籠について言へば、「月曜日の朝」と題さ れたアンドリユー・ワィエスの繪がいい。 青空に麩のごとき雲浮かびゐて目は払暁のフエストスの文字 冷えびえと鷲鳥の料理、冬の雲うごかざるゆゑ死者を想へり みづうみの氷れる羊歯のひとむらの戦げる音を一日聴きをり 霧ならむはだらに朽ちて水仙の存在しばしはしめりまとへり 小枝細工の洗濯籠に夜半の粉雪が吹きこん でゐて、朝のひかりにそれが輝いてゐる。 水仙の剣のうへに雪降れりたとへば絶対音楽の曲をはるとき 籠の雪めくらむばかりなれどなほ北窓とぢてオバデレ二世忌 革命をたましひとせし日々ありやけふ雪の森燃ゆるを見つつ せせり蝶ふたつまど蛾冬を越すものおしなべて寂しき交尾す
きのふからけふにかけて彼女を訪れたかぐ はしい観念が、自然に私のものとなつた。 ひと抱きてひひらぎの香をおぼゆそも遠き日のてのひらの傷 たしかなるものありやなし三月の牡蠣ゆるゆると胃に腐れり 榛原の濁れるを見きなにごとも未遂のままの都市のはづれに 椎の樹の樹間眩しき海にして思惟はいかほどすはだかなりや ワイエスの繪の展覧会は一九七四年の五月 であつたか。麦酒のやうに溢れてくるのは うつせみをかさなりをれば室内に櫻ふぶきぬバッハやみぬる ものなべて燃ゆる季節しあらばやな樽もて花を焚きて睡れり 花ぐもりつつけふくれば隠国のひとのをはれる谷あたたかし かぎろひに森くづる見ゆ崩れつつ音なきさまを寂しと言はば つねに寂しい幻視ばかりだ。たとへば春の 空から吊りさげられた籠。春の青空の籠。 脊梁をたどりてぬるむこころざし深き春とはなにおもひけむ 悲愴なるべくもなければ花散らふ腑分けのごとき愛を交せり 受話器より泪あふるるあかねさす昼しろがねの酢の中の独活 犬眠る五月はるけき他者の死を嘆くとしもなく昼餉終へたり
ある国の語彙では、籠と檻とはシノニムで あるさうだ。むろんそれは当然のことで、 煉獄とほし 藤ひとふさを毟り来てわが額髪はしみみ重けれ 春霞む麦の酒そもわが髭のおもたきまでに湿りしことありや 慄るるといふにあらねど黄の花に百舌猛る見ゆ昼をしにがし 春遅き執行猶予、かげろふは白猫の耳ゆるがせるのみなるを
一九四四年に描かれたトワイヤンの『消え 失せろ戦争は、墨色の檻であるとともに、 注ぐべき土しなければみづからの血は乾きゆく紫雲英花の上 蝕みてゆくもののみはたしかなるものと思はむ水無月の枇杷 市街戦てふことばありけむ屋上の萬緑にみづあたへをはりぬ されど椅子のかたちに思想を撓め花鳥すずしき初夏のシャツ ひとびとのこころの天牛虫ををさめた、荒 涼たる籠でもあつた。凍えてゆく天牛虫。 ひとくきの罌粟咲きにけりいつさいの歴史拒まむまでの一茎 耳の石まなこなる鐵おしなべて饐えゆくごとき野いばらの花 ゆるゆるとみづに魚翅もどされてゆけりイデオロギーの終焉 三十歳 倫理ゆるみて牽牛花に剃るあさぼらけ髭のくろがね 緑の野をうねうねと進みゆく銀色の、流れ ゆく籠。ヴィスツラ河は陽を受けて膨れあ みづおちの汗ほかならぬ性慾にのみ流るるを夏至といふべし 遠きより白声すなり日輪のそのましたなる野に半夏咲きをり 地に旱彼岸のおもひやふつふつと花藻のかげの蟾蜍肥りゆき 切り岸はかくも霧りぬる八月のこころにはかに縊るがごとく がる これはアルフレツド・ジャリの 『王の沐浴』の冒頭(宮川明子訳)だが、 火星より声ひとしづくこぼれたり炎帝の記を読むつれづれに 南風暗し 夢はしたたり半身のししむら越えて渡りゆくらし 日計の舌かわきをりこのあした歌のわかれにおとろふとなむ 石の上降るふるき日のひぐらしのこゑを挟みて窓を閉じにき ここでは籠は、「人間の肉体」といふ檻を もまた暗喩するやうである。やがて後に、 牛あらふ日はおもひきやわが舌に残りてにがき 千の乳房も 遠野には夕立すらしひさかたのひかりしぼりて声ぞかなかな やはらかき瞼を裂きて稲妻は走りぬダリの絵のなかの「兄」 冬斯の雨、きりきりと身に沁みいるものあらましかばゆかむ 歌手のイボンヌ・ジョルジユとの愛に関し て、ロベール・デスノスの「幻の日記」は 鮎わづか錆びゆく兆しゆきずりの性愛終へて東風に吹かるる 「核」といふ哀しきものを語りつつ夕かたまけて秋の石冷ゆ つつがなく蟋蟀鳴くとや書きてひとに伝へむ海鳴りやまねど 黍たかしされど撰びて咎となすものしなければけふのこの愛 焔のある籠の中の奇妙な鳥、ぼくは宣言す る、ぼくは鋼鐵の森の椎夫であると------ 鶴黒しいささ濁れる水の辺をけふあゆみつつ血を吐きにけり 渡るべき秋とやいはむ核ジャックてふかぐはしき未遂、払暁 宇宙船「地球号」かなし木犀のふかぶかかをる朝にしてなほ 桐の葉を踏みぬたとへば洪水のごときこころは遠くなりけり (清岡卓行訳)と誌す。望まれた日附に、 すべては透明な形でやつてくるだらう、 つひぞ肉体は国家にむかはざりまづ満天星の葉より冷えゆく 「寒雀あります」国のはづれの居酒屋の壁のM16小銃の写真 柑橘の籠 たとへば革命にまがひてゆくべきよはひをすぎぬ 海賊になりたし帆立貝食ひてをんなの歯茎のフィヨルド辿る
羽毛が散らばつてゐる大鳥籠よりも、も つとすてきに--と誌す。肉饅の檻の籠。 石をもて刷りたる暦、地球の暦、野に捨てに来て哀しみ軽し 国はすでに刺繍されしかひといきに水飲みてはや黄葉期過ぐ 空に籠あり一九六五年十一月ゲバラより来し「別れの手紙」 錫いろに空ひらかれつたましひは顎よりまづ枯れそむるなり
冬の籠、といへば、私たちはかならずや、あ の籠のことを想ひ浮かべるだらう。清明で、 霜月の小うさぎの葡萄酒煮ぞ口中に残れる塩を愛と呼ぶべし 愛もまた細切り肉として煮らるひと抱くさまに驟雨浴びをり 牡蠣ゆるむまでの驟雨やしもつきの岸の連弾聴きつつあれど 鰤ねむるままにこほれる渚より帰りてたれに告ぐべくもなし
あの克明な絵を描いたのは一九四五年であ つた。私の「兄」はこの年に死んでゐた。 鰓よりつらら垂れつつ鮟鱇よ逝きたるものはつつがなきかな 吊られたる鮟鱇の口ひとひらの雪食むを見きさてもあるべき 霜の熊笹踏みわけて見ゆ半島の原子炉 そのしろがねの指が たとへばこの眼球を剥がしたるさまと恐れつつ枯木立いそぐ しかし、なぜダリの「パン寵」が冬の籠だ つて?だつてさうぢやないか。今の今も、 夢の病棟Q、色梢子窓かたむきて映せりおほいなる寒満月を 卓上に蟹おぼれたり 夢を病むわが少年の部屋に船あり 船の棺はミイラなす死者のかぐはしき象形を積み歳月揺るる 占星台、燈台、砲台、ひねもすを小庭にありて雪もてつくる
私たちの「籠」のなかで越冬する「夢」な ど、まさに皆無と言つていいぢやないか! 失楽園・朱欒園雪ふりまがふまがふかたなきたましひなどと 依らざるといへどかばかりこの朝の歯ブラシの毛の間氷れる 死なずしてあひ抱くけふの恋人も蘇芳のいろや 実朝忌 餞えしシャツ着なれけりラグビーの渦よりぬけて祖国思はず