短歌におけるのシンボル性



この稿で私に書くように要求されたことは、題名の示すように「短歌における色彩のシンボル性」ということであり、そこには(赤、白、黒------が象徴するもの)という副題が付いていたのだった。今回の特集の各論は、主に近代・現代の短歌を素材にしているので、私の方は、思い切って古い時代の短歌、万葉集を素材に選んでみようと思う。ところで、私はいわゆる俗流心理学めいた「色彩による象徴」ということをほとんど信じていない。たとえばそれは、「白」が「歓喜」「明快」「潔白」「純真」「神聖」「素朴」「清楚」「純潔」「信仰」を表す、という例のやつ。たしかに私たちは、ある色に対して、しばしば同じような連想を抱くことがある。しかし色彩の象徴(シンボル)とは自然発生的に私たちの感情を揺さぶった結果としてここにある、というより、社会的に観念化されて私たちの人生よりも前に既に存在していたもの、と考えるべきだ。私たちが「色」から与えられる感情も、そうした社会的な既製の約束事に馴れしたがわされていると考えるべきだ。 さて、万葉集では、「色」に対する、人々の原初的な(まさに無垢な)心の動きと、社会的な象徴との鬩ぎあいが見てとれるのだろうか、はたして。




「万葉集」に、色としての「金色」は登場しなかった(と思う)。「金」という文字は私の数えたかぎりでは、五十回登場する。この五十回というのが、じつは曲者で、もちろんこれは、「訓」を加えていない、というか、「読み下していない」というか、いわゆる原文(白文)の万葉集から数えたものなのだが、資料としての底本のことなど、いちいち断り始めるとあまりにも煩雑だし、ここに書こうとすることは学術論文じゃないのだから、私の数え間違いも含めて、そのあたりのことはご容赦願いたい。「金色は色ではない」と、O・シュペングラーは『西洋の没落』の中で書いた。たしかに「金色」は色ではない。しかも私が「金」から書き始めようとするのは、後で書くように、「金」の読み方のなかに、私たちの考えようとする「象徴」の原型がみてとれるように思うからだ。

いわゆる万葉仮名としての「金」のほとんどは「かね」という言葉、すなわち、「〜しようとしてもできない」とか「〜していることにたえられない」とかいう意味の言葉のために借字されている。これに「がね」という助詞、つまり「〜するために」という意味に借字されているものを加えると、三十二回になる。巻十三、三三二二の「今還金」(今帰り来む)も「金色」とは遠い。その他に「家の門口」というような意味の「金門」の例がふたつ。「鐘」の意味のものがひとつ。「鐘」にまつわる地名がふたつ。さらには巻三の三〇一と巻七の一三三二に登場する「磐金」、「石金」。これらは「岩が根」と読んで「巨石」のことを表していると思われる。
もっとも「金色」に近づいた用例は金属としての「金」かもしれない。言うまでもなく、巻五、八〇三の、


という山上憶良の反歌を思い出す。もう一首


という大伴家持の作品がある。この「黄金の花が咲く」というのは、あきらかに金属としての金が産出されるという意味だろう。この短歌には「天平感宝元年五月十二日に、越中国守の館にして大伴宿禰家持作る」という注が付いている。家持が越中守に任じられたのは七四六年。天平感宝(勝宝)元年、七四九年は東大寺大仏の完成した年であり、陸奥国から黄金が献上された年でもある。
さて、「金」には、これらの他に、もう一つ別の読み方をされる例がある。


という巻一、七の額田王の歌の「秋の野」という部分は原文では「金野」というように書かれている。先人たちが「金」を「秋」と読み下したものは、この他に「金風→秋風」が三例、「金山→秋山」が一例、「金待→秋待つ」が二例ある。金を秋と読む、逆に言えば「秋」を「金」という字で書きとどめた、それは何故か。じつはこのことが、最初に「金色」から書き始めようと思った理由だ。金が秋を表すということを、この文を読む多くの方は既にご存知かもしれない。いわゆる陰陽五行説。五行説の5つの色は、次のように分類されていたのだった。


「 金」は「秋」であり、「西」でもあった。巻十三、三三二七には「西の厩」が「金厩」と表記されている。五行説について、私はこれ以上に書く用意はないが、万葉集における「色の象徴性」という場合には、なによりもこの中国の古い哲理が(時代の知識人たちを)支配していたと考えることはできそうだ。
ちなみに「銀」が登場するのは五巻八〇三の初句「銀母」のみ、「銅」が登場するのは十二巻三一八五「白銅鏡」(まそかがみ)だけのようだ。「まそかがみ」とは、普通には「手に取り持ちて見る」の枕詞とされているが、


の場合、白銅鏡そのものを読み手が印象するほうがインパクトがありそうだ。本題からそれるので、ここまで。



「金厨」の登場する三三二七の作品には、また「大分青馬之」という表記がある。普通には「葦毛の馬」と読み下されている。ここでも、仮に、五句目まで(したがって長歌については検索が充分でない。以下の色も同じ)に登場する「青」という字を数えてみると、だいたい四十二個所ほどになろうか。青丹吉(安乎尓与之を除外してみる)、青駒、青旗、青山、青角髪、青柳、青根我峯、青垣山、大分青馬、佐青有公之(さ青なる君が)、青雲、青草、青生、青幡、青淵、青羽乃山、戀渡青頭鶏(恋ひ渡るかも)青盖(青ききぬがさ)などである。戀渡青頭鶏の「青頭鶏」の部分を「かも」と読むのは、頭の青い鶏は「鴨」である、という文字謎めいていて楽しい。巻八、一四五一には、


という笠女郎が家持に贈った美しい作品があり、私も大好きな一首だが、この短歌と合わせて「青頭鶏」のことを考えてみると、この「青」は、緑色のようだ。一方、「大分青馬」は葦毛だった。「青」の文字に三色の色が表現されているようだ。「大分青馬」、つまり葦毛の馬の色の次には、巻十三、三三二九の


という長歌がある。「青雲」とはいったい何だ、という私たちの疑問に答えるべく、この作品はある。「向伏す」というのは、遠く横にたなびくという感じだろう。そうすれば、青雲は、近景の白雲よりさらに遠くの、遠景としての、ぼんやりとした灰色の雲のイメージではないだろうか。青は緑色と灰色のような色を表すものがその大部分を占めているが、佐青有公之(さ青なる君が)や、青淵などははたしてどうだろう。 青淵は


という不思議な作品に登場し、のちに『枕草子』に「名おそろしきもの、青淵」として引用されることになった。この青は、現代の青に近い。佐青有公之(さ青なる君が)のほうは

という、巻十六の「恐ろしき物」三首のひとつ。「さ青」は「青白い」というか、paleというか、そんな感じだ。「a whiter shade of pale」といったところ。





巻十六の「恐ろしき物」三首には、また、 沖つ国 うしはく君が 塗り屋形 丹塗り の屋形 神が門渡る
という作品がある。「塗りの屋形」は原文では「黄染乃屋形」。「塗」が「漆」の誤りだとして改めるという通説に従っておこう。ここにある「黄」は先人たちの読み下しのとおり、黄色というより「丹」に近いような気がする。代赭色の感じか。
例の数え方によれば原文のなかに「黄」という文字は八十個所にみられる。そのうち、「黄葉」(もみぢ)が五十七、「黄變」(もみつ)が八個所あり、その大半を占める。この黄葉という言葉の登場する作品で、もっともよく知られているのは柿本人麻呂が、妻の死後に詠んだとされる「泣血哀慟作歌」。

この他に巻十の「黄葉に寄する」歌や巻十九の「無常を悲しぶる歌」などを読み合わせてみると、黄葉は多くの場合、過ぎ去っていく時間、失われゆく恋人、あるいはそれらにともなう無常感、といった場面に象徴的に登場するようだ。「黄」はさらに黄楊(つげ)という言葉として、黄楊の櫛、黄楊の枕など四首に登場する。それぞれにフェティシズムを感じさせるような面白い作品だが、色の黄とは関係がなかろう。もうひとつ「黄土」というのがある。五句目までに六個所出てくる黄土のうち巻十一、一八八一の弥年之黄土は「いやとしのはに(毎年ずっと)」というように読み下されているので除外しておこう。


たとえば巻六、九三二のこの歌は「住吉の、あの岸の黄土に思いっきり染まっていこう」というような意味だろう。

巻十一、二七二五のこの歌は「黄土のように色にだしては言わないだけだ」というような意味だろう。こうしてみると「黄土」は「染まる」とか「色に出す」という心情表現とかなり密接に繋がっていると思われる。
さて「黄土」は、もちろん黄色ではない。短歌に出てくる住吉名産の(色美しく匂う)黄土は、現在の呼び名でいえば「茶色」がかった「赤」ではないかと考えられている。
「黄」という色は、万葉集時代には、色名として十分には定着していなかったようだ。さきに書いた「五行説」は六〇三年の、いわゆる「冠位十二階」のなかに「紫」を加えて引用されているし、皇太子の禁色とされた色は「黄丹」でもあった。黄丹が朱華(はねず)だとすれば、次の作品が、色としての黄色に、より近いかもしれない。

はねず色(原文では翼酢色)はこの歌では、「山吹の花」のような色とされている。





二七六八の「はねず色」が山吹の花に喩えられるとするならば、それに続く「赤裳」とは、どのような色だったのだろう。


のように、しばしばひづ(濡れる)ことによって男たちの官能をくすぐった「赤裳」は、おそらく「赤」というより、「はねず色」、つまり、くちなし色というか、橙色というか、黄赤色ではなかったか。
赤という字が指し示す色は万葉集の場合、かなり広い範囲の色を表している。巻十の二二〇五の「下葉赤」、二二三二の「木葉文未赤者」はそれぞれ「下葉もみちぬ」「木の葉もいまだもみたねば」と読み下されており、先に書いた「黄葉」と類似のものだが、巻四、五三〇など四個所に出てくる「赤駒」という場合には「栗毛の馬」のことであろうし、赤土少屋(埴生の小屋と読み下す)のように、懐かしい中等唱歌「埴生の宿」(イギリスの名曲Home,Sweet Home を里見義の訳した歌)を思い出させるものもある。


「赤土の小屋に小雨が降って、床まで濡れてしまった。こちらへ寄っておいで、おまえ」といったような感じかな。「赤土」は「宇陀乃真赤土(まはに)」ともあるから、「黄土」の「はに」と同種のものだろう。さらに赤石(明石?)という地名や、「赤のそほ船」(二七〇)「赤ら小船」(三八六八)といった、船の塗料としての「赤」もある。たぶん「べんがら」の原型のようなものだろう。
赤については、もうひとつ「あかねさす」という言葉を取り上げないわけにはいかない。「赤根指」「赤根刺」「赤根佐須」などと表記されている。もちろん「茜」という表記もある。「茜草指」「茜刺」。


という額田王の歌は「茜草指」。


という、二〇九一の恋の歌は「赤根指」だ。





額田王の歌には、よく知られているように皇太子(天武)の返歌がある。


「紫」を中心にして、当時の衣服の染料を整理してみよう。赤色の染料としては「茜草」の根から取り出したものが最初に有り、後に「紅花」系のものが移入された、と考えられている。「紅」は「呉」の藍、いかにも渡来品の名前だが、万葉集では「あかねさす(し)」が十例であるに対して、「くれなゐ」は二十七例ある。すでに染料としては、「紅」が「茜」を凌駕していたようだ。「あかねさす」がほとんど枕詞風に用いられているのに対して、「紅」の方は、現物としての色(染料)であることが多い。


この「くれなゐ」は「呉藍」と書かれた例だが、「紅に何度も繰り返し染めた衣のように逢うたびに」という表現には、たしかに染料としての「紅」がいきいきと感じられる。


一方で、「紅」についてのこういう短歌もある。「紅はやがては色褪せるものさ。橡染めの、着慣れた衣がやっぱりいいんだよ」という家持の歌。「橡(つるはみ)」は、どんぐりの実を煮出して染めた黒っぽい色。庶民の色というべきか。
紫が五行説の五色の正色に加えられたかたちで、古くからある、ということは既に書いた。しかも冠位十二階のころからその首位の坐をキープしてきたし、いわゆる「禁色」であった時期も長い。万葉時代の紫は、あきらかに「紫草」によるものだろう。十七首ある。


巻十二、三一〇一のこの歌は、「紫」の染め方の資料としても重要な作品だ。この時代の紫色は、紫草の根を砕き、湯で揉み出し、それで染めたものを、「椿の灰」で媒染して固定していたようだ。近年発掘された藤ノ木古墳や吉野ケ里古墳に残された繊維片の紫も、分析の結果、紫草の根で染められたものだった、という。

「月草」(ツキクサ)はつゆくさ。「韓藍の花」(原文では鶏冠草花)は「けいとう」だと考えられている。桃花染め(つきそめ、桃花褐)は朱鷺の翼の桃色、とされているが、私には詳らかではない。
これらの歌や、その他にも巻十一、十二の「物に寄せて思ひを陳ぶる」歌の最初に並んでいる「衣服」の歌を読む時に、色+衣服→心情表現という、物神崇拝ふうの傾向を強く認めながら、しかも、ある特定の色がある特定の心情を象徴するのではないということに気づく。むしろ、これらのさまざまな「色」が衣装を染めて行くように、衣装の色は人々の「心」を染めて行く、そうした過程(移ろいというべきか)のなかにこそ万葉人の象徴行為はあったのではなかったか。





間奏ふうに、緑をすこし。「あをによし」を青のところで書き忘れたので。ほとんどの場合は「青丹吉」と書かれているのだが、巻十三、三二三七の原文は緑丹吉。「美しい青土の」という意味だとされるが、私たちに具体的なイメージは湧かない。「みどり児」という意味の使用例が四首。「あさみどり」「夏はみどり」といういかにも「緑色」のような使用例もある。しかし「青」と「緑」の境界は、やはり曖昧なままの状態というべき。




染まって行く過程のなかに象徴行為があったということは、逆に言えば、万葉集のなかには「白」がもっとも多いということでもある。五句目までに「白」の登場する作品を数えてみると、二百四十七首ある。白栲、白珠、白雲、白雪、白鷺、白鳥、白鶴、白波、白露、白髪、白気結(霧ぞ結べる)----。私たちが古歌について思い描くほとんどすべての「白」の素材が出そろっていると言ってもいい。私がここにあらためて「白」について書く必要もないような気もする。すこし風変わりな表記としては「白水郎」というのがある。


罪負って流された王の伝説ふうの作品だが、この「海人(あま)」は原文では「白水郎」と書かれる。私にはこの経緯も詳らかでない。どなたかご教示願えれば、幸い。





白にくらべれば黒は極端に少ない。黒玉、黒髪、黒牛、黒馬、黒駒、あとは顔の黒いことを揶揄した大黒、小黒など。黒玉(ぬばたま)だけは象徴的な使われ方だが、ほかの黒は五行説の影響などまったく感じられない、いかにも現実的(あるいは現物的)な色だ。 さて、以上、基本的な色について万葉集を拾い読みしてきた。はたして 「短歌における色彩のシンボル性」という注文にふさわしかったか、といえば覚束ないが、万葉集には象徴(シンボル)として世間知的に固定してゆこうとする色(その代表が枕詞)と、ひとりひとりの(透明な)心が色に染まって行く過程とが、こもごもに交錯しているように、私には思える。
最後に、一首のなかに「黒酒」「白酒」の登場する、めでたい短歌を引用して、この稿を終える。