西王燦1988年短歌作品
1988年1月-12月 発表作品 西王 燦
春雨......1988.1.9
定型詩?鱈割くときにはらわたはたしかにあふれくるとはいへど
団塊の世代が産みし子供らに恥毛生えそむああっああっああっ
(もっとも残酷で、美しい回文)
しまうまうまししまうまうまししまうまうまし縞馬実味し
(世紀末、と言ったところで、
前の世紀末ほど感動的じゃない)
世紀末軽快にして『春雨』の「血かたびら」また「目ひとつの神」
定型詩?鱈割くときにはらわたはたしかにあふれくるとはいへど
団塊の世代が産みし子供らに恥毛生えそむああっああっああっ
(もっとも残酷で、美しい回文)
しまうまうまししまうまうまししまうまうまし縞馬実味し
(世紀末、と言ったところで、
前の世紀末ほど感動的じゃない)
世紀末軽快にして『春雨』の「血かたびら」また「目ひとつの神」
雨の王......1988.2.9
若草の玉突き台に朝日射し恋人の髭毛羽立つらしも
「アルバート・アイラーだってウミタナゴより古ぽけてゐたではないか」
おしひらく尻すら世代たがへつつ桃よりも梨、梨よりも骨
さて君は股座に手を入れてくる「赤い天使」の場面のやうに
曇天のキャミソールこそ哀しけれ洗ひ晒しの人の體に
かがまりて焚き火するときふくらはぎの♂ハートの刺青あをあをと見ゆ
少年に兜・少女に甕、あはれ擦れ違ひたるたまゆらの日々
回文料理......1988.3.10
雅子、羊栖菜すりきれてゆく若妻のたどたどしかる回文料理
この家に古り狂ひたるものあまた空調設備、梁、人二人
戦争を知らざりし子らに孫生れてらうたげなるはあやふかるべし
少年のまぼろしの軍服の股あはれひそかに嬲られてゐて……………
帝国風駅駅前団地四階妻子花粉病隣室に狂ひたる母……………
春の傘かたぶけて聴くひとひらの死語「市民らは蜂起し…………」
うらうらと照れる春日の時刻表「白鳥青森行・徒歩五分」
迷路......1988.4.11
情報の靄なす都市に迷ひつつ踊るを見ればきれぎれの虹
造幣局前の路上にー本の幅幅傘は轢きつぶされき
にはたずみ行方しらざる初恋の『春』の楽譜のきれはしかこれ
高野切ひきまねびたる恋文の大正二年四月九日・・・・
耳川に耳流れをり母親はつねに邪樫に打つものならむ
襖絵を背に貼りつけて親不知いゆきかへらふころとなりしか
コットン・テイル(兎のしっぽ)という名前のラヴ・ホテル
なつかしき躾のごとく愛しあふ『兎のしっぽ』にてわが少女
六月の旗......1988.6.11
人はいざ疾く忘れつつ生くらむか六月の旗雨に濡れしも
ひとり来て水晶蘭の咲くみれぱ土よりひたに涙垂れをり
郭公とほととぎす鳴ききそふ日は暗きがかたにこころ寄らむや
助産婦ハナこの世のほかの草花を編みつつすでに深く老いたり
(「栃の木峠」 という、いかにも寂しい名の峠が近江と越前を区切っている)
世紀末軽快にして『春雨』の「血かたびら」また「目ひとつの神」
千人の死者つどひ来て栃の樹に千本の燭咲かせたるかな
夜鷹......1988.7.10
(ヨタカは二個の卵を地面の上に、じかに生み落とす)
雨鳥の夜鷹の雛のニ羽孵り暑き地の上をまろび遊べり
生命の尊厳にさへ軽重のあるさびしさや慈悲心鳥鳴く
ああ雨の水木の花の白濁り声殺しつつひとは生きゆく
夏の夜の夢のうらがは 人妻が百足を孕み産まむとすらむ
『階段を降りる裸体』に絡みつく七月のとほき歌声の……蔓
八月九日......1988.8.11
竹似草ひとの背たけを越えたるがしづかにそよぐころとなりけり
墓に花を捧げむために五月ごろあやまちて撒きしが黄金の瓜
夏の葬儀うすものを着てつどふゆゑ青蚊やのこと人ら語りき
交尾とはつめたき管のもつれあひ蛇からまるをいふとこそきけ
いくたびか幼年思慕のくさむらに置きざりにせし少女あらはる
欝の朝ひくく歌ふもあじきなし兎老いしかうさぎ美味しか
シルビアのアートフォースに試乗せり「車の主張」風のまにまに
みづぎしに三万人が集まればガンジスのごとしと誰か語りき
真昼海仕掛け花火の骨見えて危機なき日々を笑ふがごとし
剃刀にまつはる想ひなかんづく死にたる人の頭剃るそれ
昼宴やや狼籍にかたぶきて晴らさむとするに悲しみ見えず
いかなればこの日に歌ふいかなれば「ああ長崎は今日も雨・・・」とぞ
元歩兵十四五人が輪をなして西瓜割らむと鉢巻きを巻く
水着脱ぎみづ浴びをるに人体のやや溶けたるを人見つらむか
こころ日々にひびわれたるがー家族海胆の卵巣をすすりあふかな
馬はほら尾をうち振りて馬虻を・・・人語るとき人美しき
ロボット犬引連れて来る少年は快活なれどあやふかるべし
おそるべき家族団欒対岸の花火も果てて寝静まるまで
九月十二日......1988.9.12
寄り立ちて衣服脱ぐとき透け見ゆる人躰の裏はや紅葉すらしも
紙婚式、箪笥のそこの海妙に秋陽は射しぬ住み移るべし
人をらぬ巨大迷路に秋風のささやかな風巻きつつ消ゆる
四五本のピース・ライトを喫ふあひだ朝霧まきてこころ湿りぬ
木の洞の向かふの世界おそるべきしづけさに満ちあふれたるらむ
妻子あかるき昼の洗髪さはさはとこの平穏をわれはかなしむ
収集狂の男が死にき 葬列の上の青空ぞ夢のごとかる
十月十一日......1988.10.11
頬の肉ややひきつりてもの言ふに海風立ちて聲うばはるる
四五日の不在の間にきりぎりす這ひのぼりきて死にてゐたりき
蔓の上に光あつめてひと房の山の葡萄は揺れつつ熟るる
論争の秋草の種子ほろほろとこぼるる卓を去りなむ 今は
山の民は常も貧しく幻想の龍の女とまぐはふあはれ
初時雨 光のなかを降るからに人の気欝のうすずみの色
秋ふかき冷凍庫にはひさかたの紅の海老死につつ眠る
花の種子の鼠の糞のごとかるを家人は干しぬ薄き秋陽に
十一月十一日......1988.11.11
ほとほとと音ひろひ吹く縦笛の「蝶々」はやも濡れそぼちたる
コレオリの力を借りて快活になりたる小池光、やがて悲しき
われわれは愚者たるべくもあるざらむ柔らかき檻見えざりしかぱ
雨しるき白木の浜の原子炉の力は溢れ見えかつ消ゆる
日は射してまたひかげり午後二時の秋の終りの紫の花
世を厭ふほどならなくに不快あり兎ひたひたとワインもて煮る
日常の襞叙すべきや荒杉の五十石伐り酒二石飲む
十二月八日・転向......1988.12.8
年金を積み立てながら生きてゆく悲しみよ、ほらこの秋の椅子
税金のことを考えている時もまあ結局は台詞仕立てさ
買い替えの必要なもの、ああああああ、チキン・ピラフが焦げているぜよ
戦旗派の誰々がほらああしてさ。旧友は来て醜く酔って
なんとなく「水の柱」と咳いて万代橋を渡って行った
こうやって日々は過ぎ行き睡蓮を見たことのない女友達
おれはサア電話ひとつでショーバイを…喫茶「さくら」の背後の席に
(「吊るさがつた雌の肢体」は、「花嫁」自身の「骨格」であり、また、
主役である「花嫁」の想像力の根拠地なのだ。マルセル・デユシヤン)
通り抜けニ曲りして突然にマルセル・デュシャンの大ガラス
むしろコノ子供っぽいのが捨てがたい口語の短歌も時代に遅れ
水族館のひどく汚れた水槽に「透明の魚…」と消えかかる文字
体力も趣味も衰え「青空」を途中まで聴き眠ってしまう