連作級短歌物語 『続・うなぎパイ』 2000/1〜2002/6



■【登場人物】

椎葉純平  (49) 主人公。
椎葉菜穂子 (45) 純平の妻
京極塔子  (29) 純平の恋人
京極春彦  (25) 塔子の弟、盲目のジャズ・ピアニスト
歌川シーナ (15) 夏休みの間、純平の家で暮らす美少年
歌川椎花  (24) シーナの姉、柳田国男を研究する大学院生
歌川花蘭  (24) 歌川椎花の双子の妹。久し振りに帰国中。
歌川錬蔵  (68) 大学教授、一時期、若者に圧倒的人気を博した評論活動で知られる。
アリダ・ヴァリ・歌川 錬蔵の後妻。シーナの母親。現在、錬蔵とは別居中。
三崎一司  (50) 純平の友人。呉服店主。
高橋武   (38) 純平の友人。食品会社の営業部員。
高橋和江  (39) 武の妻。離婚調停中。
長谷川亮  (35) 純平の部下。いわゆるコンピューター「オタク」。独身。
能登松次郎 (88) 純平の「連句」の師匠。故人
杉田善導  (78) 浄土宗黒谷派の僧侶
山野繭子  (25) 京極春彦の恋人。
今田菊洋   (58)  経歴不明、ほぼ「通行人」の立場。
碓井愛子  (30) 碓井良三の妻。


    椎葉純平  「魚」     短歌人 2001 11月号

                  
angel fish
冗談じゃない。この悲しみをふわふわと天使魚飼ふラブ・ホテルにて

紙魚・木魚・雷魚・人間魚雷など、この十数年は見ずに過ぐると

僧形の蕪村に出会ふ つゆくさの露しとどなる阿波の原子炉

ささやかな君と僕との終末を飾らむとして花野の素肌

あめのうを
江 鮭、レインコートに包まれて君の匂ひの残るまひるま

鰍や鰍や、路地の奥ではキスをするいつものような習慣として

テロリスト。海の近くの紅葉鮒。沫沫として陰阜涼しき

秋鰹、ほのぼのとして自らの老いのごとかる錆の香りす




    歌川錬蔵      「木綿袷」    2001/10/12   短歌人12月号


この少女、真綿のことを知らざれば蚕の匂ひ伝へて寂し

朝、なぜか青き手紙に軍隊の翳りが射すとペリカンの万年筆

半島の舳先にクルマ駐めながら普賢のやうなその男誰?

冬鳥を望遠鏡で観てゐれば風の裳裾は雨に縫はれつ

どんよりと霜折れの日の昼つかた木綿袷を引き被りをり

鰊煮て厨に置けば氷りたり一人暮らしのうつつのごとし


   京極塔子        短歌人  2001 10月号

聞いていい?一番最初に聴いた音。桐の木の下はカサコソ

いや違う。もっとこちらのちっぽけな戦艦みたいに見える島

島影の左右ふりわけ降る雨におおきな虹が立つまで駐めて

落鮎なのね?ああすこしだけ硬い骨。遠いまなざし

心中は犯罪ですか?キスをする魚を閉ざして透ける檻

祈りって、いつもあなたに似合わない水玉模様のネクタイみたい

この時間切って残しておいたって映画の中の秋の草の実


   椎葉純平      唐津     短歌人2001 9月号

いちにんの死者を想ひて旅にあれば唐津の海の潮の辛さよ

流木に夏の終はりの陽は射して影濃く落とす悲しみ深し

海風に傾きならぶ黒松は彼岸の人の息にか翳らふ

車中にて低く呟く言葉さへたちまち過ぎし虹の松原

独り飲みひとり酔ひつつ眺むれば夜は墨染めの海の三日月

生ける日の君の電話の背後には声嗄れし『奇妙な果実』

ほろほろと火宅の庭の曼珠沙華死者の無惨を荘厳すべし


   歌川錬蔵   ところてん返し歌  2001/5/7 短歌人


朝まだき天草載せて寒き村を歩める馬の汗香りけむ

ところてん裏返へさむと男らが声を揃えて唄ふ歌あり

性欲のうす翳りする老人が少女買ひ来て食ふところてん

モーテルの暗き真昼に冷蔵庫ひらいてしゃがみ何かしている

夏葉書、宛名を先に書いてから心太の絵の思案さぶしき

心太とは心細いの対義語にあらずや籐の椅子軋みつつ

心太啜り終へたり今ここに青岸渡寺ゆ滝は見えをり



   椎葉純平        2001/2/12

ああ、ツーリズムとしての恋人よ立石岬に虹たつあはれ

「うそば」とは饂飩と蕎麦のなかほどの若狭の国はやや塩辛き

世紀末的措辞のひとつに「ラブホ」てふ軽き響きをとどめておかな

脂濃き鯖のはらわた掻き出して米と麹を詰めて食ふとぞ

ラブホテル『Cotton tail』を日本語に訳し、愚かな雨の後朝

ぬくぬくと肥つてしかも泥臭き「うなぎ茶漬け」を別れ話に

たはむれに芭蕉の句碑の前にしてキスするだけでは済まなくなって

白髭と新羅とふたつならびゐる渡来の神社寂しきろかも



   長谷川亮        2001/1/11

ウェブ系オークションには『血と薔薇』もあると伝えて真夜の発疹

往き往きて兎のような心地だぜ 傘に降り来る夜の水雪

ほらごらん、アビが群れ飛ぶあのあたり網打ち渡す小さな舟を

笹漬けの若狭の鯛の酢の味が歯茎にしみて、寂しがらせる

真冬日の水族館に人まばら キスしてほしいというような顔

橇という漢字を書いて「かんじき」と読ませる思案 夜の無精髭

皮コート着た怪しげな三人の男の横で喰う春の河豚