かひよせ【貝寄風】


 (貝を浜辺に吹き寄せる風の意) 陰暦の二月二十日頃に吹く西風。
 「貝寄する風の手品や和歌の浦」(芭蕉)    『広辞苑5版』

 陰暦二月二十二日に、大阪天王寺では精霊会が行なわれ、お供えの造花は
 難波の浜に吹き寄せられた貝殻で作った。このような謂れから貝を岸辺に
 寄せるこの頃の貝を貝寄風と呼ぶようになった。   『日本大歳時記』



  ほのぼのと恋を恋してゐる少女、軽いスカートは貝寄風のため

 こち【東風】

 (「ち」は風の意) 春に東方から吹いて来る風。ひがしかぜ。春風。こちかぜ。
 拾遺和歌集 「―吹かば匂ひおこせよ梅の花」  『広辞苑5版』

 [爾雅]東風(トウフウ)、謂
之谷(コク)風ト。注に谷風ハ五穀養育ノ意 (ココロ)也。春晴(ハレ)而(テ)風(カゼフク)ヲ曰フ光風ト
 [万葉]
細注 東風、越(こし)の俗、安由乃可是(アユノカゼ)と云。     『俳諧歳時記栞草』


  東風吹かば、ちひさな庭の石畳。梅の木の椅子きしきし軋む

あゆのかぜ【東風・鮎の風】

 「俳諧歳時記栞草」に書かれたように越(富山県)では俗に「アユノカゼ」と呼ぶ、と万葉集の細注にはある。

   東風痛久吹良之奈呉乃安麻乃都利須流乎布禰榜可久流見由    家持
  (アユノカゼイタクフクラシナゴノアマノツリスルヲブネコギカクルミユ)

 谷川健一『日本の地名』によれば、「アユの風」(アイカゼ・アイノカゼ)は秋田県仁賀保では「北風」を指し、越(越中=富山県)では「東風」を指し、
 さらに、
 
   年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし知多の浦に朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ

 という万葉集巻七の歌を引用して、名古屋市熱田あたり、つまり太平洋側では「アユの風」は「南風」だと述べる。
 
 ならば、「アユの風」は海から陸へうち寄せる「貝寄風」と、同じ方向から吹く風と考えていいだろう。



  海と空あひ睦み合ふかなたから吹き寄せる東風(あゆ)、遠き日の「愛」


はえ【南風】

「牛深はいや節」の「はいや」とは南風だという。

     はいやはいやで 今朝出した船は
     何処の港に 入れたやら
     牛深三度行きや 三度裸
     鍋釜売っても 酒盛りやしてこい
     戻りにや本渡瀬戸 徒歩渡り


   南風(はえ)吹きてさびしき港の網の目にジラフの柩の中の遊女ら



しろはえ【白南風】


 (九州地方などで) 梅雨明けの頃に吹く南風。また、8月頃の昼間吹く南風。  『広辞苑5版』


     幼い子供が眠りながら泣いているのは、ヒトの「種」としての悲しみを泣いているのだ、と思わせるところがある。

  
白南風は畳のうへの素裸のをさなごに吹く、泳げ!とばかり

やませかぜ【山背風】

明治20年代の追分節に
 
 やませ風 わかれの風だよ あきらめさんせ 又いつ逢ふやら逢はぬやら

というのがある。これは、最上川舟歌でも

   山背風だよ あきらめしゃんせ (ヨイトコラサノセー)
   おれを恨むな 風うらめ

という文句と通いあうものがある。


   やませ風、別れるために逢ふという冷たい儀式のやうな晩餐







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