Le cahier (un)





 古屋敷に山椒魚を飼ふ老女小さき宇宙は子宮のごとし  燦
 廃墟にて少女の老いは気づかれず古木の下に釣瓶火燃ゆる  真白
 夢に来てしはがれ声で不可思議な船の名前を告げて去りゆく  燦
 名も知らぬ老いた天使が落ちてくるG.ガルシア=マルケス空の灰色  真白
 ボリビアの戒厳令を想ふ夜半チエ・ゲバラの血乾きつつ黒し  燦
 革命の滅びの音を聞きつけて麦畑より鴉飛び立つ  真白
 いつよりかハシボソガラスを駆逐してハシブトガラス帰化のごとしも  燦
 パタパタとポーのポエムに入り来て鴉は韻につばさを挟む  真白
 韻は縄、律は鞭とぞ言ひながら女体を責める紅葉の宿に  燦
 マリアとふビスクドールを横たへてその碧眼を閉ぢむとするも  真白
 隣室の水音漏るる独身の鹿のごとくに青年棲みて  燦
 ぜんまいを巻けば命の蘇る振り子時計のゆふぐれの刻  真白
 豌豆のパスタを食へばゆくりなくマストロヤンニの笑顔思はる  燦
 Ieri, Oggi, Domaniと続く海原に彗星は尾を捨ててゆきたり  真白
 洞窟のマリアは素足、ペディキュアが非処女の証しといふ説いかが  燦
 「マグダラのマリアはイエスの子を生んだ」光満ちゆくいつはりの月  真白
 雪の朝、月光菩薩を見にゆくと履きたるブーツ軍靴のごとし  燦
 失ひし脚を敵地に置き去りに燈台守は故郷に帰る  真白
 岸に立つ螺旋階段登りゆくヒールパンプス眩しむばかり  燦
 神に会ふ幻想としてタブローはイエスの沓の匂ひさへなし  真白
西王 燦 : 山科真白  2008年冬