鵞鳥のグワッシュ


変奏舞曲に夜の春霙ふりしきり宇宙といへどかくてやあらむ
変奏舞曲=シャコンヌ

みなかみの羊歯にや雪の消えつらむ飲食ののちのにがき韻律

内宇宙より噴き出づるつぶつぶの蕁麻「混沌」聴き終へ眠る

はだら雪の上に棄てられてゐる鮟鱇の臓腑を漁る犬の舌見ゆ

卓上の風景いづこも乾きつつ花の書をとぢ天金に指遊びたり

兄いまだ独身、原子物理学者のつゆくさのむらさきのシャツ

はらからと逢ひやはらかき齧歯目うさぎの肉を啖ひ終へたり

政治狂たらざる兄は温室にグロキシニヤなる花を栽培すてふ

チェス終へて晩餐終へて芝の火を囲み家族が『惑星』を聴く

絵の中に蟹ゐてむごき嘴をもて描かれてゐる皿砕かむとすも

エルネスト・カブール弾ける「虹色の平和」顎頽るるごとし

あざらけき海豹の死にひかり満ち溢れ来たるを怒りとなさず

「定冠詞つきのをんな」と斑鳩野に聴く一笛のペルーの古謡

遠景にカノン砲あり画布の辺をほほゑむ少女あゆみ入りつつ

饐えやすきもの花うつぎ、花茨、軽鴨の子、壮年、十二音階

カウツキー論したたむる、梅雨の夜の水鉢に金魚の花咲けり

口中の鯨やしろき霧雨にヴィオラ・ダ・ガンバの内部湿りぬ

眼窩こそ水溢れきて滲みたれ月にフラメン・ディアリスの髪

いもうとはややふとりつつあたらしき龍舌蘭のごとき楽聴く

玻璃窓の奥の玻璃器に亀飼はれをりわが屈辱をわれは語らず

蘭の部屋いでて首夏なりむらさきのにほへる首を夕空に見き

眸をとぢてあればマタイ受難曲ながれ蝦蛄の鎧のうすみどり

十二歳、姉くもりつつ悪童をしたがへて見る火をはらむ蜘蛛

いにしへの図録、未来の滅亡のくだりをくらき天牛虫が噛む

くろがねの穀象を潰さむとして暗き力わが少年の指に溢るる

水夫、水兵、法王のズワーブ兵、夏至わがチェスの王奪はる

蜂の子を食す夫婦にいまだ子は生れず眼といふくもり硝子の

ともがらのT氏まづしき住宅の床に百足虫のいづといふなる

この午後のたれあらざればとて万緑は球戯室の窓に満ちたり

夏の訃を伝へをへしや公園にふるき受話器がぐしやりと潰れ

伯母の歯はくろし葉月の革命家列伝にオバデレ二世の名なく

むぎわら帽 子を持たざれば核ジャック防止対策委員の兄貴

娶りたるをんないまなほ処女にしてランゲルハンス島の熊蝉

深海魚姉に飼はれて深更に聴くバーセルの『薔薇のすみか』

大家族ねむりぬ多足配線の末端の蚊とり器もて宇宙論をはる

ひと眠るむねに白桃この生を生くるけだるさ置きならべつつ

ゆくりなく零れて眩し日に射さる毛語録より紙魚のしろがね

ジャズダンスもて汁みづくすでにして家庭を厭ふ心失せたり

竹伐りてこころ騒げる半島に新しき核基地のごときもの建ち

瀧あびて昇天ぞよきともがらの火炎壜愛好家ひとりはすでに

夏は蝿座、蛾を侠み書を閉ぢて行間の発砲を聴くとしもなく

「父よ兄よ我は王なり」いにしへの書のうへあゆみ天道虫は

あかねさす誇張表現、戦地より「ああ泣涕は雨のごとし」と

髪泳ぐわがみなかみの夏時間ひさしきものはとほくにありき

なつくさの岬ふかぶか行きはててそらに忘れし弾やありけむ

わが愛に肖てスカイラブ墜つる日も冷凍されケニア沖の海老

脛のなかほどの丈のスカー卜弟はとはに誘拐されずに死ねり

緘黙児ひとりを置きてそのめぐりスキップ・フロア式の住宅

猿酒やここより先を思秋期とよぶ叙情的宇宙狂なる、男友達

月光にさねかづら透け中世の黥刑てふをおもひつつやあらむ

マザッチオの光あふるる秋の絵の複製を見きまがまがしけれ

生死すらいささかとほし秋まひる猩猩彿彿のひたひのひかり

わがうちに恐慌ありき鎮まざる幾夜か経てや実ざくろ饐えし

半島の政変、月の峠を来てみづからの眸を洗ひてのち夕餉す

静かなる一日暮れつつ紛れゆく「世のはじまり」の秋の白繭

いづこにも在らざる秋に水落ちて UFO の実写フィルム流れ

紫のひとむら桔梗むらさめに濡れたり 「宇宙人への手紙」

くはばらの錆びし鍬うつ雷ありて出家てふ語彙にはかに寂し

「夢の亡命」とほみ散りぬる夜の妻の僧帽弁の薔薇かなしき

性愛ののち死海文書を読みて眠れり たとへば蟇こもごもぞ

妻の焚く香内院にただよひて葉鶏頭わづかにわが血を吸へり

献血を終へて眩む『水の日』のアントニアかの憑依ともしも

牡蠣のピザ放射状に剪り分けて 母よりの文絵ことばなりき

ひと棄つる思ひはあれど日照雨なす秋海棠のまぶしかりけり

幻影の干潟のかたゆ死者の地へ渡るちやうげんばうの声鋭し

まどろみに三半器官ぶれながらガレオン型帆船は火星に航る

朱欒食ふとき身のうちに風立ちてたとへばほろびゆく超巨星

夜の霧ながれやみぬるつかのまのかまつかの紅闇をよぎれり

一斉にたちあがりたりしやわれら思ひのほかの尾花そよげり

垂れたるをむしろ諾ひ過ぎ来たるいまきみに言ふ萩も他界を

牡蠣くふは寂し 終日わが枯葉色にカザックの白地図を塗り

昼火事を視野に収めてつつ佇つてゐてつひに翔つといふなく

黒き麺麹黒きすぐりの蜜をもて飾りぬ夜の「フエデレの壁」
壁=ムール

神経のささらに触るるこの夜の木の実のしぐれ誰に告げなむ

銀河にも時雨ぞかよふわれらたましひの異邦の人となるべし

一日のたづきに葛を掘りし夜の机上ムーアの「象の頭骸骨」

黙示録、ここよりほかの野に栗鼠は棄て置かれたる木琴噛る

てのひらにつつむいちゐの実の肉のくれなゐ熱き動乱を読む

残菊の夢あとかたもなくなりて競走馬一騎青馬は海を渡らず

枯葉月、耳そのものをはるかなる楽器と化して聴く人あれな

「勇魚とる」とは言葉の狂気、白銀の鯨の尾の身啖ふこの朝

陳述はひたぶるさむし 両眼の映るまで一顆の林檎をみがき

飢ゑを待つゆゑ自由とは虚偽にして身の外側は枯葉なるべし

飢ゑは存在と言ひたる叙情詩をけふはにくみて啖はでありき

聴されて言葉の狂気あらしめよこの街に銃器店『鳥』閉店す

耳に粟生るるおもひやこの坂の陽の射すかたへ歩みながらも

地には霜眠るひとりよぎざぎざの羊歯のゆくへを夢想はざれ

けふ掬ふ塩はしめりて口蓋に思想のごとし 吐き棄つるべし

蹌踉とあゆむにふさふこの国の霜のはしらを踏めどひびかず

眼に石の生るるおもひぞ冬天の低きがもとにかうべ垂れつつ

行きどころなき爆走の雪吹雪わが青年の眼の裏の気圧の谷は
気圧の谷トラフ

霰魚みもよもあらぬ「体制」といへそのうちがはの欲情寂し

くだら野の崖ゆくだりて見渡すといふ日常をすでに越えにき

オートバイ錆び始めたり走りかつ舞ふ転調の雪のシヤコンヌ

義仲忌ここより他にあらざればこの怒りもてかの享年を越ゆ

梢さへけぶりて楡は愉しくやあるダルシマをいくたびも聴く

淵に雪ふりつつしづむまぼろしの銀河のかなたも水流るてふ

惑星に雪ふりしきるこの弥撒や 今在る我らいづちゆかなむ

凍えるは頬より咽喉にかけわたす轡ならねど告げむすべなし

狩人の四五人霧を纏ひつつゆくしののめのリュートは弾かれ



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