バードランドの子守歌
ささめ雪はらひつつ入る室内にひかりのしずくの食卓の音楽
食卓の音楽=ターヘル・ムジーク
卓を欧つとき水仙の雪こぼれ卓にみづさざなみたちて 止む
微笑みをささふ掌さむき朝粥の間をアシヤ・プトゥリ歌へり
如月や去年の潤香に舌饐えてみごもるてふを聴かでやみぬる
立春ののちのいくにちくちごもりつつ雨の駅また霜の駅より
われらまた沓うら痩せて棲みかはる婚後、遥かに泳ぐ鳥見ゆ
魚群のごときあとりの群れを見し日より若き夫婦の羹冷ゆる
星観むと残りの霜を踏みなづみもどりて妻がくらがりにゐる
星の種子売るてふ花屋春泥をまたぎこしつつゆけど「閉店」
アンドロメダ星雲の絵の栞してゆふべ土曜は「空海」を閉づ
花サフラン一輪ゆゑの靴摩れが七曜を過ぎて癒えざりにけり
遊星のさらで寂しき田園にはや終演す『ムーン・レーカー』
野の駅の四つ辻に来て買ふ菓子のにがき言葉のパテ・サブレ
妻の掌はオレンジ煮に汚れ「ねえ今もなほメシアンお好き」
サフランの湯を呑まむとてふりあふぐ少女たらざり南の魚座
巡礼を思ひつつ七曜こもりゐに一椀の菜の花の粥ゆるみたり
あかときをわづか目覚めて欲情はうすき雁皮紙『ゼロの暁』
銀の歯痛やまざりトリオ・ロス・パンチョス桜さくらを唄ひ
歯科医k窓辺に佇ちてペリカンのごとく桜を背負ひてゐたり
日曜はわが小航海のさむざむと櫂に刺されてさくら揺れたり
古楽器のひとはり得たり火口湖のめぐりの春の草のうちより
アネモネ咲きにゆるむ河口や耳とづるもののみが聴く象潟は
飛行船、残光きららなす部屋につつたつて汗ぬぐへるわれら
みつまたの花みつみつし白地図の亜細亜土耳古に歳月黄ばみ
花鳥賊のごとく孕める女ゐて披璃戸にみづのひかり揺れたり
卓の上にばさりと藤ははうむられわれら地上の愛をいさかふ
水色の遠き日のことあらはれていさかふスカイ・ラブ解体後
クリツィア動物園てふプリントの象のシャツ着て外出はせず
睡りつつ母となりゆく妻ねむりふとにがにがしかる花あんず
眠りたる息かぐはしくたちばなの楔形文字は部屋ぬちに満つ
月曜は朝からしとど雨にしてあみがさだけのモリユも焼けり
屋根の上に干し忘れたる葡萄色の毛布濡れつつ夢テヘランヘ
亡命をゆめものがたりなす夫婦ゐて昼餉のジャムの上の銀蠅
草むらに棄つ冷凍庫よりこぼれゐて腐りたるむらさきの海老
妻ねむりつつふるへたり披璃披璃と不器男句集に淡き黴の香
犬の名はジンジャー・アレキサンドリア繊き白き歯生え揃ふ
塵芥もてなかば埋もるる火口湖ゆ犬が咥へて来る黒きシャツ
蔓草の蔓からまれるテレヴィを打ち降るねずみいろの驟雨は
折れまがりたる釘二本捨てられて夫婦の午睡のごと錆び始む
まどぎはの牛乳瓶に砂つもりをりふしさむきゆめのゆくへは
六声の謎のカノンにはつなつの蝉まよひ来て鳴きいだしたり
父祖伝来の土地をあゆみて戻り夜の妻にむぐらの夏風邪献ず
カタロニア地方に旱、地震ありて妻の氷枕のための氷を砕く
妻は風邪、みひらけるまま眠り眼の淵にはばたかざる小灰蝶
オルガンがほろ若き豆の粉を磯く女の背後で鳴りはじめたり
編みさしのレースのふちのフィヨルドに雷ふりて寒き妻はや
わすれたるもののごとくに乳房あり革命といふ語彙の上の蠅
月光は睡る乳房のなかばをつつみしろがねの耳海に墜ちたり
ラビツスの絵のかまきりは青く揺れ眠る夫婦の汗ぬすまるる
夫婦ただ山椒魚を壜に飼ひ続けボローニヤの駅爆破さるてふ
酸漿を摘みて戻りぬハンプトン・ホーズ忌妻の悪阻しるけき
ヘンデルの花火聴き終へひらきたる眸といふ窓の空間さびし
菱の花、宇宙はつねにうちがはの暗黒を抱きすくめたるてふ
てのひらにつつむ胡桃の薄緑この惑星に子よ生れてくるしめ
柘榴裂けたり淡紅の窓際に夫婦ゐてひとりはサガンを読まず
植ゑわすれたる球根にふりつのり雨水曜日の夜半におよびぬ
室内に雨しのび入りひつそりと夜のダルシマの弦を濡らせり
野ねずみは忽然とあらはれてわが夜に聴き残したる音楽齧る
浴槽にくはがた一匹そのほかは家鴨、亀、河馬、海豚の玩具
「ドラゴン」のおもちや花火は黄道をそれ 漆黒を掌およぐ
かんむり座その半円に水満ちて見るわれわれの渇きは癒えず
坂の上に灼かれてゐたる自動車が一夏の果てに溶け始めたる
自動車の窓銀色に砕けつつ鳴りやまざりしブツカー・リール
美術館うらの暗渠にみづ落ちてさむき絵の具の指ながれをり
燃ゆるジラフに新しき謎あらば首の高さのあきのきりんさう
山繭や世のはじまりといふことの眼のかたすみに空白があり
夜の妻の不整脈しづまらざればペルシヤ湾岸まできりぎりす
秋の壜よりあふれつつ卓上の「バーボン通り」の音楽濡らす
萩の皿割れてつゆけき一滴のぶだうのみづもさらはれにけり
臨月の妻は盥にありとある星座をしづめていま眠りにたるか
ひびわれし蟹座みづかめ座に溺れ日々われわれの窓を風吹き
指からめあひつつ眠る楼蘭のミイラ 狭庭のコスモスたふれ
秋の餉のまづしき卓を飾らむにえびかづらてふ古事記の葡萄
バグパイプ鳴る身体の部屋ぬちにいさかひてをり木曜日より
諍ひて夜におよびぬ一葉忌ほそほそと紙わたる鋏の音やまず
緩き地震ありふりあふぐをさなごの眼に星雲のペルシャ白菊
獣医kけだるき午後に未来を語る酒さびて目のゆくへの蟋蟀
大の避妊終へて帰宅すF・キヤプラの撮りし映像の白き黄昏
いづこにも飢ゑあらざれば飼へる犬の反芻症を哀しむといふ
星物語、夢を齧りてスピッツと妻子眠れり、暁のコスモス台
花を食ふ犬飼へる妻ふとにがにがし乳房の先に塩かがやきて
あたらしき悔恨、母と子はよぎりゆく獣園の白き一角犀の前
『秋のソナタ』見終へて霙、母と子の入り乱れたる靴跡の上
雪みぞれ降りくらしつつ神経の繊維をくたし 犬病みにけり
地下室のごとき酒場を出づる時黒木焚く香を想はでやあらむ
雪虫の油彩のごとき出でしよりや鬱々としてたのしまざらむ
霜の澤をまたぎこす虹はみづからの虹杉をそめ遊ぶいづこへ
虫籠に氷の破片ひとひらありて夜半きしきしと響きやまざる
怒りもて化粧終へたり梳く髪のなかよりふたつまど蛾孵らむ
他人の血流るる街を帰り来て「坊やは火星に亡命するわよ」
冬の岬、家族たづさへゆくわれのうなさかに顕つ錆びし帆船
鉄の家せいたかあはだちさうばかり殖えし小庭に冬火を鮎ず
父たるはさりさりと噛む馬の眸のごときや「曇りのち雪」と
あかときの声あらざれば室内の氷のごとき壜くだかれてゐる
降りかつ消ぬる雪の部屋ぬち洪水は遠しとほしと呟きあゆむ
噛みくだく氷のなかゆ帆船があらはれて消ゆあらはれて消ゆ
売らむとしつつためらへり鍵盤の間の挨、エルモ・ホープ忌
神病める二月しづかにひらかれて冷蔵庫の霜とけつつあらむ
冬の館よりこほりたる大時計はこぶ橇見ゆ、樹々ねむるころ
兎の童話読みきかせつつ革命の語彙すらかつて眩しかりにき