短歌1994
かなしみの鏡を研ぎてひとは棲む空不知郡字歌忘
ああ荒野……ああ荒野ああ白鳥は醜きさまに薄氷を被る
原子の灯さびしく照りて剣菱の三合ほどがほどほどの燗
水の冬、呼ぶ声がする呼ぶ声が呼ぶ声がする呼ぶ声がする
みづからを美少女と呼ぶ戦さびとうじゃうじゃと出づきみの初夢
父ながき放浪も夢、いまここに日焼けせる茸のごとき耳
擬古文調祝詞を聴けばしみじみと国学院のむらさきみどろ
最上階の大浴場に洞爺湖を観る、ああ『天翔』の世紀末
澁澤龍彦は『エロテイシズム』の冒頭に
「花とは植物の性器である」と書いた。
紅梅一輪雷ふくらむあきらかに「仮想現実」は夢食ひ潰す
三月四日、雨の路上に紅色のビニールの傘ひらかれて落つ
牧野富太郎もまた
「花は、
率直に言えば生殖器である」と書いた。
わづかなる悲哀ののちに忘れけり象の花子も河馬の花子も
『続・蘭の女』を借りて降り来れば駐めたる窓は薄く汚れをり
むろん草の花や木の花のほとんどは
「オンナの性器」というわけではない。
酔漢の異星人なす女声、オモヒデノミチ……図鑑ノ花ガ……
好キダト力嫌ヒダトカハ言フマデモナク星組ノ昼ノ舞台ヨ
言うまでもなく、花の多くは
オトコの性器とオンナの性器から出来ている。
まざまざと粟の花粉は人間の精液の香の雨の公園
隠微なるなにものもなき春の午後『陰毛』はかなげに包まれ売らる
不思議なことに、植物においては
雌雄異株とか裸子とかいう方が卑猥な感じ。
男の樹・けやき隆々たる下に……つつましく散るかすかな花ら
洋梨や蜂や旧型「女体瓶」…滅びゆくこの世紀のイコン
大江健三郎氏の新作における性的描写は
(残念な気分として)笑えてしまう。
アハレアハレ両性具有者卜やる時ハぺにす掻キ分ケおるがんヲ紙メ
ひとところ群衆の寄る建物の屋上に跳びためらふ……女?
それは例えぱ『蜘味女のキス』
における性的描写の切実さに比べてみて。
日本は文芸滅びつつあるをしろがねの凪ぎのうへに散る花
樹木にもオルガスムスの声あらば春の朝日の桧の雄花
コシアブラフという木がある。花も若葉も
樹皮さえおなじ独特の香りがする。
「ヒサビサニ自慰ナセル」とぞ晩年の父の日記の「雪アハアハと降り…」
緩慢なる死を生きむとや粗塩に春の木の芽を漬けて保存す
その香りは人間のオンナがオルガスムス
の際に発するかすかな香りに似ている。
朝霞み水族館の上空を烏渡りゆくまぼろしの鳥
遠野よりー駅前の青笹に少年待つと、とほき絵葉書
米沢のー刀彫りはコシアブラの木を彫るという。
『つばさー号』
月下香かすかに残る恋愛の記憶のごとき駅に降り立つ
「斧」の字に父を想へるあはれさの寺山修司の墓ぞ
花降る
安東次男は書いた「外へひらかれたニ本
の太腿 そこにひらく
暗色の・・・・・・」
老い初むる日のかなしみに耐へむとて花橘の少女を愛す
荒野すなはちわれらの内に…ゆっくりと手をさしいれてゆく手の指深く
花巻へ行こうヨ、と連れは言つたが、
くるみの木黄金の雄花のたわわなる
ああ老人のごときこの木に!
オートバイはや悲しみの錆深く男鹿半島を巡るに耐へず
昔、ひとりの蘭学者も書いた。「花は動物の陰処のごとし」と。
ー頭の老いたる犀の前にして妻子を撮らむ花よ降り来よ
あられもなき女人なるべしアラレガコ
竹、破竹、竹馬、爆竹、箔、鋼、ねがはくぱ母朽ち果てても生きよ
蠅に雪、つつましく降る貧しさの妻、厨房にいかなればこの絵?
あさぼらけ「あれ雪篭が消ゆ!」といふ罵るごとき女の声す
思惟の石、すずろなる鈴、永遠に鳩、庭には埴輪、桜の暗さ
父、ちどり、足は軍靴を棺とし
蓮は萎れて 霜月の
こころの傷はおととしの……?
ざわざわと雨傘を打つ水霰、「耳なし橋」を渡るみみずく
木地師黄に、轆轤師黒に染まりけり
いかなれば死者のみ黄金に
遅々として父の歩みの欅焼け、ああ自棄っばちにしゃがみこんでら
言葉とはしデイメイドの冬の鱒
神のみか言葉も死にきとこしえに「エシコトキニシモハトコカミノ」
ゆず果汁が浮いています。よく振りますと香りが引き立ちます。
鬼は兄?言葉は再従兄弟?鴫は雉?けふ紺色の傘置き忘れけり
『ファミリア』は虹色道路をひた走り「さんさ時雨か萱野の雨か……」