり

赤とんぼ、里の便りもさびしげな子守りの少女も消えて久しき

鬼やんま、にやりと笑ふ風情あり 室に入らむとして戻りゆく



   長谷川亮    短歌人2002,9月号


おほいなる鳥ならなくに発電用風車の影は湖を走りぬ

事務的な口調で語る暗い絵のやうな話題のめぐりの蓮田

ぽ、ぽ、ぽぽと遠くより音が近付きて草津の蓮に雨は降り初む

風立つとあからさまには思はざれど蓮の葉の水かすかに揺るる
     
あさむず
ゆゑもなく浅水といふ街の名を呟いてゐることに気づきぬ