「歌壇」2006 八月号 特集 この土地この歌この仕事

  余白の地図



檜の森に汗も涼しきわが娘、敗れし父を哀れむごとし

父と娘の秘密の森も荒れ果てて異界を誘ふ葛猛々し

土の上に穴熊の骨か散りゐたり獣らの生は単純ならむ

木を植ゑる仕事は寂しまぼろしの余白の地図を果てなく埋めて

少年の日の焼き畑の火の赤さ、老いたる夢に見つつ苦しむ

雨の日の苦木の花の鬱々と山の人生はすなはち苦し

爪楊枝を立てたるごときと凡庸な比喩で見過ごす雪折れの杉

曽祖父が植ゑたる欅の森ありて年毎に来る青鳩よろし


  山の人生

 半夏生だというのに、雪で折れた杉の始末をしている。杉や桧を植え育てる、という私の仕事は、農林漁業のうちでも、とても永い期間の、まるで空想的な契約をしているようなところがあり、ひとたび豪雪の冬があれば永年の夢の契約が根こそぎ反故にもなる。
 晩年の柳田国男は、「山に残っているものは、残って居る日本であった」と書いた。この意味深い反語が身にしみるのは柳田国男が亡くなった昭和三十七年の頃からだろう。その頃から漁村も農村も変容したが、変容の度合いは山村においてもっとも著しいものがあった。以後、経済の冷徹さからいえば、林業は、すなわち虚業である。
 いささか薄暗い書き方であるが、私の林業者としての半生は、柳田の云う「何の頼む所も無い人間の、ただ如何にしても以前の群と共に居られぬ者には、死ぬか今一つは山に入るといふ方法しかなかった」という「山の人生」を静かに生きていただけかも知れない。


「短歌往来」2006 九月号

 赤翡翠(アカショウビン)  



おごそかに神のただむき乾く日の赤翡翠は雨を呼び鳴く

フルフルと赤翡翠の鳴く樹下を蓑をまとへる死者がもとほる

絶滅危惧種案じ愛する雨乙女、類人猿から君までの距離

森に棲めば我が性暗し言葉さへ欅の洞の梅雨の薄寒む

馬子唄は木の根枕の無頼もて梅雨の晴れ間に枯れて聞こゆる

山中峠暮れてほろほろこぼるるは芭蕉の草鞋の形見、卯の花

少年の夢のごとかる革命を恥と思ふな 遠流の後鳥羽

赤翡翠は水を恋ひつつ鳴くといふ 追へどはるかな逃げ水の日々