短歌1991




シュワルツシルト


夜叉が池に龍たち舞へる夜半読めば『虹の理論』もあはあはとして

時間もてあそぶがごとくふるさとの蚕の部屋に来てわれは迷へり

いのち終はらむとてや就寝する時においびとは歌ふ唱歌「さるかに」

店舗燦々、神のごとかる青年がシュワルツシルトわれに購へとぞ

雪の女王氷の剣を研ぐ頃やをさなごは眠りつつ涙する

あさぼらけ銀鼠の霧たえだえに そこに来てゐる昆伽羅童子




水中の母


いみじくも水中の母ただよふと春の霧に傘をさしたり

ジュゴン全滅の記事待つごとき三月うらうらとする閑もて遊ぶ

芦原町二面にて愛すべきニ枚舌少年成人したり

水上の落花を掃きて吹く風を竜巻といふにやや恥ずべきか

こころおきなき修飾のかなしさに人体のひだ揺れあそぶかも

うらうらと甍の波に日は射していづことしなく「イマジン」聞こゆ

橋脚に細長く黒きものかかりひたひたと水の面うちたり

ほのぼのとホノケの山に月のぼり少女仏陀のごとく初潮す

母は昭和、中将湯の看板をとりはづされて駅舎あかるし

血と雪と獅子と牡丹はかたすみに追いやられたりレンタル・ヴィデオ

そのかみの高倉健はくちごもり口ごもりして人を斬りけり

廃港に降る春の雪おほいなるー艚の船錆びつつ浮かぶ

ハハソの葉つぶさに見ればははそはの母なる言葉げにも寂しき

ムーシヤルド、ルリユイ・ド・ブリユヌ、カルデイナル飛鳥の女のごとき月出づ

春の月蝕観るべく駐車して待てば葦そよぐところ風立つらしも

城ケ島、ああ日本の近代の甍のうへに雨は降りつつ

男ゆゑ言葉の墓の喉仏 ああ風花をふり仰ぎつつ

連凧の天女は空に舞ひ舞へど地上の父子こころ遊ぶや

農村しづかに朽ちたりあはれ桑の香のかなしき記憶消えつつもとな

空中庭園吹く春風のイメージをかたちづくりて木曾駒を越す

近未来的鳶職の少年をはるかに吊す三日月の索

爪を噛むいとけなかりし恋人も老いつつあるか野麦のあたり

春の野に泥の川見ゆ「近代」の土屋文明死して幾日や




夜汽車


あまたるきニスの匂ひの近代の夜汽車、「東雲」てふ駅に止まらず

見渡せば草の名乾くころはいやうすら挨のキツネノカミソリ

ほのぼのと溶けつつ浮かぶ昼の月マル力整骨院裏の路地

「宇宙駅」てふ居酒屋に酔ひさめてかぐはしきは恥の浮橋

叔母の名「洋子」戦中の申歳生まれー粒種が交通事故死

鴬鳶が松島泳ぐ硝子絵を嘘と知りつつ宴あそびき

雨水はるかに手紙届きぬ牛深の顔覚えなき未亡人より

荻原裕幸が読み閉ぢて置く『長いお別れ』に鮭弁当の匂ひ移るか

遠出して初版『青猫』閲覧す いかなればここに日照りの匂ひ

野中ユリ、少年われの憧れし名の人もやや老いつつあるらむ

そよかぜに鳴らされているハコヤナギ樹にはいかなる快楽あらむや

フェミニズム少年試すいきほひの銀色夏生・岡本夏生

いちにんの死者想ひつつ駆り行くに『ビート』の上のカニカニ少女

「虫愛づる姫」の退廃、現在のクハガタ少女けふはどこまで……



族長の秋


たどたどしき家父長制のごとき虹立ちあがらむとしつつ消えたり

大地、地下、下水、水母、母子草、草子の切れ端、夢の水銀

海を圧すむらさきの雲うるはしき破局を待ちてー家族あり

ああ母よ 滴るみどり山毛欅の樹のみごもるごとく春は来にけり

うなぶかす老人の顔照りかげる浅水川にさざなみたちて

廃港に降る春の雪おはいなるー顧の船錆びつつ浮かぶ

しろかねの月照りわたる葦原にかぐはしくまたおぼろなるもの



歌謡

樹木こそ祈るべけれと風吹の巷を踊り過ぐるくぐつ師

泡なせる水際に歌はうまれかつ消えつつあはれ月光の鴫

ささがにの雲井にまよふ少年の夢はるか征け、走れ、まどろみ

ぶなの葉のうすら柔毛のさやさやに恋風吹きぬひとりしあれば

恋は孤悲、うたかたの日のあさぽらけ黒鶫そよ歌ひそめたり

あはれ少女に五月の兄のむくつけき髭面寄りて荒涼とせり

少年に錆の香あはれ青銅の青馬の背を雨ふりそそぐ



鳥の祝詞


沢くるみの大樹たわわに茂りたる大地母神の陰毛かこれ

月の樹のけやきの森を夜ゆかむ世は妖精を捨ててひさしき

野の末に鳥追師てふ村ありて慈悲心鳥は鳴きはじめたり

あさぽらけ杉森を漉す陽のゆらに射すごとく鳴く烏のやぶさめ

霧ふかき針葉の森ひたゆけば衣服より迅くこころ濡れたり

すくなひこのふぐりなるべし朝露に濡れそぼちたる去年のぶなの実

切り通しあかあか灼けて崩るるを黄のせきれいは石打ち遊ぶ



草の歌


さはさはとひよどり草を巻く風をわらべは見たりわれは見ざりき

あくがるる土地ありてこそほのぼのと君には郡上われには氷上

ねむの花毛針になして岩魚釣りし記憶はあれどおぼろなるかな

ヤブジラミわらべは摘みて帰り来ぬあはれ星の子草と呼ぶべし

陰欝なる北国ばかり転居せし岡部文男をー夜想へり

われらまた生き長らへて永き日を池の鯉など詠みつつあるか

恐ろしき早口言葉まさかりの小まさかりもつ子かまきりかな




俺はこのようにして歌を壊した

夏休みの心得

僧侶にして教頭である源了氏「シャラップ」と叫べば妻は笑ひき

近所の少女、十三歳から

電話にて心太はなにと間ふあれば俺は喜びて「ところてん」と答ふ

また、その後

土竜とは「もぐら」のことと教へむと電話をすれど少女はをらず

村起し、恐竜の里

山村は貧にして貪、しかあれど恐竜出でよ村起せとは

同・しかし

村の子の家の娘の絵日記に恐竜音頭はみ出すいきほい

同・小次郎の里

小次郎の子孫と称す佐々木家が四五軒ありて墓並び立つ

村の生活

ほととぎす自由自在に聞く里は「マクドナルド」 ヘ二十三キロ



「村さ来」が村に来るちう風聞は青年団新聞「若鮎」にあれど

口調および人格?について

高瀬一誌氏といかりや長介氏が相似ると言へど妻はうべなはず

声および性格?について

小池光氏と森紙晶氏が相似ると言へど妻は笑はず

レーニン像倒るる

おいびとの埴谷雄高が感ずるところ深きを想ひやがて眠りき

その五日後

俺の村に「朝日ジャーナル」売るあらねば隣の町へレガシィでゆく

ひしだい書店、等身太の俵万智とて

俵万智それそのものが商品として売られをり『まる子』の傍に

この夏、村にニつめの葬式

壮年団野球大会および葬式ふたつながら行かざるべからざる

三つめの葬式

県議会議員西村由左衛門氏の指に新しき念珠は揉みしだかるる

四つめの葬式

葬式より帰り来たれぱ虫籠の鍬形虫は交尾してをり

村に下水道あらざれば

台所の排水口を流れゆく祭りの金魚は日野川に出よ

夏の終り

妻子をらざる真昼帰宅し冷凍の「讃岐うどん」を湯にもどし食ふ

山の寺、廃寺となり

ジヤラジヤラと鳴る真輪の極楽を『営農サンバー』に積みて運びき

同・山越来迎図

あかあかと毛深き乳房の山越えて大陰唇のごとき月あり

老婆しも女、九十四歳

野の少女たりしよりつね朝顔に尻捲り向け立ちて尿す

カラオケ喫茶「・・・カ」 で泥酔、戯歌一首

神のみか仏も滅べ演歌歌手神野実伽すら回文読みし

まさか、とは思うが

青年団副団長の葛西健ポスト・モダンを語りつつ訛る

参議院議員にして歌人

夏服の熊谷太三郎氏は口もぐもぐとして通り過ぎたり

その日、燕尾服の

村会議員窪田佐五兵衛氏は熊谷氏の来訪を十年の間待ちあぐねけり

都市から流入する廃棄物について議会

若者の性処理施設も必要と冒頭にして村長は言ひき

シユルレアリスム展

菫なす十四五歳の少女らは緊縛写真を見つつ笑はず


近代美術館がデュシャンの「泉」を買いける値はTOTO製の幾倍なるか



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