短歌1987
夜の海、あはさむとする唇のあわゆき解けて消えにけらしも
鳥渡りはた帰らむとする欝欝を死者の背のさや雪のたかむら
きぞの雪けふのうすらひ醒めたれば踊りし人は帰らざりけり
氷見峠、彼も子の親おろおろと鱈ぐべきやは火のこころざし
純愛、かつて失なはれしやー閃に影絵ぞみゆる冬のいかづち
冬の虹たかだかと立ち舞ひまへど人は往きつつ泊りもあへず
霧まとひうちしめりたる手甲をふりほどくべし詩歌のごとし
うらうらと照れる春日や人躰はたまゆらの聲つつむ薄絵
人間の皮剥く男ゐたりけり白梅の木のむかうの土蔵
これをしも戦さの罪と裏山のたかむら青きおもて透けをり
はととぎす小菅の笠をかたむけて絵師入墨師僧侶優婆塞
青鷺の耳はゆき聲渡るべしぎやうていはらぎやうていとぞ
ささがにの志賀に越ゆらむほつほっと桜ともせる夜の木馬路
榛原に掠めとらるる白髪は両性具有者にして詐欺師
少女の手少女を離れみづうみにとりおとされき銀のうろくず
回文は悲しい。言葉の表皮が剥かれてゆく。
木焼けかつ身も知らぬはや老いの日はよろづ失ふ花の合歓
舟の名は腑なしうつろよ灰の魚夜半濡らし
樅 栂 欅
*二首によって回文
死後の愛すらひしひしと笞うたるときじくのたちぱなの小枝に
去年の柿春欄漫に墜ちにけり夢ついばみてゐたるは誰ぞ
青鳩よ弔ひふたつ風吹の村をにぎはせ過ぎにげるかな
昼夜をわかたぬ家に人らゐて円居しときに舞ひ踊るらむ
家族らは舞ひかつ眠る民族の仮面のきららふりこぼしつつ
神官の妻轆轤師を恋ひそめて絵馬堂の馬星霞みせる
国家すなはち幻想にしてさむざむと愛發の関に咲く岩櫻
木を伐りて舟を創りて砂の上を曳きあゆみきて漕ぎいだしたり
おはいなる魚あらはれてひと呑みに貧しき村を呑むとこそ聞け
たらちねの母の小部屋に入り日射し珠の母貝や百合の貝母や
百傳ふ角鹿の炉心燃え尽きるまで百年の孤独に耐えよ
ほつ枝には黒き實たわわ忍び寄る力の時代さもあらぱあれ
難破せるうつろ舟には難民のまぼるしの百済人らよ
群れなして君らは襲え鞠山の破船の窓に夜火を放ちて
まほろばの國と國とのうなざかひ漂ふうつろ舟は消えつつ
四郎兵衛が五臓六腕にほのぼのと桃の香こめて焼かれたりけり
指物師手指うしなひまぼろしの桐麻の麻みだれたるまま
四五人をまきぞへにしてたましひの遊戯室より帰らざりけり
眼底の星こもごもに見つらむか少女誘拐魔を愛しそめ
地下鉄を知らずに死にし九兵衛の頬被りせる朴の白蕾
虹立ちて人と別るる地蔵堂「むらはづれ」さへ死語のむらさめ
人躰の寸法をもて測るとぞ樹はかぐはしき女なるかな
偶然性排除のために人の手は指折り曲げて数へられけり
弦の上に指は置かれてたまゆらの音孵さむと震へそめたり
啄木鳥のたたくはつなつ来し方はいかなる愛の未練のみどり
純白のスギヒラタケを
天使の翼羹にして供さるる銀天街の料亭「瀧」
昼夜をわかたぬ家の厨邊にむらさきの貝水費されをり
日常は花鳥にとほき怒りもて家中のむぐら払ひがたしも
月の物うしなひたるは戦争のさなかさやさや竹似草さや
尿
漏るときはらわたのくらがりを笛のせせらぎ渡るかなしみ
霜、祖母の名。
肋肋と骨枯るるかな今様の少女のごときとねりこの花
楢山のいただき透ける月の眼は瞬きやまぬ風立つらむか
いだかれて湯に浸るとき機能せぬ子宮はくらき蟇のごとしも
津軽發行方も知らでしらじらとあかとき月の船消ゆるかな
樹のセックス想へば羨しも花かかげ芯そそりたち襲はるるかも
うたことば匂ひ閉ぢたり朴の木の花もうたかた九十三夜
巣をなさで種を残すとは流氓の怒れる民のごときか 夜鷹
鮎釣り残して帰る大谷雅彦に
青年の日は瀬を早みもどりなき針より落ちしうろくずいづこ
『針葉樹林』読後二首
こもり読む大長編の後編は蚕の匂ひかなしかりけむ
椹森出で来しわれはムシクイをかのごとく聞きなさで酒欲る
消費せよ消費せよとぞ言ひいつのる泥鰌のごときこの男、誰?
おほどかにすめらみことをたてまつる歌人死にき。硝子の魚
銀製の蜻蛉売らるるしらじらと時代の影の見えつつもとな
未亡人五十鈴川あき「極彩色戰争之圖繪」見れどあかぬかも
五十鈴川昭
四十二歳料理長献立表にミ・し・ド・ア・カ・ヌ・鴨
福井市田原町、 一 年あまり暮らした。
田原町の少女にー夜言ひさしてやむ「言葉とは物の影か」と
みづの繪のごときゆふぐれまろびゆく群衆にゐてさびしからずや
「愚昧を敵としては……神々自身の……闘ひもむなしい?」
鬼灯草を口にふくめばほのぼのとい行きかなはぬアフガニスタン
弟のからだ透けゆくころほひや醒めつつ聴かむ夜のきりぎりす
重陽に読みためらへる「高橋しやうふ」
言葉もて虚空に梁をかかげなむ夢ありてこそ涼しき遊び
菊花展いでて思へぱ愚昧なる騎乗位型駢儷躰ぞ
つたかづら鬱の山越え来るものら機械仕掛けの人ならざらむ
生き延びよ生き延びよとぞかもしかの偽装に學ぶ愚かなるかも
遅れたる青年集ひ「村さ来」の北一輝また梶原一騎
ゆるやかに黒き時代に差し向かふ精霊飛蝗變身しつつ
さればこそ霞たばしるころはひのこほろぎ少女恋ほしきるかも
言葉すでに失ひにける老兵のつるうめもどきつるうめもどき
かぐはしき愛の遍歴とはいかに少年の髭、老人の髯
「兎に角」を「鬼に角」とぞ読みまがふ秋の終りの雨の夕暮れ
けふ昨日のごとくにありて懈怠なす秋の黄金剥落しけり
あめつちのま青き機械ゆるやかに揺るるがごとき男の性慾は
舊世紀ともしきろかも革命の言葉めぐりて流血しけむ
半島は紺青の愛ふきとぢて少女老いゆくまでの歳月
言葉の樹植ゑむとしつつためらへりこの風景の明日の寒さよ
わが怒り醜くあれど骨の笛花野の末へ吹きつつゆかむ
しだいに散文的になってゆく、日常。
鳶職の少年来たりて告げにけり犬の交尾のにがにがしきを
濡れぬ雨、若狭の浜の瑪瑙師の少年の名の夢野龍彦
夢のなかではワープができる、と、少女は言ふ。
さみどりの小柚肩より落ちむとしつつためらふに雪は降り来も
尻に花模様の痣のありけるを四半世紀ののち思ひ出づ
失ひし眼鏡および鍵いづこいづこしろがねの橋渡りつつ