短歌人「今様」欄 

 
      この今様は「短歌人」2002年1月号〜12月号に連載されたものです。


■西王燦の今様塾 2002年1月号

特選

  二羽の小鳥を飼っていて
  ひすがら歌をうたいます
  歌をうたってないときは
  いつも喧嘩をしています
             
谷口龍人

秀作

  いぬの仔打った夕まぐれ
  母さんまあだ帰らない
  いぬの仔打つも打ちあきて
  いい子にしても月が出る
             
扶呂一平

佳作

  きかいじかけのブラインド
  おとなくあがりひとのゐぬ
  まちあひしつのあさのゆか
  わがかげひとつのびゆけり
              
川 明

  粋なもんだよ「屋根辰」は
  凍る松葉を囓りしと
  シベリアがえり復員の消防士
  火事場に捨て身の五十年
             
笠 美和

  青山墓地に志賀直哉
  志賀家の人の居並べる
  墓石の端に佇めり
  鉄柵あれば近づけぬ
            
秋田興一郎

  枯れたる原に星ひとつ
  弦震はせてひかりをり
  いづこにむかふ歩みとて
  いづこに終はる歩みとて
             
菊池孝彦

  いいことなんかないけれど
  何故か愉しい毎日に
  ウキウキウキと浮き草の
  下で金魚は口開けて
             
森 直幹

  「夏が一番きれいね」と
  私が言へばあの人は
  「いいえ秋です」さう言って
  とても寂しく微笑んだ
             
榊原敦子


■西王燦の今様塾 2002年2月号

【流行】

特選

  このごろ巷に流行るもの
  失業鬱病狂牛病
  団塊世代の縊死自殺
  日の丸なびく自衛艦
            
榊原敦子

秀作

  このごろ地方に流行るもの
  サッカー設備にそのグッズ
  ワールド試合に浮かれては
  獲らぬ狸の皮算用
            
渋谷和夫

佳作

  このごろ生野に流行るもの
  たこ焼き 銭湯 雑種犬
  ハスキー犬は買ひづらく
  焼肉店は怖ろしい
             
橘 夏生

  このごろわが家で流行るもの
  ビーフカレーにコンビーフ
  鋤焼きたたきにしゃぶしゃぶと
  何でもぎゅう牛ぎゅう牛 すべてぎゅう牛
             
椎木英輔

  このごろわが家に流行るもの
  夫の蕎麦打ち隔日に
  打ちてしやまず早々と
  腱鞘炎となりにけり
             
池田弓子

  このごろ巷に流行るもの
  「じゃないですか」と女性アナ
  反語に秘めたその意味は
  (そうじゃないとは言わせぬぞ)
             
小倉嘉子


■西王燦の今様塾 2002年3月号  

【雪】

特選

  シャム泰国の皇子は問ひたりき
  白く小さく冷たきが
  空より落ちて人を打つ
  それなむ雪と言ふなるか
             
如月 佳 

雪という題は、思った以上に難題でありました。後に見るように、雪という気象は、しばしば作者の経験的回想に結びつきやすいために、いきおい内省的な作風が多くなったようです。そのなかにあって、場面や時代を跳ばして描いたこの作品が、もっとも「物語」の余裕をみせてくれました。

秀作

  戦の年の初雪は
  幾多の鳥が結晶と
  幾多のたま魂が結晶と
  化して降りつむ土のうへ
              
高澤志帆
  ♪♪♪ ♪♪♪と雪は降る
  いくさを知らぬ子供等に
  いくさの中の子供等に
  わけへだてなく降りやまぬ
             
冬野由布

 この二作品は、年が改まっても続いている(アフガニスタンを中心にする)戦争状態を、雪に託して描いた作品です。批判をふりかざすのではなく、慎ましい視点から描いたところがよろしい。


佳作

  舞い降りてくる初雪に
  なぜか初恋思い出す
  地面に落ちてあっけなく
  大人になれば消えてゆく
             
岡田至善

  積もった雪が溶ける朝
  人と別れて駅へ行く
  びちゃびちゃ雪をふんづけて
  大事なものを取り戻す
             
芝 典子

  きみに別れを告げなむと
  ひらきかけたるくちびるに
  あは雪ひとつ落ちきたり
  きみが肩にも降りきたり
            
服部きみ子

  小泉八雲の雪女
  怖い話の出どころは
  わがふるさとの村といふ
  渡し場いづこ雪が降る
             
小山眉子

  静かな夜に降るゆきは
  とおい記憶をかき立てる
  ちちははがいた幼い日
  さらさらさらと雪は降る
             
谷口龍人

 
初恋から、亡き父母への追慕まで、順番に並べてみました。「雪やコンコン」の、コンコンというのは「来い来い」という意味だそうですが、現代の雪のイメージは、それを楽しんで待つ、というより、しみじみ振り返る傾向が強いようであります。
 さて、今様を作ってみる場合に、すこし長めの詩、もしくは物語から言葉を削っていく方法と、短歌のような短い詩形に言葉を補っていく方法とがありそうです。どうも前者の方が、うまく行きそうですね。


■西王燦の今様塾 2002年4月号

【花】


特選

  ことしも咲いた花なのに
  いつもとおなじ花なのに
  やはりどこかが違います
  きみが居た日と違います
             
谷口龍人

この欄の常連になりつつある作者だが、やはり、上手い。妻に先立たれた男の述懐と読むのが普通であろう。しかし、ここに描かれた「きみ」は、親しい友人との死別とも、恋人との離別とも読めるような普遍性をそなえている。

秀作

  同期の桜かずあれど
  上月昭雄はうたびとで
  小沢昭一げえにんで
  早坂暁は脚本家
  (詐欺師の友部もわが同期)
              
川 明

この作品には「海軍兵学校七十八期生」という詞書きがある。登場人物の驚くべき取り合わせとともに、戦後の永い時間が透けて見える。事実の手柄による作品。

佳作 
「花」という題は、なぜかしら「地名」を想起させるらしい。いくつか例示。

  鬱金といふは浅黄なる
  はなびらもてる八重桜
  南千住のホームより
  見えしが最早かげもなし
             
榊原敦子

  長興山の夜桜は
  寒い山から下りてきて
  ライトアップに驚いて
  蹲っているタランチュラ
            
秋田興一郎

  桜餅なら長明寺
  江戸の時代にはやされし
  隅田川沿い恋人と
  花見がてらに食べしゃんせ
             
渋谷和夫

  日曜画家の青年は
  花の絵ばかり描いていた
  風の便りのメール来て
  ニュージーランドに住むという
             
岡崎宏子

  小川に散ったはなびらが
  流れ流れて海底の
  きれいな貝になるという
  絵本を探してくださいな
             
冬野由布

  風に舞い散るはなびらが
  耳をくすぐるさらさらと
  小川の波や遠い日の
  汽笛の音も聞こえます
             
安倍光恵

  万葉人の愛でたるは
  梅桃杏かぐはしき
  花は桜となりしより
  人の命も散りやまず
             
如月 佳

 如月さんのお書きのように、万葉集中最多の「花」は梅であった。梅の花が百十首に対して、桜は四十二首。ただし、桜が不人気であったせいではなく、当時渡来した梅が(庭木として)爆発的に流行したせいだ。詳しく述べれば、面白い話題だが。



■西王燦の今様塾 2002年5月号

【新】

特選

  古市(ふるいち)という町があり
  新(あたらし)という村がある
  川の流れは悠々と
  変わらぬものを運びをり
             
如月 佳

 
今月もこの欄の常連が特選になった。新が村で、古市が町であるところ、ちいさな発見があり面白い。それらを貫く悠久の時間というところか。調べてみると、新村は日本に十一、たとえば奈良県北葛城郡新庄町新村。古市町の方は十ある。奈良県奈良市古市町・三重県伊勢市古市町など。

秀作

  新幹線の騒音を
  低くするため働けど
  ほんとに消えてしまったら
  商売替えをしなくては
             
村田 馨

 
村田馨さんは新幹線の騒音を減らす仕事をしているようだ。私がこのように私的事情の見える作品を選ぶことは多くはないのだが、とにかく面白いので、秀作とする。
 以下、さまざまな「新」を採り集める。


佳作

  新百合ヶ丘、百合ヶ丘
  新御茶ノ水、お茶の水
  新横浜に横浜と
  新に救はる駅名は
             
榊原敦子

  新月みするまぼろしは
  昭和のアパアト父と母
  姉がをりしは錯覚か
  姉という名の小さき鳥
             
橘 夏生

  海の潮ひく新月の
  七里ヶ浜の海底を
  ウミウシつつき散歩して
  卒業式をむかへたり
             
高澤志帆

  新緑したたる公園に
  詩集ひもとく乙女あり
  老夫婦には微笑みを
  椎の古木が与えおり
             
岡田至善

  布にくるまれ新しき
  命は小さき口をあ開く
  母の乳房は慣れぬまま
  吸はれるままに乳与ふ
             
近藤 恵

  素肌にはおるワイシャツは
  新品よりも着古しが
  糊の香よりもひ陽のにほひ
  そしてなにより・・・・・が
             
池田弓子

 
こうして選んでみると、「新」という題は、それぞれの作者に「旧」という反対側のイメージを喚起させるようだ。つまり、「新」を要求されると、頭のなかで「新」を定義するための「旧」が、ぐるぐると反転しはじめるのだ。このあたりが、短詩系文芸の面白いところか。


■西王燦の今様塾 2002年6月号

【風】

 
今回は少し雰囲気を変えて、いわゆる「バレ歌」めいたものを特選に選んでみます。セクシャルハラスメントだ、などとお叱りにならずに、楽しく読んでください。

特選

  風に揺らぐはイヤリング
  ノーズリングは鼻息で
  おへそリングは風知らず
  避妊リングは闇の中
             
川 明

 
この作品の面白さを解説するのは野暮なことだが、ことに三句目が効いている。見えるものから、見えにくい箇所へ視線を差し伸べてゆく方法意識は、おそらく短歌にあっても有効な手法になるだろう。

秀作

  三畳一間のすきま風
  風邪をひいたらルル三錠
  風に吹かれてボブ・ディラン
  いつまで風雪ながれ旅
              
倉益 敬

 
秀作にも「引用モノ」を選んでみます。この作品でも三句目が手柄。今様形式は、「起承転結」が使いやすいようだ。

佳作

  東風(こち)に想いを道真公
  西風(にし)を詠みたるシェリー卿
  椰子の実南風(はえ)に吹かれ来て
  北風小僧 空っ風
              
藤倉和明

  ダイオキシンを散らす風
  プルトニウムの光る風
  オゾン層抜け太陽風
  虹もひといろ紫に
              
矢嶋博士

藤倉作品も引用モノ。東風は「東風吹かば」の梅の和歌。南風は柳田国男の贈った椰子の実を島崎藤村が詠んだ詩。この場合の南風は、いわゆる「貝寄せ風」にあたるらしい。西風は、Percy Bysshe Shelleyというイギリス・ロマン派の詩人が書いた「西風の賦」。北風小僧といえば「寒太郎」だが、そこまで書かぬのが花か。

さて、「しみじみ系」を二首。

  飛騨高山に、今は亡き
  妻が買い来し風鈴が
  軒端の風に揺れながら
  在りし日のまま鳴りやまぬ
             
竹村幸雄

  四月になれば思い出す
  勤め帰りの私から
  大好きだった花柄の
  スカーフさら攫った風のこと
           
岩本喜代子



■西王燦の今様塾 2002年7月号

【雨】

 
北原白秋に「雨が降ります雨が降る 遊びに行きたし傘はなしべにお紅緒のかっこ木履も緒が切れた(中略)雨が降ります 雨が降る けんけん子きじが 今ないた 子きじも寒かろ さびしかろ」という名作があります。大正七年九月に「赤い鳥」に発表され、大正十年八月に弘田龍太郎によって作曲された唄です。このようにズバッと核心を衝き、映像的な印象の強い作品を目指したいものです。

特選

  をやみなく降る雨の音
  夜中目覚めて寝ねがたし
  襖一枚隔てては
  鼾かきゐる若夫婦
             
秋田興一郎

 
この作品は、旅中詠として読むと、じつに面白い。芭蕉の古句をもじれば「一つ宿に夫婦も寝たり夏の雨」というところか。

 秀作

  だまって傘をさしかけた
  ひと青年の名前も聞けぬまま
  雨の坂道帰り来し
  はたち二十歳の夏はもう遙か
            
山本じゅんこ

 
青年(ひと)という、いささか濃い目のルビを、敢えて生かしておいた。この作品のような淡い初々しさは、失いたくないものだ。

 佳作

  雨雨降れ降れ少年期
  相合い傘の青年期
  濡れて春雨壮年期
  雨だれ聴くは老年期
            
藤倉和明

 
この「雨雨降れ降れ」は、むろん「あめあめ降れ降れ、かあさんが、蛇の目でお迎え、嬉しいな」の引用。ところが昭和五十五年に、阿久悠が「雨々ふれふれもっとふれ 私のいい人つれて来い」という『雨の慕情』を書いた。やっかいだ。
 

  オランダ坂に小ぬか雨
  そぞろ歩きの石畳
  どこへ行こかと思案橋
  亀山社中は夢の跡
             
村田 馨

 
村田さんの今様もまた、どことなく先蹤する歌謡を想起させる。今回の「雨」という題は、こうした傾向を誘うようだ。
 すこし雰囲気の違うものを以下に。

  動物園に雨が降る
  お客の少ないこんな日は
  ほっとするけど淋しいと
  老ライオンの顔が言う
            
岩本喜代子

  あわれみ深く雨は降る
  壁に這いずるなめくじを
  かえりみすれば苦かりし
  思い出ひとつ蘇る
             
本間泰世

  しだり尾の雨ふり古(ふ)るを
  怖れし幼な鬼が島
  女(め)はなみだぐみ春も終(つひ)
  洗ひ流せよな汝がながめ
           
小澤正邦


■西王燦の今様塾 2002年8月号

【海】

特選

  君に貰った桜貝
  置いて並べて数えます
  海はほのかな七色の
  虹の破片の墓なのか
              
関谷啓子

 
綺麗な作品です。じつは、関谷さんの原作は「姉に貰った」でしたが、ほのかな失恋の色合いを含めて、「君」にしてみました。この方が普遍性を得ると思います。

 さて、三好達治の『郷愁』という詩に

  海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の  言葉では、あなたの中に海がある。

という一節があります。フランス語では、「母」はmere(メール)で、「海」はmer(メール)であるから母の中に海が隠されているわけですね。一方、日本語の古い漢字では「恭」だから「海」の中に母がいることになる。三好達治の『郷愁』はいわば「母の胎内に存在する海」への回帰願望の色合いもあるようです。

秀作

  ラ・メールこれはフランス語で
  ディ・ゼーならばドイツ語で
  どちらも海は女性です
  水がすべての母だもの
              
藤倉和明

 
いかにも三好達治ふうの作品を秀作に選びました。この4句目が、いい。
 なぜならば、以下に掲載する佳作の多くが「水がすべての母」であるというところから詠まれた作品であったからです。

佳作

  太古の海のウミユリの
  ゆらりゆらりとまぼろしの
  わがまなかひに揺らぐゆゑ
  朝、光こそまぶしけれ
              
本間泰世

  貝も魚も海草も
  分け隔てなく育ててる
  海は誰かに似ているね
  気がつかないでいたけれど
             
岩本喜代子

  アンモナイトは滅びゆき
  太古の海にふりつもる
  閉ぢた螺旋の果てにある
  ヒトの遺伝子かもしれぬ
              
如月 佳

  原始の海に陽はそそぎ
  いのち生命の核があ生れました
  やがて生命は進化して
  醜いヒトになりました
             
谷口龍人

さて、今では熱も冷めているかもしれないが、ワールドカップ記念にひとつ。


  海の彼方の列強の
  サッカーチームの国柄を
  調べながらの観戦に
  想いの果ての地球儀よ
            
渋谷和夫



■西王燦の今様塾 2002年9月号

【月】

 今
月の題は「月」です。伝統的風流の月が登場するか、西欧的なルナティックという傾向が登場するか、衛星としての月が登場するか、それぞれ取りそろえてご披露。

特選

  枕の下に櫛を置き
  夢で逢はむか二十五時
  窓から仰ぐ三日月は
  想ひ断ち切る剣なり
            
エリ

 
枕の下に櫛という民俗的行いの出所は、『紅楼夢』であったか?とにかく月→櫛という連想がいい。三日月という櫛もあり。

秀作

  月の雫を吸ふわたし
  月のかけらを呑むあなた
  出逢ったころの満月も
  いつしか欠けて細い月
           
山本じゅんこ

佳作

  ちぢに乱るるわがこころ
  月は冴ゆれど身は曇る
  ふたりの男に懸想され
  いつそ二人に抱かれよか
           
楠藤さち子

 
秀作と会わせて、月・恋の歌を二首。続いて『山月記』や『カファルド』に見られる月・虎、月・狼の歌を二首。

  月あをあをと満ちくれば
  からだ苦悶にみたされて
  うづくまりたる背中より
  獣いきいきあらはれつ
           
榊原敦子
  お花畑がありました
  月夜の花は宝石で
  あげたい人があるけれど
  残念ぼくは狼だ
           
竹地陽子

 
竹地さんの作の「狼」は西王が原作を改竄して狼にした。悪しからず。

  田舎芝居の書き割りの
  月想わせて山の端に
  お盆のようなまんまるな
  月あかあかと出でにけり
          
竹村幸雄

  銅鑼のやうなる月
  「桃の花湯」の煙突に
  探偵けふはお休みで
  路地にコートの衿立てる
           
橘 夏生

 
衛星としての月を強調した作品はいくぶん少なかった。たとえば、次のごとし。
 
  月が出た出たまんまるだ
  背負うた孫のいうことにゃ
  アンパンマンがさびしそう
  宇宙の無限を知るはいつ
           
細山久美

  カリスト、チタン、トリトンら
  とても大きな衛星も
  月という名の宿命で
  惑星離れちゃ生きられぬ
           
岡田至善



■西王燦の今様塾 短歌人2002年10月号

【秋の食べ物】

特選

  吉備名産のピオーネに
  わたしゃ朝から袋かけ
  七千円の日当に
  一升五合の汗をかく
                
楠藤さち子

 ピオーネは巨峰とカノンホールマスカットを交配して作られた葡萄。ウェブ楽天市場には「大粒、種なし、甘い!路地葡萄のエース!」というコピーが並び、二キロ箱五千円。この今様では、そのピオーネを生産労働する実感が、あかるく描かれた。

秀作

  夜の卓にはマスカット
  亡夫と私の思ひ出の
  岡山産のマスカット
  翡翠の色のマスカット
                
水足房子

 
亡夫は「つま」と読む。マスカット・オブ・アレキサンドリアという名前は昭和五十六年の歳時記に出る。涼しさを誘う葡萄だが、もちろん秋の季語。アラビア半島南東のオマーンの首都マスカットで栽培されていたという。アレキサンドリアも地名。この作品も地名の風情が生きている。夫の生前、ふたりで岡山へ旅をしたのだ。

佳作

  八月はじめデパートの
  中はすつかり秋の色
  二十世紀といふ梨を
  探してみても見つからず
                
如月 佳

 
世相が見える作品。二十世紀梨は市場から消えた。そのことを記念して掲載しておく。鳥取県には「二十世紀梨記念館」というものもある。発祥の地は千葉県東葛飾郡八柱村大字大橋(現、千葉県松戸市二十世紀ヶ丘)で、明治時代に松戸覚之助という人が発見・育成したらしい。

  岩手名物ずんだもち
  枝豆ゆでて作りたる
  粒餡まとう緑色
  いづど食べたらやみづきだ
               
岩本喜代子

 
「ずんだ」とは枝豆のこと。伊達政宗の陣太刀から来たという説と、「豆打」という説とあり。五個入り六パック三千八百円程度で年中売っているが、たしかに秋味。

  毬のはじけた栗の実を
  じっと見つめて絵に描けば
  上手と下手の分かれ道
  猥褻感よ消えてくれ
               
岡崎宏子

  ふるさと信濃の林には
  とろりと甘いあけびの実
  この秋もまた採りにゆく
  はずのあなたはもういない。
              
山本じゅんこ



■西王燦の今様塾 短歌人2002年11月号

 
今月号の題は「機械・ロボット」。

特選
  この模擬びとにパッションの
  あらざりしなる定まりに
  されども暫し息詰めて
  起きあがるさま見入るなり
              
宮田長洋
  
ホンダの「ASIMO」。しかも、このいくぶん屈折した文体がSF風で面白い。たとえば、フィリップ・K・ディックの世界を想起させる。

秀作
  リダラン伯の隠し部屋
  ロボットわれを愛したる
  きみも記号で呼ばれをり
  ふたり錆びつく日を待てり
              
橘 夏生
 
リダランというのは1886年に『未来のイブ』を書き、「アンドロイド」という言葉の元祖になった人物。ロボットわれ、というのはアダリーという名前の機械仕掛けの美女。きみも記号、というのはピリエ・ド・リラダンの名前を正しく書くと、Jean-Mathias-Philippe-Augueste Villiers de l'Isle-Adamとなるという意味。かなりゴシックな仕立てだが、ほのかな悲哀もあり。

佳作

  ダンスができるロボットを
  造ってほしい私です
  タンゴ・ワルツにルンバなど
  毎晩楽しくなるでしょう
               
岡田至善
 
リラダンのアンドロイドを現代に運ぶとこうなる。なにをさせるかは、さまざま。
  
  無塵現場にもくもくと
  動き続ける者どもは
  機械仕立ての労働者
  赤い眼を持つ人形さ
              
谷口龍人
  徐行せよとて旗を振る
  美男ロボット日焼けせず
  熱中症にならぬとて
  重宝がられ忙しい
             
岩本喜代子

「赤い眼」というのはレーザー・センサーのこと。「美男ロボット」というのは高速道路などで旗を振る人形。この二首を読み比べると、ロー・テクの旗振り人形のほうが健康的に見えて面白い。
  
  父の机のタイプライター
  中にこびとが住むのかと
  覗き覗きし幼き日
  戦争始まる前のこと
              
岡崎宏子
  
  台風迫り来るなかを
  ホームセンターに雨宿り
  しびれ続ける電動の
  歯ブラシじっとみつめをり
              
本間泰世
 
この二首、場面は違うが、機械を見つめる気分を描く。山本直純さんも子供時代、蓄音機の中のこびとを探して分解した。
  
  機械が握るトロ・穴子
  不思議なもののはずなのに
  それしか知らぬ子供たち
  ただ美味そうに食べている
               
エリ

寿司ロボットは最近のマシンのヒット作だという。いかにも職人世界を蹂躙したところが、面白く、かつ、恐ろしい。




■西王燦の今様塾 短歌人2002年12月号

 
今月の題「いろは歌」というのは、空海(弘法大師)が作ったという伝説のある、次のような作品、
  色は匂へど散りぬるを
  我が世誰ぞ常ならむ
  有也呵の奥山今日‥越えて
  浅き夢見し酔ひもせず

 こ
の「いろは歌」を新たに作ろうとする試みでありました。つまり

いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす

という四十七文字に「ん」を加えると、ちょうど「今様」形式になります。

例。小池純代『苔桃の酒』所収。


  明けの契りに  あけのちぎりに
  澄む声も    すむこゑも
  いさや覚えぬ  いさやおぼえぬ
  微睡へ     まどろみへ
  寄せゐる舟は  よせゐるふねは
  空夢を     そらゆめを
  唄ひつくして  うたひつくして
  分れなん    わかれなん


 特選
  カシオペア座は北空に
  夢よりもなほ冷えてます
  ロゼワヰン飲み笑む『猫屋』
  古い地図溶け売れぬ苦を
            
如月 佳

 
この作品をひらかなだけで表記すると次のようになります。

  かしおへあさはきたそらに
  ゆめよりもなほひえてます
  ろせわゐんのみゑむねこや
  ふるいちつとけうれぬくを

 
今回は、じつはすべての作品に五つ星を献上したいような企画でありましたが、そのなかでも如月さんの作品は出色でした。
もし宮沢賢治が「いろは歌」を作ったならばかくあらん、というような硬質な叙情を描き切っています。

 以下、今月はすべて秀作であります。「ひらかな表記」は省略しますので、それぞれ、読みながら当てはめて楽しんでみてください。

  菩薩の笑みを破られて
  お願ひだけも許すまじ
  国へぞ消えぬ和郎倦めど
  此方は愛せむ寄り居なん

             
村田 馨

  愛みても夢へ願はず
  うつろなる声問ひやまぬ
  大きく咲けり蘭それを
  詠む輪絶えゐし後に伏せ

             
エリ

  春へ燃へ立ち藺草の芽
  夏濃緑ぞ 吾濡れてむ
  秋大らかに稲を寄せ
  冬真白笑ん陽や薄げ

             
藤倉和明

  老いが詠みしぞ夢の瀬を
  春舞ふ頃へ熱き胸
  なほに萌え干て咲くとやら
  顕ちぬ有為彫り忘れけん
             
谷口龍人

  眠れぬ夜を咲かす夢
  甘え尽くせし嘘や笑み
  不意に危険な人もゐて
  二十歳の頃へほら終わり

             
倉益 敬

私が個人的にはとても感服しました倉益敬さんの作品における「終わり」は歴史的仮名遣いで書けば「をはり」です。しかし、こういう細かい点よりも、今回の難題に挑戦していただいた真撃な遊び心が楽しい。まさに「はら終わり」という感じで、一年閲連載しました「今様塾」を終了します。また、いつかの機会に。