短歌1985




H・ミショーの訃報


H・ミショーの回顧展が坂の上の美術館で催された。
遅い春の、どしゃぶりの雨の中を歩いてゆく遠い日の、
偽りの記憶。

雨の繪のくらき笑ひのうふふふふウフツィ美術館に似合はず

繪のおもて凍りかつその裏側のぬかるみを這ふ舞こそあはれ

雨傘を折りたたまむとするときにざわざわざわと蟹は零れ来






万葉集巻の十六に、「右の 一首は、伝へ云ふ。 ある愚
人、斧を海底に墜してしかも鐵の沈みて水に浮ぶ理なき
こと解らざりしかば、いささかこの歌を作りて、口吟み
て喩すこと為しきといへり」といふ奇妙な詞書がある。

鯨のごとき冬の杉むら おほいなる舟をかづきて登る人はも

烏樟を手折りて雪にくちびるをともす ちろちろ舌なき男

少年をくらふへんぐゑ 剣林のかなた乳房のはだら雪見ゆ



Q老人


春、凍雪の上を南風が吹き渡るころになると、行きもせ
ぬフィレンツェの景色を思い出す-----とQ老人は言ふ

サン・マルコ…………………………………………………寺院
の庭に………………少女らの歯は熱きピザ………纏ふ血の$
サン・マルコ寺院……老女らは…………………纏ふ血の色?
サン・マル……男らの…歯……熱き…………纏ふ血の薔薇?







「これが最後です」 と言いながら、彼女はプルサー マル
計画」 の記事を隠す具合にして、新聞紙に包んだその小
さな物体を差し出した。

鯨くらふ民族にして戀敵ル力・ヒケイコの髭のそよろそよろ




ダリに寄せる歌一首併せて短歌


軽気球 風に吹かれて ゆくぞかし 力ラコルムから 樺太
へ? その唐衣 とのぐもる 雁皮紙の空 みづいるの 銘
銘皿に むらさきの 虹なす牙を ともしつつ 藤の言葉も
とだへたる 夜の恋人の くちびるに くちなはあふれ と
ぶ鳥の 飛鳥の水素 ガウディの 快楽を過ぎて きららな
す わたつみ越えて 神々の 愚行のごとく 漂うあはれ!

反歌

性交のさなかにありて思へらくヒトに依り憑く神あらざらむ



誰?



覺えなき木洩れ陽の繪の裏側に我は誰?とぞ書かれたりけり

夜叉は雨、曠野は日照り、擦れちがふ少年僧に潮の香すずろ

人躰の内部の葉洩れさやさやと散りぬばかりに風すさぶらむ

木洩れ陽をあふぎみるとき人間の頭部まことに 奇妙な果実

樹々きららさゆらぐかたに籃陵王の悲しき顔も見え隠れせし

山毛欅の森見え隠れしておほいなる舟をかづきてゆく人ぞ誰

為兼の歌の文字謎……しをれたる栞の楓……いづれかさむき



雨の口語



口語の壁が壊れやうとしてゐる、といふ雨の絵葉書


あまたるきにすのにほひも青猫の詩人も今はひとまづおかう

『ます源』の鱒寿司を喰ふ益荒男が池田満寿夫に肖てゐます

雨の夜の海の底から這ひ上る「鬱王」の牽く汽車であらうか

おほおばあさまの名前は「霜」 で、あれが明治の砲台跡だ!

拂暁は佛教的な……ピカピカの33わ0033のアルシオーネで

綾ちゃんの目ん玉痒くなるほどに遠景の楡JEWEL,S TEMMPO

この村の雨乞ふ神はかもしかの頭蓋骨ではなかっただろうか

雨女、榎のへんぐゑ、新しい井戸が欲しいといふのであった

むらぎもといふ身躰の形容も雨のようだぜ!歯もあらはぜよ

「素晴らしいアメリカ野球」 文庫本読みながらする行為さへ

「核」といふ言葉一つでいくぶんか頭が變になるのであらう

雅楽的核兵器とは美しい言葉だ。「背中に触らないでよ!」

兜蟲一泊二日のニ日日に「腹かき切ってぞ死ににけるかな」

団欒の「核の灯」も消し昆蟲のなきがら抱いて眠るのだらう

絶え間なくひとはゆきつつ八月の嘆きの壁を濡らすであらう

海龜をとらへてくらひ八人は生きながらへてゐたのであつた

披璃製の貝穀に入れ瑠璃色の兜蟲ら蟲蟲蟲蟲を殺すのである



山家鳥蟲歌


この日々の地蔵の歩み遅きゆゑ子らは家路をゆきまどひけり

ひかがみに盗人萩の憂欝を垂りつつ歸るひとぞともしき

夏障子さながらにして破れゐたりいざよふ夜の耳なきをとこ

牛道も馬の鈴道もいかばかり過ぎし世の神楽しかりけむ

栃の實の餅よ焦がれて死ぬほどの戀風かよふ日々は失せにき

杣木俣、芋粥平、聞くにだにまづしき峡の虹の萩叢

貧しさも猿らは知らじむらさめに樹々の洞さへ濡れそぼつころ

貧しきを君は歌はじ飽食の夜の水木にくらき實垂るる

高橋慎哉に

棚高しさあれ樵らむとする人らちひさきましら神の矢たまへ

かをりたつ譬喩の杉の實採りたれどこころやせけり去年より今年

山人はまぼろし視つつ恐れたりこの穢土にして妻恋ふらしも

里人は山人を視て恐れたりかの不可觸の境ぞおぼろ

池の面を薄氷とぢて俗神の龍立つごときくれなゐの霧

かの日々も演技に溺れゐたりけり柿山伏の猿はては蔦

踊りはて眠らむとするときのまの肩より下は花野なるべし

俗謡はさもあらぱあれ風しなふ楓の歌に聲斷ちてけり



ふたたび山家鳥蟲歌


透繪の雪の椿のしかすがに志賀の鷲見に行きたかりしが

鹿狩りてすさぶむらぎもゆく年の浮木焚かむか杣人われも

禁忌とや かもしかを撃つこころみの言葉の遊び寂しかるらむ

雪に捺すひたくれなゐのななかまどかくてやものを印象すべき

風吹の後鳥羽の塚にふりしづむ去年の言葉の雪のひとひら

井並敏光に

粟津野の薄末黒ぞすぎし日の夢にや曾はむまぼろしの駒



ふたたび山家鳥蟲歌


朔の日のあしたこころのはたてには氷柱つらなめ寒くしあらむ

諍ひてわが世は過ぎむさはあれど雨の竜また靉嘔の虹

冬の樹の栃の太枝に黒き鳥ふりそそぎ来てあらはなるかも

この朝や雨のもぢ摺り落葉のかなたに来てゐる異形のおとこ

月蝕やわが室内にぎざぎざの鎌光り……また子の歯光れり

槻の木のつきせぬ愛の蜜月もおぼろに過ぎて人はゆくかな

遠くより綾き地震揺りわが思ふ「ひばりケ丘」の鳥蟲歌



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