走れまどろみ
オートバイ横転したり いつ過ぎしわが若狭路に散る櫻なし
春疾風巻く標野より戻り来てひたすら恋ほし野のいらくさは
つひにかの憤怒は駆らじ 自動車の天窓に氷の星ながれゆく
火のこころとほぎかりたりまぼろしの一騎は森の潮駆を越え
いくたりが世代の兵士うすべにに蟹散る路を踏みしだきゆく
マフノーの書のひとところ遠き日のわが頭上軽気球あゆめり
更紗木瓜、陽はさらさらといづこより射し瞼の底の音楽埋む
陽に射されゐてくやしさを掌上の蟻あゆむまま遊ばすこころ
莱荊花やにほふ指もてエーリツヒ・ミーザムの書を日に曝す
くだかれし天上の鈴ひとひらをくはへ大瑠璃の溺るるみどり
部屋ぬちの玻璃器かすかにふるへつつ南風に斑鳩の黄色の笛
鶺鴒の波なしひかり殴つ朝のカノンのゆくへ問はでやみぬる
十年を経てそれぞれはあたらしき対位法を纏ひつつ睡るらむ
芹のみづまとひつあゆむ父たらむあけぼのきみの消息絶えて
父といへけはしからざり春服のかひなほつほつ辛夷をかかへ
梅の香をまとへるきみの掌を離れほとほとと飛ぶ円盤あはれ
花虻に凭られつつはかななないろの紙風船がそよりと浮きぬ
さなきだに花冷ゆる昼抒情詩の言葉病みつつ氷頭を食らへり
風信子、届かぬ葉書、オキーフの絵の青空のみづみづしけれ
きみゆきてのちの歳月にじむまま一羽の雲雀腑分けをへたり
きみは血に従ひてゆき白鳥の問ひうしなへるわれらいづこへ
暁の野のはてなる芹を思ひたり宿酔のゆゑの湯にくだりつつ
栗の花まどろみに石斧を見てたたかふといふ語彙のさびしさ
寝台の脚もて圧されたるゲバラ書簡集にぞ黴、梅雨いたり候
いづこにも地異あらざれば銀の雨にヘアピン・カーブ刺され
雨の日も飛ぶといふなる蛇の目蝶その一繭は羽化せざりけり
睡る眼のまぶたの壁のあらつちをあけぼの梅雨の蝉やは敲く
鴫立ちてつかのま湖にこぼれたる虹はぬぐはじ眸に滲むとも
夏至ここに夢まどろみを解き放ち水上の羊歯なびかせてみよ
ひざまづく水辺の膝におよびたり鳥墜ち水の弧のきはまりは
青年に泳ぎ髪垂れゐたれどもこころに刺さる酢のごときなし
砂丘よりくだり来たりて靴紐をむすびなほしぬほろ若きまま
革命といふ語彙かつて輝ける唇に茴香、エッシヤーのシャツ
夜はむろんわれらがあとに就き来たるべし 夜の蜥蜴光れり
薔薇色に炎上すなる都市などあらず焼却炉に蜂溺るる見つつ
うしなはれたる世代とや 夏の子が犬呼ぶ笛を麦もてつくる
夏百日 天変あらじみづの香をまとへるみづは地上をめぐり
夏日斑に髭さはりつつ革命のにほひたとへばひまはりの種子
ヴィトゲンシュタイン 塵芥置場に鉄の八月の蠅ふりそそぎ
アンダンの争乱、空はほてりつつつひに地上のいなごよ蝗よ
ひぐらしの胸郭くだけまひるまのいかづちはいま梢をくだる
蝉の樹の下に贋兵士つどひたり 錆くさき汗しとどなりしが
核ジャック未遂、午後二時獣園に戻る孔雀のひらきたる見に
盥もて性器を洗ふ 世代よりたれえらばれてレバノンの百合
とびいろの遠野そもたれたそがれの天の奉書を嘴もて閉じむ
花火果てしのちの漆黒おのづから鳴りいだしたり蝉の器官は
くろき蜻蛉降りて煽れり時枯れしゆゑとこしへの夜の花時計
つゆくさに嘔吐しをへてむらさきの地上の五臓六腑さむざむ
嘔吐するとき広がりぬうつそみの身のうちがはの暗黒星雲は
地の炎上映らざりしやささきりのついばむ朝の水のをはりに
溶ける魚、光るけものを轢き殺しかがよひゆけり帆船は地を
七曜の波乗り果ててめかじきのくろがねの皮膚脱ぐ、晩夏光
眼の淵に紅海出口のしづかなるたたかひしづむ、性愛ののち
秋の蛾やとほくのものが色褪せてゆくわれわれはここに佇み
鳳仙花はぜてあかるむそのかみのたれか地上に星を播きけむ
たまはりしもののごとくに青年を飾れるゲバラ髭剃られつつ
鳥を飼ふのみと伝へよ髭剃りて九月なべてをうべなひぬると
半島に朝鮮じやのめわたるてふ秋ふかぶかとわが世代の美食
くろがねの兜を置きて来たりしは空港燃ゆるまぼろしの辺に
カクテル・モロトフ闘争始末記、さばくひたきてふ鳥を飼ひ
読む行為寂しアジアの森林のふちくれなゐをふりこぼしつつ
われわれはつひに囚はれつつ聴かむとほく隕石を濡らす秋霖
日本のといふ前置きのある戦後濁りつつ雨のかげらふが飛ぶ
しづかなる抵抗ののち縛されてをとめご出づる暗き眼いづる
窓とじて海よりくらくたちあがりたる秋の虹の脚切りおとす
卓上のチェス半身の馬たふれことばの格子にふるあきざくら
茴香のみづ眼のうへにしたたりてつかのまながら黒き馬見ゆ
麺麭の上に芥子の実散りて食卓の歪める脚のきりぎりすはや
鮎錆びてうつろふ氷雨の橋脚に白きかうもりの骨かかりをり
宿酔の朝のシャンソン「あいつらが世界を壊す」秋終りたり
からたちや痩せゆく思想ふとる牡蠣管弦このごろ一切聴かず
吹き迷ひ来て靴中に散りたる残菊を踏みにじりこころ愉しむ
廃港につみのこされたる木材がゆるやかに化石してゆく冬至
冬の泉噴きつつこほる一瞬にしてうしなはれたるものありや
「余白の街」てふ小説の読後にて踏むあけぼのの羊歯の強霜
ゲバラ忌を経て娶りぬるをんなやや肥りゆくらし雪ふり始む
「今晩はテレーズ」読みてゐたりしが酒尽きたれば白銀の森
二十七歳冬の芹全面的十二音階紅茶甘したしかに小ブル雑派
肉体は政治にはしりたましひは されど足裏に雪かくづるる
音楽に似て雪やみぬたましひは奔らざるままはしらざるまま
とほき地の動乱を読むひとのくちびるよりこぼれたる冬料理
雪礫、はるか眸を閉じ卒然と従妹に「おもちやの交響曲」を
雪渓のうちをひねもすはこばるる未完の愛の花の種子とはや
彗星をみうしなひてより九年、あかときまれに醒めつつ雪の
雪匂ふ畳のうへに絵合せパズルの孔雀の羽根の青きひとひら
雪割られたる街を行くむざむざと雪の内部に月光は満ちたり
如月や老クロボトキンの葬送に遅れほとほとうさぎをくらふ
凍港に硝子工場はつつ立つてゐてひりひりとむなぐろちどり
あかときの偽十字星よ永遠のゲリラたらざり 父たらむとし
叛乱罪の記事刷られたる新聞紙もて包まるる花火、きさらぎ
ビイルマン・スピン映せるテレヴィの水上の痕だらけの霞網
冬の遠雷 音楽堂がかたむきて見ゆづたづたの事故車の窓に
冬の十字路渡らむとするたまゆらに聴けり管楽の節氷りたる
雪を揉む噴水マイルス・ディビスに老醜滲みたるゆふまぐれ
たはむれに卓上に置きたる三月の氷柱が針となるまでを見る
冬の樹に精液あふれゐたるてふ夢を見しかなそののちさびし
月光微塵、夢のをはりをしろがねの砕氷船がとほりすぎたり
一本の手を植ゑて来し若狭路にかへりみすれは地のかけらふ
まぼろしの馬は馬蹄にしろがねの星を嵌めたり歩まざりけり
つひに地に乳は溢れじふりそそぐ粗きひかりを走れまどろみ