連作B級短歌物語『うなぎパイ』     1999年 


【登場人物】

椎葉純平  (49) 今年の主人公。
椎葉菜穂子 (45) 純平の妻。
京極塔子  (29) 純平の恋人
京極春彦  (25) 塔子の弟、盲目のジャズ・ピアニスト
歌川シーナ (15) 夏休みの間、純平の家で暮らす美少年
歌川椎花  (24) シーナの姉、柳田国男を研究する大学院生
歌川花蘭  (24) 歌川椎花の双子の妹。久し振りに帰国中。
歌川錬蔵  (68) 大学教授、一時期、若者に圧倒的人気を博した評論活動で知られる。
アリダ・ヴァリ・歌川 錬蔵の後妻。シーナの母親。現在、錬蔵とは別居中。
三崎一司  (50) 純平の友人。呉服店主。
高橋武   (38) 純平の友人。食品会社の営業部員。
高橋和江  (39) 武の妻。離婚調停中。
長谷川亮  (35) 純平の部下。いわゆるコンピューター「オタク」。独身。
能登松次郎 (85) 純平の「連句」の師匠。



99/6/10  京極塔子

うらぶれた感じのホテル。なぜ急に驢馬のことなど話すのですか

砂浜に、すこし壊れたオートバイ。布切れ、そして、乾涸びたウニ

魚篭の中。サザエ、貝、貝、ヒトデ、きらきら光る石。

舷を暗い緑の波が打つ。あなたの胸の鼓動のようで

遠くには野火見えていて「われわれはどこへ行くか」と呟くように

ゆっくりと顎を沈める姿勢から見えていますか?砂丘と海が

水の中に冷やされている瓜。そんな感じの抱擁でした

ドラム缶。朝の光に鰯・鰯・鰯・鰯・鰯・鰯がぎっしり

草臥れた老人めいた髭面ね。透け見える蝉の死骸の中の蟻

後朝という名の村を過ぎる頃、「まるでシタール」と言いさして止む

遠景をラクダは歩む。ふるさとを持たない恋のように疲れて

1998/12/13  椎葉純平

 独白

指に風、唇に霧、こころには静かに銀の箔震ええつつ

       
コットンテイル
ラブ・ホテル「兎の尻尾」も5年ぶり、その5年ぶん俺は老けたか?

洩れそうな声を堪えて背を捩る そう、その姿勢なら、砂丘が見える?

髭を剃るあいだぐらいは離れてよ!紙が珈琲を濾し出す時間

なにものにも包まれていないあなたの体を浴槽に置き去りに 岬へ

誰か来て海辺にへ棄てたハーモニカ 流木の上で錆びながら光る

  
塔子は紙ナプキンに書く「死にたい」と。
   
  海で?


「純平さん」と、我が名呼ばれて公園の楡の大樹に百舌鳥猛るころ

古九谷を写す青絵の薄皿は離婚届の上に置かれて



99/10/10  歌川椎花 

恋人の汗冷えてゆく哀しみは遥かに遠い日の銀やんま

ポン、シュワッ「お嬢さんとは春までに」トクトクトクカナカナカナ

海越えて吹きあがりくる北風に揉まれる黄蝶、あれがワタクシ?

「さて、君と鳥海山を見たい」とは 雪の匂いのEメール読む

楢林、近景に君。遠景は枯葉のように吹き舞う小鳥

シタールを弾く蚯蚓とは『アフリカの印象』にあり、本閉じて「来て!」



1999/12/9 高橋和江  (39) 

裏窓に隠して飾る罌粟の花の さて愛人を虐めに行こう

さくさくとボレイというは何ぞやと聞けばすなわち牡蠣殻の屋根

海に来てせっかく冬の日本海浪の花どこ?女を抱く

乳房もて背中を押されいるあわれ「の」の字のように腰を屈めて

北陸は西北の風すべからく海に向くもの墓と水仙

ああ若狭笑うべくなる語呂合わせ小学生がヨードを抱え

白鳥伝説ここにあらずき弊屋にはたりはたりと機織る音す

沖の石見え隠れして恋人は隠されている白髪に触る


99/7/10  高橋武   

もうすこしここにいてよという言葉振り切って来て通り雨

シタール、シタール、君の体は鳴りながらやがて笑って眠るのだろう

シタールはびわぁーんびわぁーんと共鳴し鳴りやまないよ昼顔の花

新潟県西頸城郡青海町大字親不知字歌 悲しい?

軽々ときみの帽子を歌ごゑは追い越していく恋ヶ窪浜

砂浜に倒れて埋まる木馬あり桃川海岸遊園地跡地

ずぶ濡れのニッサン・テラノ黒々と牛ヶ首岬を過ぎて

海からの風に押されたカーテンにちょっと間抜けな朝の陽が射す


1999/2/8   歌川椎花  (24)

ゆらゆらとぶらんこ揺らす膝にゐて乗り物酔ひのやうな恋です

あ、待って!携帯電話に日は翳り「風車売りなど知ってゐるのか」

「櫻町銀天南の街路灯ひとつ消えてゐるそこで逢ふか」と

ふわふわとからだのなかを舐めてゆくたばこくさいゆびさきは好き

「目がちかちかするから棘などといふ字は手紙に書くな」と

日曜日、ああ、しみじみと降る雨は幸せさうな犀の親子に

呉服屋『三崎』の中庭ではかたつむりの薄桃色の殻を見ました

仕舞ひ置く冬の鞄に貝殻とピアスと風とあなたの寝息

ゆるやかな陽のけだるさも編み込んだ透かし模様の布を買います

あのひとが『青い影』聴く鬱屈の香のつよき酒に氷は沈み


99/10/30 椎葉純平    「短歌往来」

銀婚

銀婚の前夜帰宅す 麩のごとく母娘は笑ひ、ふと笑ひ止む

夫には「晴」なることが妻子には「穢」であることもしばしばあらむ

銀婚の日のあさぼらけ晴れ晴れと妻は蛇口の修理を命ず

蛇口より水洩らざれば早速に遠出のためのクルマ洗へ、と

金赤の皿に盛らるる菊膾 サイケデリックな時代も生き来

戦後とは悪妻だから 虹色の弁明涼しかる対依存



99/10/30  長谷川亮  

「君が代」を隆達風に歌ふ日の「晴」とも「穢」とも唯々諾々と

「ハレ」と「ケ」は縞の財布の裏表、紅白の幕・黒白の幕

「ハレテケレハレテケレ」とぞ叫びけるコメディアンの名も忘れ去られき

「君が代は千代に八千代に細石」妊婦しづかに川柳学ぶ

細石巌となりてローリング・ストーンズもまた老いさらばへて

家族とはひとかたまりの花吹雪 無縁の墓に苔生すところ

日の丸に雪霏霏として降るところ心晴れつつ見るさびしさよ

同志とはつね周縁に遊びつつ時雨の恋に濡るるともがら

晴衣着て沼に沈めと、いかなれば田植草紙に恋歌多き


99/10/10 椎葉純平        
窪田薫氏を悼む短歌二首

モビールをかすか動かす薫風もまぼろしとして、ああ、秋しぐれ

去年今年豪快なりき「どっこいオイラ生きてゐる蝦蟇」とぞ

99/9/9  能登松次郎+歌川錬蔵

(松)久方の光のなかを飛ぶ虫のつくづく見れば 名も知らぬかな

(錬)名はありて実なき国のさびしさに見よ!群衆は浮きて流るる

(松)ナンセンス!君みづからを省みよ虫かと見れば花の種子あり

(錬)花?ふふん!花野の果ての荒野こそ我らが戦後老いて歩めよ

(松・都々逸)浦の粗末な 海人の小屋にも 女人嫁ぎて 貝洗ふ

(錬・都々逸)これが虹だと 喜び呆け 消えてゆくのが 蜃気楼

(松)『西遊記』つれづれ読めば人参果、おお、人間の姿の果実!

(錬)歌も聴け「奇妙な果実」人体は木に吊るされて実るとぞいふ


99/8/9   歌川シーナ

鳥、海へ帰る。翼も萎れつつ君はいずこへ僕はいずこへ?

万国旗吹きちぎられて校庭に大輪の菊。国家とは何?

草の丘ひとところ濃く翳らせて空母のような乱雲走る

野の末に、ちいさな泉。水底にキリギリスいて、鳴くか?否否

ひもすがら紙飛行機を折り続け、純平おじさんは壊れたようだ。


99/5/5   能登松次郎  5字冠都々逸

鯉幟 空の半分おまえに譲り俺は身を揉む竿の先

鯉幟 空の半分貰ってみても下の緋鯉が癪の種

鯉幟 朝は恋風そよそよ吹いて糸の具合も丁度よい

鯉幟 夜は嵐だ雨さへ降って糸が切れればよいものを

鯉幟 糸が切れれば昔のやうに井戸のほとりで洗ひ張り

鯉幟 口のところを覗いてみればこれは大きな万華鏡

鯉幟 屋根の真上で夜露に濡れてわたしゃ矢車からまはり


1998/12/12  連句会あり。於・喫茶『獅子と乙女』

 
連句・獅子『ローリング・ストーンズを聴け』の巻

ローリング・ストーンズを聴け、冬の虹    一司

 滲んでいるよ霜の敷石           純平

意識から無意識までの距離をみて      松次郎

 ギア切替える潮の香すれば          亮

蠅のいる民宿がいいと君は言い         武

 意地悪な夏の手足纏わり          一司

理科室で軽いキッスをした頃か        純平

 辛いわと書いてつらいわと読む      松次郎

虫篭にピアスのような虫がいた         亮

 台風の目をなにに喩える?          武

?の中に見え隠れする月           一司

 キツツキは鳴く?叩いているのさ      純平

「さらば」って死んだ言葉の辞書にない?    亮

 椅子に凭れて眠っていると         一司

遠い日の花が零れて困ってしまう        武

 後姿はブランコの上           松次郎


1999/1/12 再び連句会あり。
於居酒屋「美少年」

 
連句(獅子)若草やの巻

若草やここに途切るるけものみち    純平

 満ち来るものは水の音楽       一司

楽しみは空色衣装ゆゑもなし       武

 梨の実落ちて青き礫に       菜穂子

女人ふたり月見る風情きはまりぬ     亮

  盗人萩が膝にくつつく        純平

つくつくと法師蝉鳴く原子炉さ     一司

 三千世界すべて煩悩          武

嘘吐きの蛇を捕らへて半殺し     菜穂子

 ロシア文字にてラムネ売らるる    一司

縷縷襤褸いづれを彼は選ぶべき      武

 汨とはなんぞ涙の淵へ       菜穂子

地平線まで歩み去れ雨の犀       純平

 最後に残る軍靴の雪消        一司

眩暈のごとく花散る里を過ぎ     菜穂子

 杉の戸閉じて独りに戻る        亮

1999/2/8  京極搭子

日を継ぎて恋の木菟とはなるものをピアスに触るるさみどりの風

檻にゐてふるさと想ふまなざしのとほく寂しき犀に降る雨

土筆摘むをさなきさまを告げなむか海坂見ゆる草生に抱かれ

眠りつつ口笛を吹く弟は人恋ふらしも鷽にあらなく

春雪に北の空港とぢたれば帯解く音は橇のごとかれ

ひとひらの詩に似てさびし雪消してぬかるむ路地の旧北ホテル

あはれあはれ花の寺院をいづるころかごめかごめの唄は聞こえ来

水草を揺らすさざなみほろほろと生れいづらむものの嘆きか

音楽はバードランドの黄昏に廃墟のやうなくちづけされて


1999/3/17   歌川錬蔵

さやさやと五月の風は君に吹け死者はすなはち赦さるるべし

玲瓏なれ夜の手紙を揺らすもの香水壜を立てて押さへて

恥阜といふ明るきものもこもごもに棺の中に虹射すこころ

杏子杏子からももの実の歌声の途切れ途切れに聞こえ来、あはれ  

ながながと読経の上を蠅は舞ひ懺悔のごとく手は払ふとも

緑陰にブランコ揺れて人をらず顧みるべく我あらなくに

母音ややあやふきままに弔辞せよ恋心すら隠さふべきや

抒情的彼岸はいづこ葬列の末尾に二日酔ひをひきつれ

つくづくと五月の死者を思ひつつ菜殻火見えて七日過ぎたり


99/4/11   三崎一司
熊坂を過ぎむとすれば金赤の「すつぽん堂」の看板見え来   

水牛の角であつたか黒黒と夏の館の奥の座敷に

盃をふせてしばらく「あ、雨」と遠くの声の料亭「酒善」

ゆつくりと押し倒される蘭の花誘ふひとりを措きて寂しむ

夏蒲団やや重からむ寝返りをうてば裸の肩が見えをり

琉球の硝子を経てや談笑は氷いちごの器に及ぶ

驟雨して軒を借りたり木の板に「あかまむし酒」擦れつつ読む

さんかくの位置に坐れば三角の関係見ゆるさびしく笑ふ

回想の麦藁帽子だれだつてひとつやふたつ壊れたはずだ