短歌1990
葦原に月光は濃く射し入りぬ人に背ける人ひとりあれ
冬を待つさびしき村のなかほどに重き犬ひとつありあまりたり
ゆゑ知らぬ怒りにそそけ立つものをいかにかつつみ人はゆくらむ
あさぼらけ鳥鳴きさわぐひとむらの聲濃きかたを歩み去りたり
みづからをみづからに寄すすべなくて行く人あはれ雪は降りつつ
しはぶける夜の家族のともしたる灯は雪の面にもれいづるかな
少年の日はかたちあるもの恋ひて唐津の海の人魚を待ちき
月の船、人と人とのをりあはぬ言葉の暗き湖に濡れたり
みづうみを濡れつつ渡るニ十日月浮草浮くや見え隠れける
雪の夜を覚めつつをればたかむらの竹のいのちの割るる音すも
三月の三日、氷の「水上屋」玻璃戸はかたく閉ざしてゐたり
敦賀半島のなかほどに
あきらかに渡来人ふうの神社があり、
やまももの大樹がある。
常神のさびしき船や海の上の月はしどろに亂れ散るかな
火鼠はすなはち火龍わたつみを想ひのけもの渡るさびしさ
父と子をもやふあやふきしろがねの天の羅摩船家路知らずも
うらさびしき若狭の昼に氷売る男の聲のつくつく法師
鎮火の鎮と真鍮の鍮すらあやふやに秋のはじめの錬金術か
紙焚きてひとひ過ぐせりその夜の月の障子の大竃馬
白露九月八日午後三時栗園にまがまがしきふくらはぎ
月明に水飲まむとて降り立てば髭もそよろの巨大ごきぶり
夏帽子置き忘れたる草の上を月はしづかに照りわたるらむ
そよそよと捲られていくゾラの「ナナ」われにかかはりなきこの女司書
秋草の千々に亂るるカーテンを買ひ替へたれば風吹かざりき
ふるさとの大佛壇は傾くか梨置きたれぱ梨ころがり落つる
貧しかりし祖父が苦肉の柿接ぎ木右枝次郎左は富有
理髪店「青空」の主人鬼のごとき腕、むらむらと秋の乱雲
造り酒屋「ひじりのみよ」に大いなる杉玉のごとき雀蜂の巣
握手してたち別れむとするときにこの異星人めが
甥ひとり大叔母二人あひつひで亡くせり
初秋もー番絞り
愚かしき回文好きの妹が「伊丹万作、秋刀魚見たい」と
たはむれに薄桃色のゴーグルを買ひ求め来て銭湯にいく
妻と子の泳ぎ上達する間つれづれなればわれは眠りき
九月九日、壁に「一月・赤富士」
の月暦ありあはれあはれ